2020年05月31日
オドメーターが
一桁万までしか無い時代。
積算走行距離をそこまでと規定していたのは、製品としての耐久性がそれ以上は
保証できなかったからだろうな。
普通車が10万の桁が付いた後も軽は一桁だった。
軽に10万の桁がつくのは660ccになったときだ。
メーカによっては10万の桁があっても文字盤で隠してるだけのこともあったが。
*コレは普通車でもあった。
輸出車のからみや部品共用などでコスト削減のためにあの手この手があるからねぇ
現実問題1970年代までの品質・耐久性と80年代以降はかなり違う。
量産に置ける工業力が違ってきているからだ。
生産の機械化により品質の均一化を図りコスト削減も大幅に向上していた時期だからだ。
そのため敗戦後復興の中で決められていた基準は用をなさなくなっていた。
そこらがODに現れていたわけよ。
軽はその中でも簡易車両の意味づけのものだったため、耐久性は二の次のコスト優先させた物だ。
それ故1989年までODは99999kmまでしか想定されていなかった。
またホンダ以外が94年までエンジンが鉄だったのもその辺が有る。
軽トラにロータリー乗せようとして当時の通産省に止められたマツダはともかく、
バイクメーカーで有り小型のフルアルミエンジンを作れるスズキですら94年まで
軽のエンジンが鉄だったのはコスト優先していたからだ。
コスト優先だからこそダイハツなんか2005年にアルミブロックのKFだすまで鉄だったわけよ。
アルミダイキャスト技術が無くて作れなかった三菱はおいといて。
三菱はベンツから技術移転を受けてi用のエンジン作った経緯がある。
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Posted at
2020/05/31 15:59:29
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