週末は大叔母の七回忌法要を執り行うため菩提寺のある気仙沼の方に行っていました。
奇しくも東京では過去最大の感染拡大中の緊急事態宣言下ではありますが、七回忌法要は来年でも良いというものでもないので、前回5月頃に気仙沼に来た時に手配しておいたものです。
その代わり、参加予定の従姉には辞退してもらい、参列者は自分一人で行いました。
デルタ株の潜伏期間の中央値は5日という事なので東京での生活も一週間は人と会わず、会社にも三ヶ月出社していないので感染しているリスクはかなり低いと思いますが、必要な物は現地調達する事にしました。
今回は震災から自主避難していた友人のお母さんが避難先を引き払うという事で使わなくなった電化製品をもらい受けていたのですが、コロナ禍になってしまい、預けたまま受け取れていなかったので横浜の友人の家に行って車に積んで来ました。
なので下道90キロを走って燃費15.8km/L(タイヤ補正16.5km/L)からのスタートです。
今回は巷で評判のエンジンオイル添加剤を投与。
下道はもう普通の感じですね。
今回は洗濯機を積んでいるので常磐道から三陸道を行く事に合いました。
三陸道はこの3月に気仙沼までの工事区間が開通していたので、このルートなら東京から高速道路に乗れば次に降りる時は気仙沼市内という事になります。
外環の乗り口は混んでいてゲンナリしましたが工事か何かでゲートを封鎖していただけでいつもの美女木ジャンクションや三郷ジャンクションでの渋滞にも遭遇する事なく北上します。
三陸道の有料区間出口である鳴瀬奥松島ICを午前0時過ぎに通過したかったのですが順調すぎては早く通過してしまうため、本線上でスピード調整&トイレ休憩で時間調整して何とか目標達成できそうだと思った矢先、福島第一原子力発電所を過ぎた相馬の次で行く先の道路が封鎖されていました。
福島県の全く土地勘のない場所に出てカーナビを再設定するもアホナビなので今降ろされたところに戻って高速に乗ろうとするのは分かっているので一般道優先で仙台を目指します。
ここら辺は震災復興から遅れているのか、道は未舗装の工事中な上、マンホールが10センチくらい隆起していたりと、洗濯機を運搬するのに全く適さない道です。背後には物流のトラックがビタつけて来るので、少し先行して段差などを見つけたら早めにブレーキして追突されないようにします。
そんなこんなで幹線道路の国道六号線に乗って適当な所から仙台東部道路に復帰します。
宮城県に入るとさすがに知った地名になるので安心感があります。
後が閉鎖されているからか道路は貸し切り状態で仙台市に到達するまでにトラック三台追い越しただけでとても東北最大の百万人都市とは思えません。
そのまま三陸道に接続し有料区間最後の鳴瀬奥松島ICを通過した頃には0時をはるかに回っており、時間調整は全く意味がありませんでした。
おまけに料金所のゲートを封鎖して飲酒県検問をやっていて止められました。
ようやく解放されてあとは気仙沼を目指すのみ、と思ったら三陸道も工事で道路閉鎖されておりまた一般道に降ろされました。
ここからは道は分かりますが、下道は復興工事の最中のガタピシ道なのとリアス式海岸を縫う山坂道というか海阪道なので運搬して来た洗濯機が壊れかねません。
また適当な所まで走って三陸道に復帰します。
あとはゆっくりと思ったら今度はダンプカーが猛追してきてビタビタに煽ってきます。こちらはスピードは出したくないのですが、こういう時に限って二車線化追い越し区間がありません。
気仙沼に入るまで怒り狂ったダンプとトラックに延々絡まれました。
結局、高速ノンストップどころか二回も工事中の下道を走らされて、高速料金も割引になるどころか多く払い、こんな事なら普段の東北道で来た方が道も時間も料金も掛からずにしみました。
後で見てみると夜間に道路を閉鎖して二車線化工事などをやっているようでした。

一応、出発前に道路情報は確認したのですが。
高速燃費もクソもありませんが、ここまでの燃費は20.2km/L(タイヤ補正21.12km/L)
いつもと違う方向から気仙沼市内にアプローチ。
公共料金支払いと明日の食料などを調達しに最寄りのコンビニへ。
結局、到着したのはいつもより遅く2時過ぎ。
翌土曜。
午後から法事なので午前中に手配した花を受け取りに出かけ、ついでに墓掃除をしておきます。
いったん戻って軽く昼食を取って着替えて再度寺に出向きます。
参列者は自分一人なのですぐ終わりましたが、和尚さんから位牌の魂抜きをして納めて行かれますか?と言われました。
どうも母が大叔母を埋葬した時にそのような話をしていたそうです。
急に言われたので「他の親族の者と相談します」といってこの日は持ち帰りました。
その後、お墓に上がって花とお供えして焼香。
大叔母は戦後、外務省のある大使の所で住み込みで働いており、卒業した母を呼び寄せ一緒に住み込みで働いていた縁で父と見合い結婚して自分が生まれたので大叔母は他の親族より自分の方が縁があると思うのですが、急に位牌を手放すという話でちょっと悲しくなってしまいました。
その足で同級生の家に寄ります。
添加剤を渡してみます。
直ぐ帰ろうとしたのですが、結局家の前で日没まで長話をしてしまいました。
もっとも話題と言えばコロナ禍の愚痴と近況交換。
雨が降って来たので帰宅して夕食を済ませ、とりあえず洗濯機を搬入します。
排水口の向きが違ったりなので設置はしませんが、とりあえず買った台を組み立てます。
これがネジが硬くて組み立てているうちに指の皮が向けてしまったので戦意喪失。
風呂の混合栓の部品とかも持って来ていたのですが、疲れたので22時には床に就きました。
毛布一枚でクーラーも扇風機も無しでも寝られますが、滞在中とにかく湿気が凄くて熱くないけど汗ばんでしまいます。
翌日曜。
結局、あまり熟睡は出来ず、疲れが残ったままですが東京に戻ります。
午前中、庭の草むしりをして近所の人に挨拶したら、次にいつこられるか分からないので水道の水抜きをして冬支度しておきます。
もう一つの懸念点であったリモート窓開閉が全閉になっていないものは、やはりガイドが外れていました。ただし全開になったのではなく全閉状態。
しかし同時に外の網戸が強風で半開きになっており、虫や鳥が部屋に入り込んでいた痕跡がありました。
10日ほど前、監視カメラに接続するのに普段より時間が掛かった日があって、おそらく停電が有ったろうとおもい近所の人に聞いてみると落雷があったようです。
窓開閉デバイスや監視カメラ、ポケットWi-Fiは復帰していましたが、除湿器が止まっていて部屋が湿っぽくなっていました。
これまでコンセントやタップは雷サージ対策にしてありますが、無停電電源を入れるのも大袈裟な気がするし、考え中です。
正午に出発し、途中から雨に降られました。
燃費は思ったほど伸びないなぁと思ったのですが、燃料計の針が満タンから動き始めたのは給油地点からメーター読みで240キロ地点(タイヤ補正251kロ)を過ぎて過去最高でした
この時の燃費は道中の標高最高点に向かっている事もあり21.7km/L(タイヤ補正22.7km/L)
この雲は車庫に入れて晩飯を買いに出かける時には遠方でゴロピシャ言っていました。
高速燃費は22.7km/L(タイヤ補正23.74km/L)
今回は満タン法による燃費計算だとタイヤ補正で24.49km/Lでした。
また洗浄系の燃料添加剤とチャンポンなのと空気抵抗で燃費が1km/Lは落ちるフロントバンパースポイラーを付けている割には過去ベストに燃費と言う事はやはりエンジンオイル添加剤の効果でしょうか。
今回は薄いクルマに出会わなかったなぁと思ったら下道で遭遇。
