三連休の前半は気仙沼に行っていました。
これまで母が入院している病院の洗濯物や消耗品補充は車で1時間半くらいの所に住んでいる従姉にお願いしていたのですが、従姉の父、つまり伯父が先週亡くなったばかりですので、病院の用事はこちらでやる事にしました。
金曜の仕事上がりで東京を出発します。
下道がどうなっているか分からないので今回も東北道から仙台で三陸道にスイッチします。
交通量は三連休の入り口なのでちょっと多いようで、こういう時は注意が必要です。
ETC休日割引きになるように有料道路を出るのが日付を跨いで土曜になるように出発時間や巡航速度を調整しましたが、途中から濃霧に見舞われます。
50km/hで走るのも怖いくらいですが、遅いと今度は後続車に追突されそうですのでなるべく急ぎます。
三陸道の二車線区間までは良かったのですが、一車線区間になってから80km/h規制のところ60km/hも出ていない車に延々抑えられます。
霧も晴れて路面も凍っていないのでもう少し出して欲しい所です。
結局、三陸道を降りて気仙沼に向かう一般道でもこの車に抑えられて気仙沼到着は深夜2時。
追いつかれている時点で後続車の方が速いので譲ればよい物を、なぜかこの車、センターラインを割ったりして全く譲ってくれませんでしたので、急いではいませんが速度が一定じゃなかったり挙動を見てるとずっと絡んでいると危ない予感がしたので多少リスキーですが対向車が途切れたカーブでアウト側から先に行かせてもらいました。
高速燃費は三陸道までは85km/h、そこから霧までは80km/h巡行での燃費は22.4km/L。
土曜日。
先週、伯父が亡くなった伯母と葬儀のアドバイスをしてもらった親戚に挨拶に行きます。
病院はインフルエンザ予防で面会できないので急ぎの用事も無いし、東京に戻る時に寄る事にします。
まず「本家」に行くと、家人はほぼ外出しており、伯母さん一人で留守番でした。
ここのハトコ(?)が親戚の行事を取り仕切っていた亡くなった伯父に代わって行事を取りまとめていましたので大抵の事は「本家」に聞けばわかると言うか、自分らには分からない事をやってもらっています。
伯父が救急搬送された日とか昔の事とか、そういった話を聞いた後伯母の方に向かいます。
伯父の家に行くと叔母がストーブに灯油を給油する所でした。
部屋に上がると、伯父がいつも座っていた座椅子もそのままで今にもトイレか買い物からひょっこり帰って来そうなそんな雰囲気でした。
伯母からも当日の様子とか亡くなった日の事とか聞きました。
伯父が倒れてから家族はもちろん、親戚や近所の人が出入りして、気を張っていたのがそろそろ緩んで疲れも出る頃なので、夕方には退散して再び「本家」へ。
外出していた家人も帰って来ており、そのまま晩御飯をご馳走になってきました。
孫も結婚して戻ってきており、三世代が一つのテーブルを囲むにぎわった晩御飯でした。
伯母の方は一人で晩御飯を食べているんだかどうだか、非常に寂しい時間を過ごしていると思います。
もっともこちらも親を一人で置いておけないという事で伯父の件が落ち着いたら従姉が連れていく事になっていますので、あちらに行けば孫娘も同居しているので三世帯同居になります。
伯母本人は嫁いでから半世紀以上も暮らしてきた家から離れるのは嫌な様子でしたが、逆にこの家に居たら何を見ても思い出してしまうので、慣れない土地ではあっても環境を変えるのが良いかと思います。
本家での夕食後は小学校の閉校時に卒業生全員に配られたアルバムを見ながら誰がどうのという時間を時間を過ごします。
当然、ウチの母親も載っていて旧制学校から現在の学校になった時の第一回生という事で卒業生の一番最初の項に載っていました。
母の母は早くに亡くなったので終戦後はいろんな家に出されていたそうで、本当に苦労を背負い込む人だな、と思いながら帰って来ました。
気仙沼に購入した自宅はいろいろ揃えて住む体裁になってきましたが五部屋ある所に独りで帰って来るとやはり寂しいものがあります。
親戚の夕食の賑わいにすっかり中てられて、嫁は要らないけど可愛くて懐いてくれる子供や孫は欲しいなぁと。誰かくれませんかね?
母が亡くなったら自分の生命保険の受取人とか誰にしたらいいのやら。
日曜日。
東京に戻るべく、荷物を車に積み込もうとすると突風と共に雨や雪が降ってきます。
雨の合間に荷物を積み込んで、火の始末と水道の水抜きをしたら出発します。
雨は断続的に降ったり止んだリで工事車両が行き交っている気仙沼の道路は泥だからです。
途中で、病院から言われた消耗品をドラッグストアで購入していきます。
登米市に入った所で例の黒いアヴェンタドールとすれ違いました。(ドラレコには残ってませんでした)
同級生らも気仙沼で何度も遭遇しているようですが、自分は登米市で遭遇する方が多いのでやはり登米の車両ではないかと思います。
もし気仙沼から仙台に行くなら三陸道が便利ですからね。
もっとも、どういった理由で登米市と気仙沼市を行き来しているのかは分かりません。
病院で面会受付に日用品届を申請して東京で洗濯してきたものと一緒にナースステーションに渡して帰って来ます。
インフルエンザは先週よりも拡大しているので今回も面会は叶わず。
先週のうちに主治医から電話で報告があり、胃ろうが逆流して肺炎になっているので胃ろうを打ち切るとの事。
その後は点滴での栄養補給になりますが、そうなると余命はあと数か月との見立てでした。
もっとも伯父の時も医者があと2、3日と言ったその日に亡くなってしまったので母も急に亡くなるという事はあるかもしれませんし半年くらい生きるかもしれません。
これは積極的にコントロールしないなら運任せという事になります。
日本では家族や医者は寝たきりになっても延命させる事を優先しますが、海外では意識があるうちに患者の希望があれば栄養を止めて「自然死」を選択する事も多いそうです。
医者からの連絡を受けて登米市内の病院よりは少しでも気仙沼に近い所という事で南三陸町の療養病院に転院の希望を出しておきました。
もっとも、ここも順番待ちなのと海外のようなターミナルケアをやるというより亡くなるまで寝かしつけておくだけの所なのでしょうけど、亡くなるにしても登米よりは葬儀をやる気仙沼に近い方が何かと良いかと思います。
以前に一時入っていた陸前高田の療養病院では県が違うので手続き等も面倒でしたので宮城県内でれば基本的に同一の手続きで済むかと思います。何よりあそこは親戚や見舞客の評判が良くありませんでした。
ただあの病院に入っていた時に一番意識が覚醒していて会話できたり、一節くらい歌ったりもしていたそうです。
あと夢か幻か、「幽霊」を見たとか言っていました。
気仙沼にはそういう役割りの病院が無いのが大きな問題で困った困ったばかりで誰もそこを修正しようとしないのが流石イエスマンばかりの田舎議会といった所。
登米市の病院から東北道に向かうとどうも雲行きが怪しくなります。
日没前になんとか交通の難所である国見峠を超えたいと思っていたのですが、吹雪のようになってきてそのまま国見峠で日没を迎えます。
流れも自主的に60km/h程度になっています。
ようやく吹雪を抜けて関東に入った所で今度は事故渋滞です。
10キロ50分とか書いてあって萎えますが、帰らない訳にはいかないのでその渋滞の隊列に加わります。
事故処理自体は終わっているようですが、事故現場と思しき箇所を通過しても一向に速度回復しません。そのまま行くと、どうも連鎖事故が起きたようで今度は車線規制も出ていました。
結局、渋滞を抜けるのに50分も掛かり、吹雪と連鎖事故渋滞で燃費どころではありませんでしたが、高速燃費は22.1km/Lと荒れた展開にしてはまぁまぁでした。
給油、洗車して駐車場にFitを戻したのは深夜0時近くになってしまい、今回はかなり疲れました。
東京の生活も崩壊しつつあり、三連休の最終日である今日は一日ダラダラして過ごそうと思います。