三連休は気仙沼へ。
土曜は気仙沼で午前中から用事があったので金曜の仕事上がりで東京を発ちました。
しかし連休前の金曜の晩ですからすごい渋滞です。
これは失敗か、と思われましたが混雑していたのは下道だけで東北道は少し車が多いかなくらいでした。
しかし今回はなぜかトラックが多いような気がします。
いつもなら20時頃からSAやPAの出入り口まで休憩のトラックがあふれているのですが、この日はそういうのは少なくて道路上を走っているのかもしれません。
SAでお土産を買ったり休憩してたら思いがけず時間が経ってしまったので燃費は無視して平均時速95~100km/hくらいで北上、7時間半で気仙沼に到着しました。
燃費は19.1km/L。
それでも、いつもならETC平日割引の始まる0時ちょっと過ぎに若柳金成ICを降りれるのですが、今回は1時くらいになってしまい、気仙沼の仮設住宅に到着したのは深夜2時ちょっと前で翌朝は予定があったのでカップ麺だけ食して就寝しました。
翌朝、病院は後回しで前回、道を確認した唐桑半島の中古住宅の内見に向かいました。
母親を気仙沼の施設に入れるために住民票を気仙沼にとどめるためと、自分が週末などに帰省した時の拠点として住む場所を確保するのが目的です。
今回は現地で不動産業者と落ち合いますが、その前に同行を頼んだ叔父夫婦を迎えに行きます。
叔父は地元の建設会社に勤務し、義叔母は唐桑半島出身なので事情に詳しかろうという訳です。
この判断がかなり功を奏しました。
叔父の方は物件のすぐ近くが今の仕事場であり、事務所もすぐ近くに構えており事情に詳しいだけではなく、事前に近所の人からその物件の以前の持ち主の事など子細に調べていてくれました。
また、基礎、柱、畳といった住宅のキモになる部分を確認していました。
義叔母も家に金を掛けて競うように手入れする唐桑半島の住民の気質や地形の事、また主婦の視点から家の中をチェックしてくれました。
これらによって、もし東京から自分だけが内見していたら不動産屋の言い値で現状渡し、くらいのところを瑕疵担保責任の話やリフォームはこちらでやるからその分値引きしてくれるように売り主に掛け合う方向で不動産屋さんと話を進めてくれました。
おかげで自分はこの物件に掛かっている条件などの確認くらいしかやる事も無く、大工さんの見積りもお願いできそうな所まで進みました。
まぁいい物件が残って無いのは被災地では仕方ない事なのでどこまで妥協するか。
ただ、自分が居住して仕事するには不便な場所ですが別荘として使用して、定年後はそこに移住してもいいし、貸したり売ってしまっても良いかと思われます。
すぐ目と鼻の先にはこんな港もあります。
叔父は仕事に戻ったので義叔母を送り届け、そのまま親戚回りをしたら夕方、母親を転院させた気仙沼の病院へ。
見舞いに来ている親戚や母親の幼馴染の人たちの話では、随分回復していてしっかりした話をしたりするそうでたいそう喜んでいましたし、転院で戻ってきた母がかなり回復しているのを見て医師も「感動しました」と言っていたそうです。
しかし、自分は昔の話はしっかりしていますが、入院してからの話、特に昨日の事を聞くと覚えて居なかったり、病院の外に出たような話をする事があるので楽観はしていません。
ただ、まだ誰が見舞いに来たのかは分かるので完全に呆けたわけではない様子。
この日もしっかり目を開けて随分「会話」しました。
これまで昼のみ食事でしたがリハビリとして夕方も食事になっていました。
面会時間終了なので仮設住宅に戻り夜を過ごします。
翌朝。
普段なら日曜には東京に向けて出発するのですが、今回はオフ。
ただ、この仮設住宅も今週でウチ以外の住民は災害復興公営住宅などに転居して出て行ってしまうため、どこも荷物の搬出などで慌ただしい感じで起こされます。
今回は春のお彼岸に掛かっていたので、お墓参りに向かいます。
掃除は前回帰省した時にやっていたので、簡単に掃除してお花や供物を備えます。
そしてその足で老健の申し込みへ。今回は少し離れた登米市の施設です。
気仙沼からは車で約1時間ですが、三陸道が気仙沼まで開通したらもう少し早く行き来できるようになるため、今のウチに申し込んでおきます。
ここの施設の相談員さんも親身になって話を聞いてくれる感じの人で、だいたい普段1時間くらいの申し込み面談も、この日は1時間15分くらい話し込んでしまいました。
施設状況などから、これまでの大船渡~志津川までの三陸沿岸都市の施設に比べ入所者の出入りがある分入れる可能性が高そうな印象でした。
そして驚いたのがこの施設の施設長が非常勤で母の入院している病院に隔週で泊まり込みをしていて、母が今回の入院をした時に最初に診たのがその施設長との事でした。
なんとも奇妙な感じです。
帰路は病院に寄ります。
今日あったことを話すと具合は悪そうでしたが「遠くからご苦労だね」と気遣うくらいには回復しています。
夜はこれも恒例の友人宅に行きます。
おかげで仮設の灯油がなかなか減りません。
三日目。
この日は東京に戻らなくてはなりません。
中古住宅の内見、墓参り、見舞い、親戚回りは済ませたので今回も任務完了できました。
東京に戻る前に病院に寄って母を見舞います。
昨日より具合が悪そうでした。
この日は同室の入院患者の息子さん、つまり自分と同じ立場の家族が来ていましたが、「この病院にころされたようなもんだ」とかかなり荒れていました。
かなり長く入院しているようなのできっと病院側からかなり強く退院を迫られたのだろうと思われます。
自分も昨年はそんな感じで針の筵でした。
でも深く立ち入るのはどうかな、と思っていましたが補助看さんがいろいろ世話しに来て、この人も家族を施設に入れているようで、いつも親身に話してくれる人だったので、いろいろ話してくれましたが、今月、母を転院させてきた病院のある陸前高田市の出身という事でいろいろ話してくれました。
聞けばこの患者さんも条件が悪く、どこも受け入れてくれず、一年9カ月もこの病院に居るそうです。
さらにこの息子さんは毎日のように見舞いに来ているそうですがご自身も糖尿病を患っており、車の運転が出来ないという事で、どの施設に申し込んだらよいのか途方に暮れている様子でした。
そこで自分が市から配布される施設一覧に、詳しい待機者数や申し込み状況を書き込んだ紙を見せて近隣市の状況を説明し、コピーを差し上げました。
本当は自分で調べた資料を渡すと待機者のライバルになるので悩ましいところですが、ウチより条件が悪そうという甘い見通しもありますが、この息子さんもかなり追い詰められている様子だったので、少しでも手助けになればという思いもありました。
気仙沼の施設はどこも300人待ち、500人待ちという施設ばかりですが、その一人一人が皆、こんなふうに困っているのだろうと想うとなんともやりきれないものがあります。
複雑な気持ちで母にまた来るからと言い、気仙沼を後にしました。
帰りも東北道で南下します。
下道は順調でしたが高速ICの手前の情報版に火災走行注意の警告が出ていました。
車両火災?でもそれなら車両火災と出るでしょうし通行止めなどの規制が出るハズ。
沿線火災なら流れてはいるだろうと思って高速に乗ると大渋滞。
なんだこりゃ。
この渋滞を抜けると車は多いですが80~100km/hで流れています。
ただ、交通量が多いと自分のペースで燃費運転に徹する事は出来ないので流れに乗っていきます。
北関東に差し掛かると事故渋滞50キロ!の文字案内が。
50キロというのはかなり酷いです。
最寄りのSAで情報を見ると三か所で連鎖事故になったようでした。
このまま東北道だと3時間以上、常磐道に迂回すると2時間以上で常磐道に迂回した方が時間短縮になるようでしたが、通行止めは出ていないのでとりあえず北関東自動車道に差し掛かるまで様子見つつ走ってみる事にしました。
時々減速するような混雑はありましたが、結局外環道に乗るまで渋滞には遭遇しませんでした。
高速での燃費は22.4km/L。まずまず。
往きに雨に降られ、まだまだ融雪剤が残っているようですっかり車が塩まみれになっていたので、またしてもGSの洗車機に突っ込んでなんとか一日を終える事が出来ました。