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2012年08月25日 イイね!

保存版・燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!…フェアレディZvsサバンナRX-7編(後編)

保存版・燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!…フェアレディZvsサバンナRX-7編(後編)(前編より続く)

~バリェーション対決!~
Zが3種、7が4種のグレードを設定しますが価格からお分かりのように7の最高グレードが(200)Zの中間グレードに近くZの廉価版ですら7の上位2番目(GT)より高い…
つまりZは車格的には7の1ランク上に充たりマツダで言えば車格的にはコスモが真のライバルかもしれませんが今回は仮にも同じ時代に“スポーツカー”を名乗ったとい点でこの2車をガチンコさせていますのでご了承願いますm(__)m

まぁ、Zは見かけスポーツでも中身は高級クーペですしサイズ的にも性格的にもこの時期、コスモの方が相応しいのは充分承知ですが7が全く外れか?と言えばそうでもないですし…(汗)

バリェーション的には7のカスタム、Zの200Zが完全なる廉価版orベースモデル、7のスーパーカスタムやZの200/280Z-Lが普及モデル、7のGTが走り&ファッショナブル、LTD及びZの200Z-T/280Z-Tが高級バージョンです。

↓Z、バリェーションの一部
(上から280Z-T 2シータ、280Z-L 2シータ、200Z-T 2シータ、200Z-T 2by2、200Z-L 2by2 200Z 2by2)



↓RX-7、バリェーションの一部
(上からLTD/スーパーカスタム/カスタム)




~エンジン対決!~

正にこの手のクルマの一番の選択ポイントがエンジンと言っても過言ではないでしょう!
ただ、この2車は大排気量レシプロとREという全く特性の違うエンジンを搭載しており単純に比較じゃできずそれはある意味投げやりかもしれませんが当時はまだ『慣れたレシプロがいいか?スムーズで未知のREがいいか?』というレベルになっていたのではないかと?推測します…

重量級ボディを大排気の大トルクでグイグイ引っ張るアメリカンなZ、留まる所を知らないか?の如く高回転までスムーズに回り軽量ボディを俊敏に走れせるヨーロピアンな7かはもう個人の好みですしねー、あまりにも特性も違いどちらが上とか下とかは判断できませんがドライバビリティだけで論じるならば少なくとも2L、L20Eを積むZは7との闘いの土俵にも乗れていなくあくまで2.8LvsREしか比較対象はできない、これはスペック以上に両車に乗り少しでも乗り較べたら素人でも簡単に解る筈です、その位200Zは残念ながら“廉価版”“狼の皮を被る羊”でした。

スペックだけ見ればL20Eは12Aをトルクで0.5kgm上回りpsは同等ながら車重300kgの差はそのまま走りに現れ特に加速フィールは7の圧勝!スピードが乗ってしまい巡航すればL20Eでもさほど不自由はないものの再びシフトダウン若しくはキックダウンしスピードを上げようとしても7は瞬時に反応しても200Zは2テンポ遅れる感じでしかも音ばかり勇ましくても重いボディはイメージ通りには加速しない…そんなジレンマを感じました。
やはりZをZらしく走らせるには12Aの1割以上のpsと7kgのもトルクアップがなされた280Zでないと7にも太刀打ちできなかったですね。

↓当時の2Lクラスには敵はいなかった7の12A型ロータリーエンジン!


↓“スポーツカー”の面目を維持するために280Zに新搭載されたL28E型エンジン!


確かに280は7と比較しても遜色なく加速は23kgmという大トルクがなせる技で体感的にはスタイルに似合わない獰猛さがあったと思います、セミトレのRrサスを八の字にして尻を路面にこする程に沈めFrを浮かせながら蹴飛ばされたように飛び出す280Zの迫力は相当のモノで本命としている米人好みを痛感しましたネ~。
ノーマルであれば加速時も大して姿勢を崩さず静かに滑らかにスマートな発進をする7とは対極的でしたがどちらがいい、悪いではなく迫力はなくとも7のスマートさに好感を持ちました。
勿論、クルマの走りはエンジン性能だけでなく組み合わされる各ギア比、脚廻りの味付けやタイヤetc…
これにより大きく特性は変わりますがあくまでエンジン性能だけで言えばZは2.8Lでようやく7と互角だったと言う結論に両車を知る方に異存はないと思われます従ってこの比較は200Zは対象外、280Zと7は互角としておきましょうか^^;

~シャーシ対決!~

脚廻りに関しては上記で述べましたようにZにコストがかかっているだけあり7はどうしても悪く言えば雑で安っぽい乗り味、Zは刻々と変化する路面に極力対応する高度な脚でした。
Zはそれでも米人に照準を合わせているので個人的には柔らか過ぎの感が強くもしマイカーにしていたら真っ先に強化をしていたに違いないと思います。フィーリング的にはロ-レル/スカイラインよりは固め、重圧で長距離乗っても疲れないレベルながら先代のALLストラットの味わいがしなやかで細かな動きにも追従した素晴らしい出来でしたからどうしても物足りなさを感じこの部分ではスポーツカーとしては退歩、逆に言えばGTカーとしては進歩でしょう…。
7は常識的なリンクリジットでしたがサルーン/ファミリーを兼ねていた先代に較べれば大幅な進歩!やみくもに固いだけでは失格ですがしなやかさもリジットとしては感じられコーナリング、直線路でのバランスをコストとの兼ね合いの中で真面目に追求されていたものだと思います。
GT以上にはFrだけではなくRrにもスタビライザーを設け“暴れ”が抑えられていますがスーパーカスタム以下にはこれがなくややじゃじゃ馬的だったと以前記事を読んだ事があります(ワタシはGTとLTDしか経験ありませんです)

この分野でも乗り手のライフスタイル、好みで評価は分かれるでしょうからこれも勝敗は付けられませんです^^;

ただ、7の場合は売りである“フロントミッドシップ”がスポーティなドライバビリティに大きく貢献!
50.7:49.3という50:50の理想的な重量配分とする為、コンパクトなREエンジンの利点を最大限に生かすFrミッドと低い重心、全体的に“スポーツしてる!”的悦びは7が上だったように個人的には思います!

↓“スポーツカー”としては理想的重量配分がなされ話題となったRX-7の透視図


ただ…7で唯一不満があったのはブレーキ!
ZはFrベンチレーテッドディスク/Rrディスクだったのに対し7はFrこそベンチレーテッドディスクながらRrはドラム(但し冷却フィン付)でした。
逆に言えば重量級のZでこれは必需、軽量の7ではここまでの必要はなかったのかもしれませんが極限の走りをする可能性の高さは7が上!! マツダはこれの装備によるコストUPを避けたのでしょうがこれだけはスポ車好きには装備して欲しかったと思うのはワタシだけではない筈。。。
ただ7のブレーキ性能、かつてのロータリークーペやカペラで言われた程の否定的意見は聞きませんでしたから普通に走る分には充分だったのかもしれませんね(笑)
しかしスポーツカーには極限に対応する装備も大事な魅力の一つですからいかに軽量と言えども欲しい装備でした~。

ステアリングに関してはZがラック&ピニオン、7はボールナット方式。7は軽いエンジンでしたしボールナット式としてはシャープさもあり楽しいハンドリングを実現、Zの場合長く重いL型エンジンですからOP(廉価版Z以外)のパワステが付いてないといかにラック&ピニオンであっても街中、据え切りでは並の体力では乗れた代物ではなかったと思います。私はノーパワステの130Zは経験ないですがジャパンのGT-ESでパワステなしは経験済、それよりもフロントヘビーな130Zですから想像は容易ですね。。。
パワステ付130Zは低速では軽く高速ではそれなりに重くこの時代としては出来がいいものだったと思います。
その証拠にハンドリングに悪印象は残っていません!

~インテリア対決!~

この部分はどちらも性格を表すかのようにとても気を遣いドライバーの5感に訴えるムーディでスポーティな演出がなされていました。
短いシフトストロ-ク、運転席と助手席を独立させ拘束感を強めた大型のセンターコンソロールに当然、低く設定された着座位置と遠く配された各ペダル類から嫌でもストレッチアームとなるドラポジは両車共通でした!

Zは2シータと2by2で味付けを異にし2シーターはエキサイティングなスポーツ度を、2by2にはサルーンに近い高級感を与えていました。
基本デザインは同一ながら2シータは先代S30で好評だったスポーツカーそのままの雰囲気!ハイバックバケットタイプシートに黒を基調としていました。

↓S30Z同様にスパルタンな印象のZ2シータのシート&インテリア(280Z-T)


一方の2by2は明るい色彩でヘッドレスト調整機能付セパレートシートを採用、このシートの相違は2by2では後席乗員の前方視界確保のためでした。

RX-7はカスタムのビニールレザーを除いてタータンチェックを基本としたお洒落さを演出、カスタム/GTはスポーツ度合いを高めた黒のインテリアにやはり黒基調のチェック地(GT)を、他グレードは明るい色調を基本(外装色によりカラーバリェーションあり)としLTDが全面ファブリックシート、スーパーカスタム(GT)は部分ファブリックの採用でした。
LTDのみヘッドレスト別体のバケットタイプ風味のセパレート、他はヘッドレスト一体のハイバックシートとなっていました。

↓RX-7 LTDのシート&インテリア


インパネですがZは伝統の連メーターを現代風にリニューアルしながら採用、この頃は60~70年代のテイストだった連メータのインパネはさすがに飽きられスポーティモデルも次々にこれの採用を転換してゆきましたがZは基本的に継承、但し先代よりも目線は下げられデザイン的にはS30を色濃く踏襲しますが80年代に向け広い前方視界を確保しています。

↓S30Zの“ヤル気”をそのまま継続させるS130Zのインパネ(2シータ280Z-T)


RX-7は先代サバンナのマツダREモデルの象徴だった“連メータ+T字ダッシュ”を止め新鋭スポーツらしく運転席メーターパネル内に全てのメーターを集中させるデザインに変更、センターを際立たせる“T字”のみは継承しますがあくまで個人的主観ではやや迫力不足、と言うかあまりファミリーセダンと変わらず個性的な7の中で唯一?という部分でした。座ってもZのよにドキドキする感じはなく確かに視線も低く先代にはなかった良好な前方視界は得られましたが先代やZにある“ヤル気”にさせる興奮度合いはなかったです。
お洒落感もさほど感じず没個性、これがルーチェやカペラなら全然構いませんがスポーツカーとしては如何なもの?と未だ思います…

↓面白味もスパルタンさも感じない平凡なイメージのRX-7のインパネ(LTD)


この分野ではワタシの独断と偏見ではZ(但し2シータ)が勝ち!です…
DATSUNスポーツから長きに渡りスポーツカーを造り続けた日産、この種のモデルのインテリア、雰囲気が如何に大切かを良く知っていたと思いますね!

【モデル改歴】

それでは恒例ですがここからは改歴順にこの2車を見ていきます。

※細かい仕様変更、特別仕様、安全対策などは網羅していません。

(79/3)
RX-7、小変更。
上級LTDとGTにデタッチャブル方式(取外し式)のサンルーフを装備する『SE-LTD』『SE-GT』を追加しました。同時に従来グレードもチェック地シートが「ガキっぽい」と評判が著しくなく柄を変更、カスタム/GTはそのままですがこれ以外は大人っぽくシックなイメージに変更しています。
また、GTもLTD同様のセパレートシートに変更、最上級のSE-LTDには当時流行りだした本革シートが奢られていました!

↓最高峰のSE-LTD


サンルーフはセリカXX(MA40系)やプレリュードで採用、当時国産では死滅していたオープンンカーの“オープンエアモータリング”に近い感覚が楽しめるアイテムとして注目された装備をRX-7も採用し注目されました!

(79/10)
RX-7、搭載エンジンを変更します。
ただ、変更と言いましても基本RE12A型はそのままですが排ガス浄化システムをこれまでのサーマルリアクター方式から希薄燃焼方式に変更、相変わらず“極悪燃費”の陰口に対抗し燃費の大幅向上(40%)を果たしています。

(80/3)
Z、280Zの2.8LのL28E型エンジンを改良、日産ECCS=エンジン集中電子制御システムを採用します。
これは燃費改良されたRX-7への対抗でレシプロながら2.8Lエンジンで7並に走ればZも立派に“極悪燃費”で7より悪いケースも多々、このためクルマの各部に取り付けたセンサーがキメ細かく走行状況を把握しインジェクションからの燃料噴射量や点火タイミングをコントロールし燃費を10~15%程度の向上がなされています。
この時同時に最上級Z-Tに今でも130Zと言えばこのイメージが浮かぶ方も多いのでは?シルバー/ブルーの所謂“マンハッタン”と呼ばれる2トーンカラーがop設定されています。

(80/11)
Z、L20Eの200ZもエンジンをECCS化、同時に日本初のTバールーフ仕様を追加設定します!
このTバーも今も130Zの象徴になっている程の人気装備でサンルーフを上まわるオープンエアモータリングを楽しめるモノとして大人気を得ました。

↓“オープンエアモータリングを実現するTバールーフ
(㊤280Z-T 2シータ㊦同マンハッタンカラー仕様)



Tバーはその名の通り上から見るとルーフ中央のみを残しサイド部は完全にオープン!T字型に切れ込みデタッチャブルトップの変形でしたが当時としては国産唯一のオープンに限りなく近いモノで非常にZのイメージUPに貢献、Tバーデビュー後は街を走るZの半分以上はコレだったような気がします。
Tバールーフは200Z-T/280Z-Tに設定。

↓Tバールーフは2シータ、2by2及び200/280共にZ-Tに設定。



(80/11)
RX-7、デビュー2年半にてMCが施され後期型となります!
Frバンパーとエアダムの改良とテールをリ・デザイン、FrフェイスのチェンジによりCD値は0.36→0.34に向上、テールは“ブラックテール”と呼ばれる横一直線(テールランプ~ガーニッシュ)をスモーク状とされて静観なデザインとされています、これによりRrのナンバープレートはバンパー下に移設。

↓80/11~後期型となったRX-7!!(80y SE-LTD)


↓後期型7の精悍な“ブラックテール”(80y SE-GT)


またこのモデルから上級モデルのSE-LTD/LTDにREエンジンのローターをモチーフした新デザインのアルミホイールがお目見え、正直個人的には「やり過ぎしゃね?」と当時思いましたが個性的である事には間違いなかったですね。

↓ローターをイメージしたデザインのアルミホイールを装備した後期型LTD


この時、新グレードの『GT-J』を追加。

(81/10)
Z、MCにより後期型となります。
こちらも外見上はFrバンパーとエアダムの変更、テールランプの意匠変更となりますが中身も変更点が多くまず2.8LのL28エンジンは圧縮比UP、フリクション低減等により10psの出力向上がなされ145ps→155psとなっています!
そして200ZのATモデルはセドグロ他で既採用の全段ロックアップ方式に変更、しかし全段がロックアップしても大した意味はないと思われるもこれにより日産は大幅燃費向上を謳ってはいましたが…!?
他にサスペンションチューニングを固めにセッティング変更がなされ全般的に軽量化を実行し前期モデルに対しグレードにより3~5%前後の軽量化を実施しています。

↓81/10~後期型Z!!(81y 2シータ200Z)


大型ソフトカラードバンパーや対米モデルと同一のフード上エアアウトレットの採用はZをより高級感を溢れさせていましたが他ににも減光式ルームランプ、ドアキー照明など80年代最新の装備も施されまた、本革/人工皮革シートがop設定されています。

(82/3)
RX-7、小変更。
搭載エンジンの12Aを6ポートインダクション(6PI)に変更し更なる燃費向上がなされています。
他にLSD、ポテンザハイグリップタイヤ、オートスピードコントロール、ELR付シートベルトをグレードにより装備!他に新グレード追加。

↓6PIの12A型REを搭載した82/3~のRX-7(GT)


(82/10)
Z、待望のターボモデルを追加!!
79yに日本初のターボモデル(430セドグロ)を発売した日産、その後ローレル、スカイライン、ブルーバード、レパード、シルガゼと次々にターボモデルをラインアップしてきました。
Zは日産ターボ勢のトリを努める格好になりましたがこれは図ったモノではなくまだまだ頭の固い時の運輸省、ターボ=暴走行為という発想→不認可を恐れ他車種でターボの市民権を得てからスムーズに認可を得る作戦だったのは有名です!
Zターボ、セドグロから3年、非力な2000NAで我慢してきたZファンにはこの上ない朗報でありモデル末期にきて最大のZからの贈り物でしたねー。。。
同年、輸出先の主要マーケットであるアメリカにはより強力なL28E+ターボがラインナップされ残念ながら税制上の関係で国内は2Lターボのみでしたがこれでも充分魅力的!今思えばオリジナルL20Eのたかが10%程度の出力UP、インタークーラー装着もないモノではありましたが当時はこれこそが“スーパーZ”的に憧れの眼差しで眺めたものでした(笑)
因みにアメリカの280Zターボは発売1年で10万台の生産/販売という数字を叩き出した超人気モデルでした。

↓満を辞してデビューしたS130Zターボ!


Zターボは200Z-L/200Z-Tに設定、Z-Tには国内初装備であった“超扁平”である60%ワイドタイヤを装備しこれも話題となりました。
今では超扁平なんて言われたら一笑に付される60タイヤですがこの頃は70が扁平で標準の時代でしたので60はやはり衝撃的装備でありZファンでなくとも大注目、これに合わせたように独特な手裏剣のようなデザインの新アルミも装着されたマンハッタンのZターボは掛け値なしにカッコ良かったです!(^^)!

↓60タイヤ/新デザインのアルミが大注目の200Z-Tターボ(82y 2シータ)


尚、ターボはセドグロ~レパード(ブル、シルガゼ除く)でお馴染のL20ET型エンジンでありスペックは直6 2Lエアリサーチ社製ターボチャージャー付145ps/21.0kgmという280Zに迫る高性能大トルクの280Zの余裕には敵わないながらもこの時代特有のドッカンターボは2500~3000rpmで過給が始まるとまるで別物のように元気になるL20ETの味は慣れるまでは乗りにくさも感じるも280の半分の税金でこれだけの性能が味わえる喜びは並のモノではなかったです。

↓ボンネットに納まるのはお馴染のL20ETエンジン!


(83/9)
Z、S130は寿命の長いスポーツカーとしては比較的短期の4年でFMCを行いZとしては3代目となる『Z31型フェアレディZ』にバトンを渡します。

↓セダン並に4年でFMC、83/9にデビューした3代目Z31型フェアレディZ


ZのFMC後もRX-7はより戦闘力をUPしライバル関係は継続しますが基本設計が新しくなったZ31型Zと比較ガチンコさせるのはアンフェアと思われます、従って両車のガチンコはこのZのFMCをもって終了、と言うかそれぞれ次期モデルへのガチンコに継承したいと思います!
ただ、SA22はZ31デビュー後も約1年は現役でしたのでその後の改歴もご紹介しておきます。

(83/9)
RX-7、反則技?12A型REにターボを+した『RX-7ロータリーターボ』を追加します!
反則?と言っても既にこの時はトヨタからDOHC+ターボ(3T-GTE)もデビューしており日産が79年にターボを発売以来“DOHCvsターボvsRE”の図式は崩れ高性能なベースエンジン(DOHC/RE)に更にターボを+するという過激な第二次ハイパワーブームに突入してゆくのでした~。

7REターボは小型軽量ユニットのターボチァージャーを採用、極力タイムラグを抑え低地位速域のトルクを太くしたのが特徴でコスモ/ルーチェREターボに次ぐデビュー。
スペックは165ps/23.0kgmと言う旧130Zの280Z以上の数値を実現、もはや従来の2L級のスペックとは隔世の感がありました。
尚、この性能に応えるべくクラッチ、デフは当然強化され4輪ベンチレーテッドディスクブレーキ、可変ダンパ(マニユアル)、車速感応パワステが装備、60扁平タイヤや認可されたばかりのドアミラー(NAモデルにも装着)が装着されています。

↓83/9、“鬼に金棒”的なREターボが追加されたRX-7!!


↓ターボチャージャーが装着された12A型RE+ターボエンジン


しかしこのREターボ追加もライバルZのFMC、他スポーツモデルの過激化(トヨタ3T-GTE DOHCターボ軍や新鋭16バルブDOHCの4A-GE搭載の86レビン/トレノ、ソアラ/XXの2.8LDOHC、日産スカイラインの16バルブDOHC/同ターボのRSシリーズ等)の相次ぐデビューの中ではさすがにREターボも霞み更にデビュー5年を経過しクルマそのものが飽きられ後発新鋭スポーツモデルの前ではさすがにRX-7の商品力もに低下気味、デビュー直後には爆発的人気と販売台数を誇ったRX-7も83yでは約1500台強まで販売を落としREターボ追加も人気再沸騰の起爆剤にはなりませんでした…

この後RX-7はモデル末期の常で特別仕様等を追加しながら84/9まで生産し7としては2代目、サバンナとしては3代目となる『FC3S型サバンナRX-7』にFMCします!
FCはSAの歩んできた“ピュアスポーツ”の経験を元にポルシェを徹底研究→目標と定めシャシ、エンジン、脚廻りなど全てを見つめ直し第二次ハイパワーブーム、バブル経済の入り口であったこの時代、颯爽とデビューしたのでありました!

↓マツダのピュアスポーツ第二章は84/9デビューの2代目FC3S型RX-7!



~ドラマでの活躍!~

130Z、SA22RX-7の現役時代はまだまだTVドラマではアクション物が全盛で両車もドラマの名脇役を演じカーマニアにはドラマ以上に注目を集めていました!!

[Z]
言わずと知れた80年代アクションドラマの代表作『西部警察』で主役、大門(渡 哲也)の愛車であった“スーパーZ”あまりにも有名でドラマを観なかったヒトも知ってる?程です。

↓『西部警察』で話題となったS130Zの特別仕様“スーパーZ”


“スーパーZ”は130Z Tバールーフをベースにドラマ用に改造、ドアをガルウイングとし銃器やコンピユータを搭載し極悪人退治に大きな役割を果たした西部署特別仕様のパトカーであり初代スーパマシン(マシンX=210スカイラインジャパンの改造特別仕様パトカー)に次ぎマシンRS(DR30スカイラインRSターボの改造特別仕様パトカー)と共に配備されたモノでした!

このスーパーZは小樽の裕次郎記念館に隣接して開催されていた“西部警察展”(だったかな?)で実車を見ましたが画面で見ていた時と同様、西部ファンには申し訳ないですが個人的にはあまり好きではなくカッコいいとも決して思いませんでしたorz…
まず、ガルウィングに無理矢理改造した感が強くてオリジナルのボディラインの美しさ良さが失われてしまった感じが嫌でゴールド/ブラックの2トーンもオリジナルのマンハッタンの方が数倍カッコ良く感じました。

まぁ、西部警察放映時は成人にも近く西部以前の大都会シリーズと較べるとストーリーも『ドンパチガヤガヤのお子ちゃま向けドラマ』ってな感じで冷めた目で見ていたので余計に印象悪いのかもしれませんが最近になってもやたらCS等で再放送される同番組を観ても未だにこの“スーパーZ”、好きになれませんです(*_*)

ただ、一世を風靡したドラマですし130Z=西部警察という脳内インプットは我々世代には完璧に行われていますネ(笑)

[RX-7]
こちらは70~80年代前半に日テレで放送されていた“日テレ火曜9時アクションドラマシリーズ”中の一作品である『大激闘マッドポリス80(後半からタイトル変更となり“特命刑事”)』で主人公の氷室(渡瀬恒彦)の愛車として前期RX-7が登場していました。

↓当時バリバリの新車ながらかなりのカーアクションをこなしていた『大激闘』のSA22RX-7



大激闘は曜日、chは違えど西部警察と同時期に放映、西部の渡vs大激闘の渡瀬で“兄弟対決”として話題になりました。
日テレ火曜アクションドラマは大都会シリーズ、大追跡、探偵物語、プロハンター等の名作を生み出していますが79年の『探偵物語』からマツダがクレジットに入り車輛提供がALLマツダとなりました。
探偵~でも当時のコスモやルーチェ、RX-7も活躍しましたが7がレギュラー車になったのは大激闘が初で壮絶なカーアクションが人気だった大都会や西部~に対抗するため当時バリバリの新型車であった7もかなり際どいアクションをこなしていたのが印象的、間違ってもクラッシュシーンだけ旧型になる、なんて言う某番組?みたいな事はななかったですね(笑)
まっ、7の場合は旧型がないのでクラッシュする場合、氷室は最初から旧型カペラやサバンナに乗って出動していましたが…(爆)

残念ながら大激闘は西部警察のようなオバケ番組にはならず当時は低視聴率で打ち切りという憂き目に遭いましたが現在ではコアなマニアに人気のようです^_^;

この分野のガチンコ対決では間違いなくお兄ちゃん、いやS130Zの勝利でしょう!


~競技での活躍~

両車とも先代はレースにラリーに暴れまくりオールドレース/ラリーファンにはその勇姿が瞼に焼き付いている事でしょう…。
先代末期はOILショックや排ガス規制でそれら活動は罪悪みたいな風潮で活動も縮小していきますが78年、両車2代目デビュー後はそのような空気は払拭されかかっており再び競技活動に参加してゆきました。

[Z]
先代S30時代は国内外のレース/ラリーにブルーバードやスカイラインと共に積極的に参画し上位成績を収めたZですがS130はひと回り大きくなった車格、ボディによりこれらの一線はスカイライン等に譲りレース活動に絞り更に活動の主軸を北米に移しポール・ニューマンによってIMSA-GTOで活躍したのが目立った戦績です。
IMSA-GTOは日本車としてはZの独断場の様相を呈しその後のZ32型(4代目Z)まで大活躍をしました。

↓北米IMSA-GTO出場のS130Z!!


[RX-7]
Zが国内の表舞台から消えて行ったのとは裏腹にRX-7は先代サバンナが常勝し続てきた各レースでの活動を発展継続、その活躍は国内外のTSレースやG5、デイトナにWRCラリーと多岐にわ渡りますので戦績などはwikiをご覧頂く事としますが中でも忘れてはいけないのがル・マン24時間耐久レースへの参加でしょう…

ル・マンと言えばマツダが91年に787Bにて日本車としては初優勝を飾った事があまりにも有名ですがこれに繋がる道はSA22型RX-7が築いていました。

↓ル・マンに参戦したRX-7 IMSA-GTO仕様(一例)


ル・マンではマツダ本社の台所事情から販社からの参加を何度となく繰り返しながらも思うような戦績はRX-7で残せないながらその経験は確実に蓄積され遂にレースレギュレーションが改定(RE参加不可)されるギリギリの91年、7の経験から学んだ787Bにて栄光を手にしたという劇的な結果となり当時マツダファン、レースファンでなくとも誰しも“日本車NO.1”時代の到来を意識させるのに大いに貢献したのです。


この分野のガチンコ対決、これは車の実力は置いておいて参加意欲=チャレンジスピリットからしてこれは7に軍配を上げざるを得ないです!

~総評~

以上、延々(汗)お送りしてきました『S130型Z vs SA22C型RX-7』のガチンコですがどうでしょう?
個人的見解では“スポーツカー”としての価値としてはやはりそれを謳いながらも中身はGTカー的に変貌したZよりRX-7に軍配を上げたいと思います。
2.8で無理矢理?速く仕上げたZよりも基本からしっかり見つめて真面目に無理なく造られたRX-7に好感を持つのはワタクシだけではないでしょう…

しかし実際の生産/販売台数はZの圧勝!やはりこの時期でもまだ“特殊”な印象であったREエンジンのRX-7、燃費の悪さという印象がこのエンジンには常につきまといスポ車としての大きな魅力を感じながらもイマイチ踏み切れないマニアも多かったと思います。
実際ワタクシもたまに借りて乗るにはこの上ない楽しさを感じながらもレシプロ特有の“メカニカル”の魅力をターボが付こうがロータが3個になろうが上回る事はなかったです。

ただ、REの名誉の為に申し添えれば決してREを否定もしませんし燃費も大排気量レシプロやDOHCターボをブン回せば殆ど変わらなかったので世間一般的な悪印象も全くありません、それどころかスムーズさ、滑らかさでは未だこれの右に出るモノはないのでは?と思います。

要は130Z、7に関わらず5感でREか、高性能レシプロかは個人が決めるモノですし似て非なる両車、スポーツカーの命であり最重要となる搭載エンジンの思想が異なる“異質なスポーツカー”と考えればどちらに軍配という事にもならずそれぞれの長所短所を受け入れながら楽しめたのではないかなーと考えます、まぁ、それじゃこの企画自体が成り立ちませんがネ(*_*;

そんなモノ成り立たなくてもワタシにとって文句なく2車ともに夢多くを与えてくれた憧れの“ピュアスポーツ”であった事は間違いありません…!

燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!”S130型フェアレディZvsSA22C型サバンナRX-7…完
Posted at 2017/08/13 17:09:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | ライバル | クルマ
2012年08月25日 イイね!

保存版・燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!…フェアレディZvsサバンナRX-7編(前編)

保存版・燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!…フェアレディZvsサバンナRX-7編(前編) (2012.8/25UP)

燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!

この対決はベタです…てか当時としては良く比較され各雑誌でもサーキットでライバル対決なんぞさせれれていたこの2台! 『日産フェアレディZ S130型』vs『マツダサバンナRX-7 SA22C型』のガチンコです^^;

さて、この2台は当時“日本が誇るスポーツカー”として売り出されており事実、2車が発売された1978年という時代は73年から日本を襲ったOILショック、それに続く厳しい排ガス対策の影響からそれ以前は隆盛を誇ったスポーツカー/スポーティカー/GTカー等は軒並み姿を消してしまいましたがこれら問題が一段落し再び夢を持てる“スポーツカー”にユーザーもメーカーも飢えており苦しい期間を耐え忍んで80年代に向けた新時代のスポーツカーの提案というべく発売されたモノでした!

《S130フェアレディZ・SA22CサバンナRX-7前夜…》

【フェアレディZ】
69yに日本初の本格的重量級スポーツカー、トヨタ2000GTに対抗してそれまでのオープンモデルのDATSUNフェアレディ(SP310/SR311型)をFMCしクローズドボディのスポーツカー『フェアレディZ(S30型)』として登場、2000GTのハンドメイド的少量生産/販売とは異なり大量生産/販売向けスポーツカーでスタイリングは教科書通りの“ロンブノーズ&ショートデッキ”で完全2シーター、スラントノーズ、フルファストバックの誰が見てもスポーツカー然としたスタイルで登場。
その流麗なスタイリングは由緒ある海外スポーツカーのポルシェ911やジャガーEタイプと比較しても何ら遜色のない美しさながら性能的には既存エンジンの流用やチューン版を搭載し大量生産という事もあり価格は大幅にリーズナブルな設定!その安価な戦略は国内はもちろん主要な市場である米国では元祖“プアマンズ・ポルシェ”“ダッツンZカー”としてスポーツカーとしては異例な販売台数(発売期間69/11~78/8約9年で全世界→55万台、うち国内8万台)を記録しています。

Zは国内外レースやラリーでも活躍、その名声を高めますがやはりOILショックや排ガス規制には敵わず73年以後、DOHCのZ432やオーバー2Lの240Z(国内販売)等ZらしいZが次々に製廃、76年以降は排ガス適合モデルとなり2LのL20EエンジンはNAPS化により極端にドライバビリティが低下、スタイルのみ相変わらずの“プアマンズ”を維持しながらも中身はローレルやスカイラインと何ら変わりない“実用車”になり果てていました。
これは74年に主マーケットの米国からの要望で追加された4シーター『2by2』の影響も多分にありもはやこの頃になるとZは“スタイルだけのスポーツカー”という印象に変わってきていましたねー、私も子供心に「何でZに4人乗り出すんだろう?スタイルも変になった」と怒り心頭?ではありませんでしが(笑)残念に思ったのは印象に残ってます。
まぁ、大人になれば営業戦略的に4シーターは必需だったと今更ながら理解しておりますが…。

↓“プアマンス・ポルシェ”を如実に表した国内最高峰だった初代S30フェアレディ240Z-G(72y)


そんな初代Zでしたが70年、トヨタ2000GTが製廃以降、例え逆境で牙を抜かれようがやはり当時のカーマニアには一目置かれる“国内唯一のスポーツカー”として存在感は揺るぎないモノだったと思います。
フラストレーションを貯めに貯め込み爆発するように78/8、遂にZは初めてのFMC(『フェアレディZ』としてという意味、フェアレディとしては先記のSP/SRや先祖となるDATSUNスポーツDC-3から数えると4度目のFMC)を行い今回の主役の1台である『2代目フェアレディZ S130型』がデビューします!!

【サバンナ】
コスモスポーツでセンセーショナルにデビュー(67y)したREエンジン搭載モデルの第4弾として71/9に発売された『S102型サバンナ』がSA22C型RX-7の前身になります。

少量生産で高額だったコスモスポーツはREの鮮烈な印象を広めるには充分なインパクトでしたがそれの普及には程遠くそれが託されたのがRE第2弾の『ファミリアRE』(68/6)、そして第3弾がファミリア上級となるカペラ(70/5)でありカペラにはコスモ/ファミリアに搭載された10A型(491cc×2、110→128ps、ファミリア搭載型は100ps)をベースにひと回り大きい573cc×2ローター 120psを搭載、当時サーキットでは無敵を欲しいままにしていた日産スカイラインGT-Rに挑みました。

しかしカペラやファミリアで当時言われたのが「脚(ボディ、シャシ)がエンジンについていけいてない」という酷評、そこでマツダはREの卓越した高性能はレースでの輝かしい成績の獲得が一番の早道!とばかりに第4弾として“RE専用設計”を謳うサバンナを開発した訳ですねー…
まぁ、これは『グランドファミリア』と言うサバンナとボディを供用、こちら(Gファミリア)は“レシプロ専用車”も同時発売していますからいささか謳い文句には眉ツバ的印象もありますが(*_*;

↓“RE専用車”としてデビューした初代S102型サバンナ(71y)


コスモ、カペラもそうでしたがサバンナにはグランドファミリアと言うファミリーユース向けを用意しますがこれはあくまで廉価版の扱いでサバンナは“RE搭載前提”で設計されたもの、カペラはそれでも煮つめが甘く当初狙ったレース界を席巻するには至りませんでしたがサバンナは71年発売の直後から富士グラチャンでデビューし数々のレースに参加、72y以降は“打倒GT-R”を目標にカペラ用12Aを移植した『サバンナRX-3』(市販モデル=サバンナGT)で遂に富士GCにてGT-Rの連勝記録をSTOPさせたのはあまりにも有名ですネ!
この死闘はマツダの787Bル・マン優勝と並び未だ語り草になる出来事だったと思います。

こんなサバンナですがグランドファミリアというファミリーモデルを持つ事からスポーティなクーペがメインながらもセダンやワゴン(グランンドファミリアはバン)を持つシリーズ展開、性能は1級品ながらもスタイリングはZとは異なり決してスポーツカーのスタイリングには届かず“スポーティ”止まりでした^^;

スポーツカーとしての当時の定義はロングノーズにショートデッキ、ワイド&ロー、流麗なるスラントノーズ、そして低い着座姿勢に2座!が条件でしたのでこれからするとサバンナはスポーツカーにはなれなかった訳ですね。
しかしクーペは70年にトヨタセリカや三菱ギャランGTOが火を付けたスポーツカーとはまた別ジャンルとなる“スペシャリティカー”のブームに乗りこれらにに較べても遜色ないスポーティなスタイリングで3分割されたFrフェイス、スポーティ度合いを示すフルファストバックは当然ながらダイナミックでグラマラスなスタイリングは“獰猛”に近いド迫力でありRE/マツダファンだけでなくこちらも内外問わずに“リーズナブルな高性能車”として人気を得ていました…。

が、しかし…

サバンナのREは決定的な欠点である“極悪燃費”や構造上、2stのようにOIL消費量も大抵じゃない点が災いし73年に起きたOILショック以降はマツダ(当時、東洋工業)の経営を危うくする大打撃!
国内外でのREは評価は地に堕ちた感じとなり返品キャンセルの嵐が吹き荒れたのと同時にこれにより燃料を大量消費するレース活動に対する社会の厳しい目線や当時社会問題化した暴走族がレースで無敵、高性能のサバンナを好んで使用したりもありこの頃を境にサバンナの評判もガタ落ち、これほど社会情勢が影響したモデルも珍しいと言えるでしょう。

しかしこれ以後の排ガス対策ではREの特性上、ドライバビリティにさほど悪影響が出ず未対策時のパワフルさを維持したサバンナは信用回復がなされましたし逆境の中でも決してRE/サバンナを諦めずに造り続けたマツダの意地は排ガス規制でZも含む各社のスポーツモデルが青色吐息の時期=初代サバンナのモデル末期に花開いた感じがしたものでした!!

このように数奇な体験、波乱万丈な人(車)生だった初代サバンナの経験を生かし第2世代は本格的な“ピュアスポーツカー”として生まれ代り78/3にデビューしたのが今回のもう一つの主役『SA22C型サバンナRX-7』です!!


~80年代を目指したNEWスポーツ誕生!!~

2代目となった『S130ファエアレディZ』、同様に第二世代に入って新たにサブネームを得た『SA22CサバンナRX-7』。
この2車が発売された1978年は当時を知るスポーツモデルファンには忘れられない年となった筈です!

暗く長かったスポーツモデルに対して向けられてきた悪意の目(社会情勢)が景気の昂揚と同時にフツフツと溜まった溶岩が噴火するかのように各社一斉にかつて=排ガス対策やOILショック前のように息を吹き返し“第二次ハイパワーブーム”の火付け役になったのがこのZとRX-7だったと思います。
79yの日産ターボ(L20ET)、81yのトヨタDOHC-6(5M-GEU)…その後の各社のハイパワーフェイーバーはご承知
の通りですがそのようなファンにとっては幸せな時代を迎えられたのもこのS130ZとRX-7の成功があったからだと思います!
それではいつものように?前置きが長くなりましたが本題に入ります^_^;

まずはS130Z…

先代S30型Zが残した功績は大きくFMCの噂が出ると主に海外からは「変えてくれるな!」との要望が出た程、このためS130は“キープコンセプト”、つまりは外見ではS30のイメージを極力踏襲、中身は9年ぶりのFMCでほぼ全てが新設計になりながらも“誰が見てもZ”と解るモノでした。
ロングノーズ、スラント+抉られたヘッドライト、ショートデッキ、HB形式のフルファストバッククーペのスタイリングは正にS30Zそのままのアイディンティでテールやインパネに至るまで先代のイメージが色濃く残っていました。
ただ、非常にグラマラスなボディラインとなり先代のシャープさが消え良く言えば豪華なイメージ、悪く言えば贅肉が付き過ぎた?といった印象が個人的にはしました。
ボディバリェーションは“スポーツカー”にこだわる2シータと先代末期に追加された2by2(4シータ)です。

↓誰がどう見ても“Z”であった2代目S130型Z(280Z-T 2by2)


130は先代に較べたら確実にスポーツカーマインドは低下、スタイルはそのものズバリで日産も“スポーツカー”とコピーしていましたが性格は“グランドツーリングカー(GTカー)”的なモノ、サイズも車重も先代から較べて大幅にデカく重くなり俊敏に街中を駆け回ると言った走りはどちらかと言えば苦手な部類になり高速道路を長時間、ドライバーや同乗者に負担をかけずにシズシズと走る、これはS30がALLストラットの4独サスだったのをS130でローレルやスカイラインでお馴染のFrストラット/Rrセミトレ方式に変更した事もあり細かな振動も拾うRrストラットよりも重圧な乗り心地になっていました。ただ、その代償に機敏さは失われた感じですね…。

↓重量増と性格を見つめ直し日産は実績ありFrストラット/Rrセミトレ4独をZに採用!


しかしそのセッテイングは広いアメリカが主ターゲットの為、大陸を何時間も高速で走っても疲れない、そんなシチュエーションを前提にして造られておりこのためS130では排ガス規制でパフォーマンスの低下した2Lをメインから外して当時としては大パワー、高トルクの2.8Lをメインとしています。

ワタシも2Lと2.8Lは共に経験ありますが長さで約50cm、幅で約6cm大きくなったボディは旧S30と比較して回頭性は消え失せ2Lに関しては運動性能に俊敏さはなく特に発進加速は先代と同じエンジンながらここまでダルいか?と思う程!先代にしても同じNAPSでの対比ですから未対策のS30とは較べようがない位、“Z”の名を疑う程のモノで非常にガッカリしました。
200Zはそれこそ『スタイルだけZしてればいい』って感じで当時まだまだ3ナンバーは税金の高い時代でしたからどうしてもZが良くさりとて高い税金払えない人はこれで我慢するしかなかったんですよねー。。。
先代S30でもNAPS化以降はZの名に恥じるような走りでしたからデカく重くしたS130の2Lでは当然と言えば当然の結果ですがorz…
S130の200Z、一番軽い廉価版ですら1175kg!これでグロス130psではキツいですよねー。。。

↓2LのZはかなり残念な走りながら雰囲気は完全スポーツカー!(78y 2シーター200Z-T)


しかし2Lの戦闘能力がないのは造る側もお見通し!そんな訳でS130には当時日産の最高峰エンジン(VIP用プレジデントのV8を除く)である2.8LEGI付きのL28Eを用意、240Z以来の久々オーバー2Lですがこれとてパワーウェイトレシオだけ見たらS30のNAPSより劣ります…
しかし絶対トルク(23kgm)と大パワー(145ps)は200Zとは別物の走りを提供、俊敏さはないものの高速のロングクルージングやパニック加速は群れを抜く速さ!因みに0→400m加速は280Z-Tで16.6secですのでこの時代ならば“スポーツカー”としても及第点ですね。

一度この280Z、中央高速を200km程回送経験ありますがワインティングが多いこの同道路、その部分は決して楽しい乗り味ではないですがUP/DOWNでもストレスなく余裕で走り直線部では群れを抜く安定性で正に“GTカー"としては1級品だなーと感じました。空力に強いスタイルは路面にベタっと貼りつく安心感がありFRながらも速度を上げれば上げるほどの“レールウェイ”に近い感覚が味わえ高額所得者にのみ許される贅沢さだと哀しくなったり(汗)
やはりこの時代、ターボが出る前夜ですから排ガス対策、これに伴う重量増で既に2Lの戦闘能力が限界だったのを200/280Zを乗り較べると身体で実感しましたね!

一方のRX-7!!

先代がファミリーカーとボディを供用したのに対し7はそれこそ専用車種、OILショック前に軽~商業車・マイクロまでREエンジン搭載を計画していたマツダはその大打撃により止む無くRE搭載計画を変更、比較的高額車輛(高級車、スポーツカー)を買う層にはそれほど燃費に五月蠅い事を言うユーザーはいないとの判断から75年に高級パーソナルクーペのコスモ、77年にクラウン/セドグロ級に格上げになったルーチェ・レガート(その後『ルーチェ』に変更)等2車種のRE高級バージョンを発売、そして第3弾が“REスポーツカー”としてサバンナの後を受けたこの7でした。

↓RX-7はマツダの最大の財産“REエンジン”を大前提に開発!


7は誰が見ても“スポーツカー”そのものの解りやすいカタチ!
何と言っても国内ではトヨタ2000GT以来のリトラクタブルヘッドライトが最大の特徴でそれを納める流麗なるスラントノーズ、コンパクトなREエンジンをFrミッドシップに搭載し可能な限り低い鼻先としCD値は0.36という他に類を見ない数値を実現していました。(S130 ZはCD=0.39)
全体的スタイリングは見かけ2座に見える程のワイド&ローのプロポーション、お約束のロングノーズ/ショートデッキ、RrはコスモスポーツのRrガラスをオマージュしたと言われるグラスハッチが採用され非常に個性的スタイリングは76年頃に起こった所謂“スーパーカー”少年達も釘付けになる斬新さ!(実際、当時子供向けの車に関したマンガや絵本等には“日本のスーパーカー”としてRX-7が紹介されていました!)
Frからの外見はポルシェ924や928を彷彿させるのに充分な面構えであり旧サバンナのイカツイ顔とはまるで正反対の都会的でお洒落、誰でも素直に「カッコイイ」と思えるモノでした~。
先代S30Zがアメリカで“プアマンズ・ポルシェ”と呼ばれましたがRX-7は見かけからしてそれを彷彿、2代目プアマンズはRX-7に与えられていました。

↓どこから、誰が見ても“スポーツカー”だったSA22C型RX-7(78y GT)


↓“スーパーカー”ばりのリトラライトは大きな注目を集めました!!(78y リミデット)



↓グラスハッチのRrスタイルは個性的だけではなく明るい後方視界も確保!(78y㊤GT㊦LTD)



上記に“見かけ2座”と書きましたが7の見事な点はミニマムながらも後席が用意されしかも一応その後席も大人が座れかつヘッドスペースやらの犠牲にスタイリングがならずまとまっていた点だと思います。
この種のモデルは後席があるだけマシ!程度に割り切らないとともすれば後席のためにせっかくのスポーツカーのスタイリングが破綻してしまい魅力も半減すると思います、これで言えばZはS30/130ともに2シーターは素晴らしい流麗さを誇りながら2by2(4シーター)ではどうしても“取って付けた”印象が強く勿論実用では2by2が上なのは承知ですがスポーツカーの場合、支払った大金のうちスタイルに払う部分も大きいのであくまで個人的にはZの場合、S130以降も含めて2シーターしか選択肢はなかったですねー…(2by2乗りの方スミマセン)
上記でスポーツカーの条件に『2座』と記載しましたが日本の文化では4座は最低必要の為、日本のスポーツカーに関しては『2座』は無視って感じではありますがZの場合はやはり2座にこだわりたいのが本音ですかね…。

7も知人が乗っておりよく借りて乗りましたが低い着座姿勢が座ればヤル気になるのは当然、相変わらずスムーズなREはレシプロが5000、6000rpmまでブン廻すとそれなりに乗り手にもクルマにもストレスや緊張を感じさせますが高回転まで全くそのような事はなく知らず知らずのうちにとんでもない速度になっていたりで(*_*)
ただ、意外に脚廻りは「固めればいいんだろ?」的は部分は旧サバンナGTから引き継がれSA22以後のFC3がしなやかかつ適度な堅さという秀逸な脚を手に入れた後では前時代的な乗り味だった印象が強いです。
かつてのファミリアやカペラREの『脚がパワーに追い付いていない』まで落胆するものではありませんが特に後輪はリジットだったのもあり見かけの割には雑?な乗り味を感じました…。

↓RX-7のFrストラット/Rr4リンクリジットサス


因みに7の0→400mは15.8sec(2名乗車、LTD)という280Zにも勝るダッシュ力はREと軽量ボディ(グレードにより900~1000kg台!)ならではでしょう…

尚MCはZ、7共に1度ですので(小変更除く)この78年発売モデルを『前期』、MC後モデルを『後期』と表現します。

以上、両車のデビュー時の概要やインプレです、続いて2車の諸元比較です。

【諸元比較】

[フェアレディZ S130(78/8~)]

(バリエーション)
200Z/200Z-L/200Z-T/280Z-L/280Z-T
※2シーター、2by2共に共通グレード設定
(型式)
日産E-S130型(排気、ミッションにより付加記号あり)
(サイズ)
全長4340mm(200Z 2シータ)4420mm(280Z 2シータ)4540mm(200Z 2by2)4620mm(280Z 2シータ)
全幅1690mm 全高12955mm(2シータ)1305mm(2by2)
(ホイールベース)
2320mm(2シータ)2520mm(2by2)
【車重】
1175~1300kg
(搭載エンジン)
L20E型 2000cc 直6 OHC EGI 130ps/17.0kgm
L28E型 2800cc 直6 OHC EGI 145ps/23.0kgm
(ミッション)
5速MT/3速AT
(脚廻り)
Frストラット/Rrセミトレーディングアーム
(駆動方式)
FR
(価格)
200Z :1,468,000円/同2by2 :1,598,000円
200Z-L:1,625,000円/同2by2 :1,793,000円
200Z-T:1,795,000円/同2by2 :1,988,000円
280Z-L:1,800,000円/同2by2 :1,965,000円
280Z-T:2,155,000円/同2by2 :2,373,000円
※MTモデルのみ

型式E-を見ても分かるようにNAPSにより全車53年規制適合車です。
アメリカ主体だけありATはほぼ全種にラインナップされていましたが当時日産はまだ3速ですからねー、2.8Lで3ATだと…燃費較べはした事ないですが7より多分極悪だったでしょうねー(汗)

尚、全長の違いですが200と280は基本的に2シータと2by2のサイズ違いだけですが280はバンパーにオーバーライダーが装着される分、長くなっています。

[サバンナRX-7(78/3~)]

(バリエーション)
カスタム/スーパーカスタム/GT/リミデット(LTD)
(型式)
マツダE-SA22C型
(サイズ)
全長4285mm全幅1675mm全高1260mm
(ホイールベース)
2420mm
(車重)
985~1015kg
(搭載エンジン)
12A型 573cc×2ローター シングルキャブ(2ステージ4バレル)130ps/16.5kgm
(ミッション)
5速MT/3速AT
(脚廻り)
Frストラット/Rr4リンクコイルリジット
(駆動方式)
FR
(価格)
カスタム:1,230,000円
スーパーカスタム:1,370,000円
GT:1,440,000円
LTD:1,690,000円
※MTモデルのみ

7も当然E-ですのでマツダアンチポリューション(AP)、サーマルリアクターによる53年規制適合モデルです。
7もアメリカ市場での売り込みを積極的に展開するためスポーツカーと言えどもイージードライブが可能なAT(こちらも3速)をスーパーカスタムとLTDに用意していました。

現在ではスポーツカーであってもATは当たり前ですが当時はまだまだファミリーカーであってもMT主体でしたから7のATって私の周辺では見た事ありません(Zは比較的多かった)が7、Zともにそのスタイリングから女性にも人気が高く国内でも女性が好んでATモデルを買っていた という記事を読んだ事があります。

(後編に続く)
Posted at 2017/08/13 16:51:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | ライバル | クルマ
2012年08月12日 イイね!

保存版・燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝…パブリカvsチェリー(後編)

保存版・燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝…パブリカvsチェリー(後編)
(前編より続く)


それではモデル改歴も兼ねて両車の遍歴を時系列で見てゆきます!
尚、パブリカは計5回、同スターレットが1回、チェリーが2回のMCを行っていますのでパブリカを前・前期/前・後期、後・前期/後・中期/後・後期と表記、スターレットを前期・後期、チェリーを前期・中期・後期と表記します。



(71/3)
パブリカ、ハードスポーツモデルとして『1200SR』を追加します。
SRはカローラやコロナにも同名グレードがありこれら同様にベースのSLを元に装備を落とし脚廻りをハードに固めたモノで硬派のスポーツグレード、派手なストライプやキャップレスホイール、ラジアルタイヤ等スポーツ心をくすぐる装備がより本格派ユーザーに歓迎されました。

(71/9)
チェリー、クーペモデルがラインナップされます。
発売以来1年を経過しようとする71/9にチェリークーペが追加されました、世はまさにハイパワー競争全盛期でもありセダンでも充分速いチェリーでしたが“速そうな”スタイルも人気の秘訣であった時代、それを表す『クーペ』や『ハードトップ(HT)』モデルの設定も人気の秘訣とばかりこの時期は各モデル、これらの設定が不可欠でした。
チェリーは発売以後、やはりまだFFは時期早尚な部分とその独特なスタイルが今一つ市場には受け入れられず70~71年、パブリカの販売台数が約10万台に対しチェリーはその約半数、商業的には決して順調ではなくサニーの20万台(70y)にも遠く及ばないモノでしたのでテコ入れの意味とライバルに同趣向のモデルがないのも狙目であったと思います。

↓71/9に追加されたチェリークーペ(㊤1200X-1・L㊦1000DX)



クーペはセダンの個性が失せる程のより個性的なスタイルで登場、まだ当時では馴染み薄だったハッチバック(HB)クーペでしたがそれまでの『クーペ』の概念にはない不思議なスタイリング。
それまで『クーペ』とはセダンに較べより流麗なモノでしたがチェリークーペの場合、そのいでたちは流麗の反対にあるむしろ『バン』に近いモノで出た当初はそのネーミングが違和感アリアリでしたね~(*_*;

“背むし”“パネルバン”と揶揄されるそのスタイルは非常に強い個性を打ち出していましたが後方/側方視界はもうないも同然!しかしこの形状のお陰でラゲッジは思いのほか広大で可倒式Rrシートと合わせるとそれこそ“バン”並の積載も可能でした。
現役時は個人的に決してスタイリッシュさもなく鈍重なイメージで好きではありませんが後年このクーペを見ると妙にイイ感じで友人がコレをシャコタンにしカスタマイズしたのを見た時は「カッコイイ!」と呟いた程(汗)
71年としては早過ぎたデザインだったのでは?と思います、今見るともちろんこんな個性派なかなかなく非常に当時の日産のセンスをい意味で再認識する感じがします。

↓チェリークーペの後方/側方視界はあってないも同然!


クーペの機構はセダンを踏襲しますがFr/Rrやインパネはセダンをベースにリ・デザインがなされいずれもセダンよりスポーティさを強調、特にテールランプはこれまた個性的な大型の丸型1灯にブレーキ(赤)をベースにセンターにフラッシャー(アンバー)を配しそのその脇に角型2段のバックと反射板を配置、非常にユニークで可愛らしさをも感じさせるRrスタイルが特徴的でした~。
サイズは全長3690全幅1490全高1310(mm)となりベースのセダンに較べ長く、低く、幅広くを実践しています。

↓クーペ、セダンにはない左右対称型インパネを採用!


クーペのバリェーションは1000DX/1200GL/1200X-1/1200X-1・Lとなり搭載エンジンはセダンにはない1200シングルキャブ68psのA12型をラインナップ、これを1200GLに搭載しています。
セダンには設定のなかったX-1・Lはスポーツ色濃かったX-1にファッショナブルなイメージを加えたグレードであり後にはこの『・L』はセダンにも設定され豪華モデルとしてX-1とGLにラインナップします。

(72/1)
パブリカ、大幅なMCを実施し後・前期型となります(型式変更なし)
前年に改良されたインパネと左右ドア以外は新たなプレスとなり全体のスタイリングは大幅に変わりFMCに近い印象、スポーティさを強調するセミファストバックスタイルに変貌、Fr/Rrのデザインはスポーツグレードと普及グレードでリ・デザインされ特にスポーツグレードは迫力あるツラ構えと大型分割テールも凛々しいデザインとされています。
この時、グレード編成、車種編成を見直し普及グレードを『ファミリーシリーズ』=1000STD/1000DX/1200HI-DX/1200XL、スポーツグレードを『ヤングシリース』=1200S/1200SL/1200SR と命名、セミATのトヨグライドは消滅しています。

↓FMCに近い大幅なデザイン変更が施された後・前期型(72y ファミリーシリーズ1200XL KP31)


↓従来にも増してスポーツグレードはそのイメージを強めます!(72y ヤングシリーズの広告)


このMCで永らく搭載されてきた2U型空冷800ccを廃止、これは導入が決定された48年度→50/51年規制パスが不可能と判断されたもので規制内容の異なるバン/ピックには継続されるもセダンではデビュー以来10年以上パブリカの顔として頑張った“名機”引退となりました・・・。

新たに追加されたのはファミリーシリーズの1200XLとヤングシリーズの1200S!
XLはそれまでのHI-DXを超える最高級バージョン、エンジンも1200シングルながらハイパワー仕様の3K-H 71psを搭載していました。
1200Sは3Kシングル68psを積みながらも内外装はSTとほぼ意匠を統一させたもので手軽なスポーツモデル入門バージョンでした。
ST/SRのHOTバージョンはより磨きがかけられインパネは流行の7連メーターを採用しよりムーディなイメージとなっています。

↓“ヤングシリーズ”最高峰となる1200ST(72y KP31)




(71/2)
チェリー、セダンにもA12シングルキャブを設定、1200DX/1200GLとしてラインナップします。
また、2ドアセダンのルーフを延長しファストバック部を手直しした商用バンも追加、Rrサスをバン化のためリジット式に変更し積載物に対応、全体のスタイルは2ドアセダンのそれが色濃く通常のバンモデルが6ライト方式を採るのをチェリーバンはセダンの特徴=オリエンタルアイをそのまま残し4ナンバーと言えどもどことなく洒落た感じを与えていました。

(72/6)
チェリーがデビュー2年を待たずにMCされ中期型となります。
デビューからまだ間がさほどないクーペはコンソロールデザイン、グリル内の[N]オーナメントの装着という小変更ですがセダンはグリル/テールデザインを変更、普及(STD/DX/GL)、スポーツ(X-1/X-1・L)、豪華(GL・L)でこれまたパブリカを意識してグリルデザインを分けそれぞれのグレードキャラを鮮明に表すデザインとされています。
中身では48年規制に適合する排ガス対策を実施。

↓72/6、後・前期型チェリー2/4ドアセダン(㊤1200GL㊦1200X-1)


↓後・前期型の㊤1200GL・Lと㊦1000STD



(73/3)
チェリー、クーペに最高級スポーツバージョンである『X-1・R』を追加します。
X-1・Rは従来のX-1に当時スポーツカーの証であったビス止め式オーバーフェンダー+13インチワイドラジアル(他モデルは12インチ)を装着、、Frサスにはスタビライザーも装備、スカイラインGT-Rのように走りに徹しラジオすら装備されないスパルタンなモデルで後年の“ボーイズレーサー”の元祖的?なスーパーFFマシンでした。

↓オバフェンで武装した“男”のモデルであるX-1・R(73yPE10型)



(73/4)
パブリカ、シャーシはKP30/31を流用しながら全くの新設計ボディを載せたクーペモデルの『パブリカ・スターレット』を発売します。
ベースは当然ながらパブリカでありネーミングにもそれが入っていますがJアーロデザインの美しいボディは「よくこの大きさでこれだけの見事なスタイリングが表せるな~」が率直な感想、ロングノーズショートデッキというお約束の日本人好みはしっかり押さえ低く長く幅広感も実現、サイズは全長3790全幅1530全高1315(mm)となりベースのパブリカより長く、低く、幅広くを実践しチェリーの“背むし”的ズングリではなく至って流麗で素直に「カッコイイ」と思えるデザインは個人的には大好物でした!

↓小さいボディながら見事なクーペスタイルを実現した『パブリカ・スターレット 73y前期1200ST KP47型)



スターレットのデザイン上での最大のポイントは台形をモチーフした前後のサイドウィンドゥとその間に挟まる骨太のセンターピラー、当時、HT全盛だった時期にあえてセンターピラーを目立たせるデザインはそれまでの国産車にはない斬新さがあり先端、後端で切れあがるウィンドゥラインとの相性も良く今でも秀逸なデザインに思います。
尚、スターレットも搭載エンジンはパブリカと同一で2Kの1000、3K/3K-Bの1200をラインナップ、型式を1000がKP45、1200をKP47としています。
バリェーションはセリカで好評のフルチョイスシステムを簡略化したフリーチョイスシステムを採用、外装XT、ST、SRを内装D、L、G、Rとインテリア5種、エンジン3種(2K/3K/3K-B)、ミッション2種(4MT/5MT)を組み合わせると言う内容。

スターレットはインパネデザインも非常にスポーティかつ斬新で視認系を上部、操作系を下部にまちめる2段式インパネですが横方向に狭いスペースながら流行りの連メーターやドライバー側に湾曲するフライトコクピットも採用、このため空調S/Wやラジオ配置に工夫が凝らされこれらが独特な縦型配置とされていたのも話題となりました。
確かにこのスターレットも何度か乗りましたが横方向の狭さはけっこうきつくおまけに車高が低いのでパブリカではさほど感じませんでしたが標準体型?のワタシでも窮屈感は結構ありました。
この横方向のないサイズであれだけカッコ良くスポーティなデザインのインパネは工夫の賜物でこの辺はやはりトヨタ!うまいですよねー。

↓ラジオ/空調SWを縦配列としたスターレットのインパネ(画像は後期型のモノ)


(73/10)
パブリカ、MCにより後・中期型となりスターレットには4ドアセダンを追加します。
永らく2ドアモデルで頑張ってきたパブリカシリーズも時代の要請からライバル・チェリーの4ドアの存在も無視できなくなりココでクーペモデルだったスターレットを4ドア化して発売しました!
4ドアなってもオリジナルの鋭角的な流麗さは失われずさりとてフルファストバックのクーペを目立たない程度にセミファストバック化し視界や後席居住性も配慮し全高をクーペ比で+2cmとしていました。

↓永らく4ドア不在のシリーズに遅まきながら誕生したスターレット4ドアセダン(73y 1200DX KP47)


スターレット4ドアはエンブレムには“パブリカ”が残るもメーカー広報では一切その名前は飾られず『トヨタ・スターレット』とされており丁度、コロナ→コロナマークⅡ→マークⅡになったのと同様、スターレットの独立を予見させるモノだったと思います。この時から従来のパブリカ・スターレットも『スターレット・クーペ』と呼び方を変えてきています。
スターレット4ドア発売によりパブリカは車種編成をMCと行い後・中期型になります。
MCはファミリーシリーズのFr/Rrのデザイン変更ですがヤングシリーズ(このファミリー/ヤングの呼び方自体が廃止)はSTのみを残しSとSRはスターレット・クーペに吸収されます。
残るSTも派手な装飾は控えめとなりスポ系のスターレット移設を認識させるものでした。
尚、MCにより安全対策が施されています。

この時点でのグレード編成は下記の通り
【パブリカ】
1000STD
1000DX
1000HI-DX
1200XL
1200ST
【スターレット4ドア】
1000DX
1000HI-DX
1200HI-DX
1200XL
1200ST
【スターレットクーペ】
1000XT
1200XT
1200ST
1200SR

↓73/10~の後・中期型パブリカ(1000DX KP30)


尚、スターレットはクーペ、セダンともにパブリカ同様にダイハツに『コンソルテクーペ/コンソルテ4ド』としてOEM供給されています。

(73/10)
チェリー、初代としては最後のMCが行われ後期型となります。
MCは約束通りのFr/Rrの変更、セダンは前回MCで比較的大幅なデザイン変更をしているのででデザイン上は小変更程度、クーペは前回小変更でしたので大幅なデザイン変更が行われています。
セダン/クーペとも中身は安全対策が強化!

↓Frバンパーにスモールを独立させた程度の変更だったセダン(73y後期1200GL)


↓クーペは大柄なグリルデザインとなりより迫力強化!(73y後期X-1・R)


↓強い個性のクーペのテールランプは円周上にギザギザまつ毛が・・・


チェリーはこのMCで最終型となり翌74/9、次期型である『チェリーF-Ⅱ(F10型)』がデビューします。

↓74/9、FMCでグレードUPした2代目F10型チェリーF-Ⅱ


しかしF-Ⅱはサイズアップが行われエンジンも1200/1400のラインナップ、FF/FRの違いだけでサニークラスに格上げとなった事から従来型チェリーは1000ccの存在が重要視され日産のボトムとして74年末まで生産、75年にも500台強の販売実績を残しています。
正式には74年いっぱいの廃版ですのでパブリカ/スターレットとのガチンコ関係はここで終わりますね、F-Ⅱは格上げによりトヨタではカローラがライバルという事になります。

【ライバル不在の?パブリカ/スターレット】

F-Ⅱ=カローラがライバル、と記述しましたが当時、実際にはサニーvsカローラの闘いの場にF-Ⅱが加わるのは稀で車格UPでも実際はスターレットとガチンコになるケースが多かったようです。
この時期既にパブリカは商品寿命を終え一部営業用などに使用されるのが殆どでありファミリー&スポーツユースはスターレットとF-Ⅱで競存のカタチはこのブログの趣旨には外れますが実際には多々見受けられました(*_*;

パブリカとスターレットはその後、50/51年の排ガス規制にお家の事情で手間取りFMCの機会を逸し最終的には78/2まで生産される長寿モデルとなります。
チェリーが上級クラスに移行した事により真の意味ではライバル不在となります、強いて言えばOEMのコンソルテが唯一のライバルという皮肉な結果に(+o+)

まぁ、流れなのでパブリカ/スターレットの改歴、ついでに記載します。
(76/2)
パブリカは後・後期型へ、スターレットは後期型にMCしています。
このMCで1200の3KエンジンをTTC-C(触媒方式)により51年規制適合化、対策エンジンは3K-U型となり未対策3Kより4psダウンの64psとなるがそのドラバビリティはこのFCブログでも事ある度に書いてますが最悪の一言・・・
上級車のように車重がまだないだけ我慢できる範囲ながら未対策の元気さと比較すると同じいでたちながらこれほどまで!とショックですらありましたね~・・・

↓後期型スターレットクーペ(76y1200ST)



MCそのものはパブリカ/スターレットともに小変更でグリルデザインを改め各装飾類の意匠変更及びワイパー&ライトS/Wをマルチユースレバーとしています。
搭載エンジンに関しては1Lの2Kとツインキャブの3K-Bはこの時点で規制適合不可により廃止、パブリカはともかくスポーツ色の濃かったスターレットでは大きな痛手となっています。
パブリカはSTそのものを廃止しますがスターレットは外見だけのスポーツに成下がったST/SRをより豪華に味付けしお茶を濁していましたがスターレットの存在価値はここで大きく低下、人気もモデル末期ということまおありDOWN!!の一途でしたねー、尚、型式を排ガス規制適合に併せてパブリカ/スターレットを共通化、B-KP51型となっています。

↓TTC-Cにより51年規制適合となった3K-U型エンジン


(76/5)
パブリカに5MTを設定、これは排ガス対策による燃費悪化を回避する為の施策。

(76/9)
パブリカ、スターレット共にAT(3速)を設定、パブリカではトヨグライド以来の復活、スターレットでは初搭載でした。

(77/1)
両車小変更で最終モデルとなります。(変更内容は装飾品意匠変更等)

(78/2)
パブリカとスターレットを統合し新コンセプトであるハッチバックボディを採用した『トヨタ1300スターレット』に後を託しパブリカは30となって8年、スターレットは通常スパンの4年で生廃となりました。

↓78/2、パブリカ+スターレット=トヨタ1300スターレットにFMC!


以上がチェリー移行後のパブリカ/スターレットの生涯でした!

尚、最後に来て触れない訳にはいかないのがこの2車がレースシーンでも重要な役割を果たした事です!

【レースでの活躍】
パブリカ・スターレットとチェリーはこの時期隆盛を誇ったレースシーンでも活躍、少しそこにも触れなければチェリーファン、パブリカファンにも叱られますので(汗)

(チェリー)
72/4、 レース・ド・ニッポンに新設定されたばかりのクーペが参戦、富士グラチャン他、国内レースにも日産ワークスとして積極的に参戦しました。

↓72y富士グラチャン300マイルで優勝したチェリークーペレーシングモデル


この他ラリーでも活躍、目立った戦績はないものの76yのアクロポリスラリーにプライベーターにより参戦も果たしています。

(パブリカ/スターレット)
パブリカは先代のUP20時代から日本GP等で活躍していましたがスターレットを含めレースをはじめ、ラリー、ジムカーナ、ダート等広く用いられ中でも有名なのが富士スピードウェイでのマイナーツーリングレース!
日産のB110型TSサニーとTSスターレットのバトルは当時~後年のレースファンにも語り継がれる名勝負を繰り広げました。
トヨタのチューニング部門であるTRDからもスターレットは各種の競技用部品も市販され一時は市販スターレットををワークス風に改造するの流行り若者だけででなくその方面(暴走族)にも注目を浴びたりしました。

↓TSサニーと数々のバトル、名シーンを創ったTSスターレット


スターレット=レースのイメージは後年も引き継がれ日本初のワンメイクレース、81年から「スターレットカップ」シリーズが開催されたり00年の「ネッツカップ ヴィッツレース」もKP47時代に植えつけられたレージングイメージを継承したものでした。
素直な挙動やリーズナブルな車輛価格からビギナーにもベテランにも楽しめるレース、ベース車輛としてスターレット~ヴィッツは人気が高かったですね。

70年代初期、ハイパワーブームで国産車市場が活気ついていたイイ時代に庶民の足を支えながら様々なユーザーの希望をも出来る限り受け入れた2大メーカーのパブリカ(スターレット)とチェリー、その販売台数的ガチンコでは・・・
チェリーが70~75yまでで約23万台
パブリカ/スターレット連合で同期間のみ34万台オーバーという結果で圧倒的大差でパブリカ/スターレットの勝利ですね!

ただ、本文でも記載した通りオーソドックスで悪く言えば金のかかってない、カローラミニそのもののパブリカやスターレット、一方サニーとは全く違う社内初のFFにはタップリ金をかけ旧プリンス陣の才能も活用し開発されたチェリー、時期早尚のきらいはありましたが世が世ならばもっと高評価をされるクルマだったと思います。
クルマそのものの出来栄えはあくまで凝った造り、先進性ではチェリーに軍配が上がりますが“エントリーカー”“大衆車”としての観点では誰でも気軽に、普通に乗れるパブリカ(スターレット)に分があるように思います。
依ってこのガチンコ対決、どちらにも存在意義はありドローって感じでしょうか!?
後は読んで下さった皆様のそれぞれの判断にお任せします(*^^)v


燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!”パブリカ・スターレットvsチェリー…完
Posted at 2017/08/16 16:57:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | ライバル | クルマ
2012年08月12日 イイね!

保存版・燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝…パブリカvsチェリー(前編)

保存版・燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝…パブリカvsチェリー(前編) 燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!
今回は東西の横綱対決となる『2代目トヨタパブリカ(U/KP30系)及びパブリカスターレット(KP40系)VS初代日産日産チェリー(PE/E10型)をガチンコさせてみたいと思います!

さて、『パブリカ』と言えば後のトヨタ大看板車種である『カローラ』デビュー以前の60年代、クラウン~コロナ~パブリカというトヨタの車種編成の底辺を支え当時、軽自動車からのステップアップユーザーをダイハツコンパーノ、三菱500~コルト600、マツダファミリアと競いながら吸収する大役を担っていました。
65~66年に日産サニーとトヨタカローラによって火を付けられた“1Lマイカーブーム(この時の相次ぐ1L~の新型車発売により1965年を「マイカー元年」と言います)”以前、軽の360cc以上は500~800ccが軽卒業ユーザーの受け皿、これはご承知のようにマイカー普及を政府が推進、1955年に時の通産省で立案/想定された『国民車構想』に基づき各社か自社なりの受け止め方、提案による商品化を行い製品化していました(国民車構想についてはwiki等をご覧ください!)
トヨタのこの『国民車構想』の回答がそのネーミング(パブリカ=パブリック=庶民、国民)を表すように『パブリカ』と名付けされ61年にコロナやクラウン、ブルやセドリックのような当時の最大の顧客層である営業向け(タクハイ他)にはなり得ない完全ファミリーユース向けとして登場しました。

↓61yに“国民車構想”の回答としてデビューした初代UP10型パブリカ


デビュー時は決してパブリカは商業的には成功ではなく質素すぎるそのいでたちが大きな要因で敬遠されてしまいました、『この出来栄えなら従来の軽で充分』と言ったところでしょうか?
それでも700ccを積む一応の?普通車ですから軽と大差ない価格(38.9万円…軽自動車が30~38万円位の時代)で倍の排気量による余裕とワンサイズ大きなボディによる室内空間は魅力的でしたが時は高度成長期の真っ只中、少しでも“豪華”を希望するユーザー層にはただ維持費が上がるだけで大して外観や装備に満足いかないといった評価になりデビュー後は泣かず飛ばずの状況でした。
トヨタとしては新たに専売店の『トヨタパブリカ店』(現カローラ店)まで立ちあげ気合を入れたモデルであっただけに市場の反応に戸惑う場面も多かったようです…。

余談ですがこの初代UP10パブリカはワタクシの家でのマイカー第3号車!
初めてのクルマが親類の裕福な伯父からのお下がりだったDATSUN210、そしてやはりお下がりのブルーバード310…
ようやく自己資金で車を買えるようになった亡き親父が初めて自分でチョイスした車でして僅かな記憶ながら親父が慈しんでたのを憶えています。
真冬は空冷エンジンがなかなかかからずクランク棒を突っ込んで『どっこらしょ』と廻しようやくかかると辺り一面の白煙とすさまじい“パパパパーン”という排気音^^;
いやー、懐かしい思い出が蘇ります、今じゃ許されない車ですよネ(笑)

さて、そんなパブリカですがトヨタは料理に例えれば「食材や味は問題ない、後は盛り付けだ!」といった感じで質素過ぎると言う意見を取り入れDXモデルを追加したりオープンモデル(コンバーチブル)も設定、65年のMCでは大幅改良のUP20をデビューさせどんどん豪華/スポーティにも変身、これにつれて販売、人気もうなぎ昇りとなり66年のカローラデビュー→大成功の下地をUP10→UP20で学びながら造っていった形になりました。
UP20となりキャッチコピーを『1000ドルカー』として大々的にセールス、基本モデルが約36万円でこれは当時の為替レートが1$=360円だった事から割安感を強調したものでした。

サニーやカローラのデビュー後はトヨタのボトム、普通車エントリーカーとして1000ccのサニーに対する“プラス100ccの余裕”と言ったキャッチコピーが有名な1100ccのカローラと700→800ccにスケールアップしたこのパブリカ800でサニーを挟み撃ちする作戦を取り有名な“CS戦争”の一役を担っておりました。
現軽自動車ユーザーの『カローラでは大き過ぎるけど軽はもう嫌!』という心理を付いたこの作戦は大成功しカローラで取りこぼしてもサニーには渡さずパブリカで吸収する!という手法はその後のトヨタ常套手段となっていますね。

そんなパブリカも69/4、デビューより8年を得て絶好調カローラの拡販、改良に躍起だったトヨタにようやく余裕が出てきたところでFMCが行われようやく2代目となる『UP/KP30系パブリカ』がデビューしました!

↓69/4、8年ぶりに一新された『2代目パブリカUP/KP30系(前・前期型)』


尚、今回の『燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!…3』ではこの2代目パブリカ/パブリカ・スターレットvs初代チェリーを題材としますがその根拠を先に述べさせて頂きますネ(^.^)/

①初代UP10/20時代はチェリーに相当するモデルは日産には存在しない。
②2代目パブリカに対抗、パブリカから1年半遅れながらライバルとして初代E10チェリーを日産がサニーの格下(つまりはカローラの格下=パブリカ)として発売。
③71年チェリークーペ追加後、73年にパブリカのクーペ/4ドアモデルの『パブリカ・スターレット』が追加された為これもチェリーのライバルとして記述。
④74/9以降の2代目チェリー(F10型チェリーF-Ⅱ)はFRとFFの違いだけのサニー同ランク車に格上げ(サイズや搭載エンジン)されパブリカのライバルからは離れていると判断。

以上のGure的根拠から69/4のUP/KP30パブリカ、70/10のPE/E10チェリー、73/4のKP40系パブリカ・スターレットをガチンコライバルとして認定、74/9にチェリーF-Ⅱデビュー以後もパブリカ/スターレットは30/40→50系に型式変更がなされるも継続生産されますがこの時を境に再び日産にはライバル不在となりますのでガチンコ期間は70/10~74/12の約4年強の間となりますm(__)m

さてさて、かな~~り前置きが長くなりましたが『燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!…3』、本題に入ります!

【2代目ガッツ!パブリカ登場!!】
永らくトヨタのボトム、そしてカローラ発売以降は悪く言えばカローラの下請け?的存在で8年間生きた初代パブリカは予想を超えたカローラの好調さでパブリカまで手が廻らないトヨタ、UP20以降ほぼ放置に近かったパブリカですがカローラの拡販に一段落ついた69/4にようやく全面改良し発売しました!

2代目では50~60年代初期の設計だった初代と較べ当然ながら70年代のより現代基準に合わせた改良が施され“カローラの下請け”的立場は同様ながらよりモータリゼーションの進展による自家用車の保有台数の増加ににも対応、初代が「国民車」という位置付けから「若者が最初に購入する車=エントリーモデル」の色彩を鮮明にしたのが大きな特徴でした。
このためCMキャラには若手二枚目俳優で人気だった石坂浩二氏を起用しコピーも若々しさを強調する『ガッツ!パブリカ!』『カモシカ・パブリカ(=ハイウェイ時代を象徴し脚の速い“カモシカ”をイメージ)』と謳われそれまでの大衆車然としたイメージを一新しようと躍起になっていた様子、この時代は正にハイパワー競争真っ只中で1psでも高い出力のクルマ、少しでも流麗でスポーティなクルマが良しとされていた時期でしたので本来ならスポーティ度合いはあまり関係ないエントリーカーや大衆車、軽自動車にまでそのブームは浸透、パブリカもこの時流に乗るモノでした。

↓『ガッツ』『カモシカ』とスポーツ度合いと若々しさを強調する2代目パブリカ(69y1000DX KP30型)


↓1000に搭載されたカローラでお馴染K型OHVエンジン(2K型=カローラK型のデチューン)


2代目パブリカは先代での大きな特徴だった空冷800ccエンジンは継承しますがこれを廉価版としメインはカローラの水冷K型OHV1100ccをデチューンした2K型1Lを搭載、スポーティモデルの最高グレード『SL』にはカローラSL同様のK-B型1100ccツインキャブを搭載しメイン、SL共にコピーだけではなく1サイズ上の性能が与えられました。
サイズはまだまだ車格にによる寸法の序列が厳しい時代ですから当然カローラより小さくトヨタ最少ですが70年代先端を行く現代的なスクエアなデザイン、三角窓を廃しプレーンでスパッとしたノッチバック2ドアセダンとなって
います。
尚、コマーシャルカーとして先代から継承した4ナンバーのバンとピックアップも新型でラインナップ、ピックは本流セダン=パブリカ廃止後も永年造られピックは同趣向のサニトラ同様にマニアには非常に高い人気を示していました。ピックは78/2にパブリカそのものが後続のKP61スターレットに譲って廃止後、10年間も継続され88yまで現役という長寿を誇ったのは有名ですね!

↓廉価版として先代からの空冷2U型エンジンを搭載したパブリカ800DX(69y UP30)


↓カローラを100ccデチューンした水冷2K型を搭載する普及モデルの1000DX(69y KP30)


↓ソフトパッド等安全対策&豪華になった30系のインパネ(69y1000DX)


尚、2代目パブリカはトヨタとダイハツの業務提携によりダイハツの『コンパーノ・ベルリーナ』代替わりである『コンソルテベルリーナ』としてダイハツに供給、今で言う“OEM"ってヤツですが実際にはトヨタ傘下に入ったダイハツの工場でコンソルテは勿論、パブリカや後年のスターレットも造られていました。

↓2代目パブリカの“OEM"モデルである『ダイハツコンソルテ・ベルリーナ』(69yEP30型)


このようにFMCで順調に人気/販売UPを進捗させるパブリカですが一方のライバルメ-カー、日産は対カローラでは善戦しながらもこのクラス、サニー一本では苦しく本来、サニーの顧客である層をパブリカ流出という事態が少なからず見受けられこれに歯止めをかけるため元々は合併前のプリンスがグロリア/スカイラインの下級車種として開発していた小型車をこのパブリカにぶつけるべく70/10に新型車をデビューさせ“打倒!パブリカ”を打ち出します!!

【日産初のFFモデル!初代チェリー登場!!】
70/10、満を辞して発売された日産の新星小型車は『チェリー』(PE10型=1200 E10型=1000)と名付けられデビューします。販売店も『日産チェリー店(後のパルサー店を経て現在はサティオ店に吸収)』を新設する気合の入れようでした。

ターゲットは軽自動車からのステップアップユーザーや初のマイカー購入を検討する若者層としておりモロに2代目パブリカに被せに行ったモノ。
この分野では長い歴史と知名度のあるパブリカを駆墜するには並のモデルでは不可と判断した日産、チェリーに最大の特徴である先進的な“横置きエンジン+FF駆動”方式を採用しパブリカとの違いを大きくセールスポイントとしていました。
従来のサニー(B10/110)のパーツを巧みに使用しながらまだ日本では珍しいFF方式を採用したのはさすが当時言われていた『技術の日産、販売のトヨタ』を象徴するものでそれまでFFを日本で採用していたのはスペースに制約が厳しい軽自動車(スズキスズライト、同フロンテ、ホンダN360…70年当時はスズキ勢はRRに転換)と普通車では富士重のスバル1000、その発展型のff-1/1300G位なもの。
欧州では当たり前だったこの機構で小型車には特に有効なFFながら欧米文化から入った日本のモータリゼーションではFRが日本人が日本語を喋る位に当たり前の事であり日本人がロシア語やスペイン語?を喋る位珍しかったFFはまだまだ色眼鏡的に見られる事が多くまだ在野的でマイナーメーカーだった富士重やホンダ技研とは違い当時でも横綱級のメジャーな日産がFFを発売したのは大きな驚きでワタクシも子供心に正直チェリーは奇異に映ったモノです。

↓“日産初のFF”として鳴り物入りでデビューした初代E10型チェリー(70y前期型2ドア1200X-1)


チェリーはその先進的指向を示すようにスタイリングも未来的な“カプセルシェイブ”、全体的に丸味帯びた優しいラインで構成されるデザインでサイドウインドゥは『オリエンタルアイ』と名付けられた特徴的な逆三角に近い形状、ファストバックのRrデザインと合わせてクォーターピラーは正三角の富士山をモチーフ、丸味美ながらもウェッジを適宣効かせてスポーティさも表現、非常に個性の強く好き嫌いが分かれるデザインでしたがこの初代チェリーのデザイン、よほど日産は自信があったらしく後のブルーバードU(610)、ケンメリスカイライン(C110)、バイオレット(710)、サニー(B210)やセドグロ(330)、シルビア(S10)等、看板車種含めて次々採用、このデザインはスポーティではあるものの後方/側方視界が著しく奪われバック時には運転に支障が出るほど乗り辛いもので一連のこのデザインで評価を得られたのはケンメリ位、先記の採用車種も次期型では全て改められるという結果に終わっています。
ワタシもチェリーは勿論、上記日産車は数多く乗りましたが穴蔵に入ったような閉塞感、狭い道で譲る場合のバックは涙モノで常にアゴを突き出して運転していたような?印象が残っていますね~…

横置きに搭載されるエンジンは今では名機!と呼ばれるA型エンジン!
B10サニーでお馴染のA10型と70yのFMC後、B110サニーに搭載されていたA12型をFF横置きに改良して搭載、古い歴史を持つ英国BMC・ミニをお手本にしこれと同様にシリンダーブロックの真下にトランスミッションを置く二階建て方式のパワートレインとされていました。

パブリカが古典的な縦置きFR、脚廻りもFrストラット/Rrリーフリジットというレイアウトに対しチェリーはFF化の利点を生かしFrストラットの独立、Rrにデフが存在しない分、高度な追従性と快適な乗り心地を実現するトレーリングアームの独立式を採用、まだまだ上級FR車がRr固定だったのに対しエントリーカーながら贅沢な脚廻りが与えられパブリカに大差を付けています。

↓高度な“4輪独立”を最大にアピールするチェリーの脚廻りイラスト図


↓OHVとは思えない軽快な吹けが“名機”の所以であるサニーB10/110でお馴染のA型エンジン
(㊤A10㊦A12ツインキャブ)



チェリーはハード面だけではなくソフト面でもパブリカをリード、パブリカが2ドアモデルだけの設定に対して4ドアモデルもラインナップされよりファミリーユース需要に気を配った車種編成を採っていました。

↓ライバルに差を付ける4ドアモデルもラインナップ!(70y 4ドア1200X-1)



インパネ、室内装飾などは70/1に発売され好評を得ていたB110型サニーを基本にしサニー同様に内臓型の丸型連メーターを採用、ソフトパッドを多用してよりスポーティかつ高級なデザインとされ上級車並に大型のセンターコンソロール(上級グレード)等の装備も施されています。

↓好評B110サニーを基本としたチェリーのインパネ(1200X-1)


一方のパブリカもチェリー迎撃態勢!まずはチェリーデビュー前の69/9、最高グレードの1100SLをカローラが1100→1200にグレードアップし1200SL(3K-B搭載)に変更、同時にパブリカも1200SLとなります。
この時、先代には設定されていたトヨグライド(セミAT)が1000DXに復活、70/4にSLのインパネのみ全面改良、新デザインのインパネは60年代的テイストを廃しソフトパッドを多用しスポーティかつ豪華な造形を採用、勿論インパネ内臓連メーターや上級グレードには大型センターコンソロールも装備、60年代テイストだった従来型を一気に豪華&スポーティに変更し70年代に相応しい見かけも機能性も現代的となりまるで別の車のように変貌しました!

70/9、チェリー発売の直前にMCを行い2代目前・後期型となっています。
外観はお約束のフェイスリフトとと若干のRr廻りのデザイン変更ですがインパネは先のSLに準じて全車全面改良が施されました。
新デザインのFrグリルは普及グレードとスポーティグレードではリ・デザインがなされどちらも彫が深く高級感、スポーツ感をより強調するモノとなっています。
このMCで新グレードとなる豪華版1200HI-DX(ハイデラックス)を追加、エンジンはSLの3K-Bツインキャブ→シングルキャブにデチューンした3K型を搭載、これもカローラ1200からのキャリーオーバーとなっています。

↓MCで高級感をプラスした70/10~の2代目前・後期型パブリカ


↓全面改良されたインパネ


パブリカvsチェリー、正確にはこのパブリカ前・後期モデルからがチェリーとの競存期間となりますのでさんざん書いてきましたがガチンコはココから始まりますネ^_^;

それでは両車の諸元比較から入ります!!

[パブリカ(2代目前・後期型70/9~)]

(バリエーション)
800STD/DX
1000DX
1200HI-DX/SL
(ボディバリェーション)
2ドアセダン、2ドアバン、ピックアップ
(型式)
トヨタUP30(800)同KP30(1000)同KP31(1200)バン、ピックはUP/KP36、37と呼称
(サイズ)
全長3645mm全幅1450mm全高1380mm
(ホイールベース)
2160mm
【車重】
660~690kg
(搭載エンジン)
2U-C型 800cc 空冷2気筒 OHV シングルキャブ 40ps/6.8kgm
2K型   1000cc 水冷直4 OHV シングルキャブ 58ps/7.9kgm
3K型   1200cc 水冷直4 OHV シングルキャブ 68ps/9.5kgm
3K-B型 1200CC 水冷直4 OHV ツインキャブ 77ps/9.6kgm
(ミッション)
4速MT/2速トヨグライド
(脚廻り)
Frストラット/Rrリーフリジット
(駆動方式)
縦置きFR
(価格)
800STD 365,000円
800DX 395,000円
1000DX 445,000円
1200HI-DX 475,000円
1200SL 495,000円
※4MTの価格


[チェリー(初代70/10~)]

(バリエーション)
1000STD/セミDX/DX/GL
1200X-1
※全種2/4ドアをラインナップ
(ボディバリェーション)
2ドアセダン、4ドアセダン
(型式)
日産E10型(1000)同PE10型(1200)
(サイズ)
全長3610mm全幅1470mm全高1375~1380mm
(ホイールベース)
2335mm
(車重)
610~655kg
(搭載エンジン)
A10型 1000cc 水冷直4 OHV シングルキャブ 58ps/8kgm
A12型 1200cc 水冷直4 OHV ツインキャブ 80ps/9.8kgm
(ミッション)
4速MT
(脚廻り)
Frストラット/トレーリングアーム
(駆動方式)
横置きFF
(価格)
1000STD 410,000円
1000セミDX 415,000円
1000DX   460,000円
1000GL   500,000円 
1200X-1   545,000円
※2ドアの価格、4ドアは35,000~40,000円UP。

以上をご覧頂ければお分かりの通りエンジン搭載/駆動方式とチェリー4ドアモデルの存在を除いて両車、ガッツリ四つに組むといった感じでサイズ的にも両車それぞれの兄貴分であるカローラとサニーより若干小さく秩序を守っています。
パブリカがチェリーより若干長いながら幅はチェリーが若干広い、ホイールベースは全長が短いチェリーがパブリカより+175mmも大きくFFらしく室内長さ、足元空間でパブリカに差をつけていました。

パブリカもチェリーもかつてドライブ経験はふんだんにありますがこう正反対(FFとFR)ですと甲乙は付けられません、あくまで個人的な好みの問題となりますね…
その意味で言えば我々世代ではオーソドックスなFR方式のパブリカが慣れている分挙動は素直、FF創世記と2F階建てパワートレーンのお陰でFrヘビー感が強くFF挙動の感性が慣れないチェリーは異端の感じではありましたが良く言えば素直なパブリカ、カローラと何ら変わりないドライバビリティでおもしろくもおかしくもないカローラの“70点主義”をそのまま受け継ぐものでした。
ダルなハンドリングとやや頼りないサスもそのまま、唯一カローラと同じパワーユニットながら軽量なパブリカに俊敏さをより強く感じた点でしょうか。
600kg台の軽量ボディのパブリカですからカローラですら必要充分なドライバビリティでしたのでパブリカは1000ccでも何のストレスも感じずイキイキと走れたモノでした(但し空冷800ccはバンで経験ありますが明らかにオーバーウェイト、1200トヨグライドもまだ未完成?のATでしたので同じエンジンか?と思う程ダルかったです。)
一方のチェリーは2F建てのお陰で左右同サイズのDシャフトの恩恵もあり意外にFFの悪癖であるアクセルの踏み込みと同時にハンドルを取られるトルクステアはそれほど気にならずこれがアリアリだったホンダやスバルに較べ素直に近いモノ、しかしFrヘビーのためハンドルは高度なラック&ピニオンながら異様に重くコーナリングも結構強いアンダー特性だったのを記憶しています。
ドラポジも軽自動車のようにホイールハウスが出っ張り座る位置と足先が中央にOFFセットされており慣れるまではペダルの踏み間違いに注意を要しました。
エンジンは定評あるパワフルなA型!1000でも充分に力強く1200ツインキャブに至ってはやはり600kg台の軽量さも加わり充分以上の速さがありFFの癖をねじ伏せる実力があれば上級のブルSSSやスカイラインGTですらカモれる実力があったと思います。
エンジンそのものがライバル名機とされたK型とA型ですがあくまでノーマルの状態でしたらそのパワフル感はA型に軍配アリ!とワタシは感じます。
もちろんK型もOHVの割にはよく廻り軽快で燃費もいい素晴らしいエンジンですがA型はそれを上まわる“名機の中の名機”とても言えばいいのでしょうか…。

FFのため高速安定性も高く直進するだけならかなり安心感のあるモノでしたがブレーキがこの時期の日産特有の“カックンブレーキ”のためこれも慣れるまでは怖くて強くは踏めない感じでした。

このようにFF玄人になればかなり楽しく走れるチェリー=一部は100点に近くともある部分は20点…
そして今までさんざん慣れ親しんだFRで何ら緊張する事無く適度なパワー感と適度で素直なハンドリングとブレーキのパブリカ=ALL70点…
やはり“甲乙”の判定はできないと思います(汗)

’後編に続く)
Posted at 2017/08/16 16:55:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | ライバル | クルマ

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