
今回のお題は今流行り(?)のOEM元祖的存在だった『EP/EF30、45、47型コンソルテ・ベルリーナ及びコンソルテ』となります!!
ダイハツというメーカーはネーミングを大事にしないと言うか執着がないと言うか…そんなスタンスなので一発/二発屋が比較的多いメーカー、しかし結構名前は変われど脈略は続いてたりするのですがこのコンソルテも脈略あれどクルマそのものは名実共に立派な“一発屋”に認定して堂々登場です!
さて、コンソルテですが 前身であるダイハツ渾身作であったコンパーノ・ベルリーナの後続モデルですがトヨタとの業務提携により自社開発をしなくなった(できなくなった)コンパーノユーザーの為にトヨタが開発したUP/KP30パブリカの双子、現代的な表現ですとOEMとなった第一号のモノ。
但しOEMと言っても開発はトヨタながら生産はダイハツの池田工場、これは売れまくるカローラ増産の為トヨタの設備をカローラに振り分けしあぶれたパブリカをダイハツに移管した政策によるモノでした。 またエンジンもコンパーノのダイハツ自社製エンジンを搭載したりする等ただのバッチ替えではありませんがマイナーチェンジや小変更等はトヨタに準ずるモノでした。
トヨタグループ参入後(業務提携)これの第一弾として69/4に登場した「コンソルテ・ベルリーナ(前・前期型)」
↓Rrビューはほぼパブリカと共通
69/4、それまでのコンパーノ・ベルリーナに代るダイハツ小型車種として発売されたコンソルテ・ベルリーナ、「コンソルテ」は“提携”を意味する言葉でこれを車名とし前任モデルとの継続性(実際にはクルマ的脈略はほぼありません)を強調する為に「ベルリーナ」をサブネームとしています。
永らく空冷のトヨタ最ボトムとして親しまれたかつてのコンパーノのライバル、パブリカがやはり同様69/4にフルチェンされたのとほぼ同時に発売、クルマ的にはエンジン以外パブリカそのもので顔の意匠変えの双子でした。
↓こちらは本家の同時発売だった双子車、2代目パブリカUP/KP30系
30パブリカは“ガッツ”とか“カモシカ”とかをCM文句に使いツインキャブ仕様等のスポーティモデルを充実させ内外装ともに若向きなイメージ、対してコンソルテはパブリカよりも高級感のあるイメージを与えていましたが自分的には真っ黒な精悍なかもしか顔のパブリカに対してコンソルテはアライグマのような顔に見えて仕方ありませんでした(笑) 尚、余談ですがパブリカのキャラクターには当時人気あった元祖秀才イケメンの若き石坂浩ニ氏でした!!
コンソルテの高級感はパブリカは当然トヨタのボトムでありエントリーカー、しかしコンソルテは提携により軽自動車主体となったダイハツの最上級車種の為、車格以上の演出(あくまでも各部意匠のみ)が与えられたからでした。
搭載エンジンはパブリカがトヨタ2U (800空冷)、2K(1000)、3K(1200)だったところコンソルテは自社製を載せ意地を見せてました!
FE-1型 1L OHV 58psというエンジン、基本は前任コンパーノの物を改良して搭載しておりトヨタ2Kと同じ排気量、同じ出力ですがコンパーノ時代のガサツながらパワフルさは2Kに勝っていた感じだと思います(ワタクシはコソルテのFE-1は残念ながら経験ありませんがコンパーノやこれの改良型=排ガス規制適合 は経験がありこれによる推測です)
脚廻りは当然パブリカと同一でオーソドックスなFrストラット/Rrリーフ、インパネや室内もほぼパブリカと同一。
↓パブリカと同一のインパネ
このように発売されたコンソルテですがパブリカとの大きな識別もなく一般的には影の薄い存在でよほどのダイハツファンや旧コンパーノの代替えといった層位しか見かけなかったように記憶してます、そこでコンソルテは発売翌年からパブリカに準じながら怒涛のように小変更、マイナーチェンジを繰り返しその度に何とか存在を目立たそうとしたのか?意匠に関してはベースのパブリカより派手めなオーバーデコレーション気味の変更が行われます。>
まず、70/9のマイチェンでインパネを新デザインとし顔を派手な3分割化、最上級にスーパーデラックスという新グレードを追加します。
↓70/9~以降の新インパネ、70年代に向け大幅なリファインがなされる(写真は1200S)
71/6には外装はパブリカのスポーツグレードSLに準ずるスポーツグレードとなる1200Sを追加します。Sはそれまでエンジン自社に唯一のプライドをのぞかせていたダイハツの堕落?をあらわすかのようなトヨタ3K型エンジンを搭載、但しパブリカのSLはツインキャブ(3K-B 74ps)で武装していたのに対しシングルキャブの3K 1.2LOHV 68PSというそれまでのコンソルテシリーズよりは俊足ながらパブリカSLに対しては雰囲気のみのモデルでした。
派手顔を得た前・後期型(1200S)
72/1月、本家パブリカが ビッグマイナーチェンジを実施、全長を僅かに拡大しRrスタイルをそれまでのノッチバック式からセミファストバックに改め前後意匠も大幅に変更、ドア以外の外板パネルデザインを改められると言うパッと見ではフルチェンに見える程の変更がなされコンソルテもこれに準じます。尚この時「ベルリーナ」の呼称が外れ正式名称が「ダイハツ・コンソルテ」とされ後期前期型となります。
72/1、ビックマイチェンでセミファストバック化した後・前期型
↓パブリカも当然同様にセミファストッバック化されました(KP31 1200ST 72y型)
尚、1200Sは1200GSに名称変更、1Lのスポーツグレードの1000PSを追加しています。
73/5、その一月前にパブリカにクーペ版であるパブリカ・スターレットが発売、これのOEMをコンソルテも受け「コンソルテ・クーペEP40系」が追加されます。(これによりEP30=コンソルテ・2ドアセダンとなる)
クーペもパブリカとコンソルテ同様にスポーティな味付けのスターレットに対し高級感を与えたエクステリアをまといます、スターレットに対して造形の深いグリルや角型エアダクト、Rrガーニッシュ等が識別ですが個人的にはオーバーデコレーションの感がありせっかくスッキリした好ましいデザイン(J・アロー)のスターレットを台無しにしている感じがしましたネ~~。
73/4、5とパブリカ/コンソルテに新たに加わったクーペモデルの㊤コンソルテ・クーペEP471200GHL)㊦パブリカ・スターレット(KP47 1200ST)
コンソルテ・クーペはトヨタ製3K型(1.2L 68ps)をGHLとGL、ダイハツFE型(1L 58ps)をHLとTLに設定、GHLはスターレットには存在しないザートップが標準装備されていましたがスターレットのHOTエンジン、ツインキャブ3K-Bはクーペと言えども設定はされていません。
↓従来型パブリカ/コンソルテとは違い大幅なスポーティイメージのインパネはスターレットと同一
クーペ追加でワイドバリェーシヨン化したコンソルテは更に73/10、やはりスターレットに4ドアセダンが追加されたと同時に当然双子のコンソルテ4ドアが設定され更なる選択肢を広げます。従来型2ドアもマイチェンし後・後期型となっています。
↓後・後期型2ドア
↓スターレットと双子、同時追加のコンソルテ4ドア
尚、4ドアのスターレットとの味付けの差はクーペ同様で、やはり1L(FE)と1.2Lシングルキャブ(3K)を搭載しています!
ただ、4ドアの存在は異常に短命で約1年でカタログ落ちとなります、これは74/11にダイハツは上級車に久しぶりの自社開発に近い新車種であるシャルマンを発売、当時旧型となった20系カローラをベースに自社アイディンティを生かして登場したシャルマンに4ドアセダンの役割を授けコンソルテシリーズは再び2ドアモデルのセダンEP30とクーペEP40系のラインナップとなります。
75/12、コンソルテも排ガス規制の荒波をくぐります。まずは1000ccモデルが50年排出ガス規制にダイハツDECS-Cという自社研究による排ガス適合を果たします、実際にはトヨタTTCシステムとほぼ変わりないながらFEエンジンを適合させる為ダイハツオリジナル開発でした。これは当時排ガス補機装置に力を奪われ実際1Lでの走行は非力感が顕著である事、1Lの廉価で排ガス対策にコストがかかった分を回収できない等の理由かこのFE型以外のライバル車に排ガス適合1Lエンジンは存在がなくある意味注目されていましたねー、本家パブリカの2Kは既に廃止、ライバルのチェリーも74yフルチェンジしFⅡとなり1Lは消滅、ファミリアも1Lは廃止後でありこれらライバルや本家にもない1Lなので低燃費を強調していました~!
続く翌76/2に1200モデルが51年排出ガス規制に適合、こちらはトヨタ製の為TTCによる適合で3K型から3K-U型へ規制エンジンに換装されています。
77/2月、パブリカ/スターレットに準じた小変更(安全対策、ライト/ワイパーをマルチユース化等)が行われると同時に1Lモデルがカタログ落ちとなります。(1000専用グレードは1200に移行)
これは先記のようにより複雑でコスト高となる51~53年排出ガス規制適合をコスト回収と小さい排気量ならではの困難さを天秤にかけ長年ある意味ダイハツ車の証であったFE型1Lエンジンを捨てる決断をした訳ですね、このFE廃止により同年11月にコンソルテ1000の立ち位置的後続の新開発3気筒1Lを積むシャレード登場までの10カ月間、国産1Lカーの存在はなくなります…
このように幾度となるモデル追加、マイチェンを行い69年登場以来8年を経過したコンソルテ、排ガス規制の影響もあり本家と同様にフルチェンがなされずさすがに商品力は低下し77/11には生廃し後続をシャレードに託します。
ダイハツが本家より一足先にENDとなった為8年に渡る双子関係もこの時点で解消、本家パブリカ/同スターレットは年越しを無事行うもこちらも当然旧態以前のモノであり78/3にパブリカと同スターレットをまとめ当時流行りのHB化した「トヨタ1300スターレット(KP61型)」に生まれ変わっています!
77/11発売、久々のダイハツオリジナル、後続の初代シャレード(G10型)
78/3には本家も遅ればせながらフルチェンし新星「トヨタ1300スターレット」となる
コンソルテ、トヨタとダイハツの縁組を記念して?産まれた迷車?だったと思います。
トヨタグループに属す事により親会社の意向から普通車開発を諦めざるをえなかったダイハツの言わば“代替カー(コンパーノユーザーに対しての)”であり赤ちゃんの『おしゃぶり』のようなモノ、当時のダイハツファンには本物の母乳(シャレード)が飲めるまで長かったでしょうねー…
後年の中古車市場でも人気があったKP47スターレットと同じクルマながらダイハツのバッチが付くだけで2~3割は安く売られていましたっけ(・_・;)
唯一ダイハツの意地を見せていた1Lエンジンも排ガス規制に淘汰された以降はあえてこのクルマを選ぶのは安い(中古の場合)点に魅力を感じるヒトとダイハツ関係者位?しかいなかった時代もありましたが地味に下請け的生産をしながらという下積みをこのクルマで耐えたのが後のシャレードの成功に繋がったと解釈すればコンソルテの8年も決して無駄ではなかったと思います。
OEMと自社開発、コンソルテとシャレードに何の因果関係はありませんが後続車種シャレードは人気、評価も高く(これも数代続くも初代のみの人気でしたが…汗)きっとコンソルテも浮かばれた事でしょう、コンソルテ、その生涯は決して華麗ではなくいつも華やかな本家の日影者でしたが実は提携初期の安定を築く立派な『一発屋』だったと思います!!!