
ホンダの設計3D化プロジェクトの統合リーダーとして奔走した筆者が、世界の潮流と経験を通じて日本の「モノ作り」が周回遅れになりつつあると警鐘を鳴らすシリーズです。
今後日本のモノ作りが通用しなくなる、と言うと「そんな事あるか。日本は世界一のモノ作り立国です。現に自動車は世界一」という向きも多いと思います。
「スマイルカーブ」というのを知っている人も居るかと思います。
バリューチェーンの中において工程の付加価値を示すもので、コンセプトと流通という両端になるほどその付加価値は高く、実際の製造が最も付加価値が低いと言う事を表す曲線です。
日本の目指す「モノ作り立国」というのはこの最も付加価値が付きにくい分野に注力するととらえられているようで心配しています。
集計の取り方にも依りますがドイツの労働生産性は日本の1.5倍となっていますがドイツ人は終業時刻になるともう少しで完了できる状態でも帰ってしまいます。
日本人的感覚からすると残業を強いる雇用者に罰則があるなら現場が少しサービス残業してでも終わらせて帰ればいいのに、なんでこれで日本より生産性が高いのかと不思議に思うでしょう。
この現場で善処する「サービス精神」、それに通じる顧客対応のための在庫の多さというのが日本のGDPの伸び悩みに関与していると感じていますが本書に話を戻すと日本では今上手く行っている仕組みは「変革」を嫌う傾向があるそうです。
欧州では戦後、アメリカや日本に「モノ作り」の分野で後塵を拝し、長らく低迷する時期を過ごしました。
そこで自動車産業では日本の製造現場を研究したようです。
その結果、日本の高い品質は均質で優良な労働者によって実現されており、欧州各国で同じ事をするのは不可能という結論に1980年代には達していたようです。
この為、欧州復権のため域内での共通化の必要が認識されていったようです。
アメリカ軍の納入業者に対する評価基準を参考にして「標準化ルール」が策定されていき、丁度設計現場に3DCADが普及し始めたタイミングでもあり、イギリスやドイツが中心となりこれを取り入れた欧州標準化が推進されました。
日本でも3DCADなどはデジタル化は導入されていましたが、それはもっぱら「効率化」のためのツールとしか見做されておらず標準化の必要性が認識されるのは大分後となり、その取り組みは今でも続いています。
そもそも日本の現場ではこれまで上手くやって来れたのであえてそれを変革する必要がありませんでした。
従って現場で導入された3DCADも社外に発注する時や上司の確認には従来の2D図面に変換し、日本の現場でやり取りされる図面は今でも2D図面が半数以上を占めている状態だそうです。
そもそも2D図面は厳密には「図面のようなもの」であり、精度が求められるものほど寸法そのままで実物を造ったのでは使い物にならない事が殆どで製造現場が図面を参考に、製造工程や使用環境などを加味して修正を加えて制作されてきた経緯があります。
昔、日本の原発で冷却用の液体ナトリウムが漏れる事故が起こりました。
調べていくと町工場が造ったセンサー部品からと判明しました。
しかし、現物は町工場に渡された図面そのままの寸法に作られていましたが、町工場の社長は「原発で使われると教えてくれていたら素材の熱膨張率も加味して寸法を調整したのに」と悔しそうに語っていたのを見て日本の現場力を知ることになりました。
こういった現場の対応は原因を突き止め品質改善にこだわる日本人気質によるところではありますが、これは単一民族で共通言語を用いる日本でしか通用せず、製造がグローバル化するにつれ「どこで作っても同じ物」が求められるようになります。
3D図面は2D図面よりはるかに多くの付加情報を記入出来ます。
それは当初は許容される「公差」などでしたが、現在ではスポット溶接の指定やシーリング材の塗布量など製造に関わる情報も書き加えられます。
このため、同じ精度を出せる工作機を備えていれば中国だろうがベトナムだろうがマレーシアだろうがどこでも同じ物を造る事が出来るようになってきました。
次に、コンピュータの処理能力の向上でこの3D図面から解析が出来るようになりました。
解析と言うとフレームの応力分散や空力特製、衝突試験などが連想されますが、全ての部品を組み合わせて自動車一台の状態を作り出し、それをコンピュータの中で走行モデルでシミュレーションすることによって極めて現実的な結果を得られるようになりました。
ただし、エンジンやタイヤ、ボディーやECUなどそれぞれの分野で扱う単位もミリメートルからミクロン単位とまちまちであり、それらを統合する必要がありました。
これも規格の共通化によって実現できるようになった一例です。
従って極端に言えばコンセプトモデルが定義されれば執行役員から一般ユーザーまで関係者全員が同じバーチャルモデルを検討する事が出来るようになるという事で、日本ではこれまで部品の実物を持ち寄り、一台の試作車を組み上げてから各工程での改善点を洗い出し、それを持ち帰って再設計するというサイクルがコンピュータ上でリアルタイムに近い感覚で確認できるようになった事を意味します。
日本では各社系列では統一されていても業界横断的にデータが行き来出来るかと言うと使っているソフトも違っていて相手に合わせて変換するなどまだ難しいようです。
重要なのはこれらの統一規格が厳格に定義された結果、設計に機能の他に品質や工程管理、守秘義務などが含まれ極めて透明化された事になります。
従って完成車メーカーと納入業者(ティア1、2、3)がピラミッド型ではなく対等な関係となりました。
日本では実績のある業者に随意契約する形が一般的だったので、ティア1はスマイルカーブではより付加価値が高い設計などの費用は持ち出しで、その代わり受注前提でやってきた部分がブラックボックス化しており、これは世界基準に及ばない日本国内のみでしか通用しないやり方になっています。
もし日本のサプライヤーが欧州の完成車メーカーと取引したければ認証を獲得するしかありませんが、2017年時点で欧州のソフトウェア規格SPICEのランク5を達成した日本のサプライヤーは数社に留まったのに対し、中国やインドではそれぞれ100社以上が獲得しているという事です。
今はまだ問題が顕在化していなくても自動車が自動運転など高度になるにつれこの標準化ルールというのは意味を増して来ます。
たとえば型式認定を取得する時、自動運転で様々なシチュエーションをクリアする必要がありますが、それを実車にて全ての組み合わせを再現して行うのは事実上不可能といえます。
この為、欧州ではコンピュータ計算だけで済ませるバーチャルテスト認証が導入されて今後拡大する見込みです。
自動運転の全機能テストなどが必須となれば、むしろバーチャルテストでしか型式が認証されない、つまり販売できなくなくなることを意味しており、そのためには設計から認証を経ている3D設計が求められることになります。
つまり実物がどんなに優れた機能を有していても従来のやり方のままなら認証の対象にすらならないという事です。
しかし日本ではいまだに2D図面が重視されています。
これはこれまでの成功体験を変革できないと同時に、3D製図を教えられる人材が不足していたり、また今2D製図を教えている講師をクビに出来ないからという声が教育現場で蔓延っているようです。
以上の事から、これまでの日本の職人的なモノ作りというのはグローバルでは通用せず、販売も出来なくなる時代が来る可能性があります。
これまでも経済産業省の「2020年度版ものづくり白書」でも日本の産業が時代遅れになる可能性が指摘されていますが、軍民一体化を悪と捉え、経営者は現状維持に窮し、現場も変革を拒むとなると、著者はもう一度産業革命の近代化をやればいい、と希望的観測を示してい締めくくっていましたが、はたしてそう上手く運ぶのか、少なくともEVによりエンジンやトランスミッションなどの複雑な機構を排して持ち寄ったパーツを組み立てるだけという時代に「ジャパンクオリティ」が通用しない時代に大淘汰が待っているのではないかと思わざるを得ませんでした。