五家村平家の里から椎葉村に最短コースで行けるという情報を平家の里の料金所の人からもらってそちら方面に。
ナビは距離優先にしてもこの道は案内しないが、縮尺を細かくすると道は表示された。
ある程度進むとあきらめたようにこの道での椎葉村までの案内を開始した。
ナビは結構あきらめが悪いので、長い間遠回りの案内を続けていたが、途中で他回りでは距離が遠すぎて行き様もなくなってからこちらに案内を切り替えてきた。
一人なのでナビに大きな声で突っ込みを入れながら走るがそれも面白い。
とこどころの分岐点でわかりにくいところもあるが間違わずに進む。
最初は天気もいいし紅葉がきれいだし、さわやかな空気や木々の風にそよぐ様やらで楽しく、思わず笑いが出てくるほどだった。
結構な厳しく長い峠道をえんやこらと走ってようやく頂上に。
☆ 椎葉越え(ぼんさん越え) 227峠目 県道159→五家荘林道→椎葉村道→
県道142 標高1480m
平家の里の標高約600mから一気に800m以上登る。
林道そのものの道で狭く曲がりも厳しい。
見晴らしの良いところがある。
紅葉はとても美しい。
頂上から椎葉村側のほうが道は広い(1車線は変わらず)
ここから椎葉村道が始まる。
次に県道142号、こちらは椎葉側で広いほう。
A級峠 ☆ ★★★★ お勧め度4
椎葉村に入ってもどこまでも続くかと思えるほど長く、はじめは楽しかったがだんだん飽きてきた。
常にハンドルを切らないといけないのでひじが関節痛になり(今でも少し痛い)肩の筋肉がバリバリになった。
国道445号分岐して県道159始まりから椎葉村中心の上椎葉まで実質50km弱ある。
嫌になるほど長い。
上椎葉は11月8日から始まる平家祭りの準備に忙しそうだった。
中心部といっても細い道の両側に数百メートルにわたって商店や公共施設が並んでいるだけ。
小学校、JAマーケット、病院、ガソリンスタンド、商店、タクシー乗り場など。
ガソリンを入れようとしたらハイオクがなかった。
国道に出て少し走らないとないらしい。
それは後にして、資料館など見学に。
四階建ての立派な椎葉村の民俗芸能博物館に、神社の急な階段を上って入館。
やはり平家は厳島神社。
椎葉村の四季折々の人々の暮らしぶりがよくわかる展示がある。
この村は見ればわかるが、平地が全くない。
急な山と底を流れる川の間の斜面にへばりつくようにして人家や諸施設がある。
ここは県道142号途中から撮った人家。
どうやって行けるのかわからない。
作物を作れる広い場所などは見当たらない。
せいぜい段々畑だ。
峠の椎葉側の途中に結構大規模なシイタケ栽培施設があったが(ぽつんと一軒家の有力候補)シイタケならたくさん作れそうだ。
昔食物は野生の動物(猪、シカ、クマなど)や雑穀類(アワ、稗、そば、麦)特にひえを主食にしていたそうだ。
ひえは脱穀するのに手間がかかり、その作業中に歌った歌がひえつき節。
少し昔、おそらく昭和後半か平成の中期辺りまでの暮らしが展示されていた。
ひえつき節といえば私が幼いころ、母が公民館で踊りのけいこをしていてその曲がひえつき節だった。
今はもう移転してしまった古い公民館で、夜母がけいこをしに行っているとき私は水ぼうそうにかかって痒くて痒くて泣いていた。
見かねた祖母が私を背負って公民館まで連れて行ってくれたことが思い出として残っている。
おそらく3~4歳の時のことで、街灯など全くない暗い夜道をろうそくで照らす提灯を持って歩いていく祖母の背中で、私はほんの少しだけ見える夜の景色を眺めていた。
小道を抜けて橋の手前に来ると赤々と電気のついた公民館が見え、にぎやかな音楽が聞こえた。
まだ若かった母が踊っていただろうけど、その映像記憶は全く残っていない。
思い出の歌なので発祥の地に一度は行ってみたかったのだが、今回願いがかなった。
しかし、民俗博物館での扱いは微々たるもので、村の二人の人が歌うのをそれぞれ再生できるようになっているだけだ。
今ではさほど有名という訳でもなく知る人ぞ知るという民謡だが、これも貴重な文化財なのでもう少し詳しく展示し広めるようにした方が良い。
この村には落人伝説として平家の鶴富姫と追討の那須大八郎との悲恋の話などが伝わっている。
民俗博物館を出て、300年ほど前に建てられた鶴富屋敷を見学する。
300年前だから(落人は鎌倉幕府が1192年成立と習ったので、おそらくその前後のこと)直接は鶴富姫とは関係なさそうだが、江戸期の寝殿作りがみられる。
太く立派な柱で組み立てられている。
いつも思うが、柱一つにしても太い本材を山から切り出し四角に製材して柱として使えるまでにどれほどの労力と技術が使われているのか。
今のように重機があるわけでもなく、電動又はエンジン機械があるわけでもなく、すべて人力で四角く挽いて組み立てられるようにほぞを作って立てたり持ち上げたりしてくぎを使わず組み立てる。
今考えると相当大変だ。
屋敷ではいずみ(場所分からず、たぶん近く)から来たと言っていた明るく良くしゃべるお母さんと一緒になり昔の家や暮らしの思い出話を聞いていたが,九州関西と離れていてもあまり変わらない暮らしぶりだったのが面白かった。
昔の田舎はどこも同じような暮らしだったんだな。
すでに昼が過ぎたので椎葉村を出て国道沿いの出光でガソリンを満タン。
出光のハイオクは何かとうわさを聞く。
昔は入れていたこともあったはずだが覚えていなくて最近は今回初めて入れたが、特に悪い感じはなかった。
加速とか回り具合もあまり変わらず。
エスティマ3㍑はオクタン価にはすごく敏感で、レギュラーを10%ほどでも混ぜただけですごく調子が悪くなる。
ほとんどが一度は試すと思うハイオク指定にレギュラーを入れてみるという実験。
エスティマに関してはすごく重くなり、サイドを引きながら走っているようだった。
一旦入れたものは出すわけにいかず、仕方なしに我慢しながら使って半分ぐらいでハイオクを入れたがエンジンは重いまま。
ハイオクを継ぎ足して、レギュラーが10%ぐらいになったなと思えるころようやくまともに走るようになった。
それはそうと、進行方向はガソスタと逆。
元来た方に戻って上椎葉を過ぎたときに右に大きめなアーチ式のダムが見えた。
日本最初のアーチ式ダムで昭和28年に完成。
有名な黒4ダムより10年前に完成している。
ここからまた国道265号を南に。
飯干峠に向かう。
これがまた酷道だった。
つづく