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2018年01月29日 イイね!

気仙沼行 除雪!除雪!蔵王キツネ村!そして除雪!

週末は母親が入院している病院で自分が記入しなきゃいけない書類と費用が発生しているということもあって気仙沼に行っていました。

年末からこっち、一週を除いて毎週末気仙沼です。

今回は夜間の道路凍結を避けるため、土曜の早朝に出発して病院退院になった時に少しでも気仙沼に近い施設という事で申し込みに直行します。

前日から乗込む方が余裕もあっていいのですがこれまで土曜早朝出発は何度もやっています。

慣れたもんよ、と思い駐車場のFitの雪を降ろして、と思ったら凍っています。
先週末、大雪が降った時、帰った時には積もっていたのとすぐに雪を降ろすと車の周囲の雪を踏み固めてしまい、「根雪」になってしまうと出し入れも困るので、今回は溶けるに任せていたのですが東京でも最低気温が連日氷点下で半分くらいしか溶けていませんでした。

まぁそれはいいのですが、日中に溶けた雪がボディカバーに染み込んで夜間早朝に張り付いてしまっていました。

このため、駐車場で暖気して少しずつ溶かしながら張り付いたボディカバーを剥がしていくというまったく実りのない作業を経て、荷物を積み込んで出発するのに1時間近く係ってしまいました。

1時間遅れで出発したので高速道路上でペースアップして遅刻を挽回するしかありません。


今回は、いつもの東北道ではなく常磐道から三陸道に抜けて直接施設に行く道にしました。

やはり雪の影響がどうなっているか分からないので内陸の東北道より太平洋沿いの常磐道の方がこの季節は安心です。

高速道路上の状況はどちらで行っても大差ありませんが高速を降りた下道が違いますし、三陸道のICならだと施設周辺に出られます。

ただ常磐道は東北道より車線減少してしまい、途中から仙台付近まで1車線化してしまうので遅い車に抑えられるとどうにもならないので今回のように急ぎの時には本当なら使いたくないのですが。

フクイチ周辺のシーベルト。


除雪された雪が日中に溶けて道路に流れてきます。
日のある間は、路面が濡れている程度の話ですが、これが日没から気温が下がるにつれて凍っていきます。
いわゆるブラックアイスバーンです。
今走っている所は大丈夫でも次のカーブを曲がった先も大丈夫という保証が一切ないのが怖いところです。


高速燃費は朝出発前に延々暖気してたことと、三車線区間は110km/h巡航だったので19.1km/L。


途中で遅れることを電話して約束の時間より30分遅れで施設に到着。

申し込み自体は普通でしたが施設の方は職員の人のあいさつが徹底していたり、インフルエンザ対策で区画を仕切っていたりと綺麗なだけではなく、これまで申し込んだ中でもここはいいなぁと思える施設でした。

もっとも入所を熱望したところでどうにもなりません。
ちなみにこの施設の順番待ちは10倍の倍率になっています。

そして途中でスルーした病院の方に向かいます。

余裕があればこっちを先に、つまり気仙沼に向かう順番で回れたのですが、いろいろギリギリなので時間の約束がある方を優先して戻るのは遠方から来るので仕方ありません。


予定を変更して病院より先に、以前に入っていた施設から費用が発生しているという方をさきに回ります。

ところが窓口にその旨つたえると、どうも施設が病院に資料請求した代金は病院で払ってほしいという事でした。

なんだか無駄脚ばかりですが入所中にクリーニングに出していたタオルが仕上がってきたものを受け取ったので完全な無駄脚ではなく、病院に取って返します。

途中から吹雪いてくるし。


病院で書類を記入して、ついでに面会していきます。
本当はインフルエンザ対策で面会制限なのですが病室まで案内されました。

病室では先週とは違って目を開けていました。
朝は呼びかけたら返事もしたという事で、この病院に来てから状態は良くなりつつあるようです。

ただ淡が絡むようで吸引しないと喋れないそうです。
淡の吸引が必要だと対応できないという事で断ってくる施設もあるのでこれは少し後退。

面会は数分だけという事なので、病院を後にして気仙沼を目指します。

夜間の山道を慎重に走って気仙沼に到着。

自宅までの道は除雪されていてスイスイ登れましたが駐車場は当然雪が積もったままでした。
とりあえず入れてみようとすると途中でスタック。新雪に足を取られてタイヤが空回りしています。

雪というより、その下が砂利なので踏ん張りが利かず砂利を巻き上げているだけでした。

これは困ったな、と思っていると上の家から車がでて来てしまいました。

これ以上入れられないのでなんとかバックして道路まで出て下までバックして車をやり過ごします。

このままだと路駐になってしまうので、ホームセンターに除雪のスコップと長靴を買いに向かいます。
店が開いている時間でよかった。

もし普段のように金曜の晩に出発して来ていたら朝まで道を塞ぐところでした。

駐車場の雪は全く踏み固められていないのでプラ製の大型スコップでもサクサク除雪できましたが下が砂利なので完全には取り除くことが出来ません。

きりがないので砂利が見えるくらいの所で車を入れてみるといつもと同じように入れることが出来たのでこれで終了にしておきます。


翌日、日曜日。

昨晩の雪掻きでこんな状態でした。



今日は昨日とは別の施設に申し込みに行きます。気仙沼からだと1時間弱の南三陸町でこれまでは遠いのと倍率が気仙沼の施設と変わりないのでスルーしてきましたが、登米市に比べたら2/3ですみます。

夕べは水抜きが面倒と思って水道水は使わずに過ごしていたので気づきませんでしたが、食器を洗おうと台所の水道を開けたのですが、水道が凍って水が出ません。

家じゅうの水道を見て回ると、元から断熱材が巻いてあった洗濯機置き場の蛇口と前回までに自分が断熱材を撒いておいた表の水道は普通に水が出ました。

水抜きが不完全だったか少しずつ水が溜まっていたかで暴露している蛇口付近で凍っているようでした。

蛇口にお湯を掛けたり、部屋を暖めて気温が高くなる日中に他の水道を使っていればまた出るようになる気がしますが、今から気仙沼を発つという時にそんな事をやっているヒマは無いので、とりあえずトイレのタンクに夕べ使った分の水を補充して、再び水道の水抜きをして戸締りをして東京に向けて出発します。

今日の施設も昨日の施設同様、太平洋が見渡せます。


この日は、帰路に寄りたい所があったので午前中早々に申し込みを済ませて最寄りのICから三陸道に乗ります。


仙台を過ぎた所で東北道に乗り換えます。目指すは前回間に合わなかった蔵王キツネ村。


雪は前回からさらに降り積もっていてすごい事になっていましたが圧雪路とブリザックは相性が良いようでかえって走りやすかったです。

とはいえ、ステアリングを切り増しても車が向きを変えない事もあり、ガードレールにも真新しい損傷が何か所も認められるので駐車場に車を入れてPに入れるまでは気が抜けませんでした。


こういう場所ではサイドブレーキは引きません。
なぜかと言うと走行中に車の下回りが濡れていて停めている間にその水分が凍ると、サイドブレーキのワイヤーが凍ってしまい、サイドブレーキを解除してもロックされたままになる事があるからです。

もっともこの車の場合はその心配はないようですが、用心に越したことはありませんしクセにしておかないとついやってしまうものです。

キツネ村には以前も来ていますが、冬毛はこの時期しか撮れませんのでいつか抑えておきたいと思っていつも時間がなくてスルーしていました。

夏場と違い丸まってじっとしている子が多く、また雪で入れる場所が制限されるのでなかなかいい写真が撮れませんでした。

12-60で一廻りしたら50-500でもう一周しました。





























これでだいたい一時間。

昨日除雪用に買った滑り止め付の長靴の底から寒さが伝わって来て、もう一周できそうでしたがこの後東京に帰る事を考えて日のあるうちに退散することにしました。



降りの方が数倍怖い。車が全然曲がらないしうっかりブレーキを踏むと滑ります。

ま、急いでも前にも同じような車が居るのでゆっくりで大丈夫。

前回同様にIC手前のコンビニで飲み物と食べ物を調達したついでに車体下部の雪を落としておきます。

東北道はやはり常磐道よりも雪深い印象。


晴れてればどちらでもいいですが、夜になってから降り始めたらちょっと大変かも。

この日も日のあるうちに栃木付近まで来られました。

後はゆっくり。高速燃費は85km/h前後巡行で22.4km/L。


夜七時前には到着し荷物を降ろして給油と洗車の為に最寄りのGSに行くと洗車機から一番遠い場所に通されました。

洗車したいんですけど、と言うとでは給油後に誘導しますからという事でコトコト入れていると、あれよあれよという間に洗車機に行列が出来て、自分が給油を終える頃には並ぶことができず、かといってじゃあ洗車は次回でいいや、というわけにもいかないので列の最後尾に並べるまで待っていました。

結局、給油から戻って来るのに1時間も掛かってしまいました。

晩飯を買って駐車場にFitを入れ晩飯を食べたら、気仙沼から持参した雪かき用スコップと長靴でもってアルファロメオ周辺の除雪を始めます。

しかしこれがまた気温降下でガチガチに固まっており、スコップの先端のブレードで固まりを砕いてはすくうの繰り返し。

完全にやるには時間も気力も無いので車の前と階段の前と水道メーターの上が見えるまでは除雪して、後は溶けるに任せる事にしました。

自然に溶けるにしても、こういうふうに砕いておけば、ずいぶん違います。

結局除雪を終えたのは夜10時半頃。
ようやくゆっくりする事が来ました。

この記事を書いている一日後でもまだ指先の感覚が少しおかしい状態で、とにかく記録的寒波に振り回された週末となりました。

そして今週末も東京~東北に雪予報。
今週は東京でゆっくりさせてもらいたいところです。
Posted at 2018/01/29 23:26:39 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2018年01月22日 イイね!

西部邁氏、死去

昨日、テレビ番組などの論客として知られる思想化の西部邁氏が亡くなられました。入水自殺だったようです。

あちこちで自殺を仄めかしていたので「遂にやったか」という感じです。

氏を有名にしたのはやはり「朝まで生テレビ」というテレビ朝日系で放送されている深夜の時事問題の討論番組でしょう。

あの番組では右派左派さまざまな論客に時事問題を喧々諤々討論させるのが呼び物で、たいていは口論になってグダグダのまま終わるというどうしようもない救いの無い番組でしたが、その中でもギラリと光る懐刀のような異質の存在に見えました。

「保守」論客として知られますが経歴は複雑で、東大在籍中には全学連で中心的な役割を果たしていたそうです。

やがて左派お得意の権力闘争や内ゲバなどに幻滅してか左派とは決別し、「保守」を標榜するようになります。
ただし、その姿勢は戦後日本の本流である親米保守すらも敵視する厳しいものでした。

それゆえ右からも左からも距離を置かれ、孤高の存在でした。

論理的な語り口は印象的でしたが、こと反米としての安全保障問題になると急にもやもやしてしまう所がありましたが、日米安保を解消して日本が自主自存すべしというのは本来の「保守」であったろうとも思います。

晩年は体を壊し、奥さんを亡くされ、事あるごとに「自殺」を仄めかしていたそうです。

それはずいぶん以前からも時より垣間見られ、周囲は「また始まった」と取り合いませんでしたが決して軽はずみな発作的な行動ではなく信念に基づいたものだったろうと思います。

昔から自らの潔白を証明するためだとか、そういった理由で英雄や哲学者が自ら命を絶つことがよくありましたが、現代日本では「発つ鳥後を濁す」という事で迷惑千万と言われてしまうのですが、惜しい人を亡くしたな、と思います。

あの人の代わりになりうる人物は現代日本には居ないでしょう。
Posted at 2018/01/22 13:49:03 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2018年01月21日 イイね!

気仙沼行 ドライブレコーダー、ユピテルQ-01取付け

金曜の晩から気仙沼に行っていました。

母の余命もそう長くないであろうという事とタイミングが合えば施設の申込みをしてこようという事で先週も行ったばかりですが、今冬一番の寒波の接近も予報されていますので、なるべく帰れる時に帰るようにしたいところです。


そういえば大晦日、東京の以前入れていたGSが売り切れていたと書きましたが、閉店してました。
関越と首都高外環乗り降り口という好立地なのに維持できないんですね。

もっとも関越入り口はバイパス乗り口が中央車線なのでほぼスルーされていたのかもしれません。

高速の平均燃費は90km/h巡航で20.4km/L。

外気温は高速では氷点下1度くらいでしたが、高速を降りた所では氷点下6度。

寒いのでさっさと寝てしまいます。

明けて土曜。

東京から甥夫婦にお土産を持参したので登米の病院に行く前に親戚の所に顔を出してみると、誰も居ませんでした。

電話などで病状などを伝えていたので、親戚もなるべく行ってみるという事だったので既に出発した後でした。
インフルエンザ予防で面会制限があるのでどうせなら事前に申し合わせて一緒に入れるようにした方が良かったかもしれませんが気ぜわしくて事前に打ち合わせてませんでした。

その帰りに年始になってから挨拶してない友人宅に寄ると「お昼作ったから食べていきなさい」ということになってお昼をご馳走になりました。

そうこうしていると、別の友人が停まっている自分の車を見つけたようで今から行くからと電話が入ります。

彼らとはしょっちゅう連絡してるので別にいいかな、と思うのですが、忘年会も新年会もやってないのでもうすぐ架橋される橋とか見に行こうぜ、という事になりました。

そういうのは地元に居てもなかなか見に来たりしないので完成する前の状態を見ておこうという事でウチのFitで出発します。

道中、震災の時はこの道を逃げたとか家はここに建ってたとか、ここにあった車屋が流されたとか飲み屋でする話とはリアリティーが違います。

目的の大島架橋の工事現場に来ましたが、以前は入れた所が工事が進んで入れなくなっていたのでUターン。

このまま帰るのもアレなんで、という事でまた岩井崎。


この日は風が冷たくてシャレにならない寒さでした。

海岸沿いの工事現場を回って別の友人宅へ。

そこで家の人が帰ってくるまでお茶を飲んで帰ってきました。

もう今から登米市の病院に行っても面会時間が終了間際だし、何より冬の夜の山道は避けたいので今日の所は気仙沼で買い物などをして自宅に戻ってきました。

翌日曜。

東京に帰る道すがら登米市の病院に回るとして、その前に本当は昨日取り付ける予定だったドライブレコーダーを取り付けてしまいます。

現在、このGD Fitにはポータブルナビに付属しているフロントカメラがドラレコとして働いていますが、昼間はともかく夜間の画質が残念過ぎるのとフロントカメラなので側方後方が記録できない問題がありました。

細かい話は後で整備簿にでも付けるとして、今回調達したのはユピテルの全天球ドライブレコーダーmarumie Q-01。

さっそく取り付けます。

今回はオプションの電圧監視電源リレーを使ってQ-01の駐車監視機能を使いたかったので電圧監視リレーのGND、常時電源、ACCをそれぞれ接続します。

この車両の場合、ACCは既にETCで取り出しヒューズ電源があったのでギボシ端子に分岐を咬ませてACCを取り出します。


常時接続用にヒューズ電源を調達。本体7Wなので0.6Aくらいでしょうか。


配線は後でちゃんとやるとして、ひとまず本体を取り付けます。
ETCのレシーバーやワイドミラーがあるのでココしか取り付けられません。


映りが悪かったら後でETC移設したりするかもという事で。

で、後部にコレを貼ります。


ダサいんだけど煽られるよりはマシ。

英語とか小洒落たデザイン性の高い物は単なるステッカーチューンに思われると思い、一目瞭然のものを選びました。

ただ、これがマグネットだったらよかったんだけどステッカーなのが惜しまれます。

でも黄色い車体に黄色いステッカーなので思ったほど目立ちませんね。
しかも離れると読めない。もっとも、高速道路でこれが読めるくらいの距離を詰めるんじゃないよという事で。


気仙沼を出る時から小雪が舞い始めます。

登米の病院に着くと、親戚から聞いていたように面会を断られます。
東京から来たと話すと短時間ならと認められました。

あれから一般病棟に移っているので相部屋でした。
しかし、日中にも関わらずずっといびきをかいて寝ています。揺すっても反応ほぼなし。

一応、親戚の事とか耳元で話して直ぐ病院を後にします。

そこからは前回のように自動車専用道路で築館ICを目指します。


今回も日が暮れる前に東北道の冬の難所である蔵王~国見峠を越える事が出来ました。

もっとも、現在は雪が降ったらすぐ除雪が入るしスタッドレスタイヤも進化したので峠を登れずに立往生なんて事はそうそう起こらないでしょう。そのまえに交通規制が入りますし。

燃費は日中はグングン伸びたのですが、蔵王を超えて日没になると燃費走行しても全く伸びなくなりました。
外気温は1度とか0度。

平均燃費は90km/h巡行で23.2km/Lでした。


自宅で荷物を降ろしたら給油&洗車して今回はお終いです。
Posted at 2018/01/23 00:31:11 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2018年01月15日 イイね!

気仙沼行 母の入院

金曜に休みを取って木曜の晩から気仙沼に行っていました。

正月帰省から戻って間もない10日に施設から電話があって「昨晩から熱を出して肺炎の疑いがあるので病院を受診します」という事でした。

年末年始に面会した様子ではかなり意識レベルが低く、誤嚥による肺炎だろうと思われました。

その後、病院の担当医と話して、所見を聞きます。
やはり肺に影があって肺炎とみられるので抗生剤の投与と食事の中止で様子を見るが、かなり体力も落ちているので厳しい状況であるとの事でした。

今からだと病院が開いている時間に間に合わないので金曜に休みを取って医師と面談するという事と連絡先の親戚が仕事などで今日対応はできず明日以降対応になると伝えて、職場に休暇届を出してひとまず対応できる事はやったと思ったら、次々親戚から電話が掛かってきます。

あまり大事にしてもどうにもならないので最小限の身内だけに入院した事を伝えていたのですが、どうも施設の方が申請してある連絡先全員に電話しまくっているようでした。

こちらから施設に電話すると「付き添いでいった者が拘束されて戻れないから誰か出して欲しい」という事でした。病院とは明日入院手続きなどやると話が付いていると思ったのですが、病院に電話してみると入院させる部屋が決まらなかったがさっき決まったので施設の付き添いの人に移動させてもらったところ、との事。

誰がハンドリングしてるのかサッパリで、施設に電話すると「先ほど帰るところと連絡があった」と。

おかげで親戚全員の知るところとなり、仕事中もその電話対応ばかりやっていました。

こうなるといつも見舞いに来ていた知り合いにも伝えないといけないので、帰りながらそんなことをやっていました。

一日仕事をしていろいろ準備し、木曜の晩にやや仕事を早上がり気味に退社して気仙沼に向かいます。

道中の雪はほぼ心配ありまませんでしたが折からの寒波でとにかく寒い。


普段なら東北道で標高の高い那須高原付近が最も気温が低いのですが、今回は福島や宮城の内陸で氷点下8度の表示が出ています。

前走車の巻上げた融雪剤を落とそうとウィンドウウオッシャー液を噴霧したら不発。
あれ?壊れた?と思いリア側を作動してみると、こちらも不発。

どうやらあまりの寒さにノズルかタンク内で液が凍ったようです。
前が見えないほどでもないのでとりあえずこのまま走ります。

85km/h前後で走っての高速燃費は20.7km/L。


深夜1時45分に気仙沼の家に到着。
とりあえずカップラーメンでも食べて寝ようとしていたら、突然家の障子がガタガタと揺れ始めます。

すわ、高速を降りた時に轢かれていたタヌキの遺体を道路脇に避けた霊障か!?と思ったのですが、地震速報を見ると気仙沼直下でここらへんだけ揺れたようです。


長距離運転の直後なので体がふわふわした感覚で普段なら地震と分かる初期微動もぜんぜん分かりませんでしたのですこしビビりました。

ちなみにこの家の廊下やトイレの照明はセンサーライトにしてあって便利なのですが、寝ていると夜中に勝手に点くことがあります。

虫が入ったか、掛けてあるタオルが揺れたか、と思うようにしています(笑


金曜日。
施設最寄りの登米市の病院に入院となったので、気仙沼の自宅からそちらに向かいます。

今回はこれまでお世話になった親戚ではなく連絡を受けて入院当日に駆けつけた従姉、母からすると姪が入院手続きなどをしくれていて、今日も来てくれていましたので二人で医師の話を聞きます。

インフルエンザ予防で面会は制限されていたのですが持参した入院用の身の回りの品を持ちこむ時に顔を見ていきますか?というのでベッドに案内されました。

てっきり部屋かと思ったらナースステーション目の前の、つまり一番目が離せない位置のベッドが宛がわれていました。

酸素マスクはしていましたが熱は落ち着いており、目を開いて話しかける人の方を見たりとつい数日前の目も開かない、呼び掛けにも揺すったりしても反応しなかったのからするとずいぶん良くなったように見えました。

ただ何か言いだけでしたが声は出ないようでした。

医師に呼ばれ、所見を聞きます。
やはり寝たきりによる誤嚥性肺炎で抗生剤などが効いて熱は上がったり下がったりといったところ。

まず体力が落ちているところでの肺炎なので予断を許さない、このまま亡くなるケースもあり得ます。肺炎が回復しても、多臓器不全に陥っているので一時的に持ち直しても以前のように回復する可能性はほぼありません。といった非常に厳しいものでした。

まだ若い女医さんでしたがはっきり言うのでかえって状況は分かりやすかったのですが、人によっては冷たい、もっと親身になってほしいと思うかもしれません。

もちろんこの人も良くなる可能性があればこんなネガな事ばかり並べないのでしょうけど、それだけ厳しいといったところでしょうか。

落ち着いた場合、食道と気道を分離する手術があるそうですが、どうでしょうか?と聞くと、その質問は予想外だったようでしたが全身麻酔を伴う手術になるので体がもたないと思います、全国どの病院でもまず受けてくれるところはないのではないか、との事。

そしてダメだった時。これは電話で話した時に決断を保留していたのですが、延命措置をしてもその後回復する可能性は低いが患者には苦痛を伴う措置である、という事だったので心肺停止の場合は無用な延命措置はしないようにお願いしてきました。

従姉にも以前から血液検査の結果が良くないのでいつ急変するかわからないと伝えていたので覚悟はしてくれていると思います。

とりあえず母の身の回り意の事は比較的近い従姉にお願いして別れました。

施設の方に連絡すると、入院になったので施設の方は退所していただくので部屋の荷物を取りに来て欲しいとの事だったので、車で10分の距離、というかわざわざ気仙沼から取りに来ると1時間半、東京からだと6時間掛かるので気仙沼に戻る前に寄って荷物を受け取ってきました。

老健は長居する所ではないのであまり荷物は持ち込まないようにしていたつもりですが、大きな段ボール2箱とテーブル二つを積めたのはやはりFitの積載力のおかげ。

翌土曜日。
親戚の家に行く前に買い物をし、道中に家を建てた同級生に新年?の挨拶に立ち寄ります。
挨拶だけしてしてすぐ帰るつもりがけっこうな長話になってしまいました。

これから行く親戚んと墓をどこにするか揉めそうと言うと「すぐに納骨しなくてもいいんじゃないの?」ということで百科日位まではひっぱれるかな、と思えたのは無駄足にはなりませんでした。

夕方前、電話だけ受けて心配しているであろう親戚に説明に回ります。

とはいえ、この日は気仙沼地区では正月期間最後の区切りという事で皆、挨拶回りなどで出払っていました。

とりあえず高齢で出歩けない従姉の実家の叔父義叔母のところに行きました。
もっとも話は従姉からずいぶん伝わっているのであまり話す事もないのですが。

そろそろ帰って来たかと他に回りますが、お婆さん一人(若いのは居るけど出てこない)だったので、また終戦の頃からの昔話を聞かされました。

いろいろあって、母がまだほんの子供の頃、納屋で一緒にご飯を食べた間柄だから他の親戚とは違う思いで見てて、なんでこんな目に遭うんだかなぁとボヤいておりました。

他にもいろいろ血圧が上がるような話もあるのでなんとかそっち方向に話がいかないように相槌を打ちながら家人が帰って来るのを待っていたのですが、どうも挨拶回りが遅くなるようなので、あまり長居すると晩御飯を食べていきなさいと言われ始め、それはそれでありがたいのですが、自炊の用意をしてあるのでと断って帰ってきました。

日曜。
仕事もあるので東京に戻らなくてはなりません。

もっとも、登米の病院は面会制限で面会できる時間帯が12-13時と18-19時の一時間ずつしかないので、そうすると12時に面会してその足で東京に帰らないと、翌日の準備が出来ませんので午前中に気仙沼を出発します。


無駄に快晴ですが、去年からそうですがずっと風が強くて疲れます。

登米の病院は先日までいた施設に向かう道と同じ道で最後だけ曲がらずにまっすぐ行くようになります。

12時。病院に着くと休日の受付が裏だとか、裏から入ったら入り口はあっちとか右往左往です。
おまけに面会は先週から受け付けていません、というので東京から来た息子なんですがと言って10分だけ入室を許されました。

通常ダメなのが許されるというのも、なんだかそれほど悪いのかと思ってしまいます。

一昨日ははっきり目を開けていたのですが、今日は年末の施設で見たようにいびきをかいて寝ており、呼び掛けても反応しませんでした。

しかし看護師が糖尿病のインスリンを注射しますよ、と言うと眉間にしわが寄ったので、この人、やっぱり起きてるな、と思えます。
ただ、聞こえていても反応する体力というか気力がもうないのかもしれません。

こうやって顔を見られるのもあと数回くらいでしょう。
短い面会を終えて東京に向かいます。

東北道には築館ICから乗ります。

その途中は自動車専用道路でスイスイでした。

そして伊豆沼。




水を抜いた田んぼには渡り鳥が数多く羽を休めていました。

東北道は順調でしたが、東京で荷物の再配達を受け取れる時間に間に合いそうなので、泉から国見のあたりの80km/h規制の区間以外は100km/h巡行で東京を目指します。

久しぶりの仙台大観音。


そして夕景の富士山。


燃費の方は首都圏に入ってペースが落ちた事もあって20.8km/L。


冬場でもこれくらいで収まるなら普段から100km/h巡行でもいいような。

東京の自宅には18時過ぎに到着。
荷物の受け取り、給油、洗車を済ませ、翌日に備えて買い出しなどをして、お終いです。

母の容体はどう推移するか分かりませんが、回復したらそれはそれで今度はあれだけ苦労してようやく決まった施設探しが振出しに戻ってしまいました。

それにしても今回は従姉にずいぶん助けられました。

子供の頃は世話焼きでずいぶんお姉さんという感じの人でしたが、この局面で頼る事になるとは思っても居ませんでした。

まったく人付き合いは普段から疎かにせずきちんとやっておかないといけません。
Posted at 2018/01/15 01:47:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2018年01月06日 イイね!

気仙沼行 年末年始帰省 岩井崎、蔵王キツネ村

大晦日から5日まで気仙沼に行っていました。

休みは年末の仕事納めから今週末の三連休まで有休消化で繋げてずっと休みですが、道路の混雑を避けるために世間と日程をずらすようにしました。

といっても出発した大晦日の東北道は年末とは思えないくらい空いていて少々拍子抜けです。


そういえば最近は防災と時間節約から東京に戻ってきたらGSで洗車し給油していますが、これまで高速に乗る前に給油していたスタンドに「売り切れ」の表示が出ているのを見ました。

タンクローリーの配送が遅れているのか予想以上に給油が多かったのか、こんなの震災以来です。

空いている東北道を北上していくとちらほら雪も舞い始め、沿道はザ・雪国、という風情に変わってきます。


夕方に差し掛かり持参したお握りを食べようとPAに入りトイレで「軽量化」しておきます。
個室に入ると長サイフが置いてありました。忘れ物です。

届けるにしても書類を書いたり時間が掛かります。
持ち主が気付かずに出発してたらもう警察に連絡してもらうしか手段はないし、とりあえず用を済ませようと腰を下ろしたら誰かが慌ただしくドアを叩きます。

他の個室は空きがあるので財布の持ち主が戻って来たようです。

ドアを開けるとトヨタが販売店向けに配布したマニュアルに載っている「マイルドヤンキー」そのものの風情の人が立っていました。


「これです?」と財布を手渡すと慌てていたのか「あぁ」と受け取って礼も言わずに足早に立ち去りました。
中身を確認した方がいいと言おうと思ったけど、もう関係ないし煩雑な手続きで時間をロスしなくて済んだのでこちらもラッキーでした。

向こうも財布を無くした年末年始にならずに良かったね。


月がやけに大きく見えましたが次の満月は「スーパームーン」だそうです。


高速燃費は85km/h巡行で22.5km/L。


古川ICで高速を降り登米市の施設を目指します。

今年最後の母面会ですが、反応が芳しくないのは面会に来た人や施設の人から聞いていたので期待していませんでしたが、案の定夕食を食べさせましたが半分くらいで食べなくなってしまいました。

このまま摂食障害が続くと胃ろうに戻すかも、という事でした。

もっとも動物でも人間でも自分で食べられなくなったら寿命だと自分は思っているので、栄養だけ注ぎ込んで生きながらえるのは、果たして本人のためになるのかと思います。

夜は気仙沼の自宅に到着。除夜の鐘を聞きます。


翌、元日は昨日に続き風も強かったので何もせず自宅に籠って過ごします。
日中、風は強いものの晴れのうちに車の下回りを高圧洗浄機で洗っておきます。

ホースなどのセッティングは前回やってあるので楽勝でした。

洗濯機置き場の水道の蛇口は分解してみるとパッキンがダメになってきていましたがこの際なので
蛇口ごと新品に交換します。


2日再始動。
親戚に新年の挨拶回りに行きます。

と言っても大晦日に運転中に従姉から今日亡くなった人が出たので年始の挨拶はご遠慮くださいとショートメールが入っていたので回る家が一軒少なくなってすぐに登米の施設の方に回りました。

この日も母は寝ていて呼びかけても反応が無かったので直ぐに気仙沼に戻ります。

というのも登米から気仙沼までの山中の道は日が暮れると凍ってしまうので早く帰りたかったのですが、車は殆ど走っていなかったので、これまでの最短時間で戻ってこられました。

夜は昨日はスーパームーンだったようですが、今日も大きな月が登っています。

写真を撮り始めたらすぐに雲に隠れてしまいました。


その後、母親の年賀状が出せない人に東京で用意してきた寒中見舞いを投函しに気仙沼市内に降ります。

曇りは雪に変わって積もり始めていました。



三日、朝になると妙に明るいので、もしやと思い外に出てみると


しっかり積もっていました。
年末に降った雪がせっかく溶けた所でしたが、これでまた遠出は避けた方が良さそうです。

相変わらず風も強く、この日も巣籠り決定です。
年末にAmazonで注文した言語聴覚士の本が届いたので読んで過ごします。

この本の判定によると、母は7段階くらいのうちの6番目で悪いかなと素人判断では思います。


四日。
三ヶ日も過ぎたのでそろそろ再始動ですが、Uターンラッシュが始まっているという事なので東京に戻るのは明日にして今日は登米の施設に向かい、下道の道路状況も確認しておきます。

気仙沼から登米に向かう道中、岩井崎に寄ります。

向洋高校跡地。


この辺はまだまだ復興とは縁遠く、震災から時が止まったままです。

震災の日、職員や生徒は屋上に上がり、難を逃れて全員無事だったそうです。

ちなみに校舎はもう少し山手側に再建中です。

防波堤から気仙沼湾を望む。


風は強いのに海は穏やかです。

岩井崎。龍の松。


元日は混雑したんじゃないでしょうか?去年も今頃来たかな。

気仙沼出身の第9代横綱「秀ノ山雷五郎」像


身長は164cmで歴代横綱では最も小兵だったとか。

岩井崎は海岸に降りられるようになっていました。
前回来た時は規制線が張られていて降りられなかったように思います。


ただ自分の記憶からするとずいぶん海が近くなったような気がします。

海は穏やかだったのであまり派手な写真は撮れませんでした。


もっとも、荒天の時に海に近づくのは賢明とは言えません。

秀ノ山雷五郎像が見つめる先は金華山(たぶん)。


日没前に到着できるように登米を目指します。


しかし、この日も母は寝ており反応がありませんでした。

脳梗塞が悪化しているのではないかと思うのですが、施設の人によるとここ数日はずっとこんな感じで、最初はびっくりして起こしたら「ねむかった」と答えたそうです。

朝は呼び掛けに返事をするそうですし、広間に出ている間は他の人の話に笑ったりもしているそうです。

何かあれば施設から連絡は来ますが、東京から向かっても6時間は掛かります。
無用な延命はしないように施設と契約しているので、毎度この寝顔が最後になるかも、という思いはありつつ気仙沼に戻ります。


五日。
東京に戻る前に表の水道の凍結対策をしておきます。

ここ数日、気仙沼でも最低気温予想は-3℃や-4℃という予想です。
-4℃というと屋内でも立ち上がり管の水道が凍る可能性があり、寝る前の水道の水抜きは欠かせません。

単に水が出なくて困るというだけではなく、水道管が破裂すると数万円から場所によっては家の壁を壊したりするので十万円以上の出費になります。

住んで毎日水道を使っているならともかく、ウチのように一週間以上も水が止まっていると凍りやすいです。

ちなみに岩手内陸やそれ以北のシャレにならない寒さの地域では家の断熱化や水道管のヒーターが完備されていますが宮城県はギリギリ凌げるという事で関東と同じ作りの家屋が多いです。

気仙沼でも最近新築された家なら床暖房や凍結対策はされていますが、ウチのように築年が行った住宅ではそれは望めません。

そして表の水道の立ち上がり管はなんと裸管なのです。


この家を買った時から気になっていて寒くなる前にやろうと思っていたのですが、結局、一番寒い時期になってしまいました。

ホームセンターが初売りで普段より早く閉まってしまい、なかなか買えませんでしたが、断熱材を購入しましたので水道管と同じ長さにカットします。


テーピングして応急処置完了です。


上のキャップは違う時に買ったのでサイズが違いました。後で正しいサイズに付け替えなくてはなりません。

お昼を食べたら火の元の確認。水道の水抜きをして気仙沼を発ちます。

普段なら登米に行って母に面会するのですが昨日の様子だとまた寝ていて無駄足になると思い今回はスルー。

帰路、途中で蔵王のキツネ村に立ち寄ってみます。
以前にも来たことはありますが、本格的な冬毛を撮影しておきたいと思っていました。

ただ、雪が降ったばかりです。
途中まで蔵王スキー場と同じルートなので道路状況が心配されます。

東北道を白石ICで降ります。

そこから蔵王に向かう道はしっかり除雪されており、雪も解けていた楽勝かと思われましたが、枝道に入ると


しっかり雪が残っていました。

これが圧雪路部分は変な入力をしなければ滑る事はありませんが、問題は一度溶けてシャーベット状になったものがまた凍った箇所で、これがタイヤで踏み崩すと轍にハンドルを取られたりして滑ります。

滑ると言うよりはヨーイングをこらえられずに回転モーメントが発生するといった感じで右に左に車が向きを変えようとします。

前輪で引っ張るFFでこれですからFR車ならこの回転モーメントを後輪が後押ししてスピンします。

カウンターをアクセルワークでスピンしないように走りますが、単独なら楽しいですが対向車が来るとさすがにヤバいな、と。

キツネ愛とスタッドレスタイヤとドラテクが試されます。

肝を冷やしながら6キロほど山を登っていくとようやく到着です。




駐車所に車を入れ、撮影機材を降ろしていると、どうも場内から「蛍の光」が聞こえてきます。

慌てて、しかし雪で転ばないように急いで入り口に行くとロックアウトされたカップルが居ました。
「4時までじゃないんですかね?」なんて話していると中から
「3時半で終わりです」
と聞こえてきました。

気仙沼からだと午前中、光線を考えたら朝には出発しないと間に合わないようです。

もっとも17時まで営業されても帰る頃には道路が凍結して客や従業員も往生するでしょうから仕方ありません。
次回はもっと早く出る事にします。

高速入り口手前のコンビニでマッドガードや車体下部に付着した雪を落としておきます。

高速走行では雪の塊と言えど落下したら凶器になりえます。

白石までの高速を速度規制のある泉まで100km/h巡行、泉から90km/h巡行で、そこからは90±10km/hと荒れた走りでの燃費は21.1km/L。


ただし航続距離の関係で気仙沼で給油し、途中で蔵王に向かったりしたので、まぁまぁ。


東京には20時20分には到着。最寄りのGSでガソリン給油と洗車してお終いにします。
Posted at 2018/01/06 13:13:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

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「@☆大佐☆ 現行犯ではなく事後に逮捕されるようです。また組織窃盗や執行猶予中であれば重罪になる法案が可決されています。しかし万引き被害が2014prop. 47以降50%増加したという店もあり犯罪者に寛容な姿勢は犯罪抑止にならないという当たり前の結果になっているようですね。」
何シテル?   06/11 13:47
ネコとキャブを愛でるのが趣味の低年式オッサンです。
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