
いすゞプラザ訪問記念の締めはこの過去ブログにて(^^)v
※2015年8月UP
いすゞ乗用車の復活、これを待ち望むファンも多いでしょうねー…
今日は久々にいすゞにいる友人とランチなどを愉しみクルマ好きの二人、当然?こんな会話もしてきました。
この友人は30年来の付き合い、まだジェミニもピアッツアもある時代の若き頃に入社、公私で付き合ってきてこの間色々あったいすゞ(いすゞマン)の悲壮も語ってくれてきました。
ワタシも地元神奈川県に工場のあるメーカーで本社は都内ながらも色々神奈川にゆかりあるし不器用
ながらも筋のあるクルマ造りをしていたので嫌いじゃないメーカーなのでね、興味深く内輪の秘話や興味深い話を聴いたりバカ話で大いに盛り上がりましたヨ~。
乗用車撤退の頃(平成5年)、ワタシが親の影響で三菱が好きなように彼も親御さんが長くいすゞ車を愛用(ヒルマンミンクス→ベレット→117クーペ→ピアッツア→ウィザード)してきた事もあり珍しい熱狂いすゞマニアでしてね、自分が手がけたいすゞ乗用車をリリースする!を夢に頑張っていましたが当時、不採算の乗用部門に配置される事は難しい中、入社10年目で乗用の研究開発に移動後たった2年でこの時を迎えた退社も口にする程、彼は凹んだものでした…
↓1993年以降、会社存続を賭けて一部を除きトラック専業メーカーとして腹を決めたいすゞの選択は拍手ですが少数の乗用ファンには悲劇でしたねー…

今のいすゞ、↑のイメージしかないですよね~
あっ、若い方ではいすゞがかつて乗用車メーカーだって知らないのも多くなった様子、彼曰く最近の新入社員はそれ知らずに入ってくるのもいるとの事、まぁ、撤退から20年ですからね、時は流れましたが若い方、参考までに!50~60年代ではトヨタ、日産に並ぶ第三勢力がいすゞ、当時は御三家だったんです(^^)/
↓トヨタのクラウン、日産セドリックに対峙する『べレル』というフルサイズ(当時)高級車もリリースしていました!(1962y)
Gure「お前んところ、もう乗用はやっぱ無理か!?」
彼「解りきった事聞くな(怒)」
そりゃそうです、2006年からいすゞはトヨタグループ入り、こうなるまでは細々乗用車開発を諦めない
チーム?も残っていたようですが今は完全に消えたとの事、撤退から10余年、いつかまた!の夢を見続けた彼、トヨタ入りして「これで今までマイカーで苦労したけど色んなクルマ乗れるわw」なんて言いながら目の輝きは失ったような…
かつて、第二次長嶋政権の時の巨人は金の力にモノ言わせて各球団の4番打者を集めまくりアンチ
ジャイアンツからは「何でも欲しがるチョー(長嶋監督)さん」と揶揄されましたが最近のトヨタさんは正に何でも欲しがる状態(+_+)
大昔のダイハツ、日野は置いておいても近年、航空宇宙技術やボクサーエンジンが欲しけりゃ”富士
重工”、ディーゼルエンジンにかけては全世界で好評を得ているのを横目で見てその技術が欲しけ
りゃ”いすゞ”、そしてスカイアクティブに適わないとなれば使い古したHVを差出し”マツダ”をも…
まっ、弱肉強食=資本主義の日本ですからこれの是非なんて言いませんし実際、彼もそうですが以前の業績コロコロでア〇公(トヨタ入り以前はGMと提携していたので…)がどんどん幅を利かしていた時代よりは安定し将来の不安もかなり消えたと言ってますんでね、「各メーカーの特色を殺し美味しいところだけ盗んで行くトヨタはけしからん!」なんて青い事は簡単には言えませんが彼を一例としてダイハツ、日野、富士重、いすゞ、そして今後のマツダ技術陣が安定?安心?の代わりに夢を失ってきた、または失うのではないか、と考えると切なくなりますね~
↓50年代の飛躍を60年代で花咲かせた先進的な名車『ベレット』も遠い昔の栄光orz…(1971y GTタイプR)
まぁ、そんなネガティブな事を語っていても仕方ない、せっかくの旧い友との再会なのでね、子供じみ
てはいますしあくまで妄想の世界ながらドリフじゃないですが『もしもいすゞが乗用車復帰したら!』な
んて会話も弾ませてきました(^^♪
いすゞというのは地味ながらも時代を1歩も2歩も先に行くのが特徴でそれはスタイリングも勿論の事、機構、機関など内面にも及びこれが良い点でもあり悪い点でもありこれで成功するものもあれば大失敗も招き。。。(圧倒的に失敗の方が多かったような=個人的見解)
↓まだクルマは悪路だった日本で壊れず頑強に造るのが精一杯の時代に『美』『エレガント』を視点にした117クーペを発売!(1968y)
117は勿論、後続のピアッツアもそうですがいすゞはこの手のスペシャリティーカーを造らせたら非常に上手い!
デビュー時は?と思えるスタイリングながらも飽きが来ず何年経っても色褪せず古臭さも感じられな
い、117とピアッツアがこれを実証していますよね。
まぁ、これはJアローという鬼才デザイナーの力が大きいところではありますが日本で彼の偉大さを広めたのが117でしたし彼に目を付けたいすゞのやはりセンスも褒めるべきでしょう。
↓”マヨネーズ”と当時散々罵られたピアッツアですが現代でも通用する美しさはさすが鬼才の作品!(1981y)
スペシャリティーやスポーツカーが生きにくい時代ですが仮に117なりピアッツアを現代でリりースしたらばいすゞの事です、きっと奇抜で当初は受け入れ難く首捻るかもしれませんが噛めば噛む程味の出るスルメのようにある日必ずその『美』に気付く時の来る息の永いモデルを出すでしょうね、ピアッツアのように外観は新鋭でもシャーシが60年代(つまりは117のもの)でエレガントな見かけに似合わない荒々しさというのはどうかと思いますがネ(^^)v
↓同一クラスのファミリーカーと比較するとその意味ではスペース等”落第”ながらも元気なエンジンとこだわりの脚で小気味良い走りを実現した玄人好みのファミリーカー『ジェミニ』初代PF50他(1974)
2代目JT150他(1985)
ジェミニが今あればきっとお得意のディーゼル技術を駆使、マツダにも負けない先進技術を投入、ク
リーンは勿論、HVなんか蹴散らす驚きの燃費も実現して我々世代「遅い・臭い・汚い」というイメージ
があるアンチディーゼル派も黙らす威力で登場するでしょうねー。
ジェミニらしく走りの部分には大いにこだわって欲しい、テンロクあたりの16バルブDOHCは勿論搭
載、ディーゼルモデルとDOHCにはお馴染みの『ハンドリングbyロータス」『イルムシャー』は必須、ス
ポーツセダン復権に是非挑んで欲しい、そのためなら伝統の室内極狭も認めます(^-^;
あっ、当時と違いイージードライブが当たり前の現代ですからあのガコガコのNAVi5を大改良、トラッ
クで成功したスムーサー技術を進化させた?新星”NEW NAVi6”あたりもジェミニには採用を願いま
すわw
60年代、法人(公用)需要が殆どだったクラウン、セドリック(デボネア、べレル、プリンスグロリア)の時代、実質的にオーナーカーとして最上級だった東西の横綱、コロナブルーバードの1歩上を行く今で言うミドルクラスに”117セダン”の触れこみで颯爽とデビューしたフローリアン!
これの生涯は決して順調ではありませんでしたがべレル/ベレットでディーゼル乗用を提唱しながらも時代が早過ぎて受け入れられなかった悔しさを70年代後半にフローリアンでリベンジ、デビューから10年も経ってから脚光を浴びるという快挙?を成し遂げ寿命を延命しいすゞ版”シーラカンス”と言われました!
↓ディーゼル搭載の乗用車として当時話題になった最終型フローリアン、それよりもキャデラックもビックリのアメリカン顔をハリボテで装着した事が驚きでした(笑)
1967~1982年という当時としては本家シーラカンスのデボネアに次ぐ15年という長寿をまっとうしたフローリアンは何と次期型とされる新鋭グローバルカーであるアスカにもこのネーミングを与え(当初『フローリアン・アスカ』でデビュー、後に『アスカ』のみとなる)ますが何せ前任が末期は教習車/タクシー専用車になっておりそのイメージが強くアスカも新型車の割に鳴かず飛ばず、慌てたいすゞはすぐにフローリアンの名前を消しターボやイルムシャーモデル、NAVi5などの新進機構を与えフローリアンとの決別をアピールしますがね、このクルマも決して悪い出来ではなくいすゞでなけりゃもう少し売れた筈!と今でも思いますが残念な結果となり僅か1代で消滅、2代目以降は富士重/ホンダのOEMと成り下がってしまいましたね…
↓15年ぶりのFMC!!というイメージ付けが失敗だった?『アスカ』(1983y)
クラス分けの概念が消えセダン文化が衰退した今、アスカが蘇るという事は間違ってもないでしょうがそれこそそんな奇跡があるとすればトヨタさんからHV技術を提供してもらいこれをクリーンディーゼルに組み合わせHVディーゼル専用モデルのフォーマルセダンなんか面白いかもしれません、今のカムリやSAIのようなイメージかなぁ!?
忘れちゃいけないのが乗用モデルの最終は今を時めくSUVの『ビッグホーン(ミュー/同ウィザード)』でしたからね、特にビッグホーンは末期でもそこそこの売れ線でこれの廃止を嘆いたファンも多く現代のSUVの注目、脚光の浴び方を見ていると復帰の可能性が一番現実味あるのがこれだと思います(^.^)
↓ランクル、パジェロと並び90年代初期のクロカンブームでは人気高かった『ビッグホーン』(2代目
1991y)
ビッグホーンも現代技術を駆使しながら人気あった2代目モデルの面影を残すデザインで復活したらさぞ面白いでしょう、SUVというより”クロカン”としての特色を強める方がいすゞらしい、お洒落な高級
SUVはトヨタや輸入車に任せてかつてのワイルド路線で蘇ってくれたら!なんて思います。。。
意外な?ところで1BOXとしてはかなりお洒落で未来的カプセルデザインが素敵だったファーゴ、2代
目以降は日産キャラバンのOEMになり現行の『コモ』に続きますがいすゞらしくデザインセンスは見事
だった初代オリジナルファーゴ(1980~1995)も117やピアッツア同様に古さを感じさせず無機質なデザインになりがちなこの手のモデルで再度、いすゞにデザインさせてみたいな、なんて思います。
さぞお洒落で先鋭的な1BOXorミニバンが出来上がるのでは?とワクワクします!
↓これも15年の長寿ながら末期ですら古さを全く感じさせない見事なデザインだったと思います。
とこんな感じでいすゞの彼とありもしない妄想話をしてきましたが夢であろうとも楽しいひと時でした、
妄想会話の中で彼の言葉「トヨタが手を出す前なら可能性はゼロじゃなかったんだが」というのが妙に印象的、別にトヨタを悪く言うつもりはないですし営利企業の成長のためならやむを得ない事も承知ですがイチ車好きとしては各社の夢や希望を奪ってきた?罪も感じられない訳ではなくそれこそ”もしもトヨタと提携しなければ”なんていう妄想がますます膨らんでしまいますわ、これにより瀕死、倒産もあり得たなんてネガティブ指向は封印にて(^^)/~~~