十和田湖を出て103号から282号に。
確か持ってきたはずの髭剃りが見つからなくて、簡便な乾電池式のでもよいからほしいなと思っていたのと、予想以上に気温が低く半そででは寒いので長袖が欲しいと思っていたのとで適当な店を探していたら鹿角市の道路沿いにこじんまりしたホームセンターを発見、手に入れることができた。
ひげは3日間剃っていず少し伸びていたので、髭剃りを当てるとバリバリ気持ちよく剃れた。
乾電池なのでパワーはなく回転も遅いがそれなりに実用には足りるので車に乗せておくことに。
帰宅してから持ち物の奥のほうに持っていった髭剃りは発見したが、これからは自宅専用になる。
最近はマスク生活なので外出時ひげが伸びていても他にはわからないが、自分で気持ちが良くないので必ず剃る。
341号に入りいよいよ八幡平アスピーテラインに。
以前ゴールデンウイークに反対側からアプローチし、スノーシェルターをいくつもくぐって本格的にラインに入ろうとしたとき、開門は午前8時からと掲示があって通れなかった。
6時頃だったので2時間も待てないと引き返し、県道318号の八幡平樹海ラインを通って向こう側に出た。
今回は昼前だし、時期もよいので車が多い。
スピードを出して走るつもりはないが、それでもあまりにとろとろ走られたらストレスがたまる。
前のとろとろにも困るが、後ろから迫られるのもストレスになる。
そういう時は道路際の停めやすいところに止めて一息入れ、後続車を先に行かせて最後尾からついていくのが精神的にゆっくりする。
下のほうは緑だったが上っていくにしたがって黄色オレンジ赤が美しくなり、大沼あたりは見事な紅葉で、ハイカーも多くにぎわっていた。
ずんずん上がっていくと広葉樹がなくなりクマザサと樅(もみ)類のみになる。
樅は多くが枯れかけるか、先のほうが枯れて白い骸骨のような幹を晒している。
どういうことで枯れかけているのかは不明だが、自然の厳しさは想像できた。
頂上の見返峠あたりからガスが出てきて、以降東側は全面的にガスでほぼ視界はゼロだった。
おそらく絶景が広がっているはずの方向は真っ白で10mほどしか見えず、再度来るための良い理由ができた。
途中に地熱発電施設ができていたが、ここは火山地帯であるということを再認識した。
尚、私が走った13日からわずか5日目の18日(月)には降雪で通行止めになっている。
紅葉はとてもきれいだろうが、もうはや雪通行止めとはとても厳しい冬が予感される。
東側に降りてそのまま以前走った樹海ラインを登り、アスピーテライン頂上の見返峠まで来て341号方面に下った。
樹海ラインの途中には温泉卵か温泉~ができる蒸気が吹き出している場所があり、やけどの危険があるので進入禁止、の看板が出ているにも関わらず網袋に卵を入れて進入している人がいた。
それはそれで良いのだが、それほどまでして蒸気蒸し卵を食べたいものなのか?
おそらく事故はないと思うが、正常化バイアスのかかった人間の行動は時として危険回避の判断が遅れたりできなかったりするもので、常日頃から心を平らにしてゼロから状況を判断できるように努めておきたいものだ。
話は飛ぶが、東北日本海道の片道1車線区間の料金所を入ってすぐ。
制限は70㎞だったのでメーター読み75㎞ぐらいで走っていたら、突然覆面が赤灯を回しながら急接近してきた。
緊急事態が生じて出動と判断、ブレーキを踏んで路側帯によける行動をとった瞬間、赤色灯が消えスピードを落とした。
なに??
ひょっとして私を狙っていた?
スピード違反をしている(厳密に計れば数キロはオーバーしているかもしれないが)ということもなく、1車線なので通行帯違反ということもない。
ごく自然に走っているにも関わらずどういう意図でそんな行為をしたのか全く不明。
その後驚くことに中央分離のポールの間を通ってUターンして戻っていった。
なんなんだ?
全く理解に苦しむ覆面の行動だった。
それはそうと、八幡平から田沢湖に。
341号から田沢湖の湖畔に入ったらすぐに以前、当時小学生の娘ときた場所と分かった。
当時は土産物屋がすべて開店していたと思うが、ほとんどが閉じていてコロナのせいなのか不景気のせいなのかは不明だが寂しいことだ。
娘と一緒に乗って少し沖まで漕ぎ出したスワンボートは、みな浜に引き上げられ営業もしていない様子。
スワンボートで出た時には、相当底まで見えてあまりの深さに恐怖を覚えて途中で引き返したほど。
調べてみたら最大深さは423mで日本の湖では一番深いそうだ。
透明度も13mあり深くまで見えるそうだ。
田沢湖の女神を模した顔出し写真の撮れる絵で娘の写真を撮ったりしたなと思いだす。
田沢湖を出て本日の最後の目的地角館武家屋敷を目指す。
以前は桜の最中で枝垂れ桜が満開で、観光客が広い通りを埋め尽くす勢だったが、今回はシーズンでもなく時間帯も夕方で人通りは少なかった。
修学旅行なのだろうか学生の集団がほとんどで、一般の人はあまりいない。
武家屋敷をよく見ると建物は100年200年程度の古さでそれほど古い感じもせず、屋根はほぼ銅板でさほどの歴史は感じられない。
ここは木葺き。
ただ、樹木は太く高く最古のもみの木は350年以上の樹齢だそうだ。
2軒屋内を見学させてもらったが、柱の太さが印象的だった。
冬の積雪量を尋ねたら、普通で1,5mはあるらしい。
雪の重さに耐えるためには太い柱がいる。
それは前の日に訪れた縄文遺跡でも同じで、柱には人の体より太い木が使ってあった。
最近建てたレプリカの縄文住居だろうけど、柱穴が太いのでそれ程の柱を立てていたと推測できたのだろう。
しかし、鉄や金属のない時代石斧で木を伐り細工をし、人力で柱を立て蔓で結んで建築するというのは考えただけで大変だし、知恵もいるし力を合わせて作業をしないといけないのである程度の集団や集団をまとめる人がいるし。
そう考えてみれば今とさほど変わらない社会だったのかなとか想像できる。
さておき、武家屋敷の見学はいまいち感動が少なかった。
なぜかなと考えてみると、当時の人々の暮らしや生きている様子を彷彿とさせるものが少なかったからだと気が付いた。
家には生活があり、人の歴史が染みついているものなのにそれをなくして建物だけでは少し物足りない。
そういうところでは石見銀山の河島家だったかが良かった覚えがある。
夕闇が迫ってきたので、大曲ICから秋田方面に乗って西仙北SAで車中泊をした。
翌朝起きたら周囲をトラックに囲まれ乗用車はわたしだけ1台ぽつんとだった。
以前アップした3日目の最初につながる。