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元Gureのブログ一覧

2022年11月14日 イイね!

元Gure・愛車にできず後悔したクルマ達⑫⑬⑭⑮

元Gure・愛車にできず後悔したクルマ達⑫⑬⑭⑮
元Gure・愛車にできず後悔したクルマ達、30年以上前の若き日を思い起こし調子に乗っちょりますが(^^;

今回は⑫~⑮の4台を取り上げます!

この回は5(6)台目の愛車選び、昭和末期~平成元年頃のお話…

前回で手にしたMX41マークⅡですが熱病のようにハイソに憧れ手にしたのはいいけど買ってすぐに後悔、”美人は3日で飽きる”の昔の例えがあるように気に入って乗ってたのはさすがに3日ではないながらも1か月位!?


華絢爛の室内とフカフカの乗り心地、まぁ、当時、いやMX41の頃の日本人が好む高級車像を如実に表しておりそりゃまだ当時20代の若造からすりゃビニールレザーの黒内装しか知らんのですからそりゃウットリw

だがしかし…
結果から言えばそのトロさにすぐに嫌気が差した感じ、ちょっとしたカーブでも大袈裟にロール、風車のようにハンドルぐるぐる回してようやく応答する鈍さ、大喰いなのにも参りましたね~、元々スポ車好きなんで燃費ってのは今も昔もそう気にするタチではないながら走りは最悪だしM-EUエンジンは新世代(当時の)1Gなどとは違い51/53年排ガス規制前のエンジン、その旧い設計で無理やり規制適合させた訳でこのため排ガス浄化補器装置に力を取られ動力性能も悪く燃費も悪い、まぁその時代(78年以前)のエンジンはM型に限らずどれもそんな感じ、規制による悪影響を感じなかったのはマツダのRE位でしたんでね、時代的に致し方ない。

ってこんで次に選ぶのは排ガス対策期以降の開発エンジンのモノにしようと決意、これに伴いMX41、まだ1年も経たないウチに次期車探索に入ります、幸いMX41は友人で欲しいってのがおりそちらに売却、ほぼ買った時の値段で引き取ってくれたんで8か月乗り損はナシ(*^^)v

この頃って中古車屋にいたんで乗るクルマ、いくらでも安く買えたしよりどりみどり?まだ当時は今ほど業者AAは発展してなかったのでENDユーザーの買取やディーラーさんからの払い下げなどが在庫の主、そんな中ワタシが対応したお客さんから車検9か月残の78年のS130のフェアレディ200Z-Lを買取、当時日産ってあまり好みじゃなかったながらもスカイラインとZだけは別格!一度は乗ってみたいと思っていたのでこのZを車検残の間だけ愛車とします、2ドア拒否反応のカミさんも僅かな間だからと無理やり納得して頂いたという(汗)

このZがMX41の代わりだったので実際には6台目となる愛車探しをしたのはZの車検が切れる寸前、まぁ、結果から先に言えばZの次はスカイラインだべ!!って事でR30スカイラインRSにしたんですがこれを選択するのにも候補があり悩んだ次第ですわw

まずはコレ↓
『1982~1985年(昭和57~60年)TT142型コロナHT1800GT-TR』
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生涯を通してジジ車だったコロナの異端児、7代目140系、これはマジでカッコ良くて2ドアながら検討しましたねぇ!

ウェッジの効いた鋭くシャープなスタイリングはミニソアラ(Z10)、82/1にデビュー、僅か10か月で最高峰の2000GTが伝統の?旧来の?2L DOHCの18R-GEUを廃盤とし新たに3T-GTEU 1.8L 日本初のツインカム+ターボを搭載する1800GT-T/GT-TR(後者は豪華仕様)が新たにデビュー、”鬼に金棒ツインカムにターボ”のキャッチコピーに完全にやられましたっけw

当時、スポ車好きにはターボか?DOHCか?の論争が起きる程でしたがそれにトドメを刺すツインカムターボ、従来の2T-GEUをベースに1800にスケールUPし2バルブ機構は18R-Gや2T-G同様ながらツインプラグにし燃焼効率を高める、以前乗っていた71レビンで2T-GEUには馴染みがあったのもあり今から見たらジョボい?エンジンかもしれまえんが当時は”最強”と捉えてました。

この代から完全兄弟となったセリカ、カリーナ(A60系)にも同様の3T-Gは搭載されましたがスタイリングはコロナHTが一番!従来のコロナのイメージを完全に覆すそのサマは当時セリカよりも人気がありました。

83年にMCが入りどちらかと言えば後期が好み、前期は唯一テールが気に喰わなかったながら後期で豪華な意匠になりできればこっちが欲しかったながら前期でも別にいいやって感じ…

後期型140コロナHT
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ただ問題はやはり2ドア問題、Zのように一時的ならば嫌々承知してくれたカミさんも長く乗るにはなかなか首を縦に振らん、コロナにはセダンもあったからそっちならば なんて言ってくれるもセダンも悪くはないながら借金してまで欲しいレベルではない、そして仮にカミさんが頷いても当時この142コロナはまだ結構な金額、5~6年落ちながらやはりツインカムターボとスタイリッシュなHTは値落ちが少なく3桁前後って感じ、どのみち今回は貯金なないしMX41の売却額を頭にして後はローン、自分の勤めていた店で当時オリコで確か19%位の金利だったかな?2ドアとか4ドアの問題以外に月の支払い等を考えると3桁は不可能、断腸の思いでコロナは諦めました、MX41で苦い経験しているのでいくらHTでも安い普及グレードは検討の余地ないし旧2000GTなら20万位安いながらそれにしても借金、GT‐T系ほど欲しい訳でもないんでスッパリ諦め、とか言いながら140コロナHT諦め以降も街で見かけると目で追っていた未練がましいヤツですわwww

☆★欲しかった度★☆(5段階、5がMAX):5

次に考えたのがコレ↓
『1980~1983年(昭和55~58年)910型ブルーバードセダン1800SSSターボX』
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当時の大人気910ブル、これも考えました!
セダン縛りなら910セダン、正に好みで910には2HTと4HTもラインナップされていましたが個人的にはセダンが一番まとまっていて好み、これならウチの大蔵省も文句ねぇべ!ってモンです。

しかしこれもまだ高かったですね、ターボ初期モデルで8年落ちながら程度良ければ6~70万位、社割で買ってもその2~3割引き位、グレードは標準SSS、ハードバージョンSSS-S、豪華版SSS-Xがありどれでも良かったながらどうせなら装備のいいXを検討しました。

しかしこの金額ならばR30スカイラインRSに手が届く、ターボとDOHC、どっちだと言われればワタシはDOHC派でデビュー時の衝撃が忘れられないRS、910と最後は二択となりR30を選びブルはボツと致しました、これはその後そんなに引きづる思いもなくRSにして良かった今も感じますネ。

☆★欲しかった度★☆(5段階、5がMAX):3

上記2台とDR30が中古の検討車種でしたが実は新車も見積もりもらい検討しました、その1台がコレ↓
『1987年(昭和62年)A175A型ランサーEX GSRターボI/C』
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今ほどではないにせよ三菱愛は不変ですw

ランタボ、実は検討していた88~89年ではもう生産中止となっていましたが今は亡き父の懇意の横浜三菱(セレステの回でも登場!)にまだ在庫があったんですよねぇ。

ランタボ、当時の三菱好きなら是非とも欲しい1台、81年にランサーEXにターボが追加されて以来の人気車種で83年からはI/Cが装着され1800ながら160psという当時としてかなりの高馬力、上述3T-GTも同じく160psながらDOHC、ランタボはSOHCながらその軽量さから雑誌などの比較対決などでもトヨタツインカムターボ群や日産テンパチターボには余裕で好タイムをたたき出しており生来のスポ車好き、スペックマニアにはタまらん存在、そして大衆車ランサーなので室内もそこそこ広く勿論4ドアセダンなんでワタシ、ワタシの家庭事情にも最適でした。

まぁこれも結局は予算的に分不相応と判断、在庫で値引き大きくても130万位の借金を赤ん坊抱えて背負う勇気と覚悟はできんかったんで結局はボツ、ですがランタボを買わなかった後悔は今でもしています、現在、それの系譜に充るエボに乗っているんですがこないだまで乗っていたギャランVR-4(E39A)の前に元祖的存在のギャランGTOを味わっていたんでね、エボを語る前にランタボは是非共マイカーにしたかった!!と現在、山梨の仲間が乗っているランタボを見るといつもそんな思いが湧いてきます。。。

今でも欲しいランタボ!
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☆★欲しかった度★☆(5段階、5がMAX):5

新車検討はもう1台ありました↓
『1989年(昭和63年)JT150型ジェミニZZハンドリングバイロータス』
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神奈川県民ですからいすゞを忘れちゃいけませんw

って訳ではないですが当時、友人がいすゞ藤沢工場に勤務しておりクルマ購入の話したら是非買って欲しいと。

当時、職工である彼にも販促キャンペーンみたいなノルマ?があったらしく報奨金とかよりも1台売ったという実績が欲しいと泣きつかれて彼と同行して湘南いすゞに試乗にも行きました。

この型のジェミニはいすゞ乗用の最大のHIT作、あのトヨタ(カローラ)ですら慌てる人気ぶりでまだまだいすゞが乗用にも情熱を燃やしておりターボのイルムシャーやツインカムのZZハンドリングバイロータスなどかなりの高人気、ワタシ的にはブリテッシュグリーンのZZ一択、実際転がすとFFの癖も残るしFR世代としてはスンナリは受け入れ難い、そして室内はFFなのに4ドアといえどもかなり狭い、動力性能は135psだったか?小さいし取り回しも良く何ら問題ないながら200万近く出してこの狭さは家族持ちにはキツかった、それをヤツに話すと「じゃアスカにしたら?」なんてとんでもない事言われましたがねw 勿論丁重にお断りしたのは言うまでもない、いすゞならこのジェミニ以外検討対象外だったし。

そうは言ってもJT150、そこそこ気に入り丁度勤務先に前期モデルの標準グレード(C/C)が入ってきたので確か1週間位それ借りて乗り家族乗せてレジャーにも行きましたがやはりその狭さとFFと言うのがどうしても引っ掛かり、DR30やランタボ、140コロナ程の思い入れは持てなくてボツとっしました。

その後、この友人とはワタシが不買でも無事にお付き合いさせて頂いているのを申し添えますね、ご心配無用です(誰も心配しとらんがなwww)

☆★欲しかった度★☆(5段階、5がMAX):2
Posted at 2022/11/14 21:06:52 | コメント(1) | トラックバック(0) | 旧車 | クルマ
2022年11月10日 イイね!

元Gure・愛車にできず後悔したクルマ達⑨⑩⑪

元Gure・愛車にできず後悔したクルマ達⑨⑩⑪
元Gure・愛車にできず後悔したクルマ達、今回は⑨⑩⑪の3台っすネ(^_-)-☆

この回?は3台目愛車選びで迷ったクルマ達、結局はMX41マークⅡセダン2000グランデに落ち着いた訳ですがこれを選ぶ時も葛藤がありましたねぇ…

振り返れば36年前のお話、元Gureにとっては人生第一の転換期、転職→結婚→妻の妊娠という人生の大イベントが一機にこの1年で起きたというw

まぁ、どれもこれも自己責任、結果今でも別に後悔はしていないながら若かったんでね、苦労はしましたわ。

そんな訳で結婚時は引き続きTE71レビンに乗っていたんですが子供産まれるとなると2ドアクーペはさすがに…
カミさんもできれば4ドアにして欲しいとの希望もありそれを念頭に次期車探しを始めた感じ。

が、しかし!転職でトヨタ縛りから解放され菱愛がフツフツと復活!? 4ドアって言われてるのに当時一番欲しかったのがコレ↓
『1977~1979年(昭和52~54年)A133A型ギャランΛ2000スーパーツーリング』
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元ギャランGTO乗りとしては後続のΛに興味ない訳がナイ!ってこんですw

この当時、Λはスタリオンに継承され既に絶版、欲しかった初代Λが7~8年落ちだったので中古価格は程度がかなり良くても50万程度、初代Λも人気はあったけどこの頃はΛ的スペシャリティは速いのが当たり前の時代、悪夢の51/53年規制過渡期の初代Λはとにかくカッコだけ、4G52SOHCアストロン80は105psしかなく走りはもうどうしようもないレベルだったのでスポ車好きからは対象外、カッコだけで何とかまだ商品力を維持している状況、ワタシとしたら走りは目を瞑り予算内で好物に乗れる、出産と物入りの時期だったので低予算、50万がギリの線で一応範疇に!

狙ったのは後期ロールバーガーニッシュ&大型バンパーが付く後期スーパーツーリング、見かけ、内装の豪華さは申し分ないし予算内、東京練馬にあった当時付き合いあった中古車屋に79年モデル、走行5万㎞程度の上物がありほぼこれに決めかけました。

GTO譲りの連メーターのコクピットに座る日を夢見ましたが…
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しかし結婚した身では今まで通り自分の意志だけでは自由に決められない、(カミさん)「えぇー、2ドアなの?」(元Gure)「大丈夫、今までのみたくクーペじゃないから後席も充分座れるし」と訝しかるカミさんを説得、練馬まで一緒にそのΛを見た結果=却下😭

まっ、今から思えば火を見るより明らかですが当時はガキですけん、見せりゃ納得すんべ!的に気楽に考えてましたがお腹大きい→赤ん坊を抱っこして2ドアなんてあり得ない、後席の広さとかではなくドアが2枚しかないのがそもそも無理!!とカミさん大反対でΛは撃沈ですorz…

☆★欲しかった度★☆(5段階、5がMAX):4

ならば4ドアならいいんだろ!とヤケクソ気味に選んだのがコレ↓
『1981~82年(昭和56~57年)A164A型ギャランΣ2000GSRターボ』
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ヌハハ、またギャランかよ、ですナwww

80年過ぎてからそれまで大人しかった三菱もいよいよターボ攻勢をしかけてきておりΛ/Σがターボ化されたのがこの2代目から!
Λは先述の理由もあるしそもそも2代目Λは好みではなかったので論外、Σも初代の方が好みながら妥協して?セダンにするのにあの排ガス対策でクソ遅い(↑Λと同一エンジン)のは勘弁!! その点2代目ΣならSOHC I/CレスのG63Bターボながら当時の2Lターボ車の水準である145psという充分なパワーもあり検討しました。

勿論当時はΣの下にランタボもありましたが86年当時はまだ現役、中古にしても人気が高くI/Cレス135psもI/C付160psもクソ高い、そして当時はハイソブーム真っ只中、豪華装備一切ナシのランタボにはまだソソられません、その点Σは三菱最上級だけありGSRなら今や死語の”フル装備”だし惹かれましたわ…

狙ったのはブラックテールになった81年~の後期、まだ5年落ちで予算外でしたが。
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ただ問題は予算、このΣはそんなに人気車って訳でもなかったながら当時まだ5年落ち程度でターボだとそれなりの価格で3桁に近かった、次期車のためにそれなりの貯金はしていたながらそれは急遽の結婚資金に遣ったし残りは出産にも備えなきゃならん、なので遣い込む訳にもいかんし絞り出せる現金50万と残りローンにしようか?と検討、しかし正直そこまでしてこのΣ欲しいか?と自問自答、所詮ΛがNGだからとの代替え候補なんで答えはNO!! 無理するならばホントに喉から手が出そうなモノをと思いΣは断念した次第…。

あっ、余談ながらセダン縛りで前回取り上げたセリカカムリ2000GTも再び候補に挙げたんですがもうこの時、ほぼカムリの流通はなく探していた時期にあるにはあってもイマイチの個体だったんで見送りました。

☆★欲しかった度★☆(5段階、5がMAX):3

と、その喉から手が出かかったのがコレ↓
『1982~84年(昭和57~59年)GX61型マークⅡグランデツインカム24』
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アレ?トヨタ卒業したんじゃねーの?って感じだけどトヨタ時代、XXの夢諦めた以降憧れていたのがこれなんですわ。

↑でも述べた通りこの頃はハイソブーム真っ盛り、さすがの元Gureもこの頃は速いクルマ、カッコいいクルマよりはウットリするような豪華な内装とフル装備が最優先、この時期はなんだろう、血迷っていたのか時代に流されてしまい一時スポ車好きは封印していましたね~。

フカフカの高級シート、フル装備、当時は数少ない4速ATに憧れが…
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GX61、カローラ店時代に懇意のお客さんがどうしてもマークⅡが欲しいのでトヨペットを紹介して欲しいと依頼がありました、今では確実にクビになるけどワタシの時代は内職?下取りをモーター屋なんかに流す事を普通にしておりそのモーター屋がペットの代理店やっていたのでここを紹介、商談→納車まで付き合ったのがGX61との縁、60系は80年デビュー、82年までの前期は全然興味ナシだったけど82年にMCした後期4HTを見た瞬間、コレ欲しい!と心底思いました、当時1番人気のGX71より好きだった…

現金なモノであれ程憧れたXXが夢破れた買えないとなると当時中古のマークⅡ、新車XXより遥かに安いし夢中でした。

イーグルマスクの面構え、前期より格段に豪華な意匠になったテール等ケチの付けようもない出で立ち、そしてXXで夢見た1G-GE ツインカム24も後期から搭載されHTなので狭いとは言え希望通りの4ドア、これなら文句言わせねーぞ!と(笑)

しかしこれも予算が問題、当時は後続のGX71が現役で大人気の時期、数年前より型遅れのGX61は値段は落ちていたながらもそれでも3桁近く、これはSOHC 1G-Eの所謂”ただグラ”でこの位しておりTC24だと余裕の3桁超えって感じ、それこそ50現金残ローンで買いかけますが親姉弟兄弟から結婚してすぐにクルマのローン抱えるとは何事だ!的に意見され(まぁ、今となれば親姉弟が言うのが当然w)カミさんは出産費用廻せばなんて言ってくれるもさすがにワタシもそこまで非人ではないんで諦めクルマより産まれてくる我が子だ!と涙を飲ん諦めます、あの赤ん坊=今35歳の娘、父の涙を知れ!!てなもんですよwww

そんな事している時に冒頭に記した練馬の中古車屋から程度いい4万㎞程度の79年型MX41セダングランデの話が来て下見、何より当時2世代前の41は安く内装の豪華さは61や71と大差ない、見かけも41セダンって嫌いじゃなかったんでね、但しM-EU型125psエンジンはΛやΣなんていうもんじゃないトロさ、それらより重いし6発なんで仕方なしと可愛い産まれてくる我が子の為に性能は置いといてこれを3台目の愛車とする訳です、因みに当時45万、ピッタリ予算内(^^)v

☆★欲しかった度★☆(5段階、5がMAX):5
Posted at 2022/11/10 19:08:55 | コメント(1) | トラックバック(0) | 旧車 | 日記
2022年11月01日 イイね!

元Gure・愛車にできず後悔したクルマ達④⑤⑥⑦⑧

元Gure・愛車にできず後悔したクルマ達④⑤⑥⑦⑧

元Gure・愛車にできず後悔したクルマ達、今回は一気に5台を振り返ります!



何故に5台かと言えば愛機3台目のTE71レビンを選んだ時に悩んだ候補が同時に5台、この頃(1983年)にトヨタカローラ店に就職が決まり1年位はサービス(整備)だったんでシレ~とギャランGTO乗ってたし通勤にも使ってました、しかし当然この時代でも会社の🅿️には他銘柄は入れず最初は下取車のフリしてバックレて停めるも所長から大目玉w
なのでこれ以降は路駐って訳でして...


いくら昔とは言え神奈川県で1日路駐するにはそれなりのリスクはある、やはりメカニックでCDコスモやケンメリ乗ってるのがいてヤツらと交代で駐禁切られないか仕事の隙を見て確認に行ったりで(笑)

そんな事しながら1年程経過した時、上から営業へ配転を伝えられます、まぁ、元Gure、メカニックの腕はないが口は上手いからってなモンでしょうかねwww

そこでさすがにトヨタのセールスが三菱で営業活動する訳にはいかん、会社ではギャランがそんなに惜しいなら格安のボロカローラでも買え!みたいな事言われるもボロとは言え普通車2台持てる程の給料くれんし見栄も今以上に人一倍あるお年頃、ギャランを諦めトヨタ車縛りで次期愛車を選ぶとなった訳です・・・。

そして第一の候補が↓これ!
『1974~1977年(昭和49~52年)TE47/61スプリンタートレノ1600GT』
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TE47トレノGT

当時既にカローラ/スプリンターは5代目の80系の頃、2世代前になる4/60系はかなり安くなっていました。

30(カローラ)と双子ながらこの時代のスプリンターはカローラと大幅にスタイリングが差別化されカローラがダサい(個人的主観)HTだったのに対しスプリンターはカローラよりやや大柄の流麗なクーペ!
S30Zのように抉れたヘッドライト周りがカッコ良く前からいいなぁと思っていたんでかなり前のめりだった気が…

どうせ買うなら未対策のソレックスツイン2T-Gを積む最高峰のトレノGTなんですがこの頃、排ガス対策適合車の悪評は中古市場にも多大な影響を及ぼしトレノに限らず未対策のスポーツモデルは既に新車から8年以上経過しても値段が落ちず下手するともう少し足せば新車にも手が届くんじゃね?ってレベル、そんな中、未対策の47トレノは1年少々しか販売されずタマがない、その割に人気が高くあまり程度良くなくても7~90万はしてたかな?何せ新車の86レビンが120~で買える頃なんでまだまだ車の寿命が10年10万キロが定説の時代に8年落ち(特に最終75年型トレノは高かった!)に高額は出す気にはならなかった…

そこで考えたのがドライバビリティは落ちるも見かけほぼ一緒で程度いい個体も多くあった対策車のTTCスプリンタートレノ!
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TE61トレノGT

51年規制適合で小規模MCでTE61となったトレノGT、数は豊富だし価格も47より10~20万安い、傾きかけましたが自社中古車部門にも在庫あるもあまり程度も良くなく逆に少し足せばどうせ対策車なら次期型で当時はまだ先代になったばかりの71が買えるって訳でボツ、47がも少し安ければ行ってただろうなぁと今も思います。

あっ、同じように60系トレノは最終(77~79)で53年規制のTE65もありましたがこれは顔付きがゴテゴテになり嫌いだったし61より年式上がる分高いんでハナから対象外でした(笑)

☆★欲しかった度★☆(5段階、5がMAX):4


そしてトレノの他に考えたのが↓これ
『1973~75年(昭和48~50年)TA/RA17型カリーナHT1600/2000GT』

初代カリーナHT、実はギャランGTO購入前に高校の先輩が車検切れ寸前の1600SRを車検お前取るならばやるよ!ってんで2ヶ月位だったかな?名変もしないで乗ってた事があります。

48年の未対策でOHVながらツインキャブで105psを出す2T-Bエンジンはそれなりにパワフル、しかしどうせカリーナ/セリカ乗るなら当時は希少なDOHCのGTに乗りたいのが本音、結果このSRはかなりボロかったのもあり車検取らずGTOの下取で確か8000円位でオサラバした訳ながらカリーナHT、スタイル好きだったんでトヨタ一択ならばこれもアリと。
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RA17HT2000GT

カリーナHTは特にRrスタイルが好み、独特なクォーターフィンに一文字に奥に引っ込むテールランプが芸術的な?美しさでこのテールに惹かれましたわw

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TA17HT1600GT

ただこのカリーナもトレノ同様に未対策モデルは割高、乗るなら2T-G(1600)でも18R-G(2000)でもどちらでも良くとにかく当時はスポーツモデルの勲章的なDOHCのGTしか眼中にない、そうは言ってもソアラの170psが出る以前は国内最高の145psを誇る2000GTができれば欲しかった!

当時の相場は1600で4~50万、2000だと7~80万位だったかな?どの道GTOの下取とローン(給料引き)にしないとならなくどうせ借金なら2000GTをとモスグリーンの6万キロ位の個体を選びかけました。

ただ、ここで圧力入るんですわorz…

ワタシがいたのはカローラ店、トレノでもそうでしたが買うならなるべく自社銘柄にせよ!と頭固い上司がおり特に会社からの借金だとその圧が凄かった!

カローラ店扱いだと当然セリカがある訳で人気もカリーナと二分するもの、上司に言わせるとセリカもカリーナも同じなんだから自社扱いのセリカにせよと…

まぁ、歳喰った今なら上司の言う事も解るけど当時はイケイケの若い衆w圧力も許せんしセリカって嫌いじゃないんだけどダルマ/LBともに多過ぎて嫌だった、昔からあまり数が多くみんな乗ってる的な車にはソソられない天の邪鬼だったし今で言うパワハラ?的な物言いにケタクソ悪くなりカリーナは諦めた次第です。

☆★欲しかった度★☆(5段階、5がMAX):3

そんな訳で「じゃ、ローンにしなきゃ何乗ろうが勝手だべ」と白羽の矢を立てたのが↓これ!

『1973~75年(昭和48~50年)KP47パブリカスターレット1200ST/SR』
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初代スターレット、子供の頃にB110サニーと共にTS仕様がサーキットで暴れまわっていた雄姿が瞼にこびりついていた、ツインキャブの3K-BエンジンのST、SRはサニー程ではないにしろ軽量がモノを言うFRで振り回して快感を得られる、小さいながらもJアーロが噛むデザインは小粋なクーペ、そのスタイリュッシュさは非常に好みでしたしワタシ的にインパネデザインも昔から拘りがありスターレットのそれはGTO同様にインパネに惹かれたと言っていい程、とても格安大衆車パブリカのバリエーションには思えないスポーティー感は今でもカッコいい!と思います。

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KP47のインパネ

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TSスターレット

スターレットならば未対策モデルでも20万位で買えたんで手持ち+αで可能、これなら嫌な上司に頭下げずに済むのは魅力だったけど実車前にするとやはりそれまで2Lクラス乗ってきて1200ってのは哀しかったし何より室内の狭さはどうしようもなかった、センターにはサイドプレーキレバー分の隙間しかなく助手席の人間と肩が触れ合う感じ、ミニマムなクーペだから当然後席はあってないようなモノ、印象は当時550ccの軽実用車と大差ない感じでNGとしましたがね、二台持ちできる余裕が当時あれば間違いなく選択したでしょー…

☆★欲しかった度★☆(5段階、5がMAX):2

そしてお次は↓これ
『1980~82年(昭和55~57年)RA55セリカカムリ2000GT』
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クーペやHT好きながら昔から速いハコ(セダン)にもソソられた元Gure青年w クーペとかにはないいぶし銀の魅力がありますしね、日産ならハコスカセダンGTX、サメブルGTX、ブル510~910SSS、三菱ならA73ランサーGSRやランタボ、ギャランΣのGSR、マツダならプレストのREセダン、ルーチェのREセダンなんかな琴線に触れました。
トヨタ車だとカリーナセダンGTやコロナセダンGTでしたが80年、カリーナセダンのお化粧直しでセリカ4ドアと銘打ったセリカカムリがデビュー、その最高峰に据えられた2000GT!これにはヤラれましたねぇ~…

中身は従来のカリーナセダンGTだし135psの18R-GEUエンジンもコロナ、セリカ、カリーナで使い方古された新鮮味のないモノ、ただ脚まわりがコロナ、カリーナにはない後輪セミトレの独立性=4IRSとなりspeckマニアな当時のワタシとしては萌え萌えw トヨタ2000GTバリのT字グリルも良かったし何よりカリーナと同じボディーに見せない?カムテールが非常にカッコいい!
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これなら自社扱いだしローンでも堂々買えるしほぼ決めてましたっけ!

しかしこれは当時、まだ高年式で高かった、新車時が160万位だったかな?当時2~3年しか落ちておらず120~130万位しており出たばかりの鬼の60回ローンにしても月2万超えになりそんな払うなら新車買えるわ!ってーんでボツとしました。
しかしボツにした後に激しく後悔、カムリGTは販売台数が極端に少なく4台目以降のクルマ選びの時に再び候補に浮上するもその時=80年代末期にはコロナやカリーナはあってもカムリはほぼ市場での流通がなく逃した魚、大きかったなぁと今も後悔しております…。

☆★欲しかった度★☆(5段階、5がMAX):5

そしていよいよ5台目はこのクルマ↓
『1982~83年(昭和57~58年)GA61セリカXX2000GTツインカム24』

これには拘りがあり61でも僅か2年もない前期型のGT TC24限定!

いや、後期でもいいんだけど細かいデザインの意匠が前期好みなんすわ、60系は81年デビュー、翌82年にTC24や4気筒版には3T-GTEのツインカムターボ、AE86から4A-GEを移植した新1600GTも同時デビュー、もうこの時はカローラ店におりそれは大々的な発表会をやったのを憶えております。

中でもやはり1G-GE160psのインパクトが絶大なTC24、元々61XXは81年のデビューからの憧れ、しかしデビュー時はツインカムは3ナンバーの2.8GTのみ、3ナンバーが冗談みたく税金バカ高い時代なんで当時まだ10代の自分、例え買えても維持はできずと憧れだけで終わってましたがTC24追加により憧れが現実に近づいた感じでした!

MA61XX2800GT
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(2.8GT、当時太陽にほえろ!でドック刑事こと若き日の神田正輝がカッコ良くテールスライドを決めていましたっけ!)

勿論これは新車購入を検討、まだ検討の時はギリ前期型が在庫ながら買えたし勿論会社も文句なぞある筈もないw

中古のカムリで2万以上5年払うなら2万が3万になってもXXの方が払い甲斐ある!ってなもんです、しかし!!フと立ち止まって冷静に考えると鬼の60回=5年はこの会社に縛られる訳で整備→営業に配転になった時点で「何だかなぁ??!」と思っていたワタシ、とても5年も勤続できるとも思えずする気ももなかったんでね、ちょうどその時にサービスの先輩が2年落ちで13000kmの71レビンを相場よりかなり安く譲ってくれる事になり親に相談、会社やローン会社に金利取られて買うよりは!って事で親ローン審査通過(笑)

71は整備士が乗っていただけあり程度はいいし新車の輝き、当時86が出て大人気、その先輩も86に乗り換えたく査定の+10万でワタシに話をくれそれでも市況価格よりは20万位安かったんでお互いウィンウィン、メデタクTE71が3台目愛機となりXXは諦める事となりました!

前期型セリカXX
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サイドまで周り込まないサイドフラッシャーのFrマスク、後期がボディー同色になったバックドアがブラックアウトされる前期が好みでこれもハンコ押す直前に伏兵?71レビンにより消えました。

☆★欲しかった度★☆(5段階、5がMAX):5

レビンは対策エンジン2T-GEUで当時でも旧態2バルブDOHCで非力、仕事でTC24に乗るとやっぱり買えば良かったな!とは思いましたがね、弱冠20歳そこそこで5年もの長期な苦しみを味わう代わりにレビンで余裕持って走りにデートに?青春時代を愉しめたのはいい財産、とは言えXXも愛車遍歴に加えたい1台である事には間違いないですわ(^-^)/
Posted at 2022/11/01 20:04:44 | コメント(1) | トラックバック(0) | 旧車 | クルマ
2022年10月22日 イイね!

元Gure・愛車にできず後悔したクルマ達③

元Gure・愛車にできず後悔したクルマ達③



元Gure・愛車にできず後悔したクルマ達ですが③としてはこのクルマですね~!









『1975~1978年(昭和50~53年)S124型サバンナクーペGT』!!
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幼少の頃から憧れたギャランGTOを2台乗り継ぎ満足?本来の飽きっぽい性格?から最初のGTOから2年半位経過、年齢で言えば二十歳を過ぎた頃には早くも3台目の購入を目論んだと言う…

3台目に狙っていたのがサバンナGT、やはりこれも子供時代に日本GPで無敵と言われたスカイラインGT-Rの連勝をSTOPした雄姿が目に焼き付いておりまた、当時は若気の至り!?クルマやバイク、より速く、より馬力の大きいモノがエラい!と確固たる思いだった元Gureはマツダの血と汗の結晶であるREエンジン、574cc×2ローター、僅か1200ccにも満たない排気量で当時のスポーツモデルのMAXに近い120psを発生、独特の排気音(エンジン音)とREという新技術とその獰猛なスタイリングに惹かれていたのも事実、実際友人で前期の10A型エンジン搭載のサバンナGSⅡに乗ってるのがいて何度かハンドルは握らせてもらったり信号GPでGTOで張ってもアッサリ置いて行かれる(他の友人のケンメリGT-Xやダルマの1600GT、コロナ2000GTでも同様)その速さは当時の自分にとってはそれはそれは羨望でしたしよりパワフルな12AのGT、スポ車好きなら憧れて当然の成り行きw

1972年の日本GPで無敵ぶりを披露したマツダRX-3=サバンナGT!!
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RE元祖のコスモスポーツやファミリアREで話題となったT字インパネを更に進化させた”男の仕事場”的インパネにも強く魅せられました!
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しかし購入検討していた1982~83年頃、このサバンナは底値っていうか売るより潰すといったご時世、こういうクルマなので輩に弄られた個体が多く程度のいいモノなんてほぼ無くなっていたし出てきても寿命の短いRE、O/H必須で車両代とは別に30~40万必要、車両が10Aモデルだともう桁、12AのGTでも10~20万円という状況でこれを選ぶのってのは相当なモノ好きか頭のネジが1本外れたようなのしかいなかった、勿論レシプロに較べ燃費やOIL代など維持費も相当高く付き当時学生の身でこれの所有は無理だと解っていながらも諦めきれませんでしたねぇ(爆)

サバンナは3度のMCと小変更が1度ありワタシの憧れは最終モデルのGT、↓のようなカスタマイズ、チンスポにRrスポ、程よいシャコタンにハヤシかワタナベ8本にしてして乗るのが夢だった…
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同級生でやはりサバンナ好きがおりコイツはワタシ以上に貧乏、沖縄から出てきて都内で一人暮らししたましたがどうしてもサバンナの憧れが捨てきれずさりとて維持費の捻出も困難、そこでヤツのとった苦肉の策…これをワタシもやろうと真剣に悩んだ日もあったwww

その策とは前後意匠が異なるだけでスタイリングは一緒の兄弟車である『グランドファミリアクーペ』を桁で買ってきて前後をサバンナ仕様にするというもの、GファミリアはREの代わりにファミリアやカペラのおとなしいレシプロ1300/1500を積んだモノで鈍足だけ我慢すれば前後交換やカスタマイズで充分にサバンナ雰囲気が満喫できるものとして本人、悦に入ってたっけ(笑)

サバンナの兄弟車グランドファミリアはさしずめ”狼の皮を被る羊”
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しかしあのスタイリングで鈍足、しかも加速すりゃ外から見ててもREじゃないのは一目瞭然だしそんな情けない真似してまでサバンナ乗ろうと思えずに笑い話で済ます事にwww

結果、見栄も大概にせーよ!的なGファミリアのサバンナ化は避け本命サバンナも維持費の問題もあり諦めますが90年代位からはかつて大喰い、暴走族専用車として嫌われたサバンナもその素性から再評価が始まり今の天文学的高額化を迎えそのサマをみているとあの時乗っておけば!と後悔しないと言うとかなりの強がりですナ。
まぁ当時内定していた就職先の件もありどの道買ってもすぐ手放す羽目になったでしょうが例え僅かでもサバンナを愛車としてみたかったってのが本音…

これに代わる?3台目はTE71のカローラレビンとなる訳ですがこのTE71に行き着くにも候補が色々あり悩みます、その辺は次回に続くって事で(^^)/

☆★欲しかった度★☆(5段階、5がMAX):4
Posted at 2022/10/22 15:32:38 | コメント(1) | トラックバック(0) | 旧車 | クルマ
2022年10月16日 イイね!

元Gure・愛車にできず後悔したクルマ達②

元Gure・愛車にできず後悔したクルマ達②




元Gure・愛車にできず後悔したクルマ達ですが②としてはこのクルマですね~!






『1979~1981年(昭和54~56年)A146A型ランサーセレステ2000GT』!!
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このセレステも初車、ギャランGTO購入時に考えた1台!

ハコスカほど本気モードにはならなかったながら当時亡父が今は亡きディーラーの横浜三菱自販に長年懇意のセールスがおりかなり安く新車を出してくれるというので検討しました…。

セレステはもうこの頃(81年)はモデル末期どころか生産STOPし在庫整理の段階、1975年発売なので既に6年目に入っていたので次期型となるコルディアに切り替わる直前、このためかなり安くなり確か正規の新車価格が120~130万位だったのが総額で100万切る金額だったんで一時真剣に考えました、そりゃ中古よりは新車がいんでねぇ(笑)

セレステ、三菱初のH/BクーペでセリカLB、B210サニークーペに続くH/Bクーペ第三弾、デビュー時はバックドアと可倒式シートで多用途性もありかつスタイリッシュなクーペボディという新たなボディスタイルとして人気でセリカ、サニーも同様ですが大きな話題になったモノでした。

1975年発売のランサーセレステ初期型
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正直セレステはデビュー時のモデルは↑の画像で解るように丸2灯の貧相な顔付と逆L字(当時はタレ目と言ってましたがw)が苦手、ランサーのクーペモデルなので当時、ランサー、カローラ、サニー等の大衆クラスは丸2の顔が当たり前ながらセレステはサイズ的には上級ギャラン並みに大きくどうもそのボディの風格と丸2の顔がアンバランスで嫌いだった…

そしてテールも個性的って言えば個性的ながら何だかマヌケなイメージ、母体のランサーが当時、L字型テールを採用していたので共通性を持たせつつセレステの個性をもたせる感じだったんでしょうがねぇ、前後が気に喰わん、そしてスタイリングはシャープで流麗でカッコ良かったながらシャーシがランサーの為前後トレッドが狭くノーマルだと”電車トレッドに糸タイヤ”、これも嫌だった…

しかし76年の中期型でテールがコンサバな横一文字に改められ更に77年にはヘッドライトも角目2灯となりどんどんワタシ好みに進化(笑)そしてモデル末期の最後のテコ入れで79年に追加されたのが2000GT!!

従来型は1400と1600のラインナップ、76年から始まる排ガス規制で両エンジンは牙を抜かれ雑誌等でも芳しくないドライバビリティが伝えられており未対策時代はA51ギャランGS、A73ランサーGSRでラリーでも活躍した菱バカには伝説のあのサターン4G32エンジン(1600)も排ガス対策には勝てずツインキャブを失いしかもランサーより重いセレステはカッコだけの代物だったんで2000が出る以前はいくら前後がお化粧直しで美女になろうとも対象外でした。

2000はこれらの低評価を受けて上級のギャランΣ/Λの2000cc4G52型エンジンを移植したもの、105psというパワーながらおよそ1tのセレステを走らせるのには十分で試乗もして力不足は感じず(当時の水準にて)これならいいか!と思えたものです、2000GTはシリーズ最高峰だけあり室内やインパネも豪華、本命のGTOにはないモケット張のシート、豪華な絨毯、そして今と違って音楽がなきゃ死ぬ!とまで思っていた若き日なのでw 既発売だった1600GTシステム80で憧れたダイアトーン製オーディオを標準装備、それまでのGSRでも165だったあの糸タイヤも1サイズUP、ギャランΛ用A/Wも装備され一気に上級車の雰囲気になった2000GT、結構心奪われました!

ギャランGTO同様の連メーターやそれ以上にグランドツーリング的な内装の豪華な意匠に惹かれた2000GTのインパネ
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実際父と三菱の在庫を見て試乗もしてかなり前向きにはなりましたがいくら値引き凄いとは言え100万近くを払うとなると親ローンでは足りず親を保証人(当時は未成年)にして大借金せねばならずそんな勇気は当時なくハコスカの時と同様に夢にまで見たGTOを諦めてまでそこまで欲しいか?と自問自答した結果、ボツとなりました~…

その後セレステに関してはハコスカのように引きづる事もなく今となっては絶滅危惧種ながらこの時以降欲しいと思った事はないのでやはりGTOにして正解だったと今振り返っても実感です(^^)/

☆★欲しかった度★☆(5段階、5がMAX):3

Posted at 2022/10/16 02:16:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | 旧車 | クルマ

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「ラッシュの買取りとPC新調(^^; http://cvw.jp/b/2682511/48478176/
何シテル?   06/09 21:43
元GureのHNで活動、新規ネタ&過去ネタをUP中、過去記事はかつてほぼ移住していた山梨や本拠でのクルマ弄り記録や過去シリーズ的に上げていた独自の企画モノを再U...

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