金曜日から休みを取って気仙沼に行っていました。
今の病院には4月いっぱいしか居られないので少しでも入れる可能性の高い施設に申し込むため早朝に東京を発って仙台に向かいます。
朝の首都高外環は空いています。
仙台の施設が近い東北道を北上します。
沿道の桜が目を楽しませてくれますが桜前線に合わるように北に行くほど蕾度合いが増えていきます。
仙台で東北道を降りた時の高速燃費は25.1km/L。
気温は22℃でしたので、やはり燃費に関しては1割以上気温の影響があるようです。
元々仙台付近を走っていたというウチのFit君は里帰りといったところでしょうか。
仙台といっても風景は殆ど都心と変わりません。
ただ、東京は何処までも同じ風景が続くのが地方都市との相違でしょうか。
施設に申し込みをした後は気仙沼に向かいますが、また東北道に乗るのも面白くないので三陸道の無料区間ICまで下道を行きます。
カーナビ任せで行ったら何故か松島に。
しかも松島をかすめるのではなく、フェリー発着場があるモロ松島で渋滞で全く進みません。
この頃にはかなりお腹が痛くて早くコンビニか高速のPAのトイレに駆け込みたかったので写真はありませんw
震災の半年前に社員旅行で来たなぁ松島海岸駅。
松島はそれ以来ですが、社員旅行の時に泊まったホテルは被災したものの、その後しばらくは復旧復興工事の作業員を受け入れていたというのは聞いていました。
船着き場は所々津波の爪痕は見て取れますが、気仙沼や南三陸、陸前高田のようにダンプトラックが行き交ってあちこち土盛りをしているという事はありませんでした。
夕方には気仙沼に到着し、母親の入院している病院に行きました。
先週も来たばかりですのでまだ熱を出した後という事は分かっていたので、まだ体調は悪いようでしたが、呼びかけるとずいぶんしっかりした返事をするようになっていました。
面会終了時間まで少し話しましたが、やはり直近の話はかなり怪しい感じになってきました。
朦朧としているのか、病院で時間感覚が無くなっているのか、呆けてしまったのか分かりません。
翌日土曜は、病院を見舞ったら、予定は無いので友人を誘って岩手県の鍾乳洞に行ってみました。
昔、子供の頃、親族一同で行った鍾乳洞は実に見事で、岩手県には日本三大鍾乳洞だとか、透明度日本一の地底湖だとかいったものが幾つもあります。
ただ、子供の頃なのでどこのなんていうところかはっきりしません。
陸前高田に転院させていた時、見舞いの道中に案内板が出ていて気になっていたので行ってみたいと思っていましたが冬は寒いし、そういう余裕も無かったのでスルーしてきたところです。
入り口を入ると、せ、狭い!?
ここじゃありませんでした(笑
でも、コウモリに驚いた友人がギャアギャ言っていたのが受付や売店のおばちゃん達にすっかり丸聞こえで、出て来たら「何が出たの?」と笑われる始末。
いや自分は面白かったです。
友人が本屋に行きたいというのでそのまま一関へ。
用事を済ませて気仙沼に戻るも消化不良な感じは否めず、先月に気仙沼と沖合の大島を結ぶ架橋が掛かったという事で見に行くことにしました。
その名も「気仙沼大島大橋」。後で公募でもするんかな。
こんな計画は子供のころからありましたが、震災でもなければ今だに幻だったかもしれません。
しかし、護岸は高さ数メートルの堤防で囲ってしまうため海沿いからみられるのも今のうちだけでしょう。
日曜日。
今日が今回の帰省の大目標その2であります。
気仙沼の不動産屋に前回親戚と下見した中古住宅の手付金を打って進められるところまで話をすすめてしまいます。
飽くまで中古ですから贅沢は言えません。
ひとまず今夏で退去期限がくる仮設住宅から母親の住民票を移せる居宅を確保して気仙沼の特養や老健に入所する資格を維持するのが目的です。
その為に住宅一件を買ってしまうというのもなんとも贅沢でありますが、物件がほぼ見つからない気仙沼ではこうでもしないと安心できません。
それに持っていれば貸したり、自分が老後暮らすことも出来るでしょうし、こうして帰省した時、誰憚る事ない自分の家があるというのは、やはり安心感が違います。
手付だけ置いて、あとは次の日程を決めて東京に帰ろうとと思ったら、お互いのスケジュールから、今日決めてしまいましょう、という事になり、急きょ売買契約書を作成します、という事になったのでそれが出来るまで足止めになりました。
こうなると東京に戻って洗車する時間も気力も無いのでこうしている間に仮設住宅に戻って洗車してしまいます。
水道やホースもあったのですが、ウチ以外の住民は先月で退去して片付けられていました。

誰も居ない10台分の駐車場を使って贅沢に洗車(笑
親戚に挨拶しに行ったその足で不動産業者に行って契約書にハンコを押して来ました。
病院に行くと、ちょうど夕食時でした。
自分が来ているから普段はあまりやらない事をやらせたりしてるんだろうな、と思いますが他の看護師も集まって来て一挙手ごと「お、すごいねぇ」なんてちやほやされるもんだから同室の他の胃ろうの患者さんは面白くなさそうにこちらを見ています。
患者さんの家族が居なかったのがせめてもの救いですが、冷や汗もんです。
それでも歯ブラシを持って自分で食後の歯磨きをしていました。
この日で入院してから丸々一年が経っていました。
いびきをかいて寝たきりだった頃に比べると、運動機能はこちらが思っていた以上に回復してきました。
この分だと、車いすに乗せて散歩させる事も可能になるかもしれません。
随分遅くなりましたが夕方6時に気仙沼を出発。早ければ日付が変わる頃には到着するだろうと思ったら案の定、50キロ制限の所を40キロでドヤ顔の車の大名行列に引っかかります。
イライラしても仕方ないですす、まさか東北道に乗るまでずっと前にいる訳でもないでしょうから、こういう時はなるべくムダなブレーキやアクセル操作をしなくていいようにすこし広めに車間距離を取って安全運転に徹していました。
すすと、車間空けてノロノロ走ってんじゃねぇ、とばかりに後続車が抜いてきて目の前に割り込まれました。
売られたケンカは買ってしまう性分なもんで、そのあと大名行列から離れて峠道に差し掛かってもこの無礼なあんちゃんの車を追っかけましてしまったので燃費は伸びませんでした。
それにして、わざわざ割り込むくらいだからさぞかし速いのかと思ったら、スタッドレスタイヤのフットでもタイヤも鳴らさずに追い回すことが出来ました。
どんだけヘタレなんだよ。情けない。
まぁこっちはタイヤも鳴ってないしバンパーも当ててないので煽ってるウチに入らないと思っていますが強引に割り込みとかするならとっとと視界から消えてほしかったです。
そんな事もありましたがその後の高速道路では90km/hで巡行でき、どんどん燃費が回復して21.6km/L。
まだまだ伸びそうだったので、もっと丁寧に、というかアホなあんちゃんに付き合わなければもっと伸びたと思われます。
1時過ぎには駐車場に車を入れ、ふと見上げると東京はすっかり桜が咲き乱れ駐車場も桜の花びらが積もっていました。
なかなかそういう事に気づく余裕も無かったので、いつの間に満開になっていたのでしょうか。
誰も居ない深夜の公園で、一人夜桜を楽しみました。
