![想井遣造の旅日記「クリスマスイブの別れ」-◎◎ー 想井遣造の旅日記「クリスマスイブの別れ」-◎◎ー](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/024/927/355/24927355/p1m.jpg?ct=1cb7980b9516)
東京。人の喜びも哀しみも、全てを飲み込んでしまう巨大都市。数え切れないほどの人生ドラマを抱えこんでいる季節のない街、東京。
想井遣造(おもい やりぞう)は山の手線の車窓から、そんな街を見つめていた。
彼は何度もこの巨大都市を訪れ、そして一時は暮らしたこともあった。
しかし、好きにはなれなかった。だが、そんな彼の感覚とは関係なく、人々はこの大都会で様々な人生模様を繰り広げていた。
そして、数限りなく繰り返される出会いと別れも。それが例えクリスマスイブであっても。
想井遣造は、午後3時東京発博多行きの新幹線に乗り込んだ。指定座席は彼の思いとは裏腹に、通路側の座席だった。
しかし、そのことが一つのドラマをみつめることとなったのである。
彼の前の座席にはロングヘア-の若い女性が座っていた。その女性の座席から通路をはさんだ横の座席、つまり、想井遣造の斜め前の座席に一人の青年が首をうなだれて座っていた。
発車の時間まではまだ少しあり、本を開ける気にもならなかった想井は、なんとなくその二人をみつめていた。
「恋人同志…? それにしてはなんか変だ。全く関係ないのかな…。」
想井は心の中でつぶやいた。確かに恋人同志にしては会話が全くなかった。
しかし、女の方はときおり男の方に目をやっている。だが、男は黙ってうつむいたままだ。
車内アナウンスが始まり、列車の発車がまもなくであるということを告げていた。
想井遣造は二人から視線を反らし、そのアナウンスを聞いていた。彼が視線を戻すと、想井の前に座っていた女性がいつのまにか消えていた。
青年が座っている座席の窓側の座席はまだ空席だった。その車窓の向こうに、想井の前に座っていた女性が現れ、依然、うつむいて座っている男を、複雑な表情でホ-ムからみつめていたのだった。 ここに来て想井は、ようやくこの若い男と女が「恋人同志だった」ということを感じたのだった。
女の淋しそうな、それでいてけじめをつけようとする視線。
笑って送ろうとするが、男の態度に笑うことが出来ない口元…。
ホ-ムから車内をみつめる女の表情は本当に複雑なものだった。
そして、かたくなに顔をあげようとしない男…。
想井には、その二人の気持が痛いほど伝わってきた。だがどうすることも出来ない。今の彼はただの傍観者でしかないのだ。
そして、刻々と別れの時間が迫ってきた。
もう止めることも、戻す事も出来ない別れの時間(とき)が・・・。
発車のベルが鳴る。女は自分自身どうしたらいいか判らない表情を浮かべ、男をみつめ続けた。
その女の視線を感じているはずなのに、それでも男は顔をあげようとはしなかった。
列車がゆっくりと、その恐ろしく長い巨体を動かし始めた。
女の瞳が悲しみに覆われた。そして二歩、三歩と歩を進め、少しでも彼をみつめようとした。
しかし、そんな女の気持ちを無視するかのように、最初の一瞬だけゆっくりと動きだした列車は、スピ-ドをぐんとあげた。
「おまえ、それでいいのか!」
想井が心の中でそう叫んだ時だった。
女の姿が車窓から消える瞬間に、男は立ち上がり、振り向いて女の姿を追った。
時間にして1秒、いや、0.5秒もなかったかも知れない。
男と女はみつめあえたのだろうか…。
男が再びうつむいたとき、列車はすでにホ-ムを遠く離れ、銀座の街がこの男の心とは関係なく華やかさを見せて去っていくところだった。
ほんの、ほんの僅かな一瞬の見つめあいは、はたして出来たのだろうか。
想井には知る術もなかった。
間違いなく別れを告げられたであろう男の後姿をみつめながら、この青年にとって心がもがき苦しむ、つらく長い旅が今始まったのだと想井は思った。
心かき乱され、眠ることも出来ない日々の始まりを、今まさに目の前で見てしまったのだった。それもよりによってクリスマスイブの日に・・・
この出来事は、想井の心の奥にしまわれていたはずのつらい出来事を思い出させてしまった。
その出来事が起こったのもこの東京駅だった。
もう、十数年前のことだ。想井が大学時代につきあってそしてふられた女性と、偶然にも東京駅の、それも同じ列車の同じ車両で出会ったのは。
偶然の見事さを想井が深く感じるようになったのはこの時からだろうか。しかし、この時の偶然の奇跡は想井にとって過酷なものとなった。
何故ならば、出会った女性は、想井にとっては、あまりにもつらい思い出の人だったからだ。
悪戯な天使は、よりによって、その彼女の座席を想井の前の座席にしてしまったのだ。
それも男性とカップルで…。
彼女が京都で降りるまでの時間、想井はただただ、じっと窓の外を見つめるだけだった。
やがて想井と彼女との様々な想い出の地、京都駅のホ-ムに彼女が降りたっても、想井は顔を上げてホ-ムの方を見ることが出来なかった…。
偶然の出会いというものは本当にあるものなのだ。よりによって何故好きだった人の座席が自分の目の前なのか・・・ それも相手はカップルで。
どうして東京に住んではいない二人が、この日この時この時間のこの車両のそれも一列違いの座席になるとは。偶然という言葉を使うにはあまりにも偶然すぎる過酷な出会いだった。
想井遣造の記憶の奥深いところに眠っていた苦い想い出を、掘り起こしてしまうきっかけを作った青年は、窓の外に夕陽を受けて美しく輝く、雪を戴いた富士山の姿が現われても見ようともせず、ただうつむいたままだった。
「いつ見ても、美しい山だ…。」
想井が心の中でそう呟くと同時に、彼の心の中に掘り起こされた古い記憶は、再び過去の世界へと帰っていった。
やがて列車は夕闇の世界へと突入していった。まるで、青年の心の中と同じように…。
想井はその青年の気持ちを察しながらも、この深い悲しみこそが後で大きく生きてくるのだと願いながら目を閉じた。
疲れからか、目を閉じるとすぐに彼は深い眠りへと陥っていった。
巨大都市東京に残ったあの女性は、一体どうしているのだろう。青年と同じように悲しんでいるのだろうか、それともさっぱりとした表情で、買物でも楽しんでいるのだろうか…。
想井が目を覚ますと、列車はいつのまにか名古屋を過ぎ、滋賀県付近を走っているようだった。想井は青年に目をやった。
青年は相変わらずうつむいたままで、彼女から差し入れられていた缶コ-ヒ-を、ときおり飲んでは、そのスチ-ル缶をぐっと、握りしめていた。
想井の心の中に妙にくっきりと、青年の恋人だった女性の姿が焼き付いていた。
この二人の間にあった楽しかった日々、そして別れへひたすら傾き始めた日々。それは、想井の想像の及ばぬところだった。
事実今あるのは、青年は悲しみにつつまれ、そして、多分彼女の方も…。という思いだけだった。
「さっぱりとした、平気な顔で買物でも楽しんでいるのだろうか…。いや、あの女性もきっと今頃は、苦い思いで一杯に違いない。そう思いたい…。」
想井は、心の中でつぶやくと、青年の姿を見つめることを止めた。そして、手元に置きながら読むことのなかった文庫本のペ-ジを開いた。
列車は夜の闇を切り裂くような速さで、様々な思いをいだいた人々を乗せて、想井の自宅がある新大阪に到着した。想井は今回東京から福岡への直行出張のため、大阪で下車することはなかった。そして前の青年も列車に乗り続けていた。
列車は山陽新幹線に入ると一段とスピードをあげ、時速300キロで次々と駅を通過していった。
そして、本を読むこともせず、寝ることもせず、ひたすらうなだれ続けている青年の旅の終わりが近づいてきた。
息つくひまもなく走り続けた巨体が、疲れを感じたかのように速度をゆるめ、終着駅を間近かにしていた。
想井は文庫本を鞄の中にしまいこむと、大きな溜息をついた。
安堵の溜息というよりも、心が重くなって出た溜息に近かった。斜め前に座る青年の姿は、いやがおうでも彼の視線の中に入ってきたからだ。
列車がゆっくりと終着博多のホ-ムに滑りこんでも、青年はなかなか動こうとしなかった。
このまま列車から降りないのではないかと心配になった想井は、この青年を最後まで見つめていこうと思った。
通路には下車しようとする乗客が列を作った。列車が停車する際のわずかな衝撃が青年を我に返えらす役目を果たした。青年はあたふたと荷物をまとめると、列の最後に並んだ。
想井遣造は青年のその後ろについた。
ドアが開き、乗客たちは、押し出されるかのようにホ-ムに降りたっていった。
無為無想な時間だった。青年の座席の網入れには彼女からの差し入れられたコ-ヒ-缶が忘れられていた。
想井には青年の後姿から、この青年が、これから眠ることも出来ない失意の日々を送らなければならないという痛みを感じていた。
思い出すまいと思っても浮かんでくる彼女との想い出を、彼はどのように受け止め、立ち向かっていくのだろうか…。
想井の心の中が重苦しくなった。
そのときだった。
乗客たちが次々と列車から降り、青年もその後に続いてホ-ムに降りようとした途端、青年の足が急に止まった。そのため想井は青年の背中にぶつかってしまった。
「なんだ、どうしたんだ!?」
想井が心の中で声をあげたとき、青年の肩越しに、想井は驚くべき光景を見つけたのだった。
ホ-ムには東京駅で別れたはずの、青年の彼女が、潤んだ瞳で青年を見つめながら立っていたのだ。
青年が想井以上に驚いていることは容易に察知出来たが、想井にしてみても、それは想像すらしなかった驚くべき光景だった。
「こいつ!」
想井は心の中で叫ぶと、動こうとしない青年をホ-ムに押し出した。
押し出された青年は彼女の目の前に立った。
まるで夢でも見ているかのような青年の表情だった。
想井もホ-ムに降りると、少し離れた位置から、やさしく二人を見守った。
彼女が、涙目の上に暖かな笑顔を浮かべて、彼の荷物を持つべく、手を差し出した。
青年はゆっくりと荷物を彼女に渡した。彼女の顔から目を離さずに。
二人の間に会話はなかったが、想井の心の中には彼女の言葉が飛び込んできたのだった。
「あのとき、あなたが振り向いてくれて、私とほんの一瞬に見つめあったとき、やっぱりあなたのことを愛してると強く思ったの。だから、あなたをもう一度信じようと…。」
想井には容易に想像出来た。あの時、東京駅でほんの一瞬見つめあえたことが、この女性の結論を変えたのだと。
おそらく彼女はあのあとすぐ、空港へ車を飛ばし、飛行機に飛び乗り、福岡空港から博多駅をめざしたのだろうと。
想井の心の中にたまらないほどの爽やかなぬくもりが湧き出てきた。
青年は力強く彼女の肩を抱きしめると、もう二度と離すまいというようなくしゃくしゃな顔をして、彼女を思い切り引き寄せてゆっくりと歩き始め、想井の存在などまるでないかのごとく、彼の前を通り過ぎていった。
改札を出ると、そこには大きなクリスマスツリーが飾られていた。
「そうだ、今日はクリスマスイブだったんだ・・・」
あの二人には、忘れえぬイブになったに違いない。
クリスマスイブはやっぱり、心暖かくありたいものだと想井はしみじみと思った。
いつしか二人の姿も想井の視野から消え、ふと周囲を見渡すとイブの夜も働く多くの人々の姿が見えた。
今宵、日本中のあちこちでお父さんサンタが活躍し、あすの朝、子供たちが「サンタが来た!」と喜ぶ姿を心待ちにしているだろう。見つめあう恋人たちは素敵な夜を送っているだろう。ひとり寂しくラーメンをすすっている人も、ひとり孤独にウインドウショッピングしている人も、大切な人を亡くした人も、イブの夜でも一生懸命に働いている人にも、みんなそれぞれにしあわせが訪れますようにと、「アメイジンググレイス」の旋律がどこからともなく聞こえてきた。
想井は心の中でそっと溜息をつくと、多くのカップルが手をつないで行き交う中をひとりホテルに向かってゆっくりと歩き始めたのだった。
あ と が き
この物語の前半部分、つまり、東京駅での一部始終は全て実際にあったことです。今でもホ-ムから青年を見つめていた女性の顔は忘れられませんし、最後の最後に振り向いた青年の姿も強烈に残っています。
結局、ハッピ-エンドで終らなかった実際の青年は、もう立ち直っているのでしょうか…。
最初にこの小説を書いた時は新大阪止まりでした。当時は新幹線が3時間かかっていてなんとか飛行機で追いつける状況でしたが、新幹線のスピードが上がった今では無理な話になりました。リメイクを書くにあたってどうしようかと考えあぐね、終点を博多にしてしまいました。こうすると、東京駅から羽田、福岡空港から博多駅へ新幹線より余裕で早く行けちゃうのです。
この彼女は彼の乗った新幹線に追い着くために、飛行機に乗るのですが(それもあらかじめの計画ではなく、思い付きで)果たして、予約もしていないのに、うまく間に合うような飛行機に乗れるのでしょうか…。そんなことは考えっこなしです。ひたむきな愛は、うまく飛行機に乗れるような奇跡を起こすものなのです。と、信じたいですね。
もうひとつ、実際にあった話。好きだった人が目の前の座席に。それも彼氏と。あのときの驚きとどうしたらいいかわからない混乱は、今も強烈に焼きついている出来事です。つまり、この私自身の実体験であります。あまりにもひどい悪戯ですね。だから、「偶然の出会い」はあるのです。いいことも悪いことも。
飛行機と新幹線を舞台に描いたので、今度は馬車さん主演のバスですかね。