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quadrifogliospaのブログ一覧

2022年06月26日 イイね!

アローズ・ジレンマ 選挙で民意を反映するには

先程、増加に転じたコロナ対策もあって期日前投票に行って来ました。
今月中は区役所でしか受け付けていませんが、それでも自分が行った時間帯には投票に来ている有権者は数人しかおらず、出口調査にもあたらず、行って良かったと思います。

東京選挙区は6議席。

事前の情勢調査ではそのうち4議席は組織票などでほぼ決まり、残りの二議席を争う6候補の激戦となっています。

野党の中には企業の内部留保への課税を公言したり、つみたてNISAへの課税発言をしたりして「庶民の味方」のフリをしようという浅はかな考えが透けて見えます。
企業の内部留保は、企業が従業員の給料を削って現金を貯め込んでいる、けしからんと勘違いしている向きも多いかと思いますが、企業の設備投資も内部留保に含まれている事が分かっているのか、またそこをクリアしても法人税を払った後に二重課税するという非常に不公平な考えが元になっています。

また非課税投資枠のつみたてNISAへの課税も、そもそも積み立てる原資すらない無貯蓄有権者の票を取り込もうと言う事なのでしょうが、投資は企業活動の原資ですから、そこに冷や水を浴びせて投資意欲が減退する可能性についてどれほど考慮したのか。

最低賃金爆上げもお隣韓国で実施した結果中小企業の倒産や雇止めの横行などで失業率が上がった「社会実験」についてどう考えるのかもセットで言うべきでしょう。

こうなると企業を衰退させるのが目的なのではないかとすら思えてきます。

このようにとても統治能力があるとは思えず、今回の選挙ではこういった大衆迎合で国を危うくするような野党に議席を取られない事が自分にとっては優先課題となりました。

そうなるとまたしても自分の意中の候補や支持している党は当落線上に掛かって来ないため、「消極的選択」によって自動的に投票すべき候補が絞られてしまったので用事で外出するついでにとっとと投票してしまおうという事になりました。

比例区は惜敗率など不確定な要素も多いので投票箱を開けてみるまで分かりませんが、少なくとも心穏やかに投開票日を迎える事が出来ます。

またしても消極的選択と言う事で残念ではあったのですが、民主的な選挙においては選択肢が三つ以上ある場合、個人の意見を正確に反映する手段はないと言う事が証明されています。

これは提唱したアメリカの経済学者ケネス・アローにちなんで「アローズ・ジレンマ」などと呼ばれている「アローの不可能性定理」に基づいた考えです。

要約すると次の5つの「公正さ」の基準を常に同時に満たすような選好順位選挙制度は設計できないとなります。
・人々の選好の順序は自由
・全ての投票者が選択肢Xを選択肢Yよりも好むとき、集団全体もまたXをYよりも好む(満場一致)
・独裁者が存在しない。集団全体の意志を1人で決定することはできない
・2つの選択肢に関する社会全体の選好順序は、第3の選択肢から影響をうけない
・社会全体の決定は、堂々巡りの矛盾にならない(a>b , b>cなら必ずa>c)

従ってどこかで必ず個人の意思が全体の意思として反映されるのを阻害する要因が存在しているという事です。

この事から、全員が合理的な判断をしたとしても集合全体が合理的に動くとは限らないといえ、これが政治不信を助長させている要因と言えるでしょう。
Posted at 2022/06/26 19:54:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2022年06月26日 イイね!

数学を使わない数学の講義 小室直樹

数学を使わない数学の講義 小室直樹この本は世の中の出来事を数学的に解釈しようという試みで書かれていますが万人にはオススメ出来ないという事をお断りさせていただきます。

先ず、執筆されたのが昭和56年という時代背景を考慮する必要があります。

数学的には「女には穴がある、は真である」といったような、今の世では到底受け入れられない表現がそこかしこに見られます。

ウーマンリブ運動が吹き荒れた後の時代ですから、女性を丁重に扱わなければならないという意識が既に社会に共有されていたと思いますが、あえてその反発なのか、それとも戦前生まれの著者の感覚では殊更に女性を持ち上げる気になれなかったのかは他の著作をあたらないと分かりませんが「遠慮」なくバッサリと切り捨てていくスタイルはストンと腑に落ちる人と、引っかかって仕方ない人に分かれるでしょう。

そして、いかに日本社会が数学的定義では曖昧で未成熟な社会であるかと言う事が繰り返されていくので、そこでも反発が起きるでしょう。

たとえば美談として庶民に人気がある三方一両損や喧嘩両成敗といった「大岡裁き」がいかに裁判の体を成しておらず、欧米人には全く受け入れられないかと言う事が書きつらねられています。
(因みにあのパフォーマンスは歌舞伎などから来たドラマや映画向け演出で、実際には白洲で町奉行が下手人を詰問して量刑を即決するようなものではなく既に判例に従って決まっており当日は会話は殆ど無かったという事が文献資料から分かっています)

日本経済が好調で急拡大し、「ライジングサン」の経済大国となった日本が名実共に世界の名士として注目されていたと同時に欧米との摩擦が表面化してきた時代にあえて「繁栄の最中に危機の要因が徐々に形成されていく」と警鐘を鳴らす意図で執筆されたようです。

従って日本ディスり本、という事ではなく、同様に欧州や宗教なども情け容赦なく「数学的視点」で切り捨てて行きます。

宗教戦争が残忍になるのはキリスト教の内面重視やユダヤ教の契約を守っていればいいという救済に向けての活動からくる物であり、ドイツの人口が半減した「三十年戦争」の後、諸国がウェストファリア条約で絶対王政の元に宗教が定められた事は、逆に各国の市民の内面が保障されたものであった、としています。

この事が民主主義的な思想に結び付き、ようやく古代ギリシャ的な価値観から脱却する事になると論考を展開しています。

中国の皇帝なども同様に論理的に明快であり、その場の空気を乱さないとか和を重んじるという日本の「非論理性」が理解される事はないとしており、当時の日本が国際社会で浮いた存在であった原因を探っています。

今では事を荒立てずその場を収めるような日本の風潮は、日本人の美徳としても諸外国に広く知られるところとなっています。

本書でもドイツの「三十年戦争」のような人口が激減するような大内戦を脱却したものとしての評価はしています。

このように保守からもリベラルからも総スカンを食らいそうな誰の為に書かれた本なのかと思いますが、近代社会はこの数理的な解釈を科学や法律に広げる事で急速に発展する事になり、日本など一部の国はその変革を経験していないために本質的に「前近代的」であり、それが欧米との軋轢になっていると書かれています。

要するに日本人に数学嫌いが多いが、それは解法などの「オペレーション」に苦手意識を持っていると思われているが、実は数学的な思考の素養が備わっていない事に起因するとしています。

今でいう所の「ロジカル・シンキング」が出来ない人が、学者も含め多いと言う事です。

その事で日本人は欧米人と対等に議論出来ないでいる。日本人の場合、反論するのは相手の矛盾を突くのではなく人格攻撃で適格性を奪おうとするため、論争の後もずっと遺恨を残すが欧米では違いが理解出来たらそこから妥協点を探るなりして次のステップに勧める事が出来るとの事です。

まぁそれはそうだな、と思います。
アメリカ人はビジネスで顔を真っ赤にする大激論をしても夕方には共にビールを酌み交わしている、なんて言われますが日本なら「顔も見たくない」といったところでしょう。

そういった背景も日本人が命題の定義をはっきりさせないであやふやにする事が美徳とされているところからきており、相手の主張の矛盾などにまともに反論する意識が無いというのも、昔から日本人商人は中国人商人に負け、中国人商人はアラブ商人に負け、アラブ商人はヨーロッパ商人に負け、ヨーロッパ商人はユダヤ商人に負けると言われる事を数学的に解き明かしたものでしょう。

マルクス経済論も、マルクス自身は数学者ではなかったが、その思考は数学的に当時は成立していたとしつつ、物価は労働の価値で決まるという定義に問題があり、後にケインズらの価格はあらゆる要素が絡み合って決まるという一般均衡論で否定された、と共産主義の統制経済などの問題点を指摘しています。

このように新たな視点での気付きは多いものの、読み手の年齢や経験、知識、イデオロギー的なこだわり、信仰などのレベルによって大きく評価が分かれるであろうと思われる一冊でした。
Posted at 2022/06/26 00:01:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2022年06月19日 イイね!

亡国の環境原理主義 有馬純

亡国の環境原理主義 有馬純「環境問題」

この誰もが関係していながらも常に違和感が拭えない背景を日本の環境条約交渉に交渉官として携わった筆者の目から見た問題点を指摘する一冊です。

CO2排出権利権ばかりに注目すると途端に陰謀論チックになり興味を失うのですが、条約締結の背景、環境保護活動の向こう側といった「違和感」の正体を描き出しています。

日本は京都議定書、パリ協定などを経て2030年までに2013年度比で-46%の数値目標、2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする(カーボンニュートラル)2050ネットゼロを表明しています。

昨今の新築住宅太陽光パネル設置義務化もこの流れに沿ったものと言えます。

しかしこれは「共通だが差異のある問題」として各国間で目標が異なっています。

これはCO2排出の恩恵が大きい先進国のみが罰則を負っていた京都議定書の不平等さを反省し新興国や途上国も取り組むための措置となっています。

インドは「先進国は火力発電を他の発電に切り替える事だが、世界には薪から電力に切り替える必要がある地域がある」として2070年を目標に、中国も同様に2060に先送りする形になっています。

「環境問題先進国」のEUやその支援を受ける環境保護活動NGOらはこれら新興国が目標を掲げた事を歓迎していますが、この微妙な時間差に問題が生じると筆者は述べています。

CO2排出は人間の経済活動に伴い増加するものであり、これを抑制する事は直接的に経済活動を抑制する事になります。

先進国が経済活動を抑制している間、新興国は産業を伸ばし国力を付けていきます。
それも人権抑圧と石炭火力発電の電力によって造られた安価な中国製太陽光パネルに大金を投じていくことになります。

環境保護活動とは先進国の国富を新興国に移転するという事なのかもしれません。

そしてこれらの先進国を厳しく糾弾する活動は、必ずと言っていいほど「白か黒か」を迫ります。

日本が二度のオイルショックから世界最高効率を達成した火力発電所もダメ、日本が得意とするHVもダメ。再生可能エネルギー以外は認めない、という訳です。

しかし、2050ネットゼロの理念にもあるように、各国はそれぞれの国情があります。
乾いたぞうきんからようやく絞り出すような日本の一滴とまだバケツの中でじゃぶじゃぶしている絞り放題の中国を同列に論じる事には違和感しかありません。

これは京都議定書制定の時から始まっていました。

1990年比という東西ドイツ統合や中欧諸国のEU入りで労せずとも達成が可能な状況だったヨーロッパ、また議会で新興国や途上国が加盟しない不公平条約には加盟しないと上院で可決されていながら批准し、後に脱退するアメリカに焚き付けられて日本はバカ正直に目標を掲げてしまいました。
それも「EUは15%という高い目標を掲げたのに日本とアメリカが反対するせいで半減した」という格好です。

またそれまでの目論見では原発比率を70%にまで高めるとされた日本の原子力発電も東日本大震災による福島第一原子力発電所の原子力災害で全て稼働を停止し、自公政権になった現在でも「原子力まかりならん」という世論を背景に安全基準を満たした原発の再稼働は10カ所をみるのみであり、昨今の度重なる「電力不足」や電力価格の高騰の要因となっています。

本来であれば脱炭素を目指すにしても現状の持てる手段をすべて投入して、ベストミックスの内に新しい技術開発や移行促進策を打ち行政が民需を喚起するのが定石なのですが、ことこの「環境問題」となると途端に「白か黒か」という論調になってしまいます。

これは、かつての左翼活動が過激化すると国民から見放され、ソ連邦崩壊などの現実から「世界同時革命」は到底無理であるという認識が共有されると環境問題という誰もが反対できない「錦の御旗」を人権問題と二枚看板で掲げ、「市民活動」として浸透してきた結果でしょう。

「環境問題はスイカである。外はグリーンでも中身は真っ赤」

と揶揄される由縁と言えます。

喫緊の命や人権に関わる問題を差し置いて、環境活動家が先進国の首脳らをまるでヒトラーかなにかのように、時に激高して糾弾する姿はかつての社会主義国で盛んに行われた「人民裁判」を彷彿とさせます。

常に野党などの掲げる環境政策は「再生可能エネルギー100%」「火力発電即時停止」「原発全基廃止」など一見して実現性が無い理念だけに思えるのは左翼活動の一端であるからなのでしょう。

或いは「アーリア人」の優越を説いたナチズムが優生学を背景に環境保護活動に熱心だったと言う事に反発の裏返しのシンパシーを感じているのかもしれません。

そういった野党もさることながら、これらと論調を一にする与党政治家の存在が大きな問題として日本に立ちはだかっています。

彼らは野党と違い政策決定権や条約交渉権を持っているのですから野党よりも責任が大きい訳で、そこで実現性を無視して理念だけが先行するのはいかに危ういかというのは先の大戦において度重なるシミュレートの結果、どうしても日本敗戦の結論しか出ず、苦慮して「南方の資源を確保できれば戦争継続は可能」という上申をする他なく、その全く持って根拠のない「戦略」を実行した結果、日米艦隊決戦に憑りつかれた海軍は輸送船団の護衛を放棄、丸裸で南洋を目指した日本の輸送船の多くは二度と日本に戻る事は無かった失敗から何も学んでいないのではないかと筆者ははエピローグで結んでいますが全くその通りだと思います。

「ぼんやりと46というシルエットが浮かんで来たんです」と言って2030年46%削減と言う数値目標を公言した小泉進次郎議員が会長代理を務める自民党「再エネ議連」連の事務局長に業者から多額献金を受け風力発電の入札制度に介入したのではないかと言われており「理念先走り」だけでなく「利権」が国民生活を「エネルギー貧困」(生活費のうち光熱費が10%以上となる状態。日本では約130万世帯の2.6%)が進むと危惧されています。

菅前政権の「グリーン成長」(再エネ社会に移行すれば経済成長する)も技術、経済的な根拠があっての話と言うよりは政府の願望レベルの話でしかありません。
利権目的か欧米カブれのいい恰好しいのバカでないのなら、「民間が勝手に頑張ればいいんじゃないでしょうか」ではなく少なくとも政府が「成長戦略」と銘打って明確な青写真を提示しなければ民間企業もそこにおいそれとは投資は出来ないでしょう。

これまで戦後日本が発展してきたのは他国に比べ電力が安定的に供給されて来たからですが、野党から円安は国内産業回帰の好機だが電力の安価安定供給の具体策はあるのかと問われた岸田首相は「電力の需給の問題は今後しっかり考えていかなければなりません」と答えているようでは益々円安が進み、燃料調達費が負担になる未来しか見えません。

そもそも日本は先進国でも電気料金が高い事で知られています。
直近でもエネルギー価格高騰のドイツに対して2倍程度と言えますが、これらの国は産業分野の電気料金を減免して家計部門に負担させており企業の国際競争力に貢献しています。

その「ドイツを見習え」のドイツもエネルギー政策に関しては相当のクセモノで、原発比率か高いフランスから電力供給を受けている事は一般に知られていますが、北海の風力発電も欧州グリッドに流し込んでいます。

これは需要に応じて発電が出来ない「再エネ」の弱点である安定供給のバッファの役割を果たしているようです。

日本でも「ドイツを見習い」洋上風力発電の試験が行われてきましたが、この発電量の不安定さをドイツのように他国をバッファとして利用し、足りない分は融通してもらう事で安定させているというのは近隣を反日国家に囲まれた日本で行うのは安全保障上極めて問題であると言え、再生可能エネルギー100%を目指すよりも、他国より高効率を達成している各種発電のベストミックスを目指すべきとしています。

その中でもベースロード電源として原子力発電は有望ですが、全国の原発は停止したままであり、仮に停止していても運転していても原発のリスクは大きくは変わらないしむしろ運転中は常に管理されてる事で停止よりも安全性が高いと言われています。
この原発は、しかし40年と言う運転期間が設けられており、最大で20年まで延長が認められるとは言え東日本大震災以降停止している原発もこの停止期間の10年も稼働年数にカウントされ続けており、仮に再稼働させたとしても2050年までには順次停止していくため、より安全性が高い小型モジュール原子炉SMRの新設などの代替策が必要という報告が国際エネルギー機関IEAの日本のエネルギー政策を総合的に評価する国別詳細審査から為されています。
Japan IDR 2021 エグゼクティブサマリー(仮訳)(PDF形式:472KB)PDFファイル
https://www.meti.go.jp/press/2020/03/20210304008/20210304008-1.pdf


そもそも論ですが、高効率で省エネ社会を実現して来た日本は、国土に設置面積の確保が困難な太陽光発電や、風況にムラがあり他国より条件が悪い風力発電、水質により沈殿物の為に毎年メンテナンス費用が掛かる地熱発電など、およそ「再生可能エネルギー」には向かない国で他国に率先して脱炭素社会を目指すべきなのかという疑問があります。

現に日本の高効率火力発電技術で新興国や発展途上国の発電所を更新、または新設してやるだけでCO2排出削減に大き化効果が期待できるにも関わらず「火力発電は認めない」というスタンスによってこれらへの新規融資は封じられており、しかしこれを中国のたいして効率が良くない火力発電所が取って代わっていると言う「不都合な現実」が顧みられることは、特に環境問題に取り組む方面からは聞こえてきません。

繰り返しになりますが脱炭素は蓄電や送電の革新的な技術開発が無ければ膨大なコストを投じながらも産業活動を抑制する事を意味し、また中国の産業を一方的に利する方策であると言えます。

2050年や2030年なんてまだ当分先の事でしょ、それまでに誰かがなんとかするでしょとぼんやりイメージしている人が大多数ではないかと思いますが、「原子力も火力も禁止します。明日からは夜間は太陽も風も無いので停電します」となったら「おいふざけんな電気寄越せ」と大騒ぎになるでしょう。

人々が月幾らまでなら再エネのために負担できるかというアンケートでは「数百円程度」という回答が最多だった事がこの問題の本質をとらえていると思います。
Posted at 2022/06/19 13:02:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2022年06月12日 イイね!

進む「悪い円安」

急速な円安が進んでいます。

日銀の黒田総裁が「円安は日本経済にプラスになる」と言い切った事で日銀に打つ手なしと見做され円安が加速したとも言われています。

円安誘導の目安となっていた「黒田ライン」の1ドル125円を超え、140円が見えてきており、そこが天井などと考える人は少ないのではないかと思います。

円安、円高にはそれぞれメリット・デメリットがありますが今回の円安は原材料価格が上昇する「コストプッシュインフレ」によるところが大きく、悪い円安と言われる由縁です。

構造的にも日銀が「異次元緩和」の中で半分近い国債を買い進めたため、金利が上がれば負債が増える事ため、日本売りの流れが止まらず、「有事の円買い」が起らなかった要因ではないかと思われます。

また、日本最大の輸出企業であるトヨタ自動車の株価も反応せず、「円安は輸出企業に有利」と見られていない側面が現れています。

多くの日本企業は現地生産比率を高めており、輸出型企業の売上高の1/5、輸出の3倍を占めているとされます。

海外からの参入は、日本企業海外進出の10%に留まっているようです。

企業の輸入コストも既に10%以上上昇しており、徐々に商品価格に転嫁されたり、内容量を減らす「ステルス値上げ」が始まっています。

直接的な家計への影響に留まらず、銀行や生命保険の運用にも影響すれば、老後の資金にと託している運用益の見直しなども懸念され、人口減少もあり景気後退局面は続き、日本が途上国に転落する指標がいくつも示されています。

こういう情勢不安定になると、普段は見向きもされないカルト的な政治団体に支持が集まる事が懸念されます。

こういう団体は人々の不安感をあの手この手で煽り、出来もしない経済成長などの夢物語をぶら下げて「政治とか経済とか分からないけど何か良くしてくれそう」と支持を伸ばしていきます。

しかしこういう団体の背後関係を探るとたいていはロクでもない繋がりが見えてきて掲げている綺麗な「お題目」なんか本当はどうでもいいのだろうとすら思われます。

危機の時こそ変な情報に惑わされず、「一発逆転」などは存在しないと肝に銘じ各自が情報を集め、誰かの意見ではなく自分のアタマで考えてみる事が重要になって来るでしょう。
Posted at 2022/06/12 12:33:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2022年06月11日 イイね!

戦争の変遷 マーチン・ファン・クレフェルト著

戦争の変遷 マーチン・ファン・クレフェルト著多くの評論家や専門家も参照していると言う名著の呼び声も高い一冊でウクライナ侵攻で慌てて取り寄せたものの、最近買う本のどれもが5~600頁ある本ばかりでなかなか読み進められませんでしたが、ようやく読了。

著者のマーチン・ファン・クレフェルトは軍事史を専門とする歴史学者、軍事学者。

本書のテーマであるクラウゼヴィッツは18-19世紀のプロイセン軍、ロシア帝国軍でナポレオンと戦った軍人ですが、著書「戦争論」において近代戦争の戦争概念を著した事で孫子と並び称される軍事理論家であり、戦争は国家、軍隊、国民が「三位一体」として行う政治目的を達成する為の手段という現代の国民国家にも通じる概念を打ち出しました。

クレフェルトもクラウゼヴィッツの「戦争論」を評価しつつ、現代的な視点から批判を加える意欲作となっています。

本書がソ連邦崩壊前夜の1990年に執筆されていた事を考えると、今後はクラウゼヴィッツが言う「三位一体の戦争」は鳴りを潜め、地域紛争やテロなどの低強度紛争が主流になるだろうという慧眼には驚くべきものがあります。

将来の戦争は「山岳に隠れた老人」が指導するだろうという件はウサマ・ヴィン・ ラーディンそのもので後から加筆されたのではないかとすら思えますが、当時の中東情勢などからそのような指導者がゲリラ戦を指導する姿が見えていたのでしょう。

一方で「国家」が行う理性的な戦争というものは溶融して低強度紛争にとって代わられ、国家という概念や軍隊を構成する強力な破壊力も過去のものとなり、将来世代の人から現代人を見れば野蛮過ぎて寒気がすると形容されるだろうと言っています。

本書が著されてから30年が経ちますが、国家が無くなる兆候はなく、むしろ分離独立闘争が成就されれば新たな国家が樹立される事を考えれば、少なくとも百年単位で物を見据えているようです。

戦争を構成する要素は「国家」「軍隊」「国民」以外にも意思なども重視しており、更に女性が戦闘に参加すれば「戦争」という概念は終わると主張しています。

それは戦争と言うのは男が英雄である場所であり、女性もそんな英雄たる男の庇護を求めて来たものであり、男の聖域が無くなれば、少なくとも「戦争」はもはや人々が熱狂する事はないだとうという事です。

このあたりは作者の反フェミニスト論も影響しているようです。

また戦争目的は必ず「論理的」なもので「功利」のみで語られるものではないという主張も、今般のウクライナ侵攻で正しさが証明されたように思います。

まさかこれまで数々の西側指導者とやり合ってきた海千山千のプーチンがピョートル大帝を持ち出して他国侵攻を正当化するなど誰が想像したでしょうでしょうか。

他にも生存を掛けた戦争という観点で防衛戦争についても語っています。

残念ながら西洋戦争史が中心で東洋や日本については太平洋戦争で軽く登場するに留まっていますが、近代の戦争に係る国際条約や博愛の精神はまさに欧州で生まれたものであると言えるでしょう。

戦史研究と言うと、特に日本においては「戦争好き」「人殺し」「歴史修正主義」など共産党のプロパガンダがまかり通っていますが、ウクライナ侵攻や懸念される台湾有事を考える時、国際情勢の変遷に則した兵器についての研究は国難に際し必ず必要となる事が証明されました。

兵器の事を考えない、或いは知らないでいる事が戦争を遠ざける事にはならないのですから。
Posted at 2022/06/11 23:58:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「@☆大佐☆ 現行犯ではなく事後に逮捕されるようです。また組織窃盗や執行猶予中であれば重罪になる法案が可決されています。しかし万引き被害が2014prop. 47以降50%増加したという店もあり犯罪者に寛容な姿勢は犯罪抑止にならないという当たり前の結果になっているようですね。」
何シテル?   06/11 13:47
ネコとキャブを愛でるのが趣味の低年式オッサンです。
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TMエキマニに、バンテージを巻いてみた! 
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日光サーキットに注文あり(笑) 
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