かなり久しぶりに「懐かしみシリーズ」のカテゴリーを更新することにしました。
今回は4thプレリュード。この車はみんカラのお友達数名の方が乗られているので“懐かしの車”扱いにするのはどうかなぁとも思いましたが、それでももう発売から18年以上経過しています。それに何といっても私の元愛車。これまでの愛車の中で最も気に入っていた車なので、今回は私の持っているカタログ写真を抜粋し、更に
かなり贔屓目なコメントを沿えてご紹介したいと思います。

4thプレリュードは平成3年(1991年)9月に登場。歴代プレリュードの中では最もアグレッシブなスタイルだったと思います。端整な3ボックススタイルで大人気だった2代目、3代目から一転、戦闘機のような弾丸フォルムに変わり、鷹のように鋭い顔つきとネコの耳のようなリアスタイルは好き嫌いがはっきり分かれる車となりました。ま、売れ行きからして日本人にはウケないデザインだった事は確かですね。
この画像のカタログは「PURELUDE PRESS」という特別発刊されたもので、初期型100番台のものです。プロジェクトリーダー談や世界のデザイナー、モータージャーナリストのインタビューが盛り込まれていて、私はこの大判カタログを何度も何度も眺めて購入に至ったのを今も覚えています。

この角度から見るといかに弾丸フォルムかが分かります。今見ても凄くかっこいいなぁ。
発売当初はミラノレッド、フロストホワイト、カシスレッドパール、ブリタニーブルーグリーンメタリック、ファントムグレーパール、そして私が乗っていたセブリングシルバーメタリックの6色でスタートしました。このセブリングシルバーのみが鮮映性・平滑性に優れた水性塗装というのも珍しかったと思います。

特徴的なリヤスタイル。ネコの耳ようだと友人からは言われましたが、グラマラスなリヤフェンダーとの組み合わせはとてもアグレッシブで、今見ても色褪せていないリヤスタイルだと私は思っています。

私が買った当初は「Si」と「Si-VTEC」の2グレードだけでした。
後に数種類の限定車が出ましたけどね。

ホンダ恒例のイヤーモデル、92モデルのカタログです。
私が購入した110番台がこれになりますね。

110番台からはフロストホワイトがラインナップから消え、代わりにグラナダブラックパールとコバルトブルーパールが追加され、全7色となりました。

プレリュードの売りの一つにこのインパネがありました。今見てもかなり未来的なインパネで、当時彼女だった嫁さんはこのインパネにイチコロでした(笑)。

4thプレリュードで良かったところの一つにこのバケットシートのサポート性がありました。MINEサーキットをよく走っていた私ですが、走っていてシートに不満を感じた事は一度もありませんでした。ただ、サーキットを走る時は少しシートを前ぎみにして走っていたので、インパネ下部の張り出しが少し邪魔に感じていたのを覚えています。
またこの110番台から後席が一般的なタイプに戻りました。初期型の100番台はなんと後席の左右席仕切り部が完全に分割されていたんです。

平成5年(93年)9月にマイナーチェンジした後期型120番台のカタログです。

外観の変更はヘッドライトベゼルがブラックからメッキに変更され、ヘッドライト内側のエアダクト?が二分割から三分割に変更。色もグレーからブラックになりました。ウィンカー類も当時のMCではお約束のクリア化に。そしてアルミホイールも切削タイプになり、どちらかというとラグジュアリーっぽくなったマイチェンでした。
ボディカラーはブルタニーブルーグリーンメタ、コバルトブルーパール、ファントムグレーパールが廃止され、代わりに写真のシャーウッドグリーンパール、そしてパシフィックブルーパールが追加されて全6色となりました。

4thに“エレガント”という言葉はあまり似合わないなぁと思ったりも…

後期120番台で一番の目玉だったのが、完全にブラックフェイス化になったインパネ計器類です。
発売当初は中央部の燃料計と水温計のみが自発光でしたが、後期型でやっと全ての計器類が自発光になりました。MC前乗りの私にはこれが凄く羨ましくて、ホンダの幼馴染に頼み込んで1年後にこの自発光仕様に変更してもらいました。当然ハーネス類が全く合わなかったので全部手作り結線…。今のようなLEDではなくインバーターで蛍光管を駆動していたので総額10万円ちょっとかかりましたが、本来これがあるべき姿だと思っていたのでとても満足していました。

その他、センターアムレストが追加され、一つですがカップホルダーも設置、その他リモコンミラー関係のスイッチの移設やサイドブレーキブーツ装着など、小さいながらも羨ましい変更が行われました。

130番台のカタログ。

ガラスがブロンズから今では当たり前の高熱吸収UVカットグリーンガラスに変更されました。

ハーフシェードはグリーンに。
この当事のホンダ車といえば、前が見えすぎるほどインパネが低いのが当たり前でしたが、4thプレリュードは視界とインパネの高さとの相関関係が非常にバランス良くて、運転していて気持ちがよかったのを覚えています。

4thには途中いくつかの特装車や限定車が設定されましたが、その中でもLSDが装着されたこの“SPORTS STAGE”は少し羨ましかったです。いつもサーキットではインリフトで掻きむしって加速しなかったので、ビスカス式とはいえLSDがあれば随分と違っていたのにと思っていたからです。

ガラスサンルーフ車も限定車として追加され、長らくボディカラーに白がなかった4thにフロストホワイトが再設定されていました。
※ガラスサンルーフの限定車はブロンンズガラス&ブラウンのハフシェードであることから、120番台の時に追加されたことになります。
さて、エンジンです。メカ大好き人間な私ですので、エンジンはちと詳しくご紹介…。

一つはSiに積まれていたF22B。
CBアコード系4気筒2Lの排気量アップ版で、アメリカアコードが先行して積んでいた2.2LーSOHCをDOHC化したエンジンです。今じゃ当たり前のVTEC機構も、このF22Bには付いていません。
この当時、CBアコード系の主力だったF18Aのボア85×ストローク81.5を軸に、ストロークを88mmにして2.0化。シリンダー間のピッチであるボアピッチは94mmありますが、ボア85mmを引いた肉厚は9mm。鋳鉄スリーブ(ライナー)分を差し引くと既に目いっぱいです。つまりボアアップが無理なエンジンだったんですね。そこへ、更にこれでもトルクが足りないというアメリカの要望に応えてストロークを95mmまで伸ばしたのがUSアコード用2.2L-SOHCであり、そのDOHC版がこのSi用というわけですね。
性能は160psの馬力と20.5Kgmのトルク。数値だけを見れば大したことありませんが、ストロークの長い恩恵は確実に走りに表れていて、実際試乗した私の感想ですがスタートダッシュはH22Aを積むSi-VTEC(AT車)よりも良いのでは思うほどでした。もちろんその後の加速は歴然な差ではありますが、必要にして充分な力を持っていたと思います。

もう一つはハイパワー版であるH22A。当時世界最高の4気筒と評されたエンジンです。
F型とは全く異なるブロックでありながら偶然にもF22Bと排気量は全く同じ2156ccです。
当然ですがSiよりも高性能な、つまり高回転高出力を狙ったNAエンジンにするには、F22Bの95mmというストロークではいかんせん長すぎます。せめて90mmまで抑えて、尚且つ2.2Lを守るには今度はボアを87mmに広げないといけない。そうなると結局スリーブレス構造に挑戦せざるをえなかったわけですね。
スリーブの無いエンジン…、当然それに代わるものが必要なわけですが、H22Aのシリンダー壁はアルミナとカーボンのセラミック繊維を加圧形成させた複合繊維強合金層になっています。簡単に言えば、すげぇ金がかかってるエンジンなんですね。

ただ、高剛性が要求されるため、F型の様に軽量化や放熱に優れたオープンデッキ構造ではなく、ご覧のようにクローズドデッキ構造となっています。それでも当時の鋳鉄スリーブ+アルミブロックエンジンよりは10%程度軽量化されたと言われています。
このH22Aは後に登場したCDアコードのSiRに搭載され、更にその後登場したCF系アコトルのCL1ユーロR、さらにはこのH22Aのストロークアップ版H23AをCH9型アコードワゴンのSiRとして搭載された事は多くの方がご存知だと思います。
H22Aのトリビアネタを一つ。

実は大人気だった3rdプレリュードの最終モデルに「Siステイツ」という2.1Lの隠れ限定車があったのをご存知でしょうか。排気量を僅か100ccアップさせて全幅もモール類で無理矢理1700mm超え…。そんな3ナンバー、普通はまず買いませんよね?

実はこのエンジン、H22Aの試作エンジンとも言えるものだったんです。3rdプレのSiに積まれていた2.0LのB20Aのスリーブを取っ払い、そのシリンダー壁にアルミニウム繊維の複合材を形成させた試作エンジンB21Aを搭載していたんです。つまりスリーブ4個分が約100ccだったってことですね。H22A量産化を前に試験的に生産してみた…みたいな扱いだったのでしょうか。
いかん…。エンジンの話になるとつい長くなる(汗)。
では最後に私の乗っていたプレちゃん写真を。

111ってナンバーが凄いでしょ?
ウィンカーは後期型に変更、チンスポイラーを同色、リヤにDOHC-VTECステッカーを貼り付ける程度であとはノーマル外観でした。

平成9年(97年)5月に長男が生まれたため、同年11月に泣く泣く4ドアのトルネオに乗り換え。過去、これほど悲しい乗り換えはなかったです。これまでどの車も10万キロは軽く超えるほど乗り続けていましたが、このプレちゃんは8万ちょっとしか乗れませんでした。特別に思いいれのある車だったのでもっともっと乗りたかった…。
最後は購入当初のオレンジウィンカーに戻して置いて帰りました。クリアウィンカーレンズは同じ団地に住んでいた4thプレ乗りさんにあげました。その方も偶然私と同じでコーナーリングランプを付けておられたのでちょうどよかったもので…。
ということで、今回は特別に長い「ちょっと懐かしのカタログ」を書いてみました。次回からはまた短くまとめる予定です。