週末は伯父の三回忌法要参列のため気仙沼に行っていました。
普段なら路面凍結が怖いので土曜の早朝に出発するところですが、東京は金曜の晩から土曜にかけて降雪予想になっていたためトラブルを避けるため金曜の仕事上がりに出発します。
降雪や凍結の前に進めるだけ進めたかったので出来るだけうんと早く退勤しようと準備してたのですが、結局普段より30分だけの早上がりになってしまいました。
荷物は礼服と数日分の着替えだけの最小限にして18時半に出発。
帰宅ラッシュもたいしたことなくロスは最小限で高速に乗れました。
今回も大晦日の時同様に安全策で常磐道で行くことにします。
時間帯のせいか、北茨木からはガラガラの一人旅となりました。
常磐道の一車線区間でも殆ど車はおらず、遅い車に頭を抑えられて大名行列を強いられ、追い越し区間でフル加速なんて事をしなくても済みます。
しかしゆっくり燃費運転していては速い車に追いつかれてしまいます。
やはり常磐道の極意は追いつかれない速度で走る、に尽きるようです。
フクイチ付近の線量計は前回と同じくらいでした。
しかし避難地区の道路沿いに家があるあたりはっ真っ暗で、フクイチ廃炉や除染作業員のための宿舎と思しき真新しアパートの入り口に明かりが灯るのみでした。
宮城に入ると家や店の明かりが眩しく見えます。
そのまま仙台東部道から三陸道に乗ります。
一部工事区間で下道に降りますが、ほぼ東京の家から気仙沼市内までノンストップで行けるようになりました。
高速燃費は気温が1℃~ー3℃と低かった事や東北道のような燃費走行ができなかったためかなり悪く20.8km/L。
明けて土曜日。
法事は日曜の11時からなので今日は準備に充てます。
しかし、昨日荷物を最小限にすることばかり気にしていて室内での防寒着を持って来るのをすっかり忘れてしまいました。
寒さは温風ヒーターを付ければその部屋は問題ありませんが、トイレに行ったりちょっと外にでる時などに寒すぎます。
かといって部屋の中でコートを着て過ごすのも不便。
子供の頃から「どんぶく」を愛用していました。綿入れと言う方が分かりやすいでしょうか。
東京でもこれがあるため、冬でも殆ど暖房をいれない日もあるくらい暖かいのですが、これが東京では売っているのに、肝心の気仙沼で売っていないのです。
今は新築なら断熱どことか床暖房もあったり24時間空調があるので必要ないのか、ダサいとかいう理由で売れないのか。
震災で店も無くなっている事もあり、イオンで入手できるフリースで一番厚みがあって保温性の高そうなものをチョイス。
その他、母親の仮設住宅から持ってきた座椅子用にクッションを買いました。
これがものすごく座り心地が良くて一度座るとコタツから出るのも億劫で危なくない程度に自分の手の届く範囲に物を配置しておきます。
この他、敷布団や掛け布団のカバーも買い求めました。
自分名義の家とは言え、どういう形にしろいつかは手放す時が来るので住んでいる訳では無いので快適装備は買わないように、煮炊きが出来て雨露寒さがしのげる程度にしていたのですが、毎回ちょっとずつ買い揃えてかなり快適になって来ました。
明日の法事に備えて高圧洗浄機で洗車していると、その音を聞きつけてか、隣の家の人が前回の年始挨拶の御礼を持ってきました。
田舎の人はもらいっぱなしにしないので、かえってこういう事はしない方がお互い手間が無くていいのかな、とも思ったり。
普段はご飯を炊いておかずを買って来るところですが、今回は一泊二日のショートステイなので全部売っている弁当を買って済ませます。
こことの所の寒さのせいか、ちょっと咳き込むので買ってきた咳止めを飲んで夜も遅くまで起きていると光熱費ばかりかさむので、寝ないにしてもとっとと布団に入ってしまいます。
タブレットやスマホがあるから出来る業です。
日曜。
平日と同じ時間帯に起床しようとアラームをセットしたら1時間も早く起きてしまいました。
法事に関しては準備万端。あとは着替えるくらいですが、まだ早いので普段は取らない朝食を食べてノートPCで調べ物をしたりメールチェックして時間を潰します。
シャワーを浴びて着替えたら待ち合わせの寺に向かいます。
施主の従兄家族と、三陸道建設の立ち退きで仙台近郊に引っ越した従姉夫妻、本家から親戚が来ていました。
従姉の生家は伯父が亡くなった後、家を取り壊したので気仙沼に来るのも年に1、2回となっており、また癌の手術の後、運転もしなくなり会う事も法事の時くらいとなりました。
従兄はあまり家におらず、就職すると義従姉の家に婿に入ってしまったので、自分が子供の頃に会ったのは数回くらいで、伯父が亡くなってからの方が頻繁に会っているような気がします。
義従姉という人も葬儀の時に初めて挨拶したくらい交流が無かったのですが、悪い人ではないのは話していて分かります。
ただなんでも自分の話に持って行ってしまうので苦手なタイプ。
押しが強い感じなのでウチの母親がやっていた生命保険の外務員に適任だと思ったようで何度も向いてるからウチで働かないかと勧誘して出禁になっていたという話も母の葬儀の時に聞き、いろいろ納得しました。
大人一人では手が回らない程の杉の大木。
しかしこの季節、お寺の本堂はストーブを焚いていても寒い。寒すぎます。
親の世代の年寄りは皆来ませんでした。
この地方では和尚のお勤めで読経に合わせて参列者も読経します。
もちろん、暗記している人は殆どいませんので読み仮名が振ってある教本を渡されます。
子供の頃はとても苦手な時間でしたが、こうして親が亡くなると、あの人もこうやっていたけど聞こえているんだろうかと思います。
こうやって読経している自分らもいずれは読み上げられる側に回って入れ替わっていくのでしょう。
焼香のお香がまだ鼻に残っていますがこの後、施主のセッティングでお斎になります。
土地柄、海産物が多めですが、隣に座った義従兄がアレルギーで食べられないからとどんどんこっちに回して来ます。
この人も従姉と結婚してしばらくして自分が上京してから会ったのですが、お道化てその場の雰囲気を和ませようとするサービス精神のある人です。
義伯母はこの従姉夫婦の仙台近郊の家に身を寄せています。
歳をとってから知らない土地でどうしているかと思っていたのですが、特にさみがったりはしていない様子。
もっとも90歳近い高齢になると身内が大半鬼籍に入っているのであまり土地に未練はないのかもしれません。
この日も義従兄がそんな話で場を盛り上げていたのですが、急に神妙になって「兄貴(従兄)、うちも二年やってきてそろそろ限界だから義母さんを気仙沼の施設に入れようと思ってるんだ」と切り出しました。
同居した親子が上手くいかないというよく聞く話です。
歳だからいろいろ失敗するけど、それを子供に指摘されたりするのが面白くないようでよく衝突しているようでした。
親にしてみれば子供は何歳になっても子ども扱いしてしまい、注意されるのも素直には聞けないので孫娘に言ってもらっているけど、ウチの家族がおかしくなってしまうからという話をして入れる施設を探していると義伯母も了承したとの事でした。
幸か不幸かうちの親も含め、あの世代は自分等の親が短命で介護のような事はしていないので介護する側の気持ちや負担いついて具体的な経験がなく、子供の世話になりたくないと言いつつもあまり想像できていないようです。
従姉も従兄も他家に入った形なのでこれまでの流れで従姉夫婦が面倒をみて来たけど、兄貴(従兄)も施設が決まったら費用の半分出してくれ、とこれまでの不満をぶつける格好となりました。
喧嘩ではないですが従兄もついにその話が来たかという感じでした。
義伯母が元気で本人の意思確認が出来る今そういう話が出来て良かったなぁと思います。
ウチは自分しか居なかったので親が倒れて本人の意思確認も出来なくなっても一人で決められましたがステークホルダーが多ければそれだけ話がこじれます。
義従兄もようやくその話が出来て安堵したのか、仲居さんにちょっかい出して従姉に起こられたりといつもの様子に戻りました。
気まずく終わらなかったのは義従兄の人柄でしょう。
食事を終え、駐車場でそれぞれ挨拶して家に戻りました。
伯父は若い頃は建設業で全国の作業場に出ていたので運転は慣れたものでした。
自分が子供の頃は神奈川県まで車で迎えに来たものです。
その頃は乗り物酔いが酷くてずっと寝ていましたが伯父のウィンカーを出したりハンドルを切る所作が格好いいなぁと思っていました。
その伯父に乗せられた道をたどるのはなんとも不思議な感じがします。
着替えて帰り支度をして火の元、水道の水抜きをしてたらちょっとゆっくりし過ぎて14時半になりましたが出発します。
蔵王の辺りで日没。
国際大会をやっているとかでスキー場がライトアップされているのが見えました。
帰路は往きよりも順調で年に数回あるかないかのトラブルフリーで帰って来られました。
高速燃費は22.5km/L。
給油、洗車して任務完了です。
癌手術した従姉の事が気がかりでしたかが、他の人の気持ちも大分聞けて意味深い帰省となりました。