今月6日、以前に私が働いてた職場の同僚医師から電話が入った。彼は少し焦った声で「なるべく早く会って欲しい人がいるから、月末に群馬へ戻って来い」と。その電話を受けた時、私は何のことやら意味が解らなかった。しかし冷静に話を聴くと、我々の仲間が末期癌の余命宣告を受け、もしかしたら2024年は迎えられない状況と云うのだ。
そして2023年7月26日、私は午前中の仕事を終えて愛車に荷物を積み込んだ。そしたら夜勤明けの妻が急に「私も行くよ。皆で面会してる時に私は義母さんとランチしてくるから気にしないで」 等と言い付いてきた。正直に一人で留守番するのが寂しいと云えば良いのに健気な妻だ。
そうそう、以前のCX-7で同じ量の荷物を積み込んだ時はラゲッジ一杯だった。と言う事はジャーナリスト達が「驚くほど広い訳じゃない」と評価してるCX-60の荷室だけど意外と広いんじゃないかな。
今回は仕事終わりの長距離ドライブだから何処へも立ち寄らず高速道路オンリーで向かう。
鏡石PAでトイレ休憩。妻が用足ししてる間にヒッチハイクの女子大生2人組に出会った。こんな場所で降ろされたのか降りたのか判らないが、よくもまぁマイナーな土地で車を拾おうと思えたのが素晴らしい。それもその筈、2人のは北海道と岡山の出身で全く土地勘が無かった。訊けば今日中に東京へ帰りたいとの事。妻も快諾し学生2人を乗せて出発。まだ新車時のビニール被ったリアシートだったが、無事に2人が希望する上河内SAまで送り届ける事ができた。あの2人、ちゃんと帰れたのかな?
そろそろ岩船JCTって頃にゲリラ豪雨と遭遇した。はっきり言って怖かった。何も見えないんだぜ?この時ばかりは運転支援システムに助けられたわ。
なんとか実家に到着した。
やっぱりCX-60の燃費って凄いな。軽油だから経済的だし高速道路では非常にトルクフルな走りだった。
そして翌日。
妻や両親が寝てる間に私は実家を後にした。
同じ敷地にCX-60が2台も駐車してるなんて世の中なかなか見ない光景だ。亡き祖父母が広い土地を買っといてくれて良かったよ。
妻はランチに行くって訳だから、私は信越本線で出かけた。
久々の電車。ここんとこコロナ禍で公共交通機関に乗れてなかったから嬉しい。
今でも国鉄211系電車がリニューアルされながらも元気に走ってる。この車両は確か1986年式だ。鉄道車両の寿命は長いよな。
朝7時半。久々の駅そば。八起家・高崎駅西口店。たぶんだけど高崎市はダルマで有名だから、七転八起から来る縁起の良い屋号なんだと今更ながら気付いた。
何にしようかな?
朝だからサッパリと冷し山菜ちくわ天そば。濃い目の出汁で美味かった。
そして前々から行きたかった場所へ。
道の駅玉村宿。
ここは2015年に開業した。
かなり広大なフードコートがある。
地元産の採れたて野菜がズラリと並ぶ。
無農薬の水耕栽培したルッコラやほうれん草は新鮮でシャキシャキ。旬の果物も地元ならではの低価格。
寿司や豆腐、パンなど、近隣の店舗が自慢の品を出品。お弁当やお惣菜、お漬物など、充実の品揃え。また町花であるバラをモチーフにした公式キャラクター「たまたん」のグッズも人気。
町営バスは「たまりん」だ。
ちょっと乗ってみよう。
とある病院に到着。ここで同僚の医師と待ち合わせし大切な仲間の元へ向かった。
都内から本場の寿司職人を呼び、皆で食べた。
銀座久兵衛、すきやばし次郎より美味い。
金沢まいもん寿司、もりもり寿司より上品。
しかし、既に彼女は腹水が貯留し体重が11kgも増えていた。今は寿司が食べられる状況だが、いつ急に体調変化するのかは判らない。これから亡くなるかもしれないと判ってる人と会っておくというのは本当に複雑な心境だった。ただ彼女は多くの人を寄せ付けた。そろそろダメかも?と思った時に職場の同僚だけでも15人が会いに来るのは彼女が笑顔で生き抜いた証だし、それが人徳だと思った。彼女は多くの人をハッピーな気持ちにさせた。だから人が集まるんだ。
その頃、妻は私の母とランチ。
むさしの森コーヒー。
ふわっふわのパンケーキが有名なんだとさ。私は多くの人に言われたんだ。嫁と姑が仲良しなほど幸せは無いと。そう思うと私の妻は一人でも私の実家で寛いだり、私の母と呑みに行くから大したもんだよな。
さて帰ろう。
どうしても片道4時間は要するなぁ。でも無事に帰れて良かった。
妻への土産だ。
生物は必ず死ぬ。特に人は病気や怪我、交通事故などが原因で最期を迎えるケースが殆ど。ただ昨今は余命宣告が可能となり、それを元にインフォームドコンセントが行われる時代だ。彼女は放射線や抗がん剤投与といった積極的治療を拒否した。そしてタイムリミットまで精一杯に生きる選択をした。最期は自宅で、そうニコニコしながら言い切る彼女が選んだ道を我々は応援しなくてはならない。何故なら彼女の人生だから。自分の人生は自分で決める。そう考えると少しカッコイイよな。我々は親の都合で生まれてきた。しかし生まれてきた以上は自己責任で生きるしか無いんだ。私は高齢者医療・福祉の最前線で働いているが今回の一件を通じ感じた事がある。それは、おじいちゃん、おばあちゃんと呼ばれる域に達するのって意外と難しいのかもしれない。ただ何とな〜く長生きできた人は、もしかしたら幸運にも奇跡が連続してるだけなのかもね。
我々の生命は有限、だからこそ一度きりの人生は楽しんだ方が良い。私は妻と、そして購入したばかりの愛車と人生を楽しむ予定だ。そして、どんな最期かは、どんな生き方だったかで決まる。これから自分が死ぬ時、沢山の人は来なくても良いんだ。たぶん来ないと思う。
その代わり、愛する妻が私の手を握ってくれてたら嬉しい。そう思った。
Posted at 2023/06/28 08:06:18 | |
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