
いすゞプラザ訪問記念、、第三弾は67y~82yの15年間を実に基本スタイルを変えずに生き永らえたいすゞ版シーラカンスの『PA20/30型フローリアン』の登場です!
※2011年8月UP
フローリアン、今やトラックメーカーになってしまったいすゞが造っていた非常にマイナーな車で今の40代以下はよほどのクルマ好きでないとご存じないと思いますし多分このブログの喰いつき?も悪い予想が簡単にできる程の稀代の不人気車で3回のマイチェンをし前期(67~70)中期(70~77)後期(77~82)と分けたとして中期後半以降は教習車と一部個人タクシーでの需要しかないような状態で現役時も中期以降一般オーナーが走らせる姿は滅多にないというモノ(一部を除く=後発ディーゼル車)、当方地元神奈川でいすゞの工場があるにも関わらず一般車は珍しかったので他方ではそれ以上の”レア物”だったのではないでしょうか…
まぁ、多分このクルマを取り上げるような変人はそうもいないと思いますのでお付き合い下さいナ(汗)
フローリアンはご承知の方も多いとは思いますがあの流麗で気品高い名車『117クーペ』のセダンバージョン!
その野暮なスタイルからは想像できませんが117クーペと同じれっきとした伊・カロッツェリア・ギアのデザインで両車発売の前年のモーターシューでは『117サルーン』として発表もされてとか!!
そのような訳でフローリアンはシヤーシやエンジンは117と一部下級ベレットのモノを流用して造られ当時いすゞの人気車、ベレットの上級セダンとして発売されました。
フローリアン、次期型である82年登場の『アスカ』が当初『フローリアン・アスカ』と名乗っていたので一発屋ではないのでは?とのご指摘もあるかもしれませんが81yの117→ピアッツアの場合シャーシやエンジンはそのまま117を使っているのでネーミング変更した117の2代目(=つまり一発屋ではない)として見れますがアスカの場合はネーミングにフローリアンがごく初期だけ残っただけのシャーシはおろかエンジンも一部流用がある程度、しかもアスカは業務提携先のGM設計のグローバルカーでありフローリアンとは脈略もないので『一発屋』と認定させて頂きました!
67年にベレット上級ユーザー獲得の為期待を寄せられ発売された初期型モデル(PA20型)
フローリアンが一応先代の立ち位置(ベレット上級という意味)に当たるベレル、下級ベレットがそれぞれデザインや凝り過ぎた足廻りで失敗や不評を買っていたのもありごくオーソドックスなセダンとして登場、6ライトという国産には珍しいイギリスちっくな両サイドで3枚のグラスエリア=計6ライト+セミファストバックに逆スラントの前後スタイル、角型ライトという特徴的なスタイルではあったが117の流麗さやベレットのように奇をてらったモノではなく落ち着いた雰囲気で発売時は主に年配層には好評であったようです、一般ユース向けボディはこのセダンのみで他にコマーシャルカーのバンとトラック(ファスター→後年追加)が設定されてます。
シャシを同じとする『名車』117クーペ!(初期型PA90)
フローリアンの特徴的なのは外観のみならずインパネも変わっていて左右対称のメーターが半楕円式というモノ、ワタクシ、以前ある仕事でこのフローリアンの教習車を大量買い付けした経験がありこの時このクルマも乗りましたがこれほど変っていてかつ変なインパネと思ったクルマは他にないです、左右ボコボコしてて見にくいのもありますが生理的に合わない感じでした…。
それでもノーマルならまだしもオプションのクーラー付き(エアコンではない)になると本来のグローブBOXの位置にクーラーが入り何とも見栄えが悪いと言うか何というか。。。(-_-;)
↓インパネ(初期型)
↓クーラー付のインパネ (中期型TS)
搭載エンジンはベレット1600から流用したG160型OHV84psのみ、脚廻りはベレットで散々酷評(一部マニアには好評)された独特な4独ではなくオーソドックスなFr:Wウイッシュボーン、Rr:リーフを採用していました。
ただ67年というのは日本のスポーツカー、スポーティカーの夜明けとも言われる年、各社から高性能で流麗なスタイル、セダンであってもブルーバードSSSやコロナSのようにハイパワーエンジンが次々に現れた時期に速そうでもないスタイル、速くもないエンジンのフローリアンは当初からメジャーな存在にはなり得ず新型車の割には全く目立たない、出た時期が悪すぎた感アリですねー。。。
そこでいすゞは69/3にブルSSS、コロナS/SLを標的にした長い生涯で唯一のHOTバージョン『TS(ツーリング・スポーツ)を追加します。
69/3追加のスポーツグレード1600TS
TSは精悍な丸目4灯の顔付になり当初はボンネットも艶消し黒で塗るなど気合を入れておりFrには初めてディスクブレーキを採用、タコメーター付3連メーター、エンジンもツインキャブ化により6ps高めて90psとしライバルに遜色ないモデルに仕上がっていました!
しかしライバルの牙城は高くデビュー時からすっかり控えめな印象のフローリアンにはこのスポーツグレードは全く相応しくなく市場の反応もほぼ無に等しかった模様、同じスポーティならば格下のベレットが既に旧くなっていた時期とは言え知名度は格段に上だったので致し方なかったとも思います。
尚69年3月にはベースのフローリアンもグリルとテールの一部意匠小変更を受け同年10月にはエンジンを全てOHC化しています。
TS追加というカンフル剤を投入しても一向に“鳴かず飛ばず”状況の為70年に大幅なマイチェンが行われました!
お約束である前後の意匠変更ですが全車丸型4灯に改められかつ旧TSよりも造形の深い立体的な高級感を演出するものとなり見栄えは大幅にUP!
高級イメージ戦略に合わせてエンジンもG180 1800ccOHC100psと1600から格上げされたTS用のG180 1800ccOHCツインキャブ115psが追加されて1600と含めフローリアンとしては最大のバリエーションを誇りました。(1800=PA30型)
70年~中期型
小変更は頻繁に、また大幅なテコ入れも効果はなく既に登場7年を経た73年、フローリアンに賭ける情熱を失ったかのようにこの年代辺りから車種整理断行に入ってゆきます、乗用車としては弱小メーカーの悲しい性で人気ない→売れない→モデルチェンジができない→余計に売れれない という負のスパイラルのドツボにはまったフローリアン、ライバル車達が次々に最新型にモデルチェンジしてゆく中でこの頃から需要は一部個人タクシーと教習車として一極化してゆきます…
73年、まず1600を廃止 75年11月は排ガス規制適合不可の為ツインキャブG180(TS)を廃止、そして76年9月には外装をより高級化しボディー色もマルーンのみというモノグレード(スーパーDX)化に踏み切ります。!
76年モノグレード化された1800スーパーDX
スーパーDXは内外装を高級化、ボディ同色ホイールキャップ、幅広モール、モケット張りシートとこれまでのフローリアンには見られない高級感を得て再度一般需要にアピールするも車格とのアンバランス、タクシーや教習車には不要な高級仕様という部分から余計に悪い結果しか招かず僅か1年でこの路線は捨てましたね、もう放置状態のやけくそプレイにしか当時中学生のワタクシには見えませんでしたが今のようにOEMなんて考えられもしない時代、必死だったのでしょうね~(笑)
し!しかし!・・・いすゞは何と77年11月に大博打に打ってでました~( ̄□ ̄;)!!
「ココまで古くて(この時点で既に10年選手)まだやるか!」が当時の心境で大幅なマイチェンなんですが何と60年代の古ぼけたボディに80年代の顔とお尻をくっ付けるという大技を繰り出してきましたたぁ。
77/11~最終型のFr及びRrビュー
ワタクシ、色んなクルマを見て触ってきましたがこれほど笑えて貧乏たらしいマイナーチェンジは後にも先のもこの後期フローリアンが唯一だと思います、もうコレは呆れるを通り越して一種の芸術かも。。。
中学生のプラモデル改造レベルの意匠変更で大幅に印象を変えた顔ながらフェンダーやボンネットすらそのまま、要は費用を抑える為?でしょうがボディ側はプレスライン含め一切触らずハリボテのように当時~80年代初期に流行した角目4灯ライトとロールスロイス並の立派なグリルを無理矢理付け大型バンパーで武装したというモノ、Rrも同様に現代風デザインの横長コンビネーションタイトを文字通り“取って付け”ていました(爆)
まー、Rrはそれでもサマになっていたとは思いますがFrはあきらかなミスマッチ!オーバーデコレーション!その他に何か相応しい言葉あるかな?という程の醜い出来だった気がします(あくまで個人的見解)
このスタイルにはいくら売れないといっても丸目が絶対似合っていたと思うしココまでしても生廃できないいすゞの事情にただただ同情しかないんでしょうね~~ 。
ただ人間の感覚って不思議です、今は見慣れたせいかそんなに違和感なく見えてしまいますが出た当時はもう卒倒するようなチグハグ感でした!
尚このチェンジ以降の後期型は『フローリアンSⅡ』というネーミングになっています。
しかし・・・このキモイ顔が逆にフローリアンを際立たせたのも事実、後年このブサイク具合がイイと一部マニアには人気が上昇した時期もありましたから不思議なモノです。
(尚、余談ですが中期型のFrマスクで丸目2灯にしたフローリアンのトラック=ファスターにこの頃4WDモデルが設定、RVブームの走りの時期で物珍しさとアメリカで人気を得た同型輸出仕様GM名シボレー・ラヴのイメージがこの種のマニアにはセダンとは違い絶大な支持を受けていた時期もありました~)
このマイチェンで唯一いすゞに拍手を送りたいのはこの後期モデルから得意のディーゼルエンジン搭載を果たしこれをメインにしていった事ですね!
2tクラスNo1を誇るトラックの名車『エルフ』に搭載されていたC190型1951cc4気筒ディーゼルエンジンを乗用車用に改良、62ps/12.5kgというスペックのエンジンは自重1.2kg強のクルマとしては鈍重でしたが乗った感じはそれほどのパワー不足感はなくディーゼルらしく粘りがありトルクフルでギアチェンジもさぼれるほどの楽なドライブができたモノです。
ただいくら乗用に改良されているとは言えその音はまるっきりのエルフで音だけ聴いてるとトラックを運転してる錯覚に陥りましたネ(笑)
この頃、OILショック以後のガソリン高騰でディーゼル車が見直された時期でもあり日産セドリックがかなり以前から細々とディーゼルを造り続けていて急激にその販売が伸びた時期、この時流に上手く乗っかったフローリンDは“飛ぶ鳥を落とす勢い”には無理がありますがマイチェェン前までの忘れ去られた存在ではなくなり街でも一般ユーザーがドライブする同車を見られるようになりましたのでいすゞの為には博打のチェンジ、大成功!!(実際にはマイチェンそのものよりはディーゼル特需だったと思いますが。。。)と喜ぶべきでしょー・・・
この他、中期以降に搭載されていたガソリン1800も相変わらずカタログモデルでしたがもうこの時はフローリアンの存在価値はディーゼルだからこそ!という感じで恐らくLPG仕様のタクシーにしか需要はなかったのでは?と思います。
ディーゼル搭載で蘇りかけたフローリアンですが皮肉なもので逆にディーゼルで浴びる脚光を他メーカーが黙認する筈もなく翌78年から元祖的存在のセドリックD 330はディーゼルグレードを充実、ローレル230にもディーゼルモデルを設定、トヨタもS110クラウンやX40マークⅡ(79y)にもディーゼルモデルを設定する等各社一斉にディーゼルセダンの発売に躍起になり設計の旧いフローリアンは再び蹴落とされてまたしても教習車に安住の地を求めるしかなくなっていきました(泣)
新設計のライバル達は当然の如くATもパワステも用意していましたがフローリアンにはこの類の設定はなくイージードライブの時流に向かっていた当時、蹴落とされて当然ですが・・・
そんな可哀想なフローリアン、いよいよ最後の大幅?マイチェンが80年3月に行われます、SⅡとなってからも小変更は行なわれていましたがココまで大規模変更はありませんでした→そう、あの『変なインパネ』がようやくモデル末期にきて全面改良されました!!
↓登場以来13年守り通したインパネを遂に変更
↑どうですか皆様~?ようやく80年代のインパネを手に入れましたネ、良かった×2!!
このインパネになりようやくと言うか今更と言うか・・・クーラーからエアコン装着が可能になるというオチもあります(笑)
80年当時でクーラーというのは商業車、軽、低グレードの一部セダン位なもので顔とお尻、そして中だけはようやく時代に追い付きました!
この時からAT仕様も追加されており時、既に遅しですが最後にきてディーゼルセダンとしての体裁を完全に整える事ができたのではないでしょうか・・・?
この改良から2年半後の82/10をもってフローリアンは遂に生廃を迎えます、生涯を通して陽の目を見なかったフローリアン、産まれながらにして地味なのは他の『一発屋』と同様ですがお家の事情から負のスパイラルにハマリこみ前半は必死に逃れようにも浮上できずにモデルシェンジの機会を失い埋没、瀕死になりながら“ディーゼルエンジン”というお家の最大の武器で蘇りかけたのも束の間、その武器が仇になるという涙なくしてこのクルマの生涯は見れないですよねー。
しかし高度背成長期でしたからこのような存在でも15年生き永らえたのでしょうし不幸な生涯にも負けなかったフローリアン、これぞ『華麗なる一発屋』!!!に思えます。
このフローリアン、特に後半のディーゼルモデルの経験から後のジェミニにそれをフィートバックしジェミニ・アスカ(初代)現役時代はディーゼル乗用車=いすゞというイメージ確立もしていましたし決してフローリアンの存在は無駄にはなっていなかったとワタクシには思え供養の言葉にしたいと思います(^^)v
特典映像=あの70年代最強のアクションドラマ、“大都会PARTⅢ”に何と初期型フローリンのカーチェイスがあります!
元々犯人車のフローリアンを黒岩と弁慶が手に入れもう1台、極悪犯が乗るC30ローレルとの激しいアクションをどうぞ!(いすゞファンの方は心臓に悪いかも…汗)
動画は→
こちら