お盆休みは丸っと気仙沼に行っていました。
普段は休みの前半と後半などに分けて気仙沼と東京半々くらいで過ごすのですが、今回は出発当日に部屋のエアコンが故障している事が判明したため、避暑で予定を決めずに金曜の仕事上がりで出発しました。
首都高外環で少し渋滞したほか、東北道は全体的にトラフィックは多い印象でしたが福島県に入ると連休入り口と言うのが嘘のように単独走行になる事も。
高速燃費は先月帰省の帰りの燃費が良かったためそのまま無給油。
給油警告灯が点いたのは800km(タイヤ補正840km)地点でした。
この地点からあと100km以上走れる計算ですが残120kmあります。
たぶん大丈夫なので高速の最後のSAも通過。
高速を降りた時の燃費は21.9km/L(タイヤ補正23km/L)
この時の走行距離は840km(タイヤ補正880km)
気仙沼の別荘には1時半前に到着。
翌日給油した時の給油量は39.69Lでした。
フルタンク42L、給油口摺り切り一杯まで継ぎ足して約1Lでしたので残3Lあるかないかです。
前回の帰省往復でWAKO’SのFUEL-ONEを二本投入していましたがタンクが空になったタイミングなので同じくWAKO’Sの燃料添加剤PREMIUM POWERを投入します。
過走行車に効果ありとの事ですが少々お高い。ウチのFit GD君は既に17万キロですが果たして効果のありやなしや。
街に降りたついでに食材などを買い求めます。
お盆の準備完了。
翌11日。
昨日買った花等を持って墓参りです。

母と大叔母が入っている墓。
13日が盆の入りなんですが、お盆期間中は混むのでフライングです。
別の寺に移動します。
母と同じく去年亡くなった伯父。と自分の爺さん系の墓。
これから伺う本家の墓。
33回忌の先代のお婆さんが唯一会った事がある人かな。後は昔話やアルバムでしか知りません。
この山奥の寺の前を流れる川の直前まで津波が来ました。
もっとも、近年は川も井戸も水不足ですが。
Fitとアジサイ。
足を延ばして本家にお邪魔します。
今週で91歳になるお婆さん。
畑仕事を引退したら、目に見えて弱ったようで持参した洋生菓子も口にしませんでした。
物忘れはしますが受け答えで辻褄の合わない事を言うでもなく、しっかりしています。
台風も来そうなので早々に帰宅。
翌日12日は部屋の片づけや模様替えなどをして過ごしました。
日が暮れてからは一階の屋根に出て雨樋の水漏れ修理。
13日は盆の入りで本家から先々日のお婆さんが孫娘の運転する車で焼香にやってきました。
来年の三回忌にも来て欲しいものです。
いろいろ話してると、どこかで花火が上がっています。
気仙沼の花火大会は8月第一土曜日曜なので終わっています。
孫娘が素早くスマホで検索して「大島花火大会だよ」と教えてくれました。
気仙沼湾湾口を守るように位置する大島のお陰で内湾の気仙沼港はいつも穏やかです。東日本大震災の津波も大島が無ければ気仙沼市街地をもろに直撃したに違いありません。
大島も他の三陸沿岸都市と同じく昔から津波被害に遭っています。
まんが日本昔ばなしでも取り上げられていますが、他のほのぼのオトボケ系と違い、子供の時分には津波の教訓よりとても怖い話として印象に残っています。
その大島も今年、念願の橋が架かりました。
被災したウチのあったあたりから入っていく橋で車で10分といったところ。
そんな話をして親戚が帰った後、庭に出ると大島の花火が上がっているのが見えました。

教えてあげればよかったなぁ、と後悔しながら二階の物干しから花火見物。
自分の子供の頃から「土星」とかの変わり種花火が上がるようになりましたね。
今回は「指輪」が形が綺麗にでると見ごたえがあります。
14日。
台風の接近を前に前々からやり残していた網戸を張り替えます。
これまでやった物より大きい寸法だったので躊躇していましたが、コツはなんとなくわかってきました。
まぁファクトリーレベルには及びませんが網目も斜めになったりせず実用
充分。
そんな事をしていると母の幼馴染の二人組から気仙沼に居るなら拝みに行くと電話がありました。
戦争中、母が昨日来た本家に厄介になっている頃に一緒に遊んだ年上年下の仲良しコンビで、母が離婚して気仙沼に戻り、自分が高校を卒業して上京してからは病院に付き添ったり買い物に行ってくれたりと関りがある人達です。
こんな歳になっても忘れずに来てくれる幼馴染というのはありがたいですね。
2人が来る前にケーキなどを買い求めに街に降ります。
ついでに墓によって掃除やら供え物。
15日。
終戦の日です。
終戦記念日とか敗戦の日とか言う人も居ますが、しっくりきません。
「記念」にはお目出度い事だけじゃなく残念な事も記憶するという意味もありますが、結婚記念日とかポジティブな使われ方が多いようです。離婚記念日とは言わないでしょ?
台風の影響で徐々に風が強くなってきますが雨風よりも湿度が凄い。
被災者仮設住宅を引き払う時に譲り受けたエアコンを稼働します。
あぁエアコン。お盆に入ると言うタイミングで壊れたためお盆休み明けまでまったく進展しないでしょう。
17日。
さすがに長逗留が過ぎる感じですが、少しづつ帰り支度を始めます。
冷蔵庫も空にしなきゃいけないのでだんだん食生活が貧弱になっていきます。
防災無線で山林火災の状況報告がありました。
防災無線、つまりは大きな広報スピーカーですが、どうも火災は以前の仮設住宅があったあたりだそう。
ただ番地は近くても尾根一つ隣なので車で行くにしてもいったん麓まで降りて来てからまた昇るので15分位かかります。
窓から外を見ると赤々と炎に照らし出された煙が立ち上っているのが見えました。
気仙沼中の消防署、消防団が出動したかのように消防車のサイレンが鳴り響きますが、到着まで随分かかったようでなかなか火の勢いは収まりませんでしたが、布団に入っている時に鎮火の報告がありました。
夜中2時近く。防災無線のスピーカーが家の目の前なので都度都度起こされます。
夜が明けて台風一過とばかりに快晴です。
この休暇で初めて雨が降らず青空が見られました。
窓を開け放ちすっかり湿気た布団を干します。
夕方、おかずを買いに麓のスーパーに買い物。
鎮守の森に日暮らしの声。なんとも夏の風情があります。
夜は月が出ています。涼みに何度も近所を散歩。
初めて休暇らしい一日でした。
18日。
東京に戻らなくてはなりません。
朝6時の時報の防災無線で起こされたので、朝飯を済ませて車に荷物を積み込み、戸締りをして9時前に出発します。
すっかり気仙沼の住人のようになっていたので東京に帰る実感がありません。
仙台大観音。
お昼の混雑前に仙台を抜け、夕方の混雑前に宇都宮に入り道路が三車線化したので全く渋滞に遭いませんでした。
幸福を呼ぶピンククラウン。
お盆休み最終日としては異例の6時間を切る時間で自宅に到着。
高速燃費は22.8km/L(タイヤ補正24km/L)と添加剤の効果を期待したほどではないか効果があってこれなのか前回よりは誤差の範囲で若干向上しました。
早く到着したので給油と洗車を済ませてから郵便局に不在の間の郵便物を取りに行ったりエアコンの代役の扇風機を買いに行ったりしましたが、足の遅い台風に振り回されたお盆休みでした。