
新企画“燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!”
ようやく立ち上げま~す(^^;)
まぁ、このようなライバルvs企画って雑誌等でも時々やってますので“パクリじゃねーか!!”とお嘆きの貴兄!
Gureなりの目線でありきたりの対決もやれば『えっ、コレってライバルなん?』みたいなモノも取り上げていきますんでこれまでの“華麗なる~”や”偉大なる~”のようにどうか気楽なお付き合いをよろしければお願いしますぅ。
さて栄えある?第1弾は…
これはベタですね(汗)→『初代トヨタセリカTA/RA20~23、25~28、35型vs三菱コルトギャランGTO A53/55/57C型』の前篇【誕生期】をUPしたいと思います!
奇しくも発売とFMCを同じ時期に迎えた両車、同じ時代を生き切磋琢磨する正に好敵手であり当時も今も王者であるトヨタが第三勢力以下の三菱により慌てさせられたという滅多ににない事例、70年の自工誕生と共に“新星三菱”として当時の持てる技術と意気込みで勝負した好対決だったと思います!
※1 この2モデルは7年間の存在で生産期間が永い為、今回の前編を【誕生期】・次回の中編を【繁栄期】そして後編を【終息期】に分けてUPします!
※2 このブログはあくまで趣味です、ワタクシ当然ながら開発・設計などに携わった訳ではないので全て記憶と各種文献等の力を借りてUPしてますのでGTOとセリカの全てを網羅している訳ではない点をご承知おき願います。
尚、一部画像流用もございますのでそれら管理者様、不都合あるようでしたらメッセージにてご連絡下さい、ただちに削除/差替え等対応させて頂きますので。
何故このvsを最初に選んだか?から触れておきますネ。
ワタクシは幼少の頃(4,5歳)にカー○オヤジが初代A50型コルトギャランを購入以来の大の三菱ファンになりました。
ギャランの60年代には他に類を見ない洗濯されたスタイリングと前衛的で迫力ある佇まいにすっかりオヤジ以上にホれこんでしまいましたがギャランにはこれのクーペバージョンである『コルトギャランGTO』(以下GTOで記載)が70年に追加されそれを見たGure少年はいつの日かコイツを手に入れ走りまわるのを夢にまで見るほどのファンになってしまい立派なオッサンになった今でもその時の胸の高鳴りは忘れない!
言わばワタクシを熱心な菱党信者にした原点がギャラン、そしてGTOだったのです。
デビュー翌年にはOLDドラマファンには有名な名作「キイハンター」にも劇用車として登場!TVの影響はよりワタクシにGTOの鮮烈で純粋に“カッコイイ”イメージを植え付けました(汗)
そんな幼年期もありGTO、免許取得してすぐに購入、2台乗り継ぎ現在でもチャンスあれば本気で再購入したい位のワタクシにとって永遠の恋人(汗)
また敵方?である初代セリカに関しても見逃せないいいクルマの一つですし昨夏、ひょんな事から軽いレストアに関わり現役当時はGTO一辺倒だったワタシに改めてこのモデルの魅力を再認識させたりと・・・
そんな訳でワタクシの愛して止まないGTOに高い壁の様に立ちはだかった横綱セリカとのvsを振り返ってみたい、第1弾をこれでテンション上げて行きたい!と立上げた次第です。
さて、前置きはこの位にして1970年、昭和45年にまずは三菱から10月に、トヨタからは12月にそれまでにない新ジャンルのクルマ=『スペシャリィティーカー』として登場したのがギャランGTOとセリカです!
所謂“マイカー元年”と言われた65~66年を過ぎ高度成長に伴いそれまで高根の花だった『自動車』を大衆でも手にできるようになった頃、この時にデビューした日産サニー(B10)、トヨタカローラ(KE10)を代表とした“大衆車”が3種の神器の一つとして庶民に浸透、これが行き渡ると国内でもスピードレースが開催(日本GP)されたり海外ラリーへの日本勢の参戦などもあり車好きな日本人も自動車先進国(米、欧州)のようにクルマの持つ最大の魅力=スピードを最優先するスポーツカーの欲求に飢え始めました…。
それに応えるべくトヨタがS800、1600GT、2000GT、日産(プリンス)がスカイラインGT(-A/-B)やフェアレディSP/SR、この種のパイオニア的ないすゞベレットGT、苦心の末実用化し究極のスポーツエンジンであるロータリー(RE)を搭載したコスモスポーツ、二輪の王者としての経験を4輪にフィートバックしたユニークなホンダSシリーズ(S500/600/800)等が次々ににデビュー、正に自動車界は華やかなる時代を迎えました!
しかしこれらの夢あるモデルは高性能と引き換えに専用設計、専用ボディ、ファミリーユースにはなりえない為の少量生産少量販売が災いしどれも高額が基本!! 人気はあれど実用には向かないためが故、ごく一部の恵まれたユーザーの為にだけの存在になっており良心あるメーカー技術陣、開発陣は何とか広くスポーツモデルを一般に普及させたいという思いはアメリカで成功していた“スペシャリィティーカー”に分野に着目!
“スペシャリィティーカー”とは?=実用的な既存セダンのシャーシ(含むドライブトレーン、脚廻り)を使い開発費と生産コストを下げスタイリッシュなボディとオリジナルのエンジンに少し手を加えスポーツカーに負けない性能と楽しさを味わえるリーズナブルな高性能単独モデル という意味合いのモデルであり米・フォードマスタングが代表されるやり方。
これを見本にしまずはGTOとセリカがデビュー、この後も各社、スペシャリティーカーの開発→発売が本格化した訳です。
さて、「新ジャンル」と言いますがこれに近い思想のモデルは既に存在、セダンのベレットのシャーシで流麗なクーペボディっを持つ64年登場の『いすゞベレットGT』、800ccの当時の基準ファミリーカーであったファミリアをベースにやはりクーペ化し1000ccを搭載した65年の『マツダファミリア1000クーペ』がありますがこれらは価格は庶民レベルだったもののベレGはあくまでベレットの、ファミリアクーペはファミリアシリーズのバリェーションモデルであり単独車種ではない為スペシャリティカーには成り得ず、セダンのフローリアンをベースにオリジナルデザインの高級スタイリッシュクーペとして68年にデビューした『いすゞ117クーペ』やSP311フェアレディベースの65年発売の初代シルビア等は少量生産が響く高価格から“スペシャリティーカー”の要件=“リーズナブル=広く普及”が満たせれず『高級パーソナルクーペ』としての認識とされていました。
65年がマイカー元年ならば70年は“スペシャリティー元年”と言いましょうか、とにかく70年に新ジャンルとなる“スペシャリティカー=リズナブルで大量生産ながら専用ボディを持つ高性能車”GTOとセリカが発売され国産車の歴史に大きな1ページを加えたと思います。
GTO、セリカ共発売前年の69年のモーターショーにて試作モデル/コンセプトモデルが公開されておりGTOは『ギャランクーペGTX-1』、セリカは『EX-1』がそれにあたります!
↓市販モデル(GTO)にほぼ近い姿で公開された『ギャランクーペGTX-1』
↓GTX-1に較べまだまだ“未来のスポーツカー”的コンセプトだった『EX-1』
69年のモーターショー、ワタシも行ってます、しかし5才です(笑)当然記憶には殆どありませんがオヤジが熱心に後々まで語っておりこの二つのショーモデルは人々の関心を非常に集めていたようです。
特にEX-1は当時考えられない、宇宙戦隊モノに出てくるような未来形のスタイリングはサイドラインやFrに後のセリカにテイストが表されていますが非常に斬新かつ期待感を醸し出し当時の車好きに夢を与えるに充分以上だったと思います。
一方のGTX-1はスタイリングの一部とまだ当時は珍しいカーブドグラスの採用、インパネ形状に翌70年に提携した米・クライスラー社のアドバイスにより若干の変更はなされましたがそのまま街中に出てきても遜色ないほどの現実的モデルでありEX-1がまだまだ超える壁(法的な事など)がある中、即、手の届くスタイリッシュカーとしてEX-1とはまた違った期待感を抱かせたに違いない!と感じます。
このように人々の話題をさらったGTO(GTX-1)とセリカ(EX-1)、当時の日本市場/ユーザーに充分需要アリと確信した三菱/トヨタ、翌年いよいよ発売致します。
それでは初期モデル(発売時モデル)のvs!!まいりましょー!
まず先発したのはGTO、70年10月、『コルトギャランGTO A53C型』としてを発売されました。
↓70/10、日本初のスペシァリティーカーとして発売されたGTO(70y MⅡ A53C)
GTOはそれまでの“三菱車”=元飛行機屋らしく頑丈だがスタイル的考えはないに等しく壊れないで動けばいいんだろ?的なイメージ を覆す斬新でスタイリッシュなデザインと胸のすくパワフルなエンジンで話題を集めトヨタ/日産に次ぎ翌年の三菱自工(69年までは三菱重工の一自動車部門)独立に備え“第三勢力”に名乗りをあげるべく登場し大人気を得たA50型コルトギャランをベースに開発、ボディ外板(ボンネットやFrドア)の一部と各パーツはギャランと共通させ開発費を抑えた中、ギャランより100ccスケールUPされたエンジンを搭載し当時アメリカで流行したマッスルカー(=マスタング/ダッジ等)的なウェッジシェイブの派手で挑戦的スタイリングなボディで登場!
ショ-モデルのGTX-1に本場クライスラーの意見が入った事とより空力を有利に流すダンブルホームのスタイルを強調、流行のコークボトルラインを工夫した三菱流の“ダイナウェッジライン”をギャランから継承しながら本家より随所を一層鋭いデザインで表現、Frの逆スラントに大柄なメッキ状二分割グリルやマッスルカーに倣いダックテールのヒップアップスタイルも日本初の斬新でより迫力あるスタイリッシュクーペを実現しました。
先に発売されやはり話題を巻いたギャランHT同様にサイドウィンドゥはフルオープン、センターピラーレスのHTスタイルを採用、スポーツモデルとしての当時の条件であった「クーペ」「HT」を同時に満たしていました!
GTOは70年のモーターショー直前デビューしショー開催と同時に三菱のメインブースで展示、話題と人気を博しその後の発売1カ月で3400台弱を受注するという三菱始まって以来の快挙でした!!
↓1970年の三菱メインブースにお目見えしたGTO
↓GTOのベースとなった前年69yデビューの初代コルトギャラン
それではGTO、発売時の主なモデル概要です。
【車名】
(正式名称)=コルトギャランGTO
GTX-1→GTOとなりましたが『GTO』の由来はフェラーリやポンティアックで既に命名されていた
“Grand Tourismo Omologate"→イタリア語、モータースポーツにおけるGTカテゴリとして公認された車
またはGTの中のより本格的なGTという意味をそのまま当てはめています。
因みに『ギャラン』はフランス語の“勇ましい”『コルト』は“仔馬”
【バリエーション】
MⅠ/MⅡ
【型式】
三菱A53C型
【サイズ】
全長4125mm全幅1580mm全高1315mm(MⅡ)1325mm(MⅠ)
【ホイールベース】
2420mm
【車重】
900kg(MⅠ)930kg(MⅡ)
【搭載エンジン】
サターン4G32型1600cc 直4OHC シングルキャブ100ps/14kgm(MⅠ)
サターン4G32型1600cc 直4OHC ツインキャブ110ps/14.2kgm(MⅡ)
(MⅡツインキャブは有鉛ハイオク仕様、レギャラー仕様は5psダウン)
【ミッション】
4速MT
【最高速】
MⅠ;180km
MⅡ:185km
【脚廻り】
Frストラット/Rrリーフリジット(MⅡはハード設定)
【駆動方式】
FR
【価格】
MⅠ;791,000円
MⅡ:848,000円
【当時のキャッチ・フレーズ】
「Oh! Hip up cope」
2種類のグレードからのスタートというそのパーソナル性を伺わせる展開だったGTO、ベーシックグレード「MI」はベースのコルトギャランの上級車種の装備が施され上位グレードの「MⅡ」はMⅠをベースにRrガーニッシュ、ラジアルタイヤ、ハイバックバケットタイプシート、ストライプテープ、ハードサスにデュアルエキゾースト等を装備、メイングレード的な立位置としコルトギャランの人気グレード、最上級スポーツ版のAIIGSとほぼ同じ装備が施されています。
↓GTOのメイン&上級グレード「MⅡ」Rrはデザイン同様の“サイコロテール”の角型テールレンズデザイン!
↓基本&廉価グレード「MⅠ」
搭載エンジンは先のギャランでそのパンチ力と独特なエンジン音(ギャラン・ノート)からマニアには高い人気を誇る“サターン・エンジン”4G30型を100ccスケールUPしよりパワフルにした4G32型OHCを搭載、この4G32は三菱の名機として長きに渡り存在しギャランVR-4やランサーエボリューションシリーズで一躍有名となった2L級のエンジンとては最高峰に数えられる名機4G63型の基礎となったモノ。
ベースのA50ギャランより車重が増えた分、100ccのスケールUPで補われGTOの走りは例えシングルキャブでも元気そのもの!この時代のトヨタや日産にないがさつながらもロングストロークによるトルクフルでパワフルなGTOの走りはさすがギャラン以前から培われたラリーでの経験が随所に生かされ楽しく耐久力に優れる傑作エンジンと高い評価を得ました。
その後この4G32はギャラン16L、ランサーGSR(A73)に搭載され海外ラリーで大活躍したのはご承知の通り!
以上のように当時の若者、カーファンに絶大な歓迎をもって迎えられたGTOですがこれに高い壁の如く立ちはだかる強力ライバルが登場します。
それが当時も今も国産NO1メーカートヨタから送られた強力な刺客である『セリカTA2♯型』です!
↓GTOに遅れる事2カ月の70/12にデビューした初代セリカ(70y 1600GT TA22)
セリカはトヨタ戦略らしくGTOの発売を凝視(業界では“後出しジャンケンとして広く認知)、その人気度と話題、実際の受注状況を見て市場形成がなされたのを確認した70年12月、GTOに遅れるべく事2カ月でデビューしています。
トヨタはカローラ(対サニー)やマークⅡ(対ローレル)のデビューで大成功した戦略をセリカでも採用=ライバルに先発させその市場開拓を見届けてからライバルに付加価値を付けて新モデルをデビューさせ話題、人気を根こそぎ持って行く を再度実践、実際には前年クレイモデルを発表しGTO発売時にはセリカも完成していながらもこの施策は“初のスペシャリティカー”の称号は逃すも非常に功を制する作戦でありカローラ(+100ccの余裕)、マークⅡ(HTボディを持つ)、セリカ(幅広いバリェーションを可能にするフルチョイスシステム)に次いでその後のNEWモデル発売時によくやる戦法でした。
EX-1のスタイリングアイディンティを随所に取り入れ当時の流行だった“コークボトルライン”もセリカ流にアレンジして採用、ボディ一体式バンパー、トヨタ2000GT譲りのグリップ式ドアハンドルが大きな特徴でそのスタイルは女性的な柔らかで流麗なイメージ。
GTOがアメリカンマッスルで鋭角的な男性的佇まいでフルファストバックだったモノに対しセリカは柔和で和風の美をも与える全体の優しいイメージの中にところどころにシャープさをまといながらも2ドアセダンと遜色ない居住空間を得られるノッチバック形式のHTボディを採用し実用性をも持ち合わせ好評を持って迎えられました。
全体に丸味帯びたラインから後に愛称“ダルマ”と誰が言い出したのか表現されるようになり現在でも親しまれています。
↓当時はまだ珍しいボディ一体成型バンパーのデザインが目を惹くセリカのRrビユー、GTOの角張ったデザインとは対照的なオリエンタルアイ風のテールがチャームポイント!
(70y 1600GT)
また、セリカの場合、GTOと違いベースになるセダンが既発売のモデルではなく同時発売された『カリーナ』(TA1♯系)となるのがまたセリカに注目を集めさせる要因でもありました。
↓セリカと同時発売のベースセダン、初代カリーナ
後にカリーナにHTや80年代には派生モデルの『セリカ・カムリ(RA55)』がラインナップされこの時の図式は崩れてゆきますがカリーナ/セリカ発売時、セダン版のカリーナ、そしてこれをベースにしたスポーツモデル=スペシャリティカー、セリカの同時デビューは実用向けセダンの存在が幅広い層にまだ注目される時代でしたのでこの戦略は大成功、カリーナの話題と同時にそのプロト版セリカもより注目される事となり69年のギャラン、70/10のGTOをも一気に霞めさせる威力がありました…
それではセリカ、発売時の主なモデル概要です。
【車名】
(正式名称)=セリカ
『セリカ』の由来はスペイン語で「天の」「天空の」「神の」「天国のような」という意味。
【バリエーション】
フルチョイスシステム(後述)基本ET/LT/ST、GT(専用)
【型式】
トヨタTA20型(1400)同TA22型(1600)
【サイズ】
全長4165mm全幅1600mm全高1310mm
【ホイールベース】
2425mm
【車重】
875kg(1400ET)~985kg(1600GT)
【搭載エンジン】
T型1400cc 直4OHV シングルキャブ86ps/12kgm
2T型1600cc 直4OHV シングルキャブ100ps/13.7kgm
2T-B型1600cc 直4OHV ツインキャブ105ps/14kgm
2T-G型1600cc 直4DOHC ソレックスツイン115ps/14.5kgm
(-B/-Gエンジンps/トルクは全て有鉛ハイオク仕様、レギュラーはエンジン型式に「R」が付加され5psダウン)
【ミッション】
3速AT/4速MT/5速MT
【最高速】
1400;165km
1600シングル:(MT)170km(AT)160km
1600ツイン :180km
1600DOHC;190km
【脚廻り】
Frストラット/Rr4リンクコイルリジット(GTはハード設定)
【価格】
(フルチョイスのため一例)
1400外装LT内装DX;642,000円
1600ツイン外装ST内装カスタムSW:770,000円
1600AT外装ST内装カスタム:772,000円
1600GT:875,000円
【当時のキャッチ・フレーズ】
「未来の国からやってきたセリカ」
さて、如何ですが?上記を見てGTOにないセリカのワイドバリェーションが特筆ですよねー。
本場米国でもこれほどまでワイドバリェーションではなく日本人好みの幅広い選択肢を提供したセリカ、ホントにこの戦略には脱帽です!
GTOが1600cc、2種類の設定だったのに対しセリカは米・フォードマスタングが行った「フルチョイスシステム」方式を採用、これはグループⅠにエンジン&トランスミッションを、グループⅡに外装、グループⅢに内装を幅広く設定しⅠ~Ⅲを自由にユーザーが組み合わせ予算に応じた自分だけのセリカを設定できるというもの。その組み合わせは実に幾何通りにもなり幅広い選択が可能と謳い注目を集めました。
GTのみ専用となりますが基本のグレード、ET(STD)/LT(DX)/ST(カスタム)にそれぞれ内外装、パワートレーンをアレンジできるというそれまでの国産車にはなかった“オーダーメイド”的感覚は当時話題になりました。
もっともデビュー数年後には「解りにくい」というユーザーの声からこの方式は縮小されてゆきますがエポックメーキング的デビューを印象付けるに充分以上の効果がありました!
↓フルチョイスシステムの一例(72y GTV追加後のモノ)
また、GTOが専用エンジンの1600のみの設定に対し20カローラ用のT型1400ccを廉価版としてラインナップしたのも大きな特徴で実際の販売台数は少なかったものの“リーズナブル”なスペシャリティーカーを印象付けるのに一役買っています。
トヨタ開発陣は前年のギャランGTX-1とGTOを徹底研究、その最大の戦法はズバリ“価格”であり三菱と違い大量生産と強大な販売力を生かし廉価版同志で実に150,000円も安く設定、GTOの上級MⅡとほぼ装備は変わらず5速、そして最大の売りであったDOHCエンジンを載せながらも僅か30,000円UPで最上級のGTが買えた点もその後の2車の運命を決定付けた大きな要因です。
フルチョイスシステムの対象とならない専用グレード『GT』はセリカの顔!
トヨタ2000GT、トヨタ1600GT、マークⅡ1900GSSに次いで登場したレシプロエンジンとして当時最高の技術と認知されていたDOHC機構は上記車種に搭載された3M、9R、10R同様にトヨタの既存エンジン(OHC/OHV)にヤマハ発動機の手によりDOHCヘッドを載せたモノで今として見れば2バルブで重量も回転も重々しく騒ぎ立てるエンジンではないですが当時としては絶大なステータス!これを大量に造られるT型をベースに安価で実現し世間にDOHCを普及させたのはセリカの功績でしょう。
上記3車や他社DOHCはいずれも高額でまた高性能な分、気難しい部分もあり手軽に買え手軽に乗れる代物ではなかったのがこのセリカの2T-Gによりある意味DOHCが市民権を得た感がありました。
ベースの大衆車用エンジン、T型そのものが当時は技術水準もあり構成パーツも必要以上に頑強に造られていたのが幸いしDOHC化による過酷な環境にも充分絶えこれも後にレース、ラリー界で大活躍する名機になりました!
↓セリカ(カリーナ)搭載用に開発された1.6LDOHC 2T-G型エンジン、黒結晶塗装のヘッドカバーが高性能の証!
一方の先発GTOですが発売後約1カ月後の70年12月1日、セリカ発売直前にイメージリーダーとなる最高捧である『MR』が追加されています。
↓約1カ月遅れで加わったGTOの最高捧『MR』
MRはGTX-1の発表時にギャラン用とコルトフォーミラー(レーシングカー)デチューンのDOHCエンジンを搭載した2種があり当然この種の性格のクルマでしたからDOHCに注目は殺到、しかしフォーミラーのデチューンではコストがかかり過ぎ当然レースエンジンですから一般ユースには向かずこれの搭載は断念、しかし何とか当時の最高のステータスであるDOHC版ラインナップ実現を賭けT型同様に既存4G32のブロックを流用しながらDOHCヘッド+ソレックスを載せる手法を取り市販化に成功したものでした。
↓OHCの4G32ベースに内製でDOHC化したMR用4G32型サターンAⅢエンジン(71y 中期MR)
搭載エンジンのサターンAⅢはデビュー時はトヨタ同様の黒結晶塗装ヘッド、中期~後期が画像のように広く有名なゴールドヘッドでした。(中期と後期は主にエアクリーナーの形状が異なる)
MRは内外装や装備をMⅡベースとし5速ミッション、扁平ラジアル、ブラックアウトホイール&ホイールリング、エアスクープ(ダミー)、ブラックアウトミラー、新デザインストライプ(通称鉢巻ストライプ)等を装備した本格GTモデルで性能/仕様は下記の通り。
【型式】
三菱A53CGR型(MR)
【サイズ】
全長4125mm全幅1580mm全高1310mm
【ホイールベース】
2420mm
【車重】
980kg
【搭載エンジン】
サターンAⅢ4G32型1600cc 直4DOHC ソレックスツイン125ps/14.5kgm
【ミッション】
5速MT
【最高速】
200km
【脚廻り】
Frストラット/Rrリーフリジット
【駆動方式】
FR
【価格】
1,145,000円
MRの追加で役者が揃った感じ(笑)
ではこれより《エンジン/ドライバビリティ対決》と行きます!
先記MRの諸元を見て解る通りセリカGTと較べ同じ1.6Lながら10psのUP、MAXスピードはセリカを10km上まわり1.6Lでは最速の200km、また0→400mで当時資料ではセリカGT 16,8sec、GTO-MR 16.4secの記録もあり最高グレード対決ではGTOが上でした!!
ただ、高性能な分、MRは非常に神経質で2T-Gのような気楽なDOHCではなく10分アイドリングしたら燃調が狂ったりプラグ被り、ストール等メンテを怠るとご機嫌斜めが顕著で乗り手を選ぶエンジンだったようです。
ワタシは残念ながらMRの乗車経験はなくどれほどの気難しいエンジンだったかは実体験がないので書けませんが2T-Gや10R(後の18R-G)は経験もありますのでこれと比較した感覚で言いますと当時、比較的管理の楽と言われた2T-Gでさえ現代のような訳にはいかずこれが日産のS20やホンダのSシリーズのDOHC等は調子を維持するには定期的にサービス工場に入れないと難しいという逸話がある程、連装キャブ時代は始動~ドライブ~維持まで儀式があるのが常でありサターンAⅢもこれに当てはまりセリカ2T-Gと違い乗る、維持に苦労をするモデルがMRだったと思います。
GTOとセリカの他搭載エンジンは全て経験があり非DOHCでもトヨタT型より三菱サターンの方がフィーリングもパンチ力も上、1400のT型は論外ですが16002Tもツインキャブの2T-Bならそれなりにパワフルでしたが出足、高回転、トルク感は全てに於いてサターンが上まわっていたと思います。
何もMRでなくともGTOはMⅡでセリカGT並のフィーリングを味わえましたし(実際2T-Gとサターン4G32ツインの性能や搭載モデルのパワーウェイトレシオは大差ない数値)下手なDOHCよりパワフル感モリモリだったサターンツインキャブ、これほど廻して乗って楽しいエンジンも稀に感じます。
ただ、扱い易さと気楽さはさすがトヨタ!って感じでT/2Tに関しては現代の感覚でも遜色ないかもしれません、また、T系はOHV、サターンはOHCでの違いは当然ありますがTのOHVはそれとは思えない軽快感があるエンジンでさすがにセリカに1400ではオーバーウェイト感が常に付きまといましたが1600であれば他と比較しなければ何ら不満のないもの。
サターン以外の1.6L、日産L16やいすゞG160等と較べても大人しいエンジンでしたがこの時代ではセ-ルスポイントとはならないながらも燃費的には一番で騒音、振動に関してもこれらを凌ぐ数字には表れない魅力があったのも事実です!
↓セリカで最も普及したのが2T-B型OHVツインキャブ105psエンジン(外装ST仕様に設定)
↓SUツインで武装し2T-Gと大差ない性能だった4G32型(ツインキャブ付き)エンジン
トヨタと違い量産によるコストダウンや強い販売力にも恵まれないMRは性能では勝ってもセリカGTの27万円高という高プライス、+10ps、+10kmにこの差額を払うユーザーは極稀でその後のこのライバル対決の勝敗を決定付けMRは僅か2年の存在と835台のみの生産で消えセリカGTはシリーズのイメージリーダーとして揺るぎない人気とこの手のモデルとしては驚くべき生産台数を記録してゆきます!
MRは文字通りのイメージリーダーモデルでGTOのメインはMⅡが務めました。
実際乗り較べてもMⅡとセリカGTにそれほどの差は感じないものでしたがやはりこの時代、DOHCは大きなインパクトでありセリカはこれを武器にGTOを駆墜してゆきます・・・
ここからは《シャシ・機構対決》になります!
シャーシは先記の通りGTOは既存コルトギャランを流用、このシャーシは当時の三菱が社運を賭けて開発したもので非常に優秀、1976年のギャランΣ(A12○A系)まで7年に渡り使用されGTOや兄弟車FTO、そしてA73ランサーもベースとするなど広く浸透したものでした。
一方のセリカシャーシはカリーナ共通の新開発、当時のカローラ20系、コロナ80/90系の中間サイズに位置しこのサイズがボディ外寸やホイールベースも含めたまたまギャランとほぼ同一のモノでした。
セリカ(カリーナ)はカローラ、コロナが60年代の古い設計のモノと較べこれもまた様々革新的であり新時代のファミリーカー・スペシャリティカーに相応しいモノでした。
セリカが圧倒的にGTOに勝っていたのは脚廻り!
GTOはギャランの流れから依然、板バネリーフ式を採用したのに対し4リンクコイルを採用、両車リジットであり脚廻りは4独のしなやかさで高評価を得ていた日産勢(スカイライン/ローレル/ブルバード)には適わないまでも低コストの中で先進的なリンク式コイルは板バネ特有の跳ねまわる動態を抑制しコントロールしやすくかつ乗り心地にも配慮されこの時代のリジットとしては秀逸だったと思います。
ただ、カリーナではちょうど良くてもセリカでは堅さにGTであっても物足りなさがあり峠道のロール感と踏ん張りは旧態以前でゴツゴツするGTOの板バネのフィーリングがワタシは個人的に好みでしたが当時の大多数はセリカを支持したと思いますし脚廻りチューンのポテンシャルどう見てもセリカが上!GTOは車重の関係からそれほどコントロールに気を遣う事はないながら弟分のFTOやA73ランサーでは慣れた板バネと舐めると暴れる挙動に手を焼くじゃじゃ馬的要素がありましたねー。
要はハンドリングも含めセリカはトヨタらしく誰でも安心して気楽に乗れGTOは玄人好み と総評でしょうか。
↓Frは両車ともマクファーソンストラットで共通ながらRrはGTOの板バネに対しセリカは先進的
なリンク式を採用(㊤GTOの前後サス㊦セリカのRrサス)
ハンドリングは圧倒的にGTOが上、当時は両車まだボールナット式でしたがGTOは当時の専門家からも絶賛を浴びたもので低速では軽く高速ではシャープなバリアブルレシオ式を採用、後のラック&ピニオンに近いハンドリングは正に玄人好みでありセリカのカローラやコロナよりはスポーティな味付けながらもまだそれらの悪い部分=重々しくゴムをよじるようなもどかしさが残っておりGTOと比較するとハンドリングに楽しさはなかったと感じます。
ミッションの感覚はどちらもFRエンジン縦置きのダイレクトですからカチッと気持ち良く決まるもの、但しセリカは66年発売のKE10系カローラの進化型を採用していたのもありシフトストロークが長く感触はこれの短いGTOによりスポーティさを感じます。
セリカ(トヨタ)は誤操作防止のためバックをリフトして入れるタイプ、GTO(三菱)は真逆のプッシュ(押す)して入れるタイプ、これはそれこそ好みですがこんな儀式をしてバックしていたのも懐かしいですw
尚、GTO MR、セリカGT共に5速はO/Dタイプでバックが右下に入るパターン、4速はセリカが同様にバック右下で三菱は左下、セリカに用意された3速ATはトヨグライドではなくB/Wタイプのトルクコンバータ。
続いて《インテリア対決》です!
気合の入った新鋭スペシャリティの2車ですからこの種のモデルらしく内装の雰囲気も非常に大事にデザインされていました。
当時のスポ車のトレンドは何と言っても連メーター!!
スポモデルのパイオニア、ベレットGTによりこれがお約束となっていた時代でメーターの数が多ければ多い程いい時代であり現代の水温計さえ廃される環境とは大違い、その分機関に信頼性がなかった?という意見もありますがそんな事はなくこれもこの時代特有の重要なステイタスでした。
インパネに関してはGTOの売りである“フライトコクピット”によりエキサイティングさを感じます!
まっ、これも好みですからどちらが・・・という訳でもなく甲乙付けられませんがクライスラーの意見を取り入れ8連メーター(時計含む)がドライバー側に湾曲するインパネは正に飛行機か!?と言えるムーディなデザインでありワタクシもこれにすっかりやられたきらいがあります(笑)
メーターは右から水温、タコ、スピード、電流、燃料、時計、そしてコンソロールに油温、油圧のレイアウトがドライバーを睨み知らずとヤル気になります!
フライトコクピットは69年発売のホンダが1300クーペで既に実用化していましたので新鮮さはなく“日本初”の称号も逃しましたがホンダのそれより迫力があり木目パネルを取り入れる等豪華な演出もなされていました。
↓8連メーターとフライトコクピットが嫌でも“ヤル気”にさせるGTOのインパネ(70y MⅡ)
対するセリカもフライトコクピットこそ採用していませんが時計を含めメーター数は6個 しかし油圧と電流を一つのメーターに収納しており水温、時計、燃料を単独、実際には7連メーターでありGTOより一つ少なくなります(油温が省かれます)
形状は70年代の流行りとなるドライバー部がせり上がり現代のやや目線の下方に位置するものとは異なりほぼ平行にスピード、タコが目線に入る感じ、しかしこの当時の日産はそれこそ衝立てのようにそびえるインパネで前方視界も悪いモノでしたがセリカの場合、そこまでそびえ立ってはおらず前方も見やすくドライブに支障はありませんでした。
↓GTOに較べおとなしめながら充分にスポーツ心を満足させるセリカのインパネ(70y 1600GT クーラーはOP)
インテリアに関してはノッチバックでしっかり4座を、そして後方/側方視界をも確保し明るいイメージのセリカ、後席はあくまでパッセンジャー的で座面が落とし込まれ実用には不向きながらその形状がスポーツ心を満足させるGTO、これも好みとライフスタイルで意見が分かれると思います!
ただ確実に言えるのは・・・セリカの方がバックはしやすかった(爆)
実用を重視する方はどうぞ先発のギャランHTを!!という感じだったのでしょう、GTOはその分セリカより思い切ってましたねー。。。
シートデザインはセリカがオールビニールレザーのヘッドレスト一体式でグレードによりデザインが変わり当然GTが最も豪華でスポーティ、各部にさりげなく木目パネルを使う手法は当時のスポーツモデルの典型でした。
GTOはMⅠにヘッドレスト別体式シートを採用、MⅡ/MRはバケット風ハイバック、シートセンターのみファブリック地としセリカに較べ高級感を持っていました。
両車ともにセンターピラー、ドアサッシュレスのHTボディですがGTOはRrサイドウィンドゥの形状から後席では閉塞感が拭えません、セリカはプレーンなスタイリングのお陰で後席でもHTの解放感を充分に味わえた印象が残っています。
↓両車とも、まだこの時代はビニールレザー当たり前ながらハイバックシートや表皮デザインは
ムーディ!セリカはGTまで含めオールビニール、GTOはMⅡ/MRに関しては部分ファブリック。
(㊤70yセリカGT㊦70yGTO MⅡ)
スポーツ装備はほぼ互角のモノであったと思います、例えばステアリング、GTOはギャランAⅡGSで既採用の革巻き朝顔タイプ(スポークがボスよりOFFセットされる)、セリカは低グレードはプラ(=カローラ/カリーナと共通)上級はウッド風となりこれはもう選ぶユーザーの好みですネ。。。
快適装備ではセリカGTが当時では高級車にしか装備されなかったパワーウィンドゥが標準!より高額なGTO MRでさえOP設定でしたのでこの辺もトヨタの割安感を高める戦略だったと思います。
とにかく当時はこういったパワー装備は庶民の憧れでしたからオーナーステイタスを満足させる重要なアイテム!
今やライトバンでもトラックでも当たり前な装備ですが・・・(汗)
ただセリカにはない装備としてこの時期、三菱がやたら運転姿勢に気を遣っていたのを示すようにこの時代に早くもチルト式ステアリングを採用していたのも見逃せません!
チルト式はギャラン前身のコルト時代に既に採用されていた便利装備であり当時はそれほど注目点ではありませんでしたが後に他メーカーも採用し今では常識的装備になっていますのでこんな所に元飛行機屋らしくドラポジに重要性を見出していた三菱、先見の明アリ!!といった感じです。
以上のように1970年に出揃ったこのライバル両車!次回後編の【繁栄・終息期】ではGTOvsセリカの激しい闘いをモデル改歴と共に振り返りこれに絡んでくる他社勢(いすゞベレットGT-R、マツダサバンナ、日産2代目シルビアS10/11型など)にも触れてゆきたいと思います!
次回をお楽しみにー(^^)v