日曜日の昼に出発し、その日は上信越道のSAで車中泊。
この時期の気温が車中泊には絶好で、気持ちよく寝ることができた。
夜明けが6時頃でそのころには明るくなる。
SAの周囲は霧で空もどんよりして天候が心配だったが、心配していてもどうにもならないので準備を整え出発。
目的は小諸のチェリーパークラインだ。
この道は車坂峠まで上り、頂上に高峰高原ホテルや高峰温泉があってよく整備されている。
2車線のとても走りやすい道路で、途中見晴らしが良いところがある。
霧が出ていたのが途中まで上ると晴れて下に見えるようになり、きれいな雲海として見えた。
頂上のホテル前。
頂上から先少し行って温泉がありその先は開閉バー付きの林道となっている。
夜間は閉鎖されるらしい。
この林道は昔に舗装された痕跡があるものの、荒れ果ててダートと変わらない。
凸凹が酷いので慎重に進む。
以前酷道471に裏から回れる県道34号の酷いダートで両前輪が石の角でパンクしてしまうというアクシデントに見舞われたことが有り、20km以上の道のりを峠を2つ超えてパンクしたままで戻るという肝を冷やし出来事を経験したので、ダートは慎重に。
しばらく走ると池の平のインフォメーションセンターに出て、そこからは普通の舗装路になりホッとした。
更に県道94号の地蔵峠から嬬恋方面に降りて行った。
地蔵峠にも施設がある。
前日からガソリンを入れていなくてどこでも良いので入れることにしていて、最初にあった嬬恋のJAのスタンドで満タンにした。
価格はだいたいこんなものかと尋ねたら、嬬恋は全国的に高いようだという答えで、確かに高かったが高速ではハイオク208円だったのでそれよりはかなり安い。
これまで行っていなかった405号の突き当りの野反湖に向かう。
この道も走りやすい国道で、標高が1600m前後だったので紅葉がきれいだった。
405号は分断されていて林道でつながることもなく、向こう側は新潟に近い栄村の秋山郷から始まる。
草津温泉に戻っていよいよ国道292号で渋峠を越え志賀高原に行こうとしたら通行止め。
火山活動活発化なら仕方がない。
反対方向に下って、途中嬬恋パノラマラインに寄り道をし、有料(1070円)の万座ハイウエー経由で渋峠に至った。
普通なら国道292号を使うのが、すべてこの有料道路を通るのでものすごい儲けになるのだろう。
火山活動活発化大歓迎、ほくほくの関係者の顔が浮かぶ。
渋峠は国道では最も高い峠で2172mだ。
ここの記念碑を入れて車とともに写真を撮りたかったが、丁度満車状態で碑だけ撮った。
碑の位置が上下でずれているのが気になる。
ここは4回目なのでそれほど感動することもなかったが、途中峰の一番高い所を通る箇所があり、左右が崖になっていてさらに風の通り道になっているので常に強い風が吹いているところがある。
ここは何度通っても慣れなくて怖い。
やや下側に新しい標識が立てられていた。
北側の下に降りていく途中ホテルが何軒かあったが、営業しているらしいところは少なく、寂しい気がする。
志賀高原のホテル群から分岐して奥志賀の北信州モミジ若葉ライン(県道471号)を走る。
以前も走ったことが有るが、途中のプリンスホテルまではとてもよく整備されている。
そこから先、野沢温泉村までは県道502号となり、40㎞以上ある。
以前は途中で右に分岐して雑魚川林道に入り、栄村の狭い林道でかなり怖い思いをしたことが有る。
今回は左折して木島平、野沢温泉村を目指す。
奥志賀スーパー林道と名付けられた道路は走りやすく、紅葉がきれいでとても気持ちが良かった。
ただ、シーズンなだけに対向車が時折来るので十分注意が必要だ。
すれ違うのに困ることはない広さなのはとても良い。
栄村から野沢温泉村に入った直ぐのところで、何とクマに遭遇した。
真っ黒でもこもこした小さめのクマが道路に飛び出し、車を見て慌てて茂みに逃げて行ったが、まさかクマに遭遇するとは思わなかった。
これまで珍しいのでは、ニホンカモシカに2度出会ったことが有るがクマは初めて。
パッと見とてもかわいくて、なるほど駆除に反対する人の気持ちが分からないではない。
すぐ近くにスキーのリフトが走っているので、冬眠していなければ危険だと思われる。
野沢温泉村から雨が降りだしたが、道行く人の半分ぐらい(大げさ?)は外国の人のようだった。
それからまだ時間があったので新潟の方の走っていない道路ということで、国道403号などを走ったが、大した酷道は無かった。
雨が酷くなり、暗くなってきたので北陸道に入り日没で暗くなってしまうまで走り続けて、途中のSAで車中泊をし今朝帰宅した。
走行距離は1302㎞。
走っていて思うのは、旅だってしまった者たちのことばかり。
9月に逝った猫のクー。
ついさっきのことのように思うが、22日(明日)でもう1カ月たつ。
母のことを思い出す。
つい先日病院のベッドで最期を看取ったとばかりだと思うのに、もう八年以上経ってしまった。
何と八年以上もだ。
その間何をしていた?
考えればコロナもあったし多くのことをしたかもしれないが、大したことは何一つしていない。
その間はほんの一瞬で、八年のワープをしたような気持になる。
さらにその前に亡くなった祖母のことを思い出す。
1997年の7月13日のことだ。
何と、もう28年という歳月が流れてしまった。
最後の時には少し間に合わなかったが、今でも苦しそうに天井を見つめる、見開いた瞼を思い出す。
1992年に亡くなった父は、ほんの少し間に合わなかった最期の時の、両眼をカッと見開き両手は空をつかむように伸ばしたままで息絶えていたその姿をつい先ほどのことのように思い出す。
この世に思いを残していったのかもしれないが、以後私の前には一度も現れることはない。
そんなことを思いながら時間が過ぎ去る速さにぞっとし、とりあえず明日はクーの1か月忌をしてあげることにする。