これでシリーズ4編目となります。
今回は華やかな特急以外をクローズアップ。
色々ありますが中には貴方にとってレア?なモノもあるかもしれません。
現代風に言いますと『鉄分補給』してくださいませ(笑)。
順番はテキトーにいきまっせ。
まずはEF65。
まだ陸上輸送発展期のこの頃、国鉄の貨物自体が多種多様なモノが多数ございました。
その中でも貨車をけん引する当時の主力電機機関車こちらEF65。
幼少期の頃に東洋一の大きさを誇った吹田操車場の近所に住んでいた関係でほぼ毎日この車両を見ました。
何せ遊んでいる空き地の前にずらりと貨車が並んでいるのですから。
発車ブザーが『ビー』と鳴り響いた後にけたたましい警笛を機関車が鳴らすと、連結部を引っ張る音が『ガチャガチャガチャガチャガチャガチャ.......』と鳴り響きますが、そんな音も今や懐かしい響きです。
こちらもEF65。
どこで撮影したのか場所を覚えておりません。
この迫力画像がどこでの撮影なのかこちらも記憶なし。
EF65の1000番台重連結。
当時は客室車両のみけん引していたと思う。
雪が付いてるので余計に思い出せない(笑)。
こちらはEF66機関車と5tコンテナ。
当時フレートライナーの名称で主に5tコンテナを主力に走っておりましたが、現代のJRは逆にこのタイプしか残っておりませんね。
当時はこの5tコンテナタイプよりワラとかワムとか言った鋼鈑溶接の貨車が主流でした。
黒や茶色のタイプですが、80年代後半には姿を消して、払い下げられたモノがたま~に田舎で倉庫や物置として活用されておりますね。
こちらはディーゼル機関車のけん引主力機関車であるD51。
デーデーゴーイチと言うのが関西では通(ツウ)らしい....☚嘘です。
この機関車も嫌と言うほどウジャウジャと走っておりました(笑)。
非電化区や貨物専用線などはほぼこの機関車のイメージが強い。
こちらは恐らく大阪駅。
EF58、一世代前の電気機関車。
当時でも鉄道ファンには根強い人気がございました。
フォルムが完全に昭和レトロですね。
こちら機関車名不明。
鉄道マニアさんがご解答くださいwww。
と言うのもこの手の車両、当時大阪ではほとんど見かけませんでした。
この写真は八尾の久宝寺にありました竜華(りゅうげ)操車場だったと思います。
珍しいので撮影。
ここから何枚かは同じ竜華操車場での画像だと思います。
もしかしたら吹田操車場の可能性もあるので間違っていたらすいません。
EH10、通称『カラス』と呼んでいましたが、ネット上では『マンモス』と書いておりますね。
正しい正しくないは別として私の中での通称は『カラス』です!
この画像からは判りませんが本体が2つの車両を連結させている特殊なタイプの機関車。
当時は恐ろしく長い貨車が存在しましたので重連結させなくても良いように開発されたのでしょうかね?
これも当時はよく見ましたが気付いたら引退となっておりました。
カラリーングも黒に黄色のラインでいかつい感じでしたね。
ちなみにこの機関車、私は何度見てもハカイダーに見えます(笑)。
このネタを判ってくれる方は歳バレまっせwww。
EF66。
当時としては新しくまた精悍な顔つきでした。
EF81。
こちらもブルートレインのけん引などでよく走った機関車。
なお関門トンネル使用のアルミかステンレスか忘れたけど銀色のバージョンは本当格好よかったなぁ。
塩害対策と車両強度を考えるとアルミの訳が無いわなwww。
EF65、上部丸目2灯が目印。
1灯ならEF61と区別していた、確か。
これ40年以上前の話だから言えるけど当時操車場の職員さんとか写真撮らせてくれたんですよね。
これ自体がコンプライアンスなんて言葉の無い旧き良き時代の象徴なんですよ。
ちなみに吹田操車場横の原っぱなんか柵無かったよwww。
今思えば超危険なんだけど本当間近で色々なの見たよなぁ。
あと当時でも軌道内での大きな事故なんてありましたが、こんな画像自体が今では考えられない貴重な写真だと思います。
※このお話は最終章で恐らく少し取り上げます。
こちらは梅小路と書いてるので恐らく蒸気機関車置いてるところの画像ですね。
最初のほうに述べたワムと言う貨車の特別限定車?
救援車代用とか白の帯とかちょっと普通じゃないバージョンですね。
これは重量物を運ぶ貨車だと思います。
形式など全く判りません。
最後になりますが圧巻はこの貨車。
当時最大の貨車だと思います。
図鑑でしか見なかったのが目の前にあって驚きました。
撮影年月日は'81.1.25になってますね。
写真に納まりきらないこの車軸の数(爆)。
よく見ると三菱マークがありますね。
確か大物車と言う重量物を運ぶシキと言う特別な車両だったと思われますが、記憶の断片ゆえそれ以上の事が判りませんゆえ画像よりコイツが何者なのか是非教えてくださいませ。