週末はもったいないくらいの秋晴れでしたが気仙沼へ。
今回は病院の医師から話があるという事で、前回退院の話しもされているのでいい予感はしません。
日中の快晴とは正反対の重い気持ちで気仙沼に向かいました。
前回、高速道路を利用してアルミテープ実験をやったところ、体感できるほどの変化があったのですが、燃料にハイオクを入れた影響と切り分ける比較対称実験として、今回はアルミテープを貼らずに気仙沼に向かいました。
時間帯も夜19時に経って夜中1時半に到着という事で交通条件は二週間前とほぼ同じ。
ただ、外気温が9度とか7度とか表示されていますので、若干の違いはあります。
またあまりに寒い為、途中何度かオートエアコンのヒーターを使った時間がありました。
これは防寒のため、というよりは窓の曇り対策といった感じで窓の曇りが晴れたら切っていました。
さて当然ですが、前回ハンドルが重く感じられたり、トラックの風圧に煽られるのが少なく感じられたのは今回は無かったので、やはりこれらの効果はアルミテープによるものと思われます。
高速区間の燃費の方は、21.5km/Lでタイヤ外形寸法分の補正で約22.5km/L。
前回よりわずかに悪くなっていますが、この程度だと運転次第でも変わるし誤差の範囲と言えるかもしれません。
帰りは前回の帰省では事故渋滞できちんとデータを取れなかったので、もう一度アルミテープを張って帰ろうと思います。
土曜日。
母親の入院している病院の医師に呼ばれているのですが、その前に老健の申し込みに行きます。
入所の希望は母親の生活の拠点があった気仙沼ですが、重複申し込みとはいえどこも400人待ち500人待ちというところばかりでいつ入れるか分かりませんのでこの日は隣の陸前高田市の老健申し込みに向かいます。
リアス式海岸の東浜街道で津波被害を免れた所は昔のままです。
岩手県に入ると広田湾が見えてきます。

(もっと見晴らしもよいポイントもあるのですが、なにぶん運転しながらなので・・・)
陸前高田市内、旧市街地はかつての山を取り崩して盛り土していた長大なベルトコンベア群こそ撤去されましたが、まだ工事中でダンプトラックがひっきりなしに行き交っています。
かつて観光客が目指した「奇跡の一本松」も工事現場に埋もれています。
まぁ陸前高田の復興が地権者問題で滞ったため、隣の気仙沼の工事が捗ったのですが、復興公営住宅があちこちに建ち、ぼちぼち引き渡し入居が始まっているのとは全く対照的です。
施設の方は広田湾を一望できる高台にあり、受け入れ人数もこれまでで最大の約190名となっています。
ただやはり陸前高田の人が優先になりますので、あまり期待できないかもしれません。
病院に向かう前にいったん気仙沼の仮設住宅に戻って昼食にします。
その前に、道中の震災遺構に立ち寄ります。
道の駅 高田松原。
この日は観光バスも来ていてボランティアガイドが震災の話しをしているようでした。
この裏手には七万本の松林がありましたが、東日本大震災の津波でたった一本を残して流されてしまいました。
道の駅の向かい側には石川啄木の詩や慰霊施設があり、今でも花が手向けられています。
午後は気仙沼の病院へ。
先月分の入院費を支払い、待ち合わせの医師と話をします。
母親の主治医ではなく医院長の次男で東大医学部帰りだそうで患者から「東大先生」と呼ばれている好青年でウチの母親もなぜ薬が効かず脳梗塞が悪化したのかの原因を突き止めたのもこの先生でした。
話は早く退院してくれとかいう直球ではなく、胃ろうはどうか、というものでした。
なるほどそう来たか、という感じ。
胃ろうを作っておけば受け入れ施設の幅も広がりますし病院の負担も減ります。
もちろん理由はそうは言わず、覚醒にムラがあって食事を完食できない日があるので栄養管理のために必要になる、というものでした。
胃ろうにしてしまうと病院が手間を惜しんで嚥下リハビリをやらなくなり、刺激が減ってさらに意識レベルが低下して寝たきり、というイメージだったのでこれまで拒否してきました。
しかし現実問題として退院後に入居できる施設を決めなくてはなりませんし、本人が鼻の栄養チューブを嫌がっていることもあり、嚥下リハビリを続けてもらうという条件で乗ってみることにしました。
可能性は高くないでしょうが栄養管理が出来て鼻のチューブが取れた事で食事がきちんと採れるようになるかもしれません。
何より危篤になってからやるよりも状態が安定して病院にいる今のうちに手術する方がよりリスクは少ないと思われます。
日曜日。
病院に手術同意を提出します。
病室で本人には鼻のチューブを取るために胃ろうにするから、と伝えました。
休日当番医が問診して帰った後、「おならで返事した」とか言って笑っていました。
ボケたのでなければ冗談を言うなんて良い兆候です。
果たして胃ろうにして良かったのか。
相変わらず病院の手際が悪く、同意書を出してから保険証が要るとか、仮設から保険証を持ってきたら手術の後の肌着が要るとかいつまでもお使いプレイに付き合わされて予定より1時間ほど出発が遅れましたが、午後3時に気仙沼を出発します。
帰りは前回の帰省では渋滞できちんとデータが取れなかったので再びアルミテープを貼ります。
前回のフロントバンパーとウィンドスクリーン以外に、リアバンパーとBピラー付近のガラスにもアルミテープを貼ってみました。
運転席、助手席のサイドガラスは何かを貼ると整備不良を取られるため、ドアの内貼りを外してガラス下部のドア内部の余白部分に貼り付けました。
後ろ側は面倒なので外側、Bピラー後ろに。
さて病院を出て、スーパーで道中の食料を買い込んだら一路東京に向けて出発です。
時間が遅れたこともあって50キロ制限の道路を40キロで走ってドヤ顔の地元の車に延々と付き合わされますが、高速に乗る少し手前で満タン給油しリセットです。
ワインディングに入ると前回よりステアリングが重くないというかセルフステアが弱まったような気がします。もっとも、すぐに遅い車に頭を抑えられてしまったのですが。
若柳金成ICから東北道に乗ります。
感触は悪くありません。
前後のバランスが取れたのか、Bピラー付近に貼ったことで回頭性が増したという事か。
ただやはり地面に吸い付くような感じです。
そしてトラックの風圧もやはり弱まったように感じられます。
カーオーディオは往路より音量を二目盛りほど下げられたので風切り音も軽減されているのでしょうか。その分、ロードノイズが気になりだします。
大きなアクシデントにこそ見舞われなかったものの、宮城県と福島県は強風が吹いており、燃費も思ったほど伸びないようです。
おまけに館林付近から断続渋滞発生です。
ただ、止まって走ってという渋滞ではなく60km/h前後でずっと走っていました。
こうなると俄然燃費が伸びます。
この断続渋滞は結局、首都高外環を降りるまで繋がっていたこともあり、高速区間の燃費は24.4km/Lでタイヤ外径分を補正すると約25.6km/Lと、現仕様はもとより純正の頃のベストリザルトとタイくらいの好燃費でした。
もっとも、これは渋滞で時間を燃費に変換したものになりますので今回も参考値といったところでしょうか。
次回帰省は再来週に祝日を絡めて連休にして仮設住宅から譲渡する家財道具を搬出する予定です。