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2025年08月10日 イイね!

旧車とキャラクター…VOL.49

旧車とキャラクター…VOL.49
旧車とキャラクター…

ワタシの幼少期である60年代~国産絶頂期とも言える90年代位までの有名芸能人他スターをキャラクターに迎え逞しい商魂を発揮していた各社を振り返ってみたいと思います(^_-)-☆


VOL.49としてはこのクルマ!

A33型スバルレオーネグランダム
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A33=初代レオーネ、先代のスバル1000/ff-1/ff-1 1300Gから1971年にFMCしてデビュー、79年までの8年間をスバル(当時富士重工)の基幹車種を務めました!

1000~1300Gが富士重らしく頑固な技術アピール一辺倒である意味市場反応は考慮せず唯我独尊的なクルマだったのを反省、レオーネとなり市場トレンドも取り入れ富士重独自の技術と融和させ再アピールをしたモデルでした…。

このレオーネは弱小メーカーの性で一つのモデルであらゆる層にアピールするべく当初は2/4ドアセダン、クーペ、バンで発売するも73年以降は当時流行の2ドアHTもラインナップ、グレードやエンジン(排気量)も廉価版~最上級まで細かく幅広く設定しターゲットをサニーやカローラ、ランサー、ファミリア~グランドファミリアに加えその上級であるカリーナ、コロナやバイオレットにブルーバード、ギャラン等まで視野に入れた展開を施します。

さてそんなレオーネ、初期は”また会う日まで”で一世を風靡した尾崎紀世彦氏が唄う ♪~どこから来たのかお前と俺~ が流れるCMが有名ですね(60代以上に限るwww)
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初期型以降は4WDを中心とした質実剛健を最大にアピールする訴求を行いますが当時、70~80年代は各社、俳優女優、時には外タレを起用し凄まじい商魂を発揮、富士重もこれについていかねば!って感じで1977年に最上級モデル『グランダム』を追加時、タレント起用を決断しイメージ戦略に走ります。

その第一弾はこの方=1960年代に”御三家(舟木一夫、三田明、西郷輝彦)”として若い女性に人気を誇った元アイドルの西郷輝彦氏!
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♪~好きなんだけどぉ~ の歌いだしで大HITとなった「星のフラメンコ」で人気者となった西郷氏もグランダムデビューの77年ではもう30歳、歌手活動から役者稼業に舞台を移し「どてらいやつ」「新幹線公安官」や時代劇等で役者としての実力をアピールしておりました。
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ただ当時は三浦友和や草刈正雄が若者層には人気の時代、西郷氏は薩摩隼人、時代劇の影響でどちらかといえば既に年配層の支持が高く先のお二人に較べたら地味な存在、まぁ富士重らしいキャラと言えばピッタリでしたがそれ故にこのレオーネグランダムも西郷氏のアピール空しく鳴かず飛ばずのキライがありましたが…

レオーネグランダム、デビュー時は車格に合わない4つ目でアメリカ版5マイルバンパーや派手な新色、従来型レオーネにはない白基調の豪華な内装でアピール、そのままの”ハロー・アメリカンフェイス”のコピーで大々的に売り出し直後遅れて西郷氏がキャラに登場、79年次期型デビューまでの2年間勤めています。

デビュー時のグランダム
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グランダムのネーミングは米・ポンテアックからのパクリ(?)でアメリカン訴求も完璧w 派手な黄緑は映えるし車格に相応しくない4つ目もコロナやブルを相手にするには必須条件、大型メッキバンパーは元々アメリカの安全基準に適応するため輸出モデルに各社が設定しておりましたがこれがこの時期国内でもその迫力から人気を得ておりトヨタではセリカやコロナ、マークⅡ/チェイサー、日産ではブルーバードやバイオレット(オースター)、三菱ではギャランΛやセレステ等が順次採用し当時のトレンドでもあり市場動向に必死に追いつこうとしていた富士重も追従した訳です。
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グランダムにはレオーネ、というかスバル最大排気量であるEA71型1.6L 水平対抗OHV95psエンジンを搭載、排ガス対策のSEEC-Tでパワーダウンは顕著ながら900㎏程度のボディを走らすには及第点、以前のスバルの特徴であるスバリストが泣いて喜ぶボクサーエンジンの ♪~ドコドコ~も後年のレガシィインプよりも迫力がありスバルらしいと言えばその通りで…

名機EA71エンジン
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尚、グランダムはレオーネの4セダンとHTに設定、当時稀に見かけたのは圧倒的にHTかな!?てか、セダンのグランダムって見た記憶殆どないかも💦

セダングランダム
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グランダムに限らず初代レオーネっていう車、旧スバル1000時代の唯我独尊部分も多分に残りFFの悪癖、キックバックや顕著なアンダーステア等個人的にはとても受け付けるモノではなかったですが一部熱狂的スバリストには未だに信仰されるレオーネ、まぁスバルの名車に数えられてもいいのかな?と。。。

商業的には全3代存在したレオーネは一部スバルマニア以外に見向きもされないクルマでしたがこれが後年飛躍するレガシィやインプレッサの下敷きでもありこれらが富士重→スバルに移り変わる中でスバルを以前の変態的マニアメーカーから目指して止まなかった時代のトレンドを行くメーカーに変貌させた訳ですからレオーネの存在は大きかった、反面西郷輝彦=レオーネを憶えているヒトは数少ないのでしょう、そんなレオーネグランダムを知って頂けたら幸いとかつてのライバル、三菱バカが申しておりますが如何でしたでしょうかwww

Posted at 2025/08/10 13:36:23 | コメント(1) | トラックバック(0) | キャラクター | クルマ
2025年06月21日 イイね!

旧車とキャラクター…VOL.48

旧車とキャラクター…VOL.48
旧車とキャラクター…

ワタシの幼少期である60年代~国産絶頂期とも言える90年代位までの有名芸能人他スターをキャラクターに迎え逞しい商魂を発揮していた各社を振り返ってみたいと思います(^_-)-☆

VOL.48としてはこのクルマ!


『F10/11型日産チェリーF-Ⅱ』
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画像はチェリーF-Ⅱセダン

チェリーF-Ⅱ、このクルマを知ってる方はもしかしたら少数かもしれません(若年層は知らんで当然w)、系譜的には後のマーチや現行のノートが近いと思いますが直接の系譜は国内では2000年で名称消滅した『パルサー』、クルマ的にはパルサーから名称変更し2020年限りで国内販売を終了した『ブルーバードシルフィ/シルフィ』の元祖がチェリー、そのチェリーの2代目がこのF-Ⅱとなります(FFの2代目の意)

旧プリンスが開発に絡む日産初のFFとしてデビューした初代はそれなりのインパクトで注目も集めFF機構と独特なスタイリングが異端児(当時の基準)扱い、商業的には決して成功ではなかったながら現代ではその存在感が再注目され特に個性的デザインのクーペに関してはマニアからの熱い視線もあり名車として崇められています…

ただF-Ⅱに関してはこの旧車ブームにも関わらずほぼ取り上げられる事のない言わば日影の立場、デビュー当時は先代より大型化され初代がサニーの下位的存在だったところF-Ⅱではサニーと同等クラスに引き上げ、スタイリングもメインのファミリー向けセダン(2/4ドア)に関しては個性を弱めとっつきやすいイメージに変更、やはり当時は異質なFFが災いし初代同様パッとしない人(車)生でした。
若者向けクーペに関しては初代以上に個性派、当時のシトロエンのような日本人には理解不能なスタイリングは大不評、当時の評価が今も生きてる?感じで残存はセダンも含め絶望的、往時もセダンとクーペの目撃度は8:2位の割合だった気がします…。

チェリーF-Ⅱクーペ
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初代がA10/A12型エンジンに対しA12/A14型とグレードUPしたエンジンを搭載(画像はA14)
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さて、相変わらず長い前置きはご愛敬(^^;
ここからキャラのご紹介です!

F-Ⅱのキャラはお二方が勤めデビューの1974年(前期)の昭和51年排ガス規制モデル(1976年 NAPS)までが当時、新進女優として売り出し中の秋吉久美子さん!

”クミコ、君をのせるのだから”のコピーで大々的セールスを開始!
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当時20歳の秋吉さん、とてもチャーミングで人気があり各ドラマやグラビアなんかにも取り上げられ世の男性の目を癒してくれておりました、当時元Gureは小学校高学年、グラビアで興奮するにはまだ早いながらも”綺麗なお姉さんだなぁ…”とは思ってました、自分に同い年の姉がいるので見比べて余計その思いを強くしたりとwww

カタログも”クミコ”推しが強く肝心なF-Ⅱよりも秋吉さんが目立ってたって話もw
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変な?クーペのおかげで”クミコ”効果も薄かった感じは隠せませんorz…
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このF-Ⅱ、魔の排ガス規制といわれた昭和50~51年規制の施行時、排ガス適合が困難という中でトヨタ、三菱、ホンダなどが高性能ツインキャブを次々と適合不可としてカタログ落ちする中、A14型がツインキャブのままサニーと揃って規制をパス、この事からNAPS適合後に走りのイメージを強調、これによりナンパ?な印象の秋吉さんは退場となり新たなキャラクターに男っぽさを強調する”和製ブロンソン”佐藤充氏にチェンジ!

排ガス規制パス後は佐藤充氏がチェリーの顔に!


排ガス規制により希少となったツインキャブモデル”GXツイン”のインパネ
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佐藤充氏は60~70年代の脇役で活躍された俳優さん、米大スターのC・ブロンソンを思わせるアクの強いお顔立ちで若い頃はギャング映画の悪役や任侠物で渋い演技を見せ晩年はいいお父さん、いいお爺ちゃん役をこなされていました。
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若い頃の充氏
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充氏にチェンジ後すぐに後期型にMC、後期型ではよりスポーティ度合いを強調、当時大ヒットした映画『幸せの黄色いハンカチ』に乗っかろうと”黄色いチェリー”を売り言葉として若々しいイメージを訴求。
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イメージ戦略はそれなりに成功、生き残りのツインキャブ”GXツイン”効果もあり後期型は前期より好評で人気/売り上げも若干上昇、クミコさんの立場がないですがチェリーF-Ⅱと秋吉久美子、イメージに合わなかったって事でしょうかネ…!?


GXツインはサーキットでも活躍!


しかしながらF-Ⅱも日産が目論んだ販売台数、評判は得られず2代続けてスベったチェリーの名前が1978年に消滅、実質3代目からは新たに『パルサー』として生まれ変わりこのパルサーはネーミングチェンジが功を奏し人気/販売も好調でチェリーは哀しいかなこのパルサーの成功によりその名前が忘れ去られたキライがあります、何でも”童貞”をイメージさせるネーミングが悪いとの噂があり僅か8年で消えていった”チェリー”に哀悼の意を捧げたい、こう思っちょります💦
Posted at 2025/06/21 15:36:47 | コメント(2) | トラックバック(0) | キャラクター | クルマ
2025年04月29日 イイね!

旧車とキャラクター…VOL.47

旧車とキャラクター…VOL.47
旧車とキャラクター…

ワタシの幼少期である60年代~国産絶頂期とも言える90年代位までの有名芸能人他スターをキャラクターに迎え逞しい商魂を発揮していた各社を振り返ってみたいと思います(^_-)-☆

VOL.47としてはこのクルマ!


『CB1~4型ホンダアスコット』
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今は亡きホンダの地味セダン=アスコット、1989~97年の8年間、2代のラインアップでしたが今回取り上げるのは初代アスコットのほんの一時期のお話…

初代はホンダの重要基幹車種だったアコードの双子兄弟車でデビュー、例によってこの時代は慣例だった異なる販売店での着せ替え車種、アコードが以前からのホンダディーラーの”クリオ店”専属モデルとなり別販売店であった”プリモ店”向けに登場したモノで双子とは言えありがちな単なるFr/Rrのリ・デザインではなく同じセダンでもアスコットはアコードよりやや上級志向、高級車の証である6ライトサルーンや本革仕様も用意されていました。

6ライトとマークⅡやローレルを意識したバブル期特有の悪趣味内装が売りだった初代アスコット
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そんなアスコットのイメージキャラクターに据えられたのがWキャストの故・菅原文太氏と山下真司氏!
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アコード同様に新開発アルミブロックという先進的なF系エンジンも注目点
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しかしあくまで個人の主観ながらこの二人、どうしてもファミリーセダンのアスコットにはミスキャスト!?な感じが未だにしますね~、『仁義なき戦い』『トラック野郎』で有名な文太氏、晩年ならともかくこの頃40後半~50代のまだまだ血気盛んのギラギラ感がある時期、どやっても文太氏”ファミリー”とか”家庭”というイメージは難しくいや、実生活は違うんでしょうがアスコットに乗る文太氏、想像に難しい、やはりふそうFUの大型デコトラのイメージwww
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またこの頃はまだ若手扱いだった山下真司氏にしてもどうしてもファミリーセダンは不釣り合い、人気刑事ドラマ『太陽にほえろ!』のスニーカー刑事役でデビュー、その後『スクールウォーズ』の泣き虫先生が当たり役になった山下氏、しかし先生や刑事のイメージで家族を載せてファミリーセダンで幸せに走る的な画はやはり想像に難しい感じがして…
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アコードの4代目デビュー時に追加された初代アスコット、当初はキャラクター設定なしでしたがすぐに”Aセダンで行こう!”のキャッチと共にお二人が登場、両氏の関係も不思議で友人にしては歳が離れてる、父と子としては歳が近い、どういう知り合いなの?って感じ、CM的には住宅街にアスコットを停めばあちこちアスコットを二人で眺め”いいクルマだぁ”的にボンネットに寄りかかり両氏が語り合うという作りでバックには軽快な♪アスコット、アスコット~と音楽がな流れていたというモノ。
疑問は”Aセダン”ってナニ!?!?って感じで、未だに意味解らんですががお二人はそう長いキャラ期間ではなく1年半から2年程度で最後まで”何か違う…”て思いで観ておりましたねぇ、その後キャラはエリック・クラプトンに改められこちらも世界的ギタリストとファミリーセダン、う~ん…って感じ💦
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初代アスコットは93年までの4年間でしたがメインのアコードに較べ圧倒的に数が出ず売行きは不振、末期の92年に4HTバージョンの『アスコット・イノーバ』も追加するも鳴かず飛ばず、この事から2代目ではアコードから独立し新たに派生車種のラファーガを加え上級のインスパイア/ビガーの直列5気筒エンジンを搭載するスポーティセダン的にイメージを変更するもこちらも販売は芳しくなく97年までの4年間でラファーガと合算で3万台強という販売実績でした…

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大物でありながらもミスマッチな菅原文太氏、当時は名前は出てもそれほどの人気俳優にはまだなりきれていなかった山下真司氏、お二人には申し訳ないながら全くイメージに合わなかったホンダのキャラ設定ミスから始まり生涯”地味”だったアスコット、消滅して30年近くですがクルマCM好きにとっては究極のミスマッチ、アスコットは逆に?今だからこそこのお二人のおかげで忘れずに脳内に生きております(^^;
Posted at 2025/04/29 16:02:02 | コメント(2) | トラックバック(0) | キャラクター | クルマ
2025年04月16日 イイね!

旧車とキャラクター…VOL.46

旧車とキャラクター…VOL.46

旧車とキャラクター…

ワタシの幼少期である60年代~国産絶頂期とも言える90年代位までの有名芸能人他スターをキャラクターに迎え逞しい商魂を発揮していた各社を振り返ってみたいと思います(^_-)-☆


VOL.46としてはこのクルマ!

『N12型日産パルサー』
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パルサー、日産がまだFFが異端扱いの1970年に意欲作『チェリー』として発売、2代チェリーでリリースされた後1978年にネーミングチェンジで”パルサー”として新スタート、今回取り上げるのはこれの2代目となるN12型となります!

チェリー時代は決して商業的には成功とは言えないながら初代パルサー(N10型)、時代的にFFもそろそろ根付いてきておりチェリーを上回る販売と人気を獲得、その初代の勢いを引き継ぎ1982年にでビユーしたN12のキャラクターは今や”大物”ミュージシャン”として知らないヒトはいないサザンオールスターズ(SAS)とファッションデザイナーの森英恵さんを起用しました!

SAS、というか桑田佳祐氏がメインながら著名なデザイナー・森英恵氏という豪華な2大キャストで売り出すN12パルサー
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CMにはSASの楽曲が使われ桑田氏メインながらも今となっては希少な6人態勢のSASが通り過ぎるパルサー”ファンタステック!”と叫びながら全員で追いかける、終盤に森英恵氏の写真とナレーション的な作り、当時SASはデビュー3年位でデビュー曲「勝手にシンドバット」の印象からおふざけコミックバンド的な捉えられ方も多くまさか現在の日本TOPクラスのミュージシャンになるとは夢にも思わんかった…
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キャラ時代のシングル盤もパルサーとタイアップ!
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N12パルサーは3HB、5HB、4ドアセダン(後追加)、EXAと言われたクーペという当時らしいワイドなボディバリェーション、3HB~セダンとEXAのCMは分けて作られそれぞれ別バージョンでSAS、森氏を起用していました。
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補足ですがEXA(エクサ)は流行のリトラクタブルヘッドライトを持ちシャープな直線でスパットRrを切り落としウェッジを効かせた個性の強いデザインが賛否両論、このテのクルマとしては流麗さは乏しくこれは決して人気車にはなり得なかったながら83年にサニーターボからE15ETのターボエンジンを移植、前期ではイメージだけのスポーティモデルから実のあるスポーティクーペとなり若干人気も獲得した感じでした!(非EXAでもターボ追加)
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ノッチバッククーペのデザインが幸いし見かけより後席の居住性も許容範囲だったEXAの室内
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このN12も昔良く乗りました、1300と1500、1700Deのエンジンバリェーション、基本サニーと同様のE13/E15/CD17、ガソリンは日産コンパクト伝統のA型エンジンの流れを含むこのエンジン、1300でもよく走り(但しMTに限る)EXAほどではないながらセダンやHBもサニーよりもイケイケのデザインでどちらかと言えばサニーが保守的なファミリーユーザー向けだったのに対しパルサーシリーズは若年層~ヤングファミリー向け、尚姉妹車に販売店違いの『ラングレー』も先代から引き続き設定、こちらは”スカイライン・ミニ”の愛称を持つ高級&スポーティ志向、N12から追加された三つ子となる「リベルタビラ」がより年配層&ファミリー志向でした。

EXA/パルサーターボ搭載の115psを誇るE15ETターボエンジン
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N12の基本エンジンであるE13
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83年、日産と伊・アルファロメオとの技術提携を契機にパルサーのイタリア推しが強まり84年のMCで「ミラノX-1」なるグレードも登場、このMCと同時にCMキャラも変更となりSASは2年間のお勤めという結果でした。

新たなキャラに迎い入れられたのが「われら青春」「俺たちの勲章」「俺たちの旅」など、70年代青春ドラマで活躍した中村雅俊氏!!
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青春ドラマから約10年、30代に入ろうかという中村氏の大人の魅力を反映させたCM作りがなされここでもイタリアロケなどを用い新型パルサーのイメージをふんだんに訴求しておりました。
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役者としてだけではなくミュージシャンとしても活躍していた中村氏、SASの時代同様にCMで中村氏シングルタイアップ!
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86年の3代目へのFMCまで中村雅俊=パルサーを大訴求しましたが残念ながらこの当時はマツダのファミリア(キャラ:北大路欣也→中井貴一)やトヨタカローラⅡ3兄弟(Jマッケンロー→原田知世)、三菱ミラージュ(えりまきトカゲ)にホンダワンダーシビック(名曲イメージ戦略)等の協力ライバルも多く雅俊氏の奮闘も今一歩及ばず大きな戦績は残せなかった印象…
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時代的に大スター起用をふんだんに行っていた日産、大成功したのもあればせっかくのスター効果も全くナシという失敗もありました、N13パルサーはSAS、中村雅俊という時代の寵児起用ながら大成功とはいえないまでも未だにこうして憶えているオッサンもいますからねぇ、ある程度の効果はあったのでは!?と感じます(*^^)v
Posted at 2025/04/16 19:06:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | キャラクター | クルマ
2025年03月16日 イイね!

旧車とキャラクター…VOL.45

旧車とキャラクター…VOL.45
旧車とキャラクター…

ワタシの幼少期である60年代~国産絶頂期とも言える90年代位までの有名芸能人他スターをキャラクターに迎え逞しい商魂を発揮していた各社を振り返ってみたいと思います(^_-)-☆

VOL.45としてはこのクルマ!



『AA41V・S/AB41S/AB51S型スズキカルタス』
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カルタス、結構なマイナーモデルだったんで特に今の若い世代では知らんでしょうねぇ~ とは言っても最近、ロンブーの亮さんが愛車にしてネットで話題になったりしたのもあるんでデビュー40年超えてメジャーになったか!?!?

早く言えば今のスイフトのご先祖様でHOTハッチ全盛期の1983年にデビュー、スズキとしてはあまりに売れずに1969年に廃盤とした『フロンテ800』以来の久々の登録車を送り込んだ事で登場時はそこそこ注目を集めた感じ、当時はトヨタ1300スターレットや日産マーチ、マツダファミリア等のコンパクトハッチがそのリーズナブルさを前面に打ち出し持て囃されていた時期、そんな波にスズキも乗っかろうと当時アメリカで大排気量=極悪燃費で売り上げを落としていたGMと提携し共同開発した小型車、これの国内向けがカルタス…

しかし現在スイフト、ジムニーシエラ/ノマド等の認知度もありそんなイメージは払拭された感はあるも当時は”スズキ=軽自動車”のイメージが強固、とてもスターレットやマーチに対抗できる存在にはならず”カルタス”としては3代19年存在しましたがその後はスイフトに継承しようやく花開いたって感じですナ。。。

83年デビュー後もなかなか低空飛行から抜け出せないカルタスは84年、販売促進のために助けを求めたのが当時大人気の舘ひろし氏!

人気刑事ドラマ西部警察での巽刑事→鳩村刑事で一流スターの座を掴んだ舘氏
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元々クールスのリーダーとしてロック界にデビュー、クールスのイメージから暴走族=不良の印象で一部の層にしかウケない存在ながら70年代後半からは映画などにも出演し着実にキャリアを重ね30代になる頃に西部警察に出演し役者としての地位を固めた同氏、84年にはシングル「泣かないで」が大ヒット、歌手としても注目されその後は「あぶない刑事」「ゴリラ警視庁捜査第8班」などアクションドラマ・映画で活躍、50代になる頃からはコメディードラマ・映画などにも挑戦し活躍の場を広げているのはご承知の通りですね!
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さて、そんな舘氏、30手前でも何か老けていた印象(あくまで個人的感想)で少なくとも若々しさは感じず若者に訴求したいコンパクトハッチにどうなん?って感じでしたがとにかくキャラ起用後は舘氏全面推しが凄かったですねぇ~、まぁ西部警察時代から番組でスズキの協力が入り4輪では日産べったりながら2輪ではスズキが全面バックアップしてたりとバイク軍団(特機隊)隊長役だった鳩村刑事(舘氏)の愛車がスズキのカタナだったりとスズキと舘氏の関係は深かったのでしょう…

CMはもちろん、カタログやノベルティもクルマより舘氏推し!?
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しかしスズキも舘氏頼り一辺倒ではなく1986年に大幅なMCを実施、この時にDOHCエンジンのGT-i追加、地味だった外観にエアロ調の派手なマスクを与え挑戦的イメージを打ち出しCMコピーは究極の駄洒落”オレ・タチ・カルタス"なんてやってくれてこれはこれでウケてたかもw
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地味なイメージから大幅にイメージを変える1300GT-i
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カルタスのキャラをやっている頃、丁度舘氏はあぶない刑事で柴田恭兵氏とW主演で人気沸騰中、このためあぶ刑事メインの劇用車の黒パト(Y30セドリック)や大下刑事(柴田)の愛車レパードは一切運転する事はなくお約束である鷹山刑事(舘)が追跡する犯人がクルマで逃げる→道端に何故かキーが付いたまま置いてある?スズキのバイクでノーヘルで追う…という名シーンが確立していましたよねw

これ以後今でも続くあぶ刑事(映画)でも舘氏は助手席がバイクが定番となっていますがもうスズキとの関係も終わってるんだしそろそろ運転すれば?昔(西部時代)は430や団長
のZも運転したのが懐かしいですわwww

カルタスはと言うと…舘さんの奮闘も虚しく大幅なテコ入れにも関わらず人気は上向く事はなくGT-iの評価はそれなりに高かったながら当時はHOTハッチブームでスターレットのターボやマーチスーパーターボ等に埋没してしまい商業的には芳しいモノではなかった感じ。

普及グレードや舘バージョンまで揃え市場に訴求するもやはりクルマそのもののインパクトが弱く成功には至らず…
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初代カルタスは88年に2代目にFMC、舘ひろし氏のキャラクターも初代限りとなりましたが”オレ・タチ・カルタス”の名コピー、例え初代カルタスは忘れてもこのフレーズは今でも頭に残る強烈さ、現代で街行くスイフトを見ると心で「オレ・タチ スイフト?」と呟く、そうです・ワタシが変なおじさんです💦

若い頃老けていた分、70をとってくに過ぎた舘ひろし氏、ダンディーなイケオジになりましたが70~80年代アクションドラマで育った世代にはますますの活躍を期待したいですナ(*^^)v
Posted at 2025/03/16 17:19:23 | コメント(2) | トラックバック(0) | キャラクター | クルマ

プロフィール

「岸田と宮沢洋一、公明斎藤(広島)、石破(鳥取)、逢沢(岡山)って中国地方ってロクな議員いないな、この地区(ついでに森山の鹿児島、岩屋の大分、村上の愛媛も含め)だけ消費税10%維持、暫定税率維持で良くねぇ?ここの県民は次の選挙でもまだコイツら入れるなら非国民決定!」
何シテル?   09/03 17:55
元GureのHNで活動、新規ネタ&過去ネタをUP中、過去記事はかつてほぼ移住していた山梨や本拠でのクルマ弄り記録や過去シリーズ的に上げていた独自の企画モノを再U...

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