
この記事は過去上げたものです、我が愛機『ギャランVR-4」が2014年2月、2週に渡り第二生息地の山梨県に100年に1度の大雪が降りその際、格納していた納屋が倒壊、ルーフ部を破損、修理か諦めて他車に代替えかを悩んだ末、不動の同型ギャランを仕入れこれに被災車輌のパーツを移植し路上復帰に至るまでの記録となります。
依って自己の備忘録となりますのでご了承願います<(_ _)>
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(ブログUP2014年02月24日)
ハイ、タイトルの通りです!
この場での公開は止めようと思ったのですが様々な方の御協力、御尽力、仲間の励ましや協力もあり被害に遭って1週間、初七日!?も終わりましたので心ある皆さんには御報告しておきます<(_ _)>
そう、全てはあの大雪に始まりました、例の“バレンタイン・大雪”…
いやー、とんでもないバレンタインを神は贈ってくれたもんです。
前回の大雪(2/8)の時は基地におり今回は横浜、ギャランは基本的に基地格納、横浜←→山梨はランカゴ移動ですからね、バレンタインの時、ギャランは基地でした。
基地のガレージ…と言えば聞こえはいいですが小屋兼作業場はそれなりに頑丈ながらも年季はかなり入っていましたからね、2/8日の時は万一雪の重みで倒壊という事態も想像してギャランに限らずクルマは全て屋外に退避させたました、しかし次の大雪情報の出る前の10日に仕事の兼ね合いで横浜に移動、そのまま横浜滞在でこの大雪を迎えました。
10日に一緒に帰浜した長男が当日14日にバイトの都合から電車で山梨に移動、昼に横浜出て勢いを増す雪に阻まれながらも夕方無事基地に辿りついたと連絡がありホッとしました、もう1、2本遅い電車でしたら彼も確実に3泊4日の“列車ホテル”を味わう羽目になったでしょう、取り合えず長男が行き着いた事に安堵したのも束の間、翌朝彼からの電話でギャラン格納庫が倒壊したと…(*_*;
一瞬目の前真っ暗になりましたが出て来た言葉は「お前は大丈夫なのか?」←やはりワタシも親ですね~(笑)
陸路の断絶でこの悲報が飛び込んできてから3日足止め後の18日夜に基地に戻りギャランを確認、淡い期待は見事に裏切られ目の前に現れたのはこの世のモノとは思えぬ悪夢でしたねー。
まっ、この時はかなり腹も据えていたしその前に長男の無事な姿も確認していたので想像よりは冷静に見れましたがそれでも50年生きてきて1、2を争う位なかなか辛い光景でしたヨ、免許取って32年、数えきれない位にクルマを代替してきましたが愛車をこうした形で失う?のは初めての事、震災直後などは仕事で現地の方から愛車を津波に呑まれた話等も聞いてはいましたが所詮他人事である事は否めなくイザ自分がこのような災難に遭うと言葉では言えない辛さがありますね。
ご近所や友人からは「息子さんが戻っていたなら何故言ってクルマ移動させなかったのか」と言われましたが息子からの14日の大雪の様子の写真や状況を聞きとても彼にあの状況の中でクルマを移動しろ!という命令は父親としてはできませんでした、ワタシが駆けつけたくとも既に現地は陸の孤島状態でしたし…。
自分が行けないからともし息子にそれをやらせて途中で倒壊したりあの時の山梨ではすぐ近くで夜間凍死者も出てますからね、極寒の中でそれはさせらませんでした、クルマも可愛いですが息子はもっと可愛いし。
だからもちろん息子に恨みもなく逆にクルマで済んで良かったと思います、強いて言えば基地を離れる時にギャランをまた格納してしまった事、スタッドレスに履き替えて横浜に移動させなかった事が悔やまれますが相手は自然、山梨県であそこまで降る、積るとは予想できませんでしたしねー。まっ、全ては自然をナめた自分へのバチかもしれません、いずれにせよ10年間共に歩み仲間とのネットワークを築き思い出もたくさんくれたギャラン、一生を共にすると誓ったギャランには可哀想な事をしました。
ギャランの状況は保険請求の関係で倒壊して埋まっている姿~救助後の痛々しい姿まで全て記録していますがここではその写真は公開はしません、見せびらかすものでもないですし愛をかけてきたクルマを冒涜するようで…
文で簡単に書けばルーフ交換必須、他鈑金多数、Frガラス割れ→交換、中古部品使い修理代70万前後、新品部品だとすれば100万コースって感じです。(ALLペン含む)
車輛保険は約50万、どっちにせよ数十万持ち出しになるのでこれから考えますが恐らくこのギャランの復活はさせてやれないだろうと思います、最終結論ではありませんが。
でも感心するのはあれほどのルーフの損傷でも殆どピラーが逝ってない!これは改めてE30系ギャランの頑強さを見ました!!
しかし壊す神もいれば与える神もいる、ギャランに精通する当時の仲間がこの悲報を聞き全面協力を申し出て下さり彼のフルネットワークで同じH3yのVR-4の譲渡可という朗報も下さいました、これから細かい交渉次第ですがこちら=ワタシとしては3号機となるギャランを仕入れて雪に散った2号機の魂を受け継がせてやろうと思っています!
他にも18日の時点ではまだまだ道路状況が悪く雪道に強い4駆ekアクティブを雪かきスコップ搭載で路面の悪い基地周辺で6日間も“足に使かって!”と気持ち良く提供してくれた山梨仲間のタケちゃん(たけまるGTさん)、「何もできず申し訳ないです」と言いながらも心配して駆けつけてくれたToshi君、遠くて何もできないからと大阪から段ボールいっぱいに支援物資(食糧やカイロなど)を送ってくれたMAIAさん他当初は雪解けまで待たないとどうしようもない!と言っていた基地の大家さんの計らいやギャラン救出に力を貸してくれた御近所さん等々…
明さんの救いは一番絶望している時にワタシ生きる希望を与えてくれ“またギャランを所有できる”という悦びを与えてくれました。
ekは近所に生活必需品、食糧/灯油が全くなかったので少し離れたところまで買い出しに行く際や夜、連日の雪かきを少しでも癒したく凍結MAXの道のりを安全に温泉に通う際に大活躍してくれました。
Toshi君は今回特に同じようなクルマの被害が多く整備士をしている彼、会社の雪かきは勿論被害車輛の引取で多忙の中に顔出してくれた気持ちにはすごく応援されたように感じました。
まだまだ食糧不足気味ですし夜中は-10℃まで下がる基地でMAIAさんの差し入れは身体も心も温めてくれます!
大家さん、御近所さんは町内ネットワークで街の雪かきで出払っていた重機をあの状況では奇跡的に手配して下さったり私が行くまでは一時トイレが使えなくなっていたので気持ち良く息子に提供して下さったりと本当にお世話になってしまいました。
今回は災難の渦中に放り込まれましたが周りの方々に支えられ困難を脱出でき前向きな気持ちになれたと思います、周りの方々のご協力、愛でギャランだけではなく凹んだワタシを勇気つけてくれたのは全てこの方々のおかげ、振り返ってこんな災難を受けたのは初めてで東北の震災では仕事ながらどちらかと言えば支援していた立場、今回は立場逆転して支援される側になりこの歳になって恥ずかしながらつくづく“人間・仲間っていいなー”と感じております。
まだ死んだ訳ではなくベルトラインから下、機関は無問題のギャラン、活かすか殺すかは持ち主の経済力の問題ですが3号機が来ても幸い置く場所には困らない基地、主にドナー車として生き続けますしね、まだまだ2号機はワタシと共に歩みます、万に一つですが復活の可能性も無きにしも非ずだし。
この場を借りて協力頂いた仲間、そしてこれを読む事はないでしょうがご近所の方、今回の事でご迷惑、御心配、ご協力頂いた全ての方々に心からお礼を言わせて頂きます。