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2019年06月26日 イイね!

19××〜あの頃?1970年代(後編)

19××〜あの頃?1970年代(後編) ※この記事は2016/8に上げたモノの改訂版です。

60年代のイケイケがそのまま続き繁栄に酔いしれる市民の影に忍び寄る暗い影、73年のOILショックや75年の排ガス規制はクルマ社会は当然の事、市民生活にも多大な影響を及ぼし60年代の明るい時代から一気に、特に中盤以降は不況、インフレに人々は苦しみ過ぎ去った60年代が夢のような時代と思えた時期、各自動車メーカーにとっては苦難の年代ながら今振り返らば世界一になるための試練の年代でもあった訳ですね。

そんな時代の各社モデルの振り返り、後編はホンダ〜ダイハツまでを取り上げてみたいと思います。

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(ホンダ)
各社にとって苦難以外何者でもなかった70年代ですがホンダにとってはその卓越した技術を世に広めた絶好の時期、世界一排ガスが綺麗と言われたCVCC技術を武器に現在の地位を築く基礎になった時期です。

浜松のいちバイク屋が世界のホンダとして認められた70年代、50〜60年代の2輪での優秀性は既に定評あるものでしたが4輪でも当時世界No3、国内No1であったトヨタですら排ガス対策技術に教えを乞う程の技術力を持つまでに登りつめた実績、CVCCこそがホンダが花開いた瞬間でえあったと言えるでしょう。

そのCVCCを広めたのが初代シビック(72y)!

まだ他社が60年代を引きづるハイパワーモデルの呪縛が解けずやれDOHCだソレックスだ、やれツインキャブだREだとやってる中にホンダは排ガス規制という強敵に備え早くから準備、他社が過去の亡霊に捕らわれていた時期に着実に研究開発を怠らずかつホンダにとっては吉であったOILショクが到来、それまで1psでも出力が高く10kmでもMAXスピードが高い方がイイ車!と言われていた中でのOILショック、当然こうしたハイパワーでは燃料他お金もかかる、OILショックにより景気もどん底になる中で庶民は従来のようにがぶ飲みの不経済車は見向きもしなくなりました。

その変革は正に急激でつい昨日までケンメリRだセリカだ騒いでいた若者でさえこれらが脚光を浴びてる頃にポッと出てきたシビックに人気の的は一夜にして変革、派手なクーペやHTとは無縁であるFFの2BOX、1200ccで性能こそ平凡ながら低燃費とクリーンな排ガスによる優遇税制などが注目され73年に追加されたCVCCを搭載でその人気は不動のシビックブームが起こった程で元祖エコブーム、ちょうど数年前の猫も杓子もプリウスって時代にそっくりと言えば若い方も理解できるでしょう…

↓ブームを作った初代シビック!


シビックの大成功により以後シビックのコンセプトを注ぐ中級車市場にアコード(76y)で参入、これまで軽〜1500ccクラスで生きてきたホンダ初の1600〜1800級への飛躍もアコードで果たします、このクラスは老舗コロナブルーバード他並み居る強豪が揃うクラス、この中で当時第5第6メーカーであったホンダながらシビック同様にCVCCが最大の売りとなり成功を収めました。

↓シビックコンセプトで1クラス上に訴求したアコードも発売


このようにどうしても70年代のホンダと言えば“CVCC”の印象が強いのですが70年代初頭ではハイパワーブームを継承しリッター100psで鳴らしたスーパーミニのホンダN360から発展した軽スペシャリティのホンダZ(70y)や空冷4気筒4キャブでこちらもリッター100psのスーパー大衆車?で驚かせたホンダ1300を発展させたホンダ1300クーペもリリース、Zは高性能ミニが人気の時期に独特な個性的スタイルでスズキフロンテクーペや三菱ミニカスキッパ−、ダイハツフェローMAX HTと並びスーパーミニ市場を彩りました。

↓排ガス、OILショック以前の名作、ホンダZ


1300シリーズはホンダならではの拘りのクルマ、DDAC(一体二重空冷)や当時は異質なFF方式、4キャブ(1キャブもあり)によるクラスを超える高性能さをアピールしますが市場受けはならず商業的には失敗に終わります。

↓意欲作、ホンダ1300クーペ


しかしこの頃からホンダの変わり身の早さは既に現れておりその背景にはCVCCの予想を超えた成功もありますがあれほどN360で軽市場を活性化しながらも排ガス対策に不利と見るや軽市場から撤退(75y)やDOHCを軽トラに乗せその後Sシ―リーズでスポーツイメージで売りながらもCVCC以降はスポーツモデルを一切否定する等の姿勢は一部で批判を浴びました。

※他のホンダ70年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・バモスホンダ(70y)・ライフ(71y)・ライフステップバン(72y)・145(72y)


(いすゞ)
50〜60年代は日本のBig3に数えられたいすゞでしたが高度成長期の需要の伸びから本業であるトラック事業があくまでメインとなり乗用市部門はサブ的立ち位置に変化、トラックの利益で乗用をリリースするスタンスに70年代からシフト、その姿勢は乗用撤退となる90年代まで不変、ここに至るまで徐々にシェアも減らし車種も減らしてゆきますがいすゞらしい先進性とワイルドなエンジンを組み合わせた独創性に長けたクルマ造りは最後まで不変、70年代はまだまだいすゞ車の魅力がふんだんに味わえるモデルがラインナップされていました。

基本は60年代同様の小型乗用のベレット→ジェミニ(74y)に中級ファミリー用セダンのフローリアンにスペシャリティ高級クーペの117というライン、いすゞというメーカーは冒頭申し上げたようにトラックのサブ的乗用開発の為乗用車を頻繁にFMCする事が出来ずその部分で不利ながら時代時代に於いて更新するのを惜しまず特にイメージリーダーで国際的にも認められた117クーペに於いては15年近くの生産期間をもっても最後まで魅力を失わず廃盤になって改めてデザイナー(Jアロー)の奇才ぶりが実感できたモデルだったと思います。

そんな”長寿”が特徴のいすゞ車ですが長らくいすゞ乗用を支えてきたベレットが74年にジェミニ(当初はベレットジェミニ)にFMC、フローリアンと117は更新更新で変わらずラインナップされています。

↓70年代初頭はDOHC搭載もなされたベレット(GTタイプR)


↓74年に10年ぶりにFMCされたベレット後継のジェミニ


フローリアンはデビュー時からパッとしないクルマ、第一次ハイパワーブームと被りながら速そうなスタイルもハイパワーの心臓も持たない地味なセダンでしたので不遇のデビュー、それが祟り発売後不人気車の代表的な扱いでしたのでいすゞはフローリアンの処遇を再考、76年以降は対コロナや対ブルーバード戦略を諦めタクシーや公用車需要に振り77年のBigマイナー以降は当時脚光を浴びだしたディーゼルエンジンをメインに据えたベレル以来のDe乗用のリリースは一定の評価を受けフローリアンの名を遅まきながら知らしめる事にもなりました。

↓プアマンズ・ロールスの異名?で語られる80年代顔になった60年代車フローリアンもDeエンジンで見直されました!


OIlショックによるガソリン高騰時代にいすゞの得意分野であるDeで訴求する姿勢はさすがでフローリアンに始まりジェミニや117にすらDeを設定し乗用Deの先駆者として高い役割を果たした、そんないすゞの70年代だったと思います。

※他のいすゞ70年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・フォワード(70y)・ジャーニーS(70y)・ニューパワーZ(72y)


(富士重工)
ここもホンダに次いで排ガス対策に真摯に取り組んだメーカー、大手が青色吐息も中でそれに対する努力は相当なモノがあり大手が50年→51年→53年の各規制に期限ぎりぎり飛び込む中で比較的早くパスするなどのさすが元飛行機屋のエンジン技術を見せつけました。

リリース車輌は60年代同様で相変わらずの唯我独尊、大衆迎合せず自身の信じた技術を売れようが売れまいが関係なく訴求しそれに応えるのは少数の頑固なファンのみという姿は相変わらず…

ラインアップは基本的には60年代の流れを継承、スバル360はR-2に変貌後にレックス(72y)となりスバル1000はff-1/1300Gを経て71年にこの後長らく富士重の屋台骨を支えるレオーネがデビューしています。

レックスは50年代から長く親しまれた名車てんとう虫=スバル360の思想を受け継ぐ軽自動車。間のR-2も含め伝統のRR方式を継承、後発のホンダN360〜ライフによりサイズの小さい軽自動車では圧倒的にFF有利というのが世に知れ渡った後でも頑固にRRを採用、走破性の部分で理はあるもそろそろ普通車でもFf化が視野に入り始めた70年代後半でもRRを踏襲した姿は良く言えば矜持を崩さず立派、悪く言えば時代お…以下自粛(笑)

↓スバル360の思想を継承したR-2とレックス



レオーネもスバル1000の水平対向エンジンを頑固に維持、今ほどまだフラットの価値は庶民には受け入れられておらず生産性の悪いエンジンに「何故にそこまで拘る?」って感じで相変わらず変人しか乗らないレオーネというイメージでしたが特にトヨタデザインに影響を受け鋭いウェッジシェイブや直線的な戦闘的なデザインとなったレオーネは1000時代に較べるとかなり庶民性をアピールする姿勢がありました。

↓フラット固辞の姿勢は崩さずも大衆迎合は成しワイドレンジで幅広いユーザーに訴求したレオーネ


レオーネはワイドバリェーションで確実に支持を得るトヨタに学び普通車ではレオーネブランドのみながら車型は幅広く設定、2/4セダンを基本にHTやクーペ、ワゴン/バンにHB(スイングバック)などを取り揃え“スバリスト”相手だけではなく幅広いユーザーに訴求開始したのもこの年代、支持はメーカーが企むほどには広がりませんでしたがいち早い4WD乗用車のリリースを代表としてツウ好みのクルマを造るメーカーとして浸透してゆきました!


(スズキ)
スズキの70年代と言えばこれに尽きるでしょう⇒初代アルト47万円!!(79y)

排ガス規制以降、これに適合させるのに不利である小排気量の軽自動車、360cc→500を挟み550ccまで排気量UPはなされるも不利には違いないこのクラスをホンダやマツダが撤退する中“軽No1”のプライドに賭けてスズキは至難な排ガス対策に取り組み血の出る努力からスズキの特徴だったパワフル&スムーズが売りの2st3気筒のままでこれをクリア!下駄変わり、我慢車と蔑まれていた軽自動車に対し情熱を賭けるスズキの姿は感動モノでした。

そしてその努力の花開いたのがアルト47!!

排ガス対策費用や上昇志向から他社が年々贅沢に、そして高額化する軽自動車を見つめ直し“そもそも軽は安いのが一番の魅力”という根本に立ち返り消費税導入前の物品税の盲点に目をつけ徹底したコストダウンから当時60〜70万だった軽自動車の価格帯で破格な47万円というプライスでデビューし一世を風靡、アルトの大成功により各社もこれに準じるモデルをリリースする中で元祖であるスズキは順調にアルトを売り上げ足許を確固たるした時代でした。

↓エポックメイキングで軽自動車界に旋風を起こしたアルト47!


とは言えアルトは70年代終盤の79年発売ですのでスズキが過ごした70年代は決してラクな時代ではなく前述通りの排ガス対策の苦境と1970年を境に年々シュアが下がり続けた軽自動車市場の衰退との闘いの日々、普通車メインメーカーならば撤退するのも選択肢ながらスズキに場合そうはいかない、市場研究と新技術、そして弛まぬコストダウンを追及する10年間がアルトで報われた、そんな時代。

↓メイン車種フロンテはFF→RRになりながらスティングレイルックで若者に訴求


軽自動車に賭けるスズキは他社が見放すor縮小する中で最後までパンチがありコスト安の2stに拘ったり軽スペシャリティもラインナップし続けるなど軽No1メーカーの意地は相当のモノでこの時の姿勢が現在も常に大メーカーの傘の下にいるダイハツと互角に戦う実力と評価を得たと思います。

↓76年まで存在した軽スペシャリティフロンテクーペはセルボ(77y)と名を変えて唯一の軽スポーツとして存在!


※他のスズキ70年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・ジムニー(70y)・フロンテハッチ(73y)・ジムニー8(77y)


(ダイハツ)
トヨタグループ参画後は軽自動車をメインとするメーカーに変貌したダイハツ、大型部門の日野、普普通車部門のトヨタと密な連携を取りながら軽自動車の第一人者であるスズキに追いつけ追い越せの時代がダイハツの70年代でした。

70年代初頭は軽ハイパワーの頂点を取ったリッター100ps超えの360cc40psといレーシング並みの高性能ミニをフェローから変わるフェローMAXに搭載しアッと言わせますがこれ以外はトヨタの下請け、旧コンパーノやベスタ等の代替えユーザー向けにトヨタOEM車のみ普通車市場にラインナップ(コンソルテ、デルタ系)、オリジナルはフェローMAXと商用ハイゼットのみの存在感の薄い時代でした。

↓普通車はトヨタパブリカ、スターレットのOEMコンソルテをリリース


しかし親会社が排ガス規制で手間取る70年代中盤、それら軽では2stは諦めながらも4st化に統一しながらも小排気量で排ガス対策をクリア、規格改正の過渡期には真っ先に新規格の大柄ボディをリリースする等の存在感を示しながらも当時まだ多く残っていた軽免許ユーザーに対するフォローで360ccを最後まで残すという良心も捨てない姿は好感を持てましたねー。

↓550(過渡期は500cc)新規格ボディを真っ先に採用し普通車並みの室内を実現したMAXクオーレ!


そして77年、小排気量が排ガス対策に不利であるため各社が見切った1Lモデルでしたが普通車ボトムとなる1000ccカーを発売、これが話題を呼んだ初代シャレードでありダイハツとしては久しぶりの普通車のNEWモデルとして注目を集め時代の要請でもある経済性も人気、トヨタパブリカ、スターレットの1200〜1300に抵触しないため開発許可が得られたシャレードはダイハツの技術力とアイデア力を久方ぶりに見せつけたエポックなクルマでこれ以後日産(マーチ)、スバル(ジャスティ)、カルタス(スズキ)等1Lカーブームの火付け役となったものでした。

↓小さく経済性の高い元祖コンパクトのシャレードは”5㎡カー”として大人気を呼びました!


シャレードの成功は地味だったダイハツに勢いを与え本業の軽自動車開発にも弾みが付きスズキと真っ向勝負する80年代に開花、アルトに対向するフェロー元祖のクオーレやミラクオーレの発売に繋がりこれらの成功がやがてスズキから“軽No1の座”を引きずり下ろす事となる訳です。

車種が少ない中小だった分、排ガス規制の混乱期も比較的落ち着いていたダイハツ、シャレード以降の勢いには目を見張るモノがあり50年代に健闘したダイハツ、70年代は後半僅か3年で第2弾の光輝いた時代であったと思います。

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前編後編に渡りご紹介した70年代の国産9社、如何でしたか?

各社の各モデルには個人の主観で思い入れはそれぞれだと思いますが造れば売れまくる時代から一気に苦境の時期に様変わりした日本のモータリゼーションの混乱期の中、各社の苦難が少しでも感じて頂けたらと思います!

長文読破、お疲れサマでした<(_ _)>


19××〜あの頃?1980年代(前編)に続く

※アップ時期未定(^^;
Posted at 2019/06/26 20:53:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧車 | クルマ

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