
1960年代中盤~後半、高度成長に湧きかえる日本はようやく一般市民が軽自動車から6、800~1100ccの所謂“大衆車”と言われるマイカーを手に入れられるようになった時代、東京オリンピック以降の東名や名神高速の開通により“ガマン車”と言われた軽では難しかった高速連続走行、長距離ドライブがこれら大衆車の普及で現実になりました!
ようやく日常に「車」とうモノが手に入った日本が次に夢見たのは欧州や米国の外車達!!
ピーンと背筋を張ったGMやフォードの高級車や流麗なスタイルで夢のような高性能を背負うジャガーやポルシェ、アルファ等…
そこで日本の各メーカーは大衆車開発が一段落すると米国セダンに倣った高級車や欧州を手本としたスポーツカー/パーソナルカーの開発に取りかかりました。
前者は既存のクラウン、セドリック、グロリアをよりアメリカンナイズし新車種として三菱デボネア、いすゞベレルが参入、そして後者はトヨタ2000GTやスポーツ800、日産初代シルビア(CPS311)やホンダSシリーズ、マツダコスモスポーツ等が挙げられますね!!
前置きが長くなりましたがこんな最中の69/10に東洋工業(当時マツダ=以下これにて記載)から67yのコスモスポーツ、68yのファミリアロータリーに続くロータリー車第三弾として発売されたのが66yレシプロの中級セダンである初代ルーチェSVA型をベースに新開発したのが『ルーチェ・ロータリー(以下RE)クーペM13型』でした!
“華麗なる一発屋” 今回はこのクルマを取り上げたいと思います!!
ルーチェREクーペ、『クーペ』の名前ながらこれは後にメジャーになるドアサッシュ/センターピラーレスのHTボディのスタイルをまとっています。
既存セダンのデザインは基本形がベルトーネ所属の鬼才、Jアーロ、セダン同様クーペもこれを基に内製デザインながら見事にJアーロのラインを崩さず美しいHTボディを実現、当時は当たり前だった三角窓すら廃しすっきりしたサイドビューは伸びやかなデザインに一役買っていました。
ただ、デザインこそ66yデビューのセダンを踏襲していますがREクーペの中身は全く別物のクルマ、シャーシはもちろん搭載エンジンも全てREクーペの為に開発したもので2代目以降のルーチェ(LA型)にもHTは存在しましたがこちらはスタイルのみセダンとは異なるも中身は全く同一モデルでしたのでREクーペにおいては後継もおらず僅か1代で消えながらRE初期のマツダのイメージリーダーの役割をしっかり果たした正に“華麗なる”一発屋に相応しいモノと勝手に認定させて頂きました(^^;)
鬼才、Jアーロのデザインが目を見張るルーチェREクーペ
REクーペは67y、68y、69yの過去3回のモーターショーで『マツダRX87』としてショーモデルが展示されており69yのショーはワタクシもかすかに記憶があり当時は普段見慣れていたルーチェが2ドアになるとこんなにカッコいいものなんだ~ と非常に興味持って眺めていましたね~。
3回のショー出品にて市場動向を見分した上で69yの発売となります。
ショーカーのRX85とは部分的に変更がなされてはいましたがあらゆる点で衝撃的なREクーペは大きな話題と羨望の目で迎えられました。
原型となった66yデビューの初代ルーチェ(セダン)デザインは共通ながら似て非なるモデルでした!
血に滲むような苦労でREエンジンを実用化したマツダが最初に放ったREカーはその特性を最大限アピールするスポーツカーであるコスモスポーツ、誰もが目を見張る近未来的なスタイルと高性能ながら148万という当時としては超高額(参考=67y MS50クラウンスーパーDXが112万円、66y KE10カローラ1100DXが49.5万円)だった為こちらはマツダのシンボル的存在で一部の恵まれた階級の方のみしか手にできないモノ、そこでマツダはREを一般普及させる為に大衆車ファミリアにもREを搭載し70万円で発売し大喝采を浴びました。
そしてこのルーチェRE! このモデルはコスモスポーツが一つのRE頂点=スポーツカー としながらもう一つ頂点として高級パーソナルカーとして登場、二つのグレード設定がなされ標準のDXでコスモとほぼ同等の145万円、上級スーパーDXではコスモを上回る175万円という驚きの金額でしたがその高額の理由には訳があり先記のように名前とスタイリングは既存ルーチェを踏襲しながら全くの新開発車である事が一点、当時の日本には馴染みの薄い新技術や新機構をふんだんに盛り込んだと言う二点目が挙げられますね。
尚、同じjアーロのデザインでやはり注目高かった高級パーソナルのいすゞ117クーペが172万円、こちらは構造設計は冒険を避け当時としては平凡な部類ながら「ハンドメイド」と言う点でREクーペ同様の高額です、この時代にこれらを手にできた方々って凄いですよねー、今みたいな長期ローンなんてまだないですし(汗)
さて、REクーペですが心臓となるREエンジンは655cc×2ローターの13A型RE 126ps という新開発でRE最大排気量でコスモやファミリアの10A/Bとは比較にならない高性能、当時としては重量級のルーチェREクーペの1.3t近い車重(スーパーDX)をものともせず前期型コスモを上回るMAX190kmまで引っ張り『ハイウェイの貴公子』とマツダマニアには有名なキャッチコピーが光っていました!
↓ルーチェREだけに搭載された13A型REエンジン
また更に驚くのが駆動がFFだった事!
既存セダンのルーチェは当時は基本だったFR車でしたのでこの時点で既に別物ですね。wikiその他文献でも何故マツダがこのクルマにFFを採用したかは不明との事、確かに当時は生産性が悪く経験もない(マツダ初のFF車)モノですし高額になったのもこれが一因だと思いますしねー、諸説では欧州のREお手本となったNSUバンケルに倣ったとかセダンのルーチェが当時の1.5Lセダン(後期は1.8L)としては大柄で大人6人が楽に乗れる、というのをセールスポイントにしていた為、例えクーペ(HT)と言えどもルーチェの売りを踏襲したく室内スペースが有利だったFFを採用し話題を得たい、いう意見もあるようです。個人的には後者の説がもっともらしいかな? と・・・。
FF採用のいい点としてこれによりデザイン(ホイールベース等)の制約が少なくセダンとは比較にならないワイド&ローの伸びやかなデザインとなり当然、プロペラシャフトがなく広々した室内はワタクシも一度座りましたが(ドライブは残念ながらしていません・・泣)セダンをも上回る広さとHT形式がより解放感を与えていました!!
↓FF化により2ドアと言えども広い室内
↓インパネデザインは基本セダンと同一
またFFとした事により脚廻りも高性能で高級パーソナルに相応しい4独サスとなりFrウィッシュボーン、Rrセミトレーリングアームというモノ。
バリェーションは先記のように2種、上級のスーパーDXはラジアルタイアやディスクブレーキといった当時では憧れの装備は当然、レザートップ、各オート装置(パワステ、パワーウィンドゥ他)等がフル装備、この時代でエアコンまでもが装備されていたのが目を見張ります!そりゃ高い訳ですよね~~。
このように何もかもが衝撃的だったREクーペですが実際に市販されると様々な問題があったようです。
まだまだ未熟だったパワステの操作感覚とFF化によるFrヘビーによる尋常ではないアンダーステア、強度不足のドライブシャフなど耐久/信頼性のに不安がつきまといそのあまりに高額すぎる価格も相まって販売は不信を極め似たような価格帯ながら設計が平凡だったが故に信頼性が高く少量生産ながら販売も順調だった117とは逆の運命を辿り発売から約3年の72/9、僅か976台の生産でENDとなってしまいます。
この時マツダは既にRE普及をファミリアに続いてカペラ、サバンナにて果たしておりREクーペと前後してコスモスポーツも生廃、二つの“イメージ・リーダー”はお役御免となった感じでしたねー!
この後ルーチェはセダンのみのラインナップに戻り同年11月にはフルチェンジ、2代目LA型となりこの時に再度HTが追加されるもこれはREクーペとは異なるセダンと全て(デザイン以外)を供用した大量生産モデルとなっており同じルーチェの名を持つ2ドアモデルでありながらクルマ的には何の脈略もありません…
2代目ルーチェHTは量産型となり価格も常識化、REクーペと較べ普及率は格段に上昇しました!
まぁREクーペ、このモデルはトヨタ2000GTやシルビアのようにハナから量産するつもりも大量に売る気もなかった言わばマツダの、同社の当時の持てる技術力や理想を掲げた究極なるイメージ・リーダーカーですから3年、1000台近く世に出たという事実だけでも充分存在理由があったかとは思います、その証拠に僅か3年の存在ながらその存在はしっかりと今でも生きており流麗なるデザインの美しさは現代レベルでも色褪せず国産10傑の秀逸デザインにも入るのではないでしょうか・・・
驚きの価格で幻のような存在だったルーチェREクーペ、これぞ正に“華麗”という言葉が似合う『一発屋』だと信じて疑いませんです!!