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2011年09月03日 イイね!

保存版・偉大なる“UP! DOWN! 野郎たち”!!! ミニカ編③

保存版・偉大なる“UP! DOWN! 野郎たち”!!! ミニカ編③
偉大なる“UP! DOWN! 野郎たち”!!! 今回はミニカ史上でも激動の改編を経験した3/4代目になります『A103A/A104A/A105A/A106A/A107A・V型ミニカF4/5/アミ55/アミL/エコノ』を取り上げながらこれのUP!!!DOWN!!!を検証したいと思います!

まずこの型=3代目4代目と分けていますが書物、ネットでは様々な見解があり

①72/10登場のF4から84/2のアミL/エコノまでを通して3代目とする説。
②このブログのように3/4代目と分ける説。(3代目F4/5、4代目アミ以降)
③F4/5を3代目、アミ55を4代目、アミL/エコノを5代目としている説。

が見受けられます…

ワタシ的にはF4と最終アミL/エコノでは360cc→550ccの規格改正による大型化の部分を差し引いても基本ボディが同一であり機構面(駆動方式や各機関のレイアウト等)も変更がなくシャシはF4が旧A100/101を踏襲したモノでこれを規格改正にて拡大しながらアミL/エコノまで引っ張っていた関係上、①の説を信じて疑わないのですがwikiやメーカーでもどうやら②の見解のようですのでこれに準じてご紹介したいと思います、何となくフに落ちませんが(-_-;)

それではまずは3代目となる『ミニカF4((A103A)/ミニカ5(C-A104A)』をご紹介します!

72/10に先代(A100/A101→F4追加でA101のみに)存命中に誕生したF4はシャーシは先代をそのまま流用、スタイリングは先代のペキっとした直線一辺倒のデザインに豪華さをプラス、丸味が味付けされ各部意匠も凝ったモノとなりました。
軽自動車と言えどもこの時期はユーザーも贅沢になってきており各ライバル車もミニカ含めその立ち位置とは似つかわしくない豪華路線へと向かっています(これが後に深刻な軽自動車離れを起こす要因となりますが…)
尚、ネーミングの『F4』の意味はメーカー発表によりますた「F」は4(Four)サイクル/Fresh Familyのからとられ「4」は4サイクルの頭文字で「4サイクルエンジンを搭載し新時代の軽でありこれまでの常識を破ったファミリーカーでありホームセダンである。」との事です…

↓華奢ながら軽量感溢れスポーティだった先代から豪華路線に転じた『3代目ミニカF4』
(写真はGL)


これまで各社、軽自動車=いかにスペースを確保しながら足車やセカンドカー、入門車としての要素を満たせるか!をテーマに送り出されてきましたが1970年を境に飛躍的免許取得人口の増加と自動車全体の登録台数の極端な増加により“ファーストカー”をも満たし、普通車、特にすぐ上級となるこの頃の言葉で言う「大衆車=カローラ、サニー、ランサー、ファミリア等」と勝負できる外観やイメージ、装備を施し“1億総中流化”の時世に乗り軽自動車の拡販に乗り出した訳です。
これによりミニカはもちろんホンダN360→ライフ、スズキフロンテやダイハツフェローマックス、スバルR-2→レックスとどれもこの時期に新モデルに切り替わりその出で立ちは過剰装飾と上級車真っ青な贅沢なラインを採用したボディデザインとなりどれもかつての見るからに文字通り軽そうでお手軽なクルマ!のイメージではなくなりました。

ミニカF4も先記の通りその例に漏れず先代のイメージは残しながらも丸味帯びたデザインはひと回りクルマを大きく見せ重厚感を印象付けるモノながらワタクシ個人的には重々しくデブになった感じでスッキリした先代に魅力を感じます。
内装やインパネも格段に豪華なイメージとなり上級グレードでは木目パネルを多用したりソフトバッドも採用し大衆車のインテリアと何ら遜色ない仕上がりになっていました。
外観に関して言えば所詮軽自動車なのですから上級普通車のように何も大きく立派になんて見えなくてもいい、スッキリと軽快感がある方が軽自動車分相応って感じで当時でも「何か違わない?」と子供心に感じたモノでした~。。。
まぁ、時代がOILショック前の贅沢という事にばく進中の頃ですから各車こうなっていったのは“時代のトレンド”で致し方ない事だとは思いますが…
尚、価格においても立派になりミニカF4では最上級の『GSL』では47万円まで上昇、先代の上級スーパーDXからは10万円近く上がりこれは上級大衆車のパブリカやコンソルテの1000とほ同じ水準!!
もはや普通車の価格領域に突入した点も驚きでしたが同時期のライバル車全てが上位グレードは上級車と肩を並べるか上回る価格設定となっています。

それではF4、A103Aのモデル概要です。

(サイズ)
全長2995全幅1295高1315 (以上mm)
(車重)
515kg=GL
(定員)
4名
(エンジン)
2G21型4st水冷直2OHC 360cc シングルキャブ32ps ツインキャブ36ps
(駆動)
FR
(ミッション)
4速フロアMT
(脚回り)
Frストラット式独立懸架/Rr5リンクコイルリジット
(ボディ)
2ドアHB/クーペ(スキッパー=先代継続)/バン(先代継続)
(バリェーション)
ハイSTD/DX/スーパーDX/ES(スポーティDX)/カスタム/GL/GS/GSL

価格=470,000円(GSL)

サイズは軽ですので長さと幅は従来と同一、高さは低くなっています。
この全高は後年これと先代を較べてみるとヘッドスペースは明らかに狭くなっておりスタイル優先の退歩だったと思います。
イメージ的には旧スキッパー(全高1275mm)に近い感じでスキッパーならばクーペなのでその辺は問題外でしょうがファミリユースに使用するクルマとしては少々キツくてただでさえ狭い後席は初代、2代目と続いた~少しでも広くしよう~というメーカーの良心は感じられない、そんなモデルでしたねー。
また、ベースモデルですら先代より若干ウェイトが増し、パンチ力では先代の2stから劣る4st化で俊敏な走りも若干ながらスポイルしています。
実際、F4のドライブ経験から言いますと先代とは出足や登坂では結構差があり非力までは感じなくともどことなく頼りなくその代り静粛でトルクも出ており先代の忙しいギアチェンジからは解放されていたという印象が残っています!

F4となり最も変化したのが搭載エンジンで前回の“偉大なる“UP! DOWN! 野郎たち”!!!…28” でも触れました通り長い間2stで生きてきたミニカ初の4st化です。
時代が環境や騒音の面から既に2stは許さない状況となっておりそれに応えた新開発エンジンの2G21型は通称“バルカンエンジン"と呼びサターン、ネプチューンに続く三菱得意の天体シリーズ、その後上級エンジンにアストロン、シリウスが命名されミニカ/ミニキャブのバルカン、天体の末弟でした。

↓新開発の360cc 4stエンジンであるバルカン2G21型


シャーシが先代を継続していますのでFR機構やサスは先代を継承、スタイルの関係と実際出力ダウンしたエンジンながらもFRで機敏な走りとダイレクトミッションがカチっと決まる清々しさはF4でも健在です!

↓旧A100/101と同一のFrストラット/Rrリンク式の脚廻り



余談ですが84年までこの脚回りとシャーシは変更されていないのは先記の通りでさすが最終では古臭い部類になってはおりましたが69yにデビューしたこの機構が80年代まで通用したのですから如何にA100/101の設計が優れていたか!!という点に今更ながら感心します!

F4のボディバリェーションは1種+2であり+の部分は先代を継続したバンとスキッパーになっています(詳細は全回ブログをご覧下さい!)

F4では先代がテールゲートを設けた3HB形式だったのに対しRrガラスハッチ式に変更し2HBとなりました。
まだまだこの時代、テールゲート=バンのイメージがありこれを避ける変更だったようで確かに見かけは高級っぽくはなりましたが開口部の面積縮小で使い勝手や積載上ではどうだったのでしょうねー、さすがにワタシも先代とF4に荷物の載せ較べはしていないので何ともですがイメージ的には退歩という感じがしないでもないです…

↓先代のポリシーは受け継ぎながらもガラスハッチのHBに変更!



F4でも先代同様に2種のグリルデザインを採用、ベーシック(廉価版)/ファミリー系に丸目2灯式ハニカムグリルを、スポーツ/高級系に丸目2灯+フォグに縦縞グリルで分けられていました。
ベーシックはハイSTDを、ファミリーにDX/スーパーDX/ES(スポーティDX)を、高級にカスタム/GLを、スポーティにGS/GSL設定しておりスポーティのみツインキャブ36psを搭載し他はシングル30psバージョンとなっていますがESのみ、スポーツ系最廉価としてカタログでは30psながらスポーティ系に入れられています。

↓2つの顔を持つF4!!(㊤ベーシック&ファミリー/高級系㊦スポーツ系)



余談で細かな事で恐縮ですが最廉価の『ハイSTD』という名称、コレ不思議で仕方なく未だに不思議で笑えるグレード名です(汗)
この時代、ほぼ全ての車種が最廉価グレードを『STD』としておりその上が『DX』、そしてそのまた上が『GL』とか『ハイDX』というグレード名でしたが聞き慣れない?ハイSTDって何?って感じで???
F4に『STD』があるならこれも理解できますがハイSTDが最廉価でしたので“んじゃ何でわざわざハイを付けるんか!”みたいな???DXもあるのに何でやって…
後続のアミになってもラインナップしていましたがハイ=より高級なSTD…いやー、未だに納得できません(爆)

それではA103AミニカF4のモデル改歴です。

(73/10)
MCで後期型となります。
Frフェンダープレスを小変更しベーシック/ファミリー系の丸目2灯グリルを意匠変更、丸2のままながらopにて角型フォグがチョイスできる仕様となります。
また安全対策から全車に助手席ヘッドレストを装備、一部グレードの装備充実がなされ同時に来る排ガス対策と急激に落ち込んだ軽スポーティ需要の減退から36psツインキャブエンジンを廃止、GSLとGS、そしてESもカタログ落ちします。
また、従来のシングル32psも48年排ガス対策から30psにダウン、これに伴うドライバビリティ低下を補うためエンジンチューンを変更、ギア比をローギアード化しています。
廃版となったGSLの装備や意匠を持ちながら30psエンジンの『SL』を新設定、唯一のスポーツ系として残しています。
尚、併売していた先代A101ミニカ73はこの時製廃となりました。

(74/7)
スキッパーが製廃となりセダン鈑は完全に代替わりとなりました。

(74/12)
2G21型エンジンに後に三菱全てのエンジンに採用されるバランスシャフト(後の三菱の通称=サイレントシャフト)が初採用され通称を「バルカンS S=サイレントの意)とします。
クランンクシャフトと逆に2倍速で回転するこのバランスシャフトにより振動を抑え4気筒並の静粛性を実現!と高らかに自信を持って送り出された新2G21型エンジン、4気筒の静けさは誇大広告の気もしますが振動は確かに軽減されておりこの時期の軽ではもっとも振動が少ないエンジンとして注目されこれに気を良くした?三菱は2Lのアストロン→1.6Lサターンetc…と次々にこれを内蔵し一時期は同社エンジンの最大の特徴、売りでもありました!

↓バランスシャフト(サイレントシャフト=赤い部分)を内蔵し低振動化!!


尚、この時にバリェーション整理が行われハイSTD/DX/スーパーDX/カスタムの4種にまとめられスーパーDX以上がフォグ付、以下が丸目2灯の設定とされています。
同時に軽自動車ナンバー大型化に改正(現行の黄色プレート)に合わせナンバー取付部を変更、バンのDXに以前のスキッパーの顔であったフォグ付丸目4灯ハニカムグリルを装着、STDは従来通りミニカ73と同一。

↓スキッパー顔を移植した74/12~のバンDX


※(76/1)
法律による軽自動車規格が改正、それまで全長3000mm、全幅1300mm、排気量360cc未満と定められていた軽自動車規格が見直され全長3200mm、全幅1400mm、排気量550cc未満と拡大された新規格が制定されます。

ここからミニカ5(C-A104A)のモデル改歴となります。
(76/4)
規格改正に合わせた新モデルへMC、車名を『ミニカ5(ファイブ、型式C-A104A C=51年排ガス対策を示す)』とします。
但し、新規格に完全対応するには準備期間がなく暫定的な措置としてボディはF4のままでエンジンを500ccに拡大、全長を新規格にするため大型バンパー採用としたのがミニカ5(型式C-A104A)でした。
暫定と言えども新規格に真っ先に対応し各社に先んじでデビューしています。

↓暫定デビューした“新規格”の『ミニカ5』



この頃は各社、排ガス対策に追われる時代でとても新規格専用の軽自動車を開発する余裕はなくミニカ5以降、他社も暫定新規格で取りあえずお茶を濁しホンダは軽市場から撤退、ダイハツはミニカ5同様にボディはサブロクのままバンパー大型化のハリボテながら一気に550cc化、スズキ/富士重は500ccながらボディを規格一杯までもってきておりライバル他車に較べるとボディもサブロクのまま、エンジンも500ccというミニカ5は少々不利な立場でした。
しかし悪名高き50/51年規制でエンジン出力、ドライバビリティもサブロク時代より低下するという悲惨な状況下でしたからかえってサブロクの小さいボディのままだったミニカ/フェローマックスがこの中でもまともに走れたのではないかと!?!?

500ccになり排ガス対策を施された新エンジンである2G22型は30psと360時代と同一となる出力、上級大排気量エンジンですらもっさりしなかなか回転が上がらないという50/51年対策特有のストレスはありましたがそこは軽量なる軽自動車!普通車のように目を覆いたくなるまでの悲劇ではなく360時代の無理矢理パワーを絞り出す一種のテクニックは不要となりトルクフルな現代に通じる扱い易いエンジンになっています。
2G22はサイレントシャフトはもちろん健在でEGR/触媒コンバーターによるMCA-51システムで51年規制適合を果たしています。

↓“ニューバルカンS”と銘打った51年規制適合の2G22型MCAエンジン


ミニカ5のモデル概要は下記の通りです。

(サイズ)
全長3130全幅1295高1315 (以上mm)
(車重)
540kg=カスタム
(定員)
4名
(エンジン)
2G22型4st水冷直2OHC 500cc シングルキャブ30ps MCA-51(51年排ガス規制適合)
(駆動)
FR
(ミッション)
4速フロアMT
(脚回り)
Frストラット式独立懸架/Rr5リンクコイルリジット
(ボディ)
2ドアHB/バン(先代継続)
(バリェーション)
ハイSTD/DX/スーパーDX/カスタム

5となり外観上は先記のように大型バンパーが装着され頑強/精悍なイメージとなりグリル意匠も変更、他に安全対策(各警告灯の設置等)も施されます。
一方、A101Vとして先代を継続していたバンモデルもこの時にミニカ5同様ボディはそのままに大型バンパーを採用し2G22型500cc(商業用チューンで29ps仕様)を搭載した『ミニカ5バン(H-A104V H=商業車51年排ガス規制適合を示す)』にMCしています。

ここから4代目と謳われるミニカアミ(C-/E-A105A)のモデル改歴となります。

(77/6)
暫定新規格だったミニカ5から大幅なチェンジで4代目となる『ミニカアミ55(C-A105A)』に切り替わります!
ミニカ5は“暫定”の悲しさから僅か1年2カ月のみの存在でした。

↓77/6、大幅チェンジで完全新規格化した『ミニカアミ55(XL)』


アミ55はシャーシを先々代のA100系をベースに新規格サイズに拡大、ボディはF4/5を基本的には継承しますが拡大された事とボンネットやRrクォーターパネル、エンドパネルなど一部プレスラインを変更しインパネやインテリアも新デザインとしているためFMCと定義しているようです。
しかし冒頭で述べたように基本的な部分ははF4/5を継続しておりドアやガラスなどは変更はなくボディセンターを走る特徴的なデザイン上の遊びであるラインもF4そのままでした。

ミニカアミ55のモデル概要は下記となります。

(サイズ)
全長3175全幅1395高1315 (以上mm)
(車重)
565kg=XL
(定員)
4名
(エンジン)
2G23型4st水冷直2OHC 550cc シングルキャブ31ps MCA-51(51年排ガス規制適合)
(駆動)
FR
(ミッション)
4速フロアMT
(脚回り)
Frストラット式独立懸架/Rr5リンクコイルリジット
(ボディ)
2ドアHB/バン(先代継続)
(バリェーション)
ハイSTD/スーパーDX/GL/XL

上記のようにサイズは新規格フルサイズ化がなされバンパーだけの水増しだった5と比較して格段に堂々とした印象となっています、特にこの拡大は後席スペースの居住性に現れそれまで小さく縮じこまりながら後席に押し込められる というイメージから踏ん反り返るまではさすがに無理でも大人二人が何とか普通に座れるレベルにはなっています。

エンジン縦置き+FR駆動等、基本の機構部分はF4/5と同一、エンジンは2G22を50ccスケールアップしこちらも規格いっぱいの550ccとなる2G23型を搭載、もちろんMCAによる51年規制で出力は1psアップの31psとなりました。
しかしボディ拡大の車重増で1ps程度のアップは何の意味もなくアミ55のドライバビリティは5でも頼りなかったところますます鈍重になってしまいワタシの知る限り、歴代ミニカの中でこのアミの51年規制モデルが最も最悪な走りだったと思います、特に登坂では大した坂でもないのに息をついてしまい坂道発進でも苦労する程のモノで憎ってき51年規制!がこのモデルでも感じました。
いくらサイレントシャフトを内蔵していてもこう非力だと吹かしまくらないと走らない為、殆ど意味はないじゃん!!そんな風にに思いながら走らせた記憶が残っています…

尚、バンに関してはボディや外装はミニカ5バンそのままに550ccの2G23に換装し『ミニカ55バン』となっています。
55バン、相変わらず69y登場のミニカ70バンそのままの旧規格ボディでこの頃になると~まだ造るの?~的イメージでしたが後年ワタクシ、一時足に使ってましたがその小ささとFR、バン故の固い脚廻りと軽量さからアミとは違い結構俊敏に走り小排気量とウェイトの関係がいかに大事かを学んだモデルでもあります。
55バンは後続の商用バンモデル、エコノがデビューする81/9まで生き続け実に12年の長寿を誇りました!

↓サブロクボディのまま550ccを搭載し“俊敏”だったミニカ55バン


アミは全体イメージはF4/5を引きずりますが新意匠のFrフェイスは豪華イメージを強くした彫が深い横線グリル、テールは大型化されたテールランプがやはり高級な印象を与えます。
ボディカラーもメタリック系を多く設定、インパネもダッシューボード全体を引き下げ視認性を挙げた新デザインとなりインテリアも明るい色合いを使うおしゃれな風味になっています。
グレードは見直されあのおかしなネーミングの“ハイSTD”は健在、何故かその上にDXを飛び越えるスーパーDXを設定し上級にGLを、最高グレードにはXLを位置付けしています!

↓ミニカアミのラインナップ!!


↓新デザインとなった現代的なインパネ(XL)


ガラスハッチ式のHBはF4/5を継承しますがRrシートがスプリット式となりより多用途性が高まりました。
普通車ではもはや異端児ではなくなっていたHB+分割可倒式シートの組み合わせは軽ではミニカ唯一でありまだこの時期はRRだったスバルやスズキ、FFながらHBではなかったダイハツに差を付けるアミの最大の売りとしてアピールしていましたねー、小さなボディのRrガラスが開こうがシートが倒れようがあまり実用性はないとは思いますが小さいからこそこれは大きな使い勝手にもなり後年、全ての軽乗用がこの形式になっていますので以前にも述べましたが69yからこれを採用したミニカ、アッパレですね(^^)

↓より多用途になった唯一のRr分割可倒式シートを最大限アピール


アミとなって新採用された一つにトルクアーム式サスがあります。
サスペンションそのものはA100系から継承するFrストラット/Rrリンク式ですがミッション~デフまで長いトルクアームで結び高速時のこもり音や瞬間的ショックを吸い取るのに有効というモノでした。
まぁ、これが生きる速度域までのドライブ経験はないので独特な思想のこのサス?Dシャフト?どうだったんだろう?と思います…

↓新採用の“トルクアーム”(赤い部分)


(78/9)
排ガス対策に有利な希薄燃焼を可能とした三菱独自の第三のバルブ→JETバルブを採用し『MCA-JET』システムにより53年規制に適合します。(型式E-A105A E=53年規制適合を表す)
MCA-JETとなりこの時期から始めた乗用モデルのエンジン呼称変更が行われエンジン型式を『G23B型』と改めます。(従ってバンは53年規制適合になりますが呼称は2G23型のまま)
G23Bとなりタイミングチェーンをより静粛性を高める目的からベルト駆動に改良、アルミ製ロッカーアーム採用などエンジン自体の軽量化に取り組みました。
これによるものと完成された排ガス対策のためか53年規制のアミは51年と較べ目に目に見えてドライバビリティは向上、あのなかなか回転の上がらないストレスもかなり軽減されています。

↓新搭載されるMCA-JETにより53年規制に適合したG32B型エンジン


G32B型のスペックは51年規制の2G23同様の31ps(トルク4.1kgm)と変更ありませんが乗り較べると差は激しかったです!

↓派手なストライプ(op)でMCA-JETをアピール!


(80/8)
ガラスサンルーフ付モデルを追加。

(81/2)
低価格モデルのユーティリカを追加設定します。
ユーティリカは79yに徹底したコストダウンと商用モデル登録とし節税もアピールし爆発的人気を得たスズキアルトに対抗したアミのコストダウンモデル、アルトの470,000円に対し518,000円とまだ高価でありましたがアルト独走態勢だったこの時期に一石を投じています。

(81/9)
アミとなってから既に4年を経過したミニカ、この4年の間に軽自動車界は劇的な変化がありアミデビュー当時はクラス最大のラゲッジルームと使い勝手を誇っていたもののダイハツ、スズキがFF方式に転換しラゲッジは当然、居住性をも上回る車室空間を得、これに伴う新世代のサスペンジョンも採用されベースが69yのミニカは非常に苦戦する状況となってしまいました。

少々話がミニカから脱線しますが79yに5代目SS30/40型にFMCしたスズキフロンテのバリェーションモデルだった初代アルトはそれまで競って普通車の余裕や豪華さを追求しその結果、贅沢に割高になり過ぎ普通車をも上回る価格帯となっていた軽自動車は本来の目的を失い人気ダウンとなっていたのを危機と捉え真摯に反省、もう一度真面目に「軽自動車の役割」を見つめ直し停滞してい軽自動車市場を力付けるエポッキメーキング的な存在になり軽自動車ユーザーが多少維持費の違いだけならより車室空間やパワーに余裕がある普通車に流れるといった現象を抑え手軽でアイディアとコストダウンにより470,000円という当時70~80万円台になっていた従来の軽乗用と較べ大幅に格安な事から若い世代のファーストカー、増え続ける女性ユーザー、セカンドカー需要層に支持を得、大人気となり再び軽自動車が見直される大きなきっかけとなったモデルでした。
落ち込む一方の軽自動車の販売を危機に感じたスズキが血の滲む努力でフロンテをコストダウン、また軽自動車No1メーカーらしく独自の調査から ~普段、軽の乗員は一人か二人~ という結果を踏まえ本来のセカンドカー、足代りという点に立返り元々荷物スペース重視の軽商用モデルに注目、アルトは前席優先の商用登録とし軽の場合は商用と乗用に見かけにあまり差がない事も逆手に取り4ナンバーながら一般ユーザー向けに発売、維持費は5ナンバー乗用にに比較して当時は現在の税制以上に安く軽の場合、商用であっても車検は2年という事もありこの方策は大当り!!となった訳です。
商用の場合、車室と荷物スペースに割合が決められるため後席は幼児でないと座れない狭さながらセカンドカー的使用や若いお母さんが幼い子供を乗せるにはなんら不自由はなく後はRrサイドウィンドゥに荷崩れ防止用バーが存在する程度で見かけは2ドアHBスタイルと殆ど変わらずかえってバンのためテールゲートが大きく積載性に優れていたのも目から鱗だった気がします。
フロアカーペットすら省かれ鉄板丸出しの室内、最低限の装備でウィンドゥウォッシャーすら電動ではなくゴム状のS/Wを揉んでその圧力で吹き出すという徹底したコストダウンの賜物である47万円!いやー、感嘆しましたぁ。

↓79/5、ホンダN360以来の軽自動車界に革命を起こした『初代スズキアルト』


話しが逸れましたがこの辺でミニカに戻ります!
(ここから4代目後半のA107A/同V ミニカアミL/エコノのモデル改歴となります)

ご紹介したアルト、発売以来爆発的ヒットとなり正に唯我独尊の一人勝ち状態、そこで各社これを指を加えて眺める訳にはいかず三菱もアルト対抗を目的とした大幅なチェンジ=ビックチェンジと銘打ったMCをミニカに施しアルトを倣った商業バン登録となる『ミニカエコノ(A107V…排ガス規制記号はここから省きます)』及び5ナンバー乗用の『ミニカアミL(A107A)』を81/9より発売しました。

↓81/9~の『ミニカアミL』㊤/㊥㊤と『ミニカエコノ』㊦/㊥㊦





アミL/エコノ両モデルは旧アミ55のMCではありますがBピラー後部は新デザインとされた大幅変更モデル、エコノはアルトに対抗するためそれまでのガラスハッチではなく本格的テールゲートを備えるライトバンとされています。
これにより12年間、ミニカの商用として活躍した55バンは製廃、エコノに代替わりとなっています。
アルトの成功以降、軽はもちろん小型リッターカークラスにも影響を与え専用のライトバン開発をやめHBモデルと共有ボディにしコストダウンを図る方式に移っていきます。
スターレットやカルタス、シャレードなどのリッタカーのバンモデルもアルト方式が取られ普通車の場合1年車検になってしまう点や積載スペースがやはり専用設計のバンボディと較べるとどうしても劣るためやがてこれら乗用ベースのバンは普通車からは廃れていきますが軽自動車ではしばらくこれがメジャーになりミニカエコノを始めダイハツミラクオーレ、スバルファミリーレックス→同コンビなどアルトを倣いいずれも40万円台後半~50万円台前半の低価格軽ボンバンが一時流行しました。

アミLは低コストをエコノに任せ旧アミ55の豪華路線を踏襲、Rrハガラスハッチのままながら新デザインの角型テールランプを採用、Frフェイスもエコノを含め異形角型2灯ライトとしイメージを大幅に変えています。
フェンダー、ボンネット、ドアはデザインベースはF4時代からの流用ながらBピラー以降は直線的なラインが採用されRrサイドウィンドゥも角ばった大型のものになっています。
このRrスタイル変更によりこの部分が拡大されホイールベースを延長し全長はアミ55の3175mmを規格ギリギリまでサイズ拡大をし高さも30mm上げられ居住性を改善しています。

搭載エンジンはアミLにG23B、エコノは2G23と呼びが違う同じエンジンをアミ/55バンから継承しますが低速重視のチューンに変更されています。(スペックに変更なし)
また、この時にミニカでは初となるイージードライブが可能となる2速セミAT仕様がアミL/エコノ両モデルに設定、この時期の軽の主流ユーザーだった女性に訴求しています。

(81/12)
エコノに2シーターを追加。

(82/5)
完全な女性仕様(内装の柄や色合いなど)とした『エコノ・マリエ』及びより低価格の498,000円である『エコノ・Sスペシャル』を追加設定。

(82/12)
小変更が行われ三菱のシンボルマーク変更によりグリルセンターにあったオーナメントが廃止され新シンボルの【MMC】エンブレムをグリル右にオフセット配置する新たな顔付となりこれが72yのF4から続いた3/4代目モデルの最終型となります。
この時、アミL最上級となる『CX』が追加設定、CXにはリモコンミラーやカセットステレオが標準装備された高級バージョン。

(83/3)
この時期三菱が掲げた“フルラインターボ”の末端を形成する軽自動車初のターボモデルを追加、これにより軽~大型トラック(グレート)・バス(エアロシリーズ)まで内製(三菱重工製)ターボチャージャー搭載モデルをラインナップするという“三菱フルラインターボ”が完成、国産初のターボ搭載は日産に先んじられましたがその後怒涛の勢いでターボ搭載モデルをラインナップしフルラインターボの完成で「三菱=ターボ」のイメージを築いたのは有名な話しです!

世はまさにターボブーム真っ只中のこの時代ですからミニカのターボ化は注目されF4時代から地味な印象が拭えなかったミニカのイメージを変え今まで見向きもしなかった当時の若い世代(つまりはワタクシれの世代)や走り重視の層にも注目を集めました!

↓軽初のターボモデルも加え最終型となってようやく注目を集めました!
(左からアミL・CX/エコノ・ターボ/アミLターボRr/アミLターボFr インパネはアミLターボ)


(83/4)
認可となったドアミラー装着モデルをラインナップします。

↓ドアミラー化されたアミLターボ㊤とエコノターボ㊦



注目のターボは従来のG23B型にターボチャージャーを装着、性能はグロス39ps/5.5kgmというもちろん軽としては当時では破格の性能でありこのアミL/エコノ・ターボがきっかけになり後年、アルトワークスやミラTR-XX、ミニカダンガンといった第二次軽ハイパワーブームに突き進んでゆく事になります。
これら後発の64psを誇るハイパワーミニに較べると30ps代のpsとまだ電子燃料噴射装置が採用されず加圧式キャブレター式ターボというのも振り返れば奥ゆかしい感じですが当時は軽、ミニカといえども後ろに付かれるとターボモデルの特徴であるボンネット上のパワーバルジをよくミラーで確認したモノです、バルジがあると侮れない怖さ?がありました(笑)

(84/2)
シャシベースのH100系からは15年、ボディベースのF4からは12年を経た3/4代目ミニカは遂にベースから新設計となる5代目『H11A/V・H12V・H14A/V・H15A/V型ミニカ』にFMCされました!

↓15年ぶりに新設計された5代目ミニカ(前期エコノG)


69y当時はHBなど先進装備で人気UP!!!売上UP!!!だったミニカですが70年代中頃から軽自動車市場そのものが急速に縮小しミニカの人気もDOWN!!! A100系からのイメージ変更の失敗もあり71yには10万台オーバーの販売を誇っていましたがF4切り替え後の73yには約半分の5万台強まで落としその後も年々販売は下降、79y以降のアルトの快進撃もあり軽自動車界に活気が戻るもののライバル各車のように居住性に有利なFF、80年代を生き抜く新設計シャーシを持たないミニカは最終アミL/エコノ時代の82yには1万台まで販売を落としブービー賞(汗)ターボ追加で83yには2万台強まで回復するもダイハツ/スズキの足元には及ばずさすがに80年代は60年代設計のシャシと普通車でも旧態化しつつあったFR機構では限界となりH10系へのバトンタッチとなった訳です。
規格改正や排ガス規制などミニカ史上でも激変の改変が行われた3/4代目モデルはF4デビュー~最終アミL/エコノまでどうしても地味な印象がつきまとい12年間、DOWN生涯だったと思います…

かつてはダイハツと首位争いまで演じたミニカ、その人気UP!!!再来に期待を背負ったH10系5代目ミニカの活躍は如何に!

(次回5代目H11A/V・H12V・H14A/V・H15A/V型ミニカに続く)
Posted at 2018/05/27 16:21:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | UP!!DOWN!! | クルマ
2011年09月02日 イイね!

保存版・偉大なる“UP! DOWN! 野郎たち”!!! ミニカ編②

保存版・偉大なる“UP! DOWN! 野郎たち”!!! ミニカ編②偉大なる“UP! DOWN! 野郎たち”!!! 引き続きミニカの歴史を振り返りながらUP!!!DOWN!!!を検証したいと思います!

今回は『2代目ミニカA100/101・A100/101V型(サブネーム=ミニカ70/71/72/73)』を取り上げます。

軽自動車としては異色?なFR機構を採用し上級の3BOXセダンのテイストを生き写しにした初代ミニカLA型、発売時はクリフカットの独特なデザインと当時のライバルに較べより現代的な洒落っ気で話題になりながらも1000cc大衆車を主としたマイカー元年(65~67年頃)以前の軽自動車ブームで雨後のタケノコのように次々デビューするライバル他社の攻勢に徐々に霞み特に軽自動車界に革命を起こしたとされる67年の ホンダN360 の前で完全に撃沈!Nコロ(N360)はそれまでベストセラーで鳴らし今も“てんとう虫”の愛称で親しまれる『スバル360』すら駆逐する勢いでミニカごときでは歯が立たないのが当然のように受け止められ当時の三菱重工(70y~三菱自動車工業)は“打倒N360”を目標にして2代目ミニカを69/7にデビューさせました!!

“打倒N”は三菱だけではなく富士重もダイハツもスズキもこれを掲げNが最大に受けた理由=安価でスポーティ、高性能 という部分を徹底的に検証したモデルが2代目ミニカと相前後して登場、70y以降は普通車に訪れたハイパワーブームが軽自動車界にも飛び火し新開発軽自動車にこの“ハイパワー”も加わり魅力溢れる個性派ミニが続々とデビューした原点の時代でもありました。

2代目A100/101はNコロ同様に完全2BOX化、直線基調のペキっとしたボクシーなスタイリングとなり変に3BOXを意識し最終型では分不相応にゴテゴテしたどことなく野暮ったかった初代を反省しスッキリとしたフォルムに産まれ変わりました!
そのフォルムに角型2灯式ヘッドライトに横一線のブラックアウトされた精悍な顔付と角型の可愛らしいテールランプが愛嬌を示し組み合わされています。

↓69/7にデビューした2代目『ミニカ70スーパーDX』


↓ミニカ70透視図


堅実で保守層にはそこそこ評判の高かった初代に較べNのユーザー層を意識し若者層にアピールするスポーティな雰囲気となり一気に若返っています!

尚、A100/101からは新たに『70』(1970年の意)のサブネームが付けられ来る70年代に向け気合が入っていました!!
A100/101の最大の特徴は普通車でもまだ馴染みがなく軽では初のHBタイプを採用した事でこれは上級の既発売の普通車、コルト1000F で多用途性を売りにし一定の評価を得た部分をミニカにフィートバックしたモノでよりボディが小さい軽だからこそその多用途性が大きく生きA100/101以後、可倒式シート+テールゲートという後年では当たり前になった軽自動車セダンのスタンダードとメーカー問わずになりました、現在のハイト系がメジャーになる以前の軽乗用と言えばこのタイプでしたね…

↓まだ“ハッチバック”という言葉すらなかった時代に第三のドアを最大限アピール!



ボディタイプは2種+1でHBタイプのセダンを元にルーフを伸ばし大口径のテールゲートを設けたバンと先代をそのまま継続するピックアップがラインナップされています。

↓専用バンボディの『ミニカ70バン』(A100V型)



↓先代を継続販売した『ミニカピック』(LT25型)


それではA100/101のモデル概要です。

(サイズ)
全長2995全幅1295高1345 (以上mm)
(車重)
445kg
(定員)
4名
(エンジン)
ME24型2st空冷直2 360cc 26ps/3.6kgm 最高速105km
2G10型2st水冷直2 360cc 28ps/3.6kgm 最高速110km
(駆動)
FR
(ミッション)
4速フロアMT
(脚回り)
Frストラット式独立懸架/Rr5リンクコイルリジット
(ボディ)
3ドアHB
(バリェーション)
STD/DX及びバン/ピック=ME24型搭載 型式A100型(バン=A100V型、ピックLT25型) 
スーパーDX/スポーティDX=2G10型搭載 型式A101型
価格=385,000円(スーパーDX)

A100/101でも伝統のFR駆動を継続しますがFRながら新設計モノコックの2BOXボディは劇的に後席は広くなり~普通車と何ら遜色ない~と言われたホンダNコロ以上のユーティリティを誇っていました!
これはワタシもかなり昔、A100とNコロを較べた事を思い返すと所詮“ドングリの背較べ”で足元はFFのNの勝ち、ヘッドスペースはA100の勝ちといった印象が残っています。もっとも後席に押し込まれて長時間ドライブという経験はないのであくまでもちょっと座った感じですのでアテにはなりませんが(汗)

長距離でも疲れにくいウレタンフォーム製のシートを採用したインテリアと外見同様に直線的スクエアな見切りのいいスクエアなデザインのインパネも軽自動車らしかぬ高級感とスポーティなイメージで好印象、A100と同年の69年12月にデビューしたA50系初代コルトギャランと並びこの時期三菱のデザインが飛躍的に美しくなった代表格でミニカ・ギャラン以前の堅実/実直なデザインながらともすれば走ればいいんだろ?的な野暮ったさが失せ非常にお洒落で従来の三菱車に対するイメージを180度変えるモノでしてワタシも小ガキながらにオヤジと行ったモーターショーの三菱コーナーでギャランとミニカを初めて見た時には衝撃を受けたような。。。

↓DX㊤とスーパーDX㊦のインパネ


サイズは軽ですから大きくなりようもなく全高がスポーティ&現代的を表すかのように低く抑えられています!
エンジンは先代LA系末期同様に空冷と水冷の2種を用意、空冷はLA型のME24Dを26psまでパワーアップし遂にMAXスピード100kmオーバー(105㎞)を実現しエンジン型式をME24Eとしまた、2G10も23ps→28ps、MAX110kmという性能を誇り31ps/MAX115kmのNコロに迫るモノでした!!

↓28psまでパワーアップした2G10型エンジン


この2種類のエンジンはエアクリーナーに着色しME24Eを黄色、2G10を赤としそれぞれイエローエンジン/レッドエンジンと呼んでいました!

↓レッドエンジン(2G10)㊨とイエローエンジン(ME24E)


ミッションは来る70年代に相応しくフロアシフト化、足廻りも先代が古めかしいリーフを採用していたのに対しFrにはストラットを、Rrには先進的な5リンク式を採用しました。
まだまだ普通車でも後軸はリーフが全盛の時代に一早くしなやかさを実現するリンク式の採用は三菱がミニカに賭ける意気込みを感じさせるモノでした。

↓Frストラット/Rr5リンクのサスペンジョン


それではA100/101ミニカのモデル改歴です。

(69/12)
2G10型にツインキャブを装着し内外装をスポーツ装備で固めたスポーティバージョンの『SS』(スーパースポーツ)と『GSS』(グランドスーパースポーツ)を追加、ME24E空冷最高峰の『ハイDX』も同時追加されています。
『SS』『GSS』は内装では4連メーター、3本スポークステアリング、スポーツシート等を装備、外装では丸目4灯式のFrフェイス(内側はフォグ)、砲弾型ミラーやラジアルタイヤ(GSS)が装着されopにてシートベルトも用意された本格的ミニ・スポーツバージョン。
これはL/100ps(360cc36ps)で高い人気を得ていたNのスポーツモデル、N360TSに対抗するもので2G10-2型と呼ぶツインキャブ38ps(トルク3.pkgm)の数値を叩き出し大注目されました!
これによりMAXスピードは1L普通車並の130kmを実現しホンダN-TSを上回る実力を得ています。
『SS』『GSS』は従来のユーザーとは異なる層に訴求、下の写真のように売り方も派手なイメージで押していましました。

↓HOTバージョンの『GSS』は当時クラス最高L/100ps超の38psを発生するスーパーミニ!(op付)



GSSのインパネ㊤とSSのインテリア㊦



尚、この時から従来のシングルキャブ2G10型は2G10-1型としツインキャブの2G10-2は「ゴールドエンジン」の称号が与えられています。

↓2G10-2型は“ゴールドエンジン”


同時追加のハイDXは水冷版スーパーDXの空冷バージョン的存在でした。

(70/10)
MCで70後期型となります。
同時にME24Eイエローエンジンを26ps→30psに、2G10-1レッドを28ps→34psにそれぞれパワーアップ、そして2G10-1を搭載するシリーズ最高峰となる『GL』が設定、代って『SS』がカタログ落ちしています。
GLは内装ではハイバックシート、8トラカーステレオや木目インパネ&コンソロールを、外装はGSS同様の丸目4灯式Frフェイスが装着され70年代中盤から始まる軽高級化路線の先駆けのモデルでした。
GLは東京店頭価格が425,000円。

↓新追加のGLとハイバックシートが奢られたインテリア



MCは主にテールランプの意匠変更でこれまで小型の角型のデザインが横長のバックライト含む3連式のデザインとなり高級感を高めています。

↓全車新デザインのテールランプで高級イメージ化、インパネはGL!


↓30psとなったイエローエンジン(ME24F型)


(71/2)
車名を1971年になった事から『ミニカ71』に改称、同時に水冷の廉価版『ファミリーDX』を設定。

(71/5)
クーペバージョンとなる『ミニカスキッパー(型式A101C型)』を新設定します!
スキッパーというネーミングには“船のキャプテン”という意味と不良という意味があり勿論メーカーとしては前者を意味した名付けでしたがワタクシ個人的には従来の大人しいミニカのイメージをイケイケ風のヤンチャ坊主に仕立てたスキッパー=不良の方がピッタリときます(笑)
スキッパーは前年発売の小型スペシャリティクーペで人気の『コルトギャランGTO』のイメージをそのまま軽自動車のスタイリングに持ち込み「よくまぁこのサイズで見事にクーペにしたな~」と思わせる秀逸作品!
個人的にはスーパーミニの中ではフロンテクーペに次ぐ傑作デザインではないかと思っています!!

↓小癪にもクーペデザインが決まっていた新追加の『スキッパー』(GT)



↓こちらはお手本?となったギャランGTO(72yMR)


スキッパーは単にミニカにクーペボディを載せたモノでメカニズムやエンジンはミニカを踏襲しています。
しかしそのクーペスタイルは3mに満たない全長ながらフルファストバックの流麗なデザインを実現、後席の乗員スペースをギリギリ確保するためテールエンドがどうしても尻切れ気味になってしまいますがこれをうまく処理、サイドから見てもテールをGTO的にカムテールに近ずけデザインの破綻を避けています。
ただこのままでは後方視界が極悪になる事からテールには国産初のスクープウィンドゥを採用、後方からラゲッジルームが丸見えにならないようスモークガラスを採用する等の配慮がなされていたのも特徴的!
後のホンダCR-Xや現在のプリウス、インサイトのようにルーフ~テールエンドの傾斜の緩いファストバックの後方視界確保には欠かせないこのデザイン、国産ではスキッパーが元祖です!

スキッパーは全体のデザインはもちろんインパネデザインやFrフェイスなどもオリジナルでベースのミニカと較べ高級&スポーティさを演出、小さいながらも軽スペシャリティパーソナルクーペとして高い注目を集めこの分野では先発の70y発売のホンダZ、71yのフロンテクーペ、フェローマックスHTと並び軽ハイパワーブームの一翼を担っていました。
これらモデルは360ccで無理矢理高psを出すため非常にピーキー、トルクを得るために絶えずギアチェンジを繰り返しながら狭いパワーバンドに乗せなければまともには走れない代物ですし旧々規格のタイトな運転席は極端に左にオフセットされ大袈裟に言えばクラッチペダルとブレーキペダルが干渉するほどキツイもの(実際、油断するとブレーキ踏むとクラッチペダルも踏んでたりと…)ながらこれを苦労して操る独特な感触も楽しいモノであったのも事実、特に背の低いフロンテクーペやスキッパーはカートに近い操縦感覚は印象に強く残っています!

↓スキッパーのインパネ&室内(GT)


Rrウィンドゥはハッチ式、Rrシートも可倒式とされベースのミニカの多用途性を踏襲、積載容量はクーペスタイル故にミニカよりは少なくなりますがそれでも小さいクーペを最大限活用できる便利な仕様だったと思います。

↓Rrをハッチ式とし多用途性を持つスキッパー(SL)


尚、スキッパーの概要は下記の通りです。

(サイズ)
全長2995全幅1295高1275 (以上mm)
(車重)
470kg
(定員)
4名
(エンジン)
2G10-1型2st水冷直2 360cc シングルキャブ34ps/3.8kgm レッドエンジン
2G10-2型2st水冷直2 360cc ツインキャブ 38ps/3.9kgm ゴールドエンジン
(駆動)
FR
(ミッション)
4速フロアMT
(脚回り)
Frストラット式独立懸架/Rr5リンクコイルリジット
(ボディ)
クーペ
(バリェーション)
SL、L/L、同with stereo、GT(型式A101C型)
価格=443,000円(GT)

SLをベースグレードとしLLがミニカのスーパーDXやGL、GTがGSSに準じるグレードに位置付けされますがLLを除いてそのイメージはベースにないかなりエキサイティングなモノ、ハイバックシートは全車に標準、最高峰GTにはタコメーター、砲弾ミラー、ストライプ、ラジアルタイヤが標準とされ更にopでよりスポーツ心を満たす装備もチョイスできました!

↓本格スポーツ装備が魅力のGT


↓opパーツで更に魅力もUP!!


尚、スポーツ部門はスキッパーに任せ従来のミニカからこの時点でGSSがカタログ落ちしミニカはスポーティDXが唯一のスポーツ気味?グレードで残るのみでファミリーユースモデルを主力化します。

(71/9)
従来型ミニカがMCを行いネーミングを『ミニカ72』と変更します。
72は上級グレードのFrフェイスをスキッパーの丸目4灯にハニカムグリルに統一、中級グレード以下は角目2灯を継続しながら新デザインのグリルを採用、全種インパネもスキッパーと同タイプになりテールは71と同じ意匠ながらウインカーをアンバー化、サイドエアダクトが大型化されました。

↓ミニカ72、㊨GLと㊧スーパーDX


↓ミニカ72のRrビュー(ファミリーDX)


72となり最後まで残していたスポーツイメージのスポーティDXを廃版としています。

(72/10)
次期型となる3代目ミニカF4 A103A型がデビュー、しかし三菱がよくやる新旧混在ラインナップをこの時も行いミニカは水冷2G10-1型(A101)とスキッパー、バンを従来型を継続しています。

↓72/10にデビューした新世代の3代目『ミニカF4』


継続されるミニカは新たに『ミニカ73』を名乗りますがあくまで新型F4の廉価版に位置付けられバリェーションは低グレードのSTDとDXのみ、外観ではグリルのカラー変更とミラーをF4共通の平型→樹脂製に変更された程度です。

↓モデル大幅縮小ながら継続された『ミニカ73』


スキッパーは発売2年にも満たないため外観上の変更は僅かでRrスクープウィンドゥ部に従来オーナメントのみだったところにエンブレムを追加しています。
但しエンジンはF4と同一の新開発4サイクル 2G21型水冷直2 OHC シングル32ps、ツインキャブ36psに換装されました。
これによりネーミングを4サイクルを意味する『スキッパーⅣ』に改めました!

4サイクル化はこの時代深刻化した排ガスによる公害問題に対応した変更で日本で最初の排ガス規制である昭和48年規制は2stのまま各社パスしながらも既に決定していた来る50年規制は48年のそれとは比較にならない厳しい規制数値が並び2stのままでは適合不可と判断した三菱は一早く4st化に踏み切ったものでした。

2stのパンチ力にどうしても劣る4stなので軽自動車で元気な走りを求めれば2st有利なのは承知の事実でしたが既に時代はこれの存在を許さずまた、この時期OILショックも起こり合わせて普通車、軽でも湧きに沸いたハイパワーブームは急速に鎮静化しスポーツモデルのスキッパーはそれまでのイケイケイメージを若干抑えた出で立ちとなり最高グレードGTも4st化により2psダウンの36psとなっています。

↓『スキッパーⅣ』となりながらも継続販売されたスキッパー(LL)



スキッパーⅣでは先記のようにスポーツブームの終焉もありGTは象徴として残しますがSLグレードを廃止、代ってファミリーユース的なFLをラインナップしました。

バンはこれまで空冷ME24搭載でしたがこの時からは水冷2G10に換装し型式をA101V型とし継続、初代LA型ベースのピック(最終型式LT25型)はここで廃版となり61yの三菱360ピック以来11年の歴史を閉じました。
尚、バンに関してはこの後4st化、排ガス適合、規格改正500→550ccを潜り抜け車名を『ミニカ5バン、同55バン』、型式をA104V→105V→106Vと変えながらも81年まで基本スタイルを維持して生きながらえ、様々な事情からMCできなかった最終のH42型を除くとミニカ史上では69~81yの12年の長寿を数えました。

(73/10)
スポーツモデルの逆境もありスキッパーはバリェーションから遂にGTをカタログ落ちとしLL/FLのみの2グレードに整理し安全対策の一部小変更を受けます。
ミニカ73はこれをもって廃版となり完全にミニカシリーズはF4にバトンタッチされました。

余談ですが三菱はコルト→ギャラン、ギャランFTO→ランサーセレステ、ギャランGTO→ギャランΛ、ギャランΛ→スタリオン等新旧切り替え時に併売を行っていますがこれにどれだけの効果があるのか…?
新型の相乗効果で旧型が売れるという事もなく旧型はより古臭くなるだけでラインは二つ用意しなければならなく大した意味はなかったと思うのですが何故か70~80年代はこうしたケースは少なからずあり贅沢で余裕のあった時代をつくづく感じます。
他社でもトヨタがカローラで20と30を、日産がブルーバードで510と610を併売したり一番最近で記憶にあるのはスズキのスイフトがそうだったですね…
商用モデルではよく行われこれは開発費の問題等でやむなくというのは分かりますが上に挙げた車種で事情が理解できるのは510位かな?他は新型で新デザインが最も売りになる乗用モデルでこの政策に何の意味があったのか?識者の方に教えて欲しいモノです!!

(74/7)
最後まで残っていた先代となるスキッパーが製廃、これは先記の通り急速に市場の支持を失ったスポーツモデルの衰退からなるモノでF4では新たにこの分野の開発は行われず軽本来の姿?であるファミリーモデル専属となりました!

振り返りますと2代目ミニカは70年から発足した新星『三菱自動車工業』の船出に相応しく大人気となった小型車、コルトギャランと並び高評価を得て発売翌年の70年には12万台オーバーを記録、新星三菱の基礎を築き同社の代表車種となるUP!!!ぶりでした。
スクエアでクリーンなスタイリングやハードモデル、スキッパーの存在が大きくイメージアップに寄与しモデル末期の73年でも5万台オーバーでダイハツと首位争いを演じた程の人気でした(当時の資料によればホンダ、スズキ、スバルは71年以降三菱/ダイハツに販売台数は及んでいませんでした。)

“打倒ホンダN360”の目的は先方がモデル末期だった事と後続ライフが今ひとつだった事もあり目的を達成、さぁ、この勢いを3代目ミニカF4は維持及びUP!!!できるのか~…

(次回A103A/A104A/A105A/A106A/A107A・V型3代目/4代目ミニカF4/5/アミ55/アミL/エコノに続く)
Posted at 2018/05/27 15:40:30 | コメント(0) | トラックバック(1) | UP!!DOWN!! | クルマ
2011年09月01日 イイね!

保存版・偉大なる“UP! DOWN! 野郎たち”!!! ミニカ編①

保存版・偉大なる“UP! DOWN! 野郎たち”!!! ミニカ編①偉大なる“UP! DOWN! 野郎たち”!!! 今回からは軽自動車、つい先日(2011/6)49年という長い歴史に幕を降ろした『三菱ミニカ』を取り上げていきます!

①として『ミニカ』の初代LA20/21/23型を紹介します。

初代ミニカを語るにはこれのパイロット版となる61yに新三菱重工(現三菱自動車工業)から発売された『三菱360』(LT20/21型)に触れなければなりません。
三菱360はこの時代はまだまだ“乗用車=贅沢品”という風潮があり高度成長に欠かせなかった商業車を各社重点に置いている時期、しかしながら時の通産省による国民車構想や政府の所得倍増論、そして来る高速道路の開通、新幹線の開通、東京五輪開催決定などイケイケ調子の日本で確実に乗用車需要が見込まれ始めたこの頃、まずは市場に抵抗のない商業モデルを投入しその評判を見て乗用モデルを発売する、という施策が各社取られ普通車ではダイハツコンパーノやマツダファミリアもこの手法が取られミニカもこの一例となる軽ライトバンモデルである『三菱360』をまずは発売しました!

↓61/4発売の三菱360(61yライトバン)


三菱360は戦後間もない1946年から製造を行ってきた貨物型オート三輪(三菱みずしま)と59y発売以降軽オート三輪ブームに乗り元祖のダイハツミゼットやマツダK360と共に庶民の生活を支えた人気三輪の三菱レオの経験や技術、実績を踏まえ“もはや戦後ではない”が合言葉だったこの時代、より快適で安全な運搬・運送が求められ始めかつて一世を風靡した軽・普通3輪は4輪の時代に移り替わり始めておりその風潮に呼応し開発された軽4輪ボンネットバンでした…。

バリェーションは後部ガラスが目隠しされたパネルバン(LT20)と後部をグラスエリア化した一般的なライトバン(LT21)の2種。

当時の軽自動車は限られたスペースを最大限生かすため一早く55y発売の軽乗用スズキ・スズライト(後のフロンテ→現アルト)がFF方式(フロントエンジン/フロントドライブ)、58yに誕生し軽乗用で名を上げ王者的存在の富士重スバル360(後のレックス→ヴィヴィオ等)やマツダR360→キャロルがRR方式(リアエンジン/リアドライブ)を採用し最大限室内スペースを有効に設計、これに伴い機構面やサスペンションに様々な工夫や新技術を投入していましたが三菱360は商用という点と上記車種には新技術故に付きまとう耐久性の不安やコスト高を避け堅牢、シンプル、耐久性では当時普通車でオーソドックスな“当たり前”であったFR(フロントエンジン/リアドライブ)を採用、ライバルが凝った脚廻りを採用する中でFr横置きリーフ独立、Rrリーフリジットという誠にありふれた設計がなされその分廉価でありながら耐久力や信頼性では安心感のあるモノでした。当然の如くその代償として室内スペースはただでさえ狭い室内のフロアにドライブシャフトのトンネルが陣取り後席足元はかなりタイトながらRr荷室はライバルとなるスバル360のバンが後方にエンジンがあるため荷室スペースは不利だったところ三菱360はFRの利点で荷室は広くまた、積載時は駆動輪にトラクションがかかり走行性能的にはバランスが良いとされ好評を得ました!
但し若い方に分かり易く伝えるとすれば“広い”と言っても旧々規格の3mにも満たないボディのしかもボンバン(ボンネットバン)ですから現代目線で見たらその荷室、長さはシートを倒した状態で今の軽箱バンの後席を上げた程度、横方向は約1mですからね~、今なら恥ずかしくて「ライトバン」とは名乗れないでしょう(笑)
尚、三菱360→ミニカはライバル他車が居住スペースの関係からRRやFFを採用、80年代初頭には全てがFF化されたのに対し66~70yの初代ダイハツフェロー、72~76yのマツダシャンテがFR方式を採った以外、唯一84年まで永年FRを継続していました。(軽トラ/箱バン除く)
90年代にスズキカプチーノで軽FRは蘇りますがカプチーノは趣味的要素の強い少量生産モデルでしたので実用普及大量生産としてのFR軽と言えばミニカ!的な印象がワタシら世代以上にはあるのではないでしょうか。。。

三菱360のスタイリングは何の変哲もない2BOXの2ドアバンであり直線的デザインにFrに丸味を付けた優しく愛嬌ある表情、最大の特徴はドアが後ヒンジ、前開きという部分ですネ!
まだ衝突安全基準が緩かった時代だからこそのモノですが今の軽とは較べものにならない小ささですので乗降性に最大の難があったこの時代の軽では最も有効なそれの解決手段でありこれは先人であるスバル360を見習ったものと推察されます。

↓前開きドアが特徴的な三菱360(64yモデル)


↓メーター1個に機能スイッチのみのシンプルなインパネ


エンジンは新開発のME21型2st強制空冷直列2気筒360cc 17psを搭載、パワー的には先発ライバルとほぼ同等ながら当時としては軽自動車は3速ギアが定番だったところに普及しだしたばかりのフルシンクロで4速(コラムMT)が採用され当時の軽貨物としては必要充分以上だった最高速80km/hオーバーを実現していました。

↓新開発ME21型2サイクルエンジン!


三菱360のモデル概要は下記の通りです。

(サイズ)
全長2995全幅1295高1370 (以上mm)
(車重)
490kg
(定員)
4(2)名
(エンジン)
ME21型2st強制空冷直列2気筒360cc 17ps/2.8kgm 最高速86km
(駆動)
FR
(ミッション)
4速MTフルシンクロ
(脚回り)
Frリーフ式独立懸架/Rr半楕円リーフリジット
(ボディ)
2ドアバン
(バリェーション)
ライトバン/パネルバン

三菱360のモデル改歴は下記となります。

(61/10)
ピックアップトラックモデル(LT22型)を追加。
この時代は上方向に制限がない(実際は道路運送車両法で積める荷物の高さに制限ありますが…)ピックアップ/トラックも重要モデルで上級普通車でも乗用のベースのピックアップモデルも立派に需要があり(例:コロナやクラウンのピックアップやダットサントラック=ブルーバードベースのトラック)三菱360にもラインナップされました!

↓追加設定されたピックアップトラック


(62/4)
ライトバンにサイドモール、ホワイトリボンタイヤ、ホイールキャップ、高級仕様シート、後席&荷室レースカーテンを標準装備した『ライトバンDX』を設定、従来型を『ライトバンSTD』と改称します。

↓乗用車並の豪華装備が目を見張る『ライトバンDX』


追加されたDXはまだこの時代、遊び?専用の乗用車を用意するのではなく平日は仕事に、休日はレジャーにというクルマの使い方も多く~日曜は乗用車として~という要望に応えた乗用車並の装備を与えたモノでした。
尚、三菱360の価格は・・・
ライトバンSTD=325,000円
ライトバンDX =360,000円
ピックアップ =300,000円
となっています!!

(62/10)
商業的に成功を収めた三菱360、これがメーカー手応えを感じさせ『イケる!』となったのでしょう(多分。。。)バンDXの追加などで軽乗用市場の動向を探りながらいよいよ三菱360をベースにした乗用モデルである『三菱ミニカ(LA20型)』が発売となります。
ミニカ…読んで字の如く小さい車=ミニカーが由来との事、単純明快でいい名前ですね(笑)

↓62/10、三菱360をベースに乗用モデルとして発売された『初代ミニカLA20型(前・前期型)』



ミニカはシャーシ、エンジンや機構等は全て三菱360と同一でスタイリングもFrグリルを“乗用”らしくメッキ処理した高級なイメージにリ・デザインしながらBピラーまでは共通、メーター1個のシンプルなインパネも共通です。

但しミニカはあくまで乗用車!この時代の“乗用車”=セダンを表しておりBピラー以降を新たにセダンボディに手直ししています。
セダン化のためルーフを短くしますが後席乗員のヘッドスペース確保のため着座姿勢の頭の位置ギリギリまでルーフを確保、またセダンとし必要なトランクルームも確保するため通常の3BOXデザインではこれを両立できず苦肉の策でRrガラスをほぼ垂直に切り通常のセダンデザインでは珍しいカタチをとりました、しかしこの事=Rrガラスを斜めにしない という工夫から後部にスペースが生まれトランクを確保しています。
どうしてもサイズ制約がある軽自動車で後席スペースを少しでも確保しようと思うとこのような普通車にはない変則的なデザインとなりこれはほぼ同時期に発売されたライバルの一つ、初代マツダキャロルでも見られました(キャロルの場合はRrウィンドゥは垂直ではなく逆ゾリ!!)
ミニカではRrサイドウィンドゥは通常の2ドアセダン同様に後方を斜めにデザインし垂直気味に切り立てたウィンドゥの両サイドに若干のフィン形状にアレンジ、これによりサイドから眺める視覚上デザインと実際のRrウィンドゥの角度からなる違和感を抑えた名付けて“クリフカット”と呼ぶ見栄えと後席乗員スペースの確保を両立させたスタイルが最大のアピールポイントでした!

↓“クリフカット”の美しくも機能的裏付けあるデザインであるミニカのRrスタイル


クリフカットのミニカ、かつて一度だけ乗る機会があって実車を味わいましたが外見からなるそのミニマムさからは想像できない後席スペースに驚いた経験があります。
勿論サブロク軽ですから現代目線では話になりませんが当時のセダン型軽乗用としては立派なモノ、ワタクシ的に経験のあるライバル他車はスバル360とキャロルですがこれらに較べるとヘッドスペースでは勝っていました!(その代り足元は負けてました~、まぁ、ドングリの背較べ)
後発のホンダN360から始まる2BOXには適わないながらこのサイズで一応?二人が頭を下げずに普通に乗れるスペ-スを確保しており「よくこのサイズで!!」でと設計者様に敬意を表したくなりました(笑)

↓車体後部には小さいながら立派に独立したトランクルームを備える普通車テイスト!


ミニカのモデル概要はサイズで全高が1390mmとされ車重がやや増加した以外、ほぼ三菱360と同様でエンジン、サス等も同モデルを踏襲しています、要はバン→セダン化されたのみです。(サスの味付けは360よりも柔らかいセッティングでした。)
セダン化され室内は360に較べ豪華にアレンジ!2トンカラー化された小洒落たシート柄は明るい印象で助主席(運転席)シートはまださすがにリクライニングは装備されず2段折りたたみ式で後席への乗降は背もたれを前に倒して行うモノ、但し座面も起こしてたためるため荷物スペースにも早変わりというアイディアが採用されていました。(助手席のみ)

↓明るい印象のミニカの室内


それではミニカを含めたモデル改歴に戻ります。

(63/9)
ミニカ/360共にFrを小変更、グリル内に設置していたターンシグナルをヘッドライト下に移動し視認性を高めます。

↓63/9~前・後期型となったミニカ


(64/11)
両車、再度のMCで後・前期型となります。
Frの意匠変更は前年6月に上級車種として登場したコルト(A20~型)に似せたデザインとなり従来の丸味帯びた表情から直線的で引き締まった顔付きになりより現代的に、より高級感を高めています!
また、特徴的なCピラーのデザインを変更し中央部にオーナメントを装飾しRrサイドガラスの傾斜に合わせて太いデザインとしその分Rrウインドウのフィン形状が強まっいます。
正直、従来型はRrサイドウィンドゥとRrの傾斜がアンバランスで個人的には?と思いますがようやくこの変更でよりクリフカットが映えるスタイリングになったと感じます!

↓64/11~後・前期型ミニカ


↓同三菱360バン


このMCではエンジンも換装、ME21型を基本に新たにリードバルブ管制方式、分離給油方式を採用し出力を1psアップの18psとしたME24型を搭載しこの時点でMAXスピードは89km/hとなっています。(ミニカ/360共に)
この他インパネのデザインも小変更されています。

(66/12)
ミニカのみ外装の装備を落としした「STD」を追加、従来型を「DX」とします。
STDが340,000円、DXが368,000円の価格設定。
DXには時代の要請からリクライニング機構を採用、シートは2トーンから黒一色のモノトーンとされました。

↓遂に普通車並の“豪華装備”であるリクライニングシートが採用されました!


(67/5)
両車、エンジンをME24D型としpsを21psまでパワーアップ(トルクは3.2kgm)しMAXスピードを90km/hまで高めます。
尚、この時三菱360はライトバンをLT23/LT23D型、ピックアップはLT25型に型式変更されました。

(68/9)
MCで初代最終型となる後・後期型となります。
Frはブラックアウトされたグリルとなりスポーティ感が味付けされインパネもこれまで鉄板むき出しだったモノをFRPでカバー、opで装着するラジオスペースが新設されています。

↓初代最終型(後・後期型)ミニカ


この時に三菱360は車名変更が行われバン→ミニカ・バン、ピックアップ→ミニカ・ピックとしています。

↓68/9、三菱360(ピックアップ)→ミニカピックに車名変更


(68/10)
新開発となる水冷エンジンである2G10型2st直列2気筒360ccエンジン搭載する「スーパーデラックス」が追加されます!(最高psは23ps)
この頃はは既にハイウェイ時代が到来、いかに軽自動車であろうともロングツーリングも視野に入れなければならない時期に来ており時代の要請による水冷化でした。
スーパーDXは外観や装備に特に変更ありませんがラジオを標準装備していました。

↓水冷エンジン搭載のスーパーDXとラジオ装備の豪華な?インパネ!!



↓水冷化された2G10型エンジン


(69/4)
安全対策(運転席ヘッドレストやシートベルトのop設定等)を施す一部変更を実施。

(69/7)
61/4の三菱360からは8年以上、62/10のミニカからは7年近くの長きに渡り生き永らえた初代ミニカは初のFMCを受け2代目となる『A100/101・A100/101V・A104/105V・A106V型ミニカ(サブネーム70/71/72/73)』へとバトンタッチします!

↓69/7、約7年ぶりにFMCした2代目ミニカ(初期ミニカ70スーパーDX)


以上が初代ミニカとなりますがデビュー時は50年代設計のスバル360やスズライトといった古めかしいモデルの中でFR機構、フルシンクロ4段ミッションという普通車のテイストで注目を集めた初代ミニカは発売数年は順調なUP!!!を送りますがその後、雨後のタケノコのように相次いで登場した新ライバル攻勢には苦戦、特に67yにセンセーショナルな話題で一躍人気を得たホンダN360登場以降は完全DOWN!!!となってしまいましたora・・・

ただワタシが幼少の頃は結構見かけ“ポロンポロン”と可愛いい音ながらけむったい白煙をあげて走りまわっていましたねー。オヤジの友人が良く乗って遊びにきていて前開きのドアに感動したモノです(笑)

さてさてミニカだけではなく並み居るライバル、横綱のスバル360をも蹴散らし軽自動車市場を60年代後半に完全制覇したホンダN360!
この“名車”に初のFMCで挑戦する2代目ミニカの活躍は如何に!!!!

(次回A100/101・A100/101V・A104/105V・A106V型2代目ミニカ=サブネーム70/71/72/73に続く)
Posted at 2018/05/27 15:10:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | UP!!DOWN!! | クルマ
2011年07月10日 イイね!

保存版・偉大なる“UP! DOWN! 野郎たち”!!!…三菱ギャラン編⑩

保存版・偉大なる“UP! DOWN! 野郎たち”!!!…三菱ギャラン編⑩
偉大なる“UP! DOWN! 野郎たち”!!!ギャラン編、三菱500から始まったコルト~ギャランシリーズの最終回となります。

これ以後10代目ギャランとして『ギャランフォルティス』が存在しますがこれはランサーのネーミングチェンジ版ですし正規の9代目ギャランは海外専売モデルですので取り上げせずこのモデルにて終了とさせて頂きます!

さて、今回取り上げるのはまだまだ街中では見かける8代目になる『EA1A/EA3A/EA7A/EC1A/EA3A/EC7A/EC5A型ギャラン』(以下EA/EC系)となります。
尚、EA/ECにはワゴンモデルの『レグナム』がギャランFMC時に同時発売、後年カープラザ店向け双子兄弟モデルの『アスパイア』も登場していますがレグナム、アスパイアはまた別の機会に取り上げるのでここでは割愛します。



大好評だった6代目E30系の人気を無意味な肥大化と鈍重な丸いスタイリングで喰い潰した先代7代目を反省、EC/EAでは一度大きくしたボディのダウンサイジングは諸般の事情から無理でもスタイルにはE30系への回帰を掲げ直線基調のスッキリとした、そしてギャランらしい戦闘的な顔付を手に入れ96/8にデビューしました!
「逆スラント&二分割グリル」という伝統を復活、初代A50系ギャラン、GTO、そしてE30系の正常進化となる顔付は更に「ダイアモンドノーズカット」と呼ばれる両サイドを斜めに削り落しより迫力あるマスクで久しぶりのギャラン顔はファンを喜ばせるに充分でした。
全体的フォルムはこの時期の三菱らしくランサーやディアマンテと共通するシャープさと流麗なラインを融合させたのが特徴で3ナンバーのワイドボディながら先代のようなボテッとしただらしなさはなく軽快なイメージを取り戻すのに成功しています。

↓96/8のFMCでギャランらしい顔付を取り戻した8代目ギャラン
(1.8VR-Gツーリング前期型)


↓Rrビュー(1.8VR-Gツーリング)


余談ながらワタクシ含めたE30乗りはやはりこの顔付とシャープなスタイリングからEA/EC系を肯定する意見が多く乗り味や性格はE30とは異なるも(この部分は7代目に近い)歓迎されていますネ!! ワタクシも現有E39Aが何らかの事情で代替という事になる場合は8代目のVR-4は最有力候補です(^^)v

さて、EA/EC系でのもう一点の売りはそう、今や様々な問題発生から“なかった事”にされかかっている!?あの「GDIエンジン」が初搭載された事でした!
GDI=Gasorin Direct Injection→ガソリン筒内直接噴射(直噴)の略でこれは量産車としては世界初のモノ、排ガスのクリーンさと低燃費、そして高出力を実現した夢のエンジンとして鳴り物入りでデビューしこれが大きな要因で「‘96~‘97年カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞しています。
三菱が当時社運を賭けた新開発エンジンを看板車種であるギャランに初搭載、以降シャリオグランディス、ディアマンテ、パジェロと次々に搭載し一時は「GDIクラブ」なるコミニティー立ち上げた程の力の入れようで8代目ギャラン=GDIのイメージを持つ方が今でも多いのではないでしょうか…?

↓デビュー時は“夢のエンジン”として大々的にアピールしたGDIエンジン


GDI化されたエンジンは従来の4G93型1.8Lの改良型でもう一つの看板であるVR-4用の2.5L V6 6A13型DOHC I/Cターボ(こちらは非GDI)の2本立てのラインナップでした。

それでは車両概要です。

(サイズ)
:全長4680全幅1740高1420ホイールベース2635(以上mm)
(車重)
1480kg =VR-4
(エンジン)
1800 GDIシリーズ:4G93型 直4 16バルブDOHC ECI 150ps(EA1A)
2500 V6 DOHCターボ:6A13型 V6 DOHC 24バルブインタークーラーターボECI 280ps(MT)260ps(AT) (EC5A)
 
(以上全て横置き搭載、psはネット表示)

(駆動)
FF /4WD
(ミッション)
5速MT/INVECS-Ⅱスポーツモード4速AT・同5速AT
(脚回り)
ALLマルチリンク
(バリエーション)
1800 :VX/VR-G/VR-Gエクシード/VR-Gツーリング(EA1A)
2500 :VR-4/VR-4 Sタイプ(EC5A)

サイズ的にはホイールベースはそのままに若干ながら先代よりも大きくなりながらもデザインの関係から旧型よりは小さく見える感じがします。ロングノーズ+ショ-トデッキ、くさび形の典型的なミディアムクラスのスポーツデザインですがシャープなラインがそう見せる効果大ですね!
そのボディは衝突安全ボディ「RISE」を採用しています。

室内も更なるサイズアップ感はなく先代同様の印象、しかし見切りはシャープなデザインの功績で非常に良くなり取り回し感も上昇した感覚です。
インパネはエアバックやナビの普及からデザイン的制約は増えそれほど特徴的なデザインではないながら嫌みのないオーソドックスなイメージ、造りはバブル期設計のE30系や先代に較べやはりコストダウン化はなされており特にダッシュの裏やトリムの造り等見えにくい部分の造りは残念な事になっていました。

↓インパネ&インテリア(1.8VR-G)


GDIとは究極の反対位置に属する6A13は90y発売のZ16A型GTOから移植した当時国産自主規制最大psの280ps(ATは260ps=VR-4 Sタイプ)を誇り先代VR-4より戦闘力をUPします。ただかつてのE38/39Aのような競技/獰猛な走りというのはランサーエボリューションに任せEC系VR-4はジェントルな高級高速ツアラーの立位置になっています。このため見た目の雰囲気はE38/39Aを彷彿させるも走りの部分はあくまで先代E74/84A VR-4を発展継承でしたのでこの味はやはりE38/39Aオーナーにはつまらなさを与えていたようです。

↓VR-4に搭載された最強の心臓である6A13ツインカム ツインターボ280psエンジン!!


またVR-4では更なる電子デバイス化も進みランサーエボ同様にAYC(アクティブ・ヨー・コントロール)やTRC(トラクションコントロール)システムも搭載、これが危険回避やウェットでのドライビングには役立つながら腕に覚えのあるドライバーにはクルマを自由にコントロールできなもどかしさがありこの種のユーザーには不評でした。
ワタクシはエボⅣでAYCの経験ありますがボーッとした運転時は助かりますが峠を攻めたりという本気走りの時は邪魔物で限界は高いながら限界ギリギリの判断がしにくく気づいたらスピンという感じで好きな産物ではなかったですネ~(汗)

↓更なる電子デバイス化がなされた「VR-4(前期型)」


↓エボと同時に搭載された“AYC”


脚廻りは先代から受け継ぐALLマルチリンク、乗り味は低グレードでもしっかりしなやかさを持つ優れモノ、VR-4では非常に逞しい堅さも得ており好印象の脚でした!

↓先代で好評だったマルチリンクサスを継承。


ミッションはATが全て「INVECS-Ⅱ」と言われるマニュアルモード付となり既にイージードライブが当たり前な世の中になっていましたがそこにもう一つ、イザという時の瞬発力やMTの操縦の楽しさを味わえるマニユアルモードはMT派へもATを訴求をしたもの、今ではパワーのあるクルマでは各社当たり前のモノになっていますが発売時はMTの楽しさATのイージードライブを両立させる夢のATとして大注目でした。ただ、実際のドライブフィールは例えマニユアルモードでも純粋なるMTの操縦感はなく“夢のAT”は現行のエボⅩやギャランフォルティスRAでデビューしたツインクラッチSSTまで待たされた感じがしますネ。
尚、VR-4 Sタイプに5速AT、他は4速ATとされています。

↓“INVECS-Ⅱ”MTモード付ATを搭載!!


それではモデル改歴に移ります。

(97/2)
COTY受賞記念モデルを追加、1.8GDIのVR-Gを基本に革巻きステアリング、サイドエアバックを装備した記念モデル。

(97/9)
1.8LVR-Gにもフルタイム4WDモデル(EA1A)を追加設定。

(97/11)
1.8Lに「ヴィエント」グレードが復活、外装をVR-4に準じたモノとし各種装備類をスポーティに味付け&充実した「ヴィエントS」「同R」をラインナップ。

(98/1)
VR-4 Sタイプをベースに大型エアロパーツ、RA(ラリーアート)製スポーツマフラー、ポテンザRE710Kaiハイグリップタイヤ、MOMO製本革巻ステアリング、RECARO製フロントフルバケットシート等の高級スポーツ装備を施した「スーパーVR-4」を特別限定としてラインナップしています。

↓エボなみの大型Rrスポ他特別装備が施された「スーパーVR-4」


(98/8)
MCにより後期型となります。
お約束の前後意匠の変更が行われFrバンパーの形状変更、グリル/テールの小変更を受けておりVR-4を始めとするスポーツ系はより迫力を増しています!
この時、VR-4はAT/MTに関わらず280ps化し従来のVR-4は「VR-4タイプV(5AT/MT)」にネーミング変更、ATのみのVR-4 Sタイプは「VR-4 タイプS」とされています。

↓後期型VR-4 タイプV㊤と同タイプS㊦



↓VR-4 タイプSのインパネ&インテリア


また、警察納入用の廉価版「VE」が受注生産からカタログモデルに昇格、代って従来の低グレードVXがカタログ落ち、他にヴィエントがS/Rの区別がなくなり単一グレードの「1.8ヴィエント」となりVR-Gエクシードが「エクシード」とされています。
1.8L 4G93型の低排出ガス仕様も設定、従来型から15psダウンの135psとされていました。
そして全くの新エンジンも搭載、シャリオグランディスから移植した4G64型 2.4L GDI DOHC 16バルブ165psを搭載したものでギャランシリーズの中核を成す設定がなされています
2.4Lモデルは「24ヴィエント(タイトル画像)」とされFF(EA3A)/4WD(EC3A)、5ATのみの設定です。

(99/5)
エクシードを廃止、代って「ヴィバーチェ」を追加。

↓新グレードの「ヴィバーチェ」


↓ヴィバーチェのインパネ&インテリア


(00/5)
平成12年排ガス規制の関係から1.8Lを2.0L 4G94型GDI 4気筒DOHC 16バルブECI に換装、従来の1.8L低排出ガス仕様のスケールUPで10psの上昇。

(02/9) 
一連の不祥事の中、大変残念な事に平成12年排ガス規制に関連して三菱はコストのかかる新エンジン開発&従来型適合を断念、VR-4を廃版としますorz…
ここで永年“スポーツセダン”として売り出していたギャラン、最大の武器を失い一気に魅力が弱まりごく普通のセダンとなってしまいました。
こうなるとE30時代からライバルとして一貫したもう一つのスポーツセダンを主張するレガシィB4に勝るモノはなくさりとて普通のセダンであれば他にいくらでもラインナップがありあえてギャランを選ぶ意味はなくなってきており不祥事からなるFMCができない中、発売6年を経過し商品力低下とセダン型モデルの需要減退、そして一連の不祥事からなるメーカーイメージの低下からこの頃より販売、人気とも降下が顕著となってしまいます。
尚、車種編成も整理されエンジンは4G94 2Lのみ、ミッションは4AT単一化されグレードも VE/VR-G/ヴィエントの3種のみの設定となりVE以外がFFと4駆をラインナップという淋しい展開となります。

(05/5)
上記リストラ策により代替需要とイメージ維持の為細々ながら3年間生存を果たしたギャランでしたが遂に上級ディアマンテと共に製廃の時を迎えます。
63年のコルト1000以来三菱の看板車種として成長、69年の初代ギャランから数えても実に36年という歴史にピリオドが打たれ国内では『ギャラン』の歴史がここで途絶えました・・・

デビュー時はE30系の再来!注目のGDIでCOTYまで受賞し安定した人気でUP!!!だったと思いますが時世と不祥事により年々放置状態化され最後は淋しくDOWN!!!状態で消えていった8代目ギャラン、様々な事情もありますが実に9年に渡り存在、奇しくも『ギャラン』としては最長寿のモデル(タクシーやバン等を除く)でありました!
しかしこうして振り返るとこのモデルはUP/DOWNを物凄い勢いで繰り返しトヨタ等ではあまり見られない“ジェットコースター”のような人(車)生、三菱500/コルト600(完全なるDOWN)→コルト1000~1500(ややDOWN)→初代ギャラン(大幅UP)→NG(大幅DOWN)→初代Σ/Λ(最大のUP)→2代目Σ/Λ(DOWN)→3代目Σ(ややDOWN~完全DOWN)→E30系(大幅UP)→7代目(大幅DOWN)→8代目(UP~DOWN)と2代続けてのヒットがないという点が驚きで今更ながら高値安定を示すトヨタに脱帽って感じです(=_=;)

以上が8代目ギャランでした。


尚、03年より海外専用として9代目ギャランは登場しており各国にてギャラン・同グランダー・380等のネーミングがなされています。

↓北米仕様の9代目ギャラン


また国内では海外で先に発売された新型ランサーを07年に『ギャランフォルティス』のネーミングで発売、実質従来のランサーをFMCしたものですがクオリティUPにより従来のギャランの車格となった事と永年三菱セダンとしてのギャランの知名度からこの名付けが行われています。
正確には7代目(ランサー・フィオーレを3代目としてカウント)ランサーであり10代目ギャランとは捉えられない部分がある中でも伝統の逆スラの顔付とスポーツイメージ、そして何より『ギャラン』のネーミングの復活はファンにはたまらないモノだと思います!

↓10代目!?は“ギャラン”フォルティス(2016年で廃盤)


今の世は国内セダンに厳しい中、フォルティス、イマイチ苦戦ですがかつてのギャランの精神を持つ貴重な存在だと思います、エボⅩとの関係や三菱と日産との関係強化もありその行く末に一抹の不安はありますが個人的には最悪名前だけでも残って欲しい、そんな車種の一つだと思います。。。

コルト/ギャランシリーズ・・・終
Posted at 2017/07/23 18:53:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | UP!!DOWN!! | クルマ
2011年07月09日 イイね!

保存版・偉大なる“UP! DOWN! 野郎たち”!!!…三菱ギャラン編⑨

保存版・偉大なる“UP! DOWN! 野郎たち”!!!…三菱ギャラン編⑨
偉大なる“UP! DOWN! 野郎たち”!!!…ギャラン編、三菱500からご紹介してきたコルト~ギャランに至るUP!!!DOWN!!!の歴史もそろそろ終盤になる7代目ギャラン及び5代目最終型エテルナ及びエメロード(E52~57A/64A/72/74/77/84A型)を取り上げます!

尚、この代になって追加設定されたエメロードはギャラン&エテルナの4HTバージョンですがこのモデルに関しては別の機会に触れますので割愛します。

↓4HT版のエメロード


ギャラン/エテルナとも先代は個性的マッシブスタイルとギャランVR-4のラリーウェポンとしての実力から男性を中心に走りを重視する層~日本では一番使い勝手の良い5ナンバーミディアムクラスのセダンとしてファミリーユース層にも高い支持を得、ギャラン史上は当然、三菱史上でも5本の指に屈指のUP!!!車でしたがE5~8系はマッシブ過ぎて逆に女性層には嫌われ気味だったスタイリングを180度見直しスポーツDNA、特に一世を風靡したVR-4の精神は格下ながら軽量小ぶりなランサーエボリューションに任せより幅広く豪華にFMC、アメリカンな曲線ラインで構成するスタイルと余裕の3ナンバーボディで車格をUP!これに相応しくエンジンもV6をメインに据えた新たな展開を繰り広げてゆきました!!

また、これまでギャランとエテルナは前後デザインのお化粧変えの双子兄弟だったものからこの代よりシャーシはもちろん共有ながらそれぞれが独自のスタイリングを持つオリジナリティが高いものとされたのも大きな特徴です!

以下ギャランとエテルナで分けて記載してゆきます。

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【7代目ギャラン】

“VR-4”の印象があまりにも強かった先代ギャラン、男臭さ、体育会系だった先代に較べ7代目では女性をも意識したお洒落で高級イメージに変身して92/5に登場しました!

マッシブで力強いラインで構成された先代とは180度方針転換、空力をも考慮した丸味帯び低く長くとされたスタイリングに産まれ変わりましたがこれが後述しますが大失敗してその人気はFMC直後から大幅DOWN!!!(-_-;)
先代E30系の遺産を食い潰しギャラン人気を失墜させた“A級戦犯”となりかつてのA50系ギャラン→NGの悲劇が繰り返されてしまいました…

↓先代とはイメージを異にする高級路線に進んだ7代目ギャラン
(前期型2.0 V6 24V MX)


7代目の失敗はボディ拡大が無意味な肥大化とユーザーには捉えられ事が一点、従来“スポーツセダン”として4発エンジンのパンチと瞬発力を活かした走りがV6メインとなって薄れてしまった事などがありましたがそもそも5ナンバーミディアムクラスで認知されていた立位置を無視し既に3ナンバーラージクラスには同社ではディアマンテが高い存在感を示しており何のためのギャラン3ナンバー化か!?と市場の理解が得られなかったのが大きな要因だった気がします。
“デブギャラン”とか“バカボンのおまわりさん顔”とか未だ散々の言われようの7代目ギャラン、変形ながらも逆スラ&二分割グリルというしっかりギャランらしい伝統は表してはいるものの正直ワタクシもE30系からのFMC時は相当の落胆でしたね~~。
先代で大きくイメージ貢献した「VR-4」もラインナップはされていましたが先代のスーパーウェポンという役割はエボに受け渡しV6とツインターボでシズシズと走らせる重量級高級ツアラー的な味付けとされたのもファンはガッカリでした、E38/39A時代に最大のライバルだったレガシィがその後も正統なスーパースポーツセダンを堅持しB4に至る明確な立位置を示しこの種を愛するユーザーに高い支持を得たのとは裏腹にギャランはこの7代目から明確なコンセプトを示せなくなり両者のその後の運命を如実に表す結果になってしまったと個人的には残念ながら思います。。。

↓テールはE30系のキープコンセプトながら…(前期1.8 16V MU-4)


それでは車両概要です。

(サイズ)
:全長4625全幅1730高1410ホイールベース2635(以上mm)
(車重)
1430kg =VR-4 M/T
(エンジン)
1800 16Vシリーズ:4G93型 直4 16バルブOHC 電子キャブ110ps (E52A/E72A)
1800 V6シリーズ:6A11型 V6 OHC 24バルブ ECI 135ps(E53A)
2000 V6シリーズ:6A12型 V6 OHC 24バルブ ECI 145ps(E54A)
2000 V6 DOHC:6A12型 V6 DOHC 24バルブ ECI 170ps(E54A)
2000 V6 DOHCターボ:6A12型 V6 DOHC 24バルブインタークーラーターボECI 240ps(MT)215ps(AT) (E74A/E84A=4WS付)
 
(以上全て横置き搭載、psはネット表示)

(駆動)
FF /4WD
(ミッション)
5速MT/電子制御4速AT・ファジィシフト4速AT(V6搭載車)
(脚回り)
ALLマルチリンク
(バリエーション)
1800 16V:GE/GF(E52A)GF-4(E72A)
1800 V6:MU/ヴィエント(E53A)
2000 V6:MX(E54A)
2000 V6 DOHC:MX DOHC(E54A)VX(E64A)
2000 V6 DOHC I/Cターボ:VR-4(E84A)

上記のようにサイズは先代よりも長さ、幅は大きく伸ばされも上級ディアマンテよりは微妙に小さくこの辺は棲み分けされています、実際乗ってみるとE30系と較べ劇的に広々という感覚はなくこの辺も“無意味な肥大化”と言われた所以?かもしれません…
基本はFFに変更なく“走り”のVR-4及び新設VR-4Sタイプ及び普及型として1.8 16VのMU-4にフルタイム4WDを設定しています。

インテリアのイメージは先代を継承しますがインパネは個性的だった先代のモノから極一般的なデザインに変更されています。先代同様バブル期設計のためソフトパッドの多様なども継続されておりコストをかけ非常にしっかりした造りでした。

↓デザインは一般化しながら相変わらず高品位なインパネ&インテリア
(前期型VR-4)


搭載エンジンは実に多岐に渡りガソリンでは1.8が4気筒とV6で2種、2Lは全てV6でOHC/DOHCにターボ付などを設定しています。
V6をメイン化したのが最大の特徴でこの7代目の為に全て新開発されたA系V6(級Σ~ヂィアマンテではG系V6)が売りで中でも1.8L V6は小排気量故の低燃費とV6の静粛性をアピール、今となればたかが1.8Lに大袈裟な!と思いますがしつこいながら設計時はバブル真っ只中で三菱はランサーでは更に小排気量となる1.6L V6を設定、マツダもこの分野のV6設定を行う等、一時小排気量V6普及を目論みながら4発より重い、ステータス的には不満が残る等が要因で普及とはならずギャランもこの代限りでしたねー。

↓新開発1.8L V6の6A11エンジン


この1.8 V6は少し運転経験ありますが135psという1800としては当時高出力ながら明らかなアンダーパワー感が強くV6特有のトルクフル感もあまり感じず三菱のV6らしくがさつなエンジン音だけは伝統的(G系よりは静かな印象ですが…)であまり4発と較べても存在感は?って記憶があります、2Lの6A12はワタシが経験あるのはVR-4のI/Cツインターボでしたから比較のしようはありませんが1.8でもこの時期は既に1.2tに迫ろうとする車重ではやはり2Lでないと厳しい部分があったと思います。
尚、V6版にはATにファジィシフトと呼ばれる学習機能付ATが搭載され注目されました、これはドライバーの癖をミッション自ら記憶し変速タイミングをドライバーの意思に近づけストレスをなくすという画期的ATでした!

脚廻りはディアマンテやシグマでRrに採用し好評を得ていたマルチリンク式サスをALLで採用、E30系と較べ格段に信頼性が高まったのはこの部分かなと…
実際ハードな走りをさせるとノーマルでは割と早く限界で音を上げたE39Aと較べE84AのVR-4は峠道などでも路面に吸いつくようなしなやかさを見せてくれ唯一先代を上回った出来栄えを感じさせてくれました!

↓先代からは格段に進化したマルチリンク式サス


ではモデル改歴に移ります。(グレード追加、限定モデル等は一部省略)

(92/7)
FMCで途絶えていたディーゼルを追加設定、2000Dターボ4D68型 直4 OHCインタークーラーターボ 94ps(E57A/E77A)を搭載。

(93/2)
先代で人気だったVR-4テイストのお買い得モデル「ヴィエント」に2.0 V6がラインナップに加えられています。

(93/10)
VR-4に装備を落とした(4WS非装備)の「VR-4 Sタイプ(E74A)」を追加、また2L V6 6A12 DOHC 24VにMIVEC200psの新エンジンを搭載する「VX-R(タイトル画像)」を追加、NAでの最強となる200psを誇るVX-Rは可変バルタイという高度なメカを搭載しVR-4の存在だけでは薄れてしまったスポーツDNAを全面に押し出す“速い”モデルでしたがスタイリング故、残念ながら目立ちませんでした~。

↓可変バルタイというメカ的には痺れるMIVEC 6A12型エンジン


尚、この時1800に省燃費のリーンバーンエンジン(4G93型 16V MVV 直4 16バルブ OHC ECI 115psも追加設定。

(94/1)
伝統的なお買い得モデル「EXE」を設定

(94/9)
海外向け5ドアHBボディを持つ「スポーツ」(正式名称「ギャラン・スポーツ」)発売。
スポーツの上級グレード「GT」では当時、RVブームの真っ盛りの中、一方は富士重レガシィが火を付けたワゴンブームに呼応したトヨタカルディナ、日産アベニール等のRV要素が強く走りも従来のワゴンにないDOHC+ターボで武装したこれらハイパワーワゴンに対抗、また一方では三菱自ら先頭を切っていたクロカン風味(カンガルーバーなど)の逞しい外観の二面を訴求するデザインがなされどちらの層にもアピールしたモデルでした。

↓“GTRV”として大々的に売り出した「ギャラン・スポーツGT」


スポーツのグレードは2種、6A12 OHC 145psをベースモデルのスポーツに、上級グレードのスポーツGTには何とVR-4のI/Cターボ240ps(AT215ps)を搭載しています。
しかしこのスポーツ、当時レグナムを持つ以前の為、ミディアムクラスのステーションワゴンを持たなかった三菱が国内ではさんざん“ダメ!”と言われ続け先代E30系エテルナでも失敗した5HBを性懲りもなくまた発売、広大なラゲッジルーム&多用途といった点で急遽海外専売だった5HBを持ってきた苦しい事情は理解できなくもないながらこれにアンバランスなカンガルーバーやらエボ並の大型スポイラーやらルーフレールを取り着け240psというこれまた不似合いなハイパワーエンジンを与えてのはもうヤケクソ?っとも思えるもので元々人気にない5HBにいくら味付けしようがこれは無駄としか言いようがなくしかもRVなのか?スポーツを目指すのか?コンセプトがハッキリせず今もって何がしたかったか解らないモデルで市場での反応もサッパリ、レガシィやライバルには鼻もひっかけられないギャラン史上最大なる不思議なモデルで究極なる珍車だと個人的には感じます、NAの単なるスポーツの方なら変なオーバーデコレートもなく純粋に不人気ながら5HBモデルを必要とする層にはまだ存在価値もあるとは思いますがGTは????
2、3回街で見かけましたが「どうせならもう少し屋根延ばしてワゴンにせ-よ!」(オーナーさんスミマセン) と心で呟いてましたねー(笑)

↓セダンよりは多用途である事は間違いないスポーツGTのインテリア


(94/10)
MCにて後期型となります。
この時1800シリーズに4G93をDOHC化し140psエンジンを設定し4気筒版を充実、Σ時代の高級グレードであった豪華仕様の「スーパーエクシード」と「エクシード」を追加設定。

(95/5)
ギャラン発売25周年記念車である「ヴィエントツーリング」を2L V6 24Vと1.8DOHCに設定。

↓前後意匠を変更した後期型「1.8ヴィエントツーリング」


↓「1.8ヴィエントツーリング」のRrビュー


(96/8)
8代目EA/EC系ギャランにFMC、先代とのあまりのイメージ変更からDOWN!!のまま失敗作の烙印を押され先代や後続よりも短く4年少しでFMCされています。


以上が7代目ギャランでした。

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【5代目最終型エテルナ】

92/5、7代目ギャランと共に登場、冒頭で触れましたが77y以来ギャランのFr/Rrの意匠変え程度の差であったエテルナが最終型にして初めて独自のデザインを持つモノとして産まれ変わっています!

↓イメージは似て非なる5代目エテルナ(前期V6 2.0 DOHC LX)


エテルナはギャラン同様スタイリングの基本は丸味帯びたものながらより流麗なラインで構成され“セダン然”としたギャランよりエレガントなイメージ、前後意匠も流麗さを強調していますが特にFrは同じ販売店の専売車種である下級のミラージュのような顔付となりいささか安っぽさも…

先代E30時代はあくまで「エテルナ」と位置付けされていいたのは5HBモデルでしたがその人気のなさから後にSAVAなるセダン版を追加しどうにかお茶を濁した苦い経験から今回は通常のセダンモデルのみのラインナップとされ従ってSAVAのネーミングは廃止となっています。
尚、ギャランに途中追加された元祖エテルナ?的5HBはエテルナには採用されず最初から最後までセダン1種のラインナップでした!

車両概要ですがサイズに若干の違いがある程度で機構、エンジン、駆動やインパネ&インテリア等はギャランとほぼ同一、グレード設定も呼び名こそ違えどほぼ同一設定です(例:ギャランVR-4→エテルナXX-4)

(バリエーション)
1800 16V:LF/LU(E52A)LU-4(E72A)
1800 V6:ヴィサージュ(E53A)
2000 V6:LX(E54A)
2000 V6 DOHC:LX DOHC(E54A)LXスポーツ(E64A)
2000 V6 DOHC I/Cターボ:XX-4(E84A)

↓インパネ&インテリアはギャランと全く同一(1.8 LF)


それではモデル改歴に移ります。

(92/7)
ギャラン同様、FMCで途絶えていたディーゼルを追加設定、2000Dターボ4D68型 直4 OHCインタークーラーターボ 94ps(E57A/E77A)を搭載。

(93/2)
「ヴィサージュS(1800 V6)」、「同LS(2000V6 OHC 24V)」を追加。

↓「2.0V6 24VヴィサージュLS」のRrビュー


(93/10)
ギャラン「VX-R」に充たる2L V6 6A12 DOHC 24V MIVEC200ps新エンジンを搭載する「ヴィサージュR」及び1.8MVV 4G93 115psを追加設定、ギャランVR-4 Sタイプ(E74A)に値するモデル追加はエテルナにはなされていません。

(94/1)
ギャラン同様のお買い得モデル「EXE」を設定。

(94/10)
MCにて後期型となりお約束の前後意匠の変更が行われます、ギャランに準じ1800シリーズに4G93をDOHC化し140psエンジンを設定、「エクシード」グレードを設定し最強バージョンのXX-4は「GT」に名称変更、GTには大型Rrスポイラーを装着した限定モデルも存在。

↓後期型「1.8DOHC 16VヴィサージュS」


(95/5)
ギャランの「ヴィエントツーリング」に充当する「ヴィサージュツーリング」を2L V6 24Vと1.8DOHCに設定。

(96/8)
ギャランと共に不評だった5代目エテルナは77yにギャランΣ/Λの双子として登場以来19年に渡りカープラザ店向けミディアムカーとして存在しましたが元々ギャランに較べ少数=販売/人気だったところに更なるこの代での不評が響き製廃の憂き目に遭い最終型となってしまいました、ギャランは腐っても鯛、三菱の看板車種でしたので無事次期型がデビューしましたがやはり不評のエメロード共々これにて終了です。
後続は “華麗なる一発屋!!!”…36 で触れた『カリスマ』→『アスパイア』となっています!

以上が5代目最終型エテルナでした。

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正に“名車の後の駄作”になってしまったE5~8系ギャラン/エテルナ、その人気の凋落ぶりは先記のような要因もあり目を覆いたくなる惨状で先代のUP!!!遺産を食い潰してしまい今ではメーカー自ら「なかった事」にしているようにも見えるお気の毒なモデルとなってしまいました、果たして道を外してしまった8代目ギャランの運命はいかに!!!!

↓次期型の8代目EA/EC系ギャラン(後期EC5A VR-4)


(次回8代目EA/EC系ギャランに続く)
Posted at 2017/07/23 18:18:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | UP!!DOWN!! | クルマ

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