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元Gureのブログ一覧

2022年10月14日 イイね!

元Gure・愛車にできず後悔したクルマ達①

元Gure・愛車にできず後悔したクルマ達①
どもっ(^^)v

還暦を来年に控えた元Gure、クルマ乗れるのも後10年?15年?かなぁ…
なんて生い先短いんで最近漠然と考えたりで(汗)

しかし振り返れば18で免許取り社会人になってからはずっとクルマ業界、昔も今も売り買いも有り仕事柄色んなクルマを愛車にしてきました、その殆どに深く愛情を注いできたし手放して後悔なきよう充分愉しんだつもり。

今所有しているランエボⅣ、ミニカダンガン、タウンボックスのうちランエボが一応最後の”上がり”のクルマと考えてます、まぁ、今後の世の流れで自分はそのつもりでも乗りたくとも乗れなくなる可能性もある(排ガス規制、重課税、ガソリンの供給、部品入手の是非等…)のであくまで予定なんすが(笑)

加齢もあるし現代車でそれほど欲しいというクルマもない現在、自分の幼少期~青春期~であった60~90年代は今と違い欲しい、憧れのクルマだらけ!
そんな中買いかけながらも当時の経済的、家庭的、仕事的等当時自分の置かれた状況により泣く泣く断腸の思いで愛車にするのを諦めたクルマ達を振り返ってみようと…

完全なるジジーの懐古録、ボケでそんな純粋に胸焦がしたクルマ達を忘れんうちに?って事で当時の心境を懐かしみながら何回かに分けて羅列したいと思います!

①としては免許取得して初めて購入したギャランGTOを選ぶ時に最後まで迷ったこのクルマ!!
『昭和47年(1972)KGCスカイラインHT2000GT-X』
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ハコスカのHT、これはホント迷いました…

スカイラインはいつの時代でも超人気ですがこの当時の人気の中心はケンメリとジャパン、ちょうど6代目のR30がデビューしたばかりの頃なんでジャパンはまだまだ中古と言え高値で貧乏学生には手の届かない存在、ケンメリは個人的に好みではなかったのでアウトオブ眼中でしたw

ハコスカは幼少の頃の人気車”愛のスカイライン”というキャッチフレーズは子供心にクルマに対する夢を一層高めてくれたもの、スタイリングもワタシ好みの角ばったスクエアな出で立ちが刺さり同じく幼少の時から憧れたGTOと甲乙付け難い愛車候補でした。

当時住んでいた家のすぐ近くの中古車屋に7万㎞位の検2年付きハコスカHTの真っ赤なGT-Xが確か35万円で売りに出ていたんでこれ、試乗もしたし資金繰りも親と相談したりとかなり前向きに検討、前述の通り当時はケンメリ全盛期でハコスカはGT-Rを除きポンコツ扱い(GT-Rは当時でもプレミア化していたが金額的には今に遠く及ばない100~150万程度)、HTのGT-Xだとこの位(30~50万位)でしたがセダンのGTやHTでも1800なんかになるともう桁のレベル、今じゃ信じられないですよね~…。

↓はGT-Rですが真っ赤なGT-Xに魅せられーの!
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試乗してチューンパーツも豊富だったL20型エンジンの咆哮、スパルタンなインパネや内装にすっかり魅せられてしまい契約書にハンコ付く寸前まで行きましたっけ。

このインパネに完全にやられたw
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しかし35万と言っても当時高校生の自分には大金、20万位はバイトで貯めた現金ありましたが残り15万+諸費用は親に借りるしかない、2年間のバイトで貯めた虎の子と親に借金までして買うのに自分が10年も憧れ子供時代から「免許取ったら絶対コレに乗る!」と決めていたギャランGTOを止めてまでハコスカに行くか!?と散々悩んだ末に亡父も三菱派だった事もあるけど「ホントに欲しいクルマにしないと後悔するゾ」とアドバイスを受け初心を貫き?GTOに行きハコスカは断腸の思いで諦めたという…

断りで出向いた時に確か中古屋のオヤジにさんざん嫌味言われた記憶があるけど結果、現金なモノで父が言った通りGTOを購入し納車した時は”ハコスカに浮気しないで良かった!”とつくづく思ったモノです(笑)

しかしあの時手にできなかった真っ赤なハコスカHT、今も鮮明に瞼に残り今となっては手の出ない超プレミアムになり手の届かない存在になるとあの時父が余計な事言わなければ?なーんてあの世のオヤジに責任転嫁したりでwww

まぁ、多分35万であの時ハコスカ買っても2~3年で乗り換えただろうし現代まで乗り続けカーマニアの視線を独占って事にはなってないでしょうがねぇ、しかし年式的やその後の値上がりを見てくると”あの時乗っておけば”という思いはありますね、GTOはもう少し後でも充分手にできたし…。

☆★欲しかった度★☆(5段階、5がMAX):5


(^^)/
Posted at 2022/10/14 22:06:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧車 | クルマ
2022年01月27日 イイね!

通りすがりの溜息!?

通りすがりの溜息!?タイトル画像、我が横浜では有名な旧車ショップ、前はこの近くに取引先が多くチョクチョク通っていたも最近はそれら得意先も移転やら他乗り換えやらで近年はご無沙汰、本日久々にこの前通ったら以前もその高額ぶりには驚いていたものの更に輪を掛けて昨今の旧車高騰に便乗して!?もう溜息つくしかないじゃんか!ってレベルになりーので…


以前から専門店ならではの高価で有名な旧車ショップ、勿論値段なりの上物ばからがいつも並んでる…
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UP①
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補足
画像右端:R20系ハイエースワゴン(1977~1985)159万円!
画像右から2台目:S130フェアレディ200Z 2by2(1978~1983)229.9万円!
画像右から3台目:130セドリックス後期ペシャル6 (1968~1971)159.5万円!
画像左から2台目:VWタイプⅢバリアント(1962~1973) 199.1万円!
画像左端:GC10スカイラインセダン2000GT(1970~1972)550万円!

UP⓶
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補足
画像右端:S30フェアレディZ 2シーター240Z-G仕様(1969~1978)519.2万円!
画像右から2台目:S30フェアレディZ 2by2(1974~1973)399.3万円!
画像右から3台目:PA90系117クーペ☆☆(スター)XE (1978~1981)189.2円!
画像左端:SAホンダライフツーリングSL(1971~1974)92.4万円!

どうっすか?40歳以下は知らんクルマもあるでしょうね~…

まっ、Zやハコスカはこの位しても当たり前(ってかこれにしても異常な金額だけんどね、ハコスカのGTやS30Zのただの?2000Zなんて80年代はゴ〇だったけどさすがにこれらの高額化はもう慣れたわw)だけど20ハイエースなんて少し前ならゴ〇だったもんねぇ、まっ、ハイエースに限らず一時期は価値なし問答無用の解体送りが当たり前でもその時期を過ぎてこうして生き残ってれば立派なお値段!! 今に始まった事じゃないけどw

タイプⅢも昨今はスゲェな、元祖ビートルがさすがにもう絶滅に近い状況だからか以前はビートル人気の影に隠れてたけどあの♪バタバタ~という空冷独特な音が有難いってマニアも多いみたいだし…。

130セドなんて70年代後半~80年代ではアクションドラマの破壊要因だったし117だってこの最終☆☆なんて初期ハンドメイドと較べたら大量生産の普及型でハンドメイドは昔から希少価値だったけど☆☆がココまで上がるとはねぇ、まぁこの異常高騰の最中で知名度は高い117が200万以下だと”安い”のかもしんない、しかし古いオッサンは頭の中の固定概念が消えんので(汗)

こんな中で初代ホンダライフは注目、360→500/550の新規格施工近くにデビューしたライフだったんで3年程度しかなかったし中でもスポーツグレードのツーリングシリーズなんて往時もほぼ見なかった記憶…
前任N360に較べマイルドに、そして車名が示すようにファミリー中心にラインナップされたライフは普及型のおとなしいグレードが90%以上じゃなかったかな?クソガキ時代にライフのツーリング見ると振り返る位珍しかったしねぇ、当時、スポーツ版はホンダZというスペシャリティがいたんでそっち系を望む方々はほぼZにしたんしゃないかい!?って感じなのでこの展示ライフツーリング、レア度は相当だしその希少性の割には安いかも!?!?

と信号待ちのヒトトキを溜息付いてからお仕事×2!!
オミクロンや半導体不足の影響から中古輸送も少ないながら事故車やらレンタカーの代車運んだりとそこそこ忙しく毎日街駆け回ってるんで街中珍・旧車、それなりに出会ってはいるけどなかなか撮影できんのヨ、そんな中で一応捕獲できたのを上げとくかなーっと。

ランクル70プラド
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70プラド、大して珍しくない?いや、数年前リバイバル復活したヤツではなくオリジナルの初代(1990~1996)は久々の目撃、マニアらしくピカピカにカスタマイズされており40や60ランクルをレストアしてるのは多いけど70って珍しくないっすか…?

そして仕事先の工場に入庫していたコヤツ↓
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思わず声が出た変態車w PAネロっすよPAネロ!まだいたんだねぇ~(+_+)

PAネロについては過去 “変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第8弾!! でウンチク語ってるんで興味ある方(いればだけどw)はどうぞ踏んでみて(笑)

いすゞジェミニクーペをカマロ風?に仕立てヤナセで売ってたPAネロ、この30年でいすゞもヤナセもすっかりと変貌してしまったけど希少な生き字引だもんねぇ、往時も今も人気ないからこの旧車高騰のご時世でも我が道を行くPAネロとそのオーナーさん、かなりくたびれてはいたけど大事に乗り続けて欲しいモンです!
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おしまーぃ(^^)/
Posted at 2022/01/27 01:52:32 | コメント(1) | トラックバック(0) | 旧車 | クルマ
2021年07月18日 イイね!

この親にしてこの子アリ!?www

この親にしてこの子アリ!?www
タイトル通り…

とは良く言ったモンです(笑)

蛙の子は蛙?とんびは鷹を産まなかった?とにかく変なとこばかり似て困ったモンです、とか言いながらオヤジとして嬉しいのも間違いないんですが(汗)


ウチの次男坊、エボに4年乗って今26歳、30歳に結婚とか勝手に決めていて(相手もいねーのにwww)独身の間に満喫したいクルマがあるとか言い出して自分でネットで探してきやがった!

それが何とコレですよ、コレ↓
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ダハハ、血は争えません、確実にワタシのド変態のDNAを引き継いでおる(*_*;

1989年式A187Aスタリオン2600GSR-VR!!
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普通26歳の小僧が選ぶクルマじゃないっしょ?さぞ店のヒトは完全にイっちゃてる親子と思ってるだろうなぁと(笑)

完全に育て方間違えた?ゴリラ警視庁捜査第8班とか見せてたからなぁ、確実にあの影響だわw
ワタシVR-4、次男がスタリオンなら長男はもうデボネアAMG買うしかねーなと次男と大笑いw

見るだけ見たいから付き合ってと本日(昨日)同じ神奈川県内にあるそこそこ旧車ショップとしては有名なお店にエボで参上、じっくりとスタリオンを拝見!

室内はCランク位は評価できるかな?33年前のクルマとしてはかなりイイ状態!
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Rrシートはこのクルマの性格上殆ど使われていない感じで新車は大げさながらここだけはBランクかも…
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距離は約14万㎞
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外見も年式からすると綺麗、勿論タッチアップしてあったりRrスポがクリア剥げしていたりとそれなりの瑕疵はあるも妥協できるレベル、置き場放置で汚れている状態でも許容範囲なのでイザ買うとなりプロのクリーニングが行われたらそりぁ満足できる個体になるでしょうね~…。

一番酷い状態でこのRrスポ、まぁ、これ位ならばDIYで何とか綺麗にできるレベル!
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ただ…問題は色々あり店長と話しすると整備記録が一切ない、オマケにエンジン廻すと暫く放置(当然B/Tは上がっていてジャンプスタート)しているせいもあり白煙がやや出ている、暫くアイドリングしていれば多少は落ち着くもどうもタービンに不安が残る、仮に何もやっておらず極端に言えば買った翌日にTベル切れる事もある(よく考えた、と言うか思い出したらG5系エンジンはTチェーンなんでこの心配はなし)クラッチ滑る事もある、それでも金出せば直るならまだいいがスタリオン、正直部品は絶望だからワンオフで作ったりと乗るより工場に預けている時間の方が長いかもしれんぞ!とマジによほど腹括って決めろ!だけはアドバイス、実際購入なら試乗は絶対だしリフト上げて下回りも見たいしね、倅にはホントに好きならそこまで気合入れないとならん、維持も生半可でなく憧れだけで乗るにはちょっと遅いですからねぇ、彼の気持ちは充分理解できるも”カッコイイ”だけでしかも決して安くないプライス(260万!!)だしいくら菱バカ親父でも背中押してやりたくてもそうは押せない、いや、むしろ引き戻したいですよ、可愛い息子がわざわざ地獄に足踏み入れるのを押す親おらんでしょうが…。

そこで!!
ワタシ的にまだこっちの方が維持はできるぞ!と推薦したのがコレ↓
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誰ですか?大して変わんねぇじゃん!とか言ってるのはw

Z16GTOツインターボ、平成8年式のモデルで走行約12万㎞、正直現車は東北の出で下回りに多少ながら塩害もあるも見かけはかなり綺麗で一部やはりスポイラーやルーフにクリア剥げは見られるも3.5点評価、内装B外装Cは付く感じ。

倅はリトラの前期がいいと。しかしそれじゃ年式的にスタリオンと大差ないのでオヤジとしては中期以降をお勧めだし現車はツインターボながら買うなら比較的大人しく乗られているNAのSRも考えた方がいいとアドバイス、勿論倅もMT派なのでSRのMT、正直カッコだけで速さはエボにかなり劣るもGTOのスタイリングが好きなら我慢できんじゃね!?と。
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年式新しい(と言っても25年前だがw)分程度はスタリオンより全然いい、エンジンも快調にイイV6サウンド響かせてるし排気も異常なし、何せGTOは2001年まで現役、部品調達はスタリオンに較べりゃまだ何とかなるんでね、しかもこのツインターボで乗り出し200万以内、仮にSRの同程度のだったらうまくすりゃここから7~80は安く買えるし一考の余地ありだぞ!と。

まぁ、最終的には倅が決める事、ここの店、旧車専門店だけあり試しにエボヨンの査定させたらかなり満足行く値段も出て来た(一声で3桁オーバーだから粘れば120~130の可能性も有り!?)ので実際買うとなればスタリオンで150万、GTOで(このツインターボだとして)80万位の持ち出し、ワタシとしてはそんなに払ってまでエボ降りるか?と思うんだけんど逆にエボがその値段だからこそ降りてもいいと…

ただ次男坊、納車はまだ先ながらジムニーシエラの新車も購入してるんでね、それがキャンセルできるならまだしもできないとなると(これはスズキと交渉次第)ローン地獄、てかシエラの分と仮にスタリオンの分で総額350万位の借金、総量規制でそこまで借金できるかも問題、倅はそこまで頭廻ってないのでとくとその辺の事情は教え込んでおきましたがねー。

しかし若いってのは羨ましい、ワタシなんぞもう借金増やしたくないし総額20万に満たないタウンボックス買うんだって清水の舞台から飛び降りる心境なのにその10倍以上の借金背負う覚悟してるんだからいやはや…

まっ、オヤジとしては自分の若い時分にローン地獄で苦しんだんでそんな経験させたくはないですがクルマ好きの先輩としてはホントに欲しいなら借金してでも乗れ!とも言いたい、まともなオヤジなら前者なのは当然なんですがマトモじゃないのはご承知の通りなんでねw 倅の背中押すか引き戻すかを正直迷っているワタクシですわ(^^;

と、変態バカ親子の変態車探しはこん位にしてオマケw

この旧車屋の在庫は凄かった!! 博物館やハチマルヒーローばりの在庫群で一部ながらご紹介、こりゃ捕獲どころの騒ぎじゃない、前から噂は聴いていたながらもここは凄いわ、マジで(*_*)

まずはコレ↓
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GA61セリカXX後期2000GT TWINCAM24(1983~1986)
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これは販売済車輛で仕上げ中の様子、お値段は260万と!!
自分的に総合3、内外CDレベルながらこれから仕上げていくのでかなり綺麗になるでしょう。

お次↓
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JZA70スープラ2.5GTツインターボR(1990~1993)

これはビックラプライスで300超え!確かに程度は良くMTだし今時ならその位するんだろうけど10年前なら4~50万だったよな!?と目がBIGどころか目ん玉飛び出る思いw

そして大都会、西部警察のテーマが流れるコレ↓
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セドリック230セダン前期2000GX(1971~1973)

そして同230後期4HT(4HTは後期のみしかないですが…1973~1975)の2000GL!!
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半世紀を迎えたor迎える2台の230、売り物になるだけとてもその年式が信じられない程度でもうここまで来ると博物館にいるような思いw

こんなのもいます↓
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ブタ目マークⅡセダン前期RX30、つまりは人気のグランデではなく2000GLという一昔前なら即座に解体に行ってたモデルがやはり驚愕プライスでお店のTOPに展示、こんなの(グランデではないという意味)で売れるの?と店長に聞くと問い合わせ結構あると!

そしてこれにも驚き桃ノ木!
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ん?10ソアラ、そんなに珍しくねぇじゃんと言いますか?アナタ様w


10ソアラ、名車だけあり当時人気の最高峰2.8GT同エクストラ、後期の3.0GTなんかは時々ありますが何とコレ、レアグレードのMZ10 VⅡターボ(1982~1983)ってのが驚き、当時2.8GTばかりに目が行き旧い2LM型にターボ付けて145ps出していたとは言え170psの5M-GEUの影に隠れまくってましたからね、鬼高い3ナンバー税金時代なので5ナンバーターボもそれなりに支持を集めるもターボモデルは上にVRターボ、廉価でVⅡターボの設定、ソアラのようなクルマを買うのは当時は勿論かなりの富裕層、なので5ナンバーなら最高峰VRターボだったんでVⅡターボ、現役時代でもそうは見なかったですんで驚きでしたわ。

他にこんなのも↓
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ジャパン後期セダン、手前にあぶデカレパード、奥にGX61マークⅡセダンに別の2304HTと来たもんだ(笑)

他にも凄かったなぁ、ソアラは10/20数台、70スープラ数台(2.0/2.5/3.0)、330/430セドグロが3~4台位、あぶデカレパードも3台位、S130/Z31ファエレディZが各1台etc…

菱はGTOとスタリオンのみ、ギャランΛとかΣとか期待しながら店長の「在庫有りません」で撃沈でしたがいい目の保養をして参りました(*^^)v

まぁ、次男坊、どうするのかは解らないけど別れ際に「とにかくエボヨン降りて借金抱えてもトータルで後悔しないクルマを選べヨ、そんなクルマがなければ大人しくエボとシエラのカーライフを送れ」と言い聞かせておきました、どの口が言うか!と若干反論していましたが聞かんフリで至極まともな親を演じたというバカ話でしたぁwww

Posted at 2021/07/18 02:05:06 | コメント(4) | トラックバック(0) | 旧車 | クルマ
2019年06月26日 イイね!

19××〜あの頃?1970年代(後編)

19××〜あの頃?1970年代(後編) ※この記事は2016/8に上げたモノの改訂版です。

60年代のイケイケがそのまま続き繁栄に酔いしれる市民の影に忍び寄る暗い影、73年のOILショックや75年の排ガス規制はクルマ社会は当然の事、市民生活にも多大な影響を及ぼし60年代の明るい時代から一気に、特に中盤以降は不況、インフレに人々は苦しみ過ぎ去った60年代が夢のような時代と思えた時期、各自動車メーカーにとっては苦難の年代ながら今振り返らば世界一になるための試練の年代でもあった訳ですね。

そんな時代の各社モデルの振り返り、後編はホンダ〜ダイハツまでを取り上げてみたいと思います。

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(ホンダ)
各社にとって苦難以外何者でもなかった70年代ですがホンダにとってはその卓越した技術を世に広めた絶好の時期、世界一排ガスが綺麗と言われたCVCC技術を武器に現在の地位を築く基礎になった時期です。

浜松のいちバイク屋が世界のホンダとして認められた70年代、50〜60年代の2輪での優秀性は既に定評あるものでしたが4輪でも当時世界No3、国内No1であったトヨタですら排ガス対策技術に教えを乞う程の技術力を持つまでに登りつめた実績、CVCCこそがホンダが花開いた瞬間でえあったと言えるでしょう。

そのCVCCを広めたのが初代シビック(72y)!

まだ他社が60年代を引きづるハイパワーモデルの呪縛が解けずやれDOHCだソレックスだ、やれツインキャブだREだとやってる中にホンダは排ガス規制という強敵に備え早くから準備、他社が過去の亡霊に捕らわれていた時期に着実に研究開発を怠らずかつホンダにとっては吉であったOILショクが到来、それまで1psでも出力が高く10kmでもMAXスピードが高い方がイイ車!と言われていた中でのOILショック、当然こうしたハイパワーでは燃料他お金もかかる、OILショックにより景気もどん底になる中で庶民は従来のようにがぶ飲みの不経済車は見向きもしなくなりました。

その変革は正に急激でつい昨日までケンメリRだセリカだ騒いでいた若者でさえこれらが脚光を浴びてる頃にポッと出てきたシビックに人気の的は一夜にして変革、派手なクーペやHTとは無縁であるFFの2BOX、1200ccで性能こそ平凡ながら低燃費とクリーンな排ガスによる優遇税制などが注目され73年に追加されたCVCCを搭載でその人気は不動のシビックブームが起こった程で元祖エコブーム、ちょうど数年前の猫も杓子もプリウスって時代にそっくりと言えば若い方も理解できるでしょう…

↓ブームを作った初代シビック!


シビックの大成功により以後シビックのコンセプトを注ぐ中級車市場にアコード(76y)で参入、これまで軽〜1500ccクラスで生きてきたホンダ初の1600〜1800級への飛躍もアコードで果たします、このクラスは老舗コロナブルーバード他並み居る強豪が揃うクラス、この中で当時第5第6メーカーであったホンダながらシビック同様にCVCCが最大の売りとなり成功を収めました。

↓シビックコンセプトで1クラス上に訴求したアコードも発売


このようにどうしても70年代のホンダと言えば“CVCC”の印象が強いのですが70年代初頭ではハイパワーブームを継承しリッター100psで鳴らしたスーパーミニのホンダN360から発展した軽スペシャリティのホンダZ(70y)や空冷4気筒4キャブでこちらもリッター100psのスーパー大衆車?で驚かせたホンダ1300を発展させたホンダ1300クーペもリリース、Zは高性能ミニが人気の時期に独特な個性的スタイルでスズキフロンテクーペや三菱ミニカスキッパ−、ダイハツフェローMAX HTと並びスーパーミニ市場を彩りました。

↓排ガス、OILショック以前の名作、ホンダZ


1300シリーズはホンダならではの拘りのクルマ、DDAC(一体二重空冷)や当時は異質なFF方式、4キャブ(1キャブもあり)によるクラスを超える高性能さをアピールしますが市場受けはならず商業的には失敗に終わります。

↓意欲作、ホンダ1300クーペ


しかしこの頃からホンダの変わり身の早さは既に現れておりその背景にはCVCCの予想を超えた成功もありますがあれほどN360で軽市場を活性化しながらも排ガス対策に不利と見るや軽市場から撤退(75y)やDOHCを軽トラに乗せその後Sシ―リーズでスポーツイメージで売りながらもCVCC以降はスポーツモデルを一切否定する等の姿勢は一部で批判を浴びました。

※他のホンダ70年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・バモスホンダ(70y)・ライフ(71y)・ライフステップバン(72y)・145(72y)


(いすゞ)
50〜60年代は日本のBig3に数えられたいすゞでしたが高度成長期の需要の伸びから本業であるトラック事業があくまでメインとなり乗用市部門はサブ的立ち位置に変化、トラックの利益で乗用をリリースするスタンスに70年代からシフト、その姿勢は乗用撤退となる90年代まで不変、ここに至るまで徐々にシェアも減らし車種も減らしてゆきますがいすゞらしい先進性とワイルドなエンジンを組み合わせた独創性に長けたクルマ造りは最後まで不変、70年代はまだまだいすゞ車の魅力がふんだんに味わえるモデルがラインナップされていました。

基本は60年代同様の小型乗用のベレット→ジェミニ(74y)に中級ファミリー用セダンのフローリアンにスペシャリティ高級クーペの117というライン、いすゞというメーカーは冒頭申し上げたようにトラックのサブ的乗用開発の為乗用車を頻繁にFMCする事が出来ずその部分で不利ながら時代時代に於いて更新するのを惜しまず特にイメージリーダーで国際的にも認められた117クーペに於いては15年近くの生産期間をもっても最後まで魅力を失わず廃盤になって改めてデザイナー(Jアロー)の奇才ぶりが実感できたモデルだったと思います。

そんな”長寿”が特徴のいすゞ車ですが長らくいすゞ乗用を支えてきたベレットが74年にジェミニ(当初はベレットジェミニ)にFMC、フローリアンと117は更新更新で変わらずラインナップされています。

↓70年代初頭はDOHC搭載もなされたベレット(GTタイプR)


↓74年に10年ぶりにFMCされたベレット後継のジェミニ


フローリアンはデビュー時からパッとしないクルマ、第一次ハイパワーブームと被りながら速そうなスタイルもハイパワーの心臓も持たない地味なセダンでしたので不遇のデビュー、それが祟り発売後不人気車の代表的な扱いでしたのでいすゞはフローリアンの処遇を再考、76年以降は対コロナや対ブルーバード戦略を諦めタクシーや公用車需要に振り77年のBigマイナー以降は当時脚光を浴びだしたディーゼルエンジンをメインに据えたベレル以来のDe乗用のリリースは一定の評価を受けフローリアンの名を遅まきながら知らしめる事にもなりました。

↓プアマンズ・ロールスの異名?で語られる80年代顔になった60年代車フローリアンもDeエンジンで見直されました!


OIlショックによるガソリン高騰時代にいすゞの得意分野であるDeで訴求する姿勢はさすがでフローリアンに始まりジェミニや117にすらDeを設定し乗用Deの先駆者として高い役割を果たした、そんないすゞの70年代だったと思います。

※他のいすゞ70年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・フォワード(70y)・ジャーニーS(70y)・ニューパワーZ(72y)


(富士重工)
ここもホンダに次いで排ガス対策に真摯に取り組んだメーカー、大手が青色吐息も中でそれに対する努力は相当なモノがあり大手が50年→51年→53年の各規制に期限ぎりぎり飛び込む中で比較的早くパスするなどのさすが元飛行機屋のエンジン技術を見せつけました。

リリース車輌は60年代同様で相変わらずの唯我独尊、大衆迎合せず自身の信じた技術を売れようが売れまいが関係なく訴求しそれに応えるのは少数の頑固なファンのみという姿は相変わらず…

ラインアップは基本的には60年代の流れを継承、スバル360はR-2に変貌後にレックス(72y)となりスバル1000はff-1/1300Gを経て71年にこの後長らく富士重の屋台骨を支えるレオーネがデビューしています。

レックスは50年代から長く親しまれた名車てんとう虫=スバル360の思想を受け継ぐ軽自動車。間のR-2も含め伝統のRR方式を継承、後発のホンダN360〜ライフによりサイズの小さい軽自動車では圧倒的にFF有利というのが世に知れ渡った後でも頑固にRRを採用、走破性の部分で理はあるもそろそろ普通車でもFf化が視野に入り始めた70年代後半でもRRを踏襲した姿は良く言えば矜持を崩さず立派、悪く言えば時代お…以下自粛(笑)

↓スバル360の思想を継承したR-2とレックス



レオーネもスバル1000の水平対向エンジンを頑固に維持、今ほどまだフラットの価値は庶民には受け入れられておらず生産性の悪いエンジンに「何故にそこまで拘る?」って感じで相変わらず変人しか乗らないレオーネというイメージでしたが特にトヨタデザインに影響を受け鋭いウェッジシェイブや直線的な戦闘的なデザインとなったレオーネは1000時代に較べるとかなり庶民性をアピールする姿勢がありました。

↓フラット固辞の姿勢は崩さずも大衆迎合は成しワイドレンジで幅広いユーザーに訴求したレオーネ


レオーネはワイドバリェーションで確実に支持を得るトヨタに学び普通車ではレオーネブランドのみながら車型は幅広く設定、2/4セダンを基本にHTやクーペ、ワゴン/バンにHB(スイングバック)などを取り揃え“スバリスト”相手だけではなく幅広いユーザーに訴求開始したのもこの年代、支持はメーカーが企むほどには広がりませんでしたがいち早い4WD乗用車のリリースを代表としてツウ好みのクルマを造るメーカーとして浸透してゆきました!


(スズキ)
スズキの70年代と言えばこれに尽きるでしょう⇒初代アルト47万円!!(79y)

排ガス規制以降、これに適合させるのに不利である小排気量の軽自動車、360cc→500を挟み550ccまで排気量UPはなされるも不利には違いないこのクラスをホンダやマツダが撤退する中“軽No1”のプライドに賭けてスズキは至難な排ガス対策に取り組み血の出る努力からスズキの特徴だったパワフル&スムーズが売りの2st3気筒のままでこれをクリア!下駄変わり、我慢車と蔑まれていた軽自動車に対し情熱を賭けるスズキの姿は感動モノでした。

そしてその努力の花開いたのがアルト47!!

排ガス対策費用や上昇志向から他社が年々贅沢に、そして高額化する軽自動車を見つめ直し“そもそも軽は安いのが一番の魅力”という根本に立ち返り消費税導入前の物品税の盲点に目をつけ徹底したコストダウンから当時60〜70万だった軽自動車の価格帯で破格な47万円というプライスでデビューし一世を風靡、アルトの大成功により各社もこれに準じるモデルをリリースする中で元祖であるスズキは順調にアルトを売り上げ足許を確固たるした時代でした。

↓エポックメイキングで軽自動車界に旋風を起こしたアルト47!


とは言えアルトは70年代終盤の79年発売ですのでスズキが過ごした70年代は決してラクな時代ではなく前述通りの排ガス対策の苦境と1970年を境に年々シュアが下がり続けた軽自動車市場の衰退との闘いの日々、普通車メインメーカーならば撤退するのも選択肢ながらスズキに場合そうはいかない、市場研究と新技術、そして弛まぬコストダウンを追及する10年間がアルトで報われた、そんな時代。

↓メイン車種フロンテはFF→RRになりながらスティングレイルックで若者に訴求


軽自動車に賭けるスズキは他社が見放すor縮小する中で最後までパンチがありコスト安の2stに拘ったり軽スペシャリティもラインナップし続けるなど軽No1メーカーの意地は相当のモノでこの時の姿勢が現在も常に大メーカーの傘の下にいるダイハツと互角に戦う実力と評価を得たと思います。

↓76年まで存在した軽スペシャリティフロンテクーペはセルボ(77y)と名を変えて唯一の軽スポーツとして存在!


※他のスズキ70年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・ジムニー(70y)・フロンテハッチ(73y)・ジムニー8(77y)


(ダイハツ)
トヨタグループ参画後は軽自動車をメインとするメーカーに変貌したダイハツ、大型部門の日野、普普通車部門のトヨタと密な連携を取りながら軽自動車の第一人者であるスズキに追いつけ追い越せの時代がダイハツの70年代でした。

70年代初頭は軽ハイパワーの頂点を取ったリッター100ps超えの360cc40psといレーシング並みの高性能ミニをフェローから変わるフェローMAXに搭載しアッと言わせますがこれ以外はトヨタの下請け、旧コンパーノやベスタ等の代替えユーザー向けにトヨタOEM車のみ普通車市場にラインナップ(コンソルテ、デルタ系)、オリジナルはフェローMAXと商用ハイゼットのみの存在感の薄い時代でした。

↓普通車はトヨタパブリカ、スターレットのOEMコンソルテをリリース


しかし親会社が排ガス規制で手間取る70年代中盤、それら軽では2stは諦めながらも4st化に統一しながらも小排気量で排ガス対策をクリア、規格改正の過渡期には真っ先に新規格の大柄ボディをリリースする等の存在感を示しながらも当時まだ多く残っていた軽免許ユーザーに対するフォローで360ccを最後まで残すという良心も捨てない姿は好感を持てましたねー。

↓550(過渡期は500cc)新規格ボディを真っ先に採用し普通車並みの室内を実現したMAXクオーレ!


そして77年、小排気量が排ガス対策に不利であるため各社が見切った1Lモデルでしたが普通車ボトムとなる1000ccカーを発売、これが話題を呼んだ初代シャレードでありダイハツとしては久しぶりの普通車のNEWモデルとして注目を集め時代の要請でもある経済性も人気、トヨタパブリカ、スターレットの1200〜1300に抵触しないため開発許可が得られたシャレードはダイハツの技術力とアイデア力を久方ぶりに見せつけたエポックなクルマでこれ以後日産(マーチ)、スバル(ジャスティ)、カルタス(スズキ)等1Lカーブームの火付け役となったものでした。

↓小さく経済性の高い元祖コンパクトのシャレードは”5㎡カー”として大人気を呼びました!


シャレードの成功は地味だったダイハツに勢いを与え本業の軽自動車開発にも弾みが付きスズキと真っ向勝負する80年代に開花、アルトに対向するフェロー元祖のクオーレやミラクオーレの発売に繋がりこれらの成功がやがてスズキから“軽No1の座”を引きずり下ろす事となる訳です。

車種が少ない中小だった分、排ガス規制の混乱期も比較的落ち着いていたダイハツ、シャレード以降の勢いには目を見張るモノがあり50年代に健闘したダイハツ、70年代は後半僅か3年で第2弾の光輝いた時代であったと思います。

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前編後編に渡りご紹介した70年代の国産9社、如何でしたか?

各社の各モデルには個人の主観で思い入れはそれぞれだと思いますが造れば売れまくる時代から一気に苦境の時期に様変わりした日本のモータリゼーションの混乱期の中、各社の苦難が少しでも感じて頂けたらと思います!

長文読破、お疲れサマでした<(_ _)>


19××〜あの頃?1980年代(前編)に続く

※アップ時期未定(^^;
Posted at 2019/06/26 20:53:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧車 | クルマ
2019年06月25日 イイね!

19××〜あの頃?1970年代(前編)

19&#215;&#215;〜あの頃?1970年代(前編)※この記事は2016/7に上げたモノの改訂版です。

悲惨な敗戦から僅か20数年で急成長した日本、その繁栄に酔いしれる人々は豊かになった経済の中、“3種の神器”と言われたその一つである車=CARに対する思い入れは相当なモノがあり60年代中頃から憧れ→現実へと庶民に車が“道具”として本格的に浸透したのが70年代でした。


70年には大阪にて万国博覧会が華々しく開催、私もこの時の盛り上がりは子供ながら強く感じ今でもその日本の盛り上がる雰囲気と明るさはハッキリと記憶しております!

10年間、前半は60年代から引き継ぐ留まるところがない成長を果たす車業界、しかしこの10年は60年代のようにイケイケどんどんという時代ではなく予想を上回る自動車台数に比例して様々な問題が発生、2回に渡るOILショック、社会問題となった公害に対し世界一厳しい排ガス規制の励行等、60年代の“産めよ増やせよ”と右肩上がりの発展という訳には行かず各メーカー、直面した課題に足踏みを余技なくされ一時は日本のモータリゼーションに暗雲が立ち込め暗く、展望がない時期もありました…

しかしそんな問題に全身全霊で立ち向かい課題を乗り越えた事が技術水準を高め後半には世界一クリーンで高性能な日本車は世界各国で注目を集める存在となり次世代(80年代)には貿易摩擦という問題まで起こる程の威力を持つモノとなりました。

逆境から世界一までという60年代にも引けを取らない70年代の日本車、私が知る50年の歴史の中で色んな意味で激動だったこの時代のクルマ、早速振り返ってみましょう!

定義としては一度でも乗用車を生産した国産メーカーが対象、従ってこれの経験がないUDトラックス(日産ディーゼル)は除きますし二輪オンリー(川崎重工、ヤマハ発動機)も同様。
また乗用メーカーであっても60年代以前、前後に倒産、吸収、消滅しているメーカー(プリンス、オオタ、NJ、オカムラ、愛知機械等)や60年代に乗用撤退したメーカー(日野)も対象外、ベースモデルが他社となる光岡も同様ですので宜しくお願いします!

※長文になるので前編/後編に分けています。

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(トヨタ)
60年代に安定の人気を果たしたトヨタ、既にシュア1位、50%に届くシュア等で盤石な地位を築いたのが70年代でした。

初代パブリカで国民車構想に応えこれを発展させたカローラでマイカーブームを牽引、そのカローラを更に育て世界戦略車に成長させ莫大な利益をもたらすモノとし国内ではどこの家庭にもカローラがある、それが当たり前の光景でもありました。

↓69年から国内販売No1の座を明け渡さないドル箱に成長したカローラ!


そして60年代に学んだワイドレンジ、ワイドバリェーションによるユーザーニーズに的確に応える布陣で車種ラインナップを更に充実、幅広いクラスに万編なくランナップする事による“グレードアップ”戦略をし敷設、パブリカのユーザーをカローラに、カローラのユーザーは更にその上のクラスに誘導、成長するのみと信じられていた時代にマッチするこの作戦は大成果を得、現在に見られる1強時代の基礎を築いたのが70年代のトヨタでした!

これに合わせ割賦販売(ローン)の普及にも積極的に取り組み若年層にも気軽にクルマを持てる環境を整備、ソフト、ハード面からクルマを欲しい!という欲求に応える努力は相当なモノで“販売のトヨタ”の名に恥じない展開をします。

このグレードアップ作戦により様々な新車種もリリース、カローラ〜コロナ間を産めるカリーナ、そしてこれをベースとする新ジャンルのスペシャリティーであるセリカ等のリリースは1億総中流意識、若年層に訴求するリーズナブルなスポーツモデルの提供は時代にマッチ、トヨタファンを大幅に拡大しました。

↓若いファミリー層に大きな支持を受けた初代カリーナ


↓カリーナをベースにスポーティ要素を加味、安価でスポーツカーの走りを提供したセリカ!


70年代初頭は60年代から引き継ぐスポーツカーブームにもきめ細かく対応、その筆頭がセリカでトヨタ2000GTや1600GT、マークⅡ2000GSSから継承する高性能DOHCエンジンをメインにしながらベースを大量生産するカリーナにする事から安価での提供を可能(このようなモデルをスペシャリティカーと命名)とし若い世代に大人気を博します、また、従来モデルであるコロナ、そしてカリーナもスポーティなHTモデルやDOHCモデルを配置、大衆車であるカローラやスプリンターにもレビン/トレノとしてDOHCモデルを設定、セリカをメインに日産にやや遅れたイメージだった部分をにモータースポーツ積極的によりトヨタ=スポーツイメージを高めました。

↓大衆車にDOHC、絶大なインパクトだったスプリンタートレノ


こうしたスポーツ路線も73年に発生した第一次OILショック、そして75年に施行された排ガス規制によりトヨタに限らずにこうした傾向は沈静化、新たな時代のトレンドを模索する機会を止む無く与えられます。

トヨタはこの時期脇目を振らずに施したラインナップ拡大とスポーツ路線への傾倒戦略のツケが廻り他社がいち早く省燃費、低公害にシフトした事に遅れを取り苦しみますがその風穴を高級車やRVに見い出し従来から定評ある我が国を代表する高級車に成長したクラウン、そしてハイオーナーカーであったマークⅡをよりクラウンに寄せた戦略にキャラ変更し富裕層に訴求、また、ライフスタイルの変化に合わせ多人数乗車のワゴンや4WDモデルを70年末期までにラインナップに加えます。
これらは従来の商用車をベースにして乗用、若しくはそれに準じた仕様に仕立ててオーナードライバーに訴求し成功を収めました。

↓コロナのスポーティバージョンを決別しクラウン路線の高級化を果たした3代目マークⅡ


↓新たなファミリーカー、そしてレジャーベースとして発売したタウンエースワゴン!


このように時代が前半と後半では大きく様変わりした自動車業界、特に後半は手隙であった環境対策、燃費対策で他車に遅れを取りやや勢いを失速したトヨタでしたがこの苦い経験が80年代の巻き返しと90年代の絶対地位の確立の基盤になったと言えるでしょう。

※他のトヨタ70年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・ライトエース(70y)・パブリカスターレット(73y)・タウンエース(76y)・チェイサー(77y)・セリカXX(78y)


(日産)
“技術の日産”で60年代を歩んできた日産、トヨタとは一線を画す先進的技術とそれを如実に示すモータースポーツでの活躍から腕に覚えのあるクルマ好き、ドライブ好き等に好まれていました。
その日産の個性を基に70年代の日産はワイドレンジ、グレードアップで支持を拡大し僅かに先を行くトヨタ1点に照準を定めた展開を試みます。

しかしその手法はトヨタの後追い政策、成功しているトヨタの作法を追いかけ車種編成を拡大充実、トヨタのラインナップに全て対抗させるラインナップを敷き徹底抗戦を本格化させました。

しかしファンの支持するスポーツ路線もより充実、長年オープンスポーツとして伝統あるフェアレディを69年にクローズドボディとしたZシリーズにスカイラインGTRから24V DOHCエンジンを換装したZ432、輸出用2.4Lエンジンを搭載するスーパースポーツとなる240Z等が人気、他にマツダが市販化したロータリーエンジンにも着目、これを自車開発し試作に成功し高性能エンジンの新たな可能性も模索、トヨタのDOHC攻勢に切り札として期待されました。

↓オープンからクローズドスポーツに変貌したフェアレディは70年代に大飛躍!


また日産らしく将来のファミリーカーの王道となる小型FF技術を実現、既にスバルやホンダが市販化しながら一般にまだ理解が乏しく技術的にも成熟していないFFのチェリーを市販化し先進性を示しました。
チェリーは商業的には時期尚早な部分もあり成功したとは言えないながら後のパルサー、そしてサニーのFF化に対するFFパイロットモデルとして日産にとって大きな役割を果たし80年代の小型FF化の波にトヨタに先んじて掴む事に成功、当時は大きなセールスアピールで注目を集めました。

↓大メーカーとしてはFF初参入を果たしたチェリー


カローラにリードされたサニーは日産らしい軽量ボディとスポーティさを初代から継承した2〜4代目モデルの時代、カローラにはない小気味良さを生かしクーペボディでレースでも大活躍しますが後半はDOHCを搭載してきたレビントレノに押されながらも存在感は安定、神話を築いたスカイラインの4代目“ケンメリ”やHTブームの頂点となる日本初のセンターピラーレスの4HTを高級車セドリック/グロリアに追加、クラウンの敵失もありましたが50年代にお互いが発売し切磋琢磨、代表的高級車として認知されていたクラウンvsセドリックの闘いに於いて初のシュアNo1をセドリックが獲るという偉業も果たしました。

↓廉価スポーツとしてメインの大衆車訴求よりも支持された2代目サニー


↓230型セドグロはクラウンを上回る人気を獲得!


70年にトヨタセリカ、三菱ギャランGTO、マツダサバンナにより開拓されたスペシャリティカー市場には日産は上述のREで参入を目論んでいましたが73年のOILショックで大打撃を受けたマツダの惨状を見て計画が頓挫、これに向けて開発されていた新型シルビアは止む無く既存のレシプロエンジンでデビューする事になりインパクトは激減、スポーツブーム衰退と合わせ75年にデビューした2代目は燦々たる有り様ながら79年の3代目では新時代のパーソナルスペシャリティとして歴史あるセリカ人気を超える支持を得てこのジャンルで初成功を果たしました!

↓クラスを超えた高級感と都会的お洒落さがセリカを超える人気獲得に成功した3代目シルビア


国際ラリーでの活躍から名車とされた510以来は高級化肥大路線でじり貧に落ちっていたブルーバードでしたが79年、FRセダンとしてはこれ以上ない秀逸さを披露する910型が登場、絶大な人気を誇っていたスーパースター・ジュリーを起用したCM効果もあり発売と共に大ヒット!一時はトヨタ(コロナ)、三菱(ギャランΣ)の後塵を仰いだブルの復活起爆剤となりました。

↓ジュリーの“お前の時代だ”の言葉通り70年代末期に絶大な支持を得た910型ブルーバード


トヨタ程の混乱にはならずともやはり悪夢のOIlショック、そして排ガス規制に苦悶した日産、またトヨタに追いつけ意識が強すぎ70年代前半は各モデルが大型化、豪華路線に傾倒しファンを減らす要因にもなりましたが後半に至ってはこれらの路線を見直し従来の日産にあった走りを愉しむモデルを次々にリリース、国産初のターボエンジン搭載も大きな発展となりこれを継承した80年代はターボモデルのラインナップ拡大から“ターボブーム”に火をつけこれがやがて第2次スポーツカーブームを呼び込むなど70〜80年代にかけて自動車業界に及ぼす日産の影響は多大な功績を残したと言えるでしょう!

※他の日産70年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・シビリアン(71y)・バイオレット(73y)・キャラバン(76y)・オースター/スタンザ(77y)・パルサー(78y)・ガゼール(79y)


(三菱)
69年のコルトギャランやミニカ70の大ヒットを受けいすゞを抜き去りマツダと第三勢力の座を争うまでになった三菱、REのインパクトに前半はやや劣勢ながらも70年、三菱自工発足と共に目を見張るような発展を成しOILショック打撃のマツダを中盤以降抜き去り特に76年にリリースされたギャランΣ/Λの大ヒットによりNo3の座を安定させました。

70年代は一番この三菱が発展した年代、それまでトラックメーカーが片手間で乗用車を造ってるとややもすれば受け取られる印象だったのを横綱2社を脅かす存在となりました!

60年代より積極的に参加していたラリー参戦も継続、コルト→ギャラン→ランサーに継承、タフで玄人好みのスポーツモデルも一気に取り揃えコルトギャランをベースにした70年のギャランGTO、71年のギャランクーペFTOはスペシャリティカーブームの先陣をトヨタセリカと共に築きました。

↓セリカと人気を2分したギャランGTO、国産初のダックテ―ルがからなる“Hip up cope”が注目されました!


↓レビントレノ、サニーGXを怒涛する実力はラリーで鍛えたギャラン16LからフィートバックしたライトウェイトスポーツのギャランFTO


従来型コルトギャランは73年にコロナ/ブルーバードクラスの2L級セダンに格上げ、また、ホンダによって仕掛けられた軽ハイパワー市場にも参戦、軽スペシャリティのミニGTO、ミニカスキッパーは軽自動車のイメージを一新するスポーティなスタイリングがスズキのフロンテクーペと並び現在でも称賛されています。

↓ミニGTOの軽スペシャリティ、ミニカスキッパー


75年に施行が決まった排ガス規制にもいち早く取り組み73年にはこの規制に対するパイロット版である2代目ギャランにMCA(三菱クリーンエアシステム)モデルを設定、トヨタ日産が数多くリリースしたエンジンを規制適合に向け青色吐息の時期に元飛行機屋のエンジン技術力の高さで挑みパワー低下を最小限とし規制初期に最後まで排ガスの濃いツインキャブモデルも維持していた事からこれらモデルが大手からほぼ消える中、大きな存在感を示しました。

2代目で肥大化の豪華路線に振ったメイン車種ギャランは失敗、コロナ/ブルーバードの軍門にあえなく下りましたが76年のFMCで3代目となるギャランΣ、そしてGTOとギャランHTの統合版であるギャランΛはそれまでの国産セダン、HTにないスタイリッシュさが大きな人気を呼びセダンのΣに至っては排ガス規制で評価を落とすライバルを上回る販売成績を残し大手を慌てさせた事がその2大勢力が絶対!と思われていた時代で第三勢力のモデルが革命を起こしたと言っても過言ではなかったです。

↓従来のセダンにはないスタイリッシュさでクラスNo1の売り上げを記録したギャランΣ


↓国産初の角型4灯ライト、1本バーステアリング他斬新なエクステリアで話題を呼んだギャランΛ


他にもギャランのグレードUPを補う新車種であるランサー(73y)はカローラサニーに真っ向から勝負する大衆車市場に投入するファミリーモデルながらギャランから引き継ぐラリーでの活躍が当時も今も有名、ファミリーカーとしては苦戦でありながらもラリー好きの記憶には鮮明に残る名車となっていますし後のランタボ、VR-4やランサーエボリューションが国際ラリーで活躍する下地を作ったと言えるでしょう。

↓内外のラリーで大活躍した初代ランサーラリー仕様


FTOの進化版でありかつランサーのクーペモデルであったランサーセレステ(75y)は流行のHBクーペでありこれも若年層に人気を呼び三菱の70年代は順調に発展、78年のFF戦略車ミラージュの発売を契機に2番目となるカープラザ店を発足させ大手に学び双子車政策も実施するなど大きく花開いた時代でした。

会社発足と同時に目を見張る充実を見せた三菱、大手とは異なる頑強、高品質のイメージは日本車にはなかったシャープなステアリング性能とロングストロークを特徴とするトルクフルでパンチのあるエンジンが独特な個性で大手2社では飽き足らないファンを獲得、三菱にとっての青春期で一番元気な年代であったと言えるでしょう!

※他の三菱70年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・クライスラー318/チャージャー770(71y)・ギャランΣエテルナ/ギャランΛエテルナ(77y)・フォルテ(78y)


(マツダ)
60年代にREエンジンの市販化に成功し沸きに沸く中で迎えた70年代、初頭はそのREを徹底的に売り込み浸透させる事に注力、軽自動車〜マイクロバスまでオールRE搭載を掲げてスタートしました。

REの高性能を象徴させる目的でリリースしたコスモスポーツでしたが第2弾は68年にREを廉価に普及させる目的もあり大衆車・ファミリーカーであったファミリアに搭載、コスモの10A型エンジンはデチューンされていたとは言え100psのパワー、この時代せいぜい60〜70ps程度の1200ccクラスにいきいなり100psのパワーを持つREファミリアのデビューは衝激、勿論メインは既に2代目となっていたファミリアの800/1000/1200レシプロモデルではありましたがやはりRE版はスポーツカーブームもあって注目されモータースポーツにも参戦するなど高額だったコスモとは較べ物にならない庶民的REモデルとして浸透、マツダが目論むRE角は路線は第一段階はひとまず成功を収めました!

↓夢のREエンジンを普及させたファミリアRE(プレスト)


しかしファミリアREは絶対パワーの大きさに比較してシャーシや足廻り、ハンドリングはベースのレシプロモデルと大差なく非常に脆弱、有り余るREパワーを受け止められない言わば未完成な部分が多く評価が得られませんでした。

これに危機をもったマツダは試作的に発売したルーチェREクーペ(69y)を挟み量産モデルとしては第三弾としてカペラ(70y)、第4弾にサバンナ(71y)を投入、カペラは最上級車ルーチェとファミリア間を埋める新車種、サバンナはファミリアとカペラを埋める同時発売のグランドファミリアの兄弟車種、カペラはベースに1500レシプロ、サバンナはRE専用モデル(グランドファミリアがレシプロ専用)の立ち位置を取りREを各車に添えかつ大手2社を見習うワイドレンジを敷きます。

ただ、ここで成功したのはサバンナのみ、カペラもサバンナもファミリアREから引き継ぐカタチでモータースポーツ参戦を行いますがカペラでは新開発でよりパワーのある12A型REを搭載しながらまたしてもシャシの弱さが仇となり好成績は収められずまた、車格的にも半端なイメージ、コロナやブルより格下ながらカローラサニーよりは上、カリーナや後のバイオレット等のカテゴリーではありましたがまだ特に東では弱小イメージのマツダでしたのでこのクラスの開拓者にはなれず商業的には苦戦します。

↓RE第三弾はカペラ、中級セダンの役割も持ちますが車格が半端でヒット作にはならず。


カペラに次ぐサバンナは常勝スカイラインGT-Rをサーキット王者の座から引きずり降ろした事で有名、ファミリア→カペラで学んだREパワーに対応するシャシを持ちその俊足ぶりはREファンだけには留まらない注目を集めデビュー時の人気はかなりのモノ、反面大人しさ=地味目なグランドファミリアは従来型ファミリアの先行モデルとして特に73年のOILショック以降に発展します。

↓スカG神話を崩壊させたサバンナはスポーツマニアに留まらずその獰猛なイメージから暴走族にもご用達となり数奇な運命を辿るモデルでした。


1973年、マツダにとっては悪夢となる中東の情勢不安からなるOILショックが到来、効率が良く小型でスムーズにパワーを出すREの最大の欠点はレシプロ2サイクルにも通じるOIL/ガソリン垂れ流し的な極悪燃費であったため“夢のエンジン”と持て囃されたREエンジンの存在は地に堕ち国内はもとより海外でもRE戦略を広げていたマツダには返品キャンセル等が相次ぎ倒産も視野に入る大打撃を被りRE普及を達成しかけていたな中、深刻な販売不振に喘ぎます。

しかしRE全面展開が肯定路線だったマツダは72年にFMCした2代目ルーチェもREメインとしており排ガス対策の混乱期でもあり手を打てたのはファミリア(72yからサブネームにプレストが入る)からREを廃止しBigマイナーを実施(73y)にしたりカペラのREを縮小しグランドファミリアと併せてレシプロ版を充実させる等の小手先の政策、これだけでは厳しい状況は抜け出せませんでした。
こうした状況の中、RE推し政策の変更を余儀なくされOILショック〜排ガス規制以降は比較的富裕層に訴求する高級車、スポーツカーに搭載する方針を取ります。

方針変更後の第一弾はそんなREの状況を逆手に取ったコスモの発売(75y)当時ではクラウンセドグロクラスとなる200万に近い価格設定(最上級リミデット)を施す高級パーソナルクーペとしてデビュー、“スポーツ”の名前を消し蘇ったコスモ(コスモスポーツは72年に廃盤)は燃費を気にしないハイソサィティーに訴求する高級車として人気を呼びデビュー時に記録的販売数字を上げマツダの窮地を救うモデルでありました。

↓初代シルビア、117クーペのみだった高級パーソナルクーペとしてデビューしたコスモはマツダ救世主!


このコスモの成功からマツダは78yの2代目カペラではRE搭載を封印、この後77年の3代目ルーチェ(レガート)はマークⅡローレルクラスのハイオーナーカーカテゴリーに参戦させ高級グレードにREを搭載、また78年にはサバンナをFMCし本格的スポーツカーとしてサバンナRX-7がデビュー、コスモルーチェには廉価版でレシプロも与えましたがRX-7は先代から引き継ぐRE専用モデルとされREの情熱を失わない姿勢を示しファンから熱い支持を受けました。

RX-7はOILショック〜排ガス対策以降の環境配慮や社会問題化していた暴走族問題を考慮して各社がスポーツモデルを自粛する暗い時代の中、唯一スポーツカーとして継続していたフェアレディZと共に国産スポーツ復活を告げる歴史的名車となりました。
REだからこそ成り立つFrミッドシップ、各スポーツモデルが排ガス規制で牙を失った中、その特性から規制の影響をうけにくい元気なREパワー、トヨタ2000GT以来のリトラクタブルヘッドライトに代表される誰が見ても“スポーツカー”スタイルは飢えたスポ車ファンに大歓迎を受けこれをきっかけに他車もスポーツモデル復権を察知、第2次スポーツブームに向かってゆくのでした!

↓暗い時代に光明を授けた初代RX-7の歴史的役割は偉大でした!


OILショックで苦しみなが大きな転機を迎えたマツダ、75年以降のラインナップ見直しは業績回復の足がかりとなりOILショック時には三菱に奪われた業界第3位の地位を再び狙う立ち位置に70年代後半に回復しました。

マツダにとって厳しい70年代でしたが逆にREエンジンの価値を見出すきっかけにもなり世界で唯一のRE生産メーカーとして独自のファンを築きモータースポーツでも好成績を収め続け世界から認められるメーカーに飛躍した年代でもありました。

また、REばかり目が行きがちながら業界の潮流にはしっかりと対応、2BOXブームには3代目ファミリアにて対応、省燃費から台頭し始めたディーゼル乗用車にもルーチェに搭載したりとRE以外の努力を怠らず確実にNo3を狙う下固めをしていた70年代後半は充実した時期でもあったと言えるでしょう。

※他のマツダ70年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・タイタン(71y)・シャンテ(72y)・パークウェイ(72y)・ロードペーサー(75y)


19××〜あの頃?1970年代(後編)に続く
※アップ時期未定(^^;
Posted at 2019/06/25 21:08:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧車 | クルマ

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