台風に見舞われた三連休は元々気仙沼に行くつもりでしたが、台風から避難する格好となりました。
金曜は仕事を早上がりして通常の荷造りとは別に台風対策をしてから出発します。
家を出て直ぐに雨が降り始めます。
今回は普段よりニ時間前に出発したためETC割り引きに切り替わる時間を気にしないので安全重視で巡航速度を85km/hに落とします。
それでも23時前に東北道から一般道に降りました。
高速燃費は22.1km/L(タイヤ補正23.2km/L)
雨の気仙沼駅前。
今回は日付が変わる前に気仙沼の自宅に到着。
家は山の中腹くらいですが、海からの風で磯の香りがします。
翌12日土曜
台風はまだ紀伊半島沖ですが既に影響が出ています。
宮城県には明日の深夜~明け方に通過する予定ですが、東京の家の方は強い雨がずっと降り続けており大変な事になっていると思われます。
近所に設置された河川ライブカメラを見ていると既に警戒水位の50センチ下まで川の水位が上がっています。
強い雨の帯が差し掛かると30分もしないうちに警戒水位を示すのラインが水没して見えなくなります。
その後台風が上陸すると溢れるまであと30センチくらいまで水位が上昇しました。
これまでの経験からするとこのまま溢れるのですが10年も前からやっている川の水を一時的に貯留する放水路の整備が進んでからは水位が急激に下がるようになりました。
ただし今回は史上最強とも言われる巨大台風で強い長雨が続いていますので放水路がいっぱいになったらあとは溢れます。
自分が住み始めてからは床下浸水で玄関まで水が上がったのが最高ですがそれを超え、いよいよ床上浸水になるかもしれません。
気仙沼で祈るように監視しながらも、こちらも台風に備えます。
といっても普段から強風や大雨に備えて戸締りしていますが今回は二階の網戸も外して仕舞います。
小雨のうちに位置調整の固定ネジを外して部屋の中へ。
台風が上陸すると逆に雨のピークは過ぎたようで東京の河川は水位が安定しています。
雨雲も台風本体より南へは無いのでひとまず浸水の危機は去ったと思ってよいでしょう。
今後は上流に降った雨が集まって来て下流に到達した時に溢れるかどうか。
気仙沼の方は雨が強まり夕方位から風が強まり始めます。
防災無線やエリアメールが警報が引き上げられる度にがなり立てます。
雨は凄い勢いですが、これまでのようにバケツをひっくり返したような、とまではいきませんが、いつまで経っても勢いが衰えません。
家の前の坂道は徐々に川のようになってきます。
気仙沼全域に避難指示が出ました。
台風の直撃を避けたつもりでしたが結局台風の進路上を移動しただけでした。
それでも普段の台風なら上陸してから勢力も衰えるし速度も増すのでたいした被害にならないのですが、今回の台風は前日から強い雨を降らせ続けているだけに予断を許しません。
暴風域に入ると雨が家に叩きつけますがこれまでこの家で経験した地震のように家が揺れる風台風ほどではありません。
30分置き位に部屋の中を懐中電灯を持って巡回します。
親戚から心配してメールが来ていたので少しやり取りして互いの無事を確認。
近所でメリメリっというトタンがめくれるような嫌な音が聞こえました。
家の中から確認できる範囲ではウチや近所の屋根は無事なようです。
台風のピークですが、勢いは変わらないようなので寝てしまいます。
翌13日、日曜。
夜中2時半に起きると普段一晩中起きている近所の家の電気が付いていません。
停電かと思い廊下に出るとセンサーライトが付きませんのでここらへん一帯が停電しているようです。
まぁ寝ていれば関係ないので家の中を巡回して被害が無いのを確認したら寝てしまいます。
朝6時に起きた時には台風本体は通過して電気は復旧していました。
昨晩の音が気になってまだ風が強い中、近所を巡回しましたがそれらしい破壊の跡は見つかりませんでした。
どこからか飛んできた飛来物の音だったのかもしれません。
テレビをつけると福島、宮城の河川も氾濫してずいぶんな地域が浸水しています。
北陸新幹線の車両基地も浸水して新幹線が10編成浸水していました。
北関東では老人ホームの一階部分が水に浸かっています。
まるで東日本大震災の津波のような映像に被害の大きさを改めて実感します。
ローカルニュースではあちこちで川に流された行方不明の人の捜索が報じられています。
冠水した道路が増水した川によってえぐられて陥没しているのに気付かずに車で進入して転落したケースが多数発生していました。
東海から東北まで浸水や行方不明が多く出ていましたが結果的に自分が避難してきた宮城県が一番犠牲者数が多くなっていました。
皮肉な事に台風上陸地点に近い東京の死者はありませんでした。
ウチの近所の事例からも分かるように東京はかなり治水が進んでいます。
これだけの雨に見舞われながらもほぼ持ちこたえました。
二子玉川で浸水したそうですが、堤防沿いの一部の住民が景観を損ねるとして堤防建設に反対して堤が切れていた箇所からあふれ出たそうです。
東京の治水工事は今に始まった物ではありません。
1600年代から洪水が起こる度に堤防を築き、治水に努めて来て、今回は数十年に一度と言われる豪雨でほぼ水害を防ぐところまで来ました。
今回決壊した河川の多さを鑑みるにつけ人口密度や地下街の発達を考えたらこれは驚異的な事ではないでしょうか。
あの八ッ場ダムも今回の台風直前に試験運用が開始されており、増水にギリギリの所で持ちこたえ河川の流量をコントロールしきっています。
忌まわしい民主党政権時代、スーパー堤防建設を完成まで400年も掛かるスーパー無駄遣いは廃止で、と事業仕分けした民主党のお歴々は何か言うべきではないでしょうか?
それとももう忘れているのか。
公共事業の中にも無駄はあるでしょうが、必要なものまで削った場合、これは人災と呼ぶべきだと思います。
治水は今日思い付いたからと言って明日出来るような物ではないのです。
午前中はまだ風も強いので部屋の中に居てニュースを見たりネットで情報を集めます。
困った事に東北道も常磐道も通行止めになっています。
関越道も上信越道もどこかで通行止めになっているため新幹線も在来線も運休なのでこのままでは東京に帰れません。
まぁ復旧するかは運任せ。
とりあえず午後から気仙沼の近所を散策します。
これまでも神社など歩きましたが、まだ入った事がない道に入ってみます。
昨晩はここも恐ろしい事になっていた事でしょう。
奥まで行くと石碑が立っていました。
軍馬慰霊碑。
裏の碑文は少しかすれていましたが読めました。
昭和十八年に気仙沼荷馬車同業組合が建立したもので戦地で亡くなった軍馬を慰霊し荷馬車思想を普及を記念す、とありました。
漁船だけでなく荷馬車も軍に徴発されていたようです。
少し下るとこういうものがありました。
馬頭観音。なるほど。
元々この場所にあったのか、どこからか移設されて来たのかは分かりません。
下の北野天神と関係あるのでしょうか。
神社を抜けて下町に出るとやってないと思ったスーパーが開いていました。
入ってみると総菜工場が被災したとかで棚はガランとしていました。
とりあえず晩御飯のおかずや飲料を買います。
店内を見て回ると米10キロが三割引きで売っていました。
東京で買う半額なのでそれも購入。
車だと造作もありませんが、歩きなので米袋を担いで買い物袋を提げて家に戻るため山道を登り始めます。
井戸端会議のおばちゃんたちに冷やかされます。
パワーは問題ありませんが汗だくになりました。
東京から停電になって溶けるといけないと思って持ってきたアイスモナカを食べます。
夕方から直射日光が当たらなくなってきたので窓掃除を始めます。
外は以前にもやっていた事と台風で洗われていて意外と綺麗な状態で室内側の汚れの方が気になります。
室内に入って気になる部分を拭き上げては外から眺めて、日が暮れる頃にはまぁまぁ綺麗になりました。
夜には月が出ています。満月は明日。
夜には東北道と常磐道は復旧したので明日東京にクルマで戻れそうです。
翌14日、月曜。
帰宅渋滞を避けるため11時過ぎに気仙沼を出発。
東北道では途中、何か所も法面にブルーシートが掛かっている場所がありました。
路面もダスティだったのでここが通行止めの原因だったようです。
時より強い雨に見舞われます。
車窓からは川や浸水したICが見えました。
人工物も自然物もなんだか傷ついて疲れているように見えました。
途中、二回ほど事故渋滞に捉まりますがトラフィックは三連休最終日の夕方とは思えないくらい少なく走りやすい状態です。
高速燃費は22.9km/L(タイヤ補正24km/L)
首都高外環大泉を降りた所のガソリンスタンドがまた一つ閉店していましたのでいつもの環八沿いのGSで給油、洗車し、荷物を降ろして終了です。
東京の家の方も暗くなってて分かりませんが被害はないようでした。
なんとも台風に振り回された三連休でした。