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元Gureのブログ一覧

2016年08月20日 イイね!

保存版・珍車PART653

保存版・珍車PART6531年ぶりに見つけましたぜ、業オクで1年少々で出現!

これ、私が免許取った30数年前だとポンコツ扱いでまだかろうじて走ってましたが90年代には死滅、しかしその独特な個性や古き良きいにしえのプリンスの香りが漂う佇まいに後年旧車人気が盛り上がりました。

アメリカンな外観は初代デボネアと並びムーンアイズ的カスタマイズも人気、現在残っているものはほぼこうした弄りがなされている個体ですが基本ノーマル派の私、オリジナルを見てみたいモノですが…

⇒『昭和45年(1970)HA30型3代目グロリア』!!

通称タテグロ、70年の最終型ですがグレードはエンブレム外されているので特定できませんが内装写真のカバーから僅かに覗くシートの感じから売れ線だったスーパー6と推測します。

タテグロ、このモデルは既に日産と合併後のモデルで当時は『日産プリンスグロリア』と非吸収側にも敬意を表したネーミングを採っていましたが次期型、230系でセドリックと統一を期に“プリンス”の名前は見事に消し去られ旧プリンスファンからはブーイングを喰らいました(-_-;)

この辺、合併時の日産川又社長とプリンスの石橋社長との間で「プリンスの名前は未来永劫残す」という約束があったにも関わらず僅か4〜5年でこのザマ、日産側は販売店にその名前を残したと詭弁?とも取れる言い訳でそんなプリンスマニアを煙に巻きました…。

そんな事からHA30は最後のプリンスの息吹を感じさせるモデル、スカイラインは今でも残るプリンス産ですが今やプリンスのプの字も感じさせませんしね、過去のスカイラインにしてもそれが感じられたのはプリンス設計のハコスカが最後、ケンメリ以降は“純日産”って気がします(個人的意見)

HA30、今やこれより世代が新しい230〜Y31位でもハチマルカブレのおかげで神的扱いですから爺さん、いや、ひい爺さん的なHA30、もう別の次元ですしさすがデビューが半世紀も前、もうクラシック扱いって感じです。

↓プリンス最後の矜持を持つHA30型グロリア


これも70〜80年代のアクションドラマや映画では壊されまくったクルマ、当時はこれやS40/50クラウンや230セドグロが出てくれば破壊車認定でしたが今この時代の映像見ると何と勿体無い!とつぶやいてしまいますよね(笑)

ワザとらしく設置されたドラム缶で隠れたジャンプ台やわざわざ爆薬に寄っていくこれら破壊車の姿、哀れですが凛々しいです!(あっ、これに釣られた西部警察関連のレスはご遠慮です、私は西部警察のネタではなくアクションドラマ、映画の全てでの印象で書いてますので西部に拘る方はマニアやかぶれのページに飛んでって下さいまし)

出品車、時代的に“シャコタン”の表現が似合うローライダー仕様?内装などを見てもその風味で弄られたいた事が伺えますね。

脚廻り、ノーマルパーツがあるのかどうかが気になりますが恐らくないでしょう、車検はOKレベルだと思いますが個人的にはノーマルに戻し↑写真の純正のスチール製ホイールキャップにしたいところです。

事故現状車出品、E/g不動ですから部品取りorレストア前提ですがレストアベースにはいい個体かもしれません!

↓アテになるのは年式のみ、走行は5桁メーターですんで10万か20万かそれ以上であると思った方が良し!


このHA30に限りません、この時代の高級車、どれも勿論5ナンバーサイズなのですがお見事の風格ですよね、クラウン、セドリック、デボネアとどれも小型枠とは思えない凛々しい姿、実際今の目線で見ると「えっ、こんなちいさかったの?」と驚いてしまいますがクルマのサイズに秩序があった時代、色んな意味で解り易くて良かった!!

↓ダッシュ割れはいかんともしがたいですがそれほど荒れは酷くない様子


ボディの状態はところどころ腐食は出ているもレストアベースとしてはかなりイイ状態、下廻りがどうかって感じですが50年近く前のクルマとしてはマトモな方でしょう。

E/g不動は致し方ない、元はこの年式ですと日産L20ですがさすがに解体屋にももうこれはないでしょうから今ゴロゴロしているRB20辺りにスワップでしょうかね…。

↓最終型のバンパー組み込みのテール、これが当時やたらカッコ良く見え好きでした!


グロリア、初代のBLSIなんてのはもう博物館にしかおらんでしょうし2代目のS40だってほぼ個人所有は限られるでしょう、タテグロにしてももうその域に来ていますしかなり希少な個体、タテグロマニアの保護の上再び路上復帰を願いたい、この年代まできたら日本も100パー税金免除くらい粋な事して欲しいモンですね全く(-"-)

↓縦目のグロリア、今や骨董品です、復活を願います!


出品は東、不動もってけコーナーながらそこそこいい値段で落ちてます。

これはレストアで結構な金かかるでしょう、路上デビューするには少なくと7〜80万はかかる筈ですから仮に復活後の店頭価格はラクに3桁でしょうナ〜(;・∀・)
Posted at 2017/12/03 21:32:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産 | クルマ
2016年08月19日 イイね!

保存版“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第8弾!!

保存版“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第8弾!!時間ねぇとか言いながらつき物落ちたようにこの企画、やってますが(^^;

と云う訳でw今回の“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返るの 第8弾となりますがなかなかまたマイナーな変態にお越し頂きましたヨ!

⇒『JT191F/JT191S/JT151型いすゞPAネロ』

PAネロ、知ってますかぁ?ピアッツァネロなら聴いた事あるって方も多いでしょうがPAネロは1990年〜1993年(平成2〜5)の僅か3年、いすゞが当時提携していた米・GM向け供給モデル(現地名GEOストーム)の国内販売用のモデル、ベースは3代目となるJT151/191/641型(1990〜1993年)のジェミニになります。

この3代目ジェミニ、先代が“街の遊撃手”のコピーでアクロバット走行するCMが大きな話題となりいすゞNo1の売り上げと人気を誇ったモデル、この2代目ジェミニは当然、米国でも売られ好成績を収めたところからGMの意向が次期モデルでは強められその命を受けたいすゞが90年にFMC、3代目ジェミニが誕生しました。

一方いすゞは国内輸入車ディーラーであるヤナセと関係が深くこれ以前より初代ピアッツァ(81〜91年)を供給、オリジナルと若干意匠の異なる『ピアッツア・ネロ』をヤナセ専売にてリリースしていましたが90年当時で既に発売9年、商品寿命も尽きかけておりこれの代替え車種としてジェミニ-GEOストームの兄弟として90年からヤナセ供給したのがPAネロでした!

↓90年にデビューしたヤナセ専売車である『PAネロ』


本流ジェミニは90年発売時はセダンのみ、やや遅れてクーペ、91年になってHBをリリースしておりPAネロは米国GEOストーム同様、クーペとHBモデル2種、当然これらは三つ子になりますがそれぞれがFrや細かい部分リ・デザインされておりいすゞ・GM・ヤナセでそれぞれオリジナルティを演出するものでした。

さっ、ここからが辛口批評!?

PAネロ、顔付はヤナセで扱うシボレーカマロをモチーフしたようなFrマスク、角目4灯のセミリトラはそんまんまアメリカンの顔付、クーペはこの顔と派手目なスタイリングはマッチしていたように思いますがHBは正直醜悪さしか感じない(個人的趣向)、また、クーペにしても元のジェミニからしてそうですが全長、と言うかもう少しRrのオーバー―ハングが長ければかなりイケてるスタイリングになるんでねーの?って感じます、全体的に寸詰まり感しか得られずジェミニが5ナンバーの大衆車クラスであった事からサイズの制限からなる無理矢理なデザインでしたのでね、バランス悪くクーペに重要な低く・長く・幅広く・流麗の4要素のうち長くと流麗さが欠けていたように思います。

↓Rrだけ見るとカッコ良かったんですがね、全体のバランスが何か変orz…


こういうのって弱小メーカーが出すスポーティモデルに多いんですよね、一部分だけ見るとスゲェいいのですが全体で見まわすとなんかバランスが取れていない、あくまで個人的な主観ですがこのPAやジェミニクーペの他に例えば初代スバルアルシオーネとかレオーネクーペ、三菱スタリオンも最初見た時にそれ感じましたしマツダのコスモLとか3代目コスモ、初代ホンダプレリュードなんかも…

やはりトヨタや日産に造らせるとそう失敗はない“流麗”が大事なスポーティモデルのスタイリング、No3以下ですと?なモデルも多かった(笑)

スタイリングで言えば3代目ジェミニを語らずにはいられんでしょう(*_*;
何とこれ、当時も今もいすゞ乗用車撤退のA級戦犯!と言われる程の失敗作(+_+)

↓PAネロのハッチバックモデルもジェミニから拝借?してリリース(㊤PAネロHB㊦ジェミニHB)



実際こればかりが乗用撤退を招いたという訳ではありませんが提携先のGMがいなければ独り立ちできない弱小メーカーであったいすゞ、その意向に逆らえずアメリカ人には好かれても日本人受けしないスタイリングは先代ジェミニで築いた遺産を食い潰す燦々たるモノでした…

↓いすゞNo1の人気と売り上げを達成した2代目JTジェミニ


ワタシも当時も今も昔の親友がいすゞ藤沢に勤めており色んな話を聴いてますが書けない事も多くその点は控えますが言える事は3代目ジェミニは社員でさえ買わない程の不人気車、社員はヤナセ扱いで外車としてはリーズナブルだったオペル、若いのはカマロとかを仕方なく買うもジェミニは勘弁という意見が圧倒的に多かったらしいです。

いすゞはあの117クーペ以来、基本的にボディデザインはイタリアの奇才、Jアローに依頼してきており117以降の初代ピアッツア、そして2代目ジェミニとその日本車離れした美しいデザインは好評で決して大きなメーカーではないながらこういったモダンさは他の追従を許さず頑固ないすゞファンを獲得、パイは少ないも熱心なファンに支えられてきましたがこうしたファンまでを全てではないにしろ敵に回す失策を犯したと言っても過言ではない、3代目ジェミニはかえって一般人よりも内部の数少ない乗用車開発に夢を持つエンジニアの息を消沈させやる気をなくさせた、そんな部分でも“A級戦犯”だった訳ですね。

3代目も日本車離れと言えば間違いなくそうなのですがクセが強く明らかに米人向けデザイン、丁度現在の日産セダンのようなものですかね?奇しくも当時いすゞにいた有名デザイナーが現在日産に在籍しているのも偶然ではありません。

さてこうした事情を踏まえて進めますがジェミニは90/3、PAネロは9o/5発売…

僅か2か月先発ですが国内ではジェミニに既にブーイングが沸き決して商売的には順調ではない時期にPAネロがヤナセからリリースした訳ですがベースがこのザマですから当然PAネロもまずは売れない、見かけないクルマでした。

先に結果を述べれば販売された3年間で3000台の実績、海外でのGEOストームは大成功に終わりますが国内ではジェミニ、PAネロ共にダダ滑りの状況だった訳です。

3年で3000台=1か月8台強ですからこれは厳しい数字、本家ジェミニはセダンがラインナップしていたので酷評ながらも関係先社有車等の需要もあり一定の数字(これも低かったですが)を出しますがPAネロは私の生息地、いすゞ工場が二つもあった縁深い神奈川県ながらまずは見れないクルマでした。

またヤナセ供給にしてもやり方がマズく当初先代ピアッツアの後継モデルであった筈のPAネロでしたがこれのデビュー僅か半年後の91/8に本流ピアッツアがFMCし2代目がデビュー、同時にやはりヤナセ専売のピアッツア・ネロもリリースされたのが致命的でした。

解りにくいのは2代目ピアッツアもジェミニクーペの兄弟車になった点、先代は117クーペのシャシを使い独自のボディを持つきちんと独立した車種であったピアッツアも合理化、コストダウンの観点から格下ジェミニの兄弟となっており当然ボディも共通、この時点でジェミニファミリーは4兄弟化(ジェミニ/PA/ピアッツア/GEO)となっておりヤナセ専売のPAとピアッツアも顔付が違うだけのモデルになっており正直、本流ジェミニでさえ大苦戦の中、GEOを除く国内で3モデルが売れる程いすゞのパイは無かった訳でGMやヤナセの意向もあり好きでやった事ではないにせよいすゞの無謀さ、マツダ5チャンネル政策と同様に後々に祟る結果を招くしか効能はありませんでした。

↓91/8発売のピアッツアネロもジェミニ/PAネロの兄弟車


PAネロにとって不幸?だったのは最も後発のピアッツア/同ネロが一番好評だった点、スタイルはジェミニクーペながら初代のセミリトラを継承しながら迫力の丸4灯ライトがなかなか精悍、ジェミニと違いこの事で旧ピアッツアファンにもそう嫌われる事もありませんでした、因みに私の個人的意見もこの4兄弟では一番ピアッツアが好みだったかな?兄弟全ての車型(セダン/クーペ/HB)の中でクーペが一番マトモ、顔付も男前なピアッツア、どの道買おうなんて思いませんでしたが選ぶならそれかなと(笑)

実際、ヤナセでも2代目ピアッツア・ネロの販売実績は少ないとは言え見られましたがこれによりPAネロはほぼ売れない結果を招いてしまいました。

↓ヤナセらしく国際感覚を強調しリリースしたPAネロでしたが…


ここでPAネロの内容をご紹介!

・バリエーション
(クーペ)
160S/160X/イルムシャー160R
(HB)
150J/イルムシャー160R
※限定車としてハンドリングbyロータス、160Fイルムシャーも一時ラインナップ

・諸元
(サイズ)
クーペ全長:4150全幅1695全高1315
HB:全長4150全幅1695全高1325
ホイールベースはクーペ/HB共通で2450(以上mm)
(車重)
1110kg =160S/X
(エンジン)
4XC1 1.5L 直列4気筒OHC 100ps
4XE1 1.6L 直列4気筒DOHC 140ps
4XE1-T 1.6L 直列4気筒DOHC 180ps
(駆動)
FF/4WD
(ミッション)
4速AT/5速MT(SL)
(脚回り)
Fr:ストラット/Rr:ニシボリックサスペンション

HBはファミリーユース向けの1.5LのSOHC、クーペはスポーツ性を重視する1.6LDOHCをメイン、そこに頂点として両車型にこの時代の流行であった4WDモデルをいすゞ伝統のスポーツグレード『イルムシャーR』名で設定、DOHC I/Cターボエンジンを搭載、勿論ジェミニからの拝借モデルですが1300kg程度のウェイトで4駆180psの実力はなかなかのモノ!

ワタシはPAではなくジェミニの同様モデルを体験、後で触れますが独特な機構で4WS機能も持つニシボリックサスとの組み合わせが慣れるまではとても走り辛い、速いのは間違いないのですがちょっと乗ってすぐ手なづけるというモノではなくこれを速く乗りこなすにはそれなりの時間が必要なクルマという印象でした。

いすゞってのは昔のベレット時代からサスペンションには拘りがありこれがいすゞファンのハートを捉える訳ですが他車と比較してしまうとなかなかのクセ者、第一印象は決していいものではなかったのですがベレットの場合レース、そしてジェミニの場合はラリー等で活躍、ニシボリックはラリーストからは好評を得ていました。

4X型エンジンはトヨタレーザー、日産プラズマ、三菱サイクロン、マツダマグナム同様に新世代エンジンとして「シグナス」と名付けられたもの、特にテンロクの4XE1型は先代から引き継ぐ4バルブDOHC、このヘッドは当時関係の深かったロータス社が設計したものでNAならば非常に気持ちがよくトヨタ4A-Gに勝るとも劣らない実力とフィーリングを備えていました。

↓いすゞの名機4XE1ですがマイナーメーカーの性?トヨタ4A-Gが神扱いされる中、ほぼ話題には上らず…


ターボ付きですともうモンスターマシン、ラリーシーンではギャランVR-4やブルSSS-R、レガシィRSの1クラス下に位置しパルサーGTI-RやファミリアGT-Ae等がライバル的存在でしたが国際ラリーがランサーエボリューションとインプレッサに塗り替えられていく過程で目立つ戦績はなく一部国内ラリー、草ラリーで愛好者が活躍する、というある種マニアックな存在でした。

上述のニシボリックサス、簡単に言えば特別な装置を使わない4WS、Rrサスペンションの構造自体で横からのヨーが掛かると自然に?後輪も操舵されるといういすゞ独自のものでしたがこれには色々問題も注目点もありました。

問題はFF(または4WD)にも関わらずコーナー次第ではFR車のようなオーバーステアになってしまう点、これは走り好きにしてみたらある意味面白い部分でもあるのですがファミリーユースでもうFF挙動に慣れ切っている90年代のファミリー層には混乱を招くと言う点、しかもこの4WSはカーブの特性やその後の立ち上がりにより動きが変化、同相と逆相が混在したりしていちいち運転がし辛い部分がありました。

この頃4WSは流行りで日産のハイキャス→アテーサを始めとし三菱、マツダ、ホンダが装備していましたが動き方がいすゞは独特、他車の4WSは一定時間乗れば理解できる機構でしたがいすゞは混乱するばかり!まぁ、実際にオーナーになれば毎日、そして少なくとも数年は付き合う訳ですからこういった事はなかったとは思いますがなかなか誰でも乗れるという代物ではなかった気がします…。

↓サス自体はストラット式の4独でしたがRrサスに仕掛けが…


いすゞでは“トーコントロールサス、ナチュラル4WS”なんて呼んでましたが正直、どこがナチュラルなんだか?が感想、ステアリングに連動する多くの他社の機構の方がよほどナチュラル(でないのもありましたが…)ではないかと思ったものです。

↓Rrサスの構造、見るヒトが見れば4WSになる原理が解るでしょう!


但し、少し飛ばして走ると挙動は愉しかった、これを恐怖と捉えるか愉しいと捉えるかはそのドライバーの技量や経験な訳ですがFR世代としてはFFながらケツが動くというシーンには慣れている訳でそれがFRの滑りとは異なるモノであっても応用ができるドラテクを持ち合わせればニシボリックも一部の酷評ほど悪いものではなかったと思えます(^^)v

↓図解により同相、逆相になるしくみ?がカタログで謳われこれをバイブルにして乗り込んだのも懐かしい(笑)



エンジンや機構の解説をさせて頂きましたがソフト面、インテリアや室内に目を向けましょう。
この部分も当たり前でジェミニと共通、なので経験があるジェミニ主体の話になりますがご了承下さい!

ジェミニというクルマは歴代からしてどうしてこんなに狭いの?という点が最大のウィークポイントだった気がします、初代のPF型はFRでしたのでそれも納得ですがその時代、やはりFRだっカローラ(E30系)やサニー(B210)に較べても明らかに狭い、足許は前席後席に関わらず窮屈で後席なんて子供でもないとキツい、これがメインのセダンでもそうでしたのでファミリーカーとしては失格、トランクにしてもそう、室内も横方向も狭く同様サイズでライバルとの差は何?って感じでした。

2〜3代目にしてもこの悪い伝統は継承、2代目は利点でもあったコンパクトサイズであったので致し方ないと思えますが3代目に関しては2代目からの大幅なサイズUPにも関わらずやっぱ狭いんだ、これがwww

それでも前席は初代や2代目に較べたら隔世の感がありましたが後席やトランクはこのサイズのセダンとしては明らかに他車の敵にはなり得ない使いにくさ、90年と言えば他車の同クラスもほぼFFに生まれ変わりうまく工夫してそれそれサイズ以上を思わせる空間を実現、特に日産プリメーラや三菱ミラージュセダン、マツダファミリアサルーンなどファミリーカーとしてどれも及第点でしたがジェミニはダメでしたねぇ、これも売れなかった一因だと思います。

PAネロの場合は居住性は無視できクーペがメイン、クーペなんてモンはスタイルさえ良ければ狭かろうが荷物積めなかろうが関係ないのですがスタイルもねぇー(以下上述)

PAネロもインテリアは基本ジェミニと同一、この時代いすゞが凝っていたクラスターS/Wのインパネも勿論共通。

↓インパネはジェミニと同一


このインパネがまた見切りが悪くてNG、着座位置が低いのでインパネそのものも妙に低い位置にある、これはデザイン上の問題でもあるんですがインパネ低いくせに前面のグラスラインが高くその上ボンネットが急勾配で下がりFr部がスラントですんでどこが前だか身を乗り出さないと把握できない、これはこの兄弟全てに共通していましたね。

クラスターS/W、これは個人的には使いにくくてNGでしたがハンドルを握ったまま各S/Wが操作できるという利点もありファンも多かった様子、いすゞに限らずこの時期の流行りの一種でした。

↓全席優先のPAネロ(クーペ)、後席はオマケ程度の+2と思えば問題なしw


とここまでこのマイナーなPAネロというクルマをクドクド語るヤツもそうはいないと思いますがとにかく地味を通り越し知ってるヒトどの位いる?と問いかけたい程のマイナーモデル、このコーナーに相応しいと思い取り上げてみました(^^;

PAネロ、本流のジェミニが冒頭記載した通りの大不評により当時の通常モデルライフ(4年)も全うできずに発売3年少しの93年7月をもってジェミニ/PA/ピアッツアと国内モデルは全て製廃、2代目ジェミニの遺産を喰い付くしとても新型開発の余裕どころか深刻な経営危機にも見舞われたいすゞ、この後は一部RVモデルを除く乗用車自社生産を諦めやがてトラック専業メーカーになり現在に至る訳ですね。

最終型は不評とは言え歴代の功績もあり知名度もあるジェミニに対し一般ピープルには馴染みの薄いヤナセ専売という背景から知名度も殆どないPAネロ、ジェミニは文献などで今でも語られる事はあってもPAはまず話題にすら出ない哀しきマイナー車、私が振り返らず誰が取り上げるか!!の勢いで締めさせて頂きます(^_-)-☆

“変態と呼ばないで!”納得のマイナーモデルを振り返る⇒『JT191F/JT191S/JT151型いすゞPAネロ』……終
Posted at 2017/12/10 16:25:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | 変態車 | クルマ
2016年08月18日 イイね!

保存版・珍車PART652

保存版・珍車PART652今回の取り上げモデルもワタシ自身“珍”という概念がまだ沸かないながら最近ではめっきりと見なくなってしまいました…
これ、数ある日産車の中でも秀作です、間違いなく!

このため平成2年の初代登場以来非常に人気が出て街角で溢れる、までは行きませんでしたが往時はかなりの生息でしたしかなり売れたクルマ、しかしながら初代最終から20年を経過、エゴカー減税の影響もありこの2〜3年で急激に姿を消した感じ。

⇒『平成7年(1995)初代P10型プリメーラ1.8Ciクルーズ』!!

ピーテンですよピーテンw

プリメーラと言えばやはりこの初代P10、これは間違いなく近年の名車の一つでしょう。

これは私も思い入れ深い、以前の会社で専用社有車で与えられておりその会社、太っ腹でしたので通勤は勿論私用流用してもガソリン含めお咎めなし、バブル時代とは言えマイカーと遜色なく使用していたのでこのクルマ、長所も短所も知り尽くしています!

↓Gure家でマイカー同然だったP10プリメーラCiクルーズ!


プリメーラ、元祖はあの?70年代不人気車の代表みたいな『710型バイオレット』!

当時カリーナに対抗してブル〜サニー間を埋める車種として登場、ブルが2L級に格上げされた後の旧510型ブルの後釜という最初からハードルの高い立ち位置に投入、日産らしく軽快なクルマでしたが当時日産が凝るインポブルメントデザインが災い、その背むしのようなデザインは悪評しか得ずあの故・徳大寺御大に「こんな車でも買う人がいるから不思議」と言わせカリーナのライバルとは恥ずかしくて語れない程の稀代の不人気車でした。

↓初代710バイオレット(セダン)


この初代バイオレットが後々まで祟り?90年までの17年間、プリメーラ前身の710→A10→T11の3代に渡るバイオレット(T11はバイオレットリベルタ)及びT11途中で遂にバイオレットは廃盤となりその後を受けたT11→T12のオースター/スタンザ(T11はそれぞれJX/FXのサブネームあり)が全てコケルという有様!

↓2代目A10バイオレット/オースター/スタンザ


↓3代目になるバイオレットリベルタ/スタンザFX/オースターJX


↓あまりの不評で消えていったバイオレットを引き継ぐT12型オースター/スタンザ(画像はオースター)


このようにマイナー、変態道を長きに渡り突き進んだ末、プリメーラに改称し前身が信じられない程のヒットになったのがP10プリメーラですネ(^^)v

このP10はとにかくいい意味で日本車離れしたモデル、先代のT12でかなり欧州車寄りの展開はしていましたがそれはあくまでグレード名や外観のみの訴求、しかしP10は脚廻り、ハンドリングの味付けやトランクの開閉の仕方まで欧州テイストが詰め込まれこのクルマに初めて乗った時は唸りましたね、明らかにこれまでの日本車とは違う、日産スゲェと感じました。

しかし残念ながらやや堅い脚とコンパクトなボディに難癖付けるのもやはりいて2代目プリメーラ以降ではP10の硬派さはどんどん影を潜めてしまい単なる小型車に堕落、後にも先にもこのクラスのFFでこれだけ走りが楽しく感じたのはP10だけですのでFMCが非常に悔やまれた、そんなクルマでした。

現車は94年に設定された1800の上級Ciクルーズ、これは最上級2.0Teの外観そのままにエンジンのみ1800にダウンした所謂お買い得モデルでしたが1800と言えども良く走りました。

SR18DE型DOHC 16Vの125ps、Te他2000はSR20DEの150psですんでこれには及びませんがプリメーラの重量(1.2t程度)では充分なパフォーマンスを発揮、SR型エンジンも名機と言われるモノでその吹け上がりの鋭さとパワフル感はL16/18で排ガス規制NAPSを受けて以来、Z型、CA型とイマイチ元気のなかったこのクラスに新風を起こすエンジンでした。

2000でしたらもう“速い”レベル、この2.0Teを乗った時は目から鱗、ツインターボだの3Lだのと大排気量、200ps超えのスペックでなくとも軽量で脚回り、ハンドリング、剛性を煮詰めれば150ps程度でもこれほど面白いクルマができるのかと…

これ位P10プリメーラはエポックでした(^^♪

さて、現車の内容ですが19万km以上走るメーター改ざん車、RA評価で内外CBですのでイイ状態とは言い難い、但し現状機関系統に問題は出ていないようですがやはり旧い日産車、電装系が怖いのと距離が距離、AT含め総チェックは欠かせないと感じます。

↓電装とATが古い日産は恐怖なので簡単には手出しできませんが外装Bは魅力!


P10は後期辺りが“イチロ日産”とか言って現在の自動運転推しのように全車エアバック付きをアピールしていた頃ですので95年とうい年式でも運転席のみエアバック装備、RA(事故落ち)はバックパネルのようですのでエアバックは開いていないようですね、これが開いた実績あると極端に価値下がりますし。。。

↓C評価の年式並みの室内、手入れによってはB評価程度にはなる予感!


外装は非常にイイ状態、20年落ちでもこの艶は車庫保管を推測、この外観だからこそ最初に出品した時から実に18万3000kmもメーター巻き巻きしたのかもしれません、まだアナログオドの時代でいくらでも巻けるとは言え巻き過ぎだろ、コレは!!!!

↓往年の日本車離れした美しいスタイルが健在の出品車!


前からも後ろからも画像の限り年式以上に綺麗なP10、もしかしたら途中で全塗とかやってるかもしれませんがこの時期頃から日産の塗装、例のフッ素塗装等も採用、Ciクルーズにそれをやっていた訳ではないながら急激に塗装の質が上がりましたので手入れによっては新車からの劣化最小限の出品車のような個体も多いかと思います。

↓Frも問題なし、目立つ傷、凹皆無の様子でボディだけでも生かしたいです!


出品は東、落札は距離が響き解体+α程度でした。

外装がいいので中身入れ替えで生かしたと思いますねー、エンジンはスワップ、脚廻りや機関を可能な限りOHしたい、そんなP10プリメーラ、ゴーン体制以前の最後の名作ですから存続を願わずにはいられません(^^)/
Posted at 2017/12/03 21:40:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産 | クルマ
2016年08月17日 イイね!

保存版 “変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第7弾!!

保存版 “変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第7弾!!
ダハハ、2年ぶりのこの企画、突然思い出したのでやってみたいと(^^;

夏休み終了に伴い復活企画ですな、もうこんな長文上げる時間もなくなる?しで(泣)


題して“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る 第7弾になりますね、これはかなりの変態度、若い世代は当然の事、このクルマのリアル世代でもよほどの三菱ファン、ギャランファンでないと知る方も少ないかもしれません、正に菱ヲタギャランヲタを自認して止まないワタクシだからこそのネタですねw

そんな訳で今回のお題はこちら⇒『A112A型ギャランGT』

ん?ギャランGT?ギャランGTOでねぇーの…!?

そうなんですよ、この頃のギャランは二つのスペシャリティモデルを有するのが大きな売り!
一つは『ギャランGTO』、そしてもう一つ『ギャランクーペFTO』…

この二つは現代、旧車に多少興味ある方なら誰でも知っているメジャーモデル、尤も現役時代はセリカやスカイライン、27レビントレノの後塵を仰ぐどちらかと言えばマイナーモデルでしたが既にGTOもFTOも発売45年を経過、今ではプレミアのビックリ価格が付く三菱の名車としてその名前は響いています。

さて、そんな“メジャー”なGTOとFTOに次いで新たに当時三菱が「もう一つのスペシャリティ」と銘打って発売したのがギャランGTです!

↓昭和50年に新登場のギャランGT


発売は1975年(昭和50年)6月、自動車業界は予期せぬOILショック、そしてこの昭和50年いっぱいをもち従来型車=昭和50年度排ガス規制に適合しない所謂「未対策車」が販売できなくなる、しかも当時世界一厳しいと言われた50年規制はトヨタや日産などはまだ充分にそのシステムが完成していないというモデルが多ければ多い分規制クリアには難題が大きく巨大メーカーは危機的状況という最中、三菱の場合はこの規制内容が明らかになった昭和48年頃からこれの研究を重ねクリアには自信満々でしたので大メーカーがクリアに青色吐息でとてもNEWモデルの発売なんて余裕がない時期にデビューしています。

しかしこのギャランGT、蓋を開けてみれば「もう一つのスペシャリティ」が笑ってしまう内容で単に従来型2代目ギャラン(通称ニューギャラン)のマスクを輸出用のプリマスの顔を付けバンパーにオーバーライダーとボディにGTO並みの派手なストライプを巻くというマヤカシモデル、ギャランGTOとギャランGT、Oが付くと付かないでは大差違いも著しい、当時これはスポ車ファン、ギャランファンを冒涜するモデルだ!と私もまだ小僧ながら怒り心頭になった記憶がございます(笑)

↓“O”の文字が付くと付かないじゃ大違い!!(画像はOの字が付くギャランGTO50年型)


GTO好きでしたからね、当時ウチでも73年のGTO200GSを乗っていましたし。

ギャランGT発表前に父と訪れていた三菱ディーラーの懇意の営業から「今度GTOの弟分出ますよ!」的な情報を得ておりオヤジと楽しみにしていた結果がこれかい!!とうなだれた記憶もございますw

何せベースのニューギャランというクルマは当時大、大、大不人気車、その不人気ぶりはトヨタの2代目マークⅡ(X10/20)や日産ブルーバードU(610型)と並び毎回カー雑誌では人気ない、下取りは期待できないと書かれる始末、それでもマークⅡやブルUは街でもかなり見かけましたがニューギャランは見ませんでしたしマジカッコ悪かった、今見ればそうでもないんですが人気の高かった初代A50系ギャランを2Lクラスに格上げと同時にボディを大型化、デザインも豪華さを表すよう曲線美という贅肉をタップリ備えたスタイルは73年のFMC後から酷評されていましたしね、何故に今更2年も経ってニューギャランそのものを「もう一つのスペシャリティ」とか言っちゃう訳?と嘆き哀しんだモノです(-_-;)

まっ、このGT追加には事情もあり71年デビューのFTOが極端に売り上げ減に75年当時なっていた点が大きい、73年のOILショック以降、三菱に限らずスポーティモデルには苦境の時期、それでもGTOは当時ショーファーを除けば三菱の最上級でしたしイメージリーダー的立場でもあったので苦境の中でも商品寿命を維持する目に見える、見えない改良も施していましたがFTOはこれに較べマイナーでメーカー自身売る気あるの?みたいな扱い、昭和50年時点ではほぼ放置状態となりギャランGTはFTOの代替え車種の立ち位置にした目論見だった訳ですね。

FTOの後続は75/2にデビューしているランサーセレステが立派に勤めていたのですがGTO/FTOの2大スペシャリティが売りであったギャランシリーズ、この体制の存続を掛けたものながら結果的にギャランGT、何がしたかったの?的変態車に間違いない(笑)

さて、そんな経緯から登場したギャランGT、その内容をご紹介!

GT専用のカタログまでこさえる気合の入れ方、そこには当時提携していたBIG3の一つである米クライスラー社と共通する“国際感覚に溢れる”なんて宣伝文句が書かれています。

↓ギャランGT専用カタログの表紙と背表紙


しかしこれはあくまで個人的感想ですが当時のこのクラス(1600〜2000)は4灯式ヘッドライトが普通、2灯式なんて軽や大衆車のクオリティであり当時一般には最上級である2Lを有するモデルに下級ランサーみたいな2灯式なんて有り得ない、車格ってもんが分かってない!と感じましたし市場の反応も同様、オリジナルのニューギャランより安っぽく見えるだけですし元々酷評のスタイルです、いくらストライプ巻こうが内装にデニム生地あしらう(一部限定モデル=スプリングシリーズ200台限定)ともちっともスポーティじゃない(-"-)

↓ベースとなったニューギャラン、4灯式ライトで取りあえず車格は維持してました。


カタログではそのスポーティアピールの強調がマンガに見える程痛い、値段的にも普通のギャラン(の同グレード)より安いならともかく高い設定ですから誰が買うの?って感じで結果はGure少年の思った通りでした。

↓カタログを開けばこれでもか!のスポーティアピールもお笑いでしかなかったw


このギャランGTというモデルはこれが正式名称、そこにSL-5とDXというバリェーションがあるという誠に解りにくい設定です。

ギャランGTバリェーション

・ギャランGT HT1600SL-5
・ギャランGTセダン1600SL-5
・ギャランGTセダン1600DX

ね、解りにくいでしょ(笑)

大体GTなのにDXというグレードがあるのが不思議、素のギャランのDXに装備は準じますが顔付がプリマスってだけの廉価版ですからねー、SL-5にしても同様ですがまだこのモデルで訴求したかった意図に合っているしいや、ホント、ギャランGT DX、謎のクルマで買った人いたんだろうか…

因みに本流ギャランのバリェーションは

(1600)
DX/カスタム/GL/SL/GS
(1850)
GL/SL-5
(2000)
GL-Ⅱ/GS-Ⅱ
※73/6〜74/11までの未対策モデル

この事から解るようにGTで唯一オリジナルと異なるのは同じ1600SLにGTのみに5速MTが与えられた位ですかね、GTの特権は(笑)

ギャランGTの諸元を記載しておきますと

(サイズ)
全長4325全幅1615全高1395ホイールベース2420(以上mm)
(車重)
965kg =セダンSL-5
(エンジン)
75/6〜75/10:サターン4G32型 水冷 直4OHCシングルキャブ 100ps
75/10〜76/12:サターン4G32型 水冷 直4OHCシングルキャブ 92ps MCA51年規制適合
(駆動)
FR
(ミッション)
4速MT(DX):5速MT(SL)
(脚回り)
Fr:ストラット/Rr:リーフリジット
(ボディ)
セダン/HT

そもそもOILショックや排ガス規制による影響からスポーティモデルが否定されていた時期でのギャランGTの投入に疑問、まぁ、名前と意匠のみのスポーティであり中身はギャランそのものですので目くじら立てるモノでもないんですがよりスポーティなFTOと入れ替える程のモデルでもなし、上には立派にGTOが控える訳ですし当時「時代遅れ」と揶揄されたスポ車ファンにはGTOで充分対応できた訳ですしね、まぁGTOと較べると旧FTO同様最上級のGTO2000GSRとは30万円程の開きもありましたのでリーズナブルなスポーティ雰囲気を求める層へのアピールと無理矢理考えるしかないんですが。

↓ギャランGTのインパネ、ギャランGS-ⅡやGTOと同様の3本スポーク革巻きステアや油圧、電流計がスポーティさを演出


↓インテリア、この時代特有のビニールレザーは廉価版と同一でスポーティさはなし


ギャランGTのドライブ経験は残念ながらありませんがニューギャランはデイーラー勤務時代に時々下取りで入ってきていたので何度が転がしました。

未対策時代のサターンエンジン(4G32)は名機と言われた三菱の名作エンジン、初代ギャランやA73型ランサーの海外ラリーでの活躍からしてその名声は高い。

非常に鋭い吹け上がりはシングルキャブであってもストレスを感じさない仕上がりでした。
ややガサツで荒々しいのもありトヨタや日産のテンロクエンジン(2T/L16)には静粛性では劣りファミリーカー目線で見るとこの部分はライバルには敵わなかったながらパンチとパワフルさは明らかに上回りこれにツインキャブ装着ですとDOHCのトヨタ2T-Gと互角に勝負できる、そんなエンジンでした!

その荒々しい排気音=ギアチェンジの際に聞こえる吹き抜ける音が独特でこれがファンの間では“ギャラン・ノート”と言われ有難たがれたものです、これが聴こえるよう意識したアクセルワーク、私もやっていましたね、ついでに述べればこの時代の菱車のシフトフィーリングとハンドリングは当時の水準を超えるシャープさが三菱ファンには定評、ギャランGTでもこれは味わえました。

ただ、残念なのはGTにはツインキャブは未対策時代も載せられていなかったのでこの点もGTを謳うのは看板に偽りアリ!って気がしましたね、先代ギャラン、ランサーやFTO、セレステではGS/GSRとして搭載された名機も不要な?車格UPの弊害でニューギャランそのものに4G32ツインキャブはラインナップされていませんでした。

↓名機の評価高い4G32型エンジン(画像はMCA51年対策エンジン)


75/10月以降は4G32型はMCAシステムによる排ガス対策エンジンの搭載となり出力で8psダウンを余儀なくされます。

三菱の場合、50年規制を飛び越えた51年規制に対応、サーマルリアクター方式による排ガス後処理方式を採用しました。
トヨタの一部タやホンダ、マツダが希薄燃焼、トヨタの多数と日産が触媒方式を採用する中、三菱は独自でした。

この排ガス適合による補器類にパワーを喰われ8psダウンとなった訳ですが当然規制モデルのドライバビリティの低下は顕著、解り易く言えば排気量が200cc位下がったような印象でしたがそれでもライバルテンロクであるトヨタの2T-U/12T-Uや日産のL16 NAPSは燦々たる内容で排気量500ccは下がったんじゃね?的な非力感でしたのでそれらに較べれば我慢できる範疇でした。

そしてギャランGT、上述の51年規制適合時の車種編成整理であの解りにくいバリェーションを廃止し旧SL-5に統一、『ギャランGT』モノグレード化されています。

↓MCA51年規制適合後のギャランGT(セダン)


ギャランGT、本筋ニューギャランに輪をかけた不人気、販売不振はどうにもならずニューギャラン自体が既にモデル末期、車種編成以後は放置され76/5、ニューギャランのFMCで新生ギャランΣがデビュー、この時ニューギャランセダン(GT含む)はΣに移行生廃、HTは同年12月のギャランΛデビューまで持ち越されるもこれにて廃止、Σ/ΛにはギャランGT的モデルは用意されず僅か1年少々で幕を閉じる事となりました…。

ベースでの定例変態ミーティング、ここまで“変態車”として取り上げてきたスカイラインHBやオースターなんていつも話題に上りますがさすがこのモデルは出た試しがない程の変態の中の変態車だと確信します、このクルマを知っているヒトと世を徹して語りたい(徹夜する程内容ないですがwww)そんなギャランGTのご紹介でした(^^)v


“変態と呼ばないで”納得のマイナー・モデルを振り返る・⇒『A112A型ギャランGT』……終
Posted at 2017/12/10 16:10:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | 変態車 | クルマ
2016年08月12日 イイね!

保存版・珍車PART647

保存版・珍車PART647 昨日のディアマンテ(8/11にUPした分を指します)に較べたら格段に今回のは珍車!

ディアマンテの場合新車人気は高く往時はかなりの生息数でしたが経年による消失で見なくなってしまった、これはマークⅡであろうがソアラであろうがスカイラインだって同様、しかし今回のお題は現役時だってまず見れなかった珍、てか“不人気車”と言った方が早ぇーか(^^;

⇒『平成8年(1996)5代目E52A型エテルナ1800ヴィサージュツーリング』!!

どうですかぁ、エテルナなんて私のような菱キチガイ以外の一般の方はもう記憶の彼方のそのまた向こうに飛んでるでしょう、下手すりゃ若い衆だと存在自体知らんでしょうね、何せ次男(20歳)の友達でクルマ興味あるヤツでもギャランですら怪しい、エテルナなんて知らなくて当然でしょ(笑)

エテルナは77年、当時の3代目ギャラン=初代ギャランΣの双子兄弟で登場、トヨタが別販売店向けにこの政策で大成功してシュアを拡大し続けていたのでね、日産も三菱もこれを倣いました。

エテルナは新設店舗、今は亡き「カープラザ」店向け車種、カープラは新車種初代ミラージュを売るために三菱が肝入りで設立したモノですがさすがミラージュ1車種ではキツかろうとΣとΛの意匠チェンジをしてラインナップしたものでした。

↓発売と共に大人気を得た初代ギャランΣの双子兄弟としてデビューしたエテルナ(当時はギャランΣエテルナ)


このようにエテルナは成り立ちからしてカローラに対するスプリンター、マークⅡに対するチェイサー、セドリックに対するグロリア、レオーネバンに対するジェミネット?(笑…ちょっと違う)等と同様、常にメイン車種ありきのクルマであり決してメインよりは売れてはいかん、目立ってもいかんという影武者みたいな存在、それでもトヨタや日産の場合影武者であってもそれなりの販売数で見かける事も多かったですが第3メーカー以降のこのようなモデルの場合極端に販売は少なく下手すりゃその名前すらも知らない、なんて事もありました(^^;

因みにエテルナ的他例はホンダのシビックに対するバラードやドマーニ、アコードに対するアスコット、マツダのオートラマ向けモデルなんかが当てはまりますね〜。

エテルナは登場以降5代に渡りギャランのFMCに歩調を合わせ日陰者の立ち位置は最後まで不変ながら出品モデルの5代目E50系最終型が一番エテルナとしてはバブル景気の影響もありオリジナルティ度が高くギャランとは差別化されたモデルでした。

勿論シャーシやエンジンはギャランと共有ですが先代までは僅かにFrやRrをリ・デザインされた程度だったモノをE50系では外板パネルは全て別物、5代目(ギャランでは7代目)はこれも時代の流れから無用に肥大化しブクブクと太った事から酷評されたモデルですが個人的にはその市場の評価通り5/7代目エテルナギャランは好みではありませんでしたがどちらかを選ばなけりゃならん罰ゲームがあったとすれば私ならエテルナを選びたい、この時期のギャランはマジ嫌い、多少若々しさと冒険心あるスタイリングのエテルナの方がまだ良かったと思えます(*_*;

↓丸み帯びたスタイルはNGでしたが個性的なテールと日本車離れしたデザインはそう嫌悪感もなく…


それでは出品車を見てみましょう。

平成8年の後期型、いい加減売れなくてそろそろFMCの噂が聞こえていた頃のクルマでこの時期にこれを買う人、いたんですねーw

現車、評価は高くそろそろ20年落ちながら3.5という高得点!距離は10万?に乗ったばかりでこの時期の三菱車は過剰設計気味なのでまだまだ大丈夫でしょう、ただ、昨今の三菱を巡る問題から旧型車の部品はどんどんリストラされていますので保持部品の供給はE50系も怪しくなってきている状況…

↓OIL漏れと下廻りサビは要チェックですが3.5評価ですので重症ではない様子!


見かけはともかくE50系、設計はバブル真っただ中でしたので質感、造り込みは非常にイイ、インテリア仕上がりやデザインは好評だった先代E30系よりも上、当時もE39Aに乗っていた身としてはこの辺は神経質にチェックしましたが唯一愛車よりも「いいなぁ、コレ!欲しいなぁ、コレ」(ナベサダか!!笑)と思えたのはこの部分のみでしたねー。
既に上級ディアマンテが存在していたのでギャラン/エテルナがここまで豪華になる必要あるんか?と思える位の質感、この事が両車の庶民性を欠いた印象もあり致し痒し、まぁ、この時期はバブルという魔物にこうした判断を狂わされ散っていた車種は他社にも(特にマツダ)多かったですが。

↓E50系で一番感心したのがインパネ/インテリアの質感!約20年経過でもヘタれた印書皆無!


E50系は最大の特徴はメインエンジンがV6になった点、当時ついこないだまで“4気筒推し”をしていた三菱、先々代のE10系から搭載しますがV6の浸透はなかなか進まず90年のディアマンテでようやく認知、これ以降のFMCでギャラン/エテルナもV6にシフト、デビュー時は1800廉価版に4気筒を残し後(1.8L/2L/2L DOHC/2L DOHC I/Cターボ)は全てV6という布陣でした。

出品車は後半にお買い得モデルとして設定した1.8L 4気筒DOHCのヴィサージュツーリング、エンジンのみコストを抑え装備は上級グレードと遜色ないという普及を目論むグレードでした。

↓外装評価は対象外のようですが大きな欠点はなくC評価は確実でしょう!


探してもまずは出ないエテルナ、ヒトと違う個性を醸し出したい目立ちたがりにはピッタリですよ、変にカーテン付けたりフルスモする位ならE50エテルナにしましょう(爆)

現車、そんな貴重な数少ないエテルナの中で状態はなかなかいいモノと思われます、内外も問題なく不良点のチェックのみきちんとすれば上述の通りパーツ確保が条件ながらまだまだ現役続行でしょう!

↓Frだけは一応逆スラ2分割のギャランが好きでしたw


出品地は西、落札は無事なされますが一桁後半ってとこでそれでもハイパワーでも4駆でもない菱セダンとして解体価格でないだけ立派!!

これを狙う程まだまだド変態の域には達していないGure、しかしこれ乗ってたら目立つことこの上ないですからね、状態も良さそうだし1日だけ借りて乗り回したいですわwww(^^)/
Posted at 2017/12/02 18:45:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | 三菱 | クルマ

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何シテル?   06/14 18:18
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