
いすゞプラザ訪問記念?って訳でクルマ好きの神奈川県民として決っして無関心ではいられなかったいすゞ製乗用車に関するブログを過去、綴っておりますのでそれを改めてご紹介させて頂きます(^^)v
第一弾はマニア以外では知るヒトも今は少ない『ベレル』となります・・・
※2011年9月UP
今回取り上げるのは1962~67年迄生産された『PA10/PAD10型いすゞ・ベレル』です!
ベレル、これはさすがに産まれる前に出たモデルであり乗った事はありません、学生時代にそれ系の学校行ってたので教材で不動のディーゼル車がありましたので結構触りまくってはいますが。。。
いすゞのフェンの方でないと特に若い方には未知のクルマでしょう、不人気で現役時もタクシーが殆どだったとの事でワタクシも幼少時を思い返しても殆ど走ってる姿は記憶にありませんです(^_^;)
さて、ベレルですがいすゞが戦後の1953年(~64年)にイギリスのヒルマンをノックダウン生産しながら乗用車造りの技術を学んだ末、その吸収した知識、経験を元に自主開発されたクルマが二つあり一つは後にいすゞの名声を高める人気車になった『ベレット(63y発売)』、そしてもう一つがこのベレルです!
ベレットを当時売れ線のコロナやブルーバードに対抗する1.3~1.6Lクラスの設定したのに対し ベレルは2L級ラージクラス、クラウン、セドリック、グロリアをターゲットとして登場しています!
発売前年の61yの全日本自動車ショー(現在のモーターショー)
で現行ヒルマンに次ぐ自社製サルーンとして展示されたベレル
(手前が既存ヒルマン)
62/1にいすゞ初開発モデルとして登場したベレル(前期型62/4~63/10)
それまでのヒルマンとは異なり、大きく伸びやかなラインで構成されるスタイル、大人6人がゆったり乗れメーカーも「動く応接間」をキャッチフレーズにしていました!
確かに学校にあったベレル、中は横・縦・頭上も広々しており多分デビュー時はまだライバル達は普通車旧規格(排気量1500cc迄)の時代に設計された小柄なボディ(クラウン=RS30 セドリック=D30 グロリア=BLSI)だったので一番大きく広々が売りだったのでは?と想像します!(巾は現在同様5ナンバーフルの1690mm)
搭載エンジンはライバルがまだ1500や1900を主としていた時期に規格いっぱいの2000ccGL201型4気筒OHV85psを主流としまた、世界初の量産乗用車ディーゼルであるDL201型55psディーゼルエンジン、廉価版/普及型として73psの1500も設定されていました。
後年同社がフローリンを経てジェミニやアスカ等で一時はディーゼル乗用車=いすゞ と言わせた程のディーゼル技術は当時から既に形成されていたものでクラウンやセドリックにもディーゼルは設定していましたがこの頃既にトラッックのエルフがタフ、信頼性で好評、そのエンジンを搭載しまだLPGの普及がなかったタクシー業界には低燃費、経済性で熱い支持を受けLPG普及前の昭和30年代ではタクシーの3割以上がベレルだったと言うのも当然に思います。
尚、ボディはモノコック、脚廻りはヒルマンで学んだFrウィッシュボーン、Rrリーフリジット。
ベレルが売りにしたのは何と言っても”ローヤルライン”と呼ばれる直線美とハイウェイスコープなる広いFrグラスエリア、三角のテールランプもそれまでの機能一辺倒の国産車とは違い遊び心を持つモノで当初、これらは結構話題にはなったようです!
前期/中期型は特徴的三角テールが売り!(写真は中期型)
「ハイウェイスコープ」と銘打った広いガラスエリアが特徴的なインパネ周り
この“ハイウェイスコープ”、運転席の眺めは正に絶景だったかも(笑)
感覚的には右肩口までFウィンドゥがあるって感じ?に違和感憶えたのが印象に残っています。
ただこの広い前方視界を確保する為このウィンドゥがスタイリングの印象に与えた影響は絶大でラウンドしたFrガラスの犠牲になったFrサイドウィンドゥのグラスエリアがRrのサイドと較べ極端に小さくなってしまい全体のバランスが破綻してしまっている感じ、しかも悪い事にベレル発売の同年にはライバルのクラウン、グロリアが次々にフルチェンし米国発の流行であるフラットデッキスタイル、デュアルヘッドライト、横長のテールランプ等でより広く伸びやかなスタイリングを誇りベレルはいい意味、悪い意味でも個性はありながらも地味な印象になってしまい一気に古ぼけ不人気車へと転落してしまいました。。。
不運だったのが生産する藤沢工場が立ち上げと同時にベレルを生産しましたが工場設備の不具合、設計上のミス等が重なりトヨタ、日産の大メーカーにはない不安感がつきまとう印象が拭えなかったようです…
そんなベレル、テコ入れの為62/11にはツインキャブで武装し95psとした最高級のスペシャルDXを追加しました!
ツインキャブと言うのはヒルマンが国内初で取り入れたモノ、いすずはこの種のモデルのパイオニアでありベレル高級バージョンに応用しています。
翌63/4にディーゼル版スペシャルDXを、同年6月からバンを追加しています。
バンはその後いすゞ商用バンに名付けられた「エクスプレス」を同社初めて名乗ったモデルでした!
63/10、Frとテールを小変更し中期型(前)となり更に64/10、Frグリルを再度変更し中期(後)を受けてます(タイトル画像のモデル) このマイチェンはライバルを意識し少しでも大きく幅広に見せ豪華なイメージとするのが目的でしたがベレルの人気はどんどん低下の一途、これにより65/10に大規模なマイチェンを実施して後期型となります。
65/10~67/5後期型のFrビュー
同後期型のRrビュー
このマイチェンによりライバルに見劣りしないFrデュアルライトとRrに横長のコンビネーションランプを得て高級車としての生き残りを賭けますが3強+64y発売のA30三菱デボネア等のライバルの壁は果てしなく高く当時高級車としては当然直6 OHCエンジンが主流の時代に相変わらず4発OHVでは外観をいくら高級イメージにしても追い付かずまた、その外観も不評のFrサイドウィンドゥの形状はそのまま、ある意味個性的であった前期モデルの顔や尻がFrでは米車や国内では初代D30セドリックの前期型(60y発売)で既に見慣れたモノであり尻も最大の特徴だった三角テールが没個性の横長デュアルになってしまった事はかえってベレルの個性を失わせファンからも残念な声が上がっていたようです。今見ても個人的に前期にベレルらしさをやはり感じますネ~。
大規模マイチェンも失敗、更に65yを頼みの綱であったタクシー業界も急速にLPG化が進みディーゼルは前時代の扱いとなりデビュー時は経済性で喝さいを浴びるもこの時期ではディーゼルの欠点である騒音と振動が嫌われタクシー業界ではベレルに乗るドライバーには別途ディーゼル手当も出たとか!(汗)
そりゃガソリン車の静粛とそれよりは力は劣るモノのパワフルかつ軽油より安いLPGに流れるのは致し方ないですよねー…
そんな訳でベレルはチェンジ後2年もしない67/5に生廃を迎えます、下級ベレットが絶好調であり後年発売予定だった117クーペに集中の為66yには早くも放置状態化、ガソリン/ディーゼル併せて○台まとめていくら!!! みたいな投げ売りもなされたとか(+_+)
その後いすゞはベレル以降このカテゴリーにはよほど懲りたのか参入せず同社上級車としては1.6~1.8級のフローリアンがベレットの上級としての立ち位置的後続に据えています、ただクルマ的な脈略はなくまた前身?ヒルマンは自社開発ではないので一発屋らしい一発屋と言えるでしょう!
その後ベレル以後に参入した三菱デボネアも3強の前には歯が立たなかったのはベレル同様ながら巨大な三菱関連企業専用と化しながらも生き永らえたのとは対照的な人(車)生を感じます!
しかしベレル、特に最後は嫌われ者になったディーゼルモデルがその後のいすゞの発展の基礎なっており他が着目しなかった分野で一時、満開の花を咲かせたのは君がいたからだ!という言葉を供養に捧げたい、そんなクルマです!
※特典映像→
こちら
74年放送の大映ドラマ、『事件狩り』で正義の為にあえて貧乏弁護士でいる石立鉄男、助手の石橋正次、鈴木ヒロミツの足となるのが今はもちろん当時でも激レアな初期型ベレル!
破壊はありませんが滅多に見れない走行シーン、特に2:52~のA30Lテールのデボネアとのチェイスには共にクラウン/セドリックに撃墜されたモノ同志、感慨深く感じるのはワタクシだけでしょうか???(汗)