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2012年08月12日 イイね!

保存版・燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝…パブリカvsチェリー(後編)

保存版・燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝…パブリカvsチェリー(後編)
(前編より続く)


それではモデル改歴も兼ねて両車の遍歴を時系列で見てゆきます!
尚、パブリカは計5回、同スターレットが1回、チェリーが2回のMCを行っていますのでパブリカを前・前期/前・後期、後・前期/後・中期/後・後期と表記、スターレットを前期・後期、チェリーを前期・中期・後期と表記します。



(71/3)
パブリカ、ハードスポーツモデルとして『1200SR』を追加します。
SRはカローラやコロナにも同名グレードがありこれら同様にベースのSLを元に装備を落とし脚廻りをハードに固めたモノで硬派のスポーツグレード、派手なストライプやキャップレスホイール、ラジアルタイヤ等スポーツ心をくすぐる装備がより本格派ユーザーに歓迎されました。

(71/9)
チェリー、クーペモデルがラインナップされます。
発売以来1年を経過しようとする71/9にチェリークーペが追加されました、世はまさにハイパワー競争全盛期でもありセダンでも充分速いチェリーでしたが“速そうな”スタイルも人気の秘訣であった時代、それを表す『クーペ』や『ハードトップ(HT)』モデルの設定も人気の秘訣とばかりこの時期は各モデル、これらの設定が不可欠でした。
チェリーは発売以後、やはりまだFFは時期早尚な部分とその独特なスタイルが今一つ市場には受け入れられず70~71年、パブリカの販売台数が約10万台に対しチェリーはその約半数、商業的には決して順調ではなくサニーの20万台(70y)にも遠く及ばないモノでしたのでテコ入れの意味とライバルに同趣向のモデルがないのも狙目であったと思います。

↓71/9に追加されたチェリークーペ(㊤1200X-1・L㊦1000DX)



クーペはセダンの個性が失せる程のより個性的なスタイルで登場、まだ当時では馴染み薄だったハッチバック(HB)クーペでしたがそれまでの『クーペ』の概念にはない不思議なスタイリング。
それまで『クーペ』とはセダンに較べより流麗なモノでしたがチェリークーペの場合、そのいでたちは流麗の反対にあるむしろ『バン』に近いモノで出た当初はそのネーミングが違和感アリアリでしたね~(*_*;

“背むし”“パネルバン”と揶揄されるそのスタイルは非常に強い個性を打ち出していましたが後方/側方視界はもうないも同然!しかしこの形状のお陰でラゲッジは思いのほか広大で可倒式Rrシートと合わせるとそれこそ“バン”並の積載も可能でした。
現役時は個人的に決してスタイリッシュさもなく鈍重なイメージで好きではありませんが後年このクーペを見ると妙にイイ感じで友人がコレをシャコタンにしカスタマイズしたのを見た時は「カッコイイ!」と呟いた程(汗)
71年としては早過ぎたデザインだったのでは?と思います、今見るともちろんこんな個性派なかなかなく非常に当時の日産のセンスをい意味で再認識する感じがします。

↓チェリークーペの後方/側方視界はあってないも同然!


クーペの機構はセダンを踏襲しますがFr/Rrやインパネはセダンをベースにリ・デザインがなされいずれもセダンよりスポーティさを強調、特にテールランプはこれまた個性的な大型の丸型1灯にブレーキ(赤)をベースにセンターにフラッシャー(アンバー)を配しそのその脇に角型2段のバックと反射板を配置、非常にユニークで可愛らしさをも感じさせるRrスタイルが特徴的でした~。
サイズは全長3690全幅1490全高1310(mm)となりベースのセダンに較べ長く、低く、幅広くを実践しています。

↓クーペ、セダンにはない左右対称型インパネを採用!


クーペのバリェーションは1000DX/1200GL/1200X-1/1200X-1・Lとなり搭載エンジンはセダンにはない1200シングルキャブ68psのA12型をラインナップ、これを1200GLに搭載しています。
セダンには設定のなかったX-1・Lはスポーツ色濃かったX-1にファッショナブルなイメージを加えたグレードであり後にはこの『・L』はセダンにも設定され豪華モデルとしてX-1とGLにラインナップします。

(72/1)
パブリカ、大幅なMCを実施し後・前期型となります(型式変更なし)
前年に改良されたインパネと左右ドア以外は新たなプレスとなり全体のスタイリングは大幅に変わりFMCに近い印象、スポーティさを強調するセミファストバックスタイルに変貌、Fr/Rrのデザインはスポーツグレードと普及グレードでリ・デザインされ特にスポーツグレードは迫力あるツラ構えと大型分割テールも凛々しいデザインとされています。
この時、グレード編成、車種編成を見直し普及グレードを『ファミリーシリーズ』=1000STD/1000DX/1200HI-DX/1200XL、スポーツグレードを『ヤングシリース』=1200S/1200SL/1200SR と命名、セミATのトヨグライドは消滅しています。

↓FMCに近い大幅なデザイン変更が施された後・前期型(72y ファミリーシリーズ1200XL KP31)


↓従来にも増してスポーツグレードはそのイメージを強めます!(72y ヤングシリーズの広告)


このMCで永らく搭載されてきた2U型空冷800ccを廃止、これは導入が決定された48年度→50/51年規制パスが不可能と判断されたもので規制内容の異なるバン/ピックには継続されるもセダンではデビュー以来10年以上パブリカの顔として頑張った“名機”引退となりました・・・。

新たに追加されたのはファミリーシリーズの1200XLとヤングシリーズの1200S!
XLはそれまでのHI-DXを超える最高級バージョン、エンジンも1200シングルながらハイパワー仕様の3K-H 71psを搭載していました。
1200Sは3Kシングル68psを積みながらも内外装はSTとほぼ意匠を統一させたもので手軽なスポーツモデル入門バージョンでした。
ST/SRのHOTバージョンはより磨きがかけられインパネは流行の7連メーターを採用しよりムーディなイメージとなっています。

↓“ヤングシリーズ”最高峰となる1200ST(72y KP31)




(71/2)
チェリー、セダンにもA12シングルキャブを設定、1200DX/1200GLとしてラインナップします。
また、2ドアセダンのルーフを延長しファストバック部を手直しした商用バンも追加、Rrサスをバン化のためリジット式に変更し積載物に対応、全体のスタイルは2ドアセダンのそれが色濃く通常のバンモデルが6ライト方式を採るのをチェリーバンはセダンの特徴=オリエンタルアイをそのまま残し4ナンバーと言えどもどことなく洒落た感じを与えていました。

(72/6)
チェリーがデビュー2年を待たずにMCされ中期型となります。
デビューからまだ間がさほどないクーペはコンソロールデザイン、グリル内の[N]オーナメントの装着という小変更ですがセダンはグリル/テールデザインを変更、普及(STD/DX/GL)、スポーツ(X-1/X-1・L)、豪華(GL・L)でこれまたパブリカを意識してグリルデザインを分けそれぞれのグレードキャラを鮮明に表すデザインとされています。
中身では48年規制に適合する排ガス対策を実施。

↓72/6、後・前期型チェリー2/4ドアセダン(㊤1200GL㊦1200X-1)


↓後・前期型の㊤1200GL・Lと㊦1000STD



(73/3)
チェリー、クーペに最高級スポーツバージョンである『X-1・R』を追加します。
X-1・Rは従来のX-1に当時スポーツカーの証であったビス止め式オーバーフェンダー+13インチワイドラジアル(他モデルは12インチ)を装着、、Frサスにはスタビライザーも装備、スカイラインGT-Rのように走りに徹しラジオすら装備されないスパルタンなモデルで後年の“ボーイズレーサー”の元祖的?なスーパーFFマシンでした。

↓オバフェンで武装した“男”のモデルであるX-1・R(73yPE10型)



(73/4)
パブリカ、シャーシはKP30/31を流用しながら全くの新設計ボディを載せたクーペモデルの『パブリカ・スターレット』を発売します。
ベースは当然ながらパブリカでありネーミングにもそれが入っていますがJアーロデザインの美しいボディは「よくこの大きさでこれだけの見事なスタイリングが表せるな~」が率直な感想、ロングノーズショートデッキというお約束の日本人好みはしっかり押さえ低く長く幅広感も実現、サイズは全長3790全幅1530全高1315(mm)となりベースのパブリカより長く、低く、幅広くを実践しチェリーの“背むし”的ズングリではなく至って流麗で素直に「カッコイイ」と思えるデザインは個人的には大好物でした!

↓小さいボディながら見事なクーペスタイルを実現した『パブリカ・スターレット 73y前期1200ST KP47型)



スターレットのデザイン上での最大のポイントは台形をモチーフした前後のサイドウィンドゥとその間に挟まる骨太のセンターピラー、当時、HT全盛だった時期にあえてセンターピラーを目立たせるデザインはそれまでの国産車にはない斬新さがあり先端、後端で切れあがるウィンドゥラインとの相性も良く今でも秀逸なデザインに思います。
尚、スターレットも搭載エンジンはパブリカと同一で2Kの1000、3K/3K-Bの1200をラインナップ、型式を1000がKP45、1200をKP47としています。
バリェーションはセリカで好評のフルチョイスシステムを簡略化したフリーチョイスシステムを採用、外装XT、ST、SRを内装D、L、G、Rとインテリア5種、エンジン3種(2K/3K/3K-B)、ミッション2種(4MT/5MT)を組み合わせると言う内容。

スターレットはインパネデザインも非常にスポーティかつ斬新で視認系を上部、操作系を下部にまちめる2段式インパネですが横方向に狭いスペースながら流行りの連メーターやドライバー側に湾曲するフライトコクピットも採用、このため空調S/Wやラジオ配置に工夫が凝らされこれらが独特な縦型配置とされていたのも話題となりました。
確かにこのスターレットも何度か乗りましたが横方向の狭さはけっこうきつくおまけに車高が低いのでパブリカではさほど感じませんでしたが標準体型?のワタシでも窮屈感は結構ありました。
この横方向のないサイズであれだけカッコ良くスポーティなデザインのインパネは工夫の賜物でこの辺はやはりトヨタ!うまいですよねー。

↓ラジオ/空調SWを縦配列としたスターレットのインパネ(画像は後期型のモノ)


(73/10)
パブリカ、MCにより後・中期型となりスターレットには4ドアセダンを追加します。
永らく2ドアモデルで頑張ってきたパブリカシリーズも時代の要請からライバル・チェリーの4ドアの存在も無視できなくなりココでクーペモデルだったスターレットを4ドア化して発売しました!
4ドアなってもオリジナルの鋭角的な流麗さは失われずさりとてフルファストバックのクーペを目立たない程度にセミファストバック化し視界や後席居住性も配慮し全高をクーペ比で+2cmとしていました。

↓永らく4ドア不在のシリーズに遅まきながら誕生したスターレット4ドアセダン(73y 1200DX KP47)


スターレット4ドアはエンブレムには“パブリカ”が残るもメーカー広報では一切その名前は飾られず『トヨタ・スターレット』とされており丁度、コロナ→コロナマークⅡ→マークⅡになったのと同様、スターレットの独立を予見させるモノだったと思います。この時から従来のパブリカ・スターレットも『スターレット・クーペ』と呼び方を変えてきています。
スターレット4ドア発売によりパブリカは車種編成をMCと行い後・中期型になります。
MCはファミリーシリーズのFr/Rrのデザイン変更ですがヤングシリーズ(このファミリー/ヤングの呼び方自体が廃止)はSTのみを残しSとSRはスターレット・クーペに吸収されます。
残るSTも派手な装飾は控えめとなりスポ系のスターレット移設を認識させるものでした。
尚、MCにより安全対策が施されています。

この時点でのグレード編成は下記の通り
【パブリカ】
1000STD
1000DX
1000HI-DX
1200XL
1200ST
【スターレット4ドア】
1000DX
1000HI-DX
1200HI-DX
1200XL
1200ST
【スターレットクーペ】
1000XT
1200XT
1200ST
1200SR

↓73/10~の後・中期型パブリカ(1000DX KP30)


尚、スターレットはクーペ、セダンともにパブリカ同様にダイハツに『コンソルテクーペ/コンソルテ4ド』としてOEM供給されています。

(73/10)
チェリー、初代としては最後のMCが行われ後期型となります。
MCは約束通りのFr/Rrの変更、セダンは前回MCで比較的大幅なデザイン変更をしているのででデザイン上は小変更程度、クーペは前回小変更でしたので大幅なデザイン変更が行われています。
セダン/クーペとも中身は安全対策が強化!

↓Frバンパーにスモールを独立させた程度の変更だったセダン(73y後期1200GL)


↓クーペは大柄なグリルデザインとなりより迫力強化!(73y後期X-1・R)


↓強い個性のクーペのテールランプは円周上にギザギザまつ毛が・・・


チェリーはこのMCで最終型となり翌74/9、次期型である『チェリーF-Ⅱ(F10型)』がデビューします。

↓74/9、FMCでグレードUPした2代目F10型チェリーF-Ⅱ


しかしF-Ⅱはサイズアップが行われエンジンも1200/1400のラインナップ、FF/FRの違いだけでサニークラスに格上げとなった事から従来型チェリーは1000ccの存在が重要視され日産のボトムとして74年末まで生産、75年にも500台強の販売実績を残しています。
正式には74年いっぱいの廃版ですのでパブリカ/スターレットとのガチンコ関係はここで終わりますね、F-Ⅱは格上げによりトヨタではカローラがライバルという事になります。

【ライバル不在の?パブリカ/スターレット】

F-Ⅱ=カローラがライバル、と記述しましたが当時、実際にはサニーvsカローラの闘いの場にF-Ⅱが加わるのは稀で車格UPでも実際はスターレットとガチンコになるケースが多かったようです。
この時期既にパブリカは商品寿命を終え一部営業用などに使用されるのが殆どでありファミリー&スポーツユースはスターレットとF-Ⅱで競存のカタチはこのブログの趣旨には外れますが実際には多々見受けられました(*_*;

パブリカとスターレットはその後、50/51年の排ガス規制にお家の事情で手間取りFMCの機会を逸し最終的には78/2まで生産される長寿モデルとなります。
チェリーが上級クラスに移行した事により真の意味ではライバル不在となります、強いて言えばOEMのコンソルテが唯一のライバルという皮肉な結果に(+o+)

まぁ、流れなのでパブリカ/スターレットの改歴、ついでに記載します。
(76/2)
パブリカは後・後期型へ、スターレットは後期型にMCしています。
このMCで1200の3KエンジンをTTC-C(触媒方式)により51年規制適合化、対策エンジンは3K-U型となり未対策3Kより4psダウンの64psとなるがそのドラバビリティはこのFCブログでも事ある度に書いてますが最悪の一言・・・
上級車のように車重がまだないだけ我慢できる範囲ながら未対策の元気さと比較すると同じいでたちながらこれほどまで!とショックですらありましたね~・・・

↓後期型スターレットクーペ(76y1200ST)



MCそのものはパブリカ/スターレットともに小変更でグリルデザインを改め各装飾類の意匠変更及びワイパー&ライトS/Wをマルチユースレバーとしています。
搭載エンジンに関しては1Lの2Kとツインキャブの3K-Bはこの時点で規制適合不可により廃止、パブリカはともかくスポーツ色の濃かったスターレットでは大きな痛手となっています。
パブリカはSTそのものを廃止しますがスターレットは外見だけのスポーツに成下がったST/SRをより豪華に味付けしお茶を濁していましたがスターレットの存在価値はここで大きく低下、人気もモデル末期ということまおありDOWN!!の一途でしたねー、尚、型式を排ガス規制適合に併せてパブリカ/スターレットを共通化、B-KP51型となっています。

↓TTC-Cにより51年規制適合となった3K-U型エンジン


(76/5)
パブリカに5MTを設定、これは排ガス対策による燃費悪化を回避する為の施策。

(76/9)
パブリカ、スターレット共にAT(3速)を設定、パブリカではトヨグライド以来の復活、スターレットでは初搭載でした。

(77/1)
両車小変更で最終モデルとなります。(変更内容は装飾品意匠変更等)

(78/2)
パブリカとスターレットを統合し新コンセプトであるハッチバックボディを採用した『トヨタ1300スターレット』に後を託しパブリカは30となって8年、スターレットは通常スパンの4年で生廃となりました。

↓78/2、パブリカ+スターレット=トヨタ1300スターレットにFMC!


以上がチェリー移行後のパブリカ/スターレットの生涯でした!

尚、最後に来て触れない訳にはいかないのがこの2車がレースシーンでも重要な役割を果たした事です!

【レースでの活躍】
パブリカ・スターレットとチェリーはこの時期隆盛を誇ったレースシーンでも活躍、少しそこにも触れなければチェリーファン、パブリカファンにも叱られますので(汗)

(チェリー)
72/4、 レース・ド・ニッポンに新設定されたばかりのクーペが参戦、富士グラチャン他、国内レースにも日産ワークスとして積極的に参戦しました。

↓72y富士グラチャン300マイルで優勝したチェリークーペレーシングモデル


この他ラリーでも活躍、目立った戦績はないものの76yのアクロポリスラリーにプライベーターにより参戦も果たしています。

(パブリカ/スターレット)
パブリカは先代のUP20時代から日本GP等で活躍していましたがスターレットを含めレースをはじめ、ラリー、ジムカーナ、ダート等広く用いられ中でも有名なのが富士スピードウェイでのマイナーツーリングレース!
日産のB110型TSサニーとTSスターレットのバトルは当時~後年のレースファンにも語り継がれる名勝負を繰り広げました。
トヨタのチューニング部門であるTRDからもスターレットは各種の競技用部品も市販され一時は市販スターレットををワークス風に改造するの流行り若者だけででなくその方面(暴走族)にも注目を浴びたりしました。

↓TSサニーと数々のバトル、名シーンを創ったTSスターレット


スターレット=レースのイメージは後年も引き継がれ日本初のワンメイクレース、81年から「スターレットカップ」シリーズが開催されたり00年の「ネッツカップ ヴィッツレース」もKP47時代に植えつけられたレージングイメージを継承したものでした。
素直な挙動やリーズナブルな車輛価格からビギナーにもベテランにも楽しめるレース、ベース車輛としてスターレット~ヴィッツは人気が高かったですね。

70年代初期、ハイパワーブームで国産車市場が活気ついていたイイ時代に庶民の足を支えながら様々なユーザーの希望をも出来る限り受け入れた2大メーカーのパブリカ(スターレット)とチェリー、その販売台数的ガチンコでは・・・
チェリーが70~75yまでで約23万台
パブリカ/スターレット連合で同期間のみ34万台オーバーという結果で圧倒的大差でパブリカ/スターレットの勝利ですね!

ただ、本文でも記載した通りオーソドックスで悪く言えば金のかかってない、カローラミニそのもののパブリカやスターレット、一方サニーとは全く違う社内初のFFにはタップリ金をかけ旧プリンス陣の才能も活用し開発されたチェリー、時期早尚のきらいはありましたが世が世ならばもっと高評価をされるクルマだったと思います。
クルマそのものの出来栄えはあくまで凝った造り、先進性ではチェリーに軍配が上がりますが“エントリーカー”“大衆車”としての観点では誰でも気軽に、普通に乗れるパブリカ(スターレット)に分があるように思います。
依ってこのガチンコ対決、どちらにも存在意義はありドローって感じでしょうか!?
後は読んで下さった皆様のそれぞれの判断にお任せします(*^^)v


燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!”パブリカ・スターレットvsチェリー…完
Posted at 2017/08/16 16:57:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | ライバル | クルマ
2012年08月12日 イイね!

保存版・燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝…パブリカvsチェリー(前編)

保存版・燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝…パブリカvsチェリー(前編) 燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!
今回は東西の横綱対決となる『2代目トヨタパブリカ(U/KP30系)及びパブリカスターレット(KP40系)VS初代日産日産チェリー(PE/E10型)をガチンコさせてみたいと思います!

さて、『パブリカ』と言えば後のトヨタ大看板車種である『カローラ』デビュー以前の60年代、クラウン~コロナ~パブリカというトヨタの車種編成の底辺を支え当時、軽自動車からのステップアップユーザーをダイハツコンパーノ、三菱500~コルト600、マツダファミリアと競いながら吸収する大役を担っていました。
65~66年に日産サニーとトヨタカローラによって火を付けられた“1Lマイカーブーム(この時の相次ぐ1L~の新型車発売により1965年を「マイカー元年」と言います)”以前、軽の360cc以上は500~800ccが軽卒業ユーザーの受け皿、これはご承知のようにマイカー普及を政府が推進、1955年に時の通産省で立案/想定された『国民車構想』に基づき各社か自社なりの受け止め方、提案による商品化を行い製品化していました(国民車構想についてはwiki等をご覧ください!)
トヨタのこの『国民車構想』の回答がそのネーミング(パブリカ=パブリック=庶民、国民)を表すように『パブリカ』と名付けされ61年にコロナやクラウン、ブルやセドリックのような当時の最大の顧客層である営業向け(タクハイ他)にはなり得ない完全ファミリーユース向けとして登場しました。

↓61yに“国民車構想”の回答としてデビューした初代UP10型パブリカ


デビュー時は決してパブリカは商業的には成功ではなく質素すぎるそのいでたちが大きな要因で敬遠されてしまいました、『この出来栄えなら従来の軽で充分』と言ったところでしょうか?
それでも700ccを積む一応の?普通車ですから軽と大差ない価格(38.9万円…軽自動車が30~38万円位の時代)で倍の排気量による余裕とワンサイズ大きなボディによる室内空間は魅力的でしたが時は高度成長期の真っ只中、少しでも“豪華”を希望するユーザー層にはただ維持費が上がるだけで大して外観や装備に満足いかないといった評価になりデビュー後は泣かず飛ばずの状況でした。
トヨタとしては新たに専売店の『トヨタパブリカ店』(現カローラ店)まで立ちあげ気合を入れたモデルであっただけに市場の反応に戸惑う場面も多かったようです…。

余談ですがこの初代UP10パブリカはワタクシの家でのマイカー第3号車!
初めてのクルマが親類の裕福な伯父からのお下がりだったDATSUN210、そしてやはりお下がりのブルーバード310…
ようやく自己資金で車を買えるようになった亡き親父が初めて自分でチョイスした車でして僅かな記憶ながら親父が慈しんでたのを憶えています。
真冬は空冷エンジンがなかなかかからずクランク棒を突っ込んで『どっこらしょ』と廻しようやくかかると辺り一面の白煙とすさまじい“パパパパーン”という排気音^^;
いやー、懐かしい思い出が蘇ります、今じゃ許されない車ですよネ(笑)

さて、そんなパブリカですがトヨタは料理に例えれば「食材や味は問題ない、後は盛り付けだ!」といった感じで質素過ぎると言う意見を取り入れDXモデルを追加したりオープンモデル(コンバーチブル)も設定、65年のMCでは大幅改良のUP20をデビューさせどんどん豪華/スポーティにも変身、これにつれて販売、人気もうなぎ昇りとなり66年のカローラデビュー→大成功の下地をUP10→UP20で学びながら造っていった形になりました。
UP20となりキャッチコピーを『1000ドルカー』として大々的にセールス、基本モデルが約36万円でこれは当時の為替レートが1$=360円だった事から割安感を強調したものでした。

サニーやカローラのデビュー後はトヨタのボトム、普通車エントリーカーとして1000ccのサニーに対する“プラス100ccの余裕”と言ったキャッチコピーが有名な1100ccのカローラと700→800ccにスケールアップしたこのパブリカ800でサニーを挟み撃ちする作戦を取り有名な“CS戦争”の一役を担っておりました。
現軽自動車ユーザーの『カローラでは大き過ぎるけど軽はもう嫌!』という心理を付いたこの作戦は大成功しカローラで取りこぼしてもサニーには渡さずパブリカで吸収する!という手法はその後のトヨタ常套手段となっていますね。

そんなパブリカも69/4、デビューより8年を得て絶好調カローラの拡販、改良に躍起だったトヨタにようやく余裕が出てきたところでFMCが行われようやく2代目となる『UP/KP30系パブリカ』がデビューしました!

↓69/4、8年ぶりに一新された『2代目パブリカUP/KP30系(前・前期型)』


尚、今回の『燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!…3』ではこの2代目パブリカ/パブリカ・スターレットvs初代チェリーを題材としますがその根拠を先に述べさせて頂きますネ(^.^)/

①初代UP10/20時代はチェリーに相当するモデルは日産には存在しない。
②2代目パブリカに対抗、パブリカから1年半遅れながらライバルとして初代E10チェリーを日産がサニーの格下(つまりはカローラの格下=パブリカ)として発売。
③71年チェリークーペ追加後、73年にパブリカのクーペ/4ドアモデルの『パブリカ・スターレット』が追加された為これもチェリーのライバルとして記述。
④74/9以降の2代目チェリー(F10型チェリーF-Ⅱ)はFRとFFの違いだけのサニー同ランク車に格上げ(サイズや搭載エンジン)されパブリカのライバルからは離れていると判断。

以上のGure的根拠から69/4のUP/KP30パブリカ、70/10のPE/E10チェリー、73/4のKP40系パブリカ・スターレットをガチンコライバルとして認定、74/9にチェリーF-Ⅱデビュー以後もパブリカ/スターレットは30/40→50系に型式変更がなされるも継続生産されますがこの時を境に再び日産にはライバル不在となりますのでガチンコ期間は70/10~74/12の約4年強の間となりますm(__)m

さてさて、かな~~り前置きが長くなりましたが『燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!…3』、本題に入ります!

【2代目ガッツ!パブリカ登場!!】
永らくトヨタのボトム、そしてカローラ発売以降は悪く言えばカローラの下請け?的存在で8年間生きた初代パブリカは予想を超えたカローラの好調さでパブリカまで手が廻らないトヨタ、UP20以降ほぼ放置に近かったパブリカですがカローラの拡販に一段落ついた69/4にようやく全面改良し発売しました!

2代目では50~60年代初期の設計だった初代と較べ当然ながら70年代のより現代基準に合わせた改良が施され“カローラの下請け”的立場は同様ながらよりモータリゼーションの進展による自家用車の保有台数の増加ににも対応、初代が「国民車」という位置付けから「若者が最初に購入する車=エントリーモデル」の色彩を鮮明にしたのが大きな特徴でした。
このためCMキャラには若手二枚目俳優で人気だった石坂浩二氏を起用しコピーも若々しさを強調する『ガッツ!パブリカ!』『カモシカ・パブリカ(=ハイウェイ時代を象徴し脚の速い“カモシカ”をイメージ)』と謳われそれまでの大衆車然としたイメージを一新しようと躍起になっていた様子、この時代は正にハイパワー競争真っ只中で1psでも高い出力のクルマ、少しでも流麗でスポーティなクルマが良しとされていた時期でしたので本来ならスポーティ度合いはあまり関係ないエントリーカーや大衆車、軽自動車にまでそのブームは浸透、パブリカもこの時流に乗るモノでした。

↓『ガッツ』『カモシカ』とスポーツ度合いと若々しさを強調する2代目パブリカ(69y1000DX KP30型)


↓1000に搭載されたカローラでお馴染K型OHVエンジン(2K型=カローラK型のデチューン)


2代目パブリカは先代での大きな特徴だった空冷800ccエンジンは継承しますがこれを廉価版としメインはカローラの水冷K型OHV1100ccをデチューンした2K型1Lを搭載、スポーティモデルの最高グレード『SL』にはカローラSL同様のK-B型1100ccツインキャブを搭載しメイン、SL共にコピーだけではなく1サイズ上の性能が与えられました。
サイズはまだまだ車格にによる寸法の序列が厳しい時代ですから当然カローラより小さくトヨタ最少ですが70年代先端を行く現代的なスクエアなデザイン、三角窓を廃しプレーンでスパッとしたノッチバック2ドアセダンとなって
います。
尚、コマーシャルカーとして先代から継承した4ナンバーのバンとピックアップも新型でラインナップ、ピックは本流セダン=パブリカ廃止後も永年造られピックは同趣向のサニトラ同様にマニアには非常に高い人気を示していました。ピックは78/2にパブリカそのものが後続のKP61スターレットに譲って廃止後、10年間も継続され88yまで現役という長寿を誇ったのは有名ですね!

↓廉価版として先代からの空冷2U型エンジンを搭載したパブリカ800DX(69y UP30)


↓カローラを100ccデチューンした水冷2K型を搭載する普及モデルの1000DX(69y KP30)


↓ソフトパッド等安全対策&豪華になった30系のインパネ(69y1000DX)


尚、2代目パブリカはトヨタとダイハツの業務提携によりダイハツの『コンパーノ・ベルリーナ』代替わりである『コンソルテベルリーナ』としてダイハツに供給、今で言う“OEM"ってヤツですが実際にはトヨタ傘下に入ったダイハツの工場でコンソルテは勿論、パブリカや後年のスターレットも造られていました。

↓2代目パブリカの“OEM"モデルである『ダイハツコンソルテ・ベルリーナ』(69yEP30型)


このようにFMCで順調に人気/販売UPを進捗させるパブリカですが一方のライバルメ-カー、日産は対カローラでは善戦しながらもこのクラス、サニー一本では苦しく本来、サニーの顧客である層をパブリカ流出という事態が少なからず見受けられこれに歯止めをかけるため元々は合併前のプリンスがグロリア/スカイラインの下級車種として開発していた小型車をこのパブリカにぶつけるべく70/10に新型車をデビューさせ“打倒!パブリカ”を打ち出します!!

【日産初のFFモデル!初代チェリー登場!!】
70/10、満を辞して発売された日産の新星小型車は『チェリー』(PE10型=1200 E10型=1000)と名付けられデビューします。販売店も『日産チェリー店(後のパルサー店を経て現在はサティオ店に吸収)』を新設する気合の入れようでした。

ターゲットは軽自動車からのステップアップユーザーや初のマイカー購入を検討する若者層としておりモロに2代目パブリカに被せに行ったモノ。
この分野では長い歴史と知名度のあるパブリカを駆墜するには並のモデルでは不可と判断した日産、チェリーに最大の特徴である先進的な“横置きエンジン+FF駆動”方式を採用しパブリカとの違いを大きくセールスポイントとしていました。
従来のサニー(B10/110)のパーツを巧みに使用しながらまだ日本では珍しいFF方式を採用したのはさすが当時言われていた『技術の日産、販売のトヨタ』を象徴するものでそれまでFFを日本で採用していたのはスペースに制約が厳しい軽自動車(スズキスズライト、同フロンテ、ホンダN360…70年当時はスズキ勢はRRに転換)と普通車では富士重のスバル1000、その発展型のff-1/1300G位なもの。
欧州では当たり前だったこの機構で小型車には特に有効なFFながら欧米文化から入った日本のモータリゼーションではFRが日本人が日本語を喋る位に当たり前の事であり日本人がロシア語やスペイン語?を喋る位珍しかったFFはまだまだ色眼鏡的に見られる事が多くまだ在野的でマイナーメーカーだった富士重やホンダ技研とは違い当時でも横綱級のメジャーな日産がFFを発売したのは大きな驚きでワタクシも子供心に正直チェリーは奇異に映ったモノです。

↓“日産初のFF”として鳴り物入りでデビューした初代E10型チェリー(70y前期型2ドア1200X-1)


チェリーはその先進的指向を示すようにスタイリングも未来的な“カプセルシェイブ”、全体的に丸味帯びた優しいラインで構成されるデザインでサイドウインドゥは『オリエンタルアイ』と名付けられた特徴的な逆三角に近い形状、ファストバックのRrデザインと合わせてクォーターピラーは正三角の富士山をモチーフ、丸味美ながらもウェッジを適宣効かせてスポーティさも表現、非常に個性の強く好き嫌いが分かれるデザインでしたがこの初代チェリーのデザイン、よほど日産は自信があったらしく後のブルーバードU(610)、ケンメリスカイライン(C110)、バイオレット(710)、サニー(B210)やセドグロ(330)、シルビア(S10)等、看板車種含めて次々採用、このデザインはスポーティではあるものの後方/側方視界が著しく奪われバック時には運転に支障が出るほど乗り辛いもので一連のこのデザインで評価を得られたのはケンメリ位、先記の採用車種も次期型では全て改められるという結果に終わっています。
ワタシもチェリーは勿論、上記日産車は数多く乗りましたが穴蔵に入ったような閉塞感、狭い道で譲る場合のバックは涙モノで常にアゴを突き出して運転していたような?印象が残っていますね~…

横置きに搭載されるエンジンは今では名機!と呼ばれるA型エンジン!
B10サニーでお馴染のA10型と70yのFMC後、B110サニーに搭載されていたA12型をFF横置きに改良して搭載、古い歴史を持つ英国BMC・ミニをお手本にしこれと同様にシリンダーブロックの真下にトランスミッションを置く二階建て方式のパワートレインとされていました。

パブリカが古典的な縦置きFR、脚廻りもFrストラット/Rrリーフリジットというレイアウトに対しチェリーはFF化の利点を生かしFrストラットの独立、Rrにデフが存在しない分、高度な追従性と快適な乗り心地を実現するトレーリングアームの独立式を採用、まだまだ上級FR車がRr固定だったのに対しエントリーカーながら贅沢な脚廻りが与えられパブリカに大差を付けています。

↓高度な“4輪独立”を最大にアピールするチェリーの脚廻りイラスト図


↓OHVとは思えない軽快な吹けが“名機”の所以であるサニーB10/110でお馴染のA型エンジン
(㊤A10㊦A12ツインキャブ)



チェリーはハード面だけではなくソフト面でもパブリカをリード、パブリカが2ドアモデルだけの設定に対して4ドアモデルもラインナップされよりファミリーユース需要に気を配った車種編成を採っていました。

↓ライバルに差を付ける4ドアモデルもラインナップ!(70y 4ドア1200X-1)



インパネ、室内装飾などは70/1に発売され好評を得ていたB110型サニーを基本にしサニー同様に内臓型の丸型連メーターを採用、ソフトパッドを多用してよりスポーティかつ高級なデザインとされ上級車並に大型のセンターコンソロール(上級グレード)等の装備も施されています。

↓好評B110サニーを基本としたチェリーのインパネ(1200X-1)


一方のパブリカもチェリー迎撃態勢!まずはチェリーデビュー前の69/9、最高グレードの1100SLをカローラが1100→1200にグレードアップし1200SL(3K-B搭載)に変更、同時にパブリカも1200SLとなります。
この時、先代には設定されていたトヨグライド(セミAT)が1000DXに復活、70/4にSLのインパネのみ全面改良、新デザインのインパネは60年代的テイストを廃しソフトパッドを多用しスポーティかつ豪華な造形を採用、勿論インパネ内臓連メーターや上級グレードには大型センターコンソロールも装備、60年代テイストだった従来型を一気に豪華&スポーティに変更し70年代に相応しい見かけも機能性も現代的となりまるで別の車のように変貌しました!

70/9、チェリー発売の直前にMCを行い2代目前・後期型となっています。
外観はお約束のフェイスリフトとと若干のRr廻りのデザイン変更ですがインパネは先のSLに準じて全車全面改良が施されました。
新デザインのFrグリルは普及グレードとスポーティグレードではリ・デザインがなされどちらも彫が深く高級感、スポーツ感をより強調するモノとなっています。
このMCで新グレードとなる豪華版1200HI-DX(ハイデラックス)を追加、エンジンはSLの3K-Bツインキャブ→シングルキャブにデチューンした3K型を搭載、これもカローラ1200からのキャリーオーバーとなっています。

↓MCで高級感をプラスした70/10~の2代目前・後期型パブリカ


↓全面改良されたインパネ


パブリカvsチェリー、正確にはこのパブリカ前・後期モデルからがチェリーとの競存期間となりますのでさんざん書いてきましたがガチンコはココから始まりますネ^_^;

それでは両車の諸元比較から入ります!!

[パブリカ(2代目前・後期型70/9~)]

(バリエーション)
800STD/DX
1000DX
1200HI-DX/SL
(ボディバリェーション)
2ドアセダン、2ドアバン、ピックアップ
(型式)
トヨタUP30(800)同KP30(1000)同KP31(1200)バン、ピックはUP/KP36、37と呼称
(サイズ)
全長3645mm全幅1450mm全高1380mm
(ホイールベース)
2160mm
【車重】
660~690kg
(搭載エンジン)
2U-C型 800cc 空冷2気筒 OHV シングルキャブ 40ps/6.8kgm
2K型   1000cc 水冷直4 OHV シングルキャブ 58ps/7.9kgm
3K型   1200cc 水冷直4 OHV シングルキャブ 68ps/9.5kgm
3K-B型 1200CC 水冷直4 OHV ツインキャブ 77ps/9.6kgm
(ミッション)
4速MT/2速トヨグライド
(脚廻り)
Frストラット/Rrリーフリジット
(駆動方式)
縦置きFR
(価格)
800STD 365,000円
800DX 395,000円
1000DX 445,000円
1200HI-DX 475,000円
1200SL 495,000円
※4MTの価格


[チェリー(初代70/10~)]

(バリエーション)
1000STD/セミDX/DX/GL
1200X-1
※全種2/4ドアをラインナップ
(ボディバリェーション)
2ドアセダン、4ドアセダン
(型式)
日産E10型(1000)同PE10型(1200)
(サイズ)
全長3610mm全幅1470mm全高1375~1380mm
(ホイールベース)
2335mm
(車重)
610~655kg
(搭載エンジン)
A10型 1000cc 水冷直4 OHV シングルキャブ 58ps/8kgm
A12型 1200cc 水冷直4 OHV ツインキャブ 80ps/9.8kgm
(ミッション)
4速MT
(脚廻り)
Frストラット/トレーリングアーム
(駆動方式)
横置きFF
(価格)
1000STD 410,000円
1000セミDX 415,000円
1000DX   460,000円
1000GL   500,000円 
1200X-1   545,000円
※2ドアの価格、4ドアは35,000~40,000円UP。

以上をご覧頂ければお分かりの通りエンジン搭載/駆動方式とチェリー4ドアモデルの存在を除いて両車、ガッツリ四つに組むといった感じでサイズ的にも両車それぞれの兄貴分であるカローラとサニーより若干小さく秩序を守っています。
パブリカがチェリーより若干長いながら幅はチェリーが若干広い、ホイールベースは全長が短いチェリーがパブリカより+175mmも大きくFFらしく室内長さ、足元空間でパブリカに差をつけていました。

パブリカもチェリーもかつてドライブ経験はふんだんにありますがこう正反対(FFとFR)ですと甲乙は付けられません、あくまで個人的な好みの問題となりますね…
その意味で言えば我々世代ではオーソドックスなFR方式のパブリカが慣れている分挙動は素直、FF創世記と2F階建てパワートレーンのお陰でFrヘビー感が強くFF挙動の感性が慣れないチェリーは異端の感じではありましたが良く言えば素直なパブリカ、カローラと何ら変わりないドライバビリティでおもしろくもおかしくもないカローラの“70点主義”をそのまま受け継ぐものでした。
ダルなハンドリングとやや頼りないサスもそのまま、唯一カローラと同じパワーユニットながら軽量なパブリカに俊敏さをより強く感じた点でしょうか。
600kg台の軽量ボディのパブリカですからカローラですら必要充分なドライバビリティでしたのでパブリカは1000ccでも何のストレスも感じずイキイキと走れたモノでした(但し空冷800ccはバンで経験ありますが明らかにオーバーウェイト、1200トヨグライドもまだ未完成?のATでしたので同じエンジンか?と思う程ダルかったです。)
一方のチェリーは2F建てのお陰で左右同サイズのDシャフトの恩恵もあり意外にFFの悪癖であるアクセルの踏み込みと同時にハンドルを取られるトルクステアはそれほど気にならずこれがアリアリだったホンダやスバルに較べ素直に近いモノ、しかしFrヘビーのためハンドルは高度なラック&ピニオンながら異様に重くコーナリングも結構強いアンダー特性だったのを記憶しています。
ドラポジも軽自動車のようにホイールハウスが出っ張り座る位置と足先が中央にOFFセットされており慣れるまではペダルの踏み間違いに注意を要しました。
エンジンは定評あるパワフルなA型!1000でも充分に力強く1200ツインキャブに至ってはやはり600kg台の軽量さも加わり充分以上の速さがありFFの癖をねじ伏せる実力があれば上級のブルSSSやスカイラインGTですらカモれる実力があったと思います。
エンジンそのものがライバル名機とされたK型とA型ですがあくまでノーマルの状態でしたらそのパワフル感はA型に軍配アリ!とワタシは感じます。
もちろんK型もOHVの割にはよく廻り軽快で燃費もいい素晴らしいエンジンですがA型はそれを上まわる“名機の中の名機”とても言えばいいのでしょうか…。

FFのため高速安定性も高く直進するだけならかなり安心感のあるモノでしたがブレーキがこの時期の日産特有の“カックンブレーキ”のためこれも慣れるまでは怖くて強くは踏めない感じでした。

このようにFF玄人になればかなり楽しく走れるチェリー=一部は100点に近くともある部分は20点…
そして今までさんざん慣れ親しんだFRで何ら緊張する事無く適度なパワー感と適度で素直なハンドリングとブレーキのパブリカ=ALL70点…
やはり“甲乙”の判定はできないと思います(汗)

’後編に続く)
Posted at 2017/08/16 16:55:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | ライバル | クルマ
2012年05月05日 イイね!

保存版・燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!(117クーペvsコスモ)

保存版・燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!(117クーペvsコスモ) 燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!

今回はJ・アローの美しいデザインで今でも愛好家の多い元祖高級クーペ、『いすゞ117クーペ(PA9♯系)』と排ガス規制を中心に自動車界が青色吐息の時期に颯爽と登場!オイルショックで傾きかけた東洋工業(現マツダ、以下マツダで記載)を救った『マツダコスモ(CD系)』をガチンコライバルとして取り上げたいと思います!
日本では支持される環境のなかった時代に117は一人『高級パーソナルクーペ』として名をはせていましたがそんな独占状態に同じ“高級クーペ”として挑戦したのがマツダコスモ!
当時を知る人間にとって正にこの2車はガチンコで数年歩んでいきましたので今回、その歴史を振り返ります。

GTOvsセリカの項で述べたようにこの昭和50年を知る自動車ファン、特にスポ車ファンにとっては忘れもしない悪夢の年!
憎っき?日本版マスキー法である昭和50年排ガス規制が翌年から実施される前夜でありメーカーさんは勿論、一般ユーザーが「車が動かなくなる!!」と本気でうろたえた時代でした…。

しかしそんな中でも各メーカー、夢を届けるスポーツモデル、スペシャリティカーの継続には必死に取り組み排ガス規制で多かれ少なかれ牙を抜かれてはいましたが今の様に“エコ・環境一辺倒”とは傾きはしませんでした。
しかし2大メーカーである西の横綱、トヨタはそれまでワイドバリェーションの拡充や見かけの豪華装備の追及ばかりに捉われたツケがまわり排ガス対策が後手後手に!各社、50年規制を飛び越えた51年規制の目途がついた時期でさえも他社パテント(ホンダCVCC→トヨタTTC-V)を導入したりして取りあえずの規制適合に目途を付けその後51年目前でようやく自社開発(TTC-C/TTC-L)にてブービーにて50年規制適合が叶ったという有様。
一方、東の横綱であった日産も比較的早い時期に51年規制には触媒方式の(NAPS)にて適合はするもののツインキャブは全滅、これに変わるEGIと排ガス対策による大幅な車輛価格UP、加えてドライバビリティの極端な低下が著しくつい先日までL20型ツインキャブやA12型ツインキャブでワクワクさせたローレル/スカイライン/ブルーバード/サニー等の人気ブランドも魅力半減、2大メーカーには暗雲が覆いかぶさっていた時代、造る側も乗る側もお先真っ暗?的空気が立ちこめていた時期に正に颯爽と、停滞した空気をブチ破るように登場したのが75/10の『マツダコスモ(C-CD2♯C/VC型)』でした!!

↓75yデビューのコスモ、ネーミングは由緒ある日本初のREスポーツカー“コスモ・スポーツ”から継承!(75yリミデッド)


コスモは67~72yに存在した言わずと知れたマツダ1の名車、RE(ロータリーエンジン)を日本で初搭載したコスモ・スポーツからネーミングを継承、一部文献などは「2代目コスモ」と紹介されていますが個人的にはコスモ・スポーツとコスモはあまりにコンセプトが違い過ぎますので“2代目”には少し違和感がありますが少なくともREエンジンを生かしたマツダの最高峰イメージリーダーである事には変わりはありませんネ。

↓日本初のRE、世界では初の量産REを搭載した『コスモ・スポーツ』


排ガス規制で牙の抜かれた他社スポーティモデルの中、コスモの出現はひと際目立ち既存のサバンナやカペラ、ルーチェでAP(アンチポリューション=公害対策の意味)システムにより他社に先駆け一番乗りで51年規制をパスしたREエンジンをメインに搭載、73yのオイルショックでイメージが燃費の悪さから地に落ちた感があったRE、しかしその特性からレシプロと違って排ガス対策を施しても殆どドライバビリティの低下が見られずしっかりとパワフルな点が見直され発売と共に大人気を博し最上級のリミデッドでは180万円(正確には1,795,000円、最廉価1800カスタムスペシャルで1,055,000円)という高額にも関わらず発売半年で累計2万台を超え発売翌年の76y、6万台弱という販売台数を叩き出したのは単一のクーペとしては記録的!実用性の低い2ドアクーペモデルのこの数字は当時この分野では唯我独尊状態だった117クーペの安定的人気と販売台数とされた1万台強という数字を大幅に上回るものでありまさしく『大人気車』でありました!
当時、ハイオーナーカーと呼ばれたマークⅡやローレルは勿論、高級車であるクラウンやセドリックの2L最高グレードよりも高額、それらの3ナンバーモデル(クラウン2600スーパーサルーンやセドグロ2800SGL)より10~15万安いと言う価格帯ながら受注の半分は最高峰リミデッドだった事も驚きでこの現象からオイルショックからなるマツダの経営ピンチを救ったのは有名な話ですね。

コスモ・スポーツがプロトタイプの完全2座スポーツカーだった事に対しコスモAPはファストバックの4座パーソナルクーペであった事も実用にも使え、そのスタイリングも低く・長く・幅広くと教科書通りの出で立ちに加え個性的なスタイリング、センスの良いインテリアも相まって正に飛ぶ鳥の勢いであり76yにはCOTYも受賞、ワタシもこのコスモAPのセンセーショルなデビューから1~2年、他車ライバルを寄せ付けない圧倒的な人気を得ていた時期、鮮明に憶えております。。。

一方の117クーペ、コスモ発売までは高級スペシャルクーペ市場を独占し安定した人気を誇る存在であり68/12の発売以来、J・アローデザインの美しいスタイリングは75y当時で発売7年を経過するも健在!
初期型はお家の事情からなる生産性の悪さからハンドメイドに近い生産であり60年代ではあり得ない1,720,000円という超高額車輛!その後フローリアンやベレットの1800エンジンを移植した普及版の追加でやや?庶民的に寄るモデルも登場、73yの大幅MCより量産化がなされこれに伴いハンドメイド時代は富裕層のものだった117は一般ユーザーでも手の届く存在になりこの2次中期モデルから急速に販売も増えその美しいクーペを街中で見かける事が多くなりました。
手の届く、と言っても最上級のXEでは73y当時の主役であったスペシャリティカー、セリカやGTOを軽く上回りクラウン/セドリック2600と同等の185万円オーバー!しかしワイドバリェーション化により廉価版(XT)では124万円まで下がりこれならばセリカやGTOの上級と遜色ない価格帯になっておりそれらのようなハイパワーエンジンではないXT(1.8L SOHCシングルキャブ)でも117は走りよりその美しいデザインに価値が認められXTの普及率は性能に関係なく高かったようで街中を走る117も上級のXEやXGよりも下級のXTやXCが殆どだった印象があります!

↓68y~73/3までの“雲の上”の存在だった117クーペ前期(1次)モデル


尚、今回はあくまで『117vsコスモ』が主題の為、117クーペについてはコスモ登場(75/10)に合わせ当初から対策モデルとして登場したコスモに真の意味でライバルと言えるのは117も同様に排ガス対策適合モデルだと思います。
75yいっぱいは未対策モデルの販売が可能でしたので117の適合車は75/12の発売、依って117はこのモデル(2次中期排ガス適合モデル)を起点に取り上げてゆきます!


【諸元比較】

[117クーペ(75/12~)]

(バリエーション)
XE/XC-J/XC/XT
※XEはATのみ、XC-JはMTのみ、XC/XTは両ミッションを用意
(型式)
いすゞA-PA95型
(サイズ)
全長4310mm全幅1600mm全高1325mm
(ホイールベース)
2500mm
【車重】
1270~1330kg
(搭載エンジン)
G180Z型 1800cc 直4 OHC シングルキャブ105ps/15.0kgm
G180ZE型 1800cc 直4 OHC ECGI 115ps/16.0kgm
G180WE型 1800cc 直4 DOHC ECGI 130ps/16.5kgm
(ミッション)
4速MT/3速AT
(脚廻り)
Frダブルウィッシュボーン/Rrリーフリジット
(駆動方式)
FR
(価格)
XE:2,111,000円
XC-J:1,722,000円
XC:1,582,000円
XT:1,420,000円
※XEを除きMTの価格

型式A-を見ても分かるように75/12の時点で117はI・CASと謳う酸化触媒方式にて50年規制に適合していますが73~75/12いっぱいまで存在した117の最もハードモデルであった未対策のXG(G181W DOHC+ソレックスツイン125ps 4MT)が消滅、更に最上級のXEは未対策時代もDOHC+ECGIで140psという高性能さを誇っていましたがI・CASにより10psダウン、トヨタ/日産/三菱の例に漏れず排ガス対策の煽りを受けています。
最上級XEはこれを機会にMT仕様をカタログ落ちとしXG廃止により性格をより高級パーソナルに振りAT専用とされておりこの時点でMTのDOHCは選べすまだまだDOHCが夢の高性能エンジンだった時代、トヨタの18R-Gと並び2L級DOHCとして貴重な存在だった117はトヨタと一線を画す方向性が与えられためスポ車ファンとしてはにはただただ残念な出来事に映りました。
DOHC+ATなんて現代と違いゲテモノとしてしか受け入れられない時代でしたから69yのデビュー以来のDOHC+ソレックス+MTが味わえなくなった117、デザイン重視のこのクルマですが走りのイメージも少なからずあった最高峰の方向転換は排ガス規制を契機にしたものでしたが落胆したのを憶えていますしSOHCモデルのMTにしても他車が続々と5速化を発売する中で依然として4MTというのも“走り”という部分では見劣りするものでした。

[コスモAP]

(バリエーション)
REリミデッド/RE・1800スーパーカスタム/RE・1800カスタム/RE・1800カスタムスペシャル
※リミデッド/REスーパーカスタムに5MTとAT、1800スーパーカスタムは5MTのみ、RE/1800カスタムにはは5/4MT、RE/1800カスタムは4MTのみ
(型式)
1800:マツダC-CD2VC型
RE12A:マツダC-CD22C型
RE13B:マツダC-CD23C型
(サイズ)
全長4545mm全幅1685mm全高1325~1330mm
(ホイールベース)
2510mm
(車重)
1120~1220kg
(搭載エンジン)
VC型 1800cc 直4 OHC シングルキャブ(2ステージ2バレル)100ps/15.2kgm
12A型 573cc×2ローター シングルキャブ(2ステージ4バレル)125ps/16.5kgm
13B型 654cc×2ローター シングルキャブ(2ステージ4バレル)135ps/19.0kgm
※全エンジンともマツダAP(サーマルリクター方式)により51年規制適合
(ミッション)
5速MT/4速MT/3速AT
(脚廻り)
Frストラット/Rr5リンクコイルリジット
(駆動方式)
FR
(価格)
リミデッド:1,795,000円
REスーパーカスタム:1,530,000円
1800スーパーカスタム:1,350,000円
REカスタム:1,330,000円
1800カスタム:1,190,000円
REカスタムスペシャル:1,200,000円
1800カスタムスペシャル:1,05,5000円
※MTモデルのみ

上記を見て分かる通りコスモはまだまだ車格によるサイズ棲み分けがきちんと守られている当時でもフルサイズに近い堂々とした伸びやかさがが魅力、特に全幅は小型枠(1690mm)ほぼいっぱいで幅広くドッシリした安定感を醸し出していました。
117はコスモに較べると1サイズ小さいながら鬼才・Jアローのデザインはコスモ以後も褪せる事無く60年代の古いシャーシ、不人気車の代表であるフローリアンがベースとは相変わらず思えない美しさを保ち根強いファン層をガッチリ掴むのは当然、量産化以後の積極的な展開により新たなファンも獲得し圧倒的なコスモ人気の中でも一定以上の支持を得ていたのは流石でした!

↓117の流麗で優雅なデザインは75y当時、デビュー7年を経ても決して色褪せてなかった!75yXE)



【スタイリング・エクステリア比較】

現在でも愛好家の多い117、ワタクシいすゞの地元、神奈川県ですし仕事でいすゞ藤沢工場に出入りする事もあるので同工場内では往年のクーペを時々見かけます。未だ大切に所有する社員さんもおり生廃後30年を経た現在でも比較的見かける環境ですがほぼ量産型の73y~の2次モデル、“ハンドメイド時代こそが117”という愛好家の方が多いですがデザイン的にはワタシ個人としては2次モデルが一番好きでした。
丸目4灯が穏やかな曲線によくマッチし1次モデルのようなターンシグナルがバンパー上に付く60年代テイストもなく現代的、横1列になったテールも高級イメージをより高め全体的に一番調和の取れたエクステリアだったと思います。

一方のコスモ!こちらは当時最新鋭のモデルだけありそれまでにないデザインテイスト!
顔付は当時マツダが凝っていたバーチカル風の縦縞大型グリルに丸4つ目といういかつい顔付でスタイリングは個性的な6ライトウィンドゥ形式を採用、6ライトのクーペや2ドアモデルはB210サニークーペやS90系クラウンHTで既採用されているもコスモの場合“第4のピラー”を謳い文句にした二つに分けられたセンターピラーとそれを彩るFrから延びる下端のウインドゥモールが二つのセンターピラーに挟まれたセンターウィンドゥで上部に廻り込み再びRrオペラウィンドゥで下端に戻る独特なスタイリングが最大の特徴でRrウィンドゥはセンターピラーの存在するクーペながらHTのようにフルオープンとされカペラやサバンナ/グランドファミリアからの伝統を継承しています。
テールはL字型でこれも個性的ながら73yに三菱ランサー(A70系)で既に採用されており目新しさはありませんでした。

↓センターピラーとL字型テールがひと際目立つコスモのスタイリング(75yリミデッド)


排ガス対策費とより高級化路線を打ち出した117の最上級XEが飛び抜けた金額ながらこれを除けばほぼ被る価格帯にどのグレードも位置し正に高級クーペを二分する両車でした!
スタイリングに関しては個人の主観ですのでどちらが…というコメントは差し控えますね(笑)

【シャーシ・エンジン比較】

次に機関面、脚廻りを比較すると搭載エンジンではコスモに圧倒的な分がありますね!!
何と言ってもマツダの自慢のREを2種(13Bと12A)を搭載、先のオイルショックの経験から一時はマイクロバス(パークウェイ)から軽(キャロル/シャンテ)全てにREを搭載計画していたマツダ、しかし不幸なオイルショックを契機にそれまでの方針を見直し富裕層にアピールする高級車と性能を追求するスポーツカーユーザーに的を絞った施策に変更、これらを求めるユーザーは燃費にあまり五月蠅い事を言う層ではないための変更でありこれの第一弾がコスモでした。
マツダの自信作である2種類のREエンジンを与え最高峰リミデッドに当時2L級最高psとなる135psを発生する13Bを搭載、普及型には12Aを積みながらロープライス、燃費にこだわる層へも訴求するレシプロ1800も設定し幅広いユーザー層にもアピールしていました。

ミッションで触れなければならないのがREのMTモデルにはLA型ルーチェREに採用されていた“トルクグライド”をルーチェ同様に搭載したのも特徴。トルクグライドはその性質上REはレシプロに比べて低回転でのトルクが弱くこの時、振動が多くなるREエンジンの欠点を補いトルク増幅/振動軽減を叶える機構、他のMTには類を見ないAT同様のロック機構も内蔵され通常の5速MTのパターンの左上に駐車用のPポジションが設けられていました。

↓コスモのRE㊧とレシプロ1800VCエンジン㊨


脚廻りは当時の定番であるストラット/5リンクリジット式、当時としてはコスモよりも安いスカイラインやローレルが4独という高級な脚廻りを採用していたにも関わらずコストの関係もあったのでしょう、個性的で高級感溢れる内外装とは違いここに関しては極一般的でしたね、但しブレーキは当時では豪華なFrベンチレーテッドディスク/Rrディスクの4輪ディスクが1800廉価版までにも奢られ注目すべき点でした!

対する117、基本は60年代のベレットから搭載するエンジン、先記の様に未対策時代はソレックスツインやSUツインキャブを搭載しする走りを重視したモデルも存在しましたが対策後は大人しいモデルのみに変化、それでもXEのDOHCは価値モノで一目置かれる存在でDOHC王国のトヨタ以外でこれを生産するのは当時いすゞのみ!ECGIになりATのみとしながらもその価値が一層117XEのステータスを高めたとも言えます。

↓貴重なDOHCをトヨタ以外に持つのは当時いすゞのみ!(G180WE型DOHC ECGIエンジン)


脚廻りでは既にこの時ですら前時代的であったRrリジットリーフ(Frダブルウィッシュボーン)の117、このクルマの性格からしてハードに攻めるクルマではないので当時はこれで充分だったとは言え旧態化したサスと60年代のシャーシ、ワタシもコスモと117は結構経験ありますがこれはもうコスモの圧勝でした。
リーフ特有のペキペキした乗り味は逆にハードに攻めるクルマならばいくらでもいじりようがあるものの美しいその外観とは裏腹な安っぽい?乗り味は117には似合わずハンドリングも古いシヤーシからなる鈍重な操舵感は頂けない感じでした。ブレーキも当然FrはディスクながらRrはドラムです。

コスモもハンドリングに関しては決してシャープで気持ちのいいものではなかったと記憶していますが当時常識のボールナットとしてはパワーアシストなしでも軽かったですねー。
もっとも縦6や4発でもDOHCなど重いエンジンを積むライバルに較べたら軽~いRE搭載(リミデッドはパワステ標準、但し1800も軽かったが…汗)ですからこの辺もまだパワステ普及前はREの有利な点だったと思います。

コスモの脚は良くできており柔らかすぎず堅過ぎず、これでダートや山岳路を走った経験はないので何とも言えませんが少なくとも市街地や高速道路に於いては見かけに相応し残念感がないレベルだったと思います。
ただ、マツダの場合は国産車では珍しくシートの出来がこの頃でも秀逸でロングドライブでも疲れを感じさせないクッションを持ち特にリミデッドは高級クーペの名に恥じない出来栄え!これはコスモや同リミデッドに関わらず同クラスライバルのトヨタ、日産、三菱と比較しマツダのシートの出来はワタシ個人にはピッタリくるフィーリングが味わえこのメーカーの好きな部分の一つ。見かけだけではなくその時代時代に考えうる人間工学を真面目に追求している姿勢が伺われました。

↓コスモAPのFr/Rrサスペンション


↓117クーペのFr/Rrサスペンション



【インテリア比較】

この部分も多分に主観が入りますからどっちがどうとは言えませんが100万オーバー~200万前後という、当時でも決して安くはない(最上級はどちらも高級車以上!)“高級パーソナルクーペ”を謳う両車ですから造り込みやデザインは甲乙付けられないモノがあったと思います。

117、エクステリアは基本、デビュー時の1次前期型を踏襲しますが海外のGTカーを彷彿させる低い着座位置から短いシフトレバーを操作する感覚はそれまでの国産車にはないものでもありJ・アローのデザインは広々とした視界も実現、70年代はやたら穴蔵のようなクルマが多かった中で明るくかつ安全に気持ちのいいドライブのできるモノでした。
インテリアも上質で派手さはないながらもしっとりとした高級感が溢れ廉価グレードでさえ貧しさを感じる事はなく支払った対価には充分応えるステイタスさを所有者に与えてくれたと思います。
グレードにより味付けは異なり最上級XEはクラウンやセドリックにも遜色ない穏やかな色調の全面モケットのシート、長毛のカーペットにウッドのインパネ、内装は当然フルトリム、インパネはいすゞ自身がベレットGTでスポ車の定番とした連メーター(7連)である事は言うまでもありません!
ただ、設計の旧さは隠しきれず各S/W(スイッチ)類やサイドブレーキは60年代のまま(汗)
ワイパーやライトスイッチは旧態化したノブ式、当時このノブ式→現代同様のマルチレバーへの変更期であり新設モデるならばマルチが採用されましたが117のように設計の旧い車種は改良が追い付かず旧式S/Wがまだ継続されていました。
サイドブレーキは唯一ベースが60年代のセダンであるフローリアンを思わせるステッキ式!75y当時でもこの形式のサイドブレーキ、特に2ドアモデルでこれを採用していたのは117とローレルHT(130)/ブルーバードU HT(610)程度ではなかったかと…!?(高級車に多かったながらもクラウンはS60/70の“クジラ”→74yS80/90で、セドグロは230→75y330で改良されていました。)
また、高級さを謳うだけあり冷房装着率の高いモデルではありましたがこれもエアコンではなく助手席ダッシュ吊り下げ式のクーラーのみでしたのでこれも旧態以前の装備でしねー…
ただコスモは当初opでもエアコン設定がなされておらずまだまだ贅沢品であった冷房に関してはそれほど問題になる時代ではなかったですが(笑)

↓117クーペXEのインパネ&インテリア




XE以下ではXC-Jが一番若者向けの味付けとなり部分繊維の赤/黒チェック柄シートに艶消し黒のインパネが、XCでファブリックシートはXEと同一、アルミ風のインパネとされXTはXC-Jの色違いチェック地シートとなっていました。
117はデビュー時から潔く定員を4人としクーペながらも後席乗員にも気配りを忘れず後席空調吹き出し口が装備されこの種のモデルとしては異例な充実感がありました!

対するコスモも上品でセンスがいいインテリア117に劣らずそれに加えて新鋭モデルだけあり当時の流行のメータークラスター部が盛り上がるデザイン。
これは既存のLA型2代目ルーチェのアイディンティを豪華に発展させながらスポーティ心も満点!お約束の連メーター(5連、但し2種類のメーターをi個のメーター×2設置しているので実情は7連)もしっかり装備しています。
値段差が117に較べ大きいコスモ、最上級と廉価版の差は117以上、リミデッドとスーパーカスタムがウッドステア&インパネ、カスタム/カスタムスペシャルはウッドが省かれインパネ/ステアリングともプラとされます。
シートは全面モケット(ヘッドレスト除く)がリミデッド専用、スーパーカスタムとカスタムは部分繊維、カスタムスペシャルはビニールレザーに落とされ廉価版ではカーペットや内装の材質も異なっていました。

↓コスモ・リミデッドのインパネ&インテリア




↓コスモ1800カスタムスペシャル


【モデル改歴】

ここからは改歴順にこの2車を見ていきます。

※細かい仕様変更、特別仕様、安全対策などは網羅していません。

(76/5)
117、I・CAS=EGR、バルタイ等の改良で全種51年規制に適合。(psに変更なし)
この時同時に4MT車は全て5MTに換装されXT/XCは5MTと3AT、XC-Jは5MTのみ、XEは3ATのみのチョイスとなっています。

(76/6)
コスモ、これまでATの設定がなかった1800に3ATを追加。
RE同様にシフトポジションインジケータが1800にも採用されクラス初の装備が注目されました。

(77/3)
コスモ、新開発のMA型エンジン(2L 直4 OHC 2バレルシングル110ps/17.0kgm)を搭載するレシプロ2000シリーズを追加=スーパーカスタム/カスタムを設定。(型式C-CD3MC)
MA型は1800同様のサーマルリアクター方式のマツダAPによる51年規制適合エンジン。

ここで余談ですがコスモ=REのイメージが強いのはワタシだけではないと思います。
ただ、1800VC/2000MA共に結構ワタシは乗りましたが意外に?と言うかREの影に隠れて目立ちませんがコスモや後発のルーチェ・レガートにも搭載されており排ガス規制適合エンジンながら同時期の同タイプであるトヨタ/日産の1.8/2L4気筒(トヨタ=16R-U/3T-U/18R-U、日産=L18)に比較してそれほどのパワー不足は感じさせすパンチのあるエンジンで決して軽くないコスモやレガートをそれほどのストレスを感じさせずに走らせてくれ感心した経験があります。
トヨタ/日産の似たような重量やそれ以下のマークⅡ4気筒(X30系)、コロナ(T120系)やカリーナ/セリカ(A40系)、ローレル4気筒(230系)にブル(610~810系)やスカイラインの1800(C110/210系)と較べ加速や登坂でのあのどうしょうもなく上がらない回転フィーリングとは違いアクセルの反応が良く勿論REや未対策には敵いませんが適合エンジンとしては及第点の乗り味を実現していました。
多分、ワタシが経験した4気筒のこのクラスのエンジンとしては三菱/ホンダを加えてもこれが一番パワフルだったように思います。

(77/7)
コスモに新ボディとなる『コスモL』が追加設定されます。(型式は従来型同様)
ネーミンングの”L”はランドゥウトップの頭文字を表し高級馬車の屋根形式から由来したもの。従来のコスモがファストバッククーペだったのに対しノッチバック形式を採用、特徴あるサイドビューがなくなり平凡な出で立ちながらルーフ後端をレザートップにし高級感を高めていました。
この『L』は北米市場からの強い要望で実現され国内市場にも発売、ノッチバック化や特徴的なL字型テールも一般的な横長デザインとされ地味な印象になり従来型の支持層よりは高い年代に訴求、Rrシートの居住性の向上もあり実用にも使える2ドアパーソナルとして売り出しましたがやはり最大の個性(サイドビューやLテール)が消えた事により人気は低迷、従来型のセンセーショナルさは微塵もなく最後まで地味なモデルでしたね~…。

↓新たなオーナー層を取込む為に追加されたランドゥ・トップの『コスモL』


尚、コスモLの追加を機に従来型は『コスモ・クーペ』とされています。
Lのラインナップはクーペにほぼ準じておりこれによりコスモシリーズはこの種のモデルとしては珍しいトヨタ真っ青のワイドバリェーション化がなされています。

↓コスモLのバリェーション



(77/9)
コスモ、Lの2000のみAPスステムを安定燃焼方式とし53年規制に適合(型式E-CD3MC)

(77/11)
117、MCにて3次後期型となります!
このMC、外観での大きな変更は76/12に発売されたギャランΛにより火がついた流行の角目4灯の顔に変更された点で(Rrは従来型を継承)個人的にはどう見ても丸目が似合う117でしたが兄弟のフローリアンまで同時に角目4灯になりそのとんでもないアンバランスさの前ではまだ117は見れる範疇、この時期は正に“猫も杓子も”角4採用の頃でしたから117やフローリアンをこれにしたいすゞ開発陣の気持ちは解りますがねー、つり合いってのを忘れていたような気がします(-_-;)
他にはFr/Rrバンパーへのラバー装着、モールやガーニッシュのブラックアウトが施され全体的に豪華かつスポーティな印象に変更。

また、117ファンには嬉しいモデルであるかつてのハードグレードだった『XG』が復活!
エンジンは既存XE同様のDOHC+ECGI130psながら待望の5MTミッションが組み合わされ他に減衰力可変ダンパーや4輪ディスク(Rrディスク化)、LSDが装備された本格派!“走りの117クーペ”が戻ってきました。

他に機構面のベースを廉価XTとしながらXE並の豪華装備を施した『XT-L』の新グレードも追加、また若向けのXC-Jには新デザインのディッシュタイプアルミホイールを履かせ更に米のマッスルカー、カマロやトランザムばりの派手なボンネットデカールを装着しよりヤング層により強くアピールしています。
この新XC-Jは当時のモーターショーで初めて見た時の記憶が鮮明です!
何せエレガントで落ち着いた117を原色の派手なカラーにした上、これまたド派手なデカールで武装、おおよそ117には似つかわしくないながらこれはこれでまた一つの方向性を伺わせており長期モデルにはこのような大改革も必要だな~ と子供心に強く感じたモノです(汗)

↓77/11、MCにより角目4灯となりガラリとFrの印象を変えた117後期3次モデル(XT-L)


この時のMCで大幅に変更されたのがインパネ!
69y発売以来の従来のモノはさすがに70年代も後半に入ったこの時期には時代に対応できずそれまでのイメージは継承しながらも全面新設計され懸案だったマルチレバーやフルエアミックスのエアコン装着がようやく叶っています。

↓新設計、全面リニューアルの77/11~の117インパネ


新設計のインパネは本物のロ-ズウッドを使用(XE/XC/XT-L)、従来通りの連メーターながらもスピード/タコ以外を角型とし新鮮なイメージが与えられエアコン装着も可能な吹き出し口が新設されていました。
尚、XEとXT-Lには新たに速度感応式パワーステアリングも装備。

(77/12)
コスモ、Lの1800とクーペ1800/2000が安定燃焼方式APにより53年規制適合(型式の排ガス規制区分がE-に変更)

(78/12)
117、最廉価版の1800XTのみを残してG180型エンジンを2Lにボアアップし換装、2000cccシリーズを『117☆☆(スター)』シリーズとします。
外観や仕様はほぼ従来型を継承、新たに搭載される2L(実際にはG180エンジンボア拡大ぎりぎりの容積で1945cc)エンジンは下記の通り。


G200型 2000cc 直4 OHC シングルキャブ115ps/16.0kgm
G200型 2000cc 直4 OHC ECGI 120ps/16.5kgm
G200型 2000cc 直4 DOHC ECGI 135ps/17.0kgm
※1800XTは従来型G180 110psを継続

2L化により5~10psのパワーアップがなされ最高峰のG200DOHCは同排気量、同メカニカルであるトヨタ18R-GEU
と肩を並べる2L 4気筒最高性能を誇るものとなっています!
2L化は排ガス対策による出力低下を補うための処置でこれによりエレガントなクーペは走りも向上!というイメージでしたが1800と2000、共にECGIでの乗り較べでの手元記事によると(ワタシは2000は未体験です)200ccのスケールアップは低回転時のトルク増大は感じるものの俊敏さや加速の体感は殆ど差はないとの事でした。

同時にI・CASは三元触媒の採用より53年規制に適合、型式をE-PA96としています。(1800は51年適合のまま)

↓遂に2Lとなった117☆☆=スター(78y☆☆XEと☆☆XG)


↓2L化された新エンジン『G200型(DOHC)』


↓☆☆となっても内外装や仕様変更はなし(78y☆☆XC-J)


(79/2)
117、1800XTも2000同様方式にて53年規制に適合、型式E-PA95となっています。

↓53年規制適合の1800XT


(79/3)
コスモ、REエンジン搭載車も順次53年規制に適合。
この適合にはややタイムラグが発生、12Aと13BのAT仕様のみがまず適合、遅れて13BのMTが適合しています。
この時に13Bは140psにパワーup、コスモLのみ販売が芳しくない12A搭載モデルがカタログ落ちとなりっています。型式はご多分に漏れずC-→E-に変更。

(79/9)
コスモ、初の大幅なMCを実施し後期型となります。
センセーショナルなデビューから約4年、さすがにNEWカーとしての商品寿命も人気も落ち販売台数はピークの76yから減少の一途で79yMC前で約1万台弱まで下がっしまいこれの回復に向けた大幅なテコ入れを施します。

お約束のFr/Rrの大幅な意匠変更に加えインパネも新設計、インテリアのデザインもイメージを一新しグレード名も一部変更し全体的に80年代に向けた新感覚が注入されています!

↓79/9~の後期型コスモクーペ(リミデッド)



↓同コスモL(2000SG)



新たなグレード名は最高峰『リミデッド』はそのままにこれ以下を『SE-GT/GT/SG-X/SG/ST』としこれまではREとレシプロでも同一グレードを名乗っていましたがこれを分けREがリミデッド~GT(LはGTの設定はなし)、レシプロがSG-X~ST(LはST設定なし)とされています。
何か日産とトヨタのグレード名を一部にパクってきたような感じですがこれによりグレード編成は解り易くなったのも事実。尚レシプロは1800がクーペ、L共にカタログ落ちしたため後期はRE13B型(140ps)と2000MA型(110ps)に整理、ミッションも4速は廃止されST/SG/GTは5MTのみ、他は5MT/3ATが用意されます。

エクステリアはあのいかつい丸目4灯と縦縞グリルから異形2灯式ライトに改められグリルは格子状のパターンとなり従来型から較べると柔和な表情になっています、テールに関してはLは従来型を継続、クーペは新デザインとなり特徴的だったLテールから横一線のスマートなデザインとされています。
後期のFr/Rrの印象は良く言えば都会的、現代的にはなりましたが前期型の強い個性は薄れ最後まで前期を上回る人気・販売は実現できませんでした…。

↓発売以来、クーペの一つの個性であったL字テールも廃され…


インテリアはセンスの良い上質さに80年代らしい現代的な要素も加え好感の持てるもの、インパネは豪華なイメージになりましたが横に連なる5連メーターは廃止、スピード~タコ間に集中させるこれまた80年代らしい雰囲気に一新されました。

(79/12)
117、新グレードとなる『ジョウジアーロ』並びに初のディーゼルエンジン(以下De)搭載モデルである『XD-L/XD』を追加します。

ジョウジアーロはこの車のデザイナー、J・アローに因んで新設されたものでXCをベースに主にインテリアをJ・アロー自らデザイン、本場イタリア・オートクチュールの感覚を生かしたファッショナブルなシートや内張り、インパネのデザインは斬新そのもでステアリングやアームレスト、シフトノブは本革巻とされ、外装ではフェンダーにさりげなく装着された《giugiaro》のオーナメントがこのモデルが“特別仕様”である事を語っていました。

↓79/12に追加された『117・ジョウジアーロ』


↓117・ジョウジアーロのインテリア


同時に追加されたDeモデルは2ドアクーペとしては我が国初のDe。
60年代のベレル/ベレットで初のDe乗用車用を発売しその後はDeトラックのエルフ(ガソリンも一部あり)が2t積みベストセラーになったいすゞだからこそDeのパイオニアオとして同社のイメージリーダー的存在の117に“似つかわしくない!”との意見を押しのけてデビューさせた肝入りのモデルであり先の77yにフローリアンに搭載した2LDeよりひと回り大きくパワフルな2200cc C223型 直4 73ps/14.2kgmを搭載、117の名に恥じない走りを実現するDeエンジンとして注目を集めました!
フローリアンDe同様にベースはエルフ用のDeながら乗用車用に様々な改良が施され騒音/振動の軽減に神経を集中、また、エンジン始動/停止方法も乗用独自とされ特に始動ではQOS(クイック・オン・システム)という予熱時間がほとんど要らないシステムも採用し完成度の高いDeクーペとして当初不安の付きまとった需要も一定の数を確保、80年には三菱のやはり2ドアHTである三菱ギャラン/エテルナΛにもDeが登場するという2ドアDeの道筋を付けてたモデルでした。

この117De、一度乗りましたがスペック以上の頼もしさはあり特にDeの特徴でもある低速トルク、粘りは運転しやすくイザという時の瞬発力も ~これ、De?~ と思わせる実力はあったと思います。
振動もあまり意識させないレベルに納まっており当時数多かったDeモデルの中でもさすがいすゞ!と思わせる出来栄えであった事は間違いないです。ただ…Deの宿命なので仕方ないですが高回転は当然引っ張れずすぐに頭打ち、最大トルクが出る4300rpmより遥かに低い回転域でもすぐに唸り「やかましい」以外の何物でもなくその音はエルフそのもの(汗)フローリアンや後発のジェミニやアスカなら許せてもやはり117のスタイルには違和感バリバリでしたねー…

↓Deエンジン2ドア初搭載となった117Deの『C223型ディーゼル」


尚、De搭載グレードのXD-LとXDは☆☆XT-L/XTに準じた内外装が与えられていました。

(80/1~)
117は次期モデルとなる『ピアッツァ』発売に向けたモデル末期に入り主に内装レベルを引き上げた『XD-L、XC-L、XE-L、ジウジアーロカスタム』等の特別限定モデルがが相次いでラインナップされます。

(80/3)
コスモ、東洋工業創立60年記念限定車として『リミデッド特別仕様』を追加します。

(81/6)
117は69yのデビュー以来、その基本スタイルの変更をせず通常のFMCサイクルの実に3倍12年の長寿を終え次期型となる『ピアッツァ(E-JR130型)』にバトンを渡し生廃の時を迎えます。

↓117後続となる81/6デビューの『ピアッツァ』


ただ、ピアッツァはスタイルこそ81年発売ながら90年代、いや、2000年代をも先取りしたような近未来的なものとなっていましたがシャーシは117を部分改良して採用、一部エンジンもキャリーオーバー、デザインも再びJ・アローが担当するなどかなり濃い117のDNAが受け継いでおりいすゞファン、旧117ファンを喜ばせるに充分なモデルだったと思います。

(81/9)
コスモも117には及ばないながらも6年の寿命を終えコスモ・スポーツを入れると3代目に充たる『E-HBS系コスモ』にFMCが施されCD系はお役御免となっています。

↓81/9にデビューした3代目コスモ


3代目コスモは同時にFMCした4代目ルーチェと統合され所謂“双子車”となりそれまでルーチェは4ドア(セダン/4HT)、コスモは2ドア(クーペ/L)と棲み分けされていたものが3代目コスモデビュー時こそクーペモデルのみだったところ翌月の81/10にはルーチェ4HTのリ・デザインモデルが追加されイメージが大きく変わりました。
この4HTデビューにより4ドアを持たないピアッツァとのライバル関係は終了したと考えていいでしょう。
もっとも81y当時はこれまで他車2ドアHTやクーペがエアコンの普及や乗降性の優位さから軒並み4HTに衣替えしていった時期、コスモもこれに倣ったもので相変わらず2ドアモデルで勝負するピアッツァは同じく4ドアを持たない新星トヨタソアラやセリカ、日産シルビア/ガゼール、後発の三菱スタリオンらがライバルとなりコスモもクーペならば競合車種になり得ましたが“ガチンコ”には程遠いかなり距離が離れた感があります!

依って117vsコスモのガチンコは75/10の2代目コスモのデビュー~81/6のピアッツァ登場の5年9カ月と勝手に判断させて頂きます(;^_^A

両車の販売台数はコスモが75年からCD系単独での統計がある80年迄で約15万台、117はコスモ登場以後(75yは1月~10月も含む)81y迄で約6万台で圧倒的に累計ではコスモの勝利ですがコスモはこの台数の7割ははデビュー2年で達成したもの、その後は117と互角の勝負でありデビューの旧い117が永年に渡りコンスタントな台数を出していたのに対しコスモはパッと咲きパッと散ったといった感じでしょうか…。


燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!”117クーペvsコスモ… 完
Posted at 2016/11/07 21:37:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | ライバル | クルマ
2012年04月24日 イイね!

保存版・燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!…ギャランGTOvsセリカ編 (後編)

保存版・燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!…ギャランGTOvsセリカ編 (後編)(2012.4/2UP)

【終息期】
(75/11)
排ガス未対策モデルが販売できるのも75年いっぱい、いよいよトヨタ/三菱も苦心の末75年も押し迫った11月にセリカ/GTOを独自のカラーで規制適合させてゆきます。

まずはGTO、サーマルリアクター方式(後燃焼方式)のMCA-51と名付けたシステムにて50年を飛び越えた51年規制適合モデルがラインナップ、先記のように75年いっぱいは未対策モデルも販売可能な為、これらと併売されますが規制車は減税=優遇税制が適用されまています!

MCA-51モデルは1700と2000シングルキャブのみの設定で排ガス浄化補機装置にパワーを喰われ1700の4G35が105ps→97psへ、2000の4G52が115ps→105psへスペックダウン、それそれ未対策時代の元気は奪われ排気量が300~500cc又は車重が300~500kg重くなったような印象に成下がりGTOの暗黒時代突入を乗ってみると感じざるを得ないモデルでした。。。

↓トランクリッドの左端には排ガス規制車を示す『MCA-51』を示すエンブレムが…(75/11~1700SL-5)


↓クリーンながら残念な出力ダウンは避けられなかったMCAエンジン(75/11~4G52型)


規制モデルは小変更が行われ2分割プロペラシャフトの採用(走行騒音低減)、ミラーをブラックアウト化、旧型では『AstoronN80』のステッカーがあったボンネット先端に『MCA』のエンブレム、追い出された『Astoron80』の文字は グリルにエンブレムとして装着、またトランクリッド左側にも『MCA-51』のエンブレム装着がなされ1700SLは5速化し1700SL-5へ、2000SLはGSR同様のエアダムスカートが標準装備されています!

尚、未対策モデルは75年末をもって廃版、GTOは76/1より上記のMCA-51モデルへ移行、ツインキャブ搭載の2000GS-5と復活するも僅かな生存だったGSRも当然カタログ落ちし涙なくして語れない時期になってしまいました(;_;)
規制モデルは型式が51年規制適合を表すC-とB-が付記され補機装置で1tを超えた200SLが1t超を示すB-A57C、1t以下に納まる1700SL-5がC-A55Cとなっています。

一方のセリカは排ガス規制適合と同時にシリーズ全体を大幅にMC、50年規制達成不可の一部搭載エンジンをカタログ落ちさせながら三菱とは異なる酸化触媒方式の『TTC-C』システムにてこれをパス、この時にバリェーション整理が行われ内外装の意匠も変更、特にインパネは70y以来の旧態化した使い勝手を改善、従来のイメージを継承しつつもワイパーやライトスッチを現代に通じるマルチレバー化しているのが大きな特徴。
また、ボディも主として排ガス対策補機装置を納めるため全長+25mm、全幅+10mm、ホイールベース+70mm、Frトレッド+50mmの拡大がなされています。
エクステリアではLBのテール、バナナを5本→3本に変更、LBの例の給油口がボディサイドにようやく移設(これは追突時の火災の危険性が高いため問題視されており後に保安基準でOUTになっています)、セリカ/LB共にFrターンシグナルをバンパーに埋め込みややFrの印象を変えていますがMCのズレもありセリカのRrは不変でした。

↓75/11~の排ガス対策モデルとなったセリカLB(op装着のLB2000GT)



↓インパネもMCを機会に新設計!(75/11~LB2000GTのインパネ&インテリア)



↓MCされたセリカ(75/11~2000GTV)



↓2000GTのインパネ&インテリア


大柄になったボディと排ガス規制による出力低下でセリカのドライバビリティは目を覆いたくなる有様!
大型化し特に新設op設定された輸出用5マイルバンパー(衝撃吸収バンパー=バンパー内部にショックアブソーバを装備、LBの2000にop設定)装着モデルは迫力を増し従来のLB/未装着とはかなりのイメージ変更がなされていますがトヨタのこの過程(50/51年対策)は他メーカーに較べスペック以上のドライバビリティ低下が著しく三菱が500ccの差ならこちらは10000ccも落ちた感じでしたorz…

カタログ落ちとなったエンジンは1400のT型、1600ツインキャブの2T-BR、同DOHCの2T-GR、2000EFIの18R-E…
Tはあまりの出力低下でセリカには荷が重過ぎて廃止、2T-GRも同様に〝GT”としての走りが失われるという意味で1600DOHCはレビン/トレノに譲り廃止、2T-BRはツインキャブの為排ガス適合不可、18R-Eは販売台数が伸びずにこの機会に廃版とされたものです。

残る適合エンジンは1600の2T(対策記号が付記され2T-U 100→90psへダウン)、2000の18R(18R-U 110ps→100psへ)、2000DOHCの18R-GR(18R-GU 140ps→130psへ)というあれほどにエンジンバリェーションを誇ったセリカも寂しいラインナップになっています…
ただ、最高峰の18R-G(U)がDOHC+ソレックスのまま残ったのはトヨタに拍手したい心境でした!!

当時はセリカに限らず各社のツインキャブモデルが次々に姿を消しRE以外にもう本当の意味のスポーツグレードは存在できないのか?という悲劇的状況、トヨタや日産はエンジンを標準モデル(規制適合エンジン)にしながら装備や外観は以前を継承した〝なんちゃってSRやSSS・GT”をラインナップし続けましたがセリカを始めカリーナ/コロナの2000GTのみが伝統のDOHC+ソレックスツインを持ち続け(いすゞ117のG180Wは早々とECGI化)悲壮な時代の中でもスポ車ファンに希望を与えてくれました!
もちろん10psダウン(感覚的には10psというとスペック以上のダウン)に排ガス対策とソレックスの合性の悪さでそのドライバビリティは2000GTの名を汚す出来栄えではありましたがそれでもGTの名を消さない意地を感じライバル車ながら本気でエールを送っていましたねー!!

↓暗黒時代到来でもギリギリまでDOHC+ソレックスを守った18R-GU型エンジン!


セリカシリーズの排ガス対策型式は50年規制を表すA-が付記(車重別はなし)、この時点でA-TA23(1600)、A-RA23(2000)、A-TA28(LB1600)、A-RA28(LB2000)となっています。

76年も終盤、両車発売6年超となり最大の難関であった排ガス対策にも目途が付きこのために長引いたGTOとセリカのモデルライフも終息期となり三菱/トヨタとも最終モデルの発売及び製廃・FMCを睨む時期に入ります。
ここからは両車の製廃・FMC迄を振り返ります!

(76/2)
75年末からスポ車にとっては暗い話題ばかりの時期、年が開け間もない2月に三菱/GTOファンならずともスポ車/スペシャリティカーファンに嬉しいニュースが訪れました!
それはGTOに再びツインキャブをまとう『GSR』が復活した事…!!
75年中は未対策GSRが販売可能でしたので76年になり2カ月のブランクだったGSR、見事に従来旧型同様ツインキャブ付きで51年規制をパスして復活を果たしました。
もちろんSL系同様のMCA-51システムよりパワーダウン(125ps→115ps)、重量増(1015kg→1040kg)は逃れませんでしたがトヨタほどのパワーダウン感はなくこの時期他車が次々に適合に有利な電子燃料噴射装置に移行する中、従来通りのツインキャブで蘇りファンを喜ばせました。
規制後にツインキャブで復活したのはあれほど多かった同モデル(エンジン)の中でもごく少数、トヨタは18R-GUのソレックスのみ、日産はサニー/チェリーのA型(A12→A14に変更)、そして三菱はこの4G52とランサー/セレステ用の1600の4G32、富士重レオーネRX用のEA71という中、4G52ツインは数少ない蘇りの一つでした!(同じ4G52MCAツインはギャランGSⅡ B-A115型にも搭載、復活GTO GSRの型式はC-A57C)

↓MCA-51となって再度復活の『GSR』(76/2~モデル)


↓MCA-51ながらツインキャブで再登場した4G52型アストロン80ツインキャブ付エンジン


復活GSRはGTO史上最も生産期間が短く同年5月には最終型へとマイナーチェンジされる為僅か3ヶ月の存在でした、意匠等は先に発売されてるSL系と同一の小変更が施されてますが伝統のGSR専用装備は既に2000SLにもエアダム装着がなされていた為カラードグリルと新採用のホイールリングのみになっています、どうでもいい?話しで恐縮ですがワタクシめの1号機がこの時のMCA-GSRで大変レア物に乗っていた訳です(^_^;)

~両車、最終型発売~

(76/5)
発売6年半を経たGTO、いよいよ最終型が発売されます。
今回のMCではボディ新色の追加と若干のエクステリア変更がなされており1700/2000SL-5共にGSR同様にカラードグリル、ホイールリングを装備、1700SL-5もエアダム装着。
一方のGSRは下級グレードとの差別化をウィンドゥサッシュ/サイドシルモール/エアダクトをブラックアウトで示しエアダムスカートに逆文字『GSR』ステッカーを装備しました!

↓76/5~最終型GSR


↓最終型の段階でのグレードは全3種!


他に80年代に向け前後バンパーにコーナーラバーが全種に装着されたのが外観上での新しい部分、細かい新装備は燃料残量警告灯の追加となります。機関面やインテリアは従来型と変更ありませんでした…

(76/5)
セリカも最終型に向けた仕上げに入ります。
76/5にまず1600 2T-Uが50年→51年規制に適合、この時に1600(=51年規制車)はセリカ/LBともにC-TA35型に型式変更。

(76/6)
セリカ、非DOHCの2000 18R-Uが同様に51年規制に適合、型式C-RA35に変更。

(76/12)
50年規制車が販売が可能である76年12月、ギリギリになり2000DOHCがようやく51年規制適合となり翌77/1より販売されます。
ソレックスのままでかなり51年適合は危ぶまれ一時は製廃も検討されながらの滑り込み!トヨタの意地を感じました。
尚、この時点でセリカシリーズも最終型となっており2000DOHCも適合により型式をC-RA35に変更、73年LB追加以来、セリカとLBで分けてきた型式を統一しています。

(77/3)
セリカ、いよいよこちらもモデル末期となりFMC前にセリカファンに贈る特別限定車『BLACK CELICA』が発売されまています。

ブラックセリカは「生産累計100万台突破」記念としてLB2000GTをベ-スに385台、その名の通りブラック専用色にて限定販売されたもの、〝CELCA LIMITED EDITION”のオーナーズプレートには所有者のネームが記入され更に1台ずつの製造シリアルナンバーが刻まれたステッカーがコンソールとRrホイールアーチ前のCELICAエンブレムの下に装着しています。
通常のGTではop設定のAM/FMラジオ、タルボ型電動フェンダーミラー、輸出専用サイドプロテクションモール、衝撃吸収バンパーなどを特別装備!

↓特別限定モデルのセリカ・ファイナルバージョンだった『ブラック・セリカ』
(ホイール・タイヤなど一部社外品装着車)


↓限定車の証、オーナーズプレート


~製廃&FMC~

[GTO]
総生産台数95.720台、7年に渡り三菱のスポーツ部門のTOPを受け持ったギャランGTOは76年暮れの新世代スポーティのギャランΛの発売によりこれの影響が大きく翌77年夏をもって静かに生産中止となりました。

ニャーギャランHT(A11♯系)がΛと入れ替わりに生廃となったのとは違いGTOはΛ発売後も暫く生産、併売されましたがΛ以前の75年に1万4242台、76年は8200台強の販売を記録しながらΛとキャラの被るGTOは77年には一気に1850台迄に激減、商品寿命も切れたと判断され生廃、78年に恐らく在庫整理であろう40台をこの世に送ったのが最後の記録のようです。
Λは搭載エンジン、4G52をGTOから継承(後に1600 4G32も搭載)、一部パーツ流用もありGTOのDNAを継ぐNEWモデルでしたが結果的にGTOはΛにギャランHTと統合吸収=FMCしたカタチとなりました…。

↓GTOはΛにそのDNAを継ぐ!(76yギャランΛ 2000GSR)


”GTO”のネーミングは一旦ここで途絶えその後三菱のスポーツフラッグシップはギャラン/エテルナΛ→スタリオンと進化しながらバブルも終わりかけの1990年、13年の沈黙を破り新星GTO(ギャランは付かない)としてそのネーミングが復活したのは皆様の記憶にも新しいのではないかと。。。

[セリカ]
セリカシリーズ、生産累計100万台と国内登録385000台というパーソナル性の強いスペシャリティカー単独としては類を見ない実績は見事!発売6年を経た76年単年でも35000台強の国内販売を残しており同じくモデル末期のGTOの4倍以上の数字、70~77y累計でもGTOはセリカの1/10ですからこのガチンコ対決は悔しいかな?セリカの完勝・圧勝ででした!!!
セリカも77/8、GTOがひっそりと消える〝一蓮托生”的にFMCが行われ2代目TA/RA40系に移行、GTOはその名を消しながらもセリカは第二章へと発展、その後もトヨタの重要なスペシャリティ、スポーツ部門の中心を担いながら代替わりを重ね2006年まで実に36年間、現役を守り通した日本のスペシャリティカー歴史そのものとなっています!

↓77/8、第2世代にFMCしたセリカ(77y2代目C-RA40型セリカクーペ2000GTV)



~総評~

GTO/セリカとも日本のモータリゼーションに希望が満ち溢れた時代に登場!新ジャンルの“スペシャリティカー”の基礎を造り7年の長きに渡り両翼を担い続けました。
オイルショック、排ガス規制というこのカテゴリーには厳しく立ちはだかる壁も乗り越えながらセリカは常に人気・販売の1、2位を争う位置を守りGTOは三菱という弱小メーカーにいながらもその存在感を示す努力を怠らず最後まで商品価値を維持、この2車は国産車、スポーツ車の歴史を語る上でどうしても外せない歴史的価値があると思います。
GTOとセリカ、製廃から既に35年を経ておりますがその存在は21世紀、2012年の今でも永遠です。。。



“燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!”GTOvsセリカ… 完
Posted at 2017/08/06 20:44:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | ライバル | クルマ
2012年04月23日 イイね!

保存版・燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!…ギャランGTOvsセリカ編 (中編)

保存版・燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!…ギャランGTOvsセリカ編 (中編)(2012.4/21UP)

“燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!”GTOvsセリカの後編となる【繁栄・終息期】をお届け致します!

【繁栄期】

大阪万博の開催をTOPとし新たな時代を告げた1970年の終盤に発売された二つのスペシャリティカー、三菱ギャランGTOとトヨタセリカ、両車とも発売翌年の71年から本格的ガチンコ対決に入りそれぞれモーター競技への参加、新モデル(バリェーション)のラインナップ、よりハイパワーなエンジン搭載など様々な拡販体制が敷かれてゆきます。

↓白/オレンジ2色設定のMR、極初期のみ存在した希少なライトグリーンの70yMR


↓悪名高き50年排ガス規制後も看板の“DOHC+ソレックス"をラインナップし続けたセリカ(76y2000GTV)


一方で華々しい激戦を演じたこの2車に他社も参戦/迎撃の為、東洋工業(現マツダ)から新鋭サバンナといすゞから既存ベレットGTRがライバルとして名乗りを上げました!

《ライバル参戦》
時代は前後しますが69/10に既存ベレットGTのボディに上級117クーペのG161W型DOHC+ソレックスツイン120psを搭載した“最強のベレG"としてこのクラス唯一のライトウェイトスポーツ、唯我独尊のいすゞベレットGTRが真っ先にGTO/セリカの競合車種として名乗りを上げています。
「スペシャリティカー」の意味合いとしてはベレGRは前編でその定義をご紹介した通り外れていますが車格(寸法や性能)は新鋭2車とほぼ互角、ps的にはセリカGTの115psとGTO MRの125psの中間を行く120ps誇るベレGRはトヨタ、三菱製にない荒々しい性格のエンジンといすゞらしく独特な脚廻りを誇り万人向けセリカ、玄人好みのGTOを上まわる乗り手を選ぶ硬派なモデルでした。

↓既存ながらセリカ/GTOの出現で再びクローズアップされた『いすゞベレット1600GTタイプR』


60年代発売の古いシャーシ/ボディに117のDOHCを換装した事で発売時こそ話題になったベレGRですがその後はいすゞマニアを除いて古さが故に相前後して続々デビューする新鋭スポーツモデル(スカイラインGT-R/GT-XやマークⅡGSS/マツダRE軍団)の影に隠れがち、しかしジャンルは違えど近い性格、カテゴリーのセリカとGTOの出現により息を吹き返しセリカ/GTOの普及グレードに対抗する1800GTNを70yに設定したり63yデビューから8年にしてもMCを施すなどがなされ73yまで参戦、古さが故に新鋭2車にはとても歯が立たなかったのが現実ながら皮肉ながら“ジャジャ馬ベレG”はセリカの新グレードで本質の“走り”の部分により性格を振った『GTV』やGTOのMCで追加された『GSR』に影響を与えるなど一定の効果を与えました!

そしてもう一つ、社運を賭けて開発した“夢のエンジン”=ロータリー(RE)を搭載しコスモスポーツ、ファミリアRE、カペラに続く東洋工業RE戦略第4弾となる新鋭『サバンナ』もセリカvsGTOvsベレGRの参戦に加わり四つ巴の様相を呈して参りました!

↓“もう一つのライバル”であった『マツダ・サバンナ』(71yクーペGSⅡ)


サバンナはセリカと似たデビューを果たしファミリーユース向けで同じボディをまといながら大人しい普及版レシプロエンジンを搭載するグランド・ファミリア(以下Gファミリア)と同時発売されたマツダの新カテゴリーモデルで大衆車ファミリアと現在で言うミディアムクラスであるカペラの中間層を取り込む位置に投入、トヨタのカローラ/コロナに対するカリーナや後年のブルーバード/サニーに対するバイオレットの関係と同一です。
サバンナはGファミリア同様に4ドアセダンとワゴン(Gファミリアはバン)ボディを持つワイドバリエーションの為、“スペシャリティカー”としては認定されません、しかし最もスポーツティなクーペモデルはセリカやGTOにも負けないド派手なマッチョスタイリングで当時、REを武器に本格的にアメリカ市場に切り込みを賭けていた東洋工業が自信を持って表現したマッスル的グラマラスなスタイリングが魅力!
またREエンジンはデビュー当初はファミリアRE譲りの小排気量版10A型(491cc×2ローター)105psでスペック的にはセリカGTやGTO MR、ベレGRには見劣りするものの875kgという軽量ボディとモーターのような滑らかなREパワーでこれらに肉薄、72y以降は上級カペラの大排気量版12A型573×2ローター、120ps(後に125psにUP)を換装した『サバンナGT』(RX-3)の設定追加により肉薄どころか当時レース界では無敵と言われた日産スカイラインGT-Rのレース連勝記録をSTOPし名実ともにクラス最速の座を手に入れ伝説的モデルとなっているのはあまりにも有名ですネ。
セリカは国内外レース/ラリー、草レース/ラリーにも参戦しますがこのサバンナ(RX-3)には適わず70年代は正にこのレース界に於いてサバンナ一人勝ちの様相でした!

しかしサバンナはその“速さ”と引き換えにREの最大の欠点であった極悪燃費が当時運悪く起きたオイルショックと重なり東洋工業にはREモデルは返品、キャンセルの山となり経営が悪化するほどの危機を迎えるという事態、メーカーはRE戦略の見直しを行いますがサバンナ自身はそんな逆行の中でも78yまで細々ながらもラインナップがなされオイルショック以降は“時代遅れ”のレッテルを貼られながらも存在、75yからは排ガス規制もあり牙を抜かれたセリカやGTOを遥かに上回る動力性能を排ガス対策に強いREだからこそ維持し続けますが“燃費”が大きなウィークポイントになりその生産/流通はセリカ/GTOの足元にも及ばない数千台規模のモノでした(S50年セリカ5万台強、GTO約15,000台)

《モータースポーツでの活躍》

さて、話をセリカとGTOに戻します。
この2車はその性格を示し拡販の為もありレース/ラリー活動などモーター競技への参加も行われます。

三菱は60年代には『コルト・フォーミラ』にてレース活動も行っていましたが目立った戦績は上げられず70年以降はレースと並行して活動していたラリー活動が軸となり72yのサザンクロスラリーにてギャラン16L GSにて参戦し初の総合優勝を飾っています。
GTOもメーカーのこのような施策の中、レース参戦はなく16L GSが総合優勝したこのサザンクロスに当時のイヤーモデルであった17XⅡにて2台が参戦、XⅡは後述しますがMⅡの発展型NEWモデルで100ccボアアップの1700ccエンジンを搭載しギャラン16L GSやGTO MⅡを凌ぐ戦闘能力がありながらもギャランよりも増えた車重と優勝したギャラン後続のより軽量で戦闘能力を高めるNEWラリーモデル(後のランサーGSR A73)に神経を集中、GTOの公式な競技参加はこの時限りだったようです。

↓72yサザンクロス参戦したGTOのラリーカー


一方のセリカはレース、ラリーを問わず金の有り余る?トヨタらしく積極的に参加、72y~73yのWRCに2T-Gを135psまでチューンしたラリーモデルでの参戦を手始めに73y以降に投入された2000DOHCや新ボディのLB(リフトバック→後述)も加えて内外のサーキットやラリーコースに数多く出没、73yの富士1000km耐久に2T-Gをターボ化し300psのモンスターカーで総合優勝という輝かしい戦績を残し76yにはドイツツーリングカー選手権にRA20(LB2000GT)ベースのセリカLBターボがGr.5=シルエットフォーミュラへ出場、後にトムス(トヨタのレース部門)により輸入され国内レースでも活躍しています。
その後もセリカは代替わりしても競技参加には積極的に行われますが徐々に人気の高まるラリー参戦にシフト、TA63(3代目)以降はこれに特化し4代目以降のGT-four(ST165~)からのWRCなどでの大活躍は承知の事実ですね!

↓レース/ラリーで活躍するセリカのレース&ラリーモデルの一部




70年代は“高性能”=サーキットを走りまわるのが一番の証、そんな時代にレースに参戦しなかったGTOと積極的に参加したセリカの対決は火を見るより明らかにセリカの戦略/イメージ植え付けの意味では大勝!その後のこの両車、特にレース観戦に熱心だった若者にセリカの知名度はより浸透しイメージUP、この分野でのセリカvsGTOは残念ながら実現されておらずGTOを決定的に敗北させ大きな要因がこのイメージ戦略にもあったと思います。
セリカはもちろんサバンナGT、スカイラインGT-Rが熱戦を繰り広げる中、“レースに出ないスポーティカー”のGTOはこの時点である意味それ=スポーツモデル失格だったかもしれませんネ~orz…

《モデル改歴…発展/熟成期》

以上のようにスペシャリティカー、スポーツモデルとしてのイメージ植え付けと拡販を目論む両車の対決はもちろんモータースポーツ参戦だけのみならずこれの話題や注目を生産車にフィートバックし雨後のタケノコのように次々に魅力溢れる新モデルや新グレードの追加やMCが行われてゆきます!
ここからは発展期~熟成される1975年(昭和50年)までを改歴順に振り返ってみます。

(72/2)
まずはGTO、発売から1年4カ月後の72/2に初のMCが施されます。
80年代からは一つのモデルのFMC(フルチェンジ)サイクルは4年、MC(マイナーチェンジ)サイクルは2年が例外を除きほぼ標準化しています、しかしこの時代はMCは1年ごとに行われるケースも多々あり三菱もギャランやミニカにイヤーモデル制を採用、GTOもこのMCで72イヤーモデルとなります。

1600cc、MⅠ/MⅡ/MRのモデル展開を行っていたGTOはライバル・セリカの追撃に対応しMⅠ/MⅡを新たに『17Xシリーズ』に変更、外観には大きな変更はなくテールランプが保安基準改正に合わせてこれまでのレッド角型2灯だったものをレッド/アンバーに変更、ヘッドライトベゼルを黒→グレーの落ち着いた色彩に変更、搭載エンジンを100ccスケールUPしトルクフルに振った新エンジンに換装、1700化により型式はA53C→A55C型に変更されました。
他に安全対策の充実などが施されM時代に較べエンジン特性に合わせて大人っぽさを演出するGTカー的な存在に振られました!
新色のダーク系などの落ち着いたボディカラーの採用や新デザインのストライプテープもラインナップしています。
MRに関しては外観のみ17Xと同様の変更がなされますが装備や4G32サターンAⅢDOHCエンジンを継続、当然1600ccのままで留まります。

↓72イヤーモデルの新星GTO 17Xシリーズ(㊤17XⅠ㊦17XⅡ)



↓72年型MR、70/71モデルとの外観上での大きな識別はFrフェンダーサイドの『MR』オーナメントのデザイン!


XⅠでは旧MⅠがヘッドレスト分割式シートだったものをMⅡ(XⅡ)以上と同様にハイバック式に変更、XⅡにはGTO初のイージードライブが楽しめる3速ATモデルもラインナップされこれまでセリカにありGTOになかった為、GTOファンの女性/年配ユーザーの要望に応えるようにイージードライブ可能なモデルが設定がなされました。

↓イージードライブの要求に応えるGTO 17XⅡ-AT



ATモデルはB/W(米・ボルグワーナー社)製5ポジションの3速AT(P・R・N・D・L)、ただ実際のATモデルの販売台数はセリカ/GTO共やはりこの種のモデルの性格とまだまだ時代はATを異端児扱いする頃でしたので殆ど市場に出回る事はなくワタシも後年、セリカの最終型LB2000ST(C-RA35)で経験した以外、GTO含め乗車経験はないのでフィーリング的な感想は書けません。時代的にも少なくとも国内に於いてはあえて必要なモデルでもなかったのかな?と思います。
B/W3速は信頼性も高く燃費もMTと比較すれば許与できる範疇のモノでしたし売れなかったのは機構とかフィーリングではなくただただ「早すぎた」だけって感じですかね…

尚、17Xの主な概要は下記の通りです。

【バリエーション】
XⅠ/XⅡ
【型式】
三菱A55C型
【搭載エンジン】
サターン4G35型1700cc 直4OHC シングルキャブ110ps(XⅠ)
サターン4G32型1700cc 直4OHC ツインキャブ115ps(XⅡ)
(XⅡツインキャブは有鉛ハイオク仕様、レギャラー仕様は5psダウン)
【ミッション】
4速MT/3速AT
【最高速】
XⅠ;180km
XⅡ:(MT)185km(AT)170km

ツインキャブはMⅡ、SUからトルク重視のストロンバークツインに変更、カムプロフィールや点火系の見直しなどが48年排ガス規制に合わせて変更されました。
1600(4G32)と1700(4G35)、乗り較べると4G35はトルクフルながらも4G32時代の元気さは影を潜め4G35でもギャラン・ノートは健在ながら回転の鋭さや胸のすくフィーリングは若干弱まりパンチ力は感じるも荒っぽさは感じられなくなりました。乗っていてパワフル感、楽しさは排気量の低い4G32が完全に上!トヨタに準じた訳ではないでしょうが4G35は乗り易く万人向けに振られた感じが48年規制の産物として現れた感じです。
つまりは玄人好み→若干素人にも門戸を広げたって感じでしょうか?それでもトヨタT系に較べまだまだパンチ力では上でした…

(72/8)
GTOのMCに呼応するかのようにセリカも72/8、MCが行われます。
この時、最高グレードのGTの装備を簡略化し価格を下げ主にモータースポーツベース向けにした1600GTV (V=勝利→VICTORYの意)を追加しています。
GTVはGTからホイールキャップレス、P/W(パワーウィンドゥ)レス、木目調の豪華部分の内装を簡略しエキサイティングなイメージ、脚廻りもGTより強化されそれまでどちらかと言えば“軟弱GT”イメージ的だったものを一気に硬派な走り重視の漢のマシンでもあり走り屋層に歓迎されました!

MCはセリカの場合、GTOより大きな変更がなされ外観上もFr/Rr及びサイドウィンドゥ後端のエアアウトレットのデザイン、そしてこれまでトランク下の燃料タンクをRrシート後に移設、これまでテールランプ間のガーニッシュ内に隠されていた給油口を安全対策(後述)上、右クォーターに新設など大きな意匠変更が施されます。

初のMCを受けたセリカ72y~モデル(1400外装ST内装カスタム)


↓MCでテールにアンバーを加えた2分割式となり赤目ワンテールの特徴あるRrは廃止に(1600GTV)


インパネも基本は従来型と同一ながらセンターコンソロールを大型化、空調吹き出し口を設け豪華な造りとなっています。

↓大型化されたセンターコンソロールが高級感をUP!(72y1600GTV)


(73/1)
GTO、17Xから1年経たない73/1に今回は大幅なMCが行われました。
これはベースのギャランが当時1.6級セダンが2L級に移行する時期でもあり最大のライバルのコロナやブルーバードも相前後してカテゴリーを相前後してUP、ギャランもこれに倣ったものです。
セダンのカテゴリーUPはスポーツ/スペシャリティにも波及、GTOとセリカもこの時流に乗りこれまで1.6Lライトウェイトモデルとしての性格は後出のギャラン・クーペFTOに任せ2L GTモデルへと飛躍を遂げました!
GTOがまず73/1にMCを施しながら2Lモデルを設定しますがベースのギャラン2L級移行は73/6(A50系→A110系へのFMC)でしたのでこれに先行する形で行われています。

2LモデルのGTO、型式はA57C型を名乗ります。但し旧17XⅠの4G35型シングルキャブも廉価版『GTO1700』として残されますがバリェーションモデル名は『1700SL』に変更、psもややデチューンされ110ps→105psに落とされMAXスピードも5km減です。
メインは2000シリーズとなり1700含め概要は下記の通り。

新型GTO(73/1~)モデル

【バリエーション】
1700SL/2000SL/2000SL-5/2000SL-AT/2000GS-5/2000GSR
【型式】
(1700SL)三菱A55C型/(2000シリーズ)三菱A57C型
【車重】
925kg(1700SL)~1015kg(2000GSR)
【搭載エンジン】
サターン4G35型1700cc 直4OHC シングルキャブ105ps/15kgm(1700SL)
アストロン4G52型2000cc 直4OHC シングルキャブ115ps/17kgm(2000SL、同SL-5、同SL-AT)
アストロン4G52型2000cc 直4OHC ツインキャブ125ps/17.5kgm(2000GS-5、2000GSR)
【ミッション】
4速MT/5速MT/3速AT
【最高速】
1700SL;175km
2000SL:(4MT)180km(5MT)185km(AT)170km
2000GS-5/GSR:190km

この73y~のモデルがGTOとしては最もワイドバリェーション化された時期で年々セリカと販売台数が開いていくのに歯止めをかけたい三菱の肝入り度合いが伺えます。

↓全6種グレードとGTO史上最多バリェーションを誇った73y~モデル




新シリーズに移行したGTOの惜しまれるのはイメージリーダーで最高峰のMRが廃止されてしまった事でしょう。
高コストと高価格が災いし1.6l級最高の性能を誇ったMR、僅か2年強の存在と835台の生産にて幕引きとなりましたがこの希少性から廃版後は所謂“絶版車”として注目され70年代後半から現在に至るまで高額取引がなされる国産車としての名車に数えられています!

このMRに変わってGTOの最高峰に据えられたのが『2000GSR』、新開発2Lエンジンは“サターン”に次ぐ”アストロン”と名付けられた4G52型。
MRとは違い量産、低コストを狙いOHC機構とし17XⅡ同様にストラオンバークツインキャブを装着、125psはMRと同数値でトルクは3kgUP!!

このGSR、ワタクシのGTO歴で2台目の愛車でしたのでインプレは昨日の事のように書けちゃいます(笑)
当時の同じ2Lのスポ車だったトヨタ18R-G軍団やL20ツインキャブと比較して特筆なのは低速トルクのモリモリ感とローギヤード気味に振られた変速比とロングストロークの4G52は出足ではRE以外負けナシって感じでした。
頭打ちは当然ライバルよりは早いので引っ張れば引っ張るほどにキツくはなるものの低速域での加速感は獰猛でパンチ力は1700の4G35を超えている印象、4G32以来のサターン独特の“ギャラン・ノート”は消え失せていましたがエキサイティング=裏を返せばガサツ?さは4G32の味を継承orトルクフルにしていましたねー。
上り坂でも何でも適切なギアさえ選択していればモリモリとしたトルクが湧きでるようなインプレは正にアメリカン的感覚、125psという数値はトヨタやいすゞの2L/1.8Lツインカムに較べ控えめながらもトルクでは大差なくその性格を物語っていました。

脚は相変わらずのRr板バネですが2000になりより固められており2L化により1tオーバーになろうともオーバーウェイト感は露ほど感じられず逆に重量増がM/X時代よりも安定制御させる役割を果たしたかのようでした。

外装はこの頃の流行りだあったビス止め式オーバーフェンダーを装着、ハトメレザーシートには『GSR』の文字が刻まれ他のGTOとは特別な装備も施されオーナーの優越感をくすぐる演出もなされていました!

↓何と言ってもオーバーフェンダーが最大の特徴だった新設『2000GSR』


このMCでは前年のモーターショーで参考出品された『GTO R73-X』のテイストが多く取り入れられたのも注目!
R73-Xは次期型GTO-MRをイメージした試作モデルであり外装、エンジンともにリファイン、外装では彫の深いFrグリルや可変スポイラー、ボディ一体型オーバーフェンダーをあしらった本格GTカーでありエンジンはデボネア用の6気筒、コルトフォーミラのデチューン版DOHC 16バルブ等が検討されながらコスト高と排ガス規制、オイルショックから実現には至らないながらもエクステリアにDNAは確実に伝承されていました。

↓72年のモーターショーに参考出品された『GTO R73-X』


R73-Xから受け継ぐのはFrフェイス。従来の2分割グリルは継続するも大型化されたセンターオーナメントは73そのもでありこれを太い横線を基調にしたグリルで高級感を与えています。Rrにも73X調のテールランプを採用、それまでのシンプルなサイコロテールから所謂“バナナテール”と呼ばれたクの字型5連の縦型に変更、迫力あるRrスタイルになっています。
Rrクォーターピラーのエアアウトレットもボディ同色3連ルーバーからメッキ状の細い縦線ダクトとなりここでも印象を高級にしていました。

好評の“フライトコクピット”には殆ど手を加えずスピード/タコの小変更程度程度ですが1700/2000SLはセンターコンソロールの油温/油圧計を廃止し小物入れに変更しました。
インテリアもM/Xを継承しますがシート地はコストダウンされ部分ファブリックは廃止、先記の専用デザインのGSRを含んで全てがビニールレザーに統一されまています。他にラジオアンテナをポール式からトランク全体をアンテナにしスタイルをスッキリさせるリッドアンテナを装備、Rr熱線を縦配置から効率のよい横配置にしています。

↓専用デザインのGSR(㊤)とGS-5(㊥)、SL-AT(㊦)のインパネ&インテリア


17XⅡ-ATから継承する2000SL-ATですがピーキーな特性のツインキャブXⅡ-ATと較べ2L化によるよりトルクの増大とシングルキャブとなった事からATとの相性は格段に良くなりドライブフィールが向上しより快適なイージードライを実現したとの試乗記を読んだ事があります、スタイル同様のアメリカンらしさが鮮明になったモデルに思われましたが僅か10カ月の73/10でATは廃止、やはりよほど売れなかったんでしょうねー。。。

(73/4)
2L級に移行したGTOを追うようにセリカも73/4に遂に2Lモデルをラインナップ、同時に前年のモーターショーで参考出品され高い注目を集めた『SV-1』の市販モデルとなる『セリカ・リフトバック(LB)』が新たにセリカシリーズに加わりました!

↓シリーズ新モデル”セリカLB"のベースとなるコンセプトカー『トヨタSV-1』


LBは既存セリカをベースのボディをクーペ化、更にテールゲートを設けたHBクーペで3HBや単なるクーペは存在しながらもこれほどファッショナブルでスポーティな形状は国内初のモノ!
「リフトバック」というトヨタの造語で名付けられたその多用途性も注目されRr可倒式シートと合わせ広いラゲッジルームを実現し時には2シーターのプライベート空間を演出したり時には4座+荷物積載も可能で大きいテールゲートから自在な取り出しが可能!が最大の売りでありかつ最大のLB人気でしたねー。

しかしLBのスタイルを最初に見た当時のワタクシ、愕然としました!!
それはもうライバルGTOの生き写しという感じのHip upのダックテールでありさすがに気が引けたのかトヨタはこの部分のセールスは控えていました、しかしGTOファンとしては許せないパクリであり未だワタシはこのLBは好意的な目では見れませんね(-_-)
もっともトヨタの言い分では米・マスタングを参考にしたものであり三菱と見本が同じだから結果が似てしまった! と後に何かで読みましたがこれは詭弁であり明らかにRrスタイルは中国のパクリカー並の手法に感じますが如何でしょうか…
悔しいのはこれはトヨタの商法勝ちを認めますがテールゲート=第三の扉というGTOにない付加価値でGTOはもちろん、既存のセリカや他ライバルを圧倒し73~74年の不動の販売台数を納め当時絶対的立場にいたケンメリスカイライン(GC110)に肉薄する人気を得ていた事ですね(+_+)
これによりダックテールや似過ぎのRrスタイルは不問に付された?感が当時の空気にあったのは事実です。
しかしバナナ・テールといいあまりのパクリは見事でしかも従来型セリカからのボディ一体成型バンパーとの組み合わせはGTOのそれより新しさを演出するのが三菱党としてはまた悔しいところでもありました。ただ実際これはこれで乗ってみるとGTOにはない魅力を感じたのも正直な感想であの時代に遊び心満載で実用的にも便利な4座HBクーペは他に類がなくその後にサニーB210クーペ、S30Z2by2にランサー・セレステなどが次々に模倣してゆく人気のボディスタイルになってゆきました!
尚、従来型セリカをこのLB追加時より『クーペ』と呼ぶようになった!と多くの文献やwikiにも記載がありますがワタシの記憶が確かなら少なくとも現役時に従来型を『クーペ』と表す事はなく事実カタログでも謳われていません!
『クーペ』(ノッチバックモデル)と呼ぶようになったのは次期2代目40系以降でありその頃(つまり後から)初代ノッチバックも『クーペ』と便せん上呼ばれるようになったもので現役時はあくまで〝セリカ”は従来型のノッチバック、リフトバックを〝セリカLB”と呼んでいました。(以下これに拘り従来型をセリカと記します)

↓ねっ、Rrスタイルはどこからどう見てもGTOのパクリでしょ!?(73yLB2000ST)


尚、LBはFrノーズを従来型セリカに較べロングノーズ化、セリカがスモール部をスラント、バンパーを逆スラントのデザインとしていたモノをスモール・バンパーをバーチカルとしその分ノーズを延長し迫力を増しています。

↓LBのFr造形はセリカとは造形を異にする!(73yLB2000GT センターモールはop)


またこのLB登場と同時にコロナやマークⅡに搭載していた2L、18R系エンジン搭載の2000シリーズを追加、一歩先んじたGTOの2000に対抗しています。
2000シリーズは一部セリカにも設定、これまでの1400/1600含めて73年~モデルの概要は下記となります。

73年型セリカ/セリカLBバリェーション

【バリエーション】
(セリカ1400/1600/2000)
外装=ET/LT/ST
内装=ベーシック/同S/デラックス/同S/同SW/カスタム/同S/同SW
(セリカLB1600/2000)
外装=ST
内装=デラックスS/同SW/カスタムS/同SW
以上フルチョイスシステム採用モデル
※セリカ2000に付いては外装ET、内装ベーシック~デラックスは未設定

セリカ1600GT/1600GTV
LB1600GT/2000GT
以上は専用モデル設定
【型式】
セリカ1400=TA20 同1600=TA22 同2000=RA21
LB1600=TA27 LB2000=RA25
【車重】
875kg(セリカ1400外装ET内装ベーシック)~1055kg(LB2000GT)
【搭載エンジン】
T型1400cc 直4OHV シングルキャブ86ps/12kgm(継続=セリカ1400に搭載)
2T型1600cc 直4OHV シングルキャブ100ps/13.7kgm(継続=セリカ1600/LB1600に搭載)
2T-B型1600cc 直4OHV ツインキャブ105ps/14kgm(継続=セリカ1600外装ST/LB1600外装STに搭載)
2T-G型1600cc 直4DOHC ソレックスツイン115ps/14.5kgm (継続=セリカ1600GT/GTV/LB1600GTに搭載)
18R型2000cc 直4OHC シングルキャブ105ps/16.0kgm(新規=セリカ2000/LB2000STに搭載
18R-G型2000cc 直4DOHC ソレックスツイン145ps/18.0kgm(新規=LB2000GTに搭載)
【ミッション】
4速MT/5速MT/3速AT
【最高速】
(一部)
セリカ1400=165km
セリカ/LB1600AT=160km
同1600ツインキャブ=180km
同1600DOHC=190km
同2000AT=165km
同2000DOHC=205km

上記のように基本ET/LT/STをそのままに内装バリェーションをやや縮小してセリカ1400/1600/LB1600に設定、DOHC搭載モデル(セリカ1600GT/GTV/LB1600GT/LB2000GT)は専用となっています。
ATは1600/2000のシングルキャブモデルにラインナップ、現代と変わらないB/W式6ポジション式。

何と言ってもここでの注目点はLBに設定された2LGTモデル!18R-G型DOHCの145psという伝説のトヨタ2000GT並(トヨ2は150ps)のスペックに近い性能で205kmというMAXパワーはSOHCのGTO GSRに決定的に差を付けるカタログ上の性能差とステータスが光り従来のセリカ1600GTをも大幅に凌ぐ人気を誇りました!

↓DOHC145psは当時の2L4気筒最強のスペックだった18R-G型エンジン


2T-Gや伝統のトヨタDOHC同様に黒結晶塗装されたヤマハ・チューンのDOHCヘッドカバーが萌える18R-G、ベースはコロナやマークⅡに積まれる18R型OHC105psでこれもセリカ2000/LB2000STに積まれます。
18R-Gは71yに上級マークⅡGSS(RX22)でデビュー、旧10R→8R-G 1.9LエンジンのスケールUP版でマークⅡに較べ格段に軽く脚廻りも強化されたセリカはそれを上まわる俊足モデル!
ただ、これも友人が所有していたモノやら後の下取りモデルで何度か自分のGTO GSRと乗り較べましたが確かにDOHCソレックスらしく高回転でのフィーリングは明らかに差があるも街中や出足ではSOHCのGTOと差を見つけるのが困難!2T-Gよりはトルク増大で扱い易くもありある意味大人な感触でしたねー。
迫力、伊達じゃない145psのスペック感は充分あるも荒々しさという部分では4G52ツインや2T-Gよりも抑えられた感じでした。
ベースのSOHC 18Rはそれこそ大人しいもので特に目立つ特徴はなくこれも4G52シングルや日産(プリンス製G20)、いすゞG180と較べてもマイルド、決して非力ではないですがパワー感もあまり意識させられずトヨタらしい誰でも難なく扱えるモノでした!

(73/10)
GTO小変更、M/Xシリーズ時代から高級感は増すもその形状から迫力が減りイマイチ評判が著しくなかったFrグリルをGSRのみシルバー一色からシルバー/ブラックの2トーンに変更しイメージを精悍にしています。

(74/1)
セリカ、従来型セリカがMCされLBも小変更が行われます。
デビュー3年を超え3期目に入ったセリカ、FrデザインをLBと共通化しロングノーズとなり内装もLBに準じて高品位にグレードUP!!
ここまで設定のなかった2000DOHCのセリカ2000GTも追加されLB同にも未設定のホワイトインテリア(外装ダーク系)がラインナップ、トヨタお得意の見た目の高級感を醸し出しセリカファンをうっとりさせていましたねー、当時はこの種のモデルは黒が常識で白い内装なんて高級車にしかない時代でしたからかなり新鮮に映りワタシもこの〝ホワイトインテリア”にはかなりやられたクチです…汗

↓LBと共通顔となったセリカ(74y新設2000GT&新型セリカシリーズ)



↓Gureもうっとりのセリカ2000GTのホワイトインテリア


また、GTシリーズのホイールを後年のトヨタDOHCモデルのシンボルとなるトヨタ2000GTのマグネシウムホイールをリスペクトした〝GTマグタイプホイール”に統一、これまでセリカ1600GTがホイールキャップ、GTVとLB1600/2000GTがキャップレススポーツタイプスチールホイールを履いていましたがGT系共通ホイール装着により外観で一瞬でGTを意識させる効果があり同じ13インチを履く兄弟車カリーナGTとレビン/トレノもこれと同一ホイールをこの時と相前後して装着しています!(セリカGTV/37レビン/47トレノはホイールリングレス)

↓”GTマグタイプホイール(通称GTホイール)を装着し一層精悍さを増したGT(74yLB2000GT)


尚この時から2000シリーズに来る排ガス対策を睨んだツンキャブに変わる電子燃料噴射装置=インジェクション(トヨタで言うEFI)モデルも追加、セリカ/LB2000ST-EFIとしてデビューしています!
ベースの18R型にEFIを装着、GTに肉薄する130ps/17.5kgm、MAX190kmを発揮しながらツインキャブのように濃い混合気も必要なく排ガス規制以後~現在に至るまでクリーンエンジンには必要不可欠なものながら当時高額であったコンピューター管理の同システムは価格に跳ね返りGTにプライスでも肉薄、思ったほどの普及は未対策時代では見られませんでしたが次世代を予感させるエンジンとしてホンダのFI(機械式インジェクション)、日産のEGI、いすゞのECGIと並んで注目を集めていました。

↓次世代高性能エンジンのパイロット的存在の18R-E型エンジン


18R-Eも目立たないながら72yからマークⅡGSL-EFI、73yからのコロナのSL/SRで搭載されていたものの移植ですがGT同様にシャシのしっかりした軽量セリカEFIの走りは兄貴分に勝っていたのは言うまでもありません…。

(74/9)
貪欲なトヨタ商法の元、どんどん発展するセリカシリーズとは裏腹にGTOは保安基準改正で市販車オーバーフェンダーの装着が認められなくなりGSRがカタログ落ち、性能は変わらない2000GSが最高峰となりますが迫力あるフラッグシップモデルGSRの消滅はファンとしては誠に残念な出来事で後に形を変えてGSRは復活するもGTOで最大の迫力あるGSRは僅か1年8カ月で終わってしまいました。

オーバーフェンダーの廃止はこの時社会問題化していた暴走族対策が一点と歩行者の安全対策(車幅を超える突起物は危険との観点)から制定されたものでGTOのみならずこれが特徴だったレビン/トレノ、S30 240Z-G、チェリーX-i・R、FTO GSRなどもこぞってこれが取り払われたり廃版になったりFMCしたりで魅力を半減させていましたorz…
暴走族は主にワークス仕様と言われるレース用オーバーフェンダーをセリカやスカイライン(箱スカケンメリ)やサバンナに我が者顔で装着し一般道を爆音立てて走りまわり彼らのこうした行為が2輪でも4輪でも規制という網を強化させ純粋なスポ車ファンを落胆させる事が多く憤りを感じます…

(75/1)
1975年、昭和50年になるとかねてから決定していた排ガス規制の波がGTO、セリカ共にかかります…
圧倒的な自動車先進国第1位の米国と2位の我が国は深刻な大気汚染が問題になり米・マスキー法を倣い、いや国土の狭い我が国ではこれ以上に厳しい排ガス規制がこの年より施行されます(詳細、排ガス規制については こちら を読んでやって下さい。)

まずセリカが2T-B/2T-G/18R-Gをこれまでサブ的存在だったレギュラー仕様をメインにしハイオク版を廃止します(2T-BR/2T-GR/18R-GRで各5psダウン)
これは排ガス対策と言うより73yのオイルショック以降のハイオク値上がりと東京で起きた『有鉛ガソリンの鉛中毒事件』にて社会悪的は目でみられるようになった有鉛ハイオクガソリンの使用に配慮したもの、勿論来る排ガス規制でも有鉛ハイオクは絶望視されておりこれとこの事件が引き金になりセリカから退場となっています。

(75/2)
GTOがMCします。
今回の大きな変更点は2000のエンジン換装で三菱が独自開発したクランクシャフトの2倍の速さで回るバランスシャフト(三菱で言うサイレントシャフト)を4G52エンジンに内臓、2本のサイレントシャフトをクランクシャフトの両側に配置し振動を打ち消し4気筒ながら6気筒、8気筒の静けさとフィーリングを実現する来る80年代の新エンジンとしてアストロン80と命名、74yにミニカで国産初採用したものですがお世辞にもこの謳い文句通りではなくワタシの1号機はこれでしたが振動は確かに抑えられているもののその分パワフル=荒々しさは消えサターン時代からはかなり印象が変わっています。
お世辞にも6/8気筒の静けさはなくサイレントシャフト独特の回転音〝シャリシャリ音”が耳に付き個人的には従来型の方が音質もフィーリングも好みでした。
三菱はこの80エンジンを高級車デボネアや後出のギャランΣ/Λにも搭載、これらは性格的にも大人しい80エンジンでも違和感ありません、しかしGTOには相応しいとは思えませんでしたが時代的に致し方なかったのでしょう…
尚、1700の4G35は従来型を継続し80化はなされていません。

内外装での変更点は少なく好評だった初期(M/Xシリーズ)時代の二分割グリルを再び与えられボンネット左端に『Astoron80』のステッカーが貼られ(1700SLを除く)た程度、内装はシートが旧GSRのハトメレザーに全種統一、但し『GSR』の文字はギャランの『G』に変更されています。また、SL系もGS系同様に8連メーターが与えられスピードメーターは先記の暴走族問題に配慮して220km→200kmメーターとされています。また細かい装備ですがこの時からトランクオープナーが採用、ステアリングデザインが変更されています!

↓ステアリングデザインが変更された75/2~のインパネ


このMCでフラッグシップのGSRが復活!オーバーフェンダーは取り払われましたが代ってプレスラインから新設計されたFrスポイラーとなるエアダムスカートがGSRのみに装着されまた分割グリルも2000GS以下がシルバー塗装だったモノをボディ同色とし精悍さを増していました!!

↓復活の新星『2000GSR』


↓2000GS以下の75y型GTO


尚、2000SLは5速MTのみとし2000SL-5単独となりこの時点で4速は1700SLのみ、スペック的には2000が80エンジンとなっても従来と変わりありません。

(75/10)
GTOとセリカに新ライバルが出現します!
これまでスペシャリティカーというカテゴリーには参入していなかったトヨタに次ぐ横綱(当時)、日産からデビューの『S10型シルビア』がそれでした。
60年代に存在したフェアレディSP310のシャシを流用しオープンの同車に対しハンドメイド的少量生産のクローズドボディで存在した初代CSP311型シルビアは少量生産が災いする高額なパーソナルクーペで言わばスペシャリティカーの原型のような存在でしたが試作に近い550台強の生産台数と僅か3年(65~68y)の生存という今も当時も希少で幻的なモデル、この名前を8年ぶりに背負ってデビューしたS10シルビアはオイルショック前に日産が東洋工業に次いで開発中だったREエンジン搭載を前提にしたモノでした。
しかしその計画は73yのオイルショック→東洋工業の悲惨な状況を見て中止、エンジンはブルーバードU1800のL18型(OHC105ps)を流用、後にEGI仕様のL18Eも追加されるも発売時から最大の売りとなる筈だった日産製REの見送りと平凡なエンジンラインナッブでのデビューは地味で目立たずセリカのようなDOHCもなければGTOのようにツインキャブを持たないためこのカテゴリーを選ぶユーザー・ファンからソッボを向かれ出だしのRE搭載中止が最後までイメージダウンという印象がシルビアにはつきまとい商業的には失敗作のレッテルが貼られてしまいました…。

↓GTOvsセリカに挑みながら撃沈だった『S10型日産シルビア』


尚。S10型シルビアのシャーシはB210型サニーとなり小さいシャシに大衆車然の足廻り、これにREとは比較にならない重さの1.8Lエンジン搭載は何ともバランスの悪いクルマが出来上がりこのアンバランスが災いし1800のエンジンでも全く速くもなく単にFrヘビーの悪印象だけが残っています。ここでもRE撤回が響いた訳ですね。
そしてただでさえ室内の狭いこの種のモデルでもシルビアはGTO/セリカに較べても極端に狭くまたこの時期、日産が凝っていた〝3次曲面”と謳うヘンテコなデザインが災いしこれも泣かず飛ばずの要因になりライバルとしては全く勝負にならずシルビアがライバルとして本領発揮するのは次期型の3代目S110型シルビア(ガゼール)迄持ち越されています!

後編に続く!
Posted at 2017/08/06 20:42:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | ライバル | クルマ

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