少し前のことになってしまったが枝折峠から日光に回ってその後のこと。
実は日光に入るまでに県道169号の霧降高原道路を走りたかった。
それでナビには霧降高原チロリン村を入力しておいたのだが、どういうわけかナビ子は一旦日光に出てからの道を示していた。
私としては川治温泉からそちらに回って日光に出るつもりだったが、気が付いたら国道121号の有料道路の龍王峡ラインと鬼怒川道路を通ってしまった後だった。
国道メイン主義のナビ子は私の気持ちをくむことには疎い様だ。
それからまた引き返すのも時間の関係もあって難しそうだったので霧降高原道路はそのままパス、次の機会に。
日光では先日の強風で杉並木の一部が折れて倒れたというニュースが出ていたが看板で注意が呼び掛けてあった。
日光は一度行ったし、今回は人出のこともあるのでパス。
Cが収まればもう一度は行ってみたいところだ。
最近読んだ本でイサベラ・バードの日本奥地紀行というのがある・。
イギリス人の彼女は明治11年(1878年)単身来日して通訳の日本人男性と二人で東京から北海道まで旅をするのだが、その時日光で宿泊したのが東照宮の向かいにある金谷という宿所だった。
地図を見ると日光金谷とちゃんと載っているので今でも残っているのだろう。
ググってみるとバードと通訳の伊藤が泊まった宿は、金谷ホテルの近くの別の建物で今は歴史観になっているらしい。
バードが滞在した部屋も伊東が滞在した部屋もそのままで残されているらしいので次回はぜひ行ってみたい。
しかし、外国女性がほとんど交通手段のない東京から東北そして北海道まで旅をするということ自体すごいことなのに、詳細な記録をちゃんと残していて(イギリスの妹あての手紙という形式)今でも見ることができるというのは素晴らしいことだ。
一つ言えるのは明治初期の日本人の気質や道徳感は今とあまり変化がなく、というより今よりも良くて女性が一人(通訳と2人だが)であちこち旅をしても全く強盗やそのほかの被害に遭わなかったのは誇るべきことだろう。
ただ、珍しいもの(外人女性)見たさに宿屋では村中総出でじっと見物しているというのは今とはだいぶ違う。
たいていの旅館というか宿泊所では蚤の襲撃に大いに困ったらしい。
時代劇ではそのようなことは全く描かれていないが、明治までの日本では蚤問題は相当ひどかったんだろう。
いろは坂だが、前回は金精道路側から降りてきて一旦下り一方通行で降りて、さらに登りで中禅寺湖畔まで上がってもう一度下りた。
下りは2回走ったわけ。
今回は登り一方通行だけだったが、急な曲がりの坂は楽しくてついついアクセルを踏み込んでしまった。
こういうところでデジスピのECUチューンが生きる(と思う)
2車線あるので先行車をバンバン抜いて気持ちよく走った。
当日は快晴青空真っ青だったので華厳の滝も見られるはずだが、進入路を見失ってしまい通過してしまったのでそのまま戦場ヶ原から金精道路に入ってしまった。
以前は濃い霧で全く見えなかったのでせっかくのチャンスだったが、また次回のお楽しみということで。
金精道路(国道120号)は多少曲がりくねりはあるものの走りやすく通行量も少なく気持ちよく走れた。
金精とは力強い名前で、あっち方面のことかなと思って調べてみたらやはりそういう伝承が残されていた。
金精峠の概要と由来(ウイキより)
標高2024mの金精峠に鎮座する金精神社は、石の男根を御神体とする金精神を祀った神社である。子宝、安産、子孫繁栄に霊験があるとされている。
金精神社の由来は、「生きた金精様」といわれていた道鏡の巨根にある。
奈良時代、女帝の孝謙天皇は巨陰であったため並の男根では満足できなかった。そのため、孝謙天皇は巨根の藤原仲麻呂(恵美押勝)を重用していたが、道鏡の修法により病気が治ると更に巨根である道鏡を寵愛するようになった。しかし、孝謙天皇の崩御後、道鏡は皇位を窺った罪で下野薬師寺別当に左遷されてしまう。大きく重い男根を持つ道鏡にとって、下野薬師寺までの旅は過酷なものであり、特に上野国(群馬県)より下野国(栃木県)への峠越えはとても厳しいものであった。道鏡はあまりにも自分の男根が大きく重かったため峠で自分の男根を切り落としてしまったとも、孝謙天皇に捧げるつもりで峠で自分の男根を切り落としてしまったともいわれている。その切り落とした道鏡の男根を「金精様」として峠に祀ったのが、金精神社の始まりとされる。
由来は道鏡の巨根伝説と東北地方から関東地方にかけての地域に多くみられる金精神信仰が結びついたものである。
金精神社が鎮座する金精峠は、標高が2024mあり、標高2244mの金精山と標高2333mの温泉ヶ岳との鞍部にあたる。標高1840mの峠下には国道120号の金精トンネルがあり、トンネルの日光市側入口にある駐車場から峠の金精神社までは登山道を約30分ほど登る。なお、トンネル駐車場までの公共交通機関はない。
歴史では女性天皇(上皇)とのスキャンダルは全く教えられなかったが、物事の真相はおそらくそういうことなんだろう。
江戸時代の川柳には道鏡は座ると膝が3つあったとか面白おかしく伝わっているとのことだ。
いろは坂と金精峠は以前アップしているのでここは簡単に通過する。
金精峠トンネル
私の車側に駐車場があり例のご神体の祭ってある金精神社に参拝する人たちの車だろう、満車状態だった。
この国道120号は交通量もそれほど多くなく走りやすくて楽しめる。
120号の椎坂峠。
トンネルができて峠にあるレストランやオルゴール館などが廃墟と化していた。
道路自体は問題なく通れるがわざわざ峠に登ろうという酔狂な人は少ないから、営業が成り立たないのは当然のこと。
沼田市から草津温泉に向かう。
草津には日本ロマンティック街道の県道55号経由で行きたかったが、ナビ子はいつの間にか国道145号を走らせていた。
途中で気が付いたが引き返すのも時間がかかりそうだったのでそのまま進む。
県道55号の暮坂峠を走りたかったんだが。
道の駅草津はいつもごった返していて駐車するのに一苦労していたが、自粛の影響かスカスカで容易に停められそうだった。
しかし特に用事もないのでパス。
どんどん走って渋峠に向かう。
草津白根山の頂上付近
草津白根山は火山規制レベル2が出ていて国道も通行制限がされていた。
通行可なのは密閉出来る車のみで駐停車禁止。
つまり徒歩や二輪、オープンはダメということ。
草津温泉あたりから何度もその案内が出されていたが、私の前を二輪が走っている。
大丈夫かなと思いながら走っていくと火口近くに監視人がいて一台一台案内をしていた。
私は停まらないようにという注意を受けただけだが、二輪ライダーは引き返すように言われていたようでどうしても通行できないようだった。
まあ安全のためなので当然と言えば当然。
下まで引き返して万座ハイウエー経由なら大丈夫そうだったが、それでも大変だろう。
案内は無視してもいいことはない。
駐停車禁止区間。車中から走りながらとったので斜め。
3度目の国道最高地点。
ここに別のライダーがいたので聞いてみたら、やはり万座ハイウエー経由で来たらしい。
これまで2回はこの数台停まれる駐車場は一杯でなかなか止まれなかったが、この時は私とこのバイクだけだった。
煙と何とかは高いところに登りたがるということだが、やはりここは気持ちが良い。
遠くまで見晴らしが利くし、風も爽やかで言うことはない。
早々に志賀方面に降りる。
途中のホテルの駐車場で写真を。
夕暮れが近いのですぐに下りて奥志賀林道方面に。
もう半世紀近く昔のことになるが大学の部活の夏季合宿で奥志賀林道入り口の丸池に泊まった記憶がある。
かすかにしか覚えていないが、数軒ある宿泊施設のうちの一番ぼろいところだった。
まだその建物が残っているかはわからない。
朝、丸池の周囲を散歩したことは覚えている。
あと覚えていることは初日の夜部長が長々と、説教というか注意というか方針というかを話したことかな。
さすが大学生になると結構なことを話すものだと感心したが内容は全く覚えていない。
奥志賀林道は最初は広くて走りやすい。
かなり奥までホテルなどがあり交通量もありそうだ。
最後のホテルを過ぎれば舗装林道となる。
1,5車線はあるので対向車でも問題はない。
この時は対向車はなかった。
しばらく進んで野沢温泉の方に入るところで、野沢温泉方面は通行止めとの案内があった。
木島平と秋山郷方面は通行可。
木島平の方が距離が短くすぐに抜けられそうだったが、中途半端な時間になりそうだったので秋山郷方面林道秋山線に(雑魚川林道)に向かった。
ここは先ほどの奥志賀林道と変わらず舗装路で走りやすかったが、そろそろ夕方になってきて暗くなると走りたくない気持ちだ。
秋山郷に着いたが、さらに左に林道は続いている。
ここから右折して向こう側の国道405号に出る選択もあったが、さらに林道を走るつもりで屋敷方面に左折した。
ここからが長かった。
地図でははっきりわからないが405号とそれほど離れていないのに両方をつなぐ道路がない。
理由は間に深い谷があって渡れないからだった。
林道秋山線は10kmほどだが、さらに続いて県道577道につながっている林道はこの県道も含めて25kmほどある。
道は舗装路でよいが、谷川の崖が半端なく高い。
もちろんガードレールもない。
木が生えているところは気持ち的に若干ましだが草しかないところは踏み外したらほぼダメだろう。
国道157の落ちたら死ぬじゃないが、ここもまさに落ちたら死ぬだ。
国道と違って曲がりくねりが激しく一瞬とも気は抜けない。
☆ 奥志賀林道、林道秋山線、県道577号に続く林道 250道路目 長野県山ノ内町、栄村,津南町 全長約55km
全線舗装で落石も少なく走りやすい。
奥志賀林道はさほど曲がっていないが秋山線(雑魚川林道)と577号に続く林道はかなり曲がりくねっていて、標高も高く谷の側は切り立っていて落ちたら死ぬのは間違いない。
夕方薄暗くなっていたので景色を楽しむ余裕がなかったが、昼間で明るかったら風景は楽しめたと思う。
B級道路 ☆☆ ★★★ お勧め度3
どうやらこうやら抜け出て国道117に出たときには暗くなっていた。
もう一つここから関田峠に行きたかったが、暗いと景色も見えないし危険でもあるので今回はあきらめ。
国道117から上信越道の豊田飯山ICから乗り北陸道の名立谷浜SAで車中泊。
この日は周囲をトラックに囲まれディーゼルのアイドリングの大合唱でかなりうるさかった。
翌朝明るくなると同時に出発。
燃費運転を心掛け昼前に自宅に着いた。
走行距離:1576km
ガソリン(3回の合計)127,8㍑
燃費は12,34km/㍑だった。
いろは坂や草津志賀線登りでは相当踏んで気持ちよく走ったので、これぐらいの燃費なら上々だろう。