週末は気仙沼に行っていました。
親が脳梗塞で倒れてから、病院を退院させて施設に入れるようにするのと東日本大震災以降住んでいた仮設住宅を引き払うという目標は達成し、施設費用の支払いも口座引き落としなのでいつ行っても行かなくてもいいのですが、何となく週末気仙沼の自宅で過ごすのが習慣になっています。
気分は長距離通勤というか、単身赴任とかで家族と離れて暮らしている人はこんな週末なのでしょう。
今回は老朽化して近所に迷惑かけかねないフェンスの張り替え工事の見積もりが出たという事でそれを確認にいくのと、お彼岸は過ぎてしまいましたが大叔母のお墓に線香と花を供えに行きたいと思っています。
いつものように帰宅して宅配便の再配達を受け取ったら東京を出発します。
再配達待ちだったので出発が20時近くになってしまったので平均時速90~100km/hで少し急ぎます。
最近は燃費より時間の方がもったいないですね。
高速燃費は21.4km/L(タイヤ補正22.5km/L)
数値はそれほど悪くないですが残量は気仙沼に到着した時には半分を過ぎていました。
ここらへんは外気温やエンジンや排気管で温められたりで目盛りの一つ分くらい増減するので一喜一憂しても仕方ありませんが目安として。
気温降下と共に困るのが霧です。
全域ではないにせよ、所々で濃霧が出ていました。
付けてて良かったイエローバルブ。
翌朝、土曜。
午前中にお墓掃除に行きます。
線香に着火した頃、雨が降り始めましたので登米市の施設に向かいます。
土曜なので復興工事のダンプもひっきりなしで時間が掛かります。
到着です。
最近返事もしなくなり、折角面会に来た人もガッカリして帰る事が多いようです。
気分が優れないのか体調が悪いのか黙して語らず、分かりません。
日曜は東京に戻るのですが、昨日お墓掃除もできたので久しぶりに洗車して、仮設住宅から持ってきた荷物も少し開封して片付けてから登米市に向かいます。
夕方に差し掛かり早めのライトオンしたのですが、どうもヘッドライトが点いていないようです。
前の車が黒だったので分かりにくいのですが接近した時に映り込みを見ると車幅等しか点いていないようでした。
まだ周りの車もライトどころか車幅等も点けていない時間帯ではありますがすぐに日が暮れてしまいます。
試しにパッシングしてみるとハイビームは生きているようでしたので最悪ハイビームで走れますが、思いっきり周囲の迷惑になります。
その状態で高速道路を何時間も爆走する勇気はありません。
通り道にホンダカーズがあるのは知っていたのですが、困ったことに施設の母親の部屋に設置する予定のサイドテーブルがあって施設の面会終了時間もあり、ホンダカーズに寄っていて時間切れになると次に来るのは二週間後になってしまうので、まず施設に直行します。
施設の駐車場で状況を確認するとロービームが二灯とも点いていませんでした。
昨晩帰宅した時には点いていたので、両方同時にバルブ切れになる事は考えにくく検索してみるとハーネスが焼損するリコールが見つかりました。
ただ、この車両のリコール履歴ではそういうのは全てやってあるはず。
こう言う時に限って家の大工仕事で車載工具を使って置いてきてしまっていたので応急措置も手が出ません。
ホンダカーズに連絡すると割り込みで見てもらえることになったので、施設面会は5分だけにして取って返します。
幸いな事に(?)上がっていくと夕食時間だったので母や部屋におらず、持ち込んだサイドテーブルだけ設置してホンダカーズに向かいます。
見てもらって分からない、或いは部品取り寄せになるならハイビームの光軸を下げてもらうようにお願いして待つ事数十分。
サービスの人がバルブが切れていました、とイエローバルブを持ってきました。
ほぼ同時に左右が切れたのなら驚くべきクオリティコントロールです。
そんな事っておこりえるのでしょうか。
可能性としてヘッドライトハーネスに問題があって球切れを誘発しているとか?
なんにせよ今は原因は球切れしかわかりません。
代わりの交換バルブを付けたら点灯したという事だったので、予備のバルブは積んでいたのですが新品になるならとそのまま交換してもらいました。
思わぬ時間と出費になりましたが、当初予定していた東京に向けて出発する時間になってしまったので施設は素通りで古川を目指します。
東北道は普段の日曜という事で流れも良く90km/h巡行できました。
宇都宮を過ぎて三車線になった頃、前方に青色回転灯が見えてきます。
どうも何か重量物を運んでいる様子。
常磐道だと日立なので発電所などの重量設備を運んでいる事もあるのですが、東北道では珍しい?
接近していくと誘導車は自衛隊の車両です。
とすると車列は昨今話題の北朝鮮対応のPAC3部隊でしょうか?
更に接近するとトレーラーの荷台に無限軌道が見えます。
「戦車!?」
カメラもドライブレコーダーも光量不足でうまく撮れてませんが74式戦車でした。
プラモでは小ぶりだと思った74式戦車ですが、隣車線から見上げると初めて肉眼で見る戦車は巨大な重量物です。
上部はカバーで覆われていたので所属などは不明ですが、東北方面隊隷下の部隊でしょうか。
富士の演習場に向かう途中なのか。
ちなみに日本では戦後しばらくは戦車の事を「特車」、戦闘機は「支援戦闘機」、軍用艦は「護衛艦」と呼んでいました。
これは日本の再軍備を警戒する近隣国と9条に戦力不保持と書いてあるじゃないか!と激昂する左巻きに配慮したものです。
日本を焼け野原にすると豪語する北朝鮮が核ミサイルをぶっ放そうって時に、実に虚しい言葉遊びだな、とそんな思いがよぎりました。
思いがけないサプライズに眠気も覚めた所で東京に入ります。
深夜一時の首都高外環はガラガラでした。
90km/h巡行の平均燃費は22.0km/L(タイヤ補正23.1km/L)