土日と火曜は気仙沼に行っていました。
先週末も気仙沼に居たので本来のスケジュールでは行かない予定だったのですが、この前入所を申し込んできた老健から受け入れますという連絡があり、その準備のために連続出動です。
この土日は気仙沼はみなと祭という伝統の祭りがるのですが、震災以降どころか高校を卒業してからこの祭りを見ていませんでした。
特に震災があってからは、それまで出し物があった所はことごとく被災しており工事中だったりするので、津波被害の軽微だった地区に移動しているのですが、これが自分が普段買い物や銀行などの用事で通行している交通の要所で当日は通行規制されてしまうため行っても回り道で不便なのですが、老健の申し込み用紙やパンフレットを気仙沼の別荘の方に次に来た時に整理しようと置いてきており、直近のものは東京に持って来ていたつもりだったのですが見当たらなかったため、気仙沼に取りに行く必要が生じてしまいました。
ずいぶん慣れたとはいえ、仕事上がりで連続で長距離運転するのは普段よりはリスクが高まります。
慎重に、早めに出発する予定だったのですが、出発前に受け取る予定の通販の品物の配達を待っていて出発が遅れました。
荷物の方もついに配達に来ず受け取れません。
今、問題になっているamazonのデリバリープロバイダという業者で、当日再配達しない、日時指定を無視する、不在通知だけ置いて帰るといった悪評がすぐ出て来る業者で同時に注文していたヤマトの方は直ぐ受け取れましたが、こっちは配達する気が無いようでセンターに電話しても常に通話中でようやく電話に出たと思ったら応答せずに電話を切る業者で、他の有名な「大手」でもそういう不誠実な対応をするところがあって、そういうのは集配センターに出向いて直接受け取っていたのですが、この業者の不在通知にはそういう住所すら記載されていませんので受け取れません。
かなりイライラした状態で出発します。
東北道に乗るとすぐに雨が降り始めました。結局、北関東、福島、宮城と断続的に降られました。
雨の中、速度規制が出ていない区間は95~100km/hで巡行したので燃費は最悪。
高速を降りて気仙沼に向かう山中の道では事故に遭遇。
路肩に軽ワゴンみたいなのが横転しており、その反対車線に単車がガードレールに立てかけてあり、若い男女数名がその周りにたむろしていました。
周囲には民家も無く真っ暗だと思いますが、状況からして事故ってからそう時間は経っていない様子です。
単車と軽ワゴンが絡んだ事故か、単車は救援の為止まったのかまでは不明でしたがとりあえず大丈夫なのかと声を掛けてみると「大丈夫です」との事。
救急とか呼んだの?と聞くと「はい」との事で、それなら自分にできる事もあまりありません。
経験上事故った当事者は凄い気まずいので野次馬が増えると可哀想かなと思い車をスタートさせました。
なにより高速を降りる少し手前からお腹が痛くなってきたので早く家に到着したかったのです。
でも少し下った所で、彼ら街灯も無いし夜中三時に雨の中真っ暗だよなぁ、とかつらつらと考えてみてもう少し下った所に駐在所があったのを思い出してそこに駆け込むことにしました。
ところが田舎の駐在所ですから誰も出てきません。
センターにつながる電話も数分待ちましたが応答しません。
仕方なく最寄りの町の警察署に向かいます。
入っていくと宿直の警官が出て来たので今見た状況を説明します。
自分の連絡先などを伝え、気仙沼の自宅に急ぎます。
そんなこんなで布団に入ったのは午前四時を回ってしまいました。。。
翌日、雨が上がったので仮設住宅に引き払う準備のために向かいます。
引き払う部屋から荷物はかなり搬出しましたが、最大の難物の茶箪笥が残っています。
市から引っ越し補助が出ないので引っ越し業者は頼まず自分のFitで運び出す予定ですが、実際に積めるかどうかはわかりません。
寸法的には入るはずでも実際に積み込むとなると斜めにして引っかかったりとやってみないと分からない事もあり、一度積めるかどうか試してみたかったのですが、これまで来る度に天気が悪くてなかなかできずに退去まであと一か月となってしまいました。
同クラスの中でも最大級の容積を誇るFitではありますが、開口部はギリギリです。
リアゲートからだと入りそうでしたが腰の高さまで持ち上げないと水平に入らないので一人では無理。友人を呼ぼうかとも思ったのですが、友人の中では自分が一番ガテン系というか他が非力すぎてあてにならないので一人でやる方が安全です。
リアのドアは寸法的には入るのですがドアが90度に開く訳では無いため、茶箪笥を斜めにして入れるのですが、座席やドアに引っかかりそうだな、と思いながら乗せてみると
リアシートを立てて、運転席を目一杯前にずらしてサイドシルや開口部を毛布などで養生して押し込んだら入りました(笑
さすがFit君です。タオルで養生してタイダウンベルトでシートなどに固定して動かないようにします。
で、別荘に向けて運転中、復興公営住宅に入った友人のお母さんの所に家具が無い、というかウチからあげた冷蔵庫とかそういったものしかないなぁ、と思い、そちらに行ってみる事にします。
モノを見てほしというなら置いてくるし、要らないとなればそのまま持ち帰るまでです。
また、あまり知り合いが来ないでずっと部屋に閉じこもっているとしたらよろしくないので近況を視察も兼ねています。
まぁ実際に持っていったら「要らない」とは言えないのかも、とは思ったのですが。
その途中で銀行に向かうと、駐車場が即席のライブステージになっていて入れず、最寄りのドラッグストアに車を入れて歩いて銀行の用事を済ませます。
街中は祭りという事で浮かれた雰囲気です。
そういう華やいだことであれば良いのですが、こういう時には突然車道を横断しようとする歩行者が居たりして危ないのでなるべく祭りには車で近づきたくなかったのですが、まだまだ海岸付近の道は復旧工事中の被災地なのでこうでもするしかありませんでした。
祭りを大きく迂回して、友人のお母さんの棲む住宅に行くと、はやり部屋に居りました。
数か月前にも来たので久しぶり、という程でもないのですが、普段二週間おきに来ているけどいつも素通りだったのでなんとなく罪悪感もあり、手短に事情を説明して駐車場まで降りてもらって茶箪笥を見てもらうと「欲しい」とおっしゃっていたので部屋に搬入、扉や棚などは分解して先に別荘に持って行ってしまっていたので、それを取りに行ってきます。
軽く掃除してから組み立てると「おぉ凄い新品だぁ」と喜んでくれたので譲渡のしがいもあります。
気が付けばこの部屋のソファーも冷蔵庫も炊飯器も給湯ポットもウチからあげたものばかりでウチの母親が病気をせずに復興公営住宅に入れていたらこんな感じだったのかなぁ、とちょっと思いました。
いろいろ話し込んでいるうちに病院の面会時間を過ぎてしまったので別荘に戻ります。
翌日みなと祭も本番ですが、どうも天気は不穏です。
午前中は施設で必要になるものを買い求め、午後から病院に行って病院からの申し送り状の依頼とか当日の段取りを話して病室に向かいます。
母も看護師や搬送業者から話を聞いていたようで、涙ぐんでいました。
「老健に移ったらみなと祭も当分見られないから音とか雰囲気をよく見ておきな」
また来るから、次は老健に移るから、と言って帰路につきます。
結局、今年もみなと祭は見なかったな。
不穏な天候の中、東北道を南下します。
途中、こんな車も。
レッドブル号は東京なんかではよく見ますがこっちで見ると奇妙です。
帰りはゆっくりマッタリなつもりでしたが変なトラックに絡まれて近くに居たら危ないのでワインディング区間に入った所で110km/hでぶっちぎったので燃費は一気に悪化しました。
無理な追い越しや割り込みはしないので恨みを買うよな事は無いと思ったのですが、後から思うとこっちが追い抜き終わってないのに車線変更してこようとしたトラックが居たのでパッシングしてから抜いたので、それを恨んで付け狙ってきたのかもしれません。
だとしたらあのドライバーは100キロ以上もイライラ運転してたんですかね?
最近、大きな事故が相次いでいるのにご苦労な事です。
月曜日は翌日の母親の老健入所のために仕事上がりで東京を出発します。
本当は月曜も気仙沼に滞在すれば交通費も時間も体力も節約できたのですが、仕事のスケジュールを切られてしまっていたので火曜に有給取得するのを最優先として出社しました。
ところが折からの台風の接近を受けて雨模様の中出発。
この日も荷物の再配達を待っていたのですが、結局業者は現れませんでした。
悪い事は重なってトンネルの中での事故渋滞に捕まります。
カーナビのVICS更新があと信号一つ早ければトンネルは迂回したのですが、どんどん予定が遅れていきます。
東北道に乗ると北関東から福島まで断続的にスコールのように降られます。速度は50キロ規制が出てしまいます。
宮城に入るとそれに霧が加わります。
季節がらか、曜日のためか、とにかくトラックが多い。
時間が遅くなるとずっと走行車線を走行するトラックが増えてきます。
遅れを取り戻すために前がクリアになったらかっ飛ばし、またトラックの大名行列に何キロも付き合わされてまた飛ばす、の繰り返しで燃費は近年の最低記録更新です。
気分転換に寄った安達太良SAのウルトラマンの自動販売機。
ジュースを買うと「ジャ」とか「ヘァッ」とか言います。
円谷プロの円谷英二氏が福島の須賀川市出身という事にちなんだものだそう。
気仙沼の別荘に到着したのは午前三時半。
翌日は午後から移送をお願いしていたので、午前中は持ち込むタオルに名前を書いたりしていたのですがあっという間に時間が過ぎてしまい病院に行く時間に。
搬送業者は12時に病院に来るそうで当日はバタついて時間が無いのは経験済みなので病院には日曜に来た時に御礼を言ってあったので申し送り状や薬を受け取り出発です。
今回の業者はたまたまネットで見つけたのですがAEDや酸素吸入器、ちょっとした医療設備の整った民間救急車で同行した方も救急救命士の有資格者でした。
気仙沼市から隣の隣、登米市まで60キロ、二時間かかるという事でかなり不安だったのですが、こういう車両が、しかも気仙沼市内にあるというので助かりました。

しかし台風5号の接近で荒天の中での移送となりました。
母親本人も含め、何も今日じゃなくても、と全員が思ってたことでしょう。
しかし明日にします、とは言えません。
思い返せば陸前高田の療養病院に転院させた日も吹雪の様相で書類は飛ぶわ手荷物は持っていかれるわで大変でした。
きっとこの人はそういう運命を背負っているのでしょう。
シリーズ「荒ぶる太平洋」

今日は近づくと命の危険を感じるくらいあらぶっていました。
途中の道の駅で休憩中に搬送の事や資格の事、車両の事などお話をうかがいました。
こういうケースはままあるようで、付き添いも1名ついていて常にバイタルをモニターしながらで、事前に病院から普段のバイタルを聞き取りされていたようで、それと比較しながらの移送でした。
他にも介助が必要な方の海外旅行に随伴したりもされるそうです。
一人でもそういう方が居れば家族旅行のような事にも対応できるそうです。
車両も心臓マッサージが出来る車両という事と救急車などのノウハウがあるのいう事でハイエースのハイルーフを選定したとか、なかなかしっかりしていますので安心でした。
移送患者の4割くらいは乗り物酔いになるそうで、そうすると吐しゃ物を詰まらせたりといった事が心配ですが、初期対応をしっかりやるかどうかが重要でタクシー業者がやっている送迎車ではなかなかこうはいかない部分です。
幸い、ウチの母親は大丈夫でした。
施設の方にもバイタルなど伝えていて、ここまでしてくれるとはと面食らっていましたが、「当然の事です」と謙虚でした。
チップもなんとか受け取っていただきました。
部屋に荷物を運びこんで自分が入所手続きをしている間に病院から付き添って来た人も帰ったようです。
「ホテルみたいだよ」と評判は良かったですが、母親はやはり意識レベルが低いままです。
病院と違い、「おやつ」が出たようで完食したそうです。
今日に限らず、今回の事では親戚の女性陣に助言や実際に動いてもらったりと随分助けられました。自分一人ではまだモタモタしていた事でしょう。こういう時、男はダメだな(笑)
すぐに夕食が運ばれて来ました。
施設の人が食べさせている横で話していたのですが、結局「ちょっと代わっていただいていいですか?」という事で交代。
夕方6時を過ぎていたので早く帰りたいところですが、まぁ母親も寂しかろうという事で完食まで食べさせました。
結局、施設を出発したのは19時。まぁ気仙沼からよりは距離は短いので東京到着は深夜1時前後なので丁度良かったかな、と思いますが心配なのは天候。
台風本体は日本海側に抜けたようですが、影響された強い雨雲は残っているでしょうから油断はできません。
特に出発時は雨で中央道が一時通行止めになっていましたので東北道も通行止めになる可能性が無いではありません。
まぁ心配していても翌日は仕事で時間は限られているので出発です。
登米からは古川ICが近いようなので古川を目指します。
東北道では何度も強く降られ、東京に近づくまでこの状況は続きました。
文字通り嵐のような数日、あっという間に過ぎました。
今回の脳梗塞での入院から1年4カ月。
1年は掛かるだろうな、と思っていた施設探しもようやくひと区切りつける事が出来ました。
金銭的な負担は増えますが、いやらしい話ですが「お金で解決できれば安いもの」です。
これまで親戚に頼んでいた洗濯物なども業者にやってもらうので気兼ねしなくてすみます。
とはいえ老健は終の棲家では無い(建前上)ので引き続き特養に入れるように手配はしなくてはなりませんが、ひとまずは安心といった所。
ここ数日あまり寝ていないので少しゆっくりしたいのですが、来週のお盆のUターンラッシュが始まる前に、明日仕事から帰宅したらまた気仙沼に向けて出発し、向こうの別荘で少しゆっくりしたいです。