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イイね!
2011年05月20日

道路からはじまる

道路からはじまる この記事は、旅した訳について書いています。

 伏木悦郎氏の東北レポートが掲載され、興味深く読んでいる。

 私は津波については直接被害を被っていないし、ジャーナリストでもない。震災のことをこういったフリーに目にされる場所で書く気にもならなかったが、伏木氏のレポートを読んで動画を見、『個人的に思うこと伝えたいことがありそうな気になった』ので、震災について書いてみることにした。

 3.11の夜、妻と合流できた私は、13日に妻の実家がある山元町に出向き、親戚を捜しに行く覚悟を決めていた。山元町は津波被害で壊滅的な状況らしく、厳しい道程になるだろうと想像できていたからこその覚悟だった。

 しかし、震災翌日の昼に入手出来た新聞号外とラジオからの情報を判断して、親戚の生存は絶望的ではないかと思えた。仮に混乱している現場へ探しに出向いても何の情報も得られず徒労に終わる可能性が高いのではないか?女川、福島にある原発の状況が判らないうえに、仙台近郊のインフラ復旧にはかなりの時間を要するだろう。13日に山元町へ捜索に出ることは諦め、12日深夜に岩手内陸にある私の実家へ避難することに決め、妻を説得した。妻も納得してくれた。

 避難した岩手内陸では電気も数日で復旧し、携帯もPHSも使えるようになった。暫くして妻の親族と連絡が取れた。近しい親族がみな無事で、何処に避難しているかの情報も揃った。
 約10日間の特別休暇をもらったかのような快適な日々を岩手で過ごし、被災者から支援する側へと気持ちを入れ替え、再び宮城に戻った。この岩手にいた10日間ほどが、宮城県内陸では物流も整わず最も厳しい状況だったようで、日々の生活に消耗することがなかったので、結果的に岩手へ避難したのは正解だった。


 写真は宮城にもどった3/23の朝 津波から12日後の宮城県山元町にある妻の実家前だ。ここは海辺からかなりの距離があるのだが、津波は2m程の高さまで来ている。

 3.11から暫く、ここにクルマで入ることは困難だったそうだ。道路は瓦礫と海水とでとても近づける状態ではなかったとのこと。
 そんな状況を自衛隊の方々の精勤によって、道路の膨大な瓦礫が撤去され、多くの人が津波被災地に入ることが出来るようになったのだ。被災地では濃緑の大きな自衛隊車両がとても頼もしく見えた。

  道路が出来ると、重機や資材がその地域に入る事が出来るようになる。
  そして水道が復旧し、多くのものを洗い流すことが出来るようになる。
  そのうち電柱が立ってきて、電気が復旧した。
  ここまで来れば、人々がその地域に住もうという意欲がわいてくる。

 この、”道から始まる復興のスキーム”を、身をもって感じることが出来た自分は、幸運だ。


 現在でも復興作業を続けて現地入りしている自分だが、その風景を見て楽しんでいる部分がないかと言ったら嘘になる。楽しんでいると言うよりもその状況の凄さを感じて興奮しているとでも言おうか。そして冷静になって、その風景の下で多くの命が失われたことを思い出し、悔しさが募ってくる。そんなことの繰り返しばかりだ。


 見物気分で被災地にいった人を”不謹慎だ”と言うことだけは簡単だと思うけれど、「他人の行動を不謹慎だと発言することで、行動していない自分を正当化しようとしているだけではないか?」と、発言した当人もジレンマに陥っているのではないだろうか。

 いま、遺体捜索がひと段落付いた津波被災地の平日は、かなりのんびりとした東北らしい空気が漂っているように感じられる。そこに物見の人が居たとして、何も変わらない、問題はないのでは?あくまでも私が動いている石巻~山元までの宮城県沿岸の雰囲気ではあるけれど。


 『悔しいくらいにズタズタにされた情景は、いまの東北にしかない』 これを実際に見た人たちは、これからも何かある度に東北の被災地をリアルにイメージできて支援を続けてくれるだろうし、東北が復興を果たしたときに、心から喜ぶことができる人であると思う。そういう人たちは、現地の人から見てイヤになるような行動は謹む意識を持っているだろう。



 明日もボランティアの方達が、妻の実家片付けに来ていただけることになっている、とても有り難い。昼食時には、ここにどんな人が住んでいて、津波の時にはどんな行動を取って助かって、そしていまどうして過ごしているか、と言う話をすることにしているが、ボランティアの方々は非常に熱心に聞いてくれる。こういった関心が有るからこそ、見ず知らずの地での活動へのモチベーションも保たれているのではと思う。

 一番恐ろしいことは、関心がないと言うことが普通になることではなかろうか。



//こうやっていざ書いてみて、やはり何を書いて良いのか整理できていない自分だった。反省。まとめられないので、これで終わりにしよう。


 伏木氏には是非とも、CX-5や時期アテンザに実装されたSKYの全貌を忌憚なく語ってほしいので、外野の声にイヤになることなくBlog更新のモチベーションを保っていただければと願っております。
ブログ一覧 | 閑話休題 | 日記
Posted at 2011/05/20 16:41:23

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この記事へのコメント

2011年5月20日 21:58
 東日本大震災は歴史の「ターニングポイント」として語り継がれることでしょう。その経済的影響が顕著になるのは少し先でしょうけど、多くの日本人が「生まれて初めて経験する」事態になるのではないかと想像しています。
 周囲に話しても誰も相手にしてくれないのが寂しいですが(苦笑)。
コメントへの返答
2011年5月20日 23:30
 しかし、仙台で朝刊に挟まれる広告の多くがパチンコだという現実には、がっかりを通り越して悲しくなってきます。

 頑張りどころを間違えないようにしたいですね。
2011年5月21日 21:33
 こんばんは。
 ”伝え残すこと” これからの次代へ引き継ぐべき大切なことと思います。

 ”『ここにどんな人が住んでいて、津波の時にはどんな行動を取って助かって、そしていまどうして過ごしているか』、と言う話をすることにしているが”

 時間が合えばお聞きしたいです。

 特に、防災については”宮城県沖”の地震が高い確率で発生すると言われ、意識が高い地において想定を超えた津波の中、”どのように行動をし” 助かったのかという事を言い伝えていくことで関心や意識が高まり人命が助かることに結びつければと思います。

 私自身、海岸の仕事をしている身として次代へ正しい認識・理解を持って頂けるよう努めていきたいと思いました。
 ありがとうございました。
コメントへの返答
2011年5月23日 10:56

 どうやって助かったのか、と言う部分については、『大多数の人たちにとっては運』だったのかなと思っています。自分の知恵と行動で活路を切り開けた人は、本当に少ないのが判りました。

 ただ、この状況から東北東岸を復旧させるのに必要なのは、運ではなく、実行力と知力ですよね。生かされている以上は、行動すること、考えることだけは、止めないようにと思ってます。

 海岸のお仕事は大変だと思いますが、無理せず頑張ってください!

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