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ラブアバルトのブログ一覧

2020年10月18日 イイね!

関田峠、牧峠、須川峠伏野峠(279~281峠)新潟長野県境

13日(火)朝歯石を除去してもらってすっきりした後出発の準備。



準備といっても3日間の食料の確保ぐらい。



今回わかったことは生ハムが結構食べられるということ。



それだけで食べたらしょっぱくて困るが、パック入りの野菜サラダに混ぜればちょうどよい塩加減になる。



それと、前の日に作っておいた糖質オフの食パン。



チーズと三種のミックスナッツぐらいで3日間を過ごす。



正午ちょうどに出発。



行先は北陸道名立谷浜SA。



予定通り6時過ぎに到着して、もう薄暗かったのですぐ寝る準備。



SAでは駐車場所がなかなか難しい。



乗用車のエリアでも深夜になるとトラックが一杯やってきて周囲に停まりエンジンをかけっぱなしでいるのでうるさくて困る。



今回もできるだけトラックが来ないようにと思って端に停めたがやはり周囲を囲まれてうるさかった。



ただこの季節、暑くも寒くもないのでエンジンを止めているトラックも多く比較的静かだ。



ティグアンは助手席背もたれを前に倒すことができるので、足を延ばしてゆっくり眠ることができる。



明け方でも海に近いせいか涼しいぐらいで寒くはない。



早朝空が少し白んできたころ目覚め、支度を整えてすぐ出発。



車中泊はこういう気軽で身軽な行動ができるところが良い。



ところで使いにくかったナビの使い方がようやく一つ新しく分かった。



画面タッチして地図スクロール目的地をとらえたら、画面の隅っこの訳が分からなかったスイッチを押して見た。



するとそこが目的地に設定できると分かった。



これまで目的地を設定するのに峠名では出なかったので不自由していたが、これで一発で設定できる。



上越高田で高速を出たころはすっかり夜が明けていた。



高田と言えば豪雪地帯で有名。



家のつくりも屋根は瓦葺きがない。



それに傾斜が急。



雪が落ちやすいように工夫されている。



新しい家はスレートとか金属板で葺いているし、古い茅葺の三角屋根は表面を金属板で覆っている。


なぜか赤色が多かった。







ふもとの関田の集落を抜けるとどんどん上りになってくる。



関田集落までは舗装表面が荒れていて道幅も狭くくねくねした印象だったが、そこを過ぎると2車線の広くて比較的きれいな舗装に代わる。



途中のススキ。











上の方ではドリフトの練習をしているためか路面に黒いタイヤの跡が無数についていた。



光が原高原牧場までは2車線道路。



しかし坂は急。







中央に妙高。







朝日に赤く輝いてとてもきれいだ。



右の頂が雲に隠れているのが火打山。



先日BSの百名山で火打登山をやっていた。











牧場は家畜の姿はなくレストランも人の気配はなくて寂しい。

















頚城平野から日本海まで見えるはずだが写真は撮り忘れた。



右、霧に隠れてうっすら見えているのが光が丘ロッジ。



左は牧場のセンターの建物。







さらに上ると光が原ロッジがありここからの眺めも良い。



ここから頂上までは1,5車線で少し狭いが走るのに問題は無い。



南側長野側は1,5車線の舗装路で曲がりくねりはあるものの走りやすい。



☆ 関田峠 279峠目 新潟県上越市⇔長野県飯山市 県道95号                             標高1120m



        道路は1,5~2車線で走りやすい。  



        光が原牧場やその上のロッジからの見晴らしはとても良い。



        これだけでもここに来たかいがある。   

 

        ただ、牧場は動物の姿や人の姿がなく営業していない様子だったので寂しい。



        ロッジも閉まっていた。



        この地方の峠はなぜか明るく気持ちが良い。



        なぜかと考えてみたら、広葉樹が中心だから。







        スギやヒノキの針葉樹の植林峠は昼でも薄暗くて暗い気持ちになる。



        ところがこの近辺は色づき始めた広葉樹がきれいで明るく、気持ちも明るくなる。






        頂上の関田峠改修の碑。











        朝日が差して







        長野側(飯山)が見える。







       連合赤軍あさま山荘事件の映画ロケに使われたらしい。







       途中の野池で、カモが懸命に水を掻いている様子がかわいい。





          B級峠  ☆☆☆☆ ★  おすすめ度4



          峠としては結構険しいが道がよく走りやすいし、さほど長くもないのでA級認定はしない。



          絶景箇所があっておすすめ。



          紅葉の季節がもうすぐで、この時期になったらもっときれいだろう。



地図ではすぐ東に牧峠に上る道がある。



見当をつけて走ったが一度間違い戻ってしばらく行くと案内があって峠にかかる。














一車線の厳しい坂だが舗装されていて走りやすい。









☆ 牧峠 280峠目 新潟県道359号から上牧林道 長野県飯山市⇔新潟県上越市



          標高960m



          坂はきつくカーブもきついが走りやすい舗装路で落石などもない。



          広葉樹の林で明るく、紅葉もきれいになりかけていて気持ちが良い。



          峠では簡単な案内標識が立っている。











          新潟側の眺めは素晴らしく日本海まで見える。











          国定忠治の逸話があるらしい。







          牧峠の由来の牧地区。







          B級峠 ☆☆☆ ★★ おすすめ度3



やはり。







これが嫌だ。



降りて国道405号を東に。



403号に入り須川峠伏野峠に向かう。






私の道路地図では二つの峠の位置関係がはっきりせず、さらに長野側とはつながっていないように書いてあったのでどうなるか少し不安だったが結論から言うと道は通じており問題なく抜けられた。



須川峠は伏野峠の少し(1,8km)新潟側にあり、、さほど違わないので同じとして扱うことにする。











☆ 須川峠伏野峠 281峠目 国道403号 上越市⇔飯山市 標高1070m、1020m











       1~1,5車線で狭く坂も厳しいが走りやすい。



       通行量が結構あってブラインドカーブだらけなので注意しないと危ない。



       新潟側の菱ケ岳、1129m。







       伏野峠は「ふしの」かと思っていたらまさかの「ぶすの」。







       見晴らしの良いところはない。



       長野側は長くてとても狭く曲がりくねっている。



       舗装が新しく、落石落木はない。







       A級峠 ☆☆  ★★ おすすめ度4



       長野側が結構きびしかたのでA級に認定する。



この後深坂峠、野々海峠に向かうがここでまさかのハプニングが。



つづく

Posted at 2020/10/18 12:30:12 | コメント(2) | トラックバック(0) | 1000峠を走る | 旅行/地域
2020年10月12日 イイね!

天狗木峠、棒峠、箕峠、地蔵峠、札立峠(274~278峠)

日本百名峠を見ていて70番目の和泉葛城越が、この日走った紀泉高原スカイラインに登ってくる府道40号からの林道(通行止めだった)とそこから下った県道127号だと気が付いた。



著者山崎れいみ氏は和歌山側からジープで登り、途中からは車が走れないので徒歩で頂上の平坦地まで行ったとある。



そこで見た光景は、なんと若い男女の愛の行為だったというのだ。



途中で気が付いた二人は慌てて反対側の大阪の方に下って行った。



少し歩くと小さな駐車場があり、赤い小型車が走り去っていくのが見えたとある。



昭和57年5月1日初版発行で(発行日は大抵数か月遅く表記する)著者はキャンプシーズンまでは間があると書いているからおそらく昭和56年の春のことだろう。



若い男女がどうなったか知る由もないが、当時20歳として今なら還暦前だろうか。



果たしてその後二人はどうなったか?



結婚した?それとも別れた?



もしもこの本のことを知っているならどのような気持ちなのか?



など想像を膨らませると他人事ながら興味がわいてくる。



まあ、このことはこれまでにして次は奈良県の高野山周辺を走った記録。



高野山には西側や北側から370号で登ったことは何度もある。



今回は初めての北東側から371号経由で登ってみることに。



道幅が狭くて通らない方がよいという看板があったりしたが、まったく大したことなく走れる。







少し狭いところはあるがそれも所々でおおよそ1,5車線。






ただ長い。



370号でも長いがこちらも長い。



しかし、地図で見ると海南からの370号が一番長く、次が九度山から登る370号。



371号経由は一番短いはずだが途中集落もほぼなく寂しい峠道なので長く感じるのかもしれない。







杖ケ藪で7割がた走ったことになる。







杖ケ藪のお地蔵さん







奥の院寸前の県道53号分岐を左折。







このあたり分譲住宅地があるが、こんな山奥に!と思ってよく考えれば高野山の関係者も結構多いわけで、その人たちの住宅なのだろう。



53号少し走ると168号方面への分岐辺りにあるのが天狗木峠。



峠の表示は見つからなかったが、石仏があったのでそのあたりだろう。







☆ 天狗木峠 275峠 和歌山県高野町⇔奈良県野迫川村 県道53号 標高1000m



        坂は厳しいが他には特にない峠。



        峠の表示はない。



        県道733経由で竜神スカイラインまでが長い。



        ここから733号野迫川村までは2車線の走りやすい道に改修されている。





        B級峠  ☆ ★★★ おすすめ度3







野迫川村はこれが一つの自治体!?というほど小さく中心部の役場のある所でも田舎のちょっとした集落程度しかない。







調べてみたら近畿地方の自治体では最少人数で、今年の8月で346人だ。



村の面積に対する居住可能面積は2,1%でこれは全国一少ないそうだ。



98%が山!



先日通過した福島の桧枝岐村も小さかったが、中心部には道の駅があってここよりはにぎわっていたかなと思った。



桧枝岐村はちょっと大きく531人だった。



平家伝説の集落「平」







平というから平家に関係があるのは自明だが、落人集落ならば当初は平とは名乗ってはいなかっただろう。



この集落から南に百名峠の伯母子峠があるが、すぐそばの伯母子岳への登山道があるかどうかというほどの峠らしいので私では無理。



もちろん道路地図には載っていない。



どうしても百名峠を制覇したいならば登山の装備で登らねばならない。



竜神スカイラインにある箕峠に行くつもりだったが、弓手原方面通行止めで、右に曲がり竜神スカイラインを目指す。







ついたところが棒峠。







☆ 棒峠  276峠 野迫川村⇔和歌山県かつらぎ町 林道桧股線、竜神スカイライン(371号) 標高1090m



         林道は1,5車線で舗装されていてそれなりに走りやすい。



         カーブとアップダウンは結構きつい。



         B級峠  ☆☆ ★★ おすすめ度2



スカイラインを横切り北西側に降りる道があったが、そちらにはいかずスカイラインを通って箕峠を目指す。  







☆ 箕峠 277峠  野迫川村⇔かつらぎ町 林道弓手原線、荒野竜神スカイライン(371号)  標高950m   日本百名峠







         弓手原線の野迫川村内は通行止め



         かつらぎ町側は通行可能で国道480号まで林道、途中おそらく棒峠方面の分岐がある。 



         カーブや傾斜はそれなりにあるが1,5車線舗装の普通の林道。



         B級峠 ☆ ★★  おすすめ度2



480号西進して県道115号花園美里線に。











花園美里トンネル前を右折して地蔵峠を目指そうとしたが行き過ぎてトンネルに入ってしまった。



そのままトンネルを出てすぐ右折、反対側から地蔵峠を目指す。



この道が通行止めはされていないものの整備もされず通行もないようで荒れ放題。



落石落木多々あり、さらに路面は荒れ落ち葉で滑りやすいという結構スリリングな道だった。







トンネルの南側の進入し損ねた方面からはそこそこ整備されているようで地蔵峠への分岐からそちら方面はきれいだった。







地蔵峠までは普通の林道。



ここがおそらく地蔵峠。







☆ 地蔵峠 278峠 和歌山県紀美野町⇔有田川町 標高820m  



        1~1,5車線の舗装路。



        峠から南西側の有田町側が長い。



        舗装されているものの路面はよくない。



        大蔵集落の手前で本線通行止め、右側のさらに細い林道がう回路だったが、これが細いというか、集落の中は狭すぎた。



        古い集落の常で狭い曲がりくねった路地のような中を通ってゆく。 



        ここが最大のピンチだったかもしれない。


        軽自動車でやっとというような高低差のある民家や石垣の間の迷路のような道は、ティグアンでは厳しすぎる。

 

        走るのに精いっぱいで写真を撮る余裕もなかった。



        幸いなことに対向車はなかったが村人には遭遇、不審な目で見られた。



        C級峠 ☆  ★★★ おすすめ度2



這う這うの体で元の林道に合流したときには、大通りに出たかのように思えた。



道の駅あらぎの里でトイレタイム。



夕色があたりを包み始めているので少し急いで最終目的の札立峠を目指す。



県道180号は峠までは2車線の走りやすい道。



峠は表示もなく日本百名峠の面影も浮かばない。



☆ 札立峠 278峠 有田川町⇔紀美野町 県道180号 標高600m 日本百名峠  



       札立峠の名称の通り古くはここに行政の掲示板があったのだろう。



       ここは紀州藩領と高野山寺領とが入り組んだところで交通の要衝だったこともあり重要な地点だったようだ。



       写真の方面生石高原に行きたかったが既に薄暗くなっていたのでゆっくりもできないと思いそのまま180号を下った。







      しかし、ここからしばらくの間ほぼ1車線で狭くその上やたらに対向車が多い。



      どちらが良かったかはわからないが、この選択はそれほどよくはなかった。



      C級峠  ☆☆ ★ おすすめ度2



当初予定していた生石高原はススキの名所らしく、ネットではいろんな写真がアップされている。



こことか曽爾高原、砥峰高原はススキで有名だが、自宅が田舎でススキなどいつも見ているのでそれほど見てみたいとも思わないのが本心ではある。



この後阪和自動車道経由で帰宅、およそ510㎞の行程だった。
Posted at 2020/10/12 16:17:32 | コメント(1) | トラックバック(0) | 1000峠を走る | 旅行/地域
2020年10月11日 イイね!

訃報 日本百名峠著者

今朝新聞の訃報欄に井出孫六氏の死去の報が出ていた。







井出氏といえば直木賞作家のようだが私にとっては百名峠の著者としての認識しかない。



1000峠を走るという目標で無駄に車を走らせているわけだが、その中で井出氏の選んだ百峠も走ることになる。



選考基準がおそらく歴史的に意味のある峠ということで、決して厳しいとか大変だとか言う峠ばかりではない。



例えば和泉葛城越えなどは地図にも載っていない小さな峠だ。



それでも走る時の目安にはなるし、一つの目標にはなる。



私の持っている日本百名峠という本は発行された当時の、ページをめくるとかび臭い臭いがその辺りに広がるという代物で昭和57年というから40年近く昔の本だ。



その著者の方がこれまで健在だったということに少し驚いたり、いずれは誰でも去っていくのだなというちょっと寂しい思いに浸ったり、複雑な感情を持った。



峠を走って何になるのか、生産性が上がるわけでもなし、誰かの役に立つわけでもなしと、走りながらいつも自問しているが、何の役にも立たずとも走ったことで自分を満足させておけばそれでいいじゃないかなどと自答して、納得させている。



井出氏は百名峠を書くことで一つの手がかりを作り、本にして出すことで多少とも収益があったり(百峠は井出氏は一部しか書いておらず多くの人が分担して書いている)著者にも分け前があったりして意味のあることだったと思う。



私の希望としては全国1000以上の峠を走って自分なりの百名峠を選定してまとめることかな。
Posted at 2020/10/11 17:38:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 1000峠を走る | 日記
2020年10月10日 イイね!

蔵王峠、鍋谷峠、紀泉高原スカイラインなど大阪~和歌山

先日のこと、天気が崩れる前にと早朝明るくなるとすぐに出発した。



近くまで来ると不案内の地域なのでナビに頼ろうとしたが、思う通りの目的地を入力できない。



本当なら峠名を入力したいのだがそれな設定がないようだ。



近くの関西サイクルスポーツセンターに目的地を設定、近くまで行った。



そのあと蔵王峠に行くべく、峠の向こうの国道480号線際にある宝来山神社を目的地にして進んだが、思う方には導かず反対方向に進ませようとする。



私は府道61号の峠を通過したいのだが、ナビはそちらには行こうとしない。



仕方なしにナビを切って地図を頼りに進んだ。



滝畑ダムを過ぎすぐに61号には行けたが、お寺のあるあたりから道路はかなり狭い。



通行止めの表示もないのでどんどん進んだが道幅はぎりぎりの狭さ。




なるほど、ナビはこの狭さを知っていてこの道を案内しなかったのかと一応納得。



対向車があれば窮するところだ。



そのうち何とかなるかと思い、ガードや山の崖にこすらないように慎重に進む。







のっけからかなり緊張する道幅で今日はこれだけでもいいかなと思えるほど。









幸い対向車もなく何とか頂上に着いたが結構疲れた。



そこから和歌山の葛城側はカーブと高低差は厳しいものの道幅は1,5車線で余裕があって楽しく走れた。







☆  蔵王峠 270峠目 大阪府河内長野市⇔和歌山県かつらぎ町 府道61号 標高550m







       大阪側は狭くて私の車ではぎりぎりのところが多かった。



       峠自体はそれほど厳しくはないがこの狭さで難儀する。



       頂上すぐ葛城側に葛城蔵王現社権現社という神社があり、葛城側からアクセスすることが多いのかそちらの道幅は広く走りやすい。







       と言ってもカーブは厳しく180度回転も何か所かある。



       葛城側には眺望の開けているところもある。



       B級峠 ☆  ★★★★ おすすめ度4



かつらぎ町側に降り国道480号鍋谷峠を目指す。



480号はきれいに整備されていて400番台酷道の片りんもない。



鍋谷トンネルの手前右側に旧道の入り口がありそこから鍋谷峠に向かう。



この看板が何となくうれしい。







結構きつい上り坂だが国道の旧道でもあるので1,5車線は確保されている。



いよいよ峠に着いたと思ったら通行止め。







下の鍋谷トンネルの入り口に原付二輪車通行不可の表示があったので、どうしても通りたければこの峠を越えるのかと思ったが、通行止めでは無理。



☆ 鍋谷峠 271峠 国道480号 和歌山県かつらぎ町⇔大阪府和泉市 標高670m



         一部狭いところがあるがほぼ1,5~2車線の舗装路。



         自転車のヒルクライムの練習に使われるらしい。



         頂上から大阪側は通行止め。







         途中眺めの良いところがある。



          C級峠 ☆☆ ★★ おすすめ度2



さらに右に入る道があったのでその林道に入ってみた。







ひょっとしたら向こうに抜けられるかもしれない。



しばらく進んで電波塔があるあたりにもう一つ峠があった。



七越峠。



そこから少し進んだが先は行き止まりというか、進入禁止だそうであきらめて引き返した。







☆ 七越峠 272峠目 かつらぎ町⇔和泉市 標高840m 



         鍋谷峠から間もなく到着する。



         峠自体は普通の林道で取り立てての特徴はない。








         昔は和歌山と大阪を結ぶ街道の一つだったようで茶店跡がある。









         C級峠 ☆ ★★ おすすめ度2



ここから先に蔵王峠に抜ける林道があるようだが、私の車では幅が無理そうな狭い林道なのでチャレンジはしない。



結局そのまま引き返して国道の新道、鍋谷トンネルと父鬼トンネルを経て葛城山方面に向かった。



結構長い鍋谷トンネル。







国道480号から西方面府道40号に入るまでの集落の中、地図には離合困難と書いてあったがその通り、とても狭いので緊張した。







幸い対向車はなかったが、あればどうなっていたか。



歩道40号で葛城山方面に向かったが、峠は通行止め。







引き返して39号から葛城山方面に向かう。



途中の林道は1~1,5車線の舗装林道で所々狭いところがあるがそれほど緊張はしない。



坂は険しくカーブもそこそこあるので楽ではない。



上まで登ったら紀泉スカイラインに出る。



左が展望台。







スカイラインの途中なのでどちらにも行けたが、写真後ろ側の葛城山方面に向かう。











そこからかつらぎ町の県道127号を下って国道24号に出た。







☆ 府道39号~紀泉スカイライン~県道127号 273峠目 大阪府岸和田市⇔かつらぎ町



        標高850m  

 

        スカイラインの途中大阪側の府道から出てきたところにハイランド粉河という施設がある。



        食事のできるところやトイレがある。



        展望台があり和歌山の方面がよく見える、と思うが私は行かなかった。



        府道39号からスカイラインまでとスカイラインから県道127号は坂が厳しくカーブも鋭い。



        スカイライン自体は走りやすい2車線だが、葛城山近くは路面が少し荒れている..



127号の途中に天空の集落、中尾がある。







        住むには困難そうな厳しい峠の途中の集落。







        カキやナシが栽培されている。



        B級峠 ☆☆☆ ★★★  おすすめ度4



国道24号から高野山方面の酷道371号に入る。



つづく
Posted at 2020/10/10 16:31:57 | コメント(1) | トラックバック(0) | 1000峠を走る | 旅行/地域
2020年10月04日 イイね!

黒毛和牛の99,9%のルーツの里に

以前走ることができた16年前に気になっていた熱田集落。



当時はまたすぐに来られる、という気持ちでパスしたが、すぐに通行止めになって15年間も通れなかった。



482号のここが集落の入り口。







その間この集落についてテレビでの特集を見たり記事を読んだりして想像を膨らませてきた。



何せふもとの集落から国道482になる前の林道を7kmほど上がって更に集落に入る細くて急な道を3km。



そうやってようやくたどり着くことができる。



この細い道のカーブがまたきつい。



180度に折れているのだが、それが狭くて急なので2度ほど切り返さないと曲がれない。







そんなカーブが5か所。



集落の入り口は坂がきつく、帰りスタートしたとたん思わずブレーキを踏んだらずるずると滑って止まらずひやりとしたこともあった。



路面は傷んでいるが一応舗装がされており、傾斜がきついところはコンクリート舗装だ。



このコンクリートのところが湧き水で湿っており滑る。



こういうところに来ると常に先に進めるのかと、もし進めなくなった場合戻れるのかという不安がある。



進めなくなってターンできなければとんでもない道をバックしないといけないがそうなるととてつもなく時間と精神を使う。



今回は幸いなことにぎりぎりターンできたが、幅はともかく長さが短い車でよかった。



ターンしようとしたらぎりぎりで後輪が浮いている。







集落は石垣と後から建てたようなそれでも錆びている小屋が2軒あって、太くなった木々の間に暗くひっそりとあった。








少し横には小学校跡地があるそうだ。



今では杉や竹が成長として暗くじめじめしたところだが、50数年前は人々の生活があり子供たちの声が聞こえていたのだろう。





この集落が放棄されたいきさつは後程記事を転載する。



現在の黒毛和牛の99,9%のルーツになる田尻号を産んだ集落として記録に残っているが、この隔離された場所ならさもありなんと思われた。



■日本の黒毛和種の歴史は一頭の但馬牛から始まった


全国の黒毛和種は、一頭の「但馬牛」から始まっているということをご存知でしたか?
平成24年「全国和牛登録協会」の調査で、日本の黒毛和種の99.9%が香美町小代(おじろ)区で産まれた「田尻号(たじりごう)」という一頭の牛から受け継がれていったものであると証明されました。
そもそも、但馬牛(たじまぎゅう)って知ってますか?
但馬牛と聞くと、「松坂牛、神戸牛、近江牛、佐賀牛、飛騨牛とかの素牛だよね?」とか「詳しく知らないけど、日本の和牛の原点だよね?」と答えられる方が多いと思います。
これらの回答も正解なのですが、「但馬牛をもっと詳しく知ってもらいたい!」と思い筆を走らせてみることにします。

◇但馬牛とは
但馬牛は、兵庫県産の黒毛和種のことで、兵庫県が指定する雄牛(県内に12頭)のみを歴代に亘り交配し誕生した牛で、県内で肥育された食用牛が「但馬牛」と呼ばれるものとなります。
その中から、一定以上の条件をクリア(霜降り度合いや歩留まりなど)した但馬牛のことを「神戸牛」とか「神戸ビーフ」と呼んでいます。つまり、神戸牛は但馬牛の中の一つのブランド(最高級)ということになります。
神戸牛となるには、霜降りという脂分の数値等が基準となっているので、赤身肉の美味しさにも着目されてきた昨今、神戸牛が但馬牛の中の最高牛肉という単純なものではなくなっているのも事実ですが、神戸牛のおかげもあって但馬牛の知名度も上がっています。



◇和牛の歴史、そして品種改良
ここからは、和牛の歴史を紐解きながら説明していきます。
江戸時代までの日本では、牛は食用としてではなく、農耕用として飼育されていました。それはここ香美町でも同じで、一軒に数頭の牛を飼い、一つの労働力として家族同様に育てられ、共に暮らしてきました。
時が経ち、明治初期、日本は文明開化とともに牛肉を食べる食文化が広まりました。それと同時に小柄な日本の牛を外国の牛のように体格の良い牛にしようと、品種改良(外国種の雄との交配)が盛んに行われていったのです。
ところが、これが大失敗。気性が荒く、働かず、病気も多い、そしてなにより肉質がよくないという残念な結果となってしまい、但馬牛も含む和牛の純粋種が絶滅の危機に直面してしまいました。



◇田尻号が「和牛の偉大なる父」と言われる所以
終戦後、元の和牛を取り戻そうと全国で本格的な取組みが始まりました。が、時すでに遅し。国内には純血の黒毛和種が残っていなかったのです。
和牛復活を諦めかけていた時、奇跡的に香美町小代区の山深い里(熱田地区)に外国種や他の血統との交配を逃れた純血の但馬牛が4頭残っていることが分かったのです。そこは、標高が700mもある高地で、他の村とも遠く離れていたこともあり、雑種化を逃れることが出来たのです。これが、一度は消えてしまったかに思われた黒毛和種を復活させる大きな要因となりました。まさに「小代の地理的要因が生んだ奇跡」と言えるでしょう。




そして、残った4頭の内の1頭の子孫として生まれたのが「和牛の偉大なる父」と言われる「田尻号(雄牛)」です。田尻号は、肉質のよい強い遺伝子をもった種牛で、当時はまだ凍結精液などなかった自然交配の時代、なんと生涯で約1500頭もの子孫を残しました。この田尻号のDNAが、今の黒毛和種の99.9%のルーツとなっているのです。
「奇跡の4頭」と呼ばれるこの牛たち。そして「田尻号」。この牛たちがいなかったら、現在世界中に広がる「和牛」は存在していなかったでしょう。


◇最後に
現在に至るまで、全国に広まった「田尻号」の遺伝子は各地で改良を重ねられ、ブランド牛となっています。現在も、あの有名な「松阪牛」のほとんどは、但馬牛の子牛を購入し育てられたものです。本家である香美町でも、独自の改良を重ね、他の和牛よりも融点が低くサラサラであっさりとした旨味の牛肉を生み出すなど、現在の神戸牛の発展を支えています。
そんな歴史と伝統のある但馬牛を使ったローストビーフ(神戸牛の基準をクリアしたもの)が、ワールドワンの展開する山陰隠岐の島ワールド2店舗で提供されています。
是非、ご賞味ください。

(文:香美町役場神戸営業所 今井和希)


「和牛の聖地」記憶伝える 雪害機に50年前廃村 香美「熱田」


神戸新聞NEXT



移住のため但馬牛を引き、荷物を背負って約10キロの山道を越冬住宅へと向かう住民=1969年12月25日(吉田真佐子さん提供)




熱田の家屋の前に立つ吉田真佐子さん。「移住したくてしたわけではなかった」と当時の住民の思いを代弁する=香美町小代区新屋



吉田さん一家がかつて暮らした家屋=香美町小代区新屋



熱田の生き証人として慕われた田淵徳左衛門さん。自然体験教室の若者と(吉田真佐子さん提供)




 鳥取県境に近く、冬は雪で閉ざされる兵庫県香美町小代区(旧美方町)の高地に「熱田(あつた)」という廃村がある。但馬牛(うし)が外国種との交配による育種改良に失敗した明治期以降、新たな血統を作る基礎になった純血種が存在した“和牛の聖地”として語り継がれてきた。主婦1人が犠牲となった雪害を機に、全住民が集団移住を余儀なくされてから半世紀。熱田の「生き証人」と呼ばれた父親を今年亡くした出身者の女性は「集落が朽ち果てても、熱田の記憶を伝え続けたい」と話す。(金海隆至)

 香美町小代区と鳥取県若桜町を結ぶ国道482号から山道に入り数キロ。こけむした熱田橋を渡り、車がやっと通れるほどの狭い道を上った先が熱田だ。除雪が困難な12~3月は国道が閉鎖されるため、誰も足を踏み入れることはできない。

 標高約700メートルの集落では、住民が但馬牛と寝起きしながら稲作や蚕の飼育に従事し、冬は酒造りなどの出稼ぎで生計を立てた。水道やガスはなく、電気は自前の水力発電で確保。電話は公衆電話1台のみだった。住民の手で開校した小南小学校(現小代小学校)熱田分校に通った吉田(旧姓田淵)真佐子さん(67)=同町小代区秋岡=は「電気を通してくださいと県知事にお願いする手紙を児童全員で書いた」と振り返る。

 雪害に見舞われたのは1968年2月14日。大雪が降り積もった山道を、真佐子さんの母親ら主婦6人が買い物から帰宅する途中、雪崩で生き埋めになった。5人は助け合ってはい出したが、1人が翌日遺体で発見された。当時中学生だった真佐子さんは、悲しみに打ちひしがれた母親の姿が忘れられないという。

 雪深い現場へ救助に駆け付けた消防団長は「なぜこんなところに住まなければならないのか」と嘆いた。「その言葉が耳から離れない」と、真佐子さんの父徳左衛門さんは美方町の郷土資料に記している。

 へき地の不便さに雪害が追い打ちとなり、全住民9世帯約50人は翌69年12月25日、美方町が同町中心部に建設した越冬住宅へ集団移住した。「わしらが死んでからにしてくれ」と抵抗した古老らの反対を押し切っての決断だった。

 徳左衛門さんは移住後も但馬牛の放牧や農作業のため熱田に通った。大阪市の市民団体「大阪自然教室」が2010年ごろまで30年以上開催した自然体験教室を熱田の家屋で受け入れ、まきを割って自炊する小中学生を温かく見守った。自然への知恵と実直な人柄で尊敬を集め、交流した若者は延べ約900人。「人生観が変わった」思い出を胸に熱田を再訪する卒業生が今も後を絶たないという。

 妻に先立たれた徳左衛門さんは今年3月、「遺骨は熱田に」との遺言をして逝った。墓石は家屋裏の山林に立つ。真佐子さんは「父親も眠る熱田を何らかの形で残したい。訪れる人がいる限り、終わらせたくはない」と話す。

【越冬住宅】豪雪地帯の住民が積雪期を市街地で過ごすため兵庫県美方郡などで建設された住宅。香美町小代区(旧美方町)では1969年の熱田に次いで、71年には小長辿(こながたわ)集落の移住に向けて完成した。熱田では木造2階建て9棟のほか、共同使用の牛舎や倉庫を無償で譲渡。住民は借地料を支払った。移住後再び集落に戻った人はいない。現在暮らすのは1世帯1人のみ。
Posted at 2020/10/04 11:23:00 | コメント(2) | トラックバック(0) | 1000峠を走る | 旅行/地域

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