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2024年08月16日 イイね!

大化けした往年のNICE MODEL VOL.10~S130型日産フェアレディZ編~

大化けした往年のNICE MODEL VOL.10~S130型日産フェアレディZ編~
少年時代~青春期~壮年期~老年期wと常に日本のクルマ達を愛して止まず公私に係わらずに凝視し続けてきた元Gureが送る”大化けした往年のNICE MODEL”VOL.10となります!

尚、この企画では詳しいスペックや改歴などは省きソフト面=当時とその後の市場反応や人気の推移を重点に振り返ってみたいと思います、長文になるんでお暇がある時にお付き合い頂くと幸いです<(_ _)>


※内容についてはあくまで元Gure個人の思い出話です、内容に正確性を欠く部分もあるかもしれない事をご了承願います。

それではVol.10~S130フェアレディZ、早速やりましょう!
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1969年、従来のオープンスポーツのフェアレディ(SP/SR311)のFMC版としてデビューした初代S30Z、当時のスポーツカーの最高峰であった欧州のそれを目標とされ開発、それらに見劣りしない高性能と反して廉価だった事により海外、主に北米で大ヒット、アメリカでは”Z(ズィ)カー”の愛称で大人気となり10年近くのモデルライフを送った世界的な稀代な名車とも言えるでしょう…

完全クローズの2シーターHBクーペとなったS130Z、流れるようなスタイリング、特徴的な抉れたライトのFrマスクも国産他に類のない個性的デザインは現代にも通じる(現に現在のRZ34型はS30のモチーフ)存在感を示し国内でも大人気となりましたね!

国内でも69~78年の9年間という長きに渡るモデルライフを経てZとしては初めてのFMCで登場した2代目S130Z、デザインモチーフは先代を継承しながら主要マーケットからの要望もありボディを大型化、随所に時代に応じた新機構も取り入れ80年代のスポーツカーとして登場しました。
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先代後半にデビューした4人乗りの2by2と元祖2シーターの2種のボディ、そして先代では末期、排ガス対策の影響もありL20型2Lエンジンのみのところに新たにセドリック/グロリアから2.8L L28型エンジンの280Zを新設定、未対策時代の名スポーツである240Zを彷彿させる存在感を示します!

最高グレードとなる280Z-T 2by2
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S130はS30の精神を可能な限り継ぎコクピットやキャビンは低い着座に潜り込むようなドラポジはスポーツ気分満点、そのムーディな出で立ちを男心をくすぐるに充分でした…
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しかしS130Z、まず大きく重くなった事、強敵ライバルの出現、そして排ガス対策過渡期のデビューという不利な条件もあり評価は先代S30Zを下回ってしまいます…

ボディの拡大で居住性はUP(特に2by2)するも車重は先代の900~1t少しというものに対し1.2tを超え更に先代の51年規制NAPS→53年規制NAPSと若干ながら技術の進歩でパワーと取り戻せるも本来の力を失ったL20(E)エンジンでは明らかに非力、トルクの太いL28モデルでようやくZらしい走りができるのが実情、当時は税制改革前で3ナンバーモデルが異様に高い税金の時代であり一部の富裕層以外280Zは縁遠いクルマで販売も極少数、日産のイメージリーダー的な存在でもありました。

Zらしい走りを味わうにはL28E 6気筒SOHC EGI 145psエンジン
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足回りがALLストラット→Rrセミトレに変更され量産型となるもバネ下重量増加も不評…
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重ねてS30Z時代は唯一無二の国産スポーツカーとして君臨するもS130とほぼ同時期にマツダからサバンナRX-7が登場、REパワーとピュアスポ―ツとしてのドライバビリティは5ナンバーモデルの比較では明らかにRX-7が上回りこれに人気を取られS130は苦戦を強いられてしまいRX-7との比較からZはスポーツカーではなくグランドツーリング的な見方が強くなります。

S130もIMSA-GTOレースに参戦し”スポーツカー”アピールは欠かしていない…
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当時のRX-7の追撃は凄まじくS130も時代を追う事に次々に新バージョンを追加、アメリカで人気の高いマンハッタンカラー(2トーン)やTバールーフモデルを設定して人気上昇に取り組みます。

国産初のTバールーフ&マンハッタンカラーで人気獲得!
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また、大人気アクションドラマ『西部警察』と日産のタイアップにより主要劇用車に280Zの特別仕様車が出演、てこれにより免許を持たない低年齢層にもZの名前を知らしめました!

西部警察、大門団長専用車としてドラマで大活躍した”スーパーZ”
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これ以外にもL20/28共ECCSによる出力UP等も行われZの魅力を維持、280Zでは出力を155psまで高めスポーツカーの名目を保ちます。

81年~後期型S130Z
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こうして大量販売できないZへのたゆまぬ情熱を掛ける日産の矜持を見た思いもしましたが81年の初のMC以降終盤を迎えて1982年、遂に”最強のS130Z”を銘打って200Zにターボモデルが追加されます!

82年~Zターボ
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暴走族が社会問題化していた当時、ターボ=高性能=暴走と捉える時の運輸省の存在が走りのイメージの強いZのターボ化を阻み1979年より国産市販初ターボ登場以降、数々のモデルでターボ攻勢を掛ける日産も運輸省の顔色見ながら一番ターボが欲しかったZながら最後発のデビューとなってしまいカーマニアは430セドグロターボ以降首を長くして待ったZターボ、実に3年遅れ、モデル末期のデビューでした。

L20ET型145psターボエンジン
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L20ETはセドグロ、ローレル、スカイラインで既に搭載されていたモノで目新しさはなく加えてS130自体がモデル末期で期待したほどの話題にもならず市場の結果は日産の期待には程遠い感じ?ターボ追加時には次期型の噂も囁かれていたので致し方ないとは思いますがもう少しデビューが早ければ違った評価だったかもしれません…。

そしてZは83年に3代目となるZ31型が登場、S130はS30の9年には及ばず5年でお役御免となりました。

腐ってもZですからS30を下回るとは言えそれなりの人気のあったS130でしたが中古期になるとその後のZ31→Z32の進化、評価が著しく90年代に入る頃の中古市場では評単なる型遅れスポーツとして評価は芳しくなく常に一線の高性能とカッコ良さを求められるZとしては人気薄、90~2000年代では底値となりこの頃には逆に先代S30Zがプレミア化、同じ中古でも既にZ31/32も出回り始めS130は忘れられたかのような存在になってしまいました。

このように現役時代を除き長い事不遇を味わったS130Z、ここ4~5年で大古になった部分と旧スポーツカーバブルの影響から急激に取引価格が上昇、2010年頃では30~50万で取引されていたものが現在では200~300万、状態が良ければ400万以上という個体も存在、中古期の長い暗黒時代を知る者としてはアッと声出る価格帯で現在並ぶ”大化けモデル”と言っていいでしょう…。

何気に元Gureも過去、この130Zは200Zの2by2に短期間愛車にした経験があり53年規制のL20Eの動力性能は”悲惨”としか言いようがなく箱根の坂道では青色吐息、とてもスタイルと性能が合っておらずすぐに手放してしまいましたが”Zに乗っている”という満足感、若かったので外部からのアツイ視線は他に数多く乗った愛車郡の中でも一番だったと思もいますねぇ。。。

元愛車の2by2 200Z-L
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このS130、確か手放した時って15万位だった筈(平成元年頃)、今あれば少なくともその10倍では売れたでしょうねぇ、過去を振り返ると2輪/4輪に係わらず多数の”大化け”を粗末に扱っており未来が見える力があれば今では億万長者!?だったかもしれません、そんな思いを感じながら今売られているS130を眺めています!


往年のNICE MODEL VOL.10・日産S130フェアレディZ編…終

Posted at 2024/08/16 14:37:26 | コメント(2) | トラックバック(0) | プレミアム化モデル | クルマ
2024年07月31日 イイね!

大化けした往年のNICE MODEL VOL.9~S12型日産シルビア/ガゼール編~

大化けした往年のNICE MODEL VOL.9~S12型日産シルビア/ガゼール編~少年時代~青春期~壮年期~老年期wと常に日本のクルマ達を愛して止まず公私に係わらずに凝視し続けてきた元Gureが送る”大化けした往年のNICE MODEL”VOL.9となります!

尚、この企画では詳しいスペックや改歴などは省きソフト面=当時とその後の市場反応や人気の推移を重点に振り返ってみたいと思います、長文になるんでお暇がある時にお付き合い頂くと幸いです<(_ _)>


※内容についてはあくまで元Gure個人の思い出話です、内容に正確性を欠く部分もあるかもしれない事をご了承願います。

それではVol.9~S12シルビア、早速やりましょう!
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1960年代にオープンのファアレディのシャーシを使いクローズドボディのパーソナルクーペにて登場した初代シルビア、これは日産のイメージリーダー的立ち位置で少量生産の高額車、庶民には程遠い存在で一旦廃盤、数年後に2代目が当初日産製RE搭載を目論んで開発されるもOILショックにより頓挫、ブルーバード等に搭載されていた従来のレシプロエンジンを換装し既存B210サニーをベースとしたスペシャリティーカーとして1975年にデビューしますがRE→レシプロになった事が話題性に欠け更に当時はこの分野、セリカ1強という背景もあり商業的に失敗します。

そして1979年に2代目S110型がデビュー、兄弟車にガゼールを設定したりセリカに倣いノッチバッククーペとHBクーペをラインナップを施しワイドバリェーション化により高い人気を博し先代ではほぼ見向きもされなかった”シルビア”の名声を高めました!

そしてお題のS12型は1983年にデビュー、先代を継承しノッチバック/HBの2種のクーペ、幅広いエンジン/グレード選択もS110と変わらず販売店違いのガゼールも同時にFMCし2代目となっています。

83年、先代のイメージを引き継ぎデビューした3代目S12シルビア
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S110同様、シルビアがサニー店、ガゼールが日産モーター店扱いという事でガゼールはシルビアよりやや高級アピール、価格も同等グレードでも僅かにガゼールが高い、バリェーションもシルビアより絞られプレミアム感を高めているのでS110同様に販売実績はシルビアとガゼールでは5:1位の割合…


人気ドラマ「西部警察」での劇用車使用もありS110ガゼールで知名度もそれなりに高かったながらセドリック/ローレル等を扱うモーター店せはシルビア程積極セールスはなされずS110時代でも販売の中心はシルビア、尚、両車の相違点はこの時代特有の双子でありグリルやテールのリ・デザインのみでした。

シルビアと同時に2代目にFMCしたガゼール
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S12型は内面は大幅にクオリティUP、特に足回りが先代はRrリジットで弱点とされた部分を4独とし戦力UPするも全てがスタイリングが要因で人気は低迷、80年代日産の悪い特徴である内外ペキペキしたデザインが不評、先代S110が鋭い直線美でウェッジを効かせたスポーティさが人気だったところゴテゴテとしたオーバーデコレート感が強くせっかくの流行のリトラクタブルライトを備えるも流麗さに欠けてしまいそのボッテリ感、ゴツさがスポーツ、スペシャリティモデルとしては受け入れられずにS110で築いた支持を失います…。

S12のインパネもスポーティさは皆無でゴテゴテとした印象は評価を下げる!
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この時期人気だったスーパーシルエットでのレース参戦も先代から引き継ぎ健在、R30スカイラインやS110シルビアで日産のそれはかなりの人気、注目を集めるもS12の頃にはスーパーシルエット人気も下降気味に入りS110時代ほどの注目には至りませんでした。
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またこの時代、スポーツモデルと言えどもFR→FFの転換期であもありFFスペシャリティとしてデビューした2代目ホンダプレリュードや85年にやはりFFとなるトヨタセリカなどの登場もありシルビア/ガゼールはFRという点も一気に古臭い印象になり85年のMC後の1986年、売れ行き不振からガゼールは廃盤、シルビア1本となります。

後期型シルビア
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搭載エンジンはブルーバード等から換装される新開発CA型エンジン(普及型EGI NAのSOHCとDOHC及びDOHCターボ付)とS110から継承するFJ20型4バルブDOHC(NAとターボ NAはシルビアのみ)と当時の日産が誇るハイパワーエンジンも搭載、足回りも強化され実践能力は格段に上がりながらも旧型人気に及ばなかったS12、時代背景も多分にあるももう少しスタイリングが垢抜けていたら結果は違ったと思いますネ。

16バルブDOHC+ターボのFJ20ET型エンジン
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新開発DOHCのCA18DEエンジン
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芳しい成績を残せなかったS12は1988年に4代目S13型シルビアにFMC、当然?ガゼールはラインナップされず既に無かった事とされています(笑)

このS13は今でも名車扱いの大人気車種、当初は雰囲気重視のデートカーとして企画され当時これの第一人者であったプレリュードを標的とするもS12ではさんざん時代遅れと言われていたFRを継続した事によりデートカー需要を飛び越え走り屋層に絶大な人気となります!

このS13フィーバーはFRスポーツがこの後衰退の一途だったのもあり存在感を失わず長年に渡り継続、車齢10年を超えてもAT以外大幅な値崩れもなく高値で取引、しかしS12はその影に隠れ同時に長年の不人気、中古車業界では”箸にも棒にも掛からない”まで言われ値段も付きにくく潰される一途でした…。

しかし災い転じて福となる?S13が名車として崇め始められた2010年頃からは益々高額化、これに釣られるようにかつて潰されまくって希少化したS12も値上がり著しくこの2~3年の旧車ブームも追い風になり今や200~300万のプライスボードを掲げております(-_-;)

これも往時の悲惨な人気を知る世代としては正に大化けモデル、かつて乗っていて二束三文で手放したファンは今頃は歯ぎしりする思いでしょう、大化けらしい大化け車、S12シルビア(ガゼール)でした!


往年のNICE MODEL VOL.9・日産S12シルビア(ガゼール)編…終
Posted at 2024/07/31 16:56:33 | コメント(1) | トラックバック(0) | プレミアム化モデル | クルマ
2024年07月17日 イイね!

大化けした往年のNICE MODEL VOL.8~マツダS102/124系サバンナ編~

大化けした往年のNICE MODEL VOL.8~マツダS102/124系サバンナ編~
少年時代~青春期~壮年期~老年期wと常に日本のクルマ達を愛して止まず公私に係わらずに凝視し続けてきた元Gureが送る”大化けした往年のNICE MODEL”VOL.8となります!

尚、この企画では詳しいスペックや改歴などは省きソフト面=当時とその後の市場反応や人気の推移を重点に振り返ってみたいと思います、長文になるんでお暇がある時にお付き合い頂くと幸いです<(_ _)>




※内容についてはあくまで元Gure個人の思い出話です、内容に正確性を欠く部分もあるかもしれない事をご了承願います。

それではVol.8~サバンナ、早速やりましょう!
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日本のモータリゼーションの発展期=1960年代、一通り庶民訴求→マイカー(大衆向け小型車)が各メーカーから出揃いマイカーへの需要が満たされつつの時期、次に求められたのがスポーツカー…

60年代後半になると各社これらの開発、発売が行われトヨタ2000GT、日産フェアレディ、マツダコスモスポーツ等が発売されます。
しかしこれらのモデルは専用シャシ/ボディ、専用エンジン等による高額帯で誰しも庶民が手にできる代物ではなく限られた富裕層のみの高尚な趣味的な存在でした。

そこで70年代になると各社、もっと身近に、もっとリーズナブルに、もっと手軽にスポーツモデルを手にして欲しいと大量販売ができるセダン系普及車種をベースにしコストを抑えたモデル=当時の新カテゴリーとして”スペシャリティーカー”と言われるモデルを続々発売、トヨタセリカ、三菱ギャランGTO、いすゞベレットGT系、日産2代目シルビア(75~)等がこれに属しマツダの回答が1971年に登場したサバンナでした!

サバンナは当時マツダが推し進めていた”ロータリゼーション”、自社が血の出る思いで開発した世界初の市販ロータリー(RE)エンジンを全モデルに搭載する方針を打ち出していました。

市販初の2ローターのロータリーエンジン!
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小排気量でも2ローター化によりレシプロ1.6~2L並みの性能を誇るREエンジン、RE市販1号のコスモスポーツに始まりファミリア、ルーチェ、カペラに続々搭載、そのパワーからファミリアやカペラのREもサーキットで暴れまくるもシャシや脚が負けているのが顕著、そこでマツダが用意したのが新車種となり足回りも強化したサバンナ!

車格ではファミリアとカペラの中間に位置しトヨタのカリーナや日産ブルーバード510→バイオレット、三菱ギャラン等に対抗するものでカローラ/サニーに対するファミリアの上位モデルとしての販売戦略も大きかったながらサバンナにはレシプロモデルのグランドファミリアも用意、ファミリー訴求はそちらに任せ主にスポーツ系ユーザーへ的を絞ったRE専用車でした。

デビュー後すぐにレース参戦もカペラやファミリアからサバンナに切り替えサーキットでは当時無敵を誇ったスカイラインGT-Rに挑戦、1972年にはパワーアップさせたサバンナ(RX-3)でついにGT-Rの連勝を止め王座に輝く事でモーターファンは大注目を集め日本最速の名を誇りサバンナ人気、この時にキャリアハイとなりました…。

491cc×2ローターを搭載した初期型サバンナ(クーペ)
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ただサバンナはより拡販を狙い兄弟車のグランドファミリアにコンサバなセダン、そして商用バンが設定していた事もありこれらボディを使いセダン、そして4ナンバーバンを5ナンバーとしたスポーツワゴンもラインナップ、あくまでメインはスポーティ訴求のクーペながらセリカやGTOにはない幅広い選択肢が可能だったのも特徴。

サバンナセダン
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サバンナスポーツワゴン
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ただこのセダンとワゴンは当時でもレア物、セダンという性格上選ぶのはファミリー層でREの高性能を望む層は皆無、ワゴンにしても遥か後年にレガシィから火が付くスポーツワゴンブームが訪れますがまだまだライトバンとワゴンが混同されていた時代にワゴンに高性能を求めるユーザーもこれまたほぼ皆無、サバンナと言えばクーペ!!という印象が強かったですねぇ…

セダンやワゴンがグランドファミリアの存在から平凡でシンプルなデザインだったのに対しクーペは獰猛とも思える挑戦的な派手なスタイリング、その迫力はREパワーを誇示するに充分で当時の若者には同じく派手なセリカやGTOにも損辱ない支持を得たものです。

この時期のマツダのスポーツモデルの象徴であるT型ダッシュ、70年代らしいメーターの連なる雰囲気満点のインパネも評価高かった!
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当初491cc×2ローターの10A型REでデビュー、72年には上述の対GT-R対策573cc×2ローターの12A型を搭載したGTを追加(クーペのみ、74年以降10A型廃止)GT-R連勝阻止でサバンナGTは名声を決定付けます。

レシプロ換算で1200ccにも満たない12A型は驚愕の120psを発生
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そんな順調な滑り出しをしたサバンナでしたが1973年、初のMCと前後してサバンナ、いやマツダにとって悪夢とも言えるOILショックが世界的に襲いかかり高性能の代償に燃費が著しく悪いREエンジンは一気に奈落の底に墜ちます。

中期型モデル(1973~1975)
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RE商品化に伴い高性能を武器に対米輸出も積極的に行っていたマツダ、このOILショックによりアメリカのマツダディーラーにはRE車の返品の山となり勿論国内でも掌返しのRE不要論も囁かれる始末、ロータリゼーション推しで当時ランナップの半分以上がREモデルだったマツダは倒産の危機に陥る大打撃を被ります。

このため73年以降はRE全面推しを改め他モデルではレシプロ推しへと切り替えるも”RE専用モデル”として売り出したサバンナはマツダのREに掛ける意地を見せるかのように継続、1975年以降の排ガス規制で元々排ガスがレシプロほど汚れていないREにやや見直しの傾向はありましたが終売の1978年まで途切れる事なくカタログモデルで細々ながら販売を続けたのはマツダのREに対する矜持でもありましたね~。

最終モデル(1975~78クーペ)
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排ガス規制と同時に世はスポーツモデル否定に転じたのもサバンナには逆境であり月販数十台という燦々たる売り上げでもレシプロ専用のグランドファミリアがOILショック以降、比較的順調だったのが唯一の光明でした。

このような惨状からサバンナ人気はデビュー2年程度で急落、78年にFMCされピュアスポーツに代わった2代目に充る初代サバンナRX-7になりREやサバンナとしての存在感は一気に高まりますが旧型となるA102/124に関して中古車市場でも鳴かず飛ばずの悪況、極悪燃費と当時のREは耐久性がなくレシプロに較べ寿命が短く場合によっては5~6万㎞でO/Hが必要という事もありほぼほぼユーザーからは敬遠され80年代は金くれてもいらない的に嫌われており80年代のマツダ協力のアクションドラマ(探偵物語、大激闘マッドポリス80等)では破壊されまくるという哀しい過去も(泣)

ただその高性能、長年レースで暴れまわった経歴、イメージからこの頃隆盛を誇った暴走族には持て囃されワークス仕様にカスタマイズされシャコタン爆音を響かすサバンナの族車、湘南地区に行けば2~3台はお目に掛かれるといった有難くない状況が社会問題になったりと…

一時期は”族車専用車”の不名誉な称号まで!?
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こんな事からマツダも再販見込みがない残存するサバンナをメーカー自ら買取り解体するといった事例も多く80年代末にはすっかり姿を消したサバンナ、これらが要因で90年代以降、残存するサバンナはその希少性から急激に価値が上がり2000年代になる頃には3桁オーバー、現在では大古要素も加わり状態が良ければ800万とも1000万ともなり正に大化けですナ(+_+)

今やスーパーカー並みの価値にもなりえるサバンナ、あの頃(免許取得時)はその安さながら極悪燃費を嫌いグランドファミリアクーペを買いFr/Rrをサバンナに変更した猛者も居たながらも敬遠されたモデル、その後は大人達に眉をひそめられるという真に不名誉な人(車)生を歩んできたサバンナながら令和の現在、間違いなく大化け名車確定!

往年のNICE MODEL VOL.8・マツダサバンナ編…終

Posted at 2024/07/17 20:10:09 | コメント(1) | トラックバック(0) | プレミアム化モデル | クルマ
2024年07月11日 イイね!

大化けした往年のNICE MODEL VOL.7~三菱A30/31/32/33デボネア編~

大化けした往年のNICE MODEL VOL.7~三菱A30/31/32/33デボネア編~
少年時代~青春期~壮年期~老年期wと常に日本のクルマ達を愛して止まず公私に係わらずに凝視し続けてきた元Gureが送る”大化けした往年のNICE MODEL”VOL.7となります!

尚、この企画では詳しいスペックや改歴などは省きソフト面=当時とその後の市場反応や人気の推移を重点に振り返ってみたいと思います、長文になるんでお暇がある時にお付き合い頂くと幸いです<(_ _)>




※内容についてはあくまで元Gure個人の思い出話です、内容に正確性を欠く部分もあるかもしれない事をご了承願います。

それではVol.7~デボネア、早速やりましょう!
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”シーラカンス”のニックネームが有名な初代A30~33デボネア、その愛称の由来は1964年~1986年の22年間、ほぼスタイルを変えずに長きに渡り生き続けた事からなります!

デボネア以降はロングライフモデルも数多く(例:日産サニートラック、同Y31型セドリックセダン、最終型マツダボンゴ等)存在しましたが4年でチェンジが当たり前の時代に22年のロングライフ、他に例が無かったのも誇らしい?)称号に思いますw

当時のモータリゼーションはイケイケドンドンの時代、クルマは新しくすれば売れるという成長時代の中で各社、一つのモデルは大体4年がモデルサイクル、4年経過すれば陳腐化が進みフルモデルチェンジで再びそのモデルを活性化するのが常、そんな中デボネアはその機会を5回以上スルー、晩年には「まだ造ってんだ」ど三菱マニアすら眉をひそめる?有様…

ライバルとされたトヨタクラウン、日産セドリック・グロリア、マツダルーチェが上記の法則に倣い時代時代に於いてアップデートされる中、80年代になっても二昔前の60年代スタイルで存在したデボネア、トヨタ/日産に比較して三菱という中規模メーカー故にそれらのように高額帯で大量販売もできずより販売力のある小型や軽に経営リソースを集中するが故にデボネアに関して開発費を掛けられないといった事情が大きいですね~。

1964年、念願の高級車市場に進出を果たしたデビュー当初のA30デボネア(初期モデル)
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ただ自動車会社としては中規模でも旧財閥である三菱グループの一員、これらグループ企業の社有車、役員車としての需要は確実にありそれだけでもデボネアの存在理由となりカタログモデルでありながらも70年代半ば以降はほぼこういった需要とされ一般オーナーには縁の薄いモデルになっていました。

ライバルのようなエンジンやボディもワイドバリェーションでもなくほぼモノグレード(5人乗りセパレートシート/6人乗りベンチシート)、公用車以外に選択肢はない?設定、洒落た2ドアモデルもなければ価格帯での選択肢もない、ある意味三菱自身が途中から一般訴求を諦め自社グループ内向けだけにラインナップしていた部分もありましたね、さすが財閥大企業、倒産の恐れがない会社は違います(笑)

ただ22年間のうちでも適宣にアップデートは行われ当初三菱市販初の2L KE46型OHV直6でスタートした搭載エンジンは1970年にはSOHC6発とした新開発6G34型に換装、76年には排ガス規制の関係から下級ギャランシリーズの2Lを拡大した2.6L4気筒のG54B型に換装、エクステリアも初期に見られたいかにも60年代アメ車的なテュアドロップマーカーや三角窓の廃止、MTモデルの廃止(3速ATのみ)等ライバルのFMCには及ばないも4~5年に一度位の更新はなされております。

1965年、各パワー装置完備の「パワー仕様」及びB/W製3ATモデル追加
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1967年、インパネ全面刷新
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1970年、SOHC化された新開発6G34型直6エンジンに換装し車名を『デボネア・エグゼクティブ』に変更(A31型)
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1973年、三角窓を廃止、伝統のL型テールを改め新たにサイコロテール化(A32型)、1976年にエクステリアはそのままにMCAにより排ガス規制に適合させた4気筒G54Bエンジン搭載を機会に車名を『デボネア・エグゼクティブSE』とする(A33型)
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ただこのような初代デボネア、生産終了の86年以降に主にアメリカン好きから注目を集めます、比較的高年式(当時)で60年代のアメ車雰囲気が味わえる、役員車などで丁寧に扱われた個体が多く当時は不人気車だったので価格もリーズナブル、この事からローライダーやホッドロッド等アメリカンカスタマイズの恰好なベースとなる事から徐々に中古市場で人気が高まり現在の異常な旧車高騰の遥か以前の90年代には現役時代が嘘のような注目が集まり価格も高騰しています!

現代の業者AAでも時折出品されてきますが出てくるのはほぼ76年以降の最終型(A33)、ド初期のA30や31~32はまずもう残存はないと思われますがもしあれば太古車の要素もあり価格は天文学的なモノになるかもしれません、多く残るA33も上述の通り90年代からプレミアムが付きクラウンやセドグロの同年代が車齢を重ね30~40万の時代に3桁で出てきたりで往時を知る者としては驚愕でしたが現在では安くても300万は下らない、モノが無改造で程度良ければ4~500もあり得る金額にただただ茫然とするのみです…。

AAにはそう珍しい頻度ではなく時折現れる最終型
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元GMの生粋のアメリカ人がデザインしたまんまアメリカンな初代デボネア、その重厚な佇まいはとても5ナンバーとは思えず確かに今乗ってたら激シブですが生産終了から既に40年、最終型でも段々少なくなりつつですから菱マニアなら今のウチに抑えておきたい逸品です(ワタシには無理ですがwww)

往年のNICE MODEL VOL.7・三菱デボネア編…終
Posted at 2024/07/11 19:55:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | プレミアム化モデル | クルマ
2024年05月30日 イイね!

大化けした往年のNICE MODEL VOL.6~日産610型ブルーバードU2000GT/GTX編~

大化けした往年のNICE MODEL VOL.6~日産610型ブルーバードU2000GT/GTX編~
少年時代~青春期~壮年期~老年期wと常に日本のクルマ達を愛して止まず公私に係わらずに凝視し続けてきた元Gureが送る”大化けした往年のNICE MODEL”VOL.6となります!

尚、この企画では詳しいスペックや改歴などは省きソフト面=当時とその後の市場反応や人気の推移を重点に振り返ってみたいと思います、長文になるんでお暇がある時にお付き合い頂くと幸いです<(_ _)>



※内容についてはあくまで元Gure個人の思い出話です、内容に正確性を欠く部分もあるかもしれない事をご了承願います。

それではVol.6~ブルーバードU2000GT/GTX、早速やりましょう!
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現役時代から現在に至るまで”サメブル”の愛称で知られるブルーバードU GTシリーズ、その由縁は見た目通りの外観からの印象…

代々4気筒モデルのみだったブルーバード、1971年(昭和46)の4代目にFMC時に『U』の字をサブネームに追加、Uは”ユーザーの為の””ユーザー本意の”という意味合いから名付けられています。

310~510までの歴代ブルーバードに比較してこの時期各社が行っていたグレードUP、ブルーバードも例外なく慣行し中身はほぼ510のキャリーオーバーながらもボディを拡大し上級モデルへ移行、このため旧510も車種編成の上72年まで併売、73年には510のFMCとして新生710型バイオレットが誕生しています。

その73年、ブルーバードUも更に車格UPとなる6気筒エンジン搭載の2000GTを追加、ブルUには4ドアセダンと2HTが設定(他にバン/ワゴン)が設定されておりその両車型にラインナップされました!

従来の610ブルUのW/Bを延長、その全ては直6を積むためのノーズの延長に費やされ車室空間などはブルUと何ら変更ナシです。

ベースとなった4気筒610型ブルUセダン/HT
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当時絶対人気のGC110スカイラインGT(ケンメリ)の手法と同様にロングノーズ化、ボディ拡大によりイマイチ不評のブルUのカンフル剤としてブル販売店の要望によりラインナップされたサメブル、スカGに準じるスポーティな雰囲気はブルのスポーツグレードの代名詞だった『SSS』を上回るアピールがなされアメリカンマッスル調の逆スラントのツインバーチカルマスクにFrホイールハウス脇の装飾と併せてその様相は愛称通りのサメの頭のような迫力、これでスカG人気にあやかれる!とさぞブルディーラーマン立はヤル気になった事でしょう…。

従来型ブルUとは迫力が異なる”サメ”顔がド迫力の2000GTシリーズ!
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顔だけではなくRrビューも4気筒ブルUとはリデ・ザイン!
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バリェーションはL20型ツインキャブ(排ガス規制以後はインジェクション)のGTXとシングルキャブのGTという布陣はケンメリと同一、装備は基本従来型SSSを踏襲するもGTXにはより高級なカセットステレオやワイヤー式リモコンミラー等、ケンメリGTX、ローレルSGX(C130型)と同様の当時としては高級装備も奢られますがサメブル追加後4気筒版もMCが行われGTX同等装備を得ております(上級グレード)

当時の日産高級モデルの代表的パワーユニットであるL20型エンジンを搭載!
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しかしこのサメブル、スカGにあやかろうと言う思いもカラ廻り、元々当時それ程人気になかったブルUをいくら装飾しようにも人気/販売はサッパリ、値段がほぼ変わらないケンメリや少し足せばローレルも狙える高額をブルーバードに出すユーザーは殆どおらず不人気モデルの代表とまで言われてしまいます…。

この事から中古になってもせいぜい1~2度位の再販、ケンメリやローレルが製廃10年超えても5~60万の値段が付いていた80年代初頭ではサメブルは投げ売りの桁販売、ほぼこの時期には少ない個体も解体され90年代、ケンメリローレルの金額がうなぎ登りになる中でも僅かに残る個体も見向きもされない状況でした。

しかしさすがに2010年代になるとその希少性と往時を知らない世代からサメブルの支持も高まり徐々に値段が上昇、ケンメリローレルは高額ながら探せばまだ見つかる時代でも3桁には届かない額で稀に出てきていましたやはりこの3~4年では200~300万という大化けで往時の燦々たる扱いを知る世代にはただただ驚愕!
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サメブルは18歳の頃、貧乏な友人が5万位で買ってきてよく借りたモノ、L20ツインの走りは力強くまた市場反応と違い個人的にはあまりに多すぎるケンメリよりはサメブルはかなり好みでしたが乗ってるとケンメリローレルからの蔑みの視線を感じたりしたものです(笑)

現在、セダンはほぼ死滅、現役時代もその性格からHTの方がまだ見かけたので少ないながら出てくるのはHTが多いかな!?いずれにしても大古によるプレミア化を超える高額にただただ指を咥えるしかない状況に違いありませんです。

往年のNICE MODEL VOL.6・日産ブルーバードU2000GT/GTX編…終
Posted at 2024/05/30 15:33:48 | コメント(6) | トラックバック(0) | プレミアム化モデル | クルマ

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