アメリカでドナルド・トランプの躍進を支えたMAGAといわれるトランプの掲げた
「Make America Grate Again」に共感した反エリート層、キリスト教福音派などについてこれまで取り上げてきましたが、もう一つ見逃せない「テクノ・リバタリアン」と言われる巨大テック企業経営者らについても言及しておきます。
昨今、民主主義ではマスコミの政権批判や経済停滞によって不満が高まり、その制度の信頼性が低下し続けていると言われています。
トランプという人もそういった民衆の不満と自分の理想を結び付け、主にリベラルやそれに類する思想、制度を攻撃する事で支持を集めてきました。
「リベラル」とは人々の理性を最も貴び権威や伝統などは唾棄すべきものとして廃絶しようとし、「保守」は人間一人ひとりの経験や判断には限界があり誤りもあるので先人たちの試行錯誤の積み上げである法律や伝統、あるいは宗教を重んじる考え方と大別できます。
例えば「契約」は手書きの書面を作成して双方が直に持ち寄り交換してその証としていた時代の名残ですが、電信の発達した現代であれば電子メールの送付だけでこれに置き換えてしまえば効率化するのだから変えた事で何か問題が起きたら都度修正すればいいというのがリベラル的解決法ですが、いっぺんに制度を変えてしまうとどんな事がおきるか分からないからまず部分的に導入してみて問題を点検し、少しずつ変えていこうというのが保守的解決法となります。
どちらが良い、悪いは置いておきますが、いっぺんに変えてしまうリベラル的な手法では混乱を来しそうですし、少しずつしか変えられない保守的手法では大胆な変革は望めないでしょう。
世の中は、技術革新を伴って少しずつ(時には一足飛びに)効率化していくものですがリベラルに振ろうが保守を堅持しようが、何かしらの問題に直面することになります。
人類史は自由拡大の歴史ともとらえられ、リベラルは平等という観点から再分配(徴税)を重視し大きな政府を指向するものですがこういった既存の枠組みに限界を感じ、外から仕組みを変えようというのが「リバタリアニズム」です。
思想としては個人の自由を最大化して国家や政府は出来る限り個人に干渉しないというものですが、この「自由」の範囲は個人の権力からの解放を目指す「無政府主義」から経済発展で自由の拡大を目指す「新自由主義」まで広くまたがっていてグラデーションがあるようです。
有名なノーラン・チャートでは権威主義の対極にあるように示されますが、個人の信ずるものの違いでリベラルから保守まで幅広く広がって重複しています。
よく言われるのが政治や経済は自由を求めるが、安全保障はその自由を守るために必要なので安保重視という立場が多いようです。
今の政治システムを補完するものとして捉えられていますが、トランプ政権で脚光を浴びるようになった「テクノ・リバタリアン」は社会の仕組みそのものを変えてしまう必要性を強く感じています。
それは「民主主義」では政治家は選挙という制度上、民衆の人気取りばかりを気にして本当に必要な改革には手を付けないという欠陥があるとして、民主主義を否定的にとらえています。
古代ギリシャの時代に民主主義は政治の毒だとして危険視した時代とは異なりますが愚衆政治の最たるものがアドルフ・ヒトラーでしょう。
ヒトラーは第一次世界大戦の敗戦国だったドイツが周辺国からの抑圧を受けているとして諸外国との敵対関係を声高に叫び、また経済では国内のユダヤ人を諸悪の元凶としてやり玉にあげ、居住の制限や財産の収奪を合法化し、恐ろしい「最終的解決」に着手するまでに至り、第二次世界大戦の惨禍を引き起こしました。
ここまで最悪な事態は今後起きないかもしれませんが、民主主義の要である選挙制度を「ハック」すればここまで出来てしまうという事を歴史に刻みました。
テクノ・リバタリアンは民主主義の欠陥に注目し、制度を変えようとしている点では資本主義解体を目指す「加速主義」にも通じるものがありますが、巨大テクノロジー企業を設立した彼らにとって経済は理想実現のため民衆を統治する「手段」であることから経済発展は重要な課題ととらえています。
時に暴力を用いながらも既存権力を打倒し、それに置き換わる別の政治体制構築の目指す加速主義との最も大きな違いは、テクノ・リバタリアンらはテクノロジーの発達によって既存の国家や政府のような中央集権的な仕組みそのものが不要となる社会を理想としています。
ただ、確固たる政治思想というよりはあくまで方向性を示す程度の結束力しかないため唱える者によってその解釈に揺らぎがあります。
有名なのはピーター・ティール。
トランプ政権誕生に貢献した事で知られるようになりましたが、オンライン決済サービスPaypalを共同で立ち上げ大きな富を得ました。
その後、Paypalに参画していた者やティールのお眼鏡にかなってエンゼル投資を受けた者が次々に新しいサービスを立ち上げ、もっとも有名なTeslaやSpaceX、X(旧Twitter)などを経営しているイーロン・マスクや、YouTubeやLinkedInなど誰もが知っていて利用しているようなサービスを立ち上げた者たちが多くかかわった事からその影響力で「ペイパル・マフィア」と呼ばれていたります。
ベンチャー起業家の間で伝説的存在だったティールは米政府などに高度な情報解析、分析データを提供するパランティア・テクノロジーズもアレックス・カープと共同で立ち上げ、今年になってその企業価値に注目が集まり株価が高騰した事から一般投資家にも広く知られるようになりました。

(自分も購入価格から3倍になった時点で半利確してごっつあんでした)
ティールにしてもマスクにしても、またPaypal共同創業者のマックス・レヴチンにしても高等数学に通じている高IQ者(ギフテッド:神から才能を与えられた者)であるのみならず「移民」としてアメリカに渡り、学生時代の不遇を跳ねのけつつも社会システムの不均等を「パターン シーカー」(月の満ち欠けから地動説を導くような表面現象から本質を見抜く能力:自閉症の副作用とみられる)として経営手腕に適合させ巨万の富を手に入れているという共通点があります。
これは偶々よくできた偶然と考えるより、密集した現代社会の歪みから自閉症が増え、結果一部の才能に特化した人が増えているといった連鎖反応と言えるかもしれませんが、彼らが民主主義の問題点を見出し、人類存続のために次のステップに移行する必要性を感じて集い、社会を駆動する影響力を手に入れている事はなかなかに興味深いです。
『ザ・パターン・シーカー──自閉症がいかに人類の発明を促したか』 if-and-then思考とハイパー・システマイザー
https://honz.jp/articles/-/52667
中央集権的な社会と言うのは小さいコミュニティ(150人程度)では有効に機能するようですが、大きくなるにつれて機能不全を起こしがちになります。
テクノ・リバタリアンはこれをテクノロジーで打破すべきと考えています。
具体的な仕組みの代表としては「暗号資産通貨」があります。これらは誰か、或いはどこかの国や企業が管理しているのではなく、ただ最初に設計されたアルゴリズムを保証するブロックチェーン技術によってその価値が担保されています。
これは現在の貨幣制度が国家の信用に依存するリスクがある事から誰もが検証可能なアルゴリズこそが万人に平等なものである事を保証とする仕組みです。
このようにして国家を超えて全人類が権利を共有出来たら社会の仕組みそのものが変えられるというのが技術革新を信奉するテクノ・リバタリアンらでしょう。
そんな事が上手くいくのかと一般の我々は考えてしまいます。
成功した社会実装例ではコロナパンデミック下の台湾でマスクの販売情報を共有するアプリの例を挙げられるかと思います。
パンデミックでは世界中が混乱しましたが、こと台湾では初期対応に成功した事からある程度政府の対応が信頼されていた上、デジタル担当相のオードリー・タンらが情報開示のシステムを迅速に構築して情報提供しました。
マスクの販売情報は購入者各自が販売実績のある店の在庫数などを登録、リアルタイムで更新されるものであったことから安心感が広がり、台湾でマスクの買い占めのようなパニックはすぐに収束したと言われています。
これをもし従来型で政府が集計し、後日まとめて発表するような形であったあなら人々は不安に駆られ、必要以上にマスクを買い占めようとしていたかもしれません。
このように末端の一人ひとりが自由と責任の下にシステムに組み込まれていることが可視化されて実感できるような分散型社会が理想的かもしれません。
一方で、完全な分散型社会(クリプト・アナキズム)ではなくある程度の中央集権的な管理も必要ではないかと言う考え方もあります。
過去にアメリカのリバタリアンは建国当時の自由の気質が色濃く残るマサチューセッツ州(「自由か、さもなくば死を」で知られる)で「フリーダムステーツ」の立ち上げを目指しましたが、やはり、というか人々の間には軋轢が残りとん挫した過去があります。
過去には急進的なフェミニストが男のいない理想郷建設に集いましたが、やがて女同士で対立して失敗した例もあり、たとえ小さな規模であっても全く新しいコミュニティを作り出すことはイデオロギー如何に関わらずいかに難しいかが伺われます。
一足飛びに国家を解体して中央集権から解放するという事はそうそう起こり得ないだろうし、もし起きたら大混乱になるでしょうから、こういう小さい事象の積み重ねで少しずつ社会が便利に、より高度になっていくのかもしれません。
もっともテクノ・リバタリアンですら、高度に発達したテクノロジー、現在では人知を超えたAIが登場したら、諸悪の元凶は人類であるとして人類を抹殺するように動くというSF定番のディストピアを連想するものは居ますし、単にテクノロジー企業が最初の産業革命時に資本集約的な工場が家内制手工業や単純労働者を駆逐し、富を独占して工場労働者に分配しなかったのと同じように、テクノロジーで手に入れた富を還元せず、権力を独占して国家に成り代わるだけだという未来を予想するものも居ます。
そのため、テクノロジーにより全人類が労働から解放され、その収益を等しく受けとるグローバルなベーシックインカムによって余暇を謳歌したり、才能を研さんするのに費やしたりと人類が次のステージになる事も提唱されています。
いずれの世界になるか未来については分かりませんが、今のままの世界が続くという事もないのかもしれません。