ここ数回のワールドカップサッカー開催ですっかり有名になった感のある、「日本人サポーターによるスタジアムのゴミ片付け」を日本人の皆様はどのように感じているのだろう?
世界各国のジャーナリズムは殆ど称賛する論調で記事にしていると思うが、日本国内の著名な人の中には批判的な発言をしている人もいる。
米スポーツ専門局「ESPN」の公式ツイッターが24日に「ドイツ相手に衝撃的な勝利を遂げた後、日本のファンはスタジアムをきれいにした。尊敬」と写真付きで紹介していた。
カタール大会初戦の対ドイツ戦。国際サッカー連盟(FIFA)は試合後、礼儀正しい日本のサポーターらの様子を公式ツイッターに投稿した。
「日本が持って帰ったのは勝ち点3だけではない」
こんな文言と共に、スタンドでごみ拾いをする日本サポーターの写真をツイッターに投稿。サポーターたちが、ごみを詰めたたくさんの大きな青い袋をまとめている様子が写っている。「素晴らしい勝利を収めたあと、日本代表のサポーターは残って、スタジアムの片付けを手伝った」とハートマークもつけた。
今大会の開幕戦でも話題となった日本人サポーターのゴミ拾い。欧州衛星放送「ユーロスポーツ」公式インスタグラムは、実際の画像を公開し、文面に「大きな敬意。ドイツに2-1で勝った後、日本のサポーターが残って掃除をした」と伝えた。海外ファンからは「日本人を見て学ぼう」「敬意については日本人が世界最高だ!」「世界中がこんな風だったらなぁ」「他の国の見本だ」とコメントが寄せられていた。
一方、 元都知事の舛添要一氏は「日本のサポーターがスタジアムの清掃をして帰るのを世界が評価しているという報道もあるが、一面的だ。身分制社会などでは、分業が徹底しており、観客が掃除まですると、清掃を業にしている人が失業してしまう。文化や社会構成の違いから来る価値観の相違にも注意したい。日本文明だけが世界ではない」と、日本の考え方が世界中に当てはまるわけではないと、やや批判的に指摘。
更に、大王製紙元会長の井川意高氏(58)がツイッターで、ゴミ拾い報道に触れつつ、「こういうの気持ち悪いからやめて欲しい」「ゴミ拾い褒められて喜ぶ奴隷根性」などと投稿。さらに「まあ端的にいってサッカー場のゴミ拾いしたことを褒めてもらって喜ぶくらいしか 日本人の自尊心を満たせることがないくらい誇れるもののない貧しい国になったということだ」などと持論を展開した。
上記の批判的な意見について考えてみたいと思う。
先ず、元都知事の舛添氏の言うようなことが本当に起きているかについて。
サッカーのワールドカップの開催国ではスタジアムのゴミ等は、どのようにして清掃されているか?清掃の仕組みや手順などが書かれている文章を見たことが無いので、想像する他ないが、恐らく、試合などが終わった後、契約した会社の派遣した清掃員がごみを集めて処分するとい事であろうと思われるが、問題は、日本人のサポーターがスタジアムのゴミを片付けてしまう事で、雇われている清掃員の職を奪い、結果的に清掃に雇われた人たちに不利益が実際に生じるだろうか?という事を考えてみるのだが、日本人サポーターがゴミを拾い集める面積はスタジアム全てなのか?そして、総ての試合に十分な数の日本人サポーターがスタジアムに散らばって存在するのか?と考えて見れば自ずと状況は解って来るのではないだろうか?
日本人のサポーターが数か所のスタジアムの全ての試合でゴミを拾って片付けられるだろうか?と考えて見れば、一部の試合のスタジアムのどこかで自発的な清掃が有ったに留まるのではないですか?という事が想像出来るので、清掃員の負担が多少緩和される程度の効果は有っても、彼ら清掃員の職を奪ってしまうなどという事は有り得ないと想像できはしませんか?
従って、舛添要一元都知事の様な主張は、非現実的な過大解釈に依る発言という事が解ると思います。
もし、世界中の全てのスポーツイベントなどで、日本人の行ったゴミ拾いが元になって観客がゴミを片付けるようになったとして、清掃する会社や人がスタジアム清掃から収益が得られなくなったとしたら、日本人が責められるのでしょうか?そこのところを良く考えて見てくれませんか舛添要一さん・・・・。
次に大王製紙元会長の井川意高氏が言うようなゴミ拾い報道に対する批判、「こういうの気持ち悪いからやめて欲しい」「ゴミ拾い褒められて喜ぶ奴隷根性」という言葉について考えると、先ず、井川意高氏が「気持ち悪いからやめてほしい」というような言葉と同様に、それは人間の選び得る行動として、「自由」と言える部分の事であり、気持ち悪いのは貴方の勝手な偏見に依ると言って差し支えない物でしょう・・・・。
そしてさらに言うなら「ゴミ拾いをして褒められ喜ぶ奴隷根性」と言うくだりは、「喜んでいるのだろう」という井川意高氏の想像であり、その言葉から想像すれば井川意高氏ならきっと喜ぶのかも知れないが、日本人サポーターは褒められることを期待してゴミ集めをしている訳では無いのかも知れないし、当たり前のこととして自分の出したごみと共に周囲のゴミを片付けることは常識化しているかもしれないのです。
社会性という事を考えて見ても、自分の出したごみは持ち帰るとかゴミ箱へ入れるなどが、広く望まれる公共性の高い行為であるなら、本来皆がそうすべきであるだけで、気持ち悪いとか言われる筋合いの事では無いのでは在りませんか?何故それが奴隷根性という表現に繋がるのでしょう?自分の出したゴミと、近くにあるそれ以外のゴミもついでに片付けつつスタジアムを去る事って奴隷根性とどういう関係が在るというのでしょうか?
そのようなちょっとした気遣いでゴミを片付けることが、どうすれば気持ち悪いと非難されることになるのか理解に苦しみます。
褒められて喜んでしまう人がゼロではないかもしれませんが、それだって個人の自由です。
多少気恥ずかしいかもしれませんが、褒められて喜ぶことは罪では無いでしょうしね・・・・笑。
あらゆる世界の公共の場所からゴミが消えて、東京の街のようにゴミが殆ど無い社会が理想なのでは無いのですか?自分の出したごみは自分で始末するという事が世界標準になる方が良い世界だと言えませんか?
ゴミをわざと公共の場に散らかして、ゴミ清掃人の生活を守るのだと誰が言うのでしょうか?それこそ戒められるべき傲慢さという事だと気づかないのでしょうか?
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Posted at
2022/11/25 21:45:26