2021年08月13日
まもなく8月15日の終戦の日を迎えます。
毎年、この季節になると太平洋戦争の記録映像で思い出されるシーンがいくつか過ります。
真珠湾攻撃や広島、長崎への原爆攻撃や諸都市への爆撃は日本人として直視しなくてはいけないものですが、それ以外でも鮮烈に記憶に残っているのは、太平洋の南の島の攻防戦でアメリカ軍に敗れた日本兵の屍に埋め尽くされた浜辺の記録映像です。
日本は十倍以上の国力のアメリカ相手に戦った訳ですが、アメリカにとっての主戦場はあくまでヨーロッパの対ドイツ戦でした。
太平洋戦域は後に「忘れられた戦争」と言われるほどで、戦争の勝敗が決して圧倒的物量で蹂躙されるまでは、特にアメリカ軍といえど、日本への反撃を開始した直後は真珠湾の生き残りの海軍と海兵隊、そして元々太平洋に展開していたわずかな空軍が戦力で場合によっては日本軍の方が戦力的には優位な状況でした。
アメリカ軍と言えど武器弾薬が無尽蔵にある訳ではないため、彼らは限られた戦力を効率的に使わざるを得なくなりました。
島に上陸し、反撃してくる日本軍を迎え撃つためジャングルにマイクロフォンを配置し、機関銃で迎え撃ちました。
日本軍は夜襲なら勝ち目があると何度も攻撃隊を送り込みますが、陸軍と海軍の連携が取れなかった事もあって、ことごとく機関銃の餌食になり全滅してしまいます。
日本軍は送り出した攻撃隊から連絡がない事から全滅しただろう事は分かってもどのように全滅したのか殆ど把握できず、攻め手を変えてみますが通用しませんでした。
結局戦力を小出しにして全滅を繰り返し、守備隊はほぼ玉砕してしまいます。
全滅覚悟の日本軍に対し、アメリカ軍は味方を見捨てずに捜索して救助活動を行いました。
生還した兵士の証言によって日本軍がどんな戦い方をしているのかを把握できた事で破竹の勢いで太平洋を掌握していった日本軍の弱点を突く戦い方で形勢逆転していきます。
対する日本は惨敗しても精神論が支配している空気の中でなかなか旧来の戦い方を変えることが出来ませんでした。
日本軍が戦い方を変えるのはいよいよ本土が直接狙われると言う絶対防衛圏を守らなくてはならなくなってからで、それまでの「バンザイ突撃」を改め、入念に準備して島全体を要塞のように作り変えてアメリカ軍を深くまでおびき寄せて反撃する戦術に切り替えます。
これによってアメリカ軍は大損害を被り、場合によってはアメリカ軍の方が死傷者が多く出るような戦場もありましたが、結局は日本軍は海と空を支配されていたため、増援を送ることが出来ずに守備隊は壊滅的な損害で戦闘不能になるまで戦い続けることを最後まで強いられました。
その過程でそれらの拠点に移住していた多くの日本人民間人も巻き添えになりました。
後に「バンザイクリフ」と呼ばれる断崖からカメラを一瞥して飛び降りる日本人婦人の姿は鮮烈な印象として刻み込まれています。
アメリカ軍は拡声器で日本語を話せる兵士を使って危害は加えないから投降するように呼びかけます。
しかし何日もジャングルの中を逃げ回ったのでしょう、いよいよ切り立った断崖まで追い詰められた日本人の民間人は大人も子供も次々と断崖から飛び降りて命を絶ちました。
投降を呼びかけていたアメリカ軍兵士がショックを受けている様子が映像に記録されています。
現代日本人からしたら投降すれば水も食料も与えられたと知っていますが、当時の人々は民間人もそのように教育されていました。
特に女性は敵に捕まったらひどい目にあわされると思い込んでいました。
実際、終戦直前に満州になだれ込んだソビエト軍は現地日本人に対して傍若無人にふるまい、映像は殆ど記録されませんでしたが、それを恐れた日本人は毒を煽って命を絶つ者が出るなど凄惨を極めました。
それが戦争と言うものだったのです。
そして日本の敗色が濃厚となった時に行われた神風特攻隊の一機がアメリカ軍の空母に突入、爆発する映像です。
それまでの日本軍機の攻撃成功率は3~5%、100発爆弾や魚雷を投下したら3、4発くらいは命中するという物でしたが、度重なる敗北によって熟練したパイロットの殆どを失っていた日本軍の攻撃成功率は1%未満となり、ついに航空機で敵艦に直接体当たりする事を戦法にしました。
このカミカゼ攻撃は当初はアメリカ軍の度肝を抜いた事もあって10%前後の突入率を誇り、これは戦果の数字以上に突入されるアメリカ軍兵士を恐怖に陥れました。
しかしアメリカ軍は何度か攻撃を受けるうちに対策を施すようになります。
レーダー搭載艦を艦隊の周囲に配置して早期に接近する日本軍機を発見し、空母から発進した戦闘機でこれを迎え撃ち、すり抜けた日本軍機は電波で接近した時に起爆する新型砲弾で迎撃するもので、これらによって日本軍のカミカゼ攻撃の成功率をかなり下げることが出来るようになりました。
結局、カミカゼ攻撃は来る本土決戦に向けて戦力を温存して散発的な攻撃となった事もあり、当初目的としていたアメリカ軍の空母や戦艦といった大型艦艇を傷つけはしても沈めるまでには至らず、多くは小型艦や輸送艦のような補助艦艇を捉える事しかできませんでした。
しかしそのうちの何機かは攻撃を受けながらも正確なコースで突入している姿がアメリカ軍によって記録されています。
あの機体を操っていた青年は何を思っていたのか。
終戦の日にはこんな映像がフラッシュバックしてきます。
もちろん記録に残っていなくても当時を生きて、死んでいった一人一人にそれぞれ「戦争」があった訳で、その方々がいたから自分らが今こうしているのだと思わざるを得ません。
現代の戦争はテクノロジーの発達によって命を奪う相手の目を見るような事は少なくなるかもしれません。
しかし、モニター映像越しであっても一人一人が人生を生きて来た人間である事に変わりありません。
中国が台湾奪取の野望をもって軍備増強をし、日本を降伏するまで核攻撃すればいいと世論を煽っています。
日本が選ぶ道は何なのか、一人一人が現実を直視してしっかり考えることが過去の戦争を戦ったすべての人の想いに報いる事ではないかと思います。
Posted at 2021/08/13 03:41:50 | |
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