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2022年07月25日 イイね!

今も忘れない!キャッチフレーズ”ザ・ベストテン”

今も忘れない!キャッチフレーズ”ザ・ベストテン”

究極のお遊び企画のベストテンシリーズ、今回は以前やった 心に残るCMキャラクター“ザ・ベストテン” に関連性アリ!? また似たような事やりよって!!かもしれませんがアレはCMキャラ、今回はキャッチフレーズなんで似て非なるモノってこんでwww

しかしCM等のキャッチフレーズってクルマに限らず特にTVCMで流されHITすると凄いインパクト、その商品見るとキャッチフレーズが入るCMソングが頭よぎったり思わず口ずさんだりしたりしませんか?皆さんにもそんな商品、きっとあると思います。



今回はワタシらしくそれをクルマのキャッチフレーズに特化してベストテンにしてみました、もう30年、40年経過しながらも未だに頭にこびりついている、そんなキャッチフレーズを振り返ります♪

定義は国産乗用車のみ、このような内容なんで各年代による差が激しいと思います、10代と60・70代ではその思いに大差があって当然、なので50代後半ののワタシなりのランクとなりますのでご了承願います!

それでは早速参りましょー、今週の!?第10位!!

【~夢のスカGターボ~(5代目GC211型日産スカイラインGTターボ 1980~81)
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全スカイラインファンを敵に回したセリカの”名ばかりGT”呼ばわりで地団駄踏んで悔しい思いをした日産、そのリベンジ第一弾がこの”夢のスカGターボ”のキャッチ!その悔しさはこのキャッチ全てに現れており別にスカイラインファンではなかったワタシですらこのキャッチを見て何か爽快感を得たモノでしたw

当時でももうあまり「スカG」と言われてなかった(ハコスカやケンメリの頃が全盛期)ので久しぶりに聞くその響きにターボがプラスされてる、前年国産初の市販ターボを発売した日産、第一弾は高級車セドリック/グロリアでスポーティ訴求は当時の運輸省から型式認定を取る都合上一切無く認可を無事取得、ターボ第二弾の910ブルーバードでややスポーティ色を出しそして待望の第三弾がスカイラインジャパン、DOHCを武器にしてさんざんコケにしたセリカに対しさぁ逆襲だ!とばかりにターボの高性能をアピールしたジャパン、まだ当時はDOHCターボなんて夢でありDOHCかターボか!という論争も起きこれ以降トヨタvs日産、そして三菱やマツダも巻き込んだ第二次ハイパワー競争に突入しするきっかけとなったのもジャパンターボでした!

5代目GC211型スカイラインHT2000GTターボES
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これ以降のDR30 RSやRSターボ、同I/CにR31のGTS-R→32GT-Rと矢次早やにパワーウォーズが止まらないスカイラインなのでジャパンターボ、すぐに霞んでしまいましたがケンメリR以来7年間それこそ名ばかりGTだったスカイラインのスポーツモデル復活は忘れられず堂々ベストテン入りとしました!


続いて第9位!!

【~プラス100ccの余裕~(初代トヨタカローラKE10型 前/中期 1966~69)】
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このキャッチは衝撃でしたねぇ、まだ3~4歳でしたが何故かよく憶えている、何故なら当時親がこのキャッチに乗せられて!?KE10がマイカーだった事が大きいかもしれません…

KE10型カローラ2ドアセダン(前期)
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CMは初期はゴリさんこと若き日の竜雷太氏、途中から「そーなんですよ、川崎さん」で有名な?アフタヌーンショー川崎敬三氏、マイカー元年以前の大衆車が600~800ccがほぼ、それを上回る1000ccで65年にデビューし注目を浴びたのが最大のライバルとなる初代サニー、そこにトヨタお得意の後出しジャンケンでぶつけてきたのが"プラス100cc"カローラ1100、このキャッチが大成功、軽量ながらどこか貧弱だったサニー1000に対しふくよかでデラックス感漂うエクステリアも相まって人気、売上はカローラが圧勝、以後カローラvsサニーの闘いは長く続きました…。

CMもサニーにあてつけるように加速力を誇示しるような内容で実際には名機A10型エンジンと700㎏の軽量ボディでキビキビ走るサニーの方が俊敏でも素人相手のCMの訴求力にサニーはカローラの軍門に下った訳です、幼児にすら強いインパクトを残したという意味でこの順位としました(笑)

さぁ、8位行ってみましょー!

【~隣の車が小さく見えまーす~(2代目日産サニーB110型 1970~73)】
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このキャッチ、最初に聴いた時には笑いましたw 日産がやり返した!と痛快に思った記憶が蘇ります(笑)

第9位の”プラス100ccの余裕”の後出しジャンケンで見事にやられたサニー、1970年のFMCで排気量を+200ccUP、KE10型カローラの60年代丸出しの出で立ちにシャープかつ高級感を漂わさせサイズも1サイズ拡大した上でのこのキャッチ!

B110型サニーセダン1200GL(前期)
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ウサギだかネズミだかのサニーちゃん?とか言うキャラクターが”隣の車が小さく見えまーす”とカローラを馬鹿にするような口調のCM、実際にはKE10は1969年に先んじて排気量UPを行い1200ccとなっておりこの部分では互角な土俵にサニーもようやく上がったというものでしたが見た目の印象からCMでやり返したわけですね、これに触発されたカローラは同じ70年にFMCし当初はKE10から引き継ぐ3K型1200エンジンのみながら僅か4カ月後にはセリカ/カリーナ用のT型1400ccエンジンを追加、負けじとサニーも71年にエクセレントシリーズとしてブルーバード510から移植するL14型1400㏄モデルを設定、これ以後も両者譲る事なくグレードUPが当たり前だった当時の流れとvsライバル心むき出しにしお互いが1600の追加と突き進んでいきました!

尚、後年徳大寺御大にこのキャッチはさんざん批判され氏は「何も隣の車が小さく見える必要はない、大事なのは大衆車はコンパクトでいかに空間を大きく取れるのかがだ!」と言われ日産、ポリポリって感じでした(笑)

盛り上がってまいりました(汗)第7位!!

【~オレ・タチ・カルタス~(初代スズキカルタスAA・AB41/AB51S系(1983~88)】
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現在のスイフトの先祖カルタス、3代目02年まで存在しましたが最初から最後まで地味な存在、スイフト以前は軽メーカーのスズキの登録車というのもありどこか異端的扱いで今でこそロンブーの享が手に入れ若者でも聞くクルマかもしれませんがデビュー時はホントに地味、このクラスには当時スターレットや日産久々の1Lカーマーチが話題を集めスズキも久々の登録車(ジムニー8除く)でありそれなりに気合を入れてデビューしましたが鳴かず飛ばずといった印象…

このため大幅ななテコ入れを発売2年目の84年に行いこの時、世のHOTハッチブームに参戦する1Lターボモデルiを追加、この時CMキャラに当時役者としては西部警察、歌手として♪泣かないで で人気を得ていた舘ひろし氏を起用し『舘』に引っ掛けて究極のダジャレである”オレ・タチ・カルタス”とやり車ファンを笑かせてくれましたw

初代カルタス1300GTi
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しかし人気の舘ひろし氏の効果虚しくカルタスが人気を得る事にはならず86年のMCで大幅なリメイクでそれまで大人しい印象の外見をド派手に変身させた1.3LツインカムのGTiを追加しよりHOTハッチブームに食い込みサーキットでも活躍しましたがねぇ、一般訴求力はやはりスターレットやマーチ、ミラージュ、シビック、ファミリア等の高い壁に阻まれた感じでした…。

現行スイフトを見ると「オレ・タチ・カルタス」とつぶやいてしまうほど印象に残るコピーw、肝心のカルタスはほぼ忘却の彼方に行ってしまってますが今更になって舘ひろし効果を実感したりで7位に入れております(笑)

どんどん行きます、第6位!!

【~聴こえる24ビート~(2代目トヨタセリカXXA60系 1983~86】
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カローラvsサニーもそうでしたが元々はトヨタが挑発し日産がやり返す、60~80年代はそんなやり取りが多くこの”聴こえる24ビート”もその一つ、元々2代目セリカがケンメリGT-R亡き後、SOHCエンジンしか持たないスカイライン相手に”名ばかりのGT”呼ばわり、これに対しスカイラインは81年のDR30で当時2T-G/18R-Gの2バルブDOHCだったセリカに対し”2バルブのDOHC程受け入れられ難い存在はない”と返す、それでセリカは83年、新開発の6気筒でSOHC 1G-EUエンジンをDOHC化、これは4バルブ=24バル機構を採用した1G-GEU型で16バルブのスカイラインRSに対し”24ビート”で応酬したという…当時、日産とトヨタのこの揶揄合戦は見ていてワクワクしたし次は何してくんだろう…と新型出る度に期待したもんですw

2代目GA61型セリカXX GT TWINCAM24(後期)
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この揶揄合戦、82年にセリカ(カリーナ/コロナ)が2バルブながらDOHCターボを発売し”鬼に金棒、ツインカムにターボ”をキャッチとし対するスカイラインは83年にはRSもターボで武装し”史上最強のスカイライン”を謳い一応相手を揶揄するのを終了しますがその後もパワー競争は白熱、トヨタが2.8Lの5M-Gを3L 6M-Gにしたり日産はRSターボにI/Cを装着し2Lクラス初のオーバー200psを実現したりと留まるところを知らない様相を呈したのも懐かしくかつホントにイイ時代だったと、それをリアルタイムで見て来た世代としては幸せでしたネー(^_-)-☆

☆☆☆〜今週のスポットライト!!〜☆☆☆

今一歩、惜しくもベストテンに入らなかったキャッチフレーズはこちら…

【~大地のセダン~(初代A120系三菱ギャランΣ前期型 1976~78)】
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菱ヲタとしてはベストテン入りさせたいところですが何せ上位のインパクトに較べると弱いかな、なので圏外とし致しました。

長い歴史ある三菱のかつての屋台骨であるギャランで最多販売台数、人気を誇ったのがギャランとしては3代目、Σのサブネームが付いた最初のモデル、前期型の人気は飛ぶ鳥を落とす?勢いでこのクラスの横綱であるコロナ、ブルーバードの販売台数を上回る快挙を達成、当時TVCMでも”台地のセダン”なるよう解らんキャッチをやたら流していました…

またまた、菱ヲタの言う事だからアテにならんてか!?w いやいや、往時を知る世代のご同輩であればこのΣの勢いはご承知の事と思います!

初代ギャランΣ123型2000スーパーサルーン(前期)
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このΣも我が家のマイカーだった時期もありこのため特にこのキャッチが残っているのかもしれません。

ギャランΣ、スタイリングは当時のセダンにはないスポーティさで今では当たり前なドライバーズシートの豊富な調整機能、クラス唯一のRrリクライニングシート(グレードによる)などライバルにない豪華さ、そして排ガス規制期もありトヨタ、日産が大幅なパワーダウンを与儀なくされる中、その印象が薄い三菱はバランサー採用により4気筒ながら6気筒並みの静粛性を誇り走りでも上を行きそれまでには無かった三菱ディーラーが休日にはお客でごった返す程のベストセラーになった訳ですね。

但し件のキャッチは前期型のみの採用、78年のMCが成功とは言えず急速に人気を落としライバルも排ガス対策が落ち着き新型にチェンジした事もあり後期から再び第三勢力となっております…。

さぁ、ベストテンに戻ります!今週の第5位!!

【~いつかはクラウン~(7代目トヨタクラウンMS/GS/LS120系 1983~87)】
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このキャッチ、あまりにも有名だしもしかしたら日本の車で一番メジャーなのかもしれない、クルマに興味ないヒトでも知ってる位(ウチのカミさんがいい例w)なので普通に考えれば1位でもおかしくないですがね、そこは元Gureの独断、当時バブル期とは言えまだまだ小僧でしたしこんなクルマ買える訳ない、ハイソには興味あった頃ながら対象はマークⅡやチェイサーにクレスタ、ソアラ、クラウンは50/60代の人生の成功者が乗るクルマ!(今50代になっても失敗者なんで未だに乗れませんが…爆)って感じであまり興味なかったしこのキャッチに惹かれる世代でもなかったんでこの順位としました、しかし今でもクラウンを語る時には必ず出る言葉、名キャッチには相違ないです!

7代目MS120型クラウン4HT 2.8ロイヤルサルーンG(前期)
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この型のクラウン、まだレクサスもセルシオもマジェスタもない時代で国内最強メーカーの最高級車(ショーファーのセンチュリーン除く)、高額車の割に時代もあり街中にウヨウヨ生息、このクラウンのイメージが強過ぎ以後クラウンを取り巻く時代背景から迷走していく中、つい先日、新しい時代のクラウンが提唱され古き良きクラウンと新時代のこれからのクラウン、無理やりにでもいい塩梅に融合したように思わなけければって感じ、しかし”いつかはクラウン”これを上回る名キャッチはなかなか現れんでしょうねぇ…。

いよいよ上位に行きます、第4位!!

【~未体験ゾーン~(初代MZ/GZ10系トヨタソアラ 1981~1986)】
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1981年、初代ソアラが出た時の衝撃と羨望はワタシら世代には忘れられない筈、その一つがこのキャッチである”未体験ゾーン”!

2.8LDOHC6気筒5M-GEUは170psを発生(2800GT/同エクストラ)、あのトヨタ2000GTやスカイラインGT-R/Z432をも上回る大出力は正に未体験ゾーンでありCMで着飾った美女を横に乗せ涼しい顔させてテストコースを走りながらこれもお初なデジパネが映し出されこのキャッチが流れるともう夢うつつって感じでした(笑)

それまでの国産車にはなかった豪華でスポーティなパーソナルクーペは免許取り立て小僧は皆憧れでSOHC125psの1G-EUを積む廉価低グレードでもいいから欲しい!と夢見たもんでした~。

初代MZ11型ソアラ2.8GTエクストラ(前期)
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当初その”未体験”な2.8Lと2Lでデビュー、82年にはM-TEU型2Lターボが追加されるもターボはATのみの設定、今と違いまだまだMTが主流の時代でしたんで注目はやはり2.8LのGT系5速でしたが5ナンバーで3L並みの高出力を実現したターボも人気を博し国産で初めてBMWやベンツと渡り合う性能と風格を得たのもこの初代ソアラ、その人気の高まりに間違いなく色を添えて名キャッチだと思います!

ベスト3に入ります!今週の(もうええって)第3位!!

【~街の遊撃手~(2代目いすゞジェミニJT150/190/600系 1985~90)】
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いすゞ乗用始まって以来の大HITモデルの2代目ジェミニ、そのHITの要因の多くはこのキャッチとCM効果が貢献したと言っても過言ではないでしょう、往時を知る世代、これのインパクト凄かったですよね~、依って堂々ベスト3入り!!

トラックが専業ながらそれの傍ら古くから乗用車生産も行い古くはヒルマンやベレット、名車117クーペも産み出し80年代以降は後進メーカーの躍進もあり乗用車メーカーとしては弱小だったいすゞ、60年代の人気車ベレットの後を継ぐFRセダンのジェミニを1985年、時代の流れに合わせてFF化、コンパクトで欧州風の洒落たスタイリングは俄かに注目を集める中、最大のアピールはフランスの街中でアクロバット走行をするジェミニの映像、非CGのキビキビした動きにピッタリな”街の遊撃手”のキャッチはクルマ好きに刺さり空前のHIT作になりトヨタ(カローラ)も慌てさせるほどの売り上げを記録、どこかアングラ?だったいすゞ乗用を陽の下に引っ張り出した功績は後にも先にもこの2代目ジェミニのみでしょう!

2代目JT150型いすゞジェミニZZハンドリングbyロータス
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いすゞらしくDeエンジン、普及型ガソリンエンジン、スポーツモデルにターボやDOHCと幅広く揃えいずれも国産離れしたセダンと3HBのラインナップ、それまで「いすゞ車なんて…」という層を捉えそれまで職人さんばかりのいすゞディーラーに若者やファミリーが押し寄せ慣れない営業マンが慌てたってのも懐かしい逸話ですw

とうとう来ました!第2位!!

【~ブルーバード、お前の時代だ~(6代目910型ブルーバード 1979~1983)】
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2位も納得の順位でしょう、当時のスーパースター=ジュリー(沢田研二)を起用しそのジュリーが”お前の時代だ”と語る910ブル、610~810と2世代でパッとしなかったブルーバード人気を名車510並みに持ち上げた功績はジュリーのイメージキャラクターは絶大、勿論タレント一人の力で売れまくる訳ではないので910そのものが当時のFRセダンとしては水準以上の出来栄えだったのは当然で80年代の街中では910、特にCMで使われたイメージカラーの赤い910は一時期は見ない日は無かった程の超人気車でした。

910型日産ブルーバードセダン1800SSSターボS
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ジュリーは次期7代目U11型の途中迄キャラクターを務めましたがU11が時代の流れでFFになった事、またあまりのHITからU11は910の劣化コピーのような出で立ちになり人気急落、この頃にはジュリー効果も切れていたのと変わり映えしない外観にユーザー側の飽きも来ていた感じでキープコンセプトは諸刃の剣っていうのをブルーバードも見せつけてくれましたっけ!

さっ、オオトリですね!!第1位はこれでした!!

【~名ばかりのGT達は道を空ける~(2代目TA/RA40系トヨタセリカ 1977~1981)】
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やっはり1位はこれしかないでしょー!サーキットをDOHCサウンドを響かせ走るセリカGT、そして”名ばかりのGT達は道を空ける”と…

これ、初めて観た時は震えましたねマジでw
日本では比較CMが禁止されているのでズバリは言わずともクルマ好きならその名ばかりGTが何を差しているのかはすぐに理解、1975年から始まったマスキー法による排ガス規制で各社青色吐息の中、トヨタはそんな中でもソレックス→EFIに変更し大幅なドライバビリティの低下は免れないながらもDOHCエンジンをラインナップし続けスポーツモデルが逆境の時代の中、これが最大のアピールでした。

対する日産、セリカがライバル視していたスカイラインGT系は1973年のKPGC110(ケンメリ)GT-Rが排ガス規制の煽りから廃盤、これ以降DOHCは持たないながら相変わらずスポーツモデルの『GT』を名乗っていた頃からこうした揶揄CMをトヨタが放ちプラス100cc同様に日産を挑発、この事から日産も本気になり10位、6位で触れたようなパワーウォーズに突入して行く訳ですね!

2代目RA40型セリカクーペ2000GT
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この2代目セリカは初代程ほどの大人気とはならず何とか2つのDOHC(2T-GEU/18R-GEU)でスポ車ファンを繋ぎとめている状況、この刺激的なキャッチが産まれたのは79年のMC以降、角目4灯にMCしより戦闘的な顔付になってから流され前期型2代目の 大人し過ぎる・重々しい という悪評払しょくに躍起だったトヨタの名セリフでしたねぇw


ランキングは以上となります、12位以下55位までの今も忘れないキャッチフレーズは下記の通りです!

12位:~ケン&メリーのスカイライン(4代目スカイライン)
13位:~百恵の赤い靴~(初代トヨタターセル/コルサ)
14位:~マッチのマーチ~(初代日産マーチ)
15位:~足のいいやつ~(初代‐3代目トヨタカリーナ)
16位:~お元気ですか?~(初代日産セフィーロ)
17位:~スカイラインJAPAN~(5代目スカイライン)
18位:~ゆっくり走ろう、おぉローレル(2代目日産ローレル)
20位:~かっとびぃ~(3代目トヨタスターレット)
21位:~快適、ローデシベル空間(5代目日産セドリック)
22位:~白い稲妻~(3代目シルビア)
23位:~侍!チェイサー~(初代トヨタチェイサー)
24位:~トラッドサニー~(5代目日産サニー)
25位:~ハンパだったら乗らないよ~(5代目三菱ミニカ)
26位:~クレスタ、何と私的な車だ~(初代トヨタクレスタ)
27位:~男と女と薔薇とスタンザ~(初代日産スタンザ)
28位:~ART FORCR~(5代目日産シルビア)
29位:~愛のスカイライン~(3代目日産スカイライン)
30位:~インディビディアル4ドア~(6代目三菱ギャラン)
31位:~瞬間、コスモの匂い~(2代目マツダコスモ)
32位:~力があるっていいですね~(4代目トヨタマークⅡ)
33位:~シニアドリーム~(初代いすゞピアッツア)
34位:~セブンス・スカイライン~(7代目日産スカイライン)
35位:~白い、クラウン、ハイライフクラウン~(3代目トヨタクラウン)
36位:~町のエース~(初代トヨタタウンエース)
37位:~パワーエリート~(初代日産レパード)
38位:~カッコインテグラ~(初代ホンダインテグラ)
39位:~美しき正統~(5代目トヨタマークⅡ)
40位:~スズキのマー坊と呼んでくれ~(スズキマイティボーイ)
41位:~ワンダーシビック~(3代目ホンダシビック)
42位:~光の中を走るサンデッキ~(2代目トヨタスプリンターLB)
43位:~スポーツはライバルがいるから面白い~(三菱GTO)
44位:~たまらなくテイスティ~(3代目マツダカペラ)
45位:~we?シャルマン~(初代ダイハツシャルマン)
46位:~カモシカ・パブリカ~ (2代目トヨタパブリカ)
47位:~Oh! Hip up cope~(三菱ギャランGTO)
48位:~光煌めくスプリンター~(3代目トヨタスプリンター)
49位:~南の風、晴れ~(初代日産オースター)
50位:~剛力、サンバー~(3代目スバルサンバー)
51位:~あの車とは違う~(初代三菱ディアマンテ)
52位:~電撃ルプリ~(4代目サニーターボルプリ)
53位:~ポールとポーラのラングレー~(初代-2代目日産ラングレー)
54位:~SEXYスプリンター~(4代目トヨタスプリンター)
55位:~ハート&ハード~(初代いすゞジェミニ)

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如何でしたか?こうして振り返ってみるどれも各メーカー気合のキャッチフレーズ、古いモノはそのクルマそのものがもう見れなくなってもキャッチだけは永遠に?残っている、各メーカーというよりクリエーターの力量なんでしょうが次から次へと新型車が産まれは消えてゆく中でいつまでも耳に残るっていうのはある意味偉大な事に思いますネ!

長文読破、お疲れさんでした(^o^)/
Posted at 2022/07/25 16:22:20 | コメント(3) | トラックバック(0) | ザ・ベストテン | クルマ
2022年06月12日 イイね!

おめでたい♪・ご長寿”ザ・ベスストテン”

おめでたい♪・ご長寿”ザ・ベスストテン”
忘れた頃に顔を出すベストテンシリーズ(;^_^A

今回のベストテンは前にやった 儚い命・短命”ザ・ベスストテン” の反対版=ご長寿にベストテンって訳ですナ!

文字通りこの世にデビューしてから何代と継承され長い歴史の中でクルマ好きじゃなくても誰もがそのネーミング、一度は聴いた事ある、それだけ世の中に浸透し親しまれているモデルばかり、残念ながら現在は廃盤となったモノもあれど培った知名度はそう簡単に消えやしない!! 

早速やってみたいと思います、定義は例によって国産車のみ、軽、登録車、乗用/商用に分け隔てはありません、一度途生産が途切れる、サブネームが付く等しても基本同一ブランドが継承されているモノは含めます、勿論被OEM版になっていてもネーミングが継承されるものも含みます。
尚当初は異なるネーミングで初売、途中からネーミング変更したモノはその変更時点からの年数にて計算しています。

今回もワタシの個人的な見地ではなく公式に記録される生産期間に基づいてのランキングになっておりますんで宜しくどうぞ。

それでは早速『めでたい♪・ご長寿ベストテン』やってみたいと思います。

それではまいりましょー!今週の!?第10位!!

【日産フェアレディ/フェアレディZ】

我が国を代表するスポーツカー、フェアレディ!堂々ベストテン入りです♪
スポ車好き、クルマ好きならこの名前を聴けばワクワクする、そんな由緒あるネーミング、最早60年近くの長寿を誇りますが今後、スポーツカーという立ち位置がどうなるか?若干不安はありますが”フェアレディ(Z)”いつまでも生き続けて欲しいモノです!

発売   1960年1月
生産中止 2000年9月
再発売  2002年7月~現在 トータル59年7カ月長寿継続中


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初代フェアレディ(1960~1962)

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2代目フェアレディ(1962~1970)

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3代目フェアレディ(初代フェアレディZ 1969~1978)

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6代目フェアレディ(4代目フェアレディZ 1989~2000)


続いて第9位!

【スバルサンバー】

農道のポルシェの意名を持つスバルサンバー、現在OEMに成り下がりかつてマニアックな軽トラ/ケッパコユーザーを虜にした姿は過去のモノになってしまいましたが例えダイハツ製になってもスバルを代表するご長寿代表には変わりない!?

発売      1960年11月
オリジナル終了 2012年3月
OEM発売    2012年4月~現在 トータル61年6カ月長寿継続中

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初代サンバー(1961~1966)

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(3代目サンバー 1973~1982)

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(5代目サンバー 1990~1999)

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(6代目サンバー 1999~2012)


そして第8位!!

【ダイハツハイゼット】

ダイハツの誇る名車ハイゼット、比較的車名を簡単に捨てるメーカーながらこれだけはご長寿を維持、現在ハイゼットの置かれた立場(トヨタやスバルに供給)からしてこの名車は永遠に存続するんでしょー!

発売 1960年11月~現在 トータル61年7カ月長寿継続中

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初代ハイゼット(1960~1967)

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3代目ハイゼット(1968~1972)

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6代目ハイゼット(1981~1986)

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11代目現行ハイゼット(2021~現在)


さぁ、7位行ってみましょー!

【いすゞエルフ】

小型トラックの代名詞=エルフ、いすゞが誇る名車に違いなくユーザーからの信頼、支持は根強いモノがあり今後もご長寿を維持してくれる事でしょう!

発売 1959年8月~現在 トータル62年6カ月長寿継続中

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初代エルフ(1959~1968)

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2代目エルフ(1968~1978)

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5代目エルフ(1993~2006 一部現行)

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6代目現行エルフ(2006~現在)


さぁ、第6位!!

【トヨタダイナ】

トラックの国民車と言われたトヨエースに遅れてそれの上級車種としてデビュー、以降トヨエースと共通化がなされトヨタの販売店統合により結果ダイナが残る事になりました、歴史の古いトヨエースの分まで今後、トヨタのトラック代表として行き続ける事でしょう!

発売 1959年5月~現在 トータル63年1カ月長寿継続中

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初代ダイナ(1959~1963)

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2代目ダイナ(1963~1968)

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4代目ダイナ(1977~1984)

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8代目現行ダイナ(2011~現在)


☆☆☆~今週のスポットライト!!~☆☆☆
今一歩、惜しくも(?)ベストテンに入らなかったご長寿はこちら!

【スズキキャリィ】

数ある軽自動車を造り続けるスズキの中で最も長寿なのがキャリィ、惜しくもベストテン圏外でしたが60年のご長寿は拍手喝采!

発売 1961年10月~現在 トータル60年8カ月長寿継続中

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初代キャリィ(1961~1965)

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11代目現行キャリィ(2013~現在)


さぁ、ベストテンに戻ります!今週の第5位!!

【プリンス/日産スカイライン】

国産車黎明期に旧プリンスからデビューしたスカイライン、その後の神的人気は今更言うまでの事はないながらも日産の迷走?から今後の存続が危ぶまれていますね~、是非スカイラインには昔を思い出し原点に立ち返って生き延びて欲しいモンです!

発売 1957年5月~現在 トータル65年1カ月長寿継続中

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3代目スカイライン(1968~1972)

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5代目スカイライン(1977~1981)

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6代目スカイライン(1981~1985 一部1990)

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10代目スカイライン(1998~2001 一部2002)


いよいよ上位に行きます、第4位!!

【トヨタトヨエース】

ダイナと負けず劣らずの長寿国民車トラック、残念ながら販売店統一の犠牲になりその長い歴史にピリオドを打ちましたがトヨエースの残した足跡は偉大でした!

発売 1956年7月
製廃 2021年3月 トータル65年2カ月にて終了

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初代トヨエース(1956~1959)

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2代目トヨエース(1959~1971)

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3代目トヨエース(1971~1979)

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8代目最終型トヨエース(2011~2021)


ベスト3に入ります!今週の(もうええって)第3位!!

【トヨタクラウン】

数あるトヨタ乗用車の中で最長寿のクラウン、長い歴史で培った”日本の高級車”像を提案し続けて70年近く、しかしそのクラウンも昨今のセダン衰退という流れの中で行く末が案じられていますね、どのよなカタチになってもクラウンの文字だけは消えないと信じたい、かと言ってセダンじゃないクラウンなら無くなっても仕方ないとも思え複雑な胸中です…。

発売 1955年1月~現在 トータル67年5カ月長寿継続中

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初代クラウン(1955~1962)

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3代目クラウン(1967~1971)

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6代目クラウン(1979~1983)

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13代目クラウン(2008~2012)


とうとう来ました!第2位!!

【トヨタランドクルーザー】

世界の道なき道を行くランクル、70年近いご長寿は堂々ベスト2という立ち位置、三菱ジープ/パジェロ、日産パトロール/サファリ、いすゞビックホーン等多くのライバルを蹴散らし今や最強のクロカンかつ高級SUVとしての人気も高くまだまだ長寿は余裕で更新するでしょう!

発売 1954年6月~現在 トータル68年0カ月長寿継続中

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40系ランドクルーザー(1960~1984)

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70系ランドクルーザー(1984~2004、2014~2015)

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80系ランドクルーザー(1989~1997)

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100系ランドクルーザー(1998~2007)


さっ、オオトリですね!!第1位はこれでした!!

【日産ダットサントラック】

惜しくも現在国内では廃盤となってしまった”ダットラ”50~90年代はあらゆる商店で活躍した代表的ボンネットトラックでしたが軽トラの大型化など様々な要因から需要にマッチしなくなり2012年をもって終了となっておりますがそれでも堂々1位の長寿度合い、暫くはTOPを守りそうですね~!

発売   1935年7月
生産中止 1943年12月
再発売  1946年11月
製廃   2012年3月 トータル73年9カ月にて終了


初代ダットサントラック(1935~1943)


5代目ダットサントラック(1961~1965)


6代目ダットサントラック(1965~1972)


7代目ダットサントラック(1972~1979)


10代目最終ダットサントラック(1997~2012)

ランキングは以上となります、12位以下40位までのご長寿は下記の通りです!

12位:三菱/三菱ふそうキャンター(1963/6~59年0カ月)
13位:日野レンジャー(1964/7~58年11カ月)
14位:マツダファミリア(1963/10~58年8カ月)
15位:三菱ミニキャブ(1966/5~56年1カ月)
同率:マツダボンゴ(1966/5~56年1カ月)
16位:トヨタカローラ/同アクシオ(1966/11~55年7カ月)
17位:トヨタハイエース(1967/2~55年4カ月)
18位:日産セドリック(1960/4~2014/12 54年8カ月)
19位:トヨタセンチュリー(1967/11~54年7カ月)
20位:日産ブルーバード/同シルフィィ(1959/8~2012/12 53年4カ月)
21位:スズキジムニー(1970/4~52年2カ月)
同率:いすゞフォワード(1970/4~52年2カ月)
22位:トヨタライトエース(1970/11~51年7カ月)
23位:三菱ミニカ(1962/1~2011/6 49年6カ月)
24位:日産キャラバン(1973/2~49年4カ月)
25位:日産ディーゼルコンドル(1975/5~47年1カ月)
26位:三菱ランサー(1973/2~2019/4 46年2カ月)
27位:ホンダアコード(1976/5~ 46年1カ月)
28位:プリンス/日産グロリア(1959/1-2004/4 45年3カ月)
29位:トヨタタウンエース (1976/10~ 45年8カ月)
30位:日産プレジデント(1965/10~2010/8 44年10カ月)
31位:トヨタコロナ/同プレミオ(1957/7~-2001/12 44年7カ月)
32位:三菱コルトギャラン/ギャラン/同フォルティス(1969/12~2005/12・2007/8-~2015/3 43年7カ月)
33位:スズキアルト(1979/5~ 43年1カ月)
34位:ホンダシビック(1972/7~2010/9・ 2017/9~ 42年11カ月)
35位:スズキエブリィ(1982/11~- 39年7カ月)
36位:トヨタコロナマークⅡ/マークⅡ(1968/9~2004/11 36年2カ月)
37位:三菱デボネア/デボネアV(1964/6~1999/12 35年6カ月)
38位:日産ローレル(1968/4~2002/12 34年7カ月)
39位:プリンス/日産ホーミー (1965/10~1999/6 33年8カ月)
40位:トヨタセリカ (1970/12~-2006/4 33年4カ月)

以下、マツダカペラ 、トヨタセリカカムリ/カムリ、トヨタカリーナ、日産シルビア、マツダルーチェ、スズキフロンテ、トヨタスターレットと続きます。

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如何でしたか?こうして振り返ってみるどれも各メーカーの老舗かつ名車と呼ばれた車種がひしめいていますね~…

たかがペットネームでもその名前に惚れ込んでモデルが替わっても乗り続けるユーザーも多くこれを無視した日産の現在の立場が示すようにネーミング、ブランドっていうのは大事なモノと思います。

こうして挙げてみると継続中よりも廃盤になってしまったネーミングの方が多い感じですが人に歴史あり、クルマに歴史あり?次から次へと新たなペットネームも新鮮でいいかもしれませんが長年培われ愛されたネーミング、特に現在残っているモノは大事にしていって欲しいと思うのはワタシだけでしょうか…

長文読破、お疲れさんでした(^o^)/
Posted at 2022/06/12 22:08:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | ザ・ベストテン | クルマ
2022年04月02日 イイね!

心に残る鉄道”ザ・ベストテン”

心に残る鉄道”ザ・ベストテン”
ダハハ、意外な?ベストテンを思いついたんで一丁と(;^_^A

ワタクシ元Gure、こう見えても(殆どのヒトは見てねぇっちゅーの!)元鉄チャンなんですわ、いや、鉄レベルには達していないな、乗り物はかなり幼少(3歳位かな)から好きだったけど男の子ではお約束で今のようにクルマ/バイクに限らず飛行機、船、鉄道と乗り物は全般的に興味津々のガキだったという…

中でもクルマと鉄道は非常に好き、成長するにつれてバイクに乗りクルマに乗れるようになると鉄熱は急速に下がりましたが幼少~10代半ばまではそれなりに鉄道も好きでプラレールから始まりNゲージ→HOゲージ、当時秋葉原にあった交通博物館(現大宮の鉄道博物館)にもよく亡父に連れて行ってもらったし小学校高学年になると鉄道好きの友人達とよく通ったりしたモンです!

そんな訳で今回のベストテンはそんなワタシなんでほぼ昔の、70~80年代に活躍していた車輛が主、クルマも鉄道も昭和モノには目がないワタシらしい選択っしょ?(笑)

遠い昔だし本格鉄ではなかったんで詳細はクルマ程解らない、例えば〇〇〇系は解ってもその後の何千番台とか解らんし乗り鉄でも撮り鉄でもない、免許取る以前は最も身近な足として親しみ外出時に沿線や駅で見かける車輛に見とれる?程度のモンです、なので本格鉄サンには???かもしんないし記述に不正確な部分もあると思うけどそこは優しくスルーしてちょうだい!ピアノ売ってちょうだい(汗)w

あっ、居住地の関係で関東・首都圏の車輛がほぼ、それ以外の地域の方には登場車輛知らんかもなんで鉄道興味ナシ、関東以外居住の方は長文だし相変わらず下らん企画、単なるオッサンのカビ生えた想い出振り返りなんでブラウザで戻っておくんなさいまし(汗)


それでは早速『 心に残る鉄道”ザ・ベストテン”』やってみたいと思います。

それではまいりましょー!今週の!?第10位!!

【小田急2400/2600/4000、9000系等】
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↑2400系

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↑4000系

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↑9000系

小田急って子供の頃は全く馴染みなし、今でこそ沿線ではないながら小田急線の駅も使える所に住んでるんでたまに使うけど昔は一切関わりナシ!

では何故この順位にいるのかは?誰しもある子供の頃の家族旅行の楽しい想い出、その中に小田急線の姿があるんですわ~。

ウチは昔から旅行もクルマ移動だったんで小田急に乗って!!というありがちなものではなくよく箱根に行っていたんでね、強羅他で駅の真横を通ると普段見慣れない電車が入線していてそれに駆釘付けって感じでw

あっ、小田急と言えばロマンスカーが有名、誰しも子供ならこっちに興味津々なのでしょうが天邪鬼は幼少から!?元Gureはロマンスカーには目もくれず一般車輛を凝視する変なガキでしたが何かwww

何せいつも京浜工業地帯のススで汚れたくすんだ赤い電車やかりんとうみたいなこげ茶の電車しか見ていないので真っ白にブルーの帯が入る小田急、なんて綺麗で素敵な電車なんだろう!と感激してましたネ。

好みは見慣れない?前照灯がWの2400系やこれを大型化し現代的にリファインした4000系、馴染みある京急旧1000系と似た貫通扉の顔ながらW前照灯が付き色が綺麗だとこうも印象違うんかと感動、また80年代に入って登場した8000系は現代にも通じる当時ハンサム、今で言うイケメン顔がツボに入った、貫通扉が左右の窓より小ぶりで窓が大きく近代的なデザインはこれを見かけると”カッチョええ!”と心底思ったりでw


続いて第9位!

【東急初代7000系他】
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東急線も沿線ではないので馴染みはそうない鉄道、しかし小田急と違いよく利用するターミナルの横浜駅に乗り入れていたし都内の目蒲線(現在の目黒線)に親戚がおりそこに行く時に年イチ位で利用したかな?

東急と言えば今では当たり前なオールステンレスを日本で初めて取り入れたボディが斬新、波板の如くウネウネして見るからに柔らかそうで強度は大丈夫?なんて余計な心配したりとw

後は何がカッコいいってバイクやクルマのようにディスクブレーキが7000系以降採用されていた事!
鉄道車輛では現在でもそう見かけないディスク、電車としての制動力云々は解らんけど見た目はホント、バイクやクルマのようでキラキラとディスク盤を輝かせながら走る姿に見とれたモノでした、今でも東急線見ると足元を凝視してしまうのはその頃からの習性www

そして第8位!!

【京急デハ230系/600/旧700形】
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↑デハ230

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↑600系

”赤い彗星””暴走列車”で関東では有名な京急(京浜急行)、幼少から18歳迄は京急沿線で育ったし都内の高校に通ってたので3年間毎日お世話になった一番馴染みのある鉄道。

今回8位としたのは当時(主に70年代)でも引退間近だったデハ230系(以下230)、仕様により他にも似たような出で立ちで色々形式はあるんだろうけど代表的なコレを主とさせてもらいます!

ワタシの記憶にある範囲で230の現役姿は京浜川崎(現京急川崎)から川崎大師を抜け川崎臨港部の工場地帯まで行く大師線、この大師線は言わば京急のローカル線的なモノで現在でもそうですが本線(品川~久里浜や三崎口等)では用済みになった旧型車輛が最後のヒトトキ。余生を過ごす路線、本線時代は爆走していた車輛もノンビリ、せいぜい50~60㎞(駅間が近い為)でチンタラ走るって感じの路線…

多くの名車?がこの大師線を最後に解体される訳で鉄道マニア、京急マニアはその時が来ると結構集まっていたりしてたのを通学時に横目で見ていたっけなぁ(遠い目)。

とにかく強烈に憶えているのはボロかった事w
室内は木造だし外装は鋼板ながらこれでもか?位のリベット留め、大師線沿線に当時の友人が住んでいたんで時々乗るも釣り掛け式の旧型モーターの奏でる爆音と大袈裟にキーキー言うブレーキ、マジ乗ってて何度も「ボロいなぁ」と思ったモノです(笑)

しかしもしかしたらワタシが電車というモノに初めて興味持ったのがこの230かもしれん、あの独特な音と堂々とした出で立ち、50年近く前の雄姿が今でもハッキリ瞼の裏に残ってるくらいなので間違いないでしょうナ…。

一方の600/700系は230とは真逆の当時本線をバリバリ走る優等列車?快速特急に使われた車輛、見かけは国鉄特急型のように2窓で2ドア、社内は対面クロスシート(ロマンスシート)が主でそのシート形状だけで舞い上がる気分、貧乏人のガキはクロスシートが普通だったグリーン車や有料特急(近郊型通勤車両は除く)なんて縁がなかったんでね、普通運賃で乗れる快特に乗るとホント天にも昇る気持ちで(笑)

都営浅草線(地下鉄)乗り入れをしないので貫通扉がなくスマートな顔はケロヨン(カエルがキャラクターだった昔のドラマ)を彷彿、そんな可愛らしくも本線を110㎞で爆走する姿は今も鮮明に残っています!

さぁ、7位行ってみましょー!

【国鉄 旧型国電】
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国電なんて言っても今の40代以下は知らんでしょうね(汗)

国電=首都圏の通勤電車の事で今のJR山手線や京浜東北線なんかを差しますネ!

これも本格的現役時代、つまり上記の山手線や京浜東北等の第一線で活躍していたころは知らんです、そこまで爺じゃないw
型式はクモハ62とか72とかで他にも数々あるけど戦前~の車輛を一括して”旧型電車”或いは”旧型国電”と呼ぶようですね、そこは識者の方にお任せしますが…

戦前~戦後が主にその活躍期だったようでワタシの知る現役姿は当時は神奈川のローカル扱いだった横浜線や南武線、鶴見線の姿、京急230同様に釣り掛けの爆音とハンパない振動、そして古さ故に何度も塗り直された車体と室内、厚化粧のその跡は停車している姿を遠くから眺めても、または乗り込めば一目瞭然に子供の目にも解るモノ物でしたw
当時の横浜緑区(現在の青葉区)にある子供の国に行く時、東神奈川~長津田迄よく利用、愉しい子供の頃の遊びの記憶にこの旧型国電の雄姿はインパクト強く残っている…。

コレって歴史的鉄道大事故である『国電桜木町事故』(知らんヒトはwikiでググってチョ)の車輛でもあり木造車体に架線から漏電した電気はまたたくまに火災を引き起こしオマケに窓が3段窓で乗客は窓からの脱出もできず多くの方が亡くなったという曰く付きの車輛、その事故をきっかけに鋼板製にしたり窓枠を2段に改めた更新車輛が登場、しかしワタシが憶えている年代でもまだ木造3段も現存、これはドアから乗ると当時の新鋭と言うか当り前の車輛にはない入口(出口)の通路真ん中にポールダンスのような棒があり勿論ラッシュ時に客が捕まる為のモノだったのでしょうが子供にラッシュなんて概念がない、よくこれに当たると友達と「これ、ボロいから屋根が落ちないようにつっかえ棒にしてんだよwww」なんて馬鹿にしていたのを思い出しますわ(笑)

確か最後になる鶴見線には80年代後半?もしかしたら90年代まで走っていたか?90年としても戦後昭和20年~50年近く現役を通した旧型国電、尊敬です!

さぁ、第6位!

【JR東日本209~E231型】

↑209(京浜東北・根岸線)

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↑E231(東海道線・湘南新宿・上野東京ライン)

いきなり現代に来ました(;^_^A

209~E231、233、かつて首都圏にはウヨウヨいた国電101/103、201/205、近郊型113/115/211系等の置き換えで90年代半ばから一気に増殖、初めて乗ったのは209、94年頃の根岸線(京浜東北)で従来型の103系に較べ格段に豪華な室内とインバーター制御による滑らかな加速と電子音にビックリしたっけ、所謂”寿命半分、価格半分、耐久性半分”をコンセプトとしバカチョンインスタントカメラのお気軽なン使い捨てカメラ「写ルンです」をもじり「走るんです」なんて揶揄されてたけどほぼ103系国電で育った身には新鮮でした…。

E231は今でも沿線住まいな東海道なんでデビューしてすぐだったな、ただ初期はやたらシートが固くて湘南新宿ラインができて最初にオークション出品帰りに栃木の小山から横浜までブッ通しで乗って来たらケツが異様に痛いの痛くないのって(*_*;
アレは今でも忘れんわw

しかし旧103や113等と較べ隔世の感があり以後首都圏のあらゆる路線に209,231/233は配備、山手線、京浜東北、総武緩行、中央線、常磐、南武線、横浜線、東海道(湘南新宿、上野東京ライン)等々、驚きなのはかつてはローカル線扱いだった横浜線も今では沿線開発からなる乗客数の劇的上昇により山手線の次に新型が配備されるようになり確か京浜東北よりハマ線に先に配備されたような気がします、かつてはボロい旧型国電や山手線お下がりの103系を使っていたクセに生意気な!なんて思ったりしたもんです(笑)

今の若い世代の当たり前な通勤電車といえばコレなんでしょう、滅多に電車乗らないオッサンはデビューして20年になるってのに未だに”新型”と感じるしハイカラな電車だなぁと。

しかし昔のようにボディ全体がその路線を示す色ではなくステンレス車体にかつてのそれを示す色の帯が巻かれる(山手線はドアのみ黄緑になってきた)だけなので遠くからの識別、昔は一発で『〇〇線!』と解ったんだけど今は少し時間を要するようになったかも(微笑)

☆☆☆~今週のスポットライト!!~☆☆☆
今一歩、惜しくも(?)ベストテンに入らなかったのははこちら!

【国鉄→JR 201型】
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↑(中央特快)

ワタシの愛して止まない?101/103系電車の後継である201系、国鉄時代の車輛なのでこれは関東のみならず関西や九州他全国各地で活躍していましたよねー…

201は103と似て非なる物、70年代末期の開発のためブレーキや制御は新システムを採用、見た目(特にサイド)は慣れ親しんだ103と大差ないながら顔付は左右非対称のガラス面ブラックマスクでこれだけで非常に現代的になったと思ったモノ、何故ベストテン圏外にしたかというとコレ、ワタシの生活範囲である京浜東北や根岸線、ハマ線どころか何故か山手線にも導入されず馴染みの薄い中央線(西東京~山梨方面)、総武線(千葉方面)でしか見る事はできず何故神奈川には新型を導入しない!!国鉄責任者出てこい!!と怒り心頭(嘘wホントはジェラシー)、このためスカイブルー(京浜東北・根岸線)の201は見た事なかったですが関西に行った時、何線だかは憶えてないけどスカイブルーの201を見た時は感動しましたわ、この順位ながら好きな車輛には違いねーっす(^^)

さぁ、ベストテンに戻ります!今週の第5位!!

【国鉄→JR EF66型電気機関車】
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電車ばかりが鉄道ではありませぬ、機関車もそれなりに興味ありましたが特にコイツは機関車とは思えないスマートでカッコいい顔付が好み、HOゲージ入門時、真っ先にこのモデルを選ぶ位好きでしたんで高順位!

現在でも現役ながら顔付を大幅に更新されノペッとした感じになりやはり最初のタテグロのような〇縦4つ目、そして逆スラントでLAルーチェやRX-3のように鋭くどんがったセンターがカッコいい!!

関東圏の貨物列車でももうこの初期顔はいないんかな?かつては寝台特急として東京駅や横浜駅で堂々とした姿を見せていたけどブルートレイン廃止の流れで近年では貨物列車のイメージしかないけど地響きを立てて爆走する雄姿はいつまでも心に残ってるねぇ~…

いよいよ上位に行きます、第4位!!

【京急 2000形/2100形】
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↑2000

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↑2100

これを4位という高順位にしたのは8位の600形で述べたのと同じ理由=京急の花形である快速特急でデビューし多く用いられた京急マニアには羨望の普通料金で乗れる豪華車輛という理由かなw

2100は現役、2000は既に引退、2000がデビューしたのが丁度高校生になり毎日通学で使うようになった頃、残念ながら学校は快速停車駅ではなかったのでこの”新型快特”に乗る機会はそう多くはなかったながら見慣れた旧1000形にはない貫通扉のないスマートなスラント顔、旧快特の600形譲りのロマンスシート、そして”ホントに特急料金いらんの?”と思わせる程豪華な内装につくづく京急ユーザーで幸せと感じたモンです。

また、外観も従来の赤いボディに白い帯から脱却、赤は基本ながら窓枠全体を白くしたNEWカラーリングも斬新なイメージを与え現在でも優等列車、新造車両が主にこれ、各停やローカルは基本の赤/白帯って感じ(必ずしも運用はこの限りではない)
2000は後年3ドアに更新され最後はローカルに廻り生涯を終えているも未だ元Gureの中では”京急新型快特”のイメージが残ります…。

一方2100、これは何と言っても唄う電車=GTOサイリスタVVVFインバーターが最大の特徴であり人気の的、♪どれみふぁそらし~(ふぁそらしどれみ~という説も)と音階を奏でて出発する姿はとてもユーモラス、くるりの『赤い電車』なんて歌もできた位注目されました。
そして首都圏通勤電車最速の120㎞をかつての爆音600/旧700形とは違い静粛に疾走するサマはこれそ現代の快特って感じでw

機器の故障やメンテの部分でドイツシーメンス社製のGTOインバーターは徐々に更新され国産に切り替わり残すところシーメンスは1編成とも2編成とも言われ確かに2100を見てももう謳わなくなり一抹の寂しさもありますが今ではさほど京急に縁が無くなった身でも全国に誇りたくなる、そんな電車です(^^)v

ベスト3に入ります!今週の(もうええって)第3位!!

【国鉄20系→151系東海道旧こだま号他/国鉄→JR 0系東海道新幹線/JR 300系東海道新幹線】
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↑150系旧こだま

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0系東海道新幹線

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↑300系東海道新幹線

20→151系に改番されたかつての国鉄花形特急車輛、東海道新幹線が開通した前年に産まれた元Gureですんで勿論これが現役こだまとして東海道線を走っていた時代は知りません、走る姿は東海道の特急を新幹線に譲った以降、他路線の特急で活躍していたのを見た位で151を基本とした161、181他110や481等改造車輛も含みます!

国鉄特急カラーのその後の定番となるクリーム車体に赤い帯、ボンネット型のゴツいスタイリングは子供心に眩しかったなぁ、残念ながら乗った事は無く馴染みは薄いも子供の頃、こだま号は元々はこれだ!と父に教えられ”なるほど~”と頷いたのが何故か未だハッキリ憶えていたりで(笑)

そしてそのこだま(ひかり)が新幹線となってデビューした初代0系新幹線は子供なら当たり前の憧れの鉄道、さすがの天邪鬼も新幹線だけには心を奪われ大人になりクルマ乗るようになり首都高をドライブ、新幹線の真横を通るK・K線で出会うとテンション上がったりしたモンですw

0系は”弾丸列車”として構想されたようにスタイリングは弾丸そのものながら丸い目玉がとてもチャーミング、白と青の2トーンカラーも華麗だったし世界最速(当時)220kmでそれまで大阪まで6時間以上掛かっていたのを一気に半分で行ける夢の超特急、これに憧れない男の子はおらんでしょう…

0系は息が長く2008年まで現役だったとの事、晩年はウエストひかりとか西の方では見かけるも東海道新幹線ではもう500系やN700がメインだったんで仕事で広島とか山口で0系見るとやけに感激、ほぼ同時に産まれ一緒に長い時を過ごした0系、そんな訳で思い入れは強く新幹線=0系っていうご同輩も多いのではないでしょうか?

300系は国鉄→JRになり初めてのJR開発の新幹線、従来の最速ひかりを超える超々特急の?のぞみ専用車両としてデビューじたのが平成2年との事、ワタシの中ではこれも新型車両なんすがね(汗)

0系→300系の間にあってた100系(スーパーひかり等)が様々な要因で評価が芳しくなかった点でJR東海が肝入りで開発した300系、0/100系の置き換え次世代新幹線として当時はかなりの注目を浴びこれもサラリーマン時代の出張でよく乗ったけど馴染みある0系とはやはり技術の進歩を感じたモノです。

そんな300系は意外に寿命は短く2012年に廃盤、20年チョイなんで0系の半分もなく置き換えされるも後続のN700がなんだかアヒルみたいで好きじゃなかったんで運用離脱時には軽くショックを受けましたw

とうとう来ました!第2位!!

【国鉄→JR 101/103系、111/113/115系、185系等 】
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↑101系(常磐線)

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↑103系(横浜線)

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↑113系(東海道線快速アクティ)

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↑113系(横須賀・総武線)

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↑185系(東海道線踊り子号)

出ました!2位はやはり国鉄時代→JRに分割民営化後も暫く首都圏で一線を戦った車輛達、185系を除きどれも通勤の足を支え”殺人ラッシュ”全盛期を生き抜いた通勤・近郊型、サラリーマン、日本経済を支えてきたと言っても過言ではないでしょう、国鉄時代の70年代の国労・動労によるスト権スト、国鉄順法闘争(懐かしい言葉w)の頃はこれらの車体に「ストライキ続行中」とか「勝利を手中に!」なんてポスター?落書きされた車輛達が気の毒で。

101はさすがにもういないでしょうが関西の一部や九州では103は今でも運用されているらしくこれは乗り鉄ばりにいあるうちに乗っておきたい!

113も山陰山陽地方、日本海側では未だ現役との事で嬉しく思いますねぇ、数年前の広島夫婦旅行で少し乗りあの懐かしい独特なモーター音を堪能、東海道沿線住まいとして馴染み多き113、ついこないだまで東海道線・横須賀線で走っていた感じながらそろそろ退役して20年にもなるんだどシミジミ…

今では各地で様々な塗色になっている113はやはり"THE湘南カラー”が一番しっくりくる、丹沢の山を表す緑、小田原や静岡のミカンを表すオレンジカラー、そして白い雲と青い海を表すスカ色(横須賀線)も湘南カラーに次ぐ印象で各地で塗り直された個体を見るとその地方の方には申し訳ないながら”チョ、待てよ!”と叫びたくなりますw

東海道線と横須賀線はかつて東京~大船まで同じ線路、停車駅が互いに入れ違いで停まる感じでしたしその頃は確か大船から西はタバコが吸え車輛にも灰皿完備、蓋の上か何かに~大船以前では使用できません~なんて貼ってあった気が!時代を感じるなぁ…

何より想い出深いのが横浜~鶴見位まではあの暴走特急と並走するんで爆走する京急に負けてなならずと旧い113系で目一杯モーター出力を上げ爆音というか爆発すんじゃね?位轟音を上げ京急新鋭快特に喰らい付く姿!

向こうは120㎞対応、113は頑張っても100㎞、当然京急にアッサリ置いてゆかれるんですが京急も意地悪?時々100㎞まで緩めたりしてデットヒートを演じ手に汗握る見せ場を作ってくれたりとw
最終的には113が負けるって解ってるからこっちが京急乗ってると余裕の見物、逆に国鉄(JR)乗ってるともしかしたら今日は抜くかも!?みたいな緊張感でハラハラしながら”やっぱ負けた”なーんて通学時に愉しんでたっけ(笑)

101/103は馴染みはやはり京浜東北・根岸線、まだ野球が好きな頃ハマスタに横浜大洋→横浜ベイスターズの応援に行く時よく乗りあの98年の優勝時には車輛全体が応援歌で湧き上がっていたなんて事もあったりで。

101/103は黄緑(ウグイス)=山手線、スカイブルーが京浜東北根岸線、黄色(カナリヤ)が総武線、オレンジ=中央線、エメラルドグリーン=常磐線、その他ローカルは各メイン路線のお下がりが廻るので色は様々、当時ローカル扱いの横浜線なんて様々な色が混入された編成も多く先頭山手線、中央が京浜東北、後部総武線なんてのもよく見かけ「出た、MIX電車」とか言って喜んでたっけw

101/103は寿命が長く関東では2006年位の鶴見線や青梅線が最後かな?しかし大阪では2017年までバリバリ現役で原型からかなり改造(更新)された個体を10年前に大阪環状線で見た(乗った)時は乗り味はあのままながらあの外見の違和感には何とも言えん気持ち悪さがあったなぁ、具体的には前窓の2本の桟が廃止されていたりドア横の戸袋窓が埋められたり方向幕がデジタル化されたりで60代70代のお婆さんが無理やりギャルファッションしているような気持ち悪さ(爆)

185系、顔は111や113/115と同系統ながら2ドアクロスシートの急行型だった153系の置き換えとして昭和56年デビューの当時大人になりかけでクルマしか目に入らない時期でも思わず新型車輛デビューって事で大注目、白い車体に斜めに緑線が入るのがお洒落な東京~伊東を走る踊り子号に採用(その後新幹線リレー号や信越線特急等でも運用)され沿線住民としては憧れのリゾート特急「踊り子」は格別な存在、娘や息子らが小さい頃なんかはお散歩で線路沿いを歩くと見慣れた113に交じり時折走る踊り子に子供が歓声上げるのを目を細めて眺めていたっけ。。。

185も最近定期運用は終了し今は臨時列車で運用、しかし今年中に廃車との情報もあり遂に乗る事はできなかったと後悔先に立たず、惜別の185、思いで多き103/113は絶対的にワタシの中ではベスト2位です!

さっ、オオトリですね!!第1位はこれでした!!

【京急 旧1000形】
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1位はこれしかない!子供のころから数えると何回、いや、何百回乗っただろうか?高校3年間は毎日通学で乗っていた(たまに気分が変わると国鉄利用たりもしていたが…)んで今もあの爆音、振動、ブレーキ音、鮮明に耳に残ってるんですよねぇ。

旧1000系、60~90年代の京急メイン車輛で各停・急行・特急・快特の全てに運用され逗子線や大師線、空港線等の派線?ローカル線等全てでも運用、都営浅草や京成線、千葉北総開発や千葉急行にも乗り入れや相手先リース等でも活躍、京急線内でも一時期はほぼ1000系(当時は新1000系の概念なし)しかないっていう時代もあったんしゃないかな!?

1000系の寿命も長く1959年~2010年まで現役だったとの事、これ以前の230等と比較してスマートな車体と有名な新幹線と同じ規格の線路幅、当時最新鋭の機器で当時は異例な110㎞高速運転(後年は120㎞対応)可能だった点、そして見るからに頑丈な鋼板製車輛はまさに”快速””爆速”イメージそのもの、こちとら京急育ちだと他の私鉄や国鉄乗るとトロくてイライラしたりでw

1000系には方向幕が白色(白幕)と黒色(黒幕)があり白幕は比較的古い車輛、黒幕は新しいもので白幕は発信音やブレーキ、コンプレッサー等の音がやかましく形は同じでも乗り発車すると「あぁ、今日は白幕だわ」と3年の通学期間で判断できるようになったりで…
そんな事考える暇あるんだったら英語のスペルの一つでも憶えろちゅーにネ(笑)

これも、てか当然最後は黒幕車だったけどつい最近まで走っていた気がするももう10年以上前に消えている、今でも京急と言えば旧1000形が即座に思い浮かぶ、これも同世代京急ファンには頷いて頂けるんではないかと思いますが如何でしょうか…

旧1000形は高松の琴平電鉄に大量に譲渡され今も現役で走っているとか!何でも京急カラーにリバイバルした個体もあるらしく是非これは見て乗ってみたい!高松に行く用事造らねば!!って位思い入れあるんで子供の憧れ、夢の超特急すら抜き去る京急旧1000形、圧勝の1位でした♪


総括:現代のスマートで静粛性も高く滑らかに走る車輛もいい、しかし昔の爆音立てて必死の形相(に見える)で汗拭き拭きで走る昭和の電車、ダイナミックさは今の比じゃないですすね、こうして久しぶりに鉄道を見ると面白く鉄ッちゃん昇格しそうな自分が怖いwww

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って事でいつもとは視点を変えた鉄道ベストテンは以上です、如何でしたか?毎回〆では書きますがクドイですがあくまでもこの企画はお遊び、首都圏在住の方のみしか解らん内容なのでその他の地域の方々には退屈だったかもですがご了承願います<(_ _)>


長文読破、お疲れさんでした(^o^)/
Posted at 2022/04/02 21:38:40 | コメント(1) | トラックバック(0) | ザ・ベストテン | 日記
2022年01月15日 イイね!

失敗!?やっちまった!? 残念フルモデルチェンジ”ザ・ベストテン”

失敗!?やっちまった!? 残念フルモデルチェンジ”ザ・ベストテン”

今回のベストテンは”変えなきゃよかったんでね?”とNEWモデルを見て皆さんも感じた事、一度はあると思います、そんな思いをしたクルマ達のフルモデルチェンジ(FMC)をやってみっかなと…

最初に断ればこれもあくまでもワタシの基準、思いです、まぁ、大体市場の評価や実際のFMC前後の人気/売上げは比例しているとは思いますが中にはヒトによっては”えっ、アレって新型の方が良くね?”ってのもあると思いますがそこは元Gure個人的意見としてスルー願います!



例によって定義としては国産4輪限定で乗用車(一部商用含む 軽/登録車)とさせて頂いておりますので宜しくお願いします。

それでは早速『 残念フルモデルチェンジ”ザ・ベストテン”』やってみたいと思います。

それではまいりましょー!今週の!?第10位!!

【初代→2代目トヨタセリカ】
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(初代TA/RA20-30系セリカ 1970~1977)

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(2代目TA/RA40-50系セリカ 1977~1981)

1970年に三菱ギャランGTOと共に日本初のスペシャリティカーとしてデビューしたセリカ、HTノッチバッククーペと後にはHBクーペのLBを追加、当時は希少なDOHCエンジンを1.6/2Lに設定し流麗なスタイルとスポーツカー並みの高性能を売りに絶大な人気を誇りました!

初期ダルマ(HTクーペ)が発売されたのがワタクシ小学生になるかならないかの時期、クルマに関しては多感になる入口と言っていいかな?オヤジの影響で僅か6~7歳でも菱贔屓でしたがセリカ、素直にカッコ良かった!

初代セリカはこの種のモデルとしては異例な売上げと人気を誇り7年の長寿で末期ですら売上げがダウンが起きなかったという伝説もある程でしたんで77年、輸出先のアメリカ等の要望を採り入れボディを大型化しアメリカンナイズされたスタイルにFMCされた時はマジにガックリしたもんです…。

DOHCを2種TOPに据えた搭載エンジンは普及型を新採用した以外基本同じ、排ガス規制期なので走行性能的にも不利な時期でもありそれに増して軽快さを失い贅肉をタップリと蓄えてようなイメージになってしまったその変わり様にはショックさえ受けたモノでしたねぇ、市場的空気、評価も同様、セリカファンからはFMC前に”どうか変えてくれるな”との要望が殺到したとかしないとか?こんな根強いファンの要望を無視したFMC、当然初代を下回る人気と販売となってしまいこのFMCは失敗と言っても過言ではないかもしれない…

しかし有名な2代目セリカのコピー『名ばかりのGTは道を開ける』が象徴するように当時日本では貴重なDOHCエンジンを有する事から一定以上の評価はあり人気が無かった分現在残存する2代目セリカは初代よりも希少な存在な事は確かですナ!

続いて第9位!

【2代目→3代目プリメーラ】
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(2代目P11型プリメーラ 1995~2001)

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(3代目P12型プリメーラ 2001~2008)

オースター/スタンザの後継であった初代P10プリメーラ、日本車離れした秀逸なハンドリングヤサス設定、名器SRエンジン等で稀に見る高評価を獲得、常に不人気車の烙印を捺され続けた先代モデルとは正反対の高い人気を誇り大黒柱のブルーバードをも上回る販売量を記録したのも有名…

その流れを引継いだ2代目P11プリメーラも基本はP10のキープコンセプト、ボディ拡大による重量増で若干P10の走りはスポイルされるものの評価が高かった欧州車風のスタイリングを始め玄人好みのファミリーセダンとして存在感を発揮、P10程ではないながら評価も上々でした。

そして2001年の3代目P12がデビュー、P10~11のイメージはすっかり消え失せ近未来的ではあるもアクの強いスタイルとなりこれも正直凹まざるをえない!といった感じ。

好き嫌いはあると思うも何よりP10~11にあった軽快感とスポーティさがなくなりセダン(ワゴンもアリ)としては見慣れない摩訶不思議な出で立ちはワタシのような保守的な人間には確実に嫌われるモノ、新しさは認めるもこれをプリメーラと言うには無理があると思ったモノでした。

言い過ぎ承知で初代、2代目の評価を台無しにした感すらあるP12、セダン人気衰退もありましたが実際この代でプリメーラは消滅してしまいましたしね、日産としては無かった事にしたい失敗FMCだったと思います!

そして第8位!!

【7代目→8代目トヨタコロナ】
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(7代目AT/ST/RT/CT140系コロナ 1982~1985 ※営業向けは除く)

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(8代目AT/ST/CT150系コロナ 1983~1987)

今は無き長い歴史を誇るトヨタの大黒柱だったコロナ、世が世ならヤバいネーミングですわなw

そんなコロナの7代目時代、1982年当時はこのクラスに旧態のFR→FFに転換される時代でありFF化に積極的だった日産はライバルのブルーバードを一気にFF化、三菱ギャランΣやマツダカペラも順次FFに切り替わっていく中、保守層ユーザーが多いトヨタはFF化に慎重でコロナはまず6→7代目でもFRでリリース、翌83年にまずメインではない5ドアとして次期型となるFFの150系を140系のボディバリェーションとして追加、FF慎重姿勢故に140系はデビュー僅か1年で8代目の一部がお目見えするという特殊な状況となった訳です。

その後セダンでも5ドアベースのノッチバック4ドア(8代目150系)を83年暮れに発売、140系は廉価版、スポーツモデル、営業用に縮小され実質的に140は2年で次期型への置き換えになりました。

コロナと言えば昔から典型的な”オヤジ車”としてのイメージが強固、同じファミリーセダンでもカローラのようにリーズナブルさもなくカリーナのような若々しさもない、40代以上をターゲットにしたよく言えば落ち着いた大人のセダン、悪く言えば前述の如くオヤジセダン…

そんなイメージをFR最後だからかどうかは知りませんが140コロナは大幅に打破、セダン/HT共にこの代から兄弟化されたカリーナやセリカよりも妙にスポーティで妙にトンガッていたイメージ、ライバルのブルーバードが当時のスーパースターであるジュリー(沢田研二)をキャラに一世を風靡する910ブリーバードが大当たり、ジュリーのスター性とカッコ良さを見事にブルに投影し大人気を得ていたのが要因、ジュリーに対抗して映画007のR・ムーアをCM起用、ツインカムターボや最後となるFRを最大限に謳いセダン/HT共にシャープで鋭角的なスタイリングはとてもコロナのそれではなく特にHTは”ミニソアラ”と言われこれまでは無縁だった若い世代からの支持を集めました…。

これに対し83年から追加された次期型150はまぁ正常な従来型コロナの進化形といった印象、スタイリッシュでもなければ若々しさもないこれまで通りの”オヤジセダン”然とした出で立ちは残念と言うか「あぁ、コロナ、正常に戻ったなぁ」といった印象、商業的にも150も順調に売れある意味、140がコロナとしては異端児だったのでコロナ、FR最後のハッチャけでありトヨタやコロナユーザーには150がアンパイでもありワタシ個人の意見が強いのは間違いないですがスポーティモデル好きには共感して頂けると感じます!


さぁ、7位行ってみましょー!

【8代目→9代目日産ブルーバード】
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(8代目U12型ブルーバード 1987~1991)

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(9代目U13型ブルーバード 1991~1996)

過去の企画『 偉大なる“UP! DOWN! 野郎たち”!!!…ブルーバード編』で語ったようにブルーバードというモデルは失敗と成功を繰り返してきたクルマでイチイチ取り上げるとキリがないので今回は最も近年の8代目→9代目を7位に入れてみました!(ブルーバードの遍歴は こちら ①~⑩をご参照下さい)

ブルーバードは初代(310)→2代目(410)、3代目(510)→4代目(610)、6代目(910)→7代目(U11)とし成功→失敗の繰り返し、かつてBC戦争と言われトヨタの小型車屋台骨を支えるコロナのライバル、日産小型の重要基幹車種であってたにも関わらず少々見ていて危なっかしかったのが正直なところ、安定した人気と売上を誇るコロナに対し売れるのは爆発的に売れるもダメなのはコロナの足元にも及ばない、まぁ、通して見ればバランス取れているかもしれんけどw

8代目U12は大ヒット作の910をFFにしながらキープコンセプト化したU11が失敗、910のバランス取れたプロポーションをFF化により崩し似て非なるモノの印象が強くブルとしては久々の6気筒(V6)マキシマを追加したり気合を入れたモデルでしたが910の劣化コピー的出で立ちに酷評されました、とは言っても基幹車種、それなりの販売はなされるも910があまりにも偉大過ぎたって感じ。

そこでU12は910の精神に立ち返りシンプル&クリーンさを強調、マキシマは別車種とし本来のファミリーユースに戻り嫌味の無いスタイリングで万人向けを狙いながらアテーサやツインカムターボも採り入れさり気ない高性能さも持ち合わせ410や510時代に築いた見かけはファミリーセダンでも高性能=SSSの意義を再び味わえるモデルとして好評でした!

そんな中次期U13は再び失敗作、かつて410で犯したやっちゃいけない尻下がりのデザインにより日本人には嫌われ一気に不人気車に転落となってしまいます、このスタイルは北米からの要望で採用されたもので同時期のレパードJフェリーも同じデザインで大コケ、日本では410ブル始めとして尻下がりのデザインは当時鬼門でもありましたが日産は米国の意見を採ったため日本のユーザーから見捨てられた格好、今も昔も日産は海外で強い部分もあり日本市場を軽視?って訳ではないでしょうが他メーカーに較べそのキライが強い気がしますネ、U13が出た時、素直な印象は「ナンじゃこりゃ、410の悪夢再びか?」なんて思ったのが残っておりまする。。。

さぁ、第6位!!

【6代目→7代目日産スカライン】
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(6代目R30型スカイライン 1981~1985 ※バン、ワゴン除く)

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(7代目R31型スカイライン 1985~1989 ※ワゴン除く)

今でこそ7th=7代目スカイラインも高評価されていますがそれはあくまで後追いの2ドアクーペがメイン、6代目R30までの最強のスポーツセダンのイメージをかなぐり捨ててハイソ路線に突っ走ったデビュー当初のR31は失敗FMCとしてリアル世代には名高くある意味R34→V35になった時よりもショックは大きかった…

85年当時は好景気の中、所謂ハイソカー=高級車が持て囃されその火付け役、中心はトヨタのソアラやマークⅡ、日産も負けじとレパードやローレルでそれらに対抗しますが当時のトヨタの神がかり的な人気には敵わずに遂に当時でも国産名車に数えられた著名なスカイランまでもそのハイソ流行に巻き込まれる結果=それがR31スカイラインであり従来のセダンはそのままにスカイラインの象徴でもあった2HTを廃止し4HT化、高級版には以前からローレルという兄弟がいながらもスカイラインも高級路線化させた内容いはさすがのハイソ時代でも多くのクルマファン、スカイラインファンは大ブーイング、ともすれば高級を謳うばかりオヤジ臭さ、旦那臭さがはびこるハイソカーの中でR31はスカイラインらしい若々しさは持ち合わせるもカーマニアにとってはスカイラインは特別なクルマ、それが大衆迎合、時代に流された事は許されず酷評という結果になりました、日産はこの結果に慌てて翌86年に従来の2HTに代わる2ドアクーペをラインナップ、そのクーペにかつてのS54~R30までのスカイラインの精神を注ぎ込みどうにかファンの溜飲を下げた訳ですね~。

しかしさすがのスカイライン、R31のセダンや4HTだとしてもそのような過去は既に時効?現代のスカイラインが変わり果てたモノになってしまったのもあり今では評価されている訳ですからあの頃を知る世代には感慨深いモノがあります!

☆☆☆~今週のスポットライト!!~☆☆☆
今一歩、惜しくも(?)ベストテンに入らなかった じゃない方 はこちら!

【4代目→5代目カローラ】
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(4代目KE/AE/TE/CE70系カローラ 1979~1983)

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(5代目AE/CE80系カローラ 1983~1987)

ダハハ、このFMC時期、実際ワタシこれ売ってたんでワタシの思いも当然ながら販売現場で感じた空気や体験からこれも失敗FMCと言わざるを得ませんナ。

但しこの時期のトヨタはFR→FFに移り行く過渡期でありその流れに一気に乗らず慎重、コロナの項でも述べた通り段階的なFF化を行いカローラの場合はメインであるセダンと従来のLBから変わる5ドアHBをまずFF化、スポーツバージョンとされる2ドア(70時代がHTとクーペ、80になり2ドアクーペと3ドアクーペ=レビン)は旧70系のシャシでFRのまま(ボディはFMC)とされました。

レビンに関してはメインを2T-G DOHCから代わり新開発の4A-G搭載とし後のアニメの影響もあり今や押しも押されぬ高額プレミアムカーとして人気のAE86、これに関しては個人的にはシャープなスタイリングの旧レビン(TE71)が好みというユーザーも少なくなかったながらも当時のテンロクとしては並外れた高性能な4A-Gの前にはスタイリング云々よりも旧態以前の2バルブDOHC 2T-Gは完全に時代遅れでしたし人気販売は順調でした。

一方のセダン系はカローラとしては冒険的な個性的スタイリングを採用、レビン系含めて丸っこくなりそれまでのカローラに較べ非常に個性的、しかしセダン系を選ぶユーザーには4A-Gとか関係なくやはり保守層にはFF化は受け入れられずかつその丸ッこいデザインもショールームに見に来たお客さんの多くは「なんでこんななっちゃったの?」という声が多かったのも事実、ワタシもそのお客さんのご意見はごもっとも!と思ってたんで同じFFでも角ばった当時のAL20カローラⅡを薦めたりしてましたっけ(笑)

それでも当時最量販車種のカローラでしたんで報奨金に困らない程度には売れましたが70時代は黙っていても売れていたのが80になると結構努力しないと売れない、そんな思いはありましたねぇ…。

失敗FMC、売る側の思いも多分に入っていますが次期90系が同じFFでもあれほど売れまくったのを見たりその後の80系(セダン)の評価を鑑みるとそう言わざるを得ません!

さぁ、ベストテンに戻ります!今週の第5位!!

【6代目→7代目三菱ギャラン】
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(6代目E30系ギャラン 1987~1992)

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(7代目E50~80系ギャラン 1992~1996)

稀に見る菱バカ、ギャランバカ?な元Gureとしてこれはショック以外何者でもなかった…

所有車輛なのであまり褒めちぎると嫌味になるんで軽くですが三菱らしいマッシブなスタイリング、空力無視のイケメンな逆スラントノーズに2分割グリル、当時2L最強の4G63エンジン搭載のVR-4を頂点とするE30ギャランは好き嫌いは別れるでしょうが非常に個性的、世はハイソブームで背の低い流麗な4HTばかりの中で背高でメリハリの効いた迫力あるスタイリングは正にラリーウェポンそのものでしたし国際ラリーで常にTOPを走るVR-4の雄姿に惚れたのはワタシだけではないでしょう…

そんなギャランは1992年にやめとけばいいのにクラスUPしてFMCを実施、E30にあった個性や迫力は皆無となりそれまでの”スポーツセダン”の訴求は下級ランサーに譲りV6エンジンをも搭載する高級路線に変化、上にディアマンテが存在するのに無意味な3ナンバー化、ボディ拡大と併せて贅肉タップリのふくよかなスタイリングはE30ギャランとはあまりにも変わり果ててしまいそのサマにはこれほどの菱バカですら”尾いていけぬ!”と思う程残念でした。

中身的にはバブル期設計の恩恵で質感は大幅にUP、新開発V6エンジンのフィーリングもよく世界初のファジーシフトAT等も採用し決して悪いクルマではなかったながらいかんせんそのスタイリングが受け入れられずE30で築いた名声を失墜させたといってもいい程、とのかくこれも失敗FMCの5本の指に入ると思いこの順位としています!

いよいよ上位に行きます、第4位!!

【2代目→3代目マツダコスモ】
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(2代目CD系コスモ 1975~1981)

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(3代目HB系コスモ 1981~1990)

3代目コスモデビューの時も”あちゃー、やっちまったナ~」と思ったモンですw

何せ先代2代目コスモが1975年にデビューした時は鮮烈でしたからねぇ、OILショックでRE戦略からなる瀕死のマツダを救った2代目コスモ、名車の名が誉れ高いコスモスポーツ亡き後、3年ぶりにコスモの名を名乗りスポーツとは異なる当時ではいすゞ117位しかなかった後高級パーソナルクーペとしてデビュー、当時の富裕層向け高級2ドアはクラウンやセドグロの2HTやマークⅡ、ローレルのやはり2HT、それらとは一線を画すクーペ専用ボディ、ピラーウィンドウと呼ばれた独特なサイドビューの美しい処理、そして排ガス対策などには何ら影響なくパワーを誇示するREエンジンがメイン(レシプロもあり)という富裕層にとっては燃費などそれほど重要ではなかったのを逆手に取りCDコスモは大人気、当時としては高額な最高グレードのLTDでは200万に近い金額ながら発売以降飛ぶように売れマツダの窮地を救った功労車でした。

そんな2代目コスモは6年のモデルライフ、さすがに4年を過ぎた辺りから売れ行きは鈍り81年にFMCしますがこれは?と思う得る程の不思議なスタイリングに変貌、流行のリトラを採用したのはいいとしても4灯全てがリトラで大味な感じ、スタイリングもペキペキ調で流麗さもない、先代のピラーウィンドウはモチーフとして残されますが取って付けたような印象で酷評、後期ではこれが取り払われたりしていました。

REパワーも健在で82年にはRE+ターボも追加、この時期の第二次ハイパワー戦争に名乗りを上げますがいかんせん個性的過ぎるスタイリングが支持を得られずREターボもサバンナRX-7に設定されるとコスモは影が薄くなり先代当初の勢いがウソのような不人気モデルとなってしまいました。

HB系コスモは従来別モデルだったルーチェと実質統合されたのもありパーソナルらしさを失ったのもありますがとにかく万人受けし難いスタイリングが仇、マツダらしい冒険と個性は評価できるもそれが悪い方に行った一例でこれも完全に失敗FMCだと思います!

ベスト3に入ります!今週の(もうええって)第3位!!

【2代目→3代目ウイングロード/ADバン】
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(2代目Y11型ウイングロード 1999~2005)

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(3代目Y12型ウイングロード 2005~2018 ※ADに関しては現行)

これに関してはほぼワタシ個人的な思いが強いのでご了承願います、Y12型をお好きな方には失礼ですし決してY12型、後半は日産の手抜きもあり撃沈しましたが失敗FMCという程世間では酷評ではなく逆に数少ない小型クラスワゴンとしての存在感は高かった方と思いますね、日産が適切にMCやFMC等の商品陳腐化を防いでいればまだまだ需要はあったと思います。

Y11はかつて仕事でも使っていた程でシャープなスタイリングがワタシ好み、スタイル優先なのでウイング/AD共に積載性や後席は犠牲になっていましたが当時ライバルのE100系カローラワゴン→E120系カローラフィルダーと互角に渡り合う実力もああった。
そして何より気に入っていたのがルーツであるサニーバンの軽快さを持ち合わせていた点、カローラにこれはなく日産は商用やワゴンであっても乗り味が軽快で運転を愉しめる、そんな伝統を失わない点は贔屓でした(その分タイヤや足には不安がありましたが…)

そしてY12になってからは個人的には苦手な丸っこいデザインとなりロングルーフ故にワタシには芋虫にしか見えない出で立ちは受け入れ難い、しかも持ち味であった軽快さは大幅な車重増に伴いモッサリしたフーリングとなりA型~QG型に至る歴代エンジン、サニーバンから受け継いだ俊敏さは消え失せたのもワタシには失敗FMCとしか映りませんでした…。

商用ADバンは今も現役、つい最近までは三菱もオリジナルのランサーカーゴを止めADのOEMとなり売ってましたが正直止めてくれ!って感じ、ランサーの名を汚すな!って心境でOEMランカゴが廃盤となり正直ホッとしているかもwww

とうとう来ました!第2位!!

【4代目→5代目サニー 】
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(4代目B310型サニー 1977~1981)

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(5代目B11型サニー 1981~1985)

これも大ショックでしたねぇ…。
まぁ、時代背景もありFR→FF化の時代でしたのでそれもこの古きFR世代としては大きく影響しているとは思いますがサニーは2代目B110~310迄、ワタシら世代には青春期、様々な意味で運転の愉しさを教えてくれた秀逸な教材、OHVという一見非力に感じるパワーユニットながら軽量さとクイックなハンドリング、重量バランスで腕さえ磨けば下手なスポーツカーをもカモれる実力から本来万人受けファミリカーであったサニーですが走りの愉しさという点では王者カローラをもよせつけない、そんな郷愁のあるクルマでした。

ところがFF化に積極的な日産は1981年、まだFFが異端な時代に早くもサニーをFF化、1970年にチェリーでいち早くFFをラインナップした日産でしたが81年当時ではまだまだFFの悪癖は顕著、あれほど運転に愉しさをを与えてくれたサニーはどこ行った?と哀しくなる程でした。

とは言えE型エンジンは元気で俊敏、あくまで駆動形式の変更からなるFR世代の偏見も多分にあると思います、しかしスタイリングもFFの特徴を活かす為という大義から従来のサニーにはなかった鈍重さ、セダンやワゴンのカルフォルニアにはそうした”走り”の要求は少なく影響は僅かだったでしょうがかつてレースの世界でも輝いたTSサニー=クーペモデルにもその片鱗は皆無となりズングリムックリした出で立ちは市場的にも受け入れられずB11になって僅か2年で廃止されるという憂き目に…

まっ、その分次期型B12ではB11の酷評を徹底して改革し大人気を得たのでB11はFF第1弾、実験的要素もあったかな?と納得しますが今思い出してもB310→B11のFMCはマジでショック大きかった、「オレたちのサニーはもういないのか…」って淋しい思いでしたねぇ。。。

さっ、オオトリですね!!第1位はこれでした!!

【2代目→3代目ソアラ】
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(2代目GZ/MZ20系ソアラ 1986~1991)

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(3代目JZZ/UZZ30系ソアラ 1991~2001)

今回の1位はこれしかない!ダントツの残念度合いは2→3代目ソアラでした…

我々世代には初代10~2代目20ソアラはそりゃもう憧れのクルマ、10代~20代の憧れだけは強くともソアラなんて雲の上のような高額車輛、憧れが強い分思い入れも強く富裕層や金持ちボンボンが乗り回すのを指を咥えて見ているしかなかった貧乏人にとっては眩し過ぎる存在。

しかし!そんなソアラが91年の3代目にして大変革、直線基調で芸術的にさえ思えたあの美しくスタイリッシュなデザインは何処へやら、ナマズのような大味な顔になりヌメってとしたスタイリングに変わり果てソアラ、終わったと思えましたねえ…

現代では貴重なFR縦置き6発という部分からドリ車としては評価されるようですが当時としては市場的にも”やっちまった“感全開で10年掛かって築いたソアラの名声はこの30で失墜したと非常に残念、10~20系では国内専用モデルだったソアラを海外進出としたのも米人好みを意識した結果が30不人気を呼び高級クーペ需要の衰退という要因もありますがソアラやレパード、コスモ等高額パーソナルクーペがスタイル他に魅力を失ったのも要因だとも思います。

デビュー時のセンセーショナルさはどんなクルマにも負けないソアラは30以降は様変わり、最後はレクサスに吸収されて終了、あの鮮烈なデビューを思い返すと寂しいソアラの終盤だったとシミジミ思います。


ランキングは以上となります、残念FMC、12~20位は下記の通りです!
12位スカイライン(10代目R34→11代目V35)
13位スカイライン(8代目R32→9代目R33)
14位シティ(初代AA/VF→2代目GA1/2)
15位インプレッサ(2代目GG/GD→3代目GE/GH/GR/GV)
16位プレリュード(3代目BA4/5/7型→4代目BA8/9/BB1/2/3/4)
17位レガシィ(4代目BL/BP→5代目BM/BR)
18位セルボ(初代SS20→2代目SS40)
19位シルビア(5代目S13→6代目S14)
20位ディアマンテ(初代F10/20→2代目F30/40)

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如何でしたか?毎回〆では書きますがクドイですがあくまでもこの企画はお遊び、『それは違うだろ?』とか『あれも酷かったじゃん!!』的なご意見もあろうかと思いますがこれはほぼワタクシの基準です、これを読んで皆様も独自に”あのFMCは最悪だったなぁ”と思いを馳せて下されば幸いです!

尚、本文中に記載した特定車種のファンの方、オーナーの方には不快に感じる記述もありますがそこはお見逃しくださいまし<(_ _)>

長文読破、お疲れさんでした(^o^)/
Posted at 2022/01/15 22:15:18 | コメント(1) | トラックバック(0) | ザ・ベストテン | クルマ
2021年12月17日 イイね!

儚い命・短命”ザ・ベスストテン”

 儚い命・短命”ザ・ベスストテン”今回のベストテンは短命、文字通り短い命=せっかくこの世に産まれながら僅かな生産期間でお蔵入りとなってしまった悲運の名車?迷車?をランキングしてゆこうと…

一口に短命と言っても現在では人間同様クルマの寿命=一つのモデルの生産期間は長くなってきており過去と現在ではその感覚も違うと思います、今回のベストテンをやるにあたっての定義としては60~00年代初頭まではモデルチェンジのサイクルは4年というのが常識的、一時的に昭和50年排ガス規制の時期にこれが延びたりした事はあるのと一部スポーツカー、商用車等は必ずしも当てはまらないながらも多くの一般向け乗用車は1モデル=4年、これを過ぎると”古臭い、いつまで造ってるんだ”等揶揄されたものです…。

これを鑑み今回の定義は概ね4年以下で生産を終えたモデル、在庫販売は計算せずあくまで生産終了までを数えたいと思います!

例によって国産車のみ、軽、登録車に分け隔てはありませんが乗用モデルを主としています、また一部限定車(限定グレード)やそれであっても後続限定モデルが存続し通算4年以上、一つのモデルとして生産されたモデルは除きます(例:三菱ランサーエボリューションシリーズ)、尚今回に限ってはワタシの個人的な見地ではなく公式に記録される生産期間に基づいてのランキングになっておりますんで宜しくどうぞ。

それでは早速『 儚い命・短命ベストテン』やってみたいと思います。

それではまいりましょー!今週の!?第10位!!同率で2台ランクイン!

【マツダユーノス300】
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発売1989年10月
製廃1992年10月(生産期間3年)

【フォードテルスターⅡ】
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発売1994年8月
製廃1997年8月(生産期間3年)

第10位は開始早々の同率でマツダコンビでした!

どちらも双子兄弟モデルでユーノス300はペルソナ、テルスターⅡはカペラが本家、この時期のマツダ無謀5チャンネル政策に伴う派生車種大量発生の一環であり両車マツダ店扱いのベースに対しユーノス店、そして提携先フォードブランドを着たオートラマ店向けのモデルとなります。

300の本家ペルソナは1985年のカリーナEDによってブーム化したスペシャリティ4HTに参入するべく開発され質の高い内装、ライバルにない気品を身に着けたのが特徴でしたが人気/販売は芳しくなくテルスターⅡは本家カペラ→クロノスにFMCしたのが大失敗、庶民的なカペラから3ナンバー化し高級さを強調し過ぎたのが仇となり売れ行き不振、急遽マツダは5ナンバーの新型カペラをリリース、クロノスのフォードブランドがテルスター、そして慌てて開発した新型カペラのそれがテルスターⅡでした。

ユーノス300は本家すら販売はイマイチなので売れる筈もなくテルスターⅡも本家カペラはテルスターよりいくらか持ち直すもののⅡに関しては存在すら知られない程のマイナーさ、これにより当時のマツダ派生モデル全般に言える事ですが300、Ⅱは3年という短命にて廃盤となっています。


続いて第9位!

【トヨタスパーキー】
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発売2000年9月
製廃2003年8月(生産期間2年11カ月)

元々は富士重工(現スバル)が軽バンをベースにサイズを最低限登録車としかつ多人数乗車を可能とした小型ワゴン『スバルドミンゴ』(1983)が元祖となるこのカテゴリー、開発費を抑える事ができ当時、主に道の狭い地方などで多人数乗車にある程度の注目を集め需要を喚起、しかしスバル一択という状況が暫く続く中でスバルが開拓したユーザー層に訴求する為、ダイハツが既存ハイゼットのワゴン版である『アトレー』をベースにした7人乗り登録小型ワゴンとして『アトレー7』を発売、これをOEM供給を受けトヨタとして販売したのが『スパーキー』となります。

肝心の元祖ドミンゴは途中、2代目となりますがスパーキー発売前の99年、販売不振と軽の規格改正もあり廃盤、この受け皿を狙うかのようにスパーキー(アトレー7)を始めスズキエブリィプラス→エブリィランディ、三菱タウンボックスワイドなど続々とデビューするもこの時期だけの現象、所詮軽ベース、軽クオリティのこれらモデルはその後支持される事はなく現在ではこのような軽ベースの小型多人数ワゴンは開発されず登録車として専用設計(例:トヨタシエンタ、日産ラフェスタ等)モデルに流れて行きます。

さすがのトヨタもそんな流れに逆らえなかった点、そして本家アトレー7より高級化がなされた事によるベース車からの大幅価格UPが仇となり販売不振、本家より1年以上早い2003年8月をもって廃盤、2年11月という短命はトヨタとしても珍しい部類です!


そして第8位!!同率で2台ランクイン!

【トヨタグランドハイエース】
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発売1999年8月
製廃2002年5月(生産期間2年9カ月)

新世代のワゴン=ミニバン文化の創成期であった95年、トヨタ最上級ミニバンとしてデビューした『グランビア』の兄弟車として99年8月にデビュー、グランビアがトヨタオート店扱いだったところ細かな意匠をリ・デザイン、トヨペット店扱い車種としての登場でした。

当時のペット店最上級1BOXだったH100系ハイエースから名前を取り『グランドハイエース』として投入、97年にデビューし絶大な人気を得ていた初代日産エルグランドに対抗させる為、エルグランドを意識しグランビアに比較して押し出し強いFrマスクなど派手なデザインが与えられました。

大人しめのグランビアに対し派手顔デザインにして若年層にも訴求するこの手法は以降のアルファードvsヴェルファイア、ノアvsヴォクシー等にも受け継がれています。

しかしエルグランドの絶大な人気、販売にはグランビア含めて叶わずこれに更に対抗するために2002年。新たに”打倒エルグランド”『アルファード』を新発売、vsエルグランドとしてハイエースのBigネームを背負い遅れて投入されたグランドハイエースはその期待も果たせないまま僅か2年9カ月での終焉、ベースモデルはぞれなりの在任でしたが派生モデル故の短命となりました。

【トヨタヴェロッサ】
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発売2001年7月
製廃2004年4月(生産期間2年9カ月)

長年マークⅡの兄弟として親しまれたチェイサー、クレスタでしたが本家マークⅡが2000年、8代目X100→X110系にFMCするのを機に2つの兄弟を統合し新たにリリースされたのがヴェロッサでした。
マークⅡのシャシやパーツを共有する点に変わりはないながらヴェロッサは保守的だったマークⅡ、チェイサー、クレスタに比較してイタリア調の攻めたデザインが特徴、車台は同じでもこれまでのような似て非なるモノから完全に別なモデルを訴求しました。

しかしその攻めた、アクの強いデザインが嫌われ一気に不人気車に転落、これまでのマークⅡ兄弟にはない売れ行き不振により僅か2年9カ月という失敗作に成り下がりましたが現在一部ドリフト愛好家の中にはマークⅡやチェイサー(X100系)では数が多く物足りない、変わったドリ車が欲しいというマニアも存在、これもリアルを知る世代からは驚く再評価とプレミア化を実現しています!


さぁ、7位行ってみましょー!

【ホンダエレメント】
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発売2003年4月
製廃2005年12月(生産期間2年8カ月)

元来はアメリカ人向けに既存CR-Vをベースにアメリカホンダにて設計、生産がなされたエレメント、アメリカですこぶる評判が良く人気が高かった為、いすゞのOEMビッグホーン(ホライゾン)亡き後、大型クラスのSUVが途絶えた日本市場向けにアメリカから輸入され2003年に発売されました。

現在エレメントは再評価され中古車市場でも高騰していますが当時は個性的な外観(観音開きドアやアメリカ人好みでも日本人の好みに合わないデザイン)が敬遠され僅か2年8か月で国内販売は打ち切られています、反面アメリカ本国では2002年~2011年、9年という長寿であらゆる面でクルマを遊びに使う文化があるアメリカでは受け入れられてもまだ当時の日本にはそこまでの需要が無かったのが悲運、しかし現在、もしエレメントが存続していれば確実に支持は得られた筈でその証拠に前述の中古車高騰があり出るのが20年早過ぎた!って感がありますね。


さぁ、第6位!!

【三菱500】/
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発売1960年4月
製廃1962年6月(生産期間2年2カ月)

三菱自動車以前の三菱重工時代の初の量産乗用車だった三菱500は時の通産省が掲げた”国民車構想”に応え開発されました。

しかし名乗りを上げたのはトヨタ(パブリカ)、ダイハツ(コンパーノベルリーナ))東洋工業(現マツダ ファミリア)等強敵揃い、そこに軽自動車のスバル360やスズキスズライトも絡み激戦区の中、三菱500は撃沈、大幅MCで質素過ぎた500を反省し1962年には初めて三菱の代表的ネーミングであるコルトを名乗る『コルト600』にバトンを渡し500は僅か2年2カ月という短命に終わっています。

その後のコルト600も3年5カ月で終わりますが500-コルト600通算でも5年2か月と決して長い期間ではなく商業的には成功とは言い難いモノがありましたがその後の三菱乗用車の基礎を造った事には相違なく三菱にとっては歴史的価値と貢献は見過ごせません!

【マツダアンフィニMS-9】
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発売1991年10月
製廃1993年12月(生産期間2年2カ月)

このMS-9も5チャンネル政策の被害車?長年マツダのフラッグシップを務めた『ルーチェ』から改名&FMCされた『センティア』=ルーチェ時代からのマツダ店モデルであり新店舗のマツダアンフィニ店向けにセンティアの顔やテールをリ・デザインした双子兄弟がMS-9でした。

ユーノス300/テルスターⅡの項でも触れたようにこの時期のマツダはバブルに浮かれ数えきれない程の派生双子兄弟を乱発、MS-9もその1台…

本家センティアは旧ルーチェユーザーからの代替え需要、そして時代にあったルーチェ以上の高級路線化、マツダらしいセンスある上品な佇まいでそこそこ好評、これによりMS-9もそのおこぼれに多少預かりますがバブル崩壊と共にマツダの経営悪化=5チャンネル政策見直しの煽りを受けて僅か2年2カ月で廃盤、センティアはその後も継続されますがやはりMS-9も派生車の悲運を味わう事となった訳です。

【ホンダジャズ】
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発売1993年10月
製廃1996年12月(生産期間2年2カ月)

メーカー同士が互いに足りないジャンルのモデルを融通し合う”相互OEM”その一環でデビューしたのがホンダジャズでした。

当時ブームが来ていたクロカン/RVを持たないホンダと乗用車自社開発を諦めたいすゞの相互OEMでホンダはアコード/ドマーニを供給していすゞアスカ/ジェミニ、ホンダはこれの代わりにいすゞビックホーン/ミューの供給を受けそのミューがジャズになります。

本家ビックホーンは時代を反映して人気も高くそれなりに生息しましたがRVのミューは本家でも人気薄、それがホンダバッジになろうとも変わらずでホライゾン(ビッグホーンのホンダ版)含めディーゼルエンジンに慣れていないホンダディーラーも売るのを躊躇、セールスも売りたがらないという中で積極的アピールすらなされず人知れず産まれ消えて行った印象、結局この相互OEMはいすゞ側に多少理があった程度であまり効果があったとは言えない感じ、結局ジャズは国内では売れ行き不振から2年2カ月(ホンダブランドでの輸出は継続)の短命、ホライゾンもジャズよりはマシ程度で約5年で生涯を終えています。


☆☆☆~今週のスポットライト!!~☆☆☆
今一歩、惜しくも(?)ベストテンに入らなかった じゃない方 はこちら!

【日産ピノ】
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発売2007年1月
製廃2010年2月(生産期間3年1カ月)

失われた20年?30年?長引く不況から登録車の売り上げに肉薄→逆転するという著しい軽自動車の躍進、かつて軽を持たず登録車オンリーだったトヨタや日産もこの時代の流れには生き残る為無視できなくなりトヨタは子会社のダイハツ製軽のOEMを受け日産はスズキ、三菱と提携します。

そんな中ピノはスズキMRワゴン→日産モコ、三菱ミニキャブ/ekワゴン→日産クリッパー/オッティに次ぐ日産の軽進出第4弾となるモデルで2006年にスズキアルトのOEM供給を受けて発売、グリルや各部をリ・デザインされた双子兄弟車でした。

バリェーションはアルトから大幅に縮小、アルトの4ナンバー商用は設定されず乗用のみグレードを絞り展開、軽を持たなかった日産がモコ、ピノ、オッティ、そしてこれ以降初代キックス(三菱パジェロミニ)やクリッパーリオ(三菱タウンボックス)と一気に軽バリェーションを拡大して攻めの体制に入った訳ですね!

しかしベースのアルトが2009年にFMC、この後も旧型を1年程販売継続しますがオッティやモコが順調でピノの存在も不要との判断から3年1か月でカタログ落ち、アルトは他にマツダにもキャロルとしてOEMされておりピノの設定で一時はアルト3兄弟化を形成しました僅か3年でEND、アルトとキャロルは現在でも継続しておりますがピノは既に忘れ去られた存在になりかけて来てる様相、10位のピッタリ3年とほぼ変わらないながら惜しくも?目出度く?短命ベストテン圏外でした(笑)

さぁ、ベストテンに戻ります!今週の第5位!!同率で2台ランクイン!

【マツダAZ-1】
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発売1992年9月
製廃1994年10月(生産期間2年1カ月)

今でこそ”ABCトリオ”(A=AZ-1 B=ビート C=カプチーノ)の一環として軽スポーツの名車として崇められるAZ-1ですがこれもバブルに浮かれブッ飛んだマツダが放った名車?迷車?…

スズキからアルトークス用F6ハイパワーエンジンの供給を受け2シーター、MR、ガルウィングというスーパーカー並みの装備を持ちデザインもそのまんまスーパーカーを軽サイズにしたような出で立ち、リアルタイム世代としてカッコはいいけど冗談か?と思いましたねぇ、世界最小のピュアスポーツ、ショーモデルや限定車でもなく正規のカタログモデルとして発売されましたしこれは今じゃ絶対出せないし当時のどこかネジが外れたマツダだからできたモノに相違ない、実用性皆無、コンビニ行くにもいちいちガルを開閉って…よほどの目立ちたがり屋じゃにと乗れないなんて言われましたっけ。

案の定ほぼ売れずの状況で逆に2年以上ラインナップした事が驚きかも?しかしこの冒険心旺盛なAZ-1(OEM供給したスズキキャラ含む)はその希少性から現在ではプレミア価格が当たり前に提示さる軽自動車界のスーパースターでもありますね。

【マツダエチュード】
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発売1987年1月
製廃1990年2月(生産期間2年1カ月)

エチュード、逆にレア過ぎてマニアには有名な変態車認定でしょうねw

これは当時のファミリアをベースにFC RX-7の雰囲気や高級な内装を施したファミリアのスペシャリティカーとしてデビューしました。

しかし非常に中途半端なイメージでRX-7程のスポーティさもなければファミリアに比較してそう高級感が高い訳でもない、値段は当然ファミリアより高額でありそれならファミリアの高グレードで充分という事で全く売れずの状態、2年1カ月で終焉となっています。

いよいよ上位に行きます、第4位!!

【ホンダ145】
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発売1972年11月
製廃1974年10月(生産期間1年11カ月)

本田宗一郎氏の空冷エンジンへの強い拘りから産まれ鳴り物入りでデビューさせたホンダ1300が不発、ホンダらしい工夫と意欲は解るもこれが空回りして市場では全く受けずこれの見かけや機構はそのままに最大の欠点とされた重量級の空冷エンジンをシビック用に開発された水冷エンジンをスケールUPし置き換えたのがホンダ145、セダン/クーペのボディを持ち当時は珍しいFF方式は1300を踏襲しましたが一応別モデルとしてラインナップしました。

まだ稀少だった機械式燃料噴射装置の採用、水冷化により重量バランスの改善など意欲的な仕上がりだった145ですが元々が不人気、売れ行き不振の1300と見かけは同じだった事から販売テコ入りとはならず1年11カ月の短命で終わりました。



ベスト3に入ります!今週の(もうええって)第3位!!同率で3台ランクイン!

【マツダオートザムクレフ】
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発売1992年5月
製廃1994年3月(生産期間1年10カ月)

これもバブル期の狂乱マツダの放った”クロノスの悲劇”の1台、マツダオートザム店向けのクロノス派生モデルでした。

軽や小型メインのオートザム店初の3ナンバーモデルでしたが店舗展開やユーザー層にマッチしていたとは思えず最初から地味な存在、数多い兄弟を超えて僅か1年10カ月の短命で終わり当時も今もその存在を知る者はマニアと言ってもいいでしょうね(笑)

【スズキキャラ】
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発売1993年1月
製廃1994年11月(生産期間1年10カ月)

5位のAZ-1のスズキ版であるキャラ、エンジンを供給したスズキにマツダがOEM供給していました。

しかし積極的販売展開がスズキではなされずAZ-1以上に生産/販売台数は僅少でほぼ売れず、これもAZ-1同様に逆に1年10カ月もカタログモデルであった事を褒めたいですね。

【いすゞビークロス】
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発売1997年5月
製廃1999年3月(生産期間1年10カ月)

当時はまだまだ乗用車分野にも意欲のあったいすゞが放った今で言うクロスオーバーSUVがビークロス、開発(ショーモデル)段階では乗用車も自社開発しておりジェミニのシャシを使い企画されるも市販化の段階ではビッグホーンやミューといったRVモデルのみになっていた為、ビッグホーンのシャシを使用してエキサイティングなデザインを纏うRVスペシャリティを訴求しました。

いすゞのデザインは117にせよジェミニやピアッツア等先進性が高いのが特徴でしたがそれが悪い方向に転ぶと市場に受け入れられない?なスタイルと採られ販売不振になる部分がありビークロスも見事にそれにハマった感じがありました、元々ジェミニベースで意図されたスタイリングはビックホーンベースとなり間延びしたような印象となり一時は変態車扱いされた時期もあります、しかし現在ようやく時代がビークロスに追いついた感がありまた、生産期間、台数の少なさもありこれも今ではプレミア価値化、往時を知っていると驚愕プライス展示も見かけられるモノも出始めています。

パーソナル性の高いモデルとしてメーカーも多くの販売台数を見込んでいなかったもののその想定の1割程と低迷、これも1年10カ月で姿を消す事になりました。


とうとう来ました!第2位!!

【トヨタヴォルツ】
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発売2002年8月
製廃2004年3月(生産期間1年7カ月)

トヨタとGMの共同開発されたモノで製造は米国で輸入販売だったヴォルツ、シャーシやパーツを当時のE120系カローラ系を用いエンジンも1ZZ/2ZZエンジンを採用。

国内では廃盤となったスプリンターカリブに代わるRVモデルとしてラインナップされましたがカリブからの価格上昇と同時期の悪評高き三菱ブーレイ顔を彷彿させる顔付から販売不振となりトヨタには稀に見る短命と希少度となっておりメーカー想定の月販ノルマを達成するどころか採算割れレベルの販売台数から1年7カ月で終焉となっています。


さっ、オオトリですね!!第1位はこれでした!!

【三菱ビスタチオ】
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発売1999年12月
製廃2000年2月(生産期間0年3カ月)

栄光の第1位はブッチで我が三菱のビスタチオが獲得!!!!

これも少量・短期間生産としては超有名ですが2位以下と同じに語るのが無理があるモデル…

ビスタチオは当時の三菱、環境エンジンとして鳴り物入りで他社に先駆けて開発した量産直噴エンジン(GDI)のアピール的存在でラインナップ、軽自動車のH40系ミニカのボディに登録車となる1.1L 4気筒DOHC-16バルブのGDIエンジンを搭載、環境アピールから自治体を対象に50台のの限定生産で発売したモデルでした。

当初から台数限定なので生産期間は短くなって当然でありこの事から2位以下の事情と異なりますのでブッチ1位にはこうし理由があってこそです。

実際には自治体対象とは言え軽自動車ボディの乗用車という事から実用性が低く販売実績は40台との記録、生産期間は僅か3カ月という内容ですが戦前や戦後間もない頃のような10台程度の試作車とも異なり一応カタログモデル、積極的セールスはなされないまでも一般人も購入可能だった点を鑑み栄えある1位と致しました。


ランキングは以上となります、4年以下短命12~20位は下記の通りです!

12位:マツダクロノス(1991/10~1995/12 3年2カ月)
13位:スズキX-90(1995/10~1999/1 3年3カ月)
14位:ホンダMDX(2003/3~2006/7 3年4カ月)
15位:三菱コルト600(1962/6~1965/11 3年5カ月
同率:三菱カリスマ(1996/10~2001/3 3年5カ月)
16位:ホンダロゴ(1996/10~2000/4 3年6カ月)
17位:日産バサラ(1999/11~2003/6 3年7カ月)
同率:トヨタプロナード(2000/4~2003/11 3年7カ月)
同率:ホンダラファーガ(1993/10~1997/5 3年7カ月)
同率:スバルトラヴィック(2001/8~2005/3 3年7カ月)
18位:ホンダキャパ(1998/4~2002/2 3年8カ月)
19位:スズキフロンテ800(1965/12~1969/10 3年10カ月
同率:トヨタタンク(2016/11~2020/9 3年10カ月)
同率:三菱エメロード(1992/10~1996/8 3年10カ月)

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如何でしたか?こうして振り返ってみるとやはりアンチョコさが拭えない双子兄弟車や海外モデルが多い、海外で好評でも日本でウケるとは限らずまた、マツダのように一粒で何度美味しさを求めるのも無駄という点が改めて解ります、マツダの5チャンネル時代はバブルで景気も良く造れば売れる!ラインナップすれば売れる!という時代ではありましたがそれは大メーカーのみにで当てはまる事(当時はトヨタ、日産、三菱、ホンダ)…

マツダのアンチョコな政策が色濃く反映されたベストテンになった事は意図したモノではありませんが短命車、あの狂乱の時代を思い出し人間もクルマも浮かれていたなぁ…と再認識した次第です!

長文読破、お疲れさんでした(^o^)/
Posted at 2021/12/17 17:54:51 | コメント(1) | トラックバック(0) | ザ・ベストテン | クルマ

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