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2017年04月17日 イイね!

あとがき

日本人はいつ日本人になったのか あとがき

「自分の国では考えられない」とよく外国人に言われる日本の都市の安全性、人々の親切や優しさ、落とし物も殆ど交番などに届けられて持ち主に戻ること、約束を守り時間に遅れない、殆どの場合我先に行動しない人々、静かな公共空間、譲りあう運転マナー、混みあっていてもクラクションの音をめったに聞くことが無い交差点、ゴミ箱が無いのに町にゴミがほとんど落ちていない事、無人の野菜販売所、等々・・・。

外国人にとっては、そんな数えきれないほどの不思議なことが普通に行われる国、それが日本です。

どうして日本ではそれが普通のことになっているのか、どうしてそうなり得たのか、とても不思議だったのですが、一人の日本人としての私は親からそれらの事を厳しく躾けられた記憶が殆ど無い事に気づいたのです。

では何故、何時の時代から多くの日本人がそういう行動を自然にするようになったのだろうか、そしてそうはならない諸外国と何が違うのか、日本人の多くが今はほぼ無神論者でありながら極めて道徳的で利己的ではないのは、神の教えで道徳的になっているわけではないことを雄弁に証明しているので、神無くして人をここまで道徳的にすることが出来る理由は何処にあるのか、それを探し求めてみて、辿り着いた考えを書いた仮説論文が「日本人はいつ日本人になったのか」なのです。

枕草子や徒然草などの他にも江戸初期に編纂された「毛吹草」なども江戸時代の庶民(上流庶民)の間では広く読まれていたとされていますし、多く親しまれた俳句も影響は大きかったのではないかと思います。

「毛吹草」に書かれている文の中には仏教の教えから出たものと思える言葉もあり、また孔子や孟子などの儒教に源を得るような言葉も多いのは、平安時代以降の人々によって仏教用語や論語などの漢文を引用した文が、仮名交じり文で書かれて庶民にも伝わってきたことを示すものだと思えますが、それは鎌倉時代、戦国時代を経た江戸時代の三百年が安定していて、それ故興る庶民の文化活動があり、文字を読めることの意義に目覚めた人々は学び、そして学ばせ、その事でますます盛んになった読書が江戸庶民の心情に多くの影響を与えたのだろうと想像できたのです。

もちろん私の想像が正しいかどうかは判りませんが、仮説として「仮名の発明と仮名混じり文学こそが日本人の心のルーツではないか」と論文的に書いてみたのです。

その結論から見えてくる事の一つは、「天国と地獄の話による脅しで人を縛れる時代はとっくに終わった」という事でした。

神で説得できない理由は、神に背く行いの悪人が贅沢な暮らしをして大手を振って生きているのを見れば、誰でも神の話は嘘くさいと気が付くからでは無いでしょうか。

すでに「神の教えや地獄へ落ちるという恐怖心」で人の心を縛ることは人にとって有害に作用し始めているとさえ言えるのかもしれません。

「神なんて居ない、神の教えなんて作り話、最も大事なことは自分の幸せではないのか、そのために他人より自分を優先して何が問題なのか、他人を蹴落としてでも自分が這い上がる方が良いのだ、神が居ないなら神に従う必要もないはずだ、だから何をしても良いのだろう」そうなると「神はいない」と決めた方が神の不在を理由にした反動が無い分むしろ良いという事です。

日本人の知性と情操が多くの文学作品を楽しみながら読むことで出来上ったとするなら、およそ人を教育するという事に関し現在考えられる最も無理のない正しい教育方法だと私は思いました。

「毛吹草」の中にも出て来る「人のふり見て我がふり直せ」や「徒然草」の7段の下りの「長生きして恥ずかしい醜態を晒さないようにしなくては」という様なことが多くの書物に書かれていて、そういう文章からの教訓と共感が日本人の心を作って来ていて、「神」に導かれたり「神」がそうしなさいと言うからではなく「人々の間で」人はどう在るべきか、どう振る舞うべきかを判断して行動しているのが日本人の特徴であったと言えるのでしょう。

我々の今の国民的文化はそのようにして歴史的に出来上った「思いやりの文化」と呼べると思いますが、人々は私同様それがどうやって生まれて来たのか知ることもなく、意識せず、出来上った文化を知らぬ間に受け継いでいるという状態ではないかと思われるのです。

しかし、この文化の核心部分は同じ書物を読書したことに依る情緒的世界観と倫理観の共有であったので、もし読書習慣そのものが衰退しているとすれば、残念なことに、すでに形骸化や崩壊が始まっていると言っても良いのかもしれません。

もし形骸化しているとすれば、そんな日本人はこの社会の中で自分が「賛同を受ける存在でありたいと願い、嫌な奴と思われたくない」と云う大衆迎合主義的で表面的な理由で維持されているだけの状態かもしれず、本来あるべき人としての美しさの観念や己を律する哲学的倫理観などはすでに心の中には無くなってしまっているのかも知れません。

我々の先祖達が作り上げてくれた、優しい思いやりの文化の心髄を維持して行くべきであるなら、古典を読まないとしても、新たな文化コンテンツとして多くの人々が親しむ情動文化材の共有化が必須になるのではないかと思えるのです。

しかし時代によって淘汰された古典文学に勝るコンテンツはなかなか簡単には生まれないと思われるため、優れた古典文学を現代語に焼き直して活用すべきであろうし、読み聞かせソフトの製作や映像ドラマ化したコンテンツにする事なども積極的に取り組む必要があるように思えます。

ただ、江戸時代と大きく違い、現代は子供たちでさえ世界中の情報を居ながらにして知ることが出来る時代ですから、市中に在る限られた書物を借りて読み合った時代とは異なり、溢れるほどの印刷発行物や電子コンテンツが存在するので、江戸時代のように庶民の選択任せにしても日本人の伝統的情操が保たれるとは考えにくく、「悪貨は良貨を駆逐する」の例えがあて嵌ってしまう可能性もあります。

日本の未来を憂う自分は、何をすれば良いのだろう。

暫くは自分に出来る何かを探すことになるだろう。

このような文章がみんカラにふさわしいとは全く思っていないから、パスしてもらって全くかまわないのですが、最後までこれを読んでくれる人が居るのかどうか興味があります。
それで、最後まで読んで頂けたときはコメントで「読んだ」と一言入れて頂けると嬉しいです。
読んで頂けたとしても感想はあえて求めませんのでよろしくお願いいたします。
殆ど読まれないことは予想しています。
Posted at 2017/04/17 22:24:28 | コメント(7) | トラックバック(0) | 哲学 | 日記

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