
時間ねぇとか言いながらつき物落ちたようにこの企画、やってますが(^^;
と云う訳でw今回の“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返るの 第8弾となりますがなかなかまたマイナーな変態にお越し頂きましたヨ!
⇒『JT191F/JT191S/JT151型いすゞPAネロ』
PAネロ、知ってますかぁ?ピアッツァネロなら聴いた事あるって方も多いでしょうがPAネロは1990年〜1993年(平成2〜5)の僅か3年、いすゞが当時提携していた米・GM向け供給モデル(現地名GEOストーム)の国内販売用のモデル、ベースは3代目となるJT151/191/641型(1990〜1993年)のジェミニになります。
この3代目ジェミニ、先代が“街の遊撃手”のコピーでアクロバット走行するCMが大きな話題となりいすゞNo1の売り上げと人気を誇ったモデル、この2代目ジェミニは当然、米国でも売られ好成績を収めたところからGMの意向が次期モデルでは強められその命を受けたいすゞが90年にFMC、3代目ジェミニが誕生しました。
一方いすゞは国内輸入車ディーラーであるヤナセと関係が深くこれ以前より初代ピアッツァ(81〜91年)を供給、オリジナルと若干意匠の異なる『ピアッツア・ネロ』をヤナセ専売にてリリースしていましたが90年当時で既に発売9年、商品寿命も尽きかけておりこれの代替え車種としてジェミニ-GEOストームの兄弟として90年からヤナセ供給したのがPAネロでした!
↓90年にデビューしたヤナセ専売車である『PAネロ』
本流ジェミニは90年発売時はセダンのみ、やや遅れてクーペ、91年になってHBをリリースしておりPAネロは米国GEOストーム同様、クーペとHBモデル2種、当然これらは三つ子になりますがそれぞれがFrや細かい部分リ・デザインされておりいすゞ・GM・ヤナセでそれぞれオリジナルティを演出するものでした。
さっ、ここからが辛口批評!?
PAネロ、顔付はヤナセで扱うシボレーカマロをモチーフしたようなFrマスク、角目4灯のセミリトラはそんまんまアメリカンの顔付、クーペはこの顔と派手目なスタイリングはマッチしていたように思いますがHBは正直醜悪さしか感じない(個人的趣向)、また、クーペにしても元のジェミニからしてそうですが全長、と言うかもう少しRrのオーバー―ハングが長ければかなりイケてるスタイリングになるんでねーの?って感じます、全体的に寸詰まり感しか得られずジェミニが5ナンバーの大衆車クラスであった事からサイズの制限からなる無理矢理なデザインでしたのでね、バランス悪くクーペに重要な低く・長く・幅広く・流麗の4要素のうち長くと流麗さが欠けていたように思います。
↓Rrだけ見るとカッコ良かったんですがね、全体のバランスが何か変orz…
こういうのって弱小メーカーが出すスポーティモデルに多いんですよね、一部分だけ見るとスゲェいいのですが全体で見まわすとなんかバランスが取れていない、あくまで個人的な主観ですがこのPAやジェミニクーペの他に例えば初代スバルアルシオーネとかレオーネクーペ、三菱スタリオンも最初見た時にそれ感じましたしマツダのコスモLとか3代目コスモ、初代ホンダプレリュードなんかも…
やはりトヨタや日産に造らせるとそう失敗はない“流麗”が大事なスポーティモデルのスタイリング、No3以下ですと?なモデルも多かった(笑)
スタイリングで言えば3代目ジェミニを語らずにはいられんでしょう(*_*;
何とこれ、当時も今もいすゞ乗用車撤退のA級戦犯!と言われる程の失敗作(+_+)
↓PAネロのハッチバックモデルもジェミニから拝借?してリリース(㊤PAネロHB㊦ジェミニHB)
実際こればかりが乗用撤退を招いたという訳ではありませんが提携先のGMがいなければ独り立ちできない弱小メーカーであったいすゞ、その意向に逆らえずアメリカ人には好かれても日本人受けしないスタイリングは先代ジェミニで築いた遺産を食い潰す燦々たるモノでした…
↓いすゞNo1の人気と売り上げを達成した2代目JTジェミニ
ワタシも当時も今も昔の親友がいすゞ藤沢に勤めており色んな話を聴いてますが書けない事も多くその点は控えますが言える事は3代目ジェミニは社員でさえ買わない程の不人気車、社員はヤナセ扱いで外車としてはリーズナブルだったオペル、若いのはカマロとかを仕方なく買うもジェミニは勘弁という意見が圧倒的に多かったらしいです。
いすゞはあの117クーペ以来、基本的にボディデザインはイタリアの奇才、Jアローに依頼してきており117以降の初代ピアッツア、そして2代目ジェミニとその日本車離れした美しいデザインは好評で決して大きなメーカーではないながらこういったモダンさは他の追従を許さず頑固ないすゞファンを獲得、パイは少ないも熱心なファンに支えられてきましたがこうしたファンまでを全てではないにしろ敵に回す失策を犯したと言っても過言ではない、3代目ジェミニはかえって一般人よりも内部の数少ない乗用車開発に夢を持つエンジニアの息を消沈させやる気をなくさせた、そんな部分でも“A級戦犯”だった訳ですね。
3代目も日本車離れと言えば間違いなくそうなのですがクセが強く明らかに米人向けデザイン、丁度現在の日産セダンのようなものですかね?奇しくも当時いすゞにいた有名デザイナーが現在日産に在籍しているのも偶然ではありません。
さてこうした事情を踏まえて進めますがジェミニは90/3、PAネロは9o/5発売…
僅か2か月先発ですが国内ではジェミニに既にブーイングが沸き決して商売的には順調ではない時期にPAネロがヤナセからリリースした訳ですがベースがこのザマですから当然PAネロもまずは売れない、見かけないクルマでした。
先に結果を述べれば販売された3年間で3000台の実績、海外でのGEOストームは大成功に終わりますが国内ではジェミニ、PAネロ共にダダ滑りの状況だった訳です。
3年で3000台=1か月8台強ですからこれは厳しい数字、本家ジェミニはセダンがラインナップしていたので酷評ながらも関係先社有車等の需要もあり一定の数字(これも低かったですが)を出しますがPAネロは私の生息地、いすゞ工場が二つもあった縁深い神奈川県ながらまずは見れないクルマでした。
またヤナセ供給にしてもやり方がマズく当初先代ピアッツアの後継モデルであった筈のPAネロでしたがこれのデビュー僅か半年後の91/8に本流ピアッツアがFMCし2代目がデビュー、同時にやはりヤナセ専売のピアッツア・ネロもリリースされたのが致命的でした。
解りにくいのは2代目ピアッツアもジェミニクーペの兄弟車になった点、先代は117クーペのシャシを使い独自のボディを持つきちんと独立した車種であったピアッツアも合理化、コストダウンの観点から格下ジェミニの兄弟となっており当然ボディも共通、この時点でジェミニファミリーは4兄弟化(ジェミニ/PA/ピアッツア/GEO)となっておりヤナセ専売のPAとピアッツアも顔付が違うだけのモデルになっており正直、本流ジェミニでさえ大苦戦の中、GEOを除く国内で3モデルが売れる程いすゞのパイは無かった訳でGMやヤナセの意向もあり好きでやった事ではないにせよいすゞの無謀さ、マツダ5チャンネル政策と同様に後々に祟る結果を招くしか効能はありませんでした。
↓91/8発売のピアッツアネロもジェミニ/PAネロの兄弟車
PAネロにとって不幸?だったのは最も後発のピアッツア/同ネロが一番好評だった点、スタイルはジェミニクーペながら初代のセミリトラを継承しながら迫力の丸4灯ライトがなかなか精悍、ジェミニと違いこの事で旧ピアッツアファンにもそう嫌われる事もありませんでした、因みに私の個人的意見もこの4兄弟では一番ピアッツアが好みだったかな?兄弟全ての車型(セダン/クーペ/HB)の中でクーペが一番マトモ、顔付も男前なピアッツア、どの道買おうなんて思いませんでしたが選ぶならそれかなと(笑)
実際、ヤナセでも2代目ピアッツア・ネロの販売実績は少ないとは言え見られましたがこれによりPAネロはほぼ売れない結果を招いてしまいました。
↓ヤナセらしく国際感覚を強調しリリースしたPAネロでしたが…
ここでPAネロの内容をご紹介!
・バリエーション
(クーペ)
160S/160X/イルムシャー160R
(HB)
150J/イルムシャー160R
※限定車としてハンドリングbyロータス、160Fイルムシャーも一時ラインナップ
・諸元
(サイズ)
クーペ全長:4150全幅1695全高1315
HB:全長4150全幅1695全高1325
ホイールベースはクーペ/HB共通で2450(以上mm)
(車重)
1110kg =160S/X
(エンジン)
4XC1 1.5L 直列4気筒OHC 100ps
4XE1 1.6L 直列4気筒DOHC 140ps
4XE1-T 1.6L 直列4気筒DOHC 180ps
(駆動)
FF/4WD
(ミッション)
4速AT/5速MT(SL)
(脚回り)
Fr:ストラット/Rr:ニシボリックサスペンション
HBはファミリーユース向けの1.5LのSOHC、クーペはスポーツ性を重視する1.6LDOHCをメイン、そこに頂点として両車型にこの時代の流行であった4WDモデルをいすゞ伝統のスポーツグレード『イルムシャーR』名で設定、DOHC I/Cターボエンジンを搭載、勿論ジェミニからの拝借モデルですが1300kg程度のウェイトで4駆180psの実力はなかなかのモノ!
ワタシはPAではなくジェミニの同様モデルを体験、後で触れますが独特な機構で4WS機能も持つニシボリックサスとの組み合わせが慣れるまではとても走り辛い、速いのは間違いないのですがちょっと乗ってすぐ手なづけるというモノではなくこれを速く乗りこなすにはそれなりの時間が必要なクルマという印象でした。
いすゞってのは昔のベレット時代からサスペンションには拘りがありこれがいすゞファンのハートを捉える訳ですが他車と比較してしまうとなかなかのクセ者、第一印象は決していいものではなかったのですがベレットの場合レース、そしてジェミニの場合はラリー等で活躍、ニシボリックはラリーストからは好評を得ていました。
4X型エンジンはトヨタレーザー、日産プラズマ、三菱サイクロン、マツダマグナム同様に新世代エンジンとして「シグナス」と名付けられたもの、特にテンロクの4XE1型は先代から引き継ぐ4バルブDOHC、このヘッドは当時関係の深かったロータス社が設計したものでNAならば非常に気持ちがよくトヨタ4A-Gに勝るとも劣らない実力とフィーリングを備えていました。
↓いすゞの名機4XE1ですがマイナーメーカーの性?トヨタ4A-Gが神扱いされる中、ほぼ話題には上らず…
ターボ付きですともうモンスターマシン、ラリーシーンではギャランVR-4やブルSSS-R、レガシィRSの1クラス下に位置しパルサーGTI-RやファミリアGT-Ae等がライバル的存在でしたが国際ラリーがランサーエボリューションとインプレッサに塗り替えられていく過程で目立つ戦績はなく一部国内ラリー、草ラリーで愛好者が活躍する、というある種マニアックな存在でした。
上述のニシボリックサス、簡単に言えば特別な装置を使わない4WS、Rrサスペンションの構造自体で横からのヨーが掛かると自然に?後輪も操舵されるといういすゞ独自のものでしたがこれには色々問題も注目点もありました。
問題はFF(または4WD)にも関わらずコーナー次第ではFR車のようなオーバーステアになってしまう点、これは走り好きにしてみたらある意味面白い部分でもあるのですがファミリーユースでもうFF挙動に慣れ切っている90年代のファミリー層には混乱を招くと言う点、しかもこの4WSはカーブの特性やその後の立ち上がりにより動きが変化、同相と逆相が混在したりしていちいち運転がし辛い部分がありました。
この頃4WSは流行りで日産のハイキャス→アテーサを始めとし三菱、マツダ、ホンダが装備していましたが動き方がいすゞは独特、他車の4WSは一定時間乗れば理解できる機構でしたがいすゞは混乱するばかり!まぁ、実際にオーナーになれば毎日、そして少なくとも数年は付き合う訳ですからこういった事はなかったとは思いますがなかなか誰でも乗れるという代物ではなかった気がします…。
↓サス自体はストラット式の4独でしたがRrサスに仕掛けが…
いすゞでは“トーコントロールサス、ナチュラル4WS”なんて呼んでましたが正直、どこがナチュラルなんだか?が感想、ステアリングに連動する多くの他社の機構の方がよほどナチュラル(でないのもありましたが…)ではないかと思ったものです。
↓Rrサスの構造、見るヒトが見れば4WSになる原理が解るでしょう!
但し、少し飛ばして走ると挙動は愉しかった、これを恐怖と捉えるか愉しいと捉えるかはそのドライバーの技量や経験な訳ですがFR世代としてはFFながらケツが動くというシーンには慣れている訳でそれがFRの滑りとは異なるモノであっても応用ができるドラテクを持ち合わせればニシボリックも一部の酷評ほど悪いものではなかったと思えます(^^)v
↓図解により同相、逆相になるしくみ?がカタログで謳われこれをバイブルにして乗り込んだのも懐かしい(笑)
エンジンや機構の解説をさせて頂きましたがソフト面、インテリアや室内に目を向けましょう。
この部分も当たり前でジェミニと共通、なので経験があるジェミニ主体の話になりますがご了承下さい!
ジェミニというクルマは歴代からしてどうしてこんなに狭いの?という点が最大のウィークポイントだった気がします、初代のPF型はFRでしたのでそれも納得ですがその時代、やはりFRだっカローラ(E30系)やサニー(B210)に較べても明らかに狭い、足許は前席後席に関わらず窮屈で後席なんて子供でもないとキツい、これがメインのセダンでもそうでしたのでファミリーカーとしては失格、トランクにしてもそう、室内も横方向も狭く同様サイズでライバルとの差は何?って感じでした。
2〜3代目にしてもこの悪い伝統は継承、2代目は利点でもあったコンパクトサイズであったので致し方ないと思えますが3代目に関しては2代目からの大幅なサイズUPにも関わらずやっぱ狭いんだ、これがwww
それでも前席は初代や2代目に較べたら隔世の感がありましたが後席やトランクはこのサイズのセダンとしては明らかに他車の敵にはなり得ない使いにくさ、90年と言えば他車の同クラスもほぼFFに生まれ変わりうまく工夫してそれそれサイズ以上を思わせる空間を実現、特に日産プリメーラや三菱ミラージュセダン、マツダファミリアサルーンなどファミリーカーとしてどれも及第点でしたがジェミニはダメでしたねぇ、これも売れなかった一因だと思います。
PAネロの場合は居住性は無視できクーペがメイン、クーペなんてモンはスタイルさえ良ければ狭かろうが荷物積めなかろうが関係ないのですがスタイルもねぇー(以下上述)
PAネロもインテリアは基本ジェミニと同一、この時代いすゞが凝っていたクラスターS/Wのインパネも勿論共通。
↓インパネはジェミニと同一
このインパネがまた見切りが悪くてNG、着座位置が低いのでインパネそのものも妙に低い位置にある、これはデザイン上の問題でもあるんですがインパネ低いくせに前面のグラスラインが高くその上ボンネットが急勾配で下がりFr部がスラントですんでどこが前だか身を乗り出さないと把握できない、これはこの兄弟全てに共通していましたね。
クラスターS/W、これは個人的には使いにくくてNGでしたがハンドルを握ったまま各S/Wが操作できるという利点もありファンも多かった様子、いすゞに限らずこの時期の流行りの一種でした。
↓全席優先のPAネロ(クーペ)、後席はオマケ程度の+2と思えば問題なしw
とここまでこのマイナーなPAネロというクルマをクドクド語るヤツもそうはいないと思いますがとにかく地味を通り越し知ってるヒトどの位いる?と問いかけたい程のマイナーモデル、このコーナーに相応しいと思い取り上げてみました(^^;
PAネロ、本流のジェミニが冒頭記載した通りの大不評により当時の通常モデルライフ(4年)も全うできずに発売3年少しの93年7月をもってジェミニ/PA/ピアッツアと国内モデルは全て製廃、2代目ジェミニの遺産を喰い付くしとても新型開発の余裕どころか深刻な経営危機にも見舞われたいすゞ、この後は一部RVモデルを除く乗用車自社生産を諦めやがてトラック専業メーカーになり現在に至る訳ですね。
最終型は不評とは言え歴代の功績もあり知名度もあるジェミニに対し一般ピープルには馴染みの薄いヤナセ専売という背景から知名度も殆どないPAネロ、ジェミニは文献などで今でも語られる事はあってもPAはまず話題にすら出ない哀しきマイナー車、私が振り返らず誰が取り上げるか!!の勢いで締めさせて頂きます(^_-)-☆
“変態と呼ばないで!”納得のマイナーモデルを振り返る⇒『JT191F/JT191S/JT151型いすゞPAネロ』……終