週末は気仙沼に行っていました。
ただやはり夜間の道路凍結が心配ななので土曜の早朝に出発します。
荷物の積み込みの他、軽くFitのメンテナンスなんかをやっていたので出発は7時50分になってしまいました。
ラジオや道路情報、カーナビのVICSで東北自動車道浦和料金所で事故渋滞が発生中とは分かっていましたが、常磐道に迂回する時間と経由地の登米市の病院に近い東北道に回帰する事を考えて首都高外環からそのまま東北道に乗る事にしました。
外環から東北道への合流で既に渋滞が繋がっています。
この事故も連鎖事故になっていました。
恐らく料金所ゲート目の前で強引に車線変更した車が原因で事故が起き、その後の事故渋滞に追突した二重事故でしょう。
道路情報に耳を傾け、漫然と走らず前方に意識を向けていれば少なくとも二つ目の事故は防げて右車線と左車線を規制されるような事も無かったと思います。
そこを抜けると順調です。
那須高原の最高標高地点。ここを抜けると燃費も伸びます。
しかし福島に入ると天候が急変、さっきまで伸びていた燃費もどんどん悪化していきます。
まだ日中で良かったかなと。
結局、一番雪深いのは福島でした。
高速燃費は出発前にエアクリーナーフィルターを交換した効果か浦和料金所の事故渋滞や福島での吹雪にも関わらず85km/h巡行で、この季節の平均よりわずかに伸びて23km/Lでした。
築館ICで高速を降りて、登米市の病院に立ち寄ります。
この季節はインフルエンザ拡大を予防するために面会制限が掛かっているので会えないのですが、日用品の補充や洗濯物の回収、入れ替えがあるのと息子が東京だからあまり来ないとなると院内での扱いもそれなりになるので、やはり定期的に通う必要があります。
ナースステーションで日用品や洗濯物を渡すと、「個室が空いていますがどうしますか?」と言われました。
先日亡くなった伯父も亡くなった日に個室に移された事が脳裏をよぎりますがそれを察してか「病状はお変わりないんですけど」との事。
個室なら面会制限はないとの事で毎回のようにまだ面会できないでしょうかと打診しているのでそれを配慮して優先的に言ってくれたものと解釈しておきますが、回復して退院できる他の患者とは違うという事も意味しています。
日額3200円くらいで月にすると約10万円近くの増額になりますが、母に残された時間が限られている事を考えるとここで10万、20万をケチっても仕方ありませんので翌日から個室に移れるように手続きして帰って来ました。
気仙沼に向かい、そのまま親戚の方に回って個室になるので明日から面会して貰えることを伝えて帰って来ました。
丁度、雪も降り始めています。また夕食を、と言われる前に帰って来ました。
夜、晩御飯をインスタントラーメンで済ませてゆっくりしていると友人から「今気仙沼に居る?新年会をやるけど来る?」とメールが入りました。
こちらは普段会っている地元の友人ではなく、高校繋がりで個別には連絡していますがあまり会えない友人たちなのでとりあえず顔だけ出しに出かけました。
夕方、親戚から帰って来た時は気仙沼市内はまだ雪は降っていませんでしたが、この時間には市内も雪が積もり始めています。
車もすっかり雪を被って、フロントガラスの雪を融かさないと出せない状況でした。
天気予報では今後から雪が積もる予報で帰りが心配されましたが、最悪でも歩いて帰れるのでとりあえず出かけます。
今年で気仙沼を離れるという者も何人かおりましたが、やはり22時くらいになると雪が凄いと各自の携帯に連絡が入って来たので早めにお開きになりました。
店を出ると既に5センチほど積もっています。
まだ新雪なのでスタッドレスタイヤならワシワシ走れます。帰りの方向が同じ友人を乗せて家まで送り届けます。
なんでも去年まで居た仮設住宅の方向という事で抜け道などもだいたい分かるのであの通いなれた坂道を登っていきます。
仮設住宅を退去してからもう来ることは無いと思っていたのと、被災後ではあっても、FRのジュリアクーペでは雪の季節は危ないので来ないようにしていた冬の夜の山道をFitでワシワシ登っていくのは不思議な感覚でした。
そこからの帰り道は心得たものなので吹雪の中でも家までたどり着き、駐車場もまだスタックせずすんなり入れることが出来ました。
このままだと明日、帰るのに車を出せなくなっていると困るので雪の合間、寝る前に1時間くらい家の前の道を除雪しておきます。
朝までにまた積もるにしても一度雪かきしてあれば次の雪かきが多少楽なのと融けるのも早いのでやって無駄という事はありません。
ウチの前から始めて下の坂の入り口までと上の家の出入り口くらいまでやっておきますが、時間が遅くて既に寝ている家も何件かあるのと避けた雪の処理でクレームが出ると面倒なのでウチの駐車場や空き地に押せるだけにしておきました。
翌日曜。
少し遅めに起きると、晴れて道路の雪はすっかり無くなっていました。
やらなくても良かったのかもしれませんが、朝、近所の雪かきの音で起こされなかったのでやって良かったと思う事にします。
伯父の家に雪について電話すると従姉が雪かきしたとの事だったので水道の水抜きをして荷物を車に積み込んで東京に向かう事にします。
伯母を連れて行ったらこの家は取り壊してしまうという事で従姉も生まれ育った家での最後の雪かきは、特に伯父が雪かきをしていて大動脈瘤破裂の後ですから、複雑な思いがあった事でしょう。
気仙沼市内は昼には殆ど雪は残っていませんでした。
しかし昨晩から風が強く、沖合では白波が立っているのが見えます。
登米市に入る頃には空も怪しくなります。
病院に着くと、丁度個室の病室に移している所との事でバタバタしていました。
なかなか落ち着きませんでしたが、目やにを取ってやると目を開けていましたが、話す力はずいぶん衰えており、はっきりした言葉を発する事はありませんでした。
久しぶりに見ると、随分痩せたなぁと。
腕も細くなり、自分で上げたりも出来ないようです。
それでもこれで親戚や母の幼馴染に面会に来てもらえるようになり、なんとか間に合ったようです。
先週、この病院の担当医から電話があり、胃ろうを続けられるように調整したが、やはり逆流してそれが原因で肺炎になっているようなので点滴に切り替えると打診されました。
これは母の余命が限られていると同時に、点滴が医療行為になるので、これまで申し込んで来た特養や老健といった施設には入れず、また気仙沼では療養入院を受け入れる所は無いので、もう気仙沼に帰るのは生きているうちは無理という事になります。
申し訳ないと思いますが、他にやりようもなく、唯一の方法は自分が休職したりして在宅で引き取り看取る事ですが余命が一か月無いのか半年以上あるのか分からない以上、現実として取れる選択肢ではありません。
とくに介護休業は三カ月のみです。
親戚や母の幼馴染には「大変だね」「偉いね」などと言われますが、母の為という事もありますが、自分が後悔しない為、これだけやってやったという達成感の為にやっているようなもので、決して褒められた話ではありません。
それに良くも悪くも、自分には兄弟が居ないので自分が全て引き受けるしかありません。
生きている内に気仙沼に帰せないのは申し訳ないですが、お別れの時間を用意できたのは最低限の義理は通せたかと思います。
東京にも戻らなきゃいけないので15時に病院を出発します。
東北道、築館ICまでは自動車道でほぼ直通で行けますが空模様が怪しくなってきます。
先週も同じような感じでしたが、この時点での外気温は既に-3℃。
東北道に乗っても地吹雪でハンドルを取られます。
なんとか国見は日没前に超えましたが、そこから先の福島も氷点下で燃費は伸びず。
北関東に差し掛かるとトラフィックが増えて思うように走れないので燃費というよりは追い越し車線より比較的安全と思われる走行車線キープで平均80km/h前後でやや燃費トライアルみたいになりましたが高速での燃費は24km/L。
給油後の洗車が相変わらず30分以上待たされましたが今回の荒れた天候で無事帰って来られてなにより。