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2016年08月17日 イイね!

保存版 “変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第7弾!!

保存版 “変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第7弾!!
ダハハ、2年ぶりのこの企画、突然思い出したのでやってみたいと(^^;

夏休み終了に伴い復活企画ですな、もうこんな長文上げる時間もなくなる?しで(泣)


題して“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る 第7弾になりますね、これはかなりの変態度、若い世代は当然の事、このクルマのリアル世代でもよほどの三菱ファン、ギャランファンでないと知る方も少ないかもしれません、正に菱ヲタギャランヲタを自認して止まないワタクシだからこそのネタですねw

そんな訳で今回のお題はこちら⇒『A112A型ギャランGT』

ん?ギャランGT?ギャランGTOでねぇーの…!?

そうなんですよ、この頃のギャランは二つのスペシャリティモデルを有するのが大きな売り!
一つは『ギャランGTO』、そしてもう一つ『ギャランクーペFTO』…

この二つは現代、旧車に多少興味ある方なら誰でも知っているメジャーモデル、尤も現役時代はセリカやスカイライン、27レビントレノの後塵を仰ぐどちらかと言えばマイナーモデルでしたが既にGTOもFTOも発売45年を経過、今ではプレミアのビックリ価格が付く三菱の名車としてその名前は響いています。

さて、そんな“メジャー”なGTOとFTOに次いで新たに当時三菱が「もう一つのスペシャリティ」と銘打って発売したのがギャランGTです!

↓昭和50年に新登場のギャランGT


発売は1975年(昭和50年)6月、自動車業界は予期せぬOILショック、そしてこの昭和50年いっぱいをもち従来型車=昭和50年度排ガス規制に適合しない所謂「未対策車」が販売できなくなる、しかも当時世界一厳しいと言われた50年規制はトヨタや日産などはまだ充分にそのシステムが完成していないというモデルが多ければ多い分規制クリアには難題が大きく巨大メーカーは危機的状況という最中、三菱の場合はこの規制内容が明らかになった昭和48年頃からこれの研究を重ねクリアには自信満々でしたので大メーカーがクリアに青色吐息でとてもNEWモデルの発売なんて余裕がない時期にデビューしています。

しかしこのギャランGT、蓋を開けてみれば「もう一つのスペシャリティ」が笑ってしまう内容で単に従来型2代目ギャラン(通称ニューギャラン)のマスクを輸出用のプリマスの顔を付けバンパーにオーバーライダーとボディにGTO並みの派手なストライプを巻くというマヤカシモデル、ギャランGTOとギャランGT、Oが付くと付かないでは大差違いも著しい、当時これはスポ車ファン、ギャランファンを冒涜するモデルだ!と私もまだ小僧ながら怒り心頭になった記憶がございます(笑)

↓“O”の文字が付くと付かないじゃ大違い!!(画像はOの字が付くギャランGTO50年型)


GTO好きでしたからね、当時ウチでも73年のGTO200GSを乗っていましたし。

ギャランGT発表前に父と訪れていた三菱ディーラーの懇意の営業から「今度GTOの弟分出ますよ!」的な情報を得ておりオヤジと楽しみにしていた結果がこれかい!!とうなだれた記憶もございますw

何せベースのニューギャランというクルマは当時大、大、大不人気車、その不人気ぶりはトヨタの2代目マークⅡ(X10/20)や日産ブルーバードU(610型)と並び毎回カー雑誌では人気ない、下取りは期待できないと書かれる始末、それでもマークⅡやブルUは街でもかなり見かけましたがニューギャランは見ませんでしたしマジカッコ悪かった、今見ればそうでもないんですが人気の高かった初代A50系ギャランを2Lクラスに格上げと同時にボディを大型化、デザインも豪華さを表すよう曲線美という贅肉をタップリ備えたスタイルは73年のFMC後から酷評されていましたしね、何故に今更2年も経ってニューギャランそのものを「もう一つのスペシャリティ」とか言っちゃう訳?と嘆き哀しんだモノです(-_-;)

まっ、このGT追加には事情もあり71年デビューのFTOが極端に売り上げ減に75年当時なっていた点が大きい、73年のOILショック以降、三菱に限らずスポーティモデルには苦境の時期、それでもGTOは当時ショーファーを除けば三菱の最上級でしたしイメージリーダー的立場でもあったので苦境の中でも商品寿命を維持する目に見える、見えない改良も施していましたがFTOはこれに較べマイナーでメーカー自身売る気あるの?みたいな扱い、昭和50年時点ではほぼ放置状態となりギャランGTはFTOの代替え車種の立ち位置にした目論見だった訳ですね。

FTOの後続は75/2にデビューしているランサーセレステが立派に勤めていたのですがGTO/FTOの2大スペシャリティが売りであったギャランシリーズ、この体制の存続を掛けたものながら結果的にギャランGT、何がしたかったの?的変態車に間違いない(笑)

さて、そんな経緯から登場したギャランGT、その内容をご紹介!

GT専用のカタログまでこさえる気合の入れ方、そこには当時提携していたBIG3の一つである米クライスラー社と共通する“国際感覚に溢れる”なんて宣伝文句が書かれています。

↓ギャランGT専用カタログの表紙と背表紙


しかしこれはあくまで個人的感想ですが当時のこのクラス(1600〜2000)は4灯式ヘッドライトが普通、2灯式なんて軽や大衆車のクオリティであり当時一般には最上級である2Lを有するモデルに下級ランサーみたいな2灯式なんて有り得ない、車格ってもんが分かってない!と感じましたし市場の反応も同様、オリジナルのニューギャランより安っぽく見えるだけですし元々酷評のスタイルです、いくらストライプ巻こうが内装にデニム生地あしらう(一部限定モデル=スプリングシリーズ200台限定)ともちっともスポーティじゃない(-"-)

↓ベースとなったニューギャラン、4灯式ライトで取りあえず車格は維持してました。


カタログではそのスポーティアピールの強調がマンガに見える程痛い、値段的にも普通のギャラン(の同グレード)より安いならともかく高い設定ですから誰が買うの?って感じで結果はGure少年の思った通りでした。

↓カタログを開けばこれでもか!のスポーティアピールもお笑いでしかなかったw


このギャランGTというモデルはこれが正式名称、そこにSL-5とDXというバリェーションがあるという誠に解りにくい設定です。

ギャランGTバリェーション

・ギャランGT HT1600SL-5
・ギャランGTセダン1600SL-5
・ギャランGTセダン1600DX

ね、解りにくいでしょ(笑)

大体GTなのにDXというグレードがあるのが不思議、素のギャランのDXに装備は準じますが顔付がプリマスってだけの廉価版ですからねー、SL-5にしても同様ですがまだこのモデルで訴求したかった意図に合っているしいや、ホント、ギャランGT DX、謎のクルマで買った人いたんだろうか…

因みに本流ギャランのバリェーションは

(1600)
DX/カスタム/GL/SL/GS
(1850)
GL/SL-5
(2000)
GL-Ⅱ/GS-Ⅱ
※73/6〜74/11までの未対策モデル

この事から解るようにGTで唯一オリジナルと異なるのは同じ1600SLにGTのみに5速MTが与えられた位ですかね、GTの特権は(笑)

ギャランGTの諸元を記載しておきますと

(サイズ)
全長4325全幅1615全高1395ホイールベース2420(以上mm)
(車重)
965kg =セダンSL-5
(エンジン)
75/6〜75/10:サターン4G32型 水冷 直4OHCシングルキャブ 100ps
75/10〜76/12:サターン4G32型 水冷 直4OHCシングルキャブ 92ps MCA51年規制適合
(駆動)
FR
(ミッション)
4速MT(DX):5速MT(SL)
(脚回り)
Fr:ストラット/Rr:リーフリジット
(ボディ)
セダン/HT

そもそもOILショックや排ガス規制による影響からスポーティモデルが否定されていた時期でのギャランGTの投入に疑問、まぁ、名前と意匠のみのスポーティであり中身はギャランそのものですので目くじら立てるモノでもないんですがよりスポーティなFTOと入れ替える程のモデルでもなし、上には立派にGTOが控える訳ですし当時「時代遅れ」と揶揄されたスポ車ファンにはGTOで充分対応できた訳ですしね、まぁGTOと較べると旧FTO同様最上級のGTO2000GSRとは30万円程の開きもありましたのでリーズナブルなスポーティ雰囲気を求める層へのアピールと無理矢理考えるしかないんですが。

↓ギャランGTのインパネ、ギャランGS-ⅡやGTOと同様の3本スポーク革巻きステアや油圧、電流計がスポーティさを演出


↓インテリア、この時代特有のビニールレザーは廉価版と同一でスポーティさはなし


ギャランGTのドライブ経験は残念ながらありませんがニューギャランはデイーラー勤務時代に時々下取りで入ってきていたので何度が転がしました。

未対策時代のサターンエンジン(4G32)は名機と言われた三菱の名作エンジン、初代ギャランやA73型ランサーの海外ラリーでの活躍からしてその名声は高い。

非常に鋭い吹け上がりはシングルキャブであってもストレスを感じさない仕上がりでした。
ややガサツで荒々しいのもありトヨタや日産のテンロクエンジン(2T/L16)には静粛性では劣りファミリーカー目線で見るとこの部分はライバルには敵わなかったながらパンチとパワフルさは明らかに上回りこれにツインキャブ装着ですとDOHCのトヨタ2T-Gと互角に勝負できる、そんなエンジンでした!

その荒々しい排気音=ギアチェンジの際に聞こえる吹き抜ける音が独特でこれがファンの間では“ギャラン・ノート”と言われ有難たがれたものです、これが聴こえるよう意識したアクセルワーク、私もやっていましたね、ついでに述べればこの時代の菱車のシフトフィーリングとハンドリングは当時の水準を超えるシャープさが三菱ファンには定評、ギャランGTでもこれは味わえました。

ただ、残念なのはGTにはツインキャブは未対策時代も載せられていなかったのでこの点もGTを謳うのは看板に偽りアリ!って気がしましたね、先代ギャラン、ランサーやFTO、セレステではGS/GSRとして搭載された名機も不要な?車格UPの弊害でニューギャランそのものに4G32ツインキャブはラインナップされていませんでした。

↓名機の評価高い4G32型エンジン(画像はMCA51年対策エンジン)


75/10月以降は4G32型はMCAシステムによる排ガス対策エンジンの搭載となり出力で8psダウンを余儀なくされます。

三菱の場合、50年規制を飛び越えた51年規制に対応、サーマルリアクター方式による排ガス後処理方式を採用しました。
トヨタの一部タやホンダ、マツダが希薄燃焼、トヨタの多数と日産が触媒方式を採用する中、三菱は独自でした。

この排ガス適合による補器類にパワーを喰われ8psダウンとなった訳ですが当然規制モデルのドライバビリティの低下は顕著、解り易く言えば排気量が200cc位下がったような印象でしたがそれでもライバルテンロクであるトヨタの2T-U/12T-Uや日産のL16 NAPSは燦々たる内容で排気量500ccは下がったんじゃね?的な非力感でしたのでそれらに較べれば我慢できる範疇でした。

そしてギャランGT、上述の51年規制適合時の車種編成整理であの解りにくいバリェーションを廃止し旧SL-5に統一、『ギャランGT』モノグレード化されています。

↓MCA51年規制適合後のギャランGT(セダン)


ギャランGT、本筋ニューギャランに輪をかけた不人気、販売不振はどうにもならずニューギャラン自体が既にモデル末期、車種編成以後は放置され76/5、ニューギャランのFMCで新生ギャランΣがデビュー、この時ニューギャランセダン(GT含む)はΣに移行生廃、HTは同年12月のギャランΛデビューまで持ち越されるもこれにて廃止、Σ/ΛにはギャランGT的モデルは用意されず僅か1年少々で幕を閉じる事となりました…。

ベースでの定例変態ミーティング、ここまで“変態車”として取り上げてきたスカイラインHBやオースターなんていつも話題に上りますがさすがこのモデルは出た試しがない程の変態の中の変態車だと確信します、このクルマを知っているヒトと世を徹して語りたい(徹夜する程内容ないですがwww)そんなギャランGTのご紹介でした(^^)v


“変態と呼ばないで”納得のマイナー・モデルを振り返る・⇒『A112A型ギャランGT』……終
Posted at 2017/12/10 16:10:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | 変態車 | クルマ
2014年08月28日 イイね!

保存版“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第6弾!!

保存版“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第6弾!! “変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る 第6弾は限定車型の変態車を取り上げてみました!

これはどなた様でも認める(?)変態度の高いモデルだと思いますよ (*^^)v

そんな訳で今回のお題はこちら⇒『6代目R30型日産スカイライン5ドアハッチバック(HB)』

6代目R30は昨今のハチマルブームにも乗っかり今が旬?の旧車人気の高いモデル、ハコスカ、ケンメリ、ジャパンにR31と数多くに名モデルを誇るスカイラインの中でも現在最も注目度は高いのではないでしょうか…

R30のモデルライフは昭和56年〜61年(1981〜1985)、イメキャラに当時のアメリカの大スターでクルマ好きで知られたP・ニューマンを起用、70年代の日産デザインの主張であるインボルブメントデザイン(セミファストバックorファストバックでクオータガラスが切れ上がる後方視界を極端に犠牲にしたデザイン)にこだわるばかりにケンメリ(C110)→ジャパン(C210)と続いたモッサリ感のあるスタイリングから決別、“新・愛のスカイライン”が当初語られたようにクリーンでスッキリなハコスカのイメージを現代的(当時)に再現したR30はその先鋭的なスタイルも勿論、デビュー直後に追加発売されたケンメリR以来の4バルブDOHCのRSが大注目、その人気はハコスカでデビュー以来長年スカイラインのイメージリーダーを務めたL20型エンジン搭載の2000GTシーリズを裏方に追いやる実力、従来〜R31以降の後続モデルが6気筒のL20若しくはRB系エンジンをメインにしてきたスカイラインの歴史の中で唯一4気筒をメインとした珍しいモデルでもありました!

さて、そんなR30ですが搭載エンジンやボディは先代までにない充実ぶりでこれまでのセダン、HT、バン(エステート)/ワゴンに留まらずこのモデルには多用途性をアピールする5HBをラインナップ、幅広い展開をした訳です。

R30がデビューした80年代初頭はそれまでは単に道具、足として捉えれれてきたクルマがレジャーに欠かせない、レジャーシーンに欠かせない存在である事が認知された時期、70年代後半の1BOXやピックアップブームによりアウトドアライフを覚えた日本人はそれまでのメジャーであったファミリーセダンでは飽き足らなくなっていました。
そこで各社、以前から主に欧州向けにラインナップしてきた5HBをユーザーに提案、セダンの居住性や1BOXの操作性に不安を覚えるユーザーのためセダン+週末に1泊やBBQなどの荷物を満載できる今が売り込みのチャンスとばかりに開発、人気車スカイラインにもこれを用意し拡販を目論んだ訳ですね〜。

しかし5HBは日本では60年代から時折各車、ラインナップされるもスタイリングや使い勝手がライトバンと混同されヒットは皆無の状態、長らくこのような状況でこれの陽の目は2000年代の初代マツダアテンザまで待たなくてはならなかったという各車挑戦する割には成功の試しがない曰く付きの車型ですので人気車にラインナップされた5HB、当時ワタクシもある意味大変興味を持ってR30のこのモデルを注目しましたネ〜(^_^;)

結果は…予想通りと言うか当然と言うか惨敗!!

現役当時も後年の中古時代でも人気の高いセダンやHTは数多く見かけたR30の中でHBが現れると“オオオーーーッ”となる程珍しく当時は「誰が買うんか?」というレベルの珍車でしてそのレア度?変態度?は限りなく高くそれがかえって現代では希少度の面からしても一部マニアには有り難みのあるモデルとなっている=デビュー30年を経過してようやく陽の目を見た感がありますネ。。。

さて、そんなHBですが当然ながらセダンがベース、Cピラーまではセダンそのもので居住性なども同様、セダンのトランクにあたる部分を広いラゲッジとした定番通りのモデルです。
尚、R30ではこのセダンをベースに2つの車型に発展させていました。

↓セダンをベースにこの5ドアHBとバン(エステート)を展開するワイドバリエーション!


Rrドアまで全て同じパネルを使うこれら派生モデルでしたがこの3種の中ではセダンが勿論一番広く普及、2番目は何とライトバン(日産に名付けはエステート)がすこぶる好評!
個人的にもバンのスタイリングはなかなか秀逸で背むしのようなイメージの5HBに較べルーフまで切れ上がったクォータウィンドウとくさび形の先鋭的なスタイルが非常にバランスが良くHBがあるために5ナンバーのワゴンが設定されなかったのが悔やまれるほど4ナンバー貨物商用だけにしておくのが何とも勿体無かった思い、今もありますねー…

後続R31ではワゴンが設定されますがバンはR30を継続、R31ワゴンが保守的な当たり前なステーションワゴン然とした平凡な出で立ちであっただけに“スタイリッシュバン”のエステート、これにワゴンがあればまたR30の販売展開も変わっていたのでは?と感じます、事実、商用とは言え現役時代レアなHBよりよほどエステートの目撃は頻繁でワゴン代わり、乗用車代わりにこれを求めたユーザーも相当数いたとの事です。

それではモデル概要に移ります!

[諸元]※デビュー時のデータ

(発売)
1981年(昭和56年)8月
(ボディ)
4ドアセダン/2ドアHT/5ドアHB
(バリエーション ※5HB)
TIシリーズ:1800TI-L/2000TI-E・X
GTシリーズ:/2000GT-E・L/2000GT-E・X/同エクストラ
GT-TURBOシリーズ:ターボGT-E・X/同エクストラ
ディーゼル:GT-L
(型式)
TI:日産JR30型
GT/ターボ:日産HR30型
ディーゼル:日産ER30型
(サイズ)
全長4595mm全幅1665〜1675mm全高1385〜1395mm
(ホイールベース)
2615mm
(車重)
1070〜1215kg
(搭載エンジン)
Z18S型 1800cc 直4 OHC 2バレルシングルキャブ グロス105ps/15.0kgm
Z20E型 2000cc 直4 OHC EGI グロス120ps/17.0kgm
L20E型 2000cc 直6 OHC EGI グロス125ps/17.0kgm
L20ET型 2000cc 直6 OHC EGIターボ グロス145ps/21.0kgm
LD28型 2800cc 直6 OHC ボッシュ式分配 グロス91ps/17.3kgm
いずれも縦置き搭載
(ミッション)
4速MT/5速MT/3速AT
(脚廻り)
TI:Frストラット/Rr4リンク式リジット
GT系:Frストラット/Rrセミトレーリングアーム
(駆動方式)
FR

以上の通りの諸元になりますが前述の通りベースはセダンですのでホイールベースや全長は全く同じ数値、幅や高さに違いがあるのはグレードによるもの、当然車重もこれにあたります。

尚価格は全てMTとして1,340,000(1800TI-L)〜2,107,000(ターボGT-E・Xエクストラ)となりシリーズ中最も高価、平均してセダンの8万円高、HTの2万円高という設定。

↓5HB最高峰である2000GT-E・Xエクストラ/ターボGT-E・Xエクストラ


性格からFJ20 DOHCエンジンの搭載モデル『RS』の設定はなし、メインは従来とおり5HBに関してはL20のGTシリーズが努めまた、先代ジャパンでデビューしたLD28 6気筒の快速デーゼル(De)もラインナップされています。

(バリエーション)
ベースのセダンと較べるとバリェーションは絞られていますがそれでも主だったグレードは存在、これだけ用意してもパイがあったのか?疑問ですがHBでもターボを用意するなど次期R31ワゴンGTパサージュやスバルレガシィにおけるハイパワーワゴン(性格にはR31はワゴンではありませんが広いラゲッジを持つ多用途モデルという意味)の元祖と言えるモノではないかと思います!

↓5HBのラインナップ(2000GT-E・Xエクストラ/ターボGT-E・Xエクストラ以下)





(エンジン、ミッション)
前述の通りFJ20を除き5HBには全てのエンジンをラインナップ、廉価版の1.8L〜スポーツライクのターボ付き、経済性+ハイパワーの2.8LDeまで幅広い層をカバーします。

Z型、L型、LD28型、それぞれが先代C210ジャパンからのキャリーオーバーで基本的に性能は同一ながらターボ(L20ET)に関してはジャパン時代とスペックこそ不変ながら低中速域のトルク重視型のカムプロフィールに変更、ターボ創世記のジャパンであまりのドッカンさ、タイムラグからある程度のベテランでないとギクシャクした走りにならざるを得なかったターボモデルを改良しドライブフィールの向上に務めていました。

↓5HBに搭載のエンジン郡

Z18S


Z20E


L20E


L20ET


LD28


エンジンフィールはこの時期のモノですからまだ排ガス規制ショックの影響は隠せずこの時点ではLD28を除き全てが未対策時代の後追い規制エンジンですのでL20ターボとLD28で合格点、これ以下はR30のボディではオーバーウェイト感は隠しきれない実力、FMCする度に重くなり排ガス規制の補機類に力を取られる各機、言葉悪いですが53年規制78y〜)以降ターボ(L20ET)やDOHC(FJ20ET)で誤魔化してきたスカイラインもメインエンジンではまだまだストレスを感じる代物でした。

ミッションは廉価版1800TI-Lのみに4速MTと3速AT、2000TI-E・X以上に5速MTと3速ATの設定となっていました。

この時期既にトヨタは4速AT=オーバードライブ付きをアイシンが開発、これを搭載しておりまだ比率的にはMTは多い時代、特にスカイラインというモデル特性から販売比率も圧倒的にMTでしたがATを選択する上でこのトヨタとの差は致命的、トヨタは76年のクラウンから既に4ATだったのに対し日産のこれの搭載は81年の430セドグロと5年の遅れが後年からなされたAT比率の高まり時に両社のシュア比率に大きく影響、スカイラインは先記の理由からそれほど弊害は感じませんでしたが他の高級モデルでの争いでは非常に不利でありクラウンvsセドグロ、マーク?兄弟vsローレル、コロナvsブルーバードではかなりこの時期に日産はATの差でシュアを落とした一因でもありますね。

当然ながら3ATのモデルは4気筒6気筒に関わらず高速走行では非常にストレスが大きく燃費も悪い、排気量が大きいとは言え100kmで3000rpm以上の巡航は辛いモノがありこれが4AT登場前でしたら当たり前でノークラによるイージードライブにだけ有り難みを感じれ良かったですが多段化により急速にATの快適性が向上した80年代初頭、トヨタ、そして三菱に次いだ日産の後手は当時専門家にはさんざん揶揄され目に余るものがありましたっけ…

(ボディ、スタイリング、エクステリア)
この項ではさんざん述べてきたように基本は4ドアセダン同様のウェッジを効かせた直線基調のスタイリング、これをファストバックとしラゲッジを儲けた以外はセダンモデルと基本的に同一の味付けのインテリアが組み合わされます。

S50やハコスカから継承する4気筒モデルと6気筒モデルの差別化はハコ〜先代ジャパンの頃に較べ大幅に狭められ先代までがFrグリル、テールは勿論搭載エンジンの種別により全長(ノーズ)まで分けられていたのをR30では同一化、この事は当時“遂にTI(4気筒)もGTお同じ鼻になった!”と結構な話題となったものです。

Frフェイスも基本的にGTとTIの差別は解消、唯一リデザインされていたのはテールのみでGTが伝統の◎テール、TIは一般的な横長のコンビネーションとされていました。

これは5HBでも同様、スタイル的に大人しいTIテールの方がHBではしっくりくるような印象を個人的には持ちますが◎テールのHBを見るとある意味興奮したりと(笑)

↓◎テールはHBのGT系ではしっかり採用!


(インテリア、居住性、装備)
R30系は良く言えば非常にスッキリしたインパネと飾り気のない内装でしたが悪く言えば大衆車然としたインパネデザインやショボさを感じるほど素っ気ない室内、内装トリムなどにはまだまだビニールレザーも多用され安っぽさが目立ちました。
先代のジャパン、先々代のケンメリ時代には前方視界が悪いという弊害はありましたが目線にメーターパネルが来る非常にスポーティな味付けでインパネでさえもスカイラインは魅力的だったのに対しR30はこの部分“見易さ”にこだわりスポイル、先代までの「スカイラインに乗っている」といういい意味の緊張感は皆無となりパッと見、B11サニーやK10マーチと変わらない印象は個人的にはFMC時に大きく落胆、ワタクシもこれのRSには乗っていましたが最後までインテリア、インパネのデザインは嫌いでした(-_-)

↓各操作類がまとめられ機能的ではありましたがスパルタンさや高級感という観点では不評だったインパネ
(5HB2000GT-E・X)


5HB、当然ながら最大のセールスポイントはRrのラゲッジルームである事は言うまでもありません!
当時でも既にHB系では常識的装備だった分割可倒式スプリットシートを採用、目新しさは皆無でしたがセダンやHT、そして分割可倒シートではないエステートよりは確実に多用途性に優れていますがRrシートに現代のようなリクラインニング機構はまだ未装備。
しかしワゴンやバンのように絶対的に上方向のスペースはないのでこの辺がスカイラインに限らず5HBという車型がイマイチ流行らない一因で中途半端さが災い、後年訪れたステーションワゴンブームとは比較できない地味な車型だったのです。

↓80年代のHBモデルでは必ずカタログに掲載されていた多用途アピールをR30でもしっかり掲載!




居住部分はセダンと全く同一、格下のかつてのバイオレット3兄弟や同時期サニーなどではセダンよりも5HB(カリフォルニアやリゾート等)ではスポーティ性を強調する意味合いからあえて全高をセダンより低くしていましたがR30お場合はこれもセダンに合わせています。
セダンそのものがキッチリしたスクエアな箱型ボディでしたしこのサイズですから当時のFR小型セダンとしては充分な広さを持っており頭上、足元、肩部とも充分のスペースを持っていたので後席でも不快な印象は皆無、加えて5HBも含め広い視界でキャビンは明るくケンメリ、ジャパンと続いた穴蔵のような暗さから開放され開放感も大きくR30での一番の美点だと思います、これは余談ですがHTでも言える事であり視界の悪い事がカッコ良かった70年代車と劇的に変わった点ですネ!

(シャーシ、脚廻り、ドライブフィール)
フルサイズに近い(当時の5ナンバー枠という点)まで拡大されたシャーシはスカイラインらしくしっかりしたもの、4気筒と6気筒を同じシャーシとした為、4気筒にはやや大き過ぎる嫌いはありますがHTを除き剛性もそれなり高く定評のある脚回りと併せて当時の国産車としては1級品だったと思います。

脚回りは伝統を継承、Frは共通のストラットですがRrサスはTIいリジットとなる4リンクコイル、GT系は4独となるセミトレを採用、セミトレのGTはスカイラインが長年煮詰めてきた秀逸なる脚回りでこの頃では既にFRモデルとしては4独後発だったトヨタや三菱もこれを開発採用していましたがしなやかさとイザという時の頼もしさはスカイラインには適わず特に日産のセミトレは大きい、急激なレーンチェンジ時でもよく追いついてきてコーナワークが楽しかったのが印象的です。

↓GT系はお馴染みのFrストラット/Rrセミトレーリングアームという組み合わせ!



これに較べTIのリンク式リジットはどうしても廉価版のイメージを持たれがちで格下のブルにしても格上のローレルにしても廉価モデルはこの形式でしたがそう劣った脚ではなく限界は低くリジット特有の底ヅキ感はあるも他社の同形式と較べると出来栄えは良く柔らかすぎず硬すぎずで主にファミリー層をターゲットとするTIとしては充分以上の性能を持っていたと思います。

ハンドリングはまだまだボールナットが主流の時代、R30も全種これでしたがパワーアシストは上級のGT-E・X系のみ標準装備でした。
4気筒のTIならば当時の水準からしても“重い”レベルではなく軽快さはないも操舵に苦労するモノではありませんがGT系パワステ非装着モデルは走っていればともかく低速や据え切りではドッコイショとなる重さ、重いL型エンジンですので当然なのですがこの分野はTIに軍配、尚同じ4気筒のRSもハンドリングは問題なかったです。
基本的に同一機構のステアリング、RSですと太いタイヤの分TIよりどっしり感がありましたがパワーアシストがない分、路面から道路状況が文字通り手によるように伝わりFRらしいややオーバーステア気味のハンドリングは非常に我々世代では素直な挙動を示し安心感が高くTIですとシャーシがパワーに勝っている分かなりの無理もl効く印象、GT系でもこれは相通じますが常に操舵の重さは意識せざるを得ず2000GTで楽しいコナーワークというのはあまり味わえなかった印象が強いですね〜。

エンジンフィーリングは前述の通りZ18及びZ20E、L20Eは決定的なオーバーウェイト、L20Eは重い分下手すると加速ではまだZ20Eに軍配が上がったりする程牙を抜かれたエンジンでしたし静粛性能だけがZを上回るという印象、L20ETはジャパン時代よりも扱い易くなりあの3000rpmから激変したドッカン度合いがかなり弱められATならほぼそれを感じさせないレベルに手直しされていましたから個人的にはジャパンターボよりはR30ターボのフィーリングが好み、勿論高回転、高速での実力には何ら代わりなかったですし…

LD28Deですがこれは先代ジャパンの時にスカイラインとしてはおよそ似つかわしくない印象でしたが一度乗るとGTターボがいかにも馬力で走るのに対しDeらしく低回転からのモリモリトルクで走る力強さをまじまし感じました。
De特有のガラガラ音も極力抑えられ振動もガソリン車と変わらず騒音も6気筒化により不快レベルではなくこれ以前のSD/LD型Deエンジンと較べると非常に先進性を感じたエンジンでそれでもワタクシ個人は当時若かったのもありDeというモノに抵抗ありましたが今ならば非常に興味を持てる(排ガスを除く)モノだったと感じます。

LD28はDe全盛期にセドグロ、ローレル、そしてスカイラインへと搭載されこの分野ではトヨタより一早い6気筒化はDe乗用をリードしていたと思いますね、まぁ、現代の先進技術で造られたクリーンディーゼルには6発創世記のモノですからこれに較べるとお話にならないレベルながらこの当時、De乗用の革命的存在だったのは確かです。


それではこれよりモデル改歴に移ります、R30スカイラインは1度のMCを行っていますので前期・後期の記載となっています。

※特別仕様、小変更など全ては網羅していませんのでご了承願います。また、改暦は一部スカイラインシリーズ全般を記載していますが基本5HBのみの記載となっています。

(81/8)
6代目R30型スカイライン登場、同時に従来型にはなかった5HBが設定。

(82/10)
TIシリーズを一部変更、Z20E型搭載の2000TI-E・Xを廃止、1800のZ18S型も新開発のCA18型直列4気筒OHC CA18型/CA18E型エンジンへ換装、グレード充実(TI- Lエクストラの追加設定や1800TI-E・Xの設定等)を行います。

(83/8)
後期型にMC、Frフェイスとテール意匠が変更されます。

Frは従来のハニカムグリルにセンターにモールを入れ高級感を演出、テールは引き続きGTは◎、TIは横長コンビですがこちらも意匠を高級に味付け、特に◎は2重構造のブラックテールデザインに変更、テールランプ点滅時に◎◎が浮かび上がるという凝ったデザインに変更されました。

↓後期型5HB2000GT-E・X(83/8〜)



↓後期型5HB1800TI-E・X(83/8〜)


尚、後期型より法規改正で認可されたドアミラーがGT系で標準化、TIでは基本フェンダーミラーを継続しますがドアミラーもグレードによりop設定、またHBではテールゲートをブラックアウト化しRrの表情を引き締めています。

(85/8)
スカイラインシリーズ、7代目にFMCが実施され5HBは廃盤、新R31ではこれの発展型とも受け取れるワゴンへ進化しています。

↓新型7代目R31型では5HB代わってワゴンモデルを設定


(総評)
長い歴史を誇るスカイラインの歴史の中で最初で最後だった5HB、形式的には現代のスカイライン・クロスオーバーも近いモノがありますがこれはこれで異質のモノ、通常?のセダンモデルの派生である数多くのボディを持つスカイラインの中でも稀有な存在でした。

歴代スカイラインはどれも人気高いのですがR30も同様でファミリーユース当時のこのクラスのセダンとしては充分及第点だったのとスタイリイングもスカイラインらしい若々しさと先鋭度が魅力的、HTはよりクルマ好きが競って追い求める伝説の人気モデルの立ち位置を継承、エステートは小洒落たコマーシャルカーとして本来の業務使用に限らずレジャーシーンでの多用途を好むユーザーには乗用代わりに支持を得ましたが5HBだけは人気車スカイラインであってもやはり市場は無反応でこれこそ“華麗なる1発屋の名が相応しいモノとなってしまいました。

ただ、HBモデルでありながらもターボや高性能Deおラインナップした点はさすがスカイライン、それまでこの種のモデルでは設定される事の少なかったスポーツライクの存在は後のワゴン系の高性能モデル→ステージア等に継承されていきますのでこれらの元祖としての存在価値はあったと思います。

日本では売れない5HBを“スカイライン”というBigームをもって果敢に挑戦、結果は鳴かず飛ばずの惨敗ながらそのレア度から現在ではこれにRBやFJエンジンを移植したり顔付きを鉄仮面にスワップする猛者も存在、ド変態の心をくすぐるに充分な5HB、当時も今もかなり少ないですが今後の動態保存に期待のかかる変態車だと信じて疑いません(^_^)/


“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る・⇒『6代目R30型日産スカイライン5ドアハッチバック』……終
Posted at 2017/12/10 15:56:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 変態車 | クルマ
2014年05月14日 イイね!

“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第5弾!!

“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第5弾!!“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…

第5弾となる今回は前回から引き続いて『2代目A35/A55型ダイハツシャルマン』を取り上げます!

先代A10/20/30/40型初代シャルマンはデビュー時こそ久しぶりのダイハツオリジナル(実際にはセミオリジナル)として注目されパブリカやスターレットの借り物?だった唯一の普通車(商用車を除く)であるコンソルテシリーズの上に位置しダイハツフラッグシップの役目も背負いベースのカローラにはない高級度を身にまとう良く言えば“小さな高級車”悪く言えば“身の丈に合わないオーバーデコレート車”、市場の反応もこのクラスは掃いて捨てる程存在する激戦区ですので大中メーカーの大衆車がひしめく中、旧型カローラベースのマイナー車がマイナーメーカーからポッとデビューしても1年目こそ前述の理由からそこそこ注目されるもその後はジリ貧、それをダイハツは焦ったのか?MCでどんどんと過剰装飾化を決行、フラッグシップの名の下にデビュー時のスッキリしたオリジナル度は影を潜めてゆき最後にはその出で立ちに眉をひそめる?嫌悪を感じたユーザーも少なからずいたのでは?と思えるエスカレートぶりにダイハツという特殊な立場にあるメーカーの悲壮感を感じさせるものでした。

需要は当初こそ物珍しさからカローラやサニー、ランサーやGファミリアの隙間に入り込む販売台数を稼ぐも比較的早い時期からこのクルマはダイハツ、メーカーや販社のおエライさん専用車の存在価値でしかなくなり一般ユーザーがドライブする姿を見たら驚く!!とまで言われた程で当時も今も“珍車”“激レア”“カルト”の形容詞で語られる程の生粋の?変態車に相違ないですネ(+o+)

そんな初代シャルマン、74年~81年の8年間を生きそろそろお役御免か!?と思っていましたが油断しましたwww
何と今度は当時モデル末期だったE70カローラをベースに2代目が誕生!まさかのFMCを行いカルト好きを喜ばせてくれたのです!!

初代同様カローラをベースに再びダイハツフラッグシップの誕生はダイハツの社員さんはさぞ喜んだでしょうね~!
何せ先代が当時としても太古のE20系カローラベースでしたからね、2代目は仮にも現役のE70系ですから先代の型遅れベースとは違い更に2世代も新しい立派な新型(笑)

まっ、カローラがE80デビューの83/5迄の僅か1年半程度の“新型”でしたが…

↓81/10、E70型カローラベースでFMCされひと回り大きくなり“フラッグシップ”さがより充実?した2代目シャルマン
(㊤1500アルティア/㊦アルティア2トーン仕様)


それではモデル概要に移ります!

[諸元]

(発売)
1981年(昭和56年)10月
(ボディ)
4ドアセダンのみ
(バリエーション)
1300LD/LC/LF
1500LGF/LGX/アリティア
(型式)
ダイハツA35型(1300)及びA55型(1500)
(サイズ)
全長4200mm全幅1625mm全高1380mm
(ホイールベース)
2400mm
(車重)
815~905kg
(搭載エンジン)
トヨタ4K-U型 1300cc 直4 OHV シングルキャブ グロス74ps/10.7kgm
トヨタ3A-U型 1500cc 直4 OHC シングルキャブ グロス80ps/11.8kgm
いずれも縦置き搭載
(ミッション)
4速MT/5速MT/3速AT
(脚廻り)
Frストラット/Rr4リンク式リジット
(駆動方式)
FR

以上の通りの諸元でベースが70カローラですので機構、脚廻り、エンジン、ミッション設定はこれを踏襲、先代と較べTOPが1600→トヨタの新開発レーザー3A型1.5Lに排気量ダウンしています。

この事は普通ならイメージダウンとなりますが先代の旧態化したT型エンジンより格段に軽くレスポンスも良くしかも低燃費に1.5L化による節税といい事ずくめ!この判断は非常に良かったですね…と言うか既にこの時期は商用やDOHCを除いてトヨタでT系エンジンの搭載車はない、若しくは消える予定にあった時期なのでダイハツに供給し続けるのは無理、そこで華々しく“新エンジン”とセールスしていた売れ線3A-Uを下請けにも与えたってところでしょう。

(エンジン、ミッション)
搭載エンジンは定評の4K-Uと3A-Uの2種、1200時代の3Kは排ガス対策(TTC)でさすがにあのOHVとは思えない軽快な吹け上がりは影を潜めてしまいましたがこれを排気量UPしてTTCの損失を補いかつての元気さを取り戻すのに成功、カローラやシャルマンではやや荷が重いながら下級となるKP61スターレットは初代KP47スターレットから継承してレースでも大活躍する元気っぷり!

カローラ/シャルマンでは廉価版扱いの1300シリーズですが燃費、軽快さは新型A系エンジンにも遜色なくこの時代で既に20年となる古参エンジンですがまだまだ色褪せていませんでした。

↓スターレット、カローラで定評の4K-U型1.3Lエンジン


一方の3A-Uは諸元で記した通りのトヨタ中級クラスの新型エンジンでしてトヨタ初のFFモデル、78年デビューのAL10系ターセル/コルサ用に開発された1A-U型エンジンが基礎、この1Uはその後各部改良されスペック&燃費を向上させた3A-U型となります。

ボアダウンさせた2A-U(1300)も用意されますがこちらはターセル兄弟専用、1300はシャルマン、カローラ、スターレットには前述の通りまだまだ色褪せずこちらも改良を繰り返した4K-Uを搭載、1500のみTTC化以来評判が悪いT型に変わって3A-Uが搭載されました。

3A-UはT型1600(2T-U/12T-U)に較べ排気量こそ100cc、psも3psダウンとなっていますが肉薄の新設計、T型デビューの70年代初頭のOHVエンジンとは比較にならないレスポンス。
特にTTCによる補機装置が付いたモノと較べるとその元気さはT型なんて話にならない出来映えでT型の未対策に無理矢理補機装置で排ガス規制をパスしたものと違い設計当初からこれを盛り込んだ対策エンジンとの違いは鮮明でしたねー、ワタクシも初めてこのエンジンを味わった時は「これが排ガスパスの1500!?」と思える活発さは今も記憶に残っています。

↓80年代に入り悪夢の排ガス規制の後遺症から解かれデビューした1.5L 3A-U型新エンジン


ミッションに関しても70カローラからそのまま移植、70から例の1、3速の遠い旧型ミッションは新たなモノに換装され手を下ろせばシフトレバーに自然に手が届くフィーリングとなりKE10からいつも感じていたギアチェンジ時の違和感が補正されまた、FRですから当然ダイレクトチェンジなのでカチッと決まる気持ち良さも健在でした!

ミッションは4/5速MTと3速ATというこの時代ならば当たり前の布陣、後年ATは多段化に一早い推進をしたトヨタグループらしくシャルマンも4速ATが追加されていました。


(ボディ、スタイリング、エクステリア)
ボディバリェーションは先代同様の4ドアセダンのみ!
ベースの70カローラが2/4ドアセダン、HT、クーペ、LB、バンと多種多様のボディ展開をしていたので寂しい限りですし先代ではやはり20カローラバンベースのライトバンも存在しましたが2代目ではセダンオンリー、この事がシャルマンをよりダイハツのイメージリーダー、プレミアムセダンという価値を高めたか?は疑問ですしせめてこの後、静かに人気となるワゴンや若者向けのクーペなりHTの存在でもあればいくらか地味な印象も拭えたのではないかと感じます。

2代目シャルマンは先代が前後ドアに20カローラやスプリンターの影が大きく残るモノだったのに対し完全なるオリジナルデザインとなり新たなプレスを起こしていました!

“高級セダンの証”とも言われた6ライトサルーン+スクエアな直線スタイル、四隅をピンと張る端正な出で立ちは80年代らしいスッキリ感でダイハツの開発テーマ⇒『経済的なハイオーナーサルーン』を良く表しいかにも70年代だった先代の陳腐イメージは払拭され好感が持てましたがどこなく親会社のマークⅡセダン(X60系)を小さくまとめたような出で立ちはあまり新鮮さはなかったような!?!?

しかし初代後期の過剰装飾、アクの強い顔付やテールの処理はなくなりスッキリとクリーンでジェントルなモノに変更、このため良きにつけ悪きにつけ個性的だったエクステリアはスマートになりましたが“シャルマン”の主張は弱まりました。

↓80年代らしいクリーンなデザインの2代目シャルマン(81yアルティア opのアルミホイール装着車)


(インテリア、居住性、装備)
インテリアに関してはこの時期は小型車もFR→FFへの転換期で車室の広さをFF先駆の小型モデル達が謳う中、シャルマンはFR小型車ですからね、出た時点でこれは勝負になりませんorz…

モデル末期の70カローラベースの哀しい性、この頃当のカローラは次期型FFのE80型の試作も終えており初代同様の“お下がり”をもらうシャルマンですからここを語るのがナンセンスなのかも(+o+)

その代り?インテリアについては日産スタンザがミニ・セドリックであったようにシャルマンは“ミニ・クラウン”と言える程の豪華さをTOPグレードの『アルティア』に与えこれならダイハツ重役さんも満足!(笑)と思えるモノでした。

当時のカローラの最高峰『SE』をも上回りまだまだ小型車では珍しい各パワー装備もテンコ盛り、じわじわ訪れていたハイソブームの中でこの部分だけは若きGureも目を見張っていましたねー(笑)

何せシートや内張りの意匠はクラウンロイヤルサルーン?マークⅡグランデ?的、黒一辺倒のインテリアだった走りのクルマばかりを追いかけたワタクシ、「これが激シブ!」とか言いながらも明るくモコモコと豪華な内装に内心凄く憧れていましたネ~^_^;

↓とても1.5Lクラスのセダンの内装とは思えなかった『アルティア』のインテリア
i

インパネデザイン、外観と同じく直線的デザインでまとめられ80年代らしい集中メーターを採用、見切りはよくこれと言った特徴はないながら嫌味のない飽きのこない機能的なモノだったと思います。

↓アルティのインパネ、この部分は大衆車の域ながら機能的!


(シャーシ、脚廻り、ドライブフィール)
この分野も70カローラそのもの!だと思います(汗)

と言うのもワタクシこれの1500は経験してますが1300は未知ですので何とも…
1500アルティだけの感想はドライブフィール的にはハンドリング特性などは70そのままですがサスが柔らかい設定でシートもフワフワ、まだ本家高級車がこのような味付けこそが高級車!! という時期でしたのでそれを模倣するような柔らかさがありしかも本家ほど金も当然掛かっていないのでいよいよのところである程度は踏ん張れるクラウンやセドグロと違い物の見事に腰砕け→ハイスピードでは修復不可!っていう感じだったですねー。

70(前期)同様にステアリングが1500はボールナット、1300がラック&ピニオンでしたのでね、1300は廉価設定ですのでシートもアルティ程フワフワではないでしょうしサス設定も悪くても70の1300レベルだと推測しますのでかえって1500アルティアは安心感あったのかもしれません、あくまで推測の域を出ませんが。

運転していても6ライトによる明るい室内と広い視界、旧型にあった狭苦しい感覚はサイズ拡大以外でこんな部分も寄与ていたと思います。

サスも先代の古典的リーフリジットからストラット/4リンクに変更、もちろん70そのもので前述の通り柔らかめのバネ?ショックになってるか?程度のフィーリング差でした。

まっ、カロ-ラ同様に面白くも何ともない乗り味ですが誰が乗っても安心してドライブできる、当時のFR小型セダンとしては及第点以下でも以上でもないのが逆に平凡かつ信頼性の高い脚だったと言えましょう…


それではこれよりモデル改歴に移ります、2代目シャルマンは1度のMCを行っていますので前期・後期の記載となっています。

※特別仕様、小変更など全ては網羅していませんのでご了承願います。また、一部上記解説と重複箇所があります。

(81/10)
8年ぶりのFMCにて2代目A35/A55型がデビュー

(81/11)
特別限定車『1500スポーティLGX』をラインアップ、このモデルは1500LGXをベースにA/W、フォグランプ、2トンカラー、特別柄のシートを施したものでした。

(83/8)
MCにて後期型となります。

1500モデルは認可済みのドアミラーを採用、フロントグリルの意匠変更の他水平指針メーター、1500もステアリング形式をラック&ピニオンとしアルティアを旧アルティアの路線を踏襲する『アルティアL』、旧アルティアをベースにスポーティイメージ(60タイヤ+A/Wのop、ダーク&原色カラー、室内意匠等)とした『アルティアG』と2極化しユーザー拡大を狙います。

↓83/8~60タイヤ&A/W装着の『アルティアG』


↓アルティアGのインテリア&インパネ



尚、このMCから1500の3Aエンジンを3psパワーUP、これと併せて1500のみATを4速化、同時に1300から4MTを廃止し5MT/3ATのラインナップとしています。

(84/9)
一部変更、1500のみバンパーを大型化します。

(87/10)
デビュー6年で製廃の時を迎えます。

81年デビューから83年迄で細々約2万台弱の販売を行いますが84年を境に台数は激減、86年以降は3,2桁という時期もあり商品寿命が尽きた事が表向きの理由ですが親会社のメインであるカローラセダンがFF移行後も旧70系のシャーシをAE86系レビントレノに残して生産続行していましたがこれもいよいよ87年のE90系へのFMCでFFシャシに集約される事となりダイハツへのシャシ供給ができなくなった事が大きく初代よりも短命に終わる結果となってしまいました。



(総評)
提携→子会社~合併以後、トヨタの下請けに甘んじてきたダイハツが威信をかけて“フラッグシップ”として誕生させた初代シャルマン、決して商業的成功はならずともこれの意気込みこそ完全自前の『シャレード』開発に繋がり数少ないダイハツの名車誕生に寄与、シャレード以降の2代目シャルマンも意欲作としての期待が込められましたが蓋を開けてみればボディこそ完全オリジナルながら中身はカローラという先代と同じ内容で再び『シャルマン』としての主張がないままのデビューに市場はほぼ無反応、ダイハツの社員専用車のイメージ脱却はできずにトータル販売台数も先代以下の8年で約30,000台程度という散々たるものでした。

制約の中で造るダイハツ小型車ですから致し方ないですが終盤ではライバル車がほぼFF化を済まし新時代の小型車!として脚光を浴びる横で最後まで狭いFRセダンはいかにも不利でデビュー当初からFF化を叫ぶライバルが多い中での2代目シャルマン、出た時点で完敗が予測できた、そんなモデルでした。

初代デビュー14年でダイハツが学んだのは「所詮親のお下がりをもらっても大成ならず!」だったのではないでしょうか…

この教訓はシャレード、そしてシャルマン廃止から2年後にデビューする『アプローズ』に活かされダイハツ独自の視点と感性でオリジナルの魅力溢れるモデルの登場に繋がりますので2代のシャルマンの生存も決して無駄とは思いたくありません。

諸般の事情で?立位置的な後続であるアプローズも不幸な結果となりこれ以来ダイハツはこのクラスにオリジナルモデルは投入していません、時代的に現在OEM文化が根付いてしまい特にダイハツにそれ(オリジナル)を求めるのは酷ですがトヨタにはない斬新なアイディアや技術力を持つメーカーだけに惜しい気がします。

当時は「トヨタのお下がり」と相手にされなかったシャルマンですがこうして振り返ると現代のバッジ替えよりは遥かに造り手側の意地とメッセージを感じさせませんか?

シャルマンを今見て思う事…当時は理解されずとも初代デビューから40年の今日に“ダイハツスピリット”をつづく感じましたネ~、今更ですが…(^.^)/

“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る・『A35/55型2代目ダイハツシャルマン』……終

Posted at 2017/12/09 17:18:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | 変態車 | クルマ
2013年12月06日 イイね!

保存版・“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第4弾!!

保存版・“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第4弾!!“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る、第4弾はこいつも変態車愛好家?には非常にメジャーでオースター/スタンザに負けない変態オーラを放っており必ずと言っていいほど話題に上がるこのクルマを取り上げます⇒『A10/20/30/40型初代ダイハツシャルマン』!!

シャルマン、若き日の小川知子さんが『ウィ?シャルマン!』とCMでやっていたのをアラフォー世代以上では記憶に残っておられるのではないでしょうか…

シャルマンは67年のトヨタ-ダイハツ業務提携(実質的にダイハツのトヨタグループ入り=後年完全子会社化)によりそれまで自主生産していた『コンパーノ、同ベルリーナ』以来久々のダイハツ自主開発車としてデビュー時は結構注目を集めたモデルでした。

業務提携後コンパーノをトヨタP30型パブリカの双子モデルである『コンソルテベルリーナ』としてFMC、それまでのコンパーノユーザー向けにトヨタ製双子モデル(実際にはコンソルテ、パブリカ共にダイハツ工場にて生産=委託生産)もダイハツの看板で細々ラインナップされてはいましたが親会社の~ダイハツは自社が持っていない部門=軽自動車に専念せよ~ 的施策から戦後長く小型も生産していたダイハツから半ばこれを奪った格好となってしまい前作、コンパーノが秀逸な小型車だった事もあり業提携⇒合併を嘆くダイハツユーザーも少なくなかったようです。
コンパーノを知る旧ダイハツファンにはトヨタお仕着せのコンソルテでは満足できず“ダイハツオリジナルモデルの復活”は首を長くして待ち望んだもの、そんなファンの期待を一身に背負って74/11に発売されたのがコンパーノ以来約10年ぶりの自社開発モデルとなりコンソルテの上級=ダイハツフラッグシップモデルの『シャルマン』でした。

それまで頑なに自社開発を認めなかった親会社のトヨタ、シャルマンの開発許可はフラッグシップ設定のダイハツ側の強い要望を聞き入れたモノですが実際、自社開発と言っても当時型遅れとなったE20型カローラのライン、パーツをダイハツに移管、これをベースにダイハツが手を加えており実際シャーシやエンジンは20カローラを流用、Frドアは20そのまま、Rrドアは20スプリンターセダンのものにオリジナルのラインを加工して採用、他外板はオリジナルでありインパネや内装も20の雰囲気は残りながらもここもオリジナリティ度を高めていました。

しかし当時、シャルマンデビューはコンパーノのファンでもあったのでワタクシも嬉しいながら子供ながらにトヨタでは大衆車と言われたカローラがダイハツに来ると“高級車”“フラッグシップ”と宣伝文句にあるのを見て非吸収側メーカーの情けなさを感じてしまいましたねー、“フラッグシップ”なんてのはトヨタならばセンチュリー、日産ならプレジ、三菱デボネアにマツダロードペーサー、いすゞステーツマンデビルなどフルサイズカーの称号だとばかり思っていたGure少年、カローラを少しお化粧しただけのシャルマンにこの称号が謳われた時にはホント、驚きました、まぁ、確かにダイハツ最上級には間違いないのですがたかが1200や1400のクルマでフラッグシップって(*_*;

まっ、そんなある意味驚きを伴ってデビューしたシャルマン、外観はこのクラスでは珍しい“フラッグシップ”らしく?丸目4灯ライトを採用、当時は2灯はファミリーカーや大衆車、4灯は上級車というイメージが確立されていた時代ですのでシャルマンは“上級”を意識させるためカローラでは20どころか当時最新の30型ですら設定がない4灯の豪華な顔付が特徴、全体的には20カローラのそれに限りなく近く20のセミファストバックスタイルも継承、しかしながら独自のボディライン(Rrドア後半~ボディ後半に至る主張の強いライン)をあしらって雰囲気を異にしテールも20より大型化して豪華なイメージの意匠としていました!

尚、20カローラ/スプリンターには2/4ドアセダン(2ドアはカローラのみ)、クーペ、バンの設定がありましたがシャルマンデビュー時は4ドアセダンのみのラインナップでした。

↓丸目4灯の豪華グリルが与えられたダイハツのフラッグシップ『シャルマン』(74y前期1400ハイカスタム)


↓Rrコンビランプも大型の豪華なイメージ『74y前期1200DX』


↓シャルマンのベースとなったE20型トヨタカローラ(70~74y)


このような背景でデビューしたシャルマンは久々ダイハツオリジナルが感じられるクルマとして主にダイハツ支持者には暖かく迎えられまた、豪華イメージながら20カローラをベースにした事から30となり大幅値上げとなったカローラをターゲットにしていた層には30よりはかなり安く伏兵ともなりでデビューから1年(74/11~75年末)では販売が4万台超えいう好成績を記録、横綱のカロスプやサニーには遠く及ばないないながら3位の三菱ランサー(A70系初代)がデビュー3年の商品力低下の時期ながらこれにほぼ並ぶ数字を叩き出しています。

多分、ダイハツというメーカーは当時結構厳しくメーカーもディーラーも親ながらトヨタ車での通勤や営業が認められない事も多くファローMAXやコンソルテを嫌々乗っていた社員が多く購入したのでは?と推測されますがしかし実際当時、初期型シャルマンが街行く姿はそう珍しいモノではなく結構見かけた記憶もあるので残っている販売の数字に疑問はないですね!

余談ですが上記でランサー=ラリーに強かった が出てきましたので記載しておきますがシャルマンもメーカーが意図しない?草ラリーストには結構愛されたクルマでラリーキットも存在、一部は27レビン等のパーツも流用可能で時々車高が上がったガチガチなシャルマンのロールバーを組んだ個体も見かけたりしました、当時の雑誌などを見るとタイム、戦績も悪くなく軽いボディと3Kエンジンの組み合わせがラリーストの歓迎されていたようです!


それではモデル概要に移ります!

[諸元]

(発売)
1974年(昭和49年)11月
(ボディ)
4ドアセダンのみ
(バリエーション)
1200・1400DX/1200・1400カスタム/1200・1400ハイカスタム
(型式)
ダイハツA10型(1200)及びA20型(1400)
(サイズ)
全長3995mm全幅520mm全高1370
(ホイールベース)
2335mm
(車重)
790~885kg
(搭載エンジン)
トヨタ3K型(ダイハツ式エンジン呼称A10K型)1200cc 直4 OHV シングルキャブ グロス71ps/9.7kgm
トヨタT型(ダイハツ式エンジン呼称A20K型)1400cc 直4 OHV シングルキャブ グロス86ps/12.0kgm
いずれも縦置き搭載
(ミッション)
4速MT
(脚廻り)
Frストラット/Rrリーフリジット
(駆動方式)
FR

以上を見てお気づき、と言うか当たり前ながらサイズ、スペック、機構はほぼ20カローラを踏襲、ベースがこれですから当然ですがエンジンも一時ダイハツ呼称を表示していましたが紛れもない20、そしてこの時代のトヨタの小型車には数多く載せられていたお馴染3KとTとなります。

(エンジン、ミッション)
前述の通り何ら20時代から変りない信頼の3KとT型エンジンを搭載、この2つは日産の名機と呼ばれるA型エンジン同様のOHVという当時としても古めかしい機構ながらA型のトドメを知らない吹け上がり!って程ではないにしろOHVとは思えないストレスのないスムーズな回転上昇が味わえるエンジンでした。

トヨタDラー時代、トヨタ車でもシャルマンでもさんざん乗った経験ありますがどれに載っていようがこのTと3Kはフィーリングは同じ、セリカやカリーナクラスになるとT型(3Kは設定なし)は廉価版でコレの上である1600の2Tににはかなりの見劣りでしたが3KとTにそれほどのパワー差は感じた事なく前述の通り“トルクフルで静粛なTにパワフル元気感モリモリの3K”と例えておきますね!

T型は重い分排気量は大きいながら俊敏性は3Kには欠け元気さでは1200ながら3Kが上、但しT型の方が音質は優しく特に回した時は3KはやかましくTはそれに較べ静粛性、高かったです。

↓お馴染のトヨタT型㊤と3K型エンジン㊦



このエンジンに組み合わされるのはデビュー時は4速MTのみ、スポーツモデルの設定が性格上ありませんでしたのでこの時代すでにポピュラーになりつつあった5MTはお預け、ただ、これもE20カローラのミッションをそのまま受け継いでいますが個人的にこの20=シャルマンで一番気に入っていたのがシフトフィール!

この時代ですからFRのダイレクトミッションは当然、リンクを介さずにダイレクトに“カチッ”と決まるのが身上のこのミッションはドライブが楽しくなるものでややローとサードが位置的に遠い感じはKE10時代から引きずっておりますが同年代の日産やマツダがどちらかというとシャキっとしないフィーリングでしたのでトヨタと三菱もですがこの気持ち良さだけで選ぶ価値アリ!と思います、まぁ、現代ではバックと駐車以外シフトレバー(セレクター)を触る事なんてないヒトが多いようなので今となっては太古の感覚ですが(汗)

ただこれはミッションと言うよりエンジンやミッションマウントの問題か?6~7万㎞走ると劣化からなる振動→ギア抜けする個体もありミッションそのものは頑強でもこの辺の耐久力は弱かった気がします、勿論新車時でこうしたトラブルの話は耳にしませんでしたが。

(ボディ)
ボディに関してはラリーに使う位だからさぞ頑強では?と思われるでしょう、ワタシも初めて乗った時はそれを期待しましたが実際は極普通、と言うか74年レベル。
私が乗った頃なんてもう初代シャルマンは解体送りにされる8~9年落ちでしたからね、それなりにヤレていて耐久力は既に低下したモノばかりでしたが当時の水準として良くも悪くもない、ただ、これを競技フィールドに持ち込むならそれなりの補強や対策は必要だっただろうなーと。

まっ、コンセプトが“フラッグシップ”ですからね、しかも純粋なファミーり-セダンがベースですからその目線ならば充分及第点に届いていたでしょう…。

(スタイリング、エクステリア)
前述の通り端正で高級感溢れる顔付にセミファストバックのスタイルは非常にマッチ、ベースの20スプやカローラ以上の仕上がりと個人的には感じます。

絶対的台数が少ないのもありカロスプの面影は感じさせますが嫌味にならない程度にデコレートされたシャルマンは狙ったイメージ通りお洒落感は充分ありました!

↓この「1400カスタム」は20スプリンターHIDXのホイールキャップを流用(74y前期)


ベース的に一世代前のデザインながらダイハツの手直しが効き当時でも古臭さは感じずかえって日産他がこの頃はS10シルビア、210サニー、710バイオレットが“三次局面”を謳う未来的デザインが新し過ぎと後方視界不良でバッシングされる中、オーソドックスで視界も良好なこのスタイルは評論家などにも好評でした。

(インテリア、居住性)
この部分については旧型カローラベースという中で一番欠点が現れていました。
FRの小型クラスですからそう広い室内は期待できませんがやはり時代的に一世代前の居住性、セダンですのでヘッドクリアランスには問題有りませんが前席、後席とも決して充分ではなく後ろに人を乗せる場合は前席も結構前方にスライドさせなければならず前後ともに窮屈感を持たざる得ない感じでしたね。

新型になった30カローラやランサー、グランドファミリアやファミリアプレストな激戦区の中で決して優位な車室空間は誇れずこの点ではやはり凝ったデザインのおかげで窮屈なイメージのあった210サニーとどっこいだった印象があります、サニーよりグラスエリアが広い為、解放感はシャルマンの方がありましたが…。

シートや内張りのデザインも20カローラを彷彿させますが“フラッグシップ”を謳うだけあり最廉価のDXモデルにおいても20の黒一辺倒ではなくブラウン/クリームの明るい内装色が用いられ高級感を訴求、カローラ時代は全面ビニールレザーだったハイバック(Fr)シート、Rrシートともに部分ファブリック(通気性発泡)やモケット織物(部分)シートが用いられこの辺は時代に合わせていました!

↓20カロスプには設定の無かった明るい色彩のシート&内装(74y前期1200DX)


インパネにおいては20カローラからは格段に進化、エアコン(op)装備も可能な吹き出し口&エアミックス式ヒーターも採用、大径角型3連メーターが新鮮な印象を与えていました。

↓最上級「ハイカスタム」のインパネ


↓中級「カスタム」のインパネ


インパネのデザインそのものはクラス的に平凡そのもの、フラッグシップと言えど過度な装飾はなされず奇をてらわないイメージに好感が持てました、最上級「ハイカスタム」には旧20カローラSLやHIDXで採用していたウッド3本スポークステアリングを、中級カスタムにはやはり20系DXのプラ3本スポークを、廉価DXには20STDのプラ2本スポークを採用しこれが内装においてのグレード識別点でした。

(装備)
70年代の小型クラスに当たり前に付く物は全て装備、この点は新型となる30カローラと遜色なかったと思います。
ただ20カローラの悪い部分も継承しており一例がこの頃(20時代)から装備され始めたチャイルドロック!

これは今ではお馴染ですが後年~現代はドア内側にこのロックS/Wを設けドアを閉めている限り絶対に子供が触れられない文字通りの装備ですが20→シャルマンは通常のドアロックと並びこのS/Wが設けられており操作性はやや硬くて乳幼児では無理でも2~3歳の子供なら訳なく解除できる代物でこれ見る度に“無意味!”と呟いていました(汗)
まっ、これにより20やシャルマンから子供が転落する事故が多発!!なーんて聞いてませんから大した問題ではなかったですが小さい子供を育てた経験がある方ならこの不完全なロック装置は不安なのが一目瞭然、今ならクレーマーが黙っていない!?って感じがしないでもなしです(笑)

↓チャイルドロック(小さいスライドS/W)がここにあるって?不完全な安全装置は今ならばやり玉に挙げられますね(*_*;


他には間欠ワイパーにフルエアミックス式ヒーター(エアコンop装備可能)など先進の装備は施され最新の30カローラに見劣りないものでした。

(シャーシ、脚廻り、ドライブフィール)
この分野は20カローラそのもの!
80点主義を良くも悪くも主張したカローラのドライブフィールそのまま、と言うかいくらか“高級”を謳う分頼りなささもありました。

ラック&ピニオンなんていう高級メカなんてまだまだこのクラスにはフィートバックされていない時代のボールナット式ステアリングは遊びが大きく応答性も悪いラフそのもの、よく言われる「ゴムをよじる」感覚そのものでした。
当然パワーアシストなんてない時代ですから据え切りなどは重々しいのですが特に1200はエンジンが軽いのもありそれほど苦労は感じませんでした、走行時はスポーティさは皆無ながら誰でも操るのは安心できる水準(当時の)は満たしていたと思います。

脚はこの時代ポピュラーなFrストラット/Rrリーフリジット!今や非エアサスのトラックのみにしか設定はない形式ですがコストが安く構造が簡単でしたからこのクラスはまだまだこれがメイン、サニーやランサーも当然この形式で最新の30カローラも当然これです。

リンク式や独立(ストラットやセミトレ)なんていう高度な脚は比較的Rrサス設計に自由度のあるFFモデルか高価な上級車の装備でありカローラですら79yのE70まで待たなければ設定はありませんでした。

板バネ特有のRrが跳ねるイメージはカローラ以上に“高級”を謳うシャルマンですから柔らかい設定でそれほどは感じませんでしたが限界は低くフニャサスの印象。
ブレーキ踏めば大した速度でもないのに大袈裟にダイブ、少し荒く扱えばすぐにRrは限界が来て尻は廻るし柔らかすぎて体制の立て直しもそう簡単には行かずでorz…
驚く事にラリー出場した27レビントレノ、そしてシャルマンも当然基本的にこの形式でしたからね、やはり当時のラリーストの腕は凄いです(笑)

ただ一度だけシャルマンのガチガチに固めたラリーバージョンをドライブする機会ありましたがLSDとハード化された脚は簡単にテールスライドを助長する代りに修正もたやすいものに変えてくれ構造が簡単な分素直で驚く程コントロールがしやすく限界も高まっていたのが印象深いです。

↓オーソドックスなシャルマンの脚廻り


ノーマルではお世辞にも楽しいとは言えない20カローラ→シャルマンですがこの時代としては誰でも安心して扱える素直さは持っており及第点だったと思います!


それではこれよりモデル改歴に移ります、初代シャルマンは計2回のMCを行っていますので前期・中期・後期の記載となっています。

※特別仕様、小変更など全ては網羅していませんのでご了承願います。また、一部上記解説と重複箇所があります。

(74/11)
シャルマン、ダイハツフラッグシップとして8年ぶり自主開発車として発売。

(74/12)
コマーシャルモデルの4ナンバー、商用バンを追加します。
やはりバンも旧20カローラバンをベースとしており全体的雰囲気はセダン以上にカローラの面影を感じさせますがテールの造形やRrドア~ボディ後端に伸びるセダン同様の太いラインはダイハツの主張を感じ取れるに充分のものでした!

尚、20カローラバンでは2ドアバンも存在しましたがジャルマンバンは4ドアのみの設定、エンジンはセダン同様に1200/1400(バン用は3K-J/T-J型)となります。

↓74/12~追加されたコンパーノバン以来の商用バン=「シャルマン・バン」


(75/12)
1400搭載モデル(A20)がDECS-C方式により50年排ガス規制適合となります。
DECS-Cはダイハツの規制適合システムの呼称ですが内容はトヨタTTC-C方式と同一、T型エンジンに主にエアインジェクション装置、酸化触媒を追加し昭和50年排ガス規制に適合させたもので型式にそれを示すA-が追記されまた適合エンジンのT-U型に換装、出力は補機装置により78psと未対策から8psダウンでした。

↓DECS-Cにより50年排ガス規制に適合したT-U型エンジン


↓DECS-Cの概要図


(76/2)
1200搭載モデル(A10)もT-Uと同様内容ながらEGR(排気ガス再循環装置)を追加し51年規制に適合、こちらはそれを示す型式はB-、エンジンは3K-U型となり64ps、-7psでした。

↓1200シリーズも51年対策の3K-U型エンジンに換装


尚これら対策エンジンは当然トヨタからの供給、一部排ガス対策部分にダイハツオリジナルの部分はあったようですが基本的にはトヨタはもちろんの事、当時大騒ぎになった規制適合のある意味教科書通りの対策を行っています。

基本的にはカローラE30系、パブリカ/スターレット等と同一エンジンですから出力ダウンの感覚も一緒、そのフィーリングはこの話に触れる際幾度も書いてきた通り数値以上の悲惨な状況でもはや元気さが取り得だった1200ではパワー不足でストレスだらけに豹変、1400も重々しくとてもまともなドライバビリティではなかったです。
ただ、車重が軽い分救われ上級のカリーナやコロナに較べれたら実用ユースには耐えられましたがシャルマン、そしてカローラもこの時に大幅に魅力を失っていますね(*_*;

ただこの時に出力不足からなる燃費悪化を避ける意味合いで5速MTが、そして時代のイージードライブ要求に応える3速ATモデルを追加、5MTはハイカスタム/カスタムに(1200/1400)、3ATは1400モデルに設定。

ライバル他社も同様に出力ダウンは免れないながら日産も三菱も富士重も苦労の末、規制適合に不利なツインキャブも残りましたがトヨタは全滅、見かけの豪華さに突っ走ってきた代償がこの時馬脚を現しさんざん苦言を呈されたトヨタ、以後この時の教訓から高性能エンジンや排ガス規制にも貪欲に取り組み後年~現代の地位を築いたと言っても過言ではないでしょう…

(76/11)
MCを施され中期型となります。

大きなイメージ変更は顔付→Frフェイスリフトでより高級イメージを訴求する彫の深いマスクとなりました!

同時に1400、T-U型エンジンも1200と同内容にて51年規制適合となり型式B-A20に変更、これによりシャルマンは全種51年対策モデルとなります。(バンはT-J)

またグレード追加がなされ従来のハイカスタムの上級にグランドカスタム(GC)とスポーツカスタム(SC)を設定、これまでにない超?高級バージョンとスポーツバージョンの2種でユーザー層拡大を図りました!

↓76/11~ の中期型シャルマン(1400SC)


GC/SCは30カローラから流用する13インチキャップレスホイールを装備、GCではホイールリングで更に高級感をアップ、SCはノーズ部にストライプをあしらい黒塗装のタルボ型ミラー(GCはメッキ)装備とスポーティ雰囲気をを演出、従来モデルが最高峰であっても平型ミラー、ホイールキャップだったところに一気にエクステリアを充実させていました。

内装もGCに全面ファブリックシートに高級カーペットを採用、SCはストライプ地の若々しいデザインを表現、SCではシャルマンでは初めてタコメーターも装備、GC/SCともインパネには木目採用も施され高級&スポーツイメージをここでも高めています。

↓中期型で追加された最高峰1400GC


↓1400GCのインパネ


↓中期型となってもテールの意匠はほぼ前期型を踏襲(76y中期型1200カスタム)


尚、この時に3ATモデルを廃止、5速はGC/SCのみとなりこれ以下は廃止となり4MTオンリー(SC/GCの4速もあり)となっています。

(78/3)
2度目のMCを行い後期型となります。

この時点でシャルマンはデビュー4年が経過、大メーカーではFMCが行われるモデル末期という事になりますがダイハツのような弱小&子会社化したメーカーではそれもままならず大幅なテコ入れで延命となります。

外観上の変更はお決まりのFr/Rrのリ・デザインですが顔付は全く別のクルマ?という位手が入れられフェンダーは新たなカタを起こしています。

従来型が前期~中期において逆スラントの顔付を採っていたのに対し一転してスラントノーズ化、当時カーデザイン敵には空力に有利なスラントノーズ化が流行りでこれに倣ったモノでしたが同時の流行りだった角目4灯は採用されていませんでした。

ワタクシ、丸目4灯でデザインされたモノにMCで無理くり角目4灯にするのは反対でしたがこの後期シャルマンのように顔面全面整形し更に流行りのスラント化までやったなら角目4灯にした方がバランス取れてたのでは?と今このモデル見ても感じます、スラウウントの丸目はいかにも中途半端な感じですしね、まぁ、個人的には初代シャルマンの場合中期顔が一番の好みでしたしこれに次ぐのは前期、どうも後期型はこの後このクルマの運命となる“オーバーデコレート”感が鼻に付きゴテゴテとしてしまい前期~中期にあったお洒落感が消え失せた気がします…。

後期となり新たにGC/SCとハイカスタム間に新グレードである『ラグジュアリーカスタム(LC)』を追加、これを含め中期型のインテリア、エクステリアをベースに更に豪華な味付けがなされ最上級のGCとLCはヘッドレスト別体のセパレートシート、GCではこのクラスでは例がないRrセンターアームレストを採用し一段と“フラッグシップ”さを強調しています!

↓GCに装備されたクラス初のRrセンターアームレスト


またこの他ELR付シートベルトやFM付きカセットステレオ(op)などの安全&快適装備もこの時に施されています。

↓時代の要請に応えた安全装備のELR付シートベルト


↓まだまだ8トラも残る時代にopとは言えカセットステレオと言った先進快適装備も用意!


尚、この後期型ではエンジンを換装、1200→1300に、1400→1600となっています。

1300/1600共に同様にトヨタからの供給エンジンを搭載、これも既にスターレットやカローラでお馴染である13004K-U型OHV72psと160012T-U型OHV88psに換装しています。(バン用は4K-J/2T-J)

両エンジンとも三元触媒を用い53年規制に適合したモノ、相変わらずDECSを謳いますが内容はトヨタTTCに倣っています。(型式にE-が付記されます)

↓後期型シャルマンのラインナップ







このMCでGCとハイカスタムに3ATが復活、これとシングレードの追加も併せ後期=最終型シャルマンは本家カローラにも遜色ないワイドバリェーションを実現、またエンジン換装と大幅MCにより型式をA30(1300)A40(1600)に変更しています。

この後期で81年までの3年引っ張りますがベースが70年登場の20カローラでは流石に80年代を迎えどうしようもなく古臭くこれはスタイリングも勿論ながら上述で解説してきたシャーシやハンドリング、脚など全てが時代遅れとなりました。
シャルマンに限らず長く造られる弱小メーカーの長寿モデルの哀しい性ですがベース(20)からは11年、シャルマンとしても7年経過した81/10、新世代の2代目シャルマンにバトンタッチし初代は長き生涯を終えました。

(81/10)
2代目A35/55型にFMC、シャルマン第2世代となります。

↓81/10~2代目シャルマン


(総評)
提携→子会社~合併以後、トヨタの下請けに甘んじてきたダイハツが威信をかけて“フラッグシップ”として誕生させたシャルマン、デビュー当初は予想を上廻る好評と販売台数となりましたが2年目以降はジリ貧、それでも74~81年の全台数で10万台オーバーしていますのでダイハツのような立場のメーカーとしては大いに健闘したモデルだと思います。

モデル途中からは本文記載したようにオリジナルの持つ小洒落た雰囲気はどんどん影を潜めていき分不相応な贅沢さを身にまとう悪い方向の“フラッグシップ”化したのが残念ですがこれも多くの車種を造る事が簡単ではなくましてやトヨタという親の統制下であるダイハツのモデルですから致し方ない部分も多いですからシャルマンのマイナスポイントとして計上するのは酷に感じます。

ただ、素生(前期~中期)がベースの20カローラを超える魅力があったのも事実でこの部分は残念に思います、現在では歴史的価値も見出されずほぼ死滅状態、このシャルマン時代はダイハツも輸出に好むと好まざるは別にして消極姿勢でしたから後進国等での生き残りもまず存在しないでしょう、マイナーメーカーのマイナー車ですがそれが逆に“変態度”は際立ち別の意味で今では語られたりもします(一部のマニアにですが…笑)

量販を望めずある意味カルト的立場のシャルマン、後にアプローズ→アルティスと発展しますがその思想はアプローズで華開いたかに見えましたが不幸な事件によりこれも潰えてしまい現在のアルティス=フラッグシップはカムリのバッジ違いとなりダイハツの意地は感じさせないモノに成り下がりました。

時代的に裏事情がなくともOEMが盛んの現代でもはやシャルマンのような中身は借り物でもオリジナルなモデル、そして完全オリジナルなアプローズや下級シャレードのような車造りはもはや求められないでしょう、しかしダイハツオリジナルまたはセミオリジナルでもいいのです、元々センスあるクルマ造りをするメーカーさんですのでいつの日か“ダイハツスピリット”を感じさせるモデルを見てみたい!と初代シャルマンを振り返ってそんな風に感じました(^.^)/

“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る・『A10/20/30/40型初代ダイハツシャルマン』編……終


※次回は続いて『A35/A55型2代目シャルマン』編を第5弾としてUPする予定ですが時期未定です(^^ゞ
Posted at 2017/12/09 16:59:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 変態車 | クルマ
2013年10月13日 イイね!

保存版・“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第3弾!!

保存版・“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第3弾!!納得のマイナー・モデル第3弾”も前回から引き続きとなる『日産バイオレット/オースター/スタンザ』となります!!

但し先代デビュー間もなくバイオレットは戦線離脱しておりますので今回からは『オースター/スタンザ』の取り上げになりますネ!

先代T11ではJX/FXなるサブネームが与えられておりましたが3代目T12型は両車ともそれぞれこれが廃され正式名称は久しぶりにシンプルな⇒『T12型3代目日産オースター/同スタンザ』となりました!

T12のデビューはまずオースターが先行して86/10にFMC、スタンザは翌86/6にFMCされました。

これまでバイオレット含め一斉にFMCしてきた両車ですが今回のタイムラグは異例で先代が81年デビューでしたからね、売れないT11は半ば放置気味でありオースターですら5年、スタンザは6年という不人気ながら長寿という珍事が起きていました。

これはちょうど両車のFMC期に充る85年はスカイランやローレル等のbigネームのFMCに重なり売れなくて手を焼いたT11は後回しになったというのが実情のようです(*_*

さて、先代は初のFF化、そして専門家はベタ褒めだったヨーロッパ調の飾り気なのない質素な出で立ちが大きな要因で目も覆う程の不人気であり実際下らないトラブルも多く後の評価は悲惨なモノ、あまりの売れなさ過ぎでデビュー早々に本家であった『バイオレット(リベルタ)』は廃版、そしてMCでは残るオースター/スタンザは慌てて金襴豪華な味付けに変更したりしましたがそれがかえって上級であるブルーバードとキャラが被ってしまい明確なコンセプトを示せず埋没、稀代の不人気車になってしまったのは前回で語りましたがこの事を反省、T12では特にブルーバードとの差別化を念頭に入れかつオースターとスタンザのキャラ分けもより鮮明にしたのが特徴でした。

初代A10から示されたオースター=スポーティ スタンザ=高級 とイメージはそのまま踏襲していますがその度合いがこれまでにない位差別化、オースターはやたら欧州車風味を効かせそれまでどちらかと言うと日本のスポーツモデルはアメリカ的な派手さを強調してきたのに対して英国風の大人でシックさを感じさせる演出がなされました。
ある部分ではブルよりも格段に豪華、そしてある部分はブルにないシックな大人の味付けを施していましたね、ただ市場的にはやはりブルとの差別はそれほど実感できず結果的にはやはりT12もブルーバードに埋没した感が否めませんでした。

↓86/6、欧州風スポーツをコンセプトにFMCした3代目オースター
(前期1800ツインカムターボRttユーロフォルマ)


一方のスタンザは当時のC32ローレルやY30セドリックに通じる派手なギンギラのエクステリア&応接間風インテリアが与えられておりこれは初代A10からの伝統ながら派手さ度合いは更に深まっています。

オースターがシックなイギリス調スポーツの味付けに対して同じボディでココまで違うか?位スタンザはアメリカ的なこれ見よがしのセンス悪い当時の日本人好みの高級度合いでバブル幕開け期に相応しくそして人気のトヨハイソカー軍団を目一杯ターゲットとしてたのが特長ですね…。

先代がスタンザ(FX)と言えども質素にして評価を得られなかった分、T12では“これでもか!”と言う位に豪華さは惜しみなく投入された感じでした。

↓欧州風スタンザに対するアメリカン調でコンセプトを分ける3代目スタンザ
(1800スプレモツインカムターボ)


オースターとスタンザ、歴代同様紛れもない双子車でしたが景気のイイ時代でもありコンセプトをより鮮明にする意味で双子ながらボディは分けられリ・デザインされていました!

Fr/Rrドアだけは共有しますが顔と尻のデザインだけ異なるというあんちょこな差別ではなくノーズとトランク部、そしてそれに付随してボンネットや各フェンダーは専用設計が施されています。

ただ、この時期の日産お得意の富士山型キャビンにペキペキカクカクスタイルは共通なのであまり差は感じないながらも歴代に較べたら相当コストをかけて差別化がなされています。

Frは欧州車を意識、スラント気味の落ち着いたマスクのオースターに対しスタンザはこれ見よがしの逆スラントの派手な顔立ち、Rr部はラップアラウンド気味に広いグラスエリアを持たせたスタンザが特徴的でテールの形状もFrに倣いオースターは落ち着いた嫌味のないデザイン、スタンザは大型コンビランプを採用しココも派手目にコーディネイトされていました。

デザインに関しては主観ですし感じ方は千差万別なのでどっちがどうとは言えませんがあくまで個人的感想ではシックな中にも日産の謳う欧州風スピリット?が感じられどことなく日本車離れした感のオースターが好きでした!

スタンザはいかにもやり過ぎ感がありこの出で立ちで本物アメ車並みにデカければサマにもなったでしょうがどうしてもこのサイズでゴテゴテやられると貧乏臭くて嫌なんですよね、こういった類、当時日産は好きでしが^_^;

両車、先代で車運を賭けた?FF方式を当然継承、FR→FF化も落ち着いた時期でしたし元は先代T11から始まったFF化もその後サニー、ブルーバードと進みまだライバルトヨタはFFとFRを両方ラインアップする(コロナ、カリーナ、カロスプ)という変則的車種構成を採る中、すっかり落ち着いた感じでしたね。

ただT11ではこのFF化に少なからずトラブルが発生、耐久力の無さ、信頼性の欠如が先代の悪評をもたらしたのもありT12ではその後のサニーやブルに倣い完璧にFFを手なずけた?仕上がりで発売されたのは言うまでもありません、後述しますがドライブフィールでもそれは実証されていましたし…

それではモデル概要に移ります!

[諸元]

(発売)
オースター:1985年(昭和60年)10月 スタンザ:1986年(昭和61年)8月
(ボディ)
オースター:4ドアセダン、5HB(86/6~)
スタンザ:4ドアセダン
(バリエーション)
オースターセダン
1600Vc/1600Mc/1800Vi/1800Mi/1800Xi/1800Xt/1800Xtt/1800Siユーロフォルマ/1800Rttユーロフォルマ

オースターユーロハッチ(5HB)
1800タイプⅠ/1800タイプⅡ

スタンザ
1600・1800GLサルーン/1600・1800SGLサルーン/1800スプレモ/同スプレモターボ/同スプレモツインカムターボ

(型式)
日産E-T12型
※E-は53年規制適合記号
(サイズ)
全長4410mm(スタンザ)/4515mm(オースター)全幅1690mm全高1390
(ホイールベース)
2550mm
(車重)
1070~1495kg
(搭載エンジン)
CA16S型 1600cc 直4 OHC 電子キャブ グロス90ps/13.6kgm
CA18i型 1800cc 直4 OHC Ei グロス105ps/16.3kgm
CA18ET型 1800cc 直4 OHC EGI ターボ グロス135ps/20.0kgm
CA18DET型 1800cc 直4 16V DOHC EGI ターボ ネット145ps/20.5kgm
いずれも横置き搭載
(ミッション)
5速MT/3速AT/4速AT
(脚廻り)
Frストラット/Rrストラット
(駆動方式)
FF

※搭載エンジンのps表示はCA18DETのみ登場時期の関係上ネット表示となっています。

~車輛概要~

(エンジン、ミッション)
上記を見ての通り搭載エンジンは基本T11と変更はないCAエンジン。
但しチューンはCA16Sを除き変更、CA16SもT11時代は単に“CA16型”の表記にSを追加、キャブも電子制御とされています。
エンジンバリェーションは前述の通り1.6Lをベース=廉価版に据えメイン/普及を1.8Lの3種としています。

まず新たに加わったCA18i!これは構造が単純化されコストを抑えたシングル・エレクトロ・インジェクションを採用、EGIのよりきめ細かい燃料噴射はできないながらも比較的安易に電子燃料噴射を実現、安価にキャブレターの約5%増のパワーアップを実現、これを普及版と位置付けしています。

↓新設定の1800ccシングルポイントインジェクションのCA18iエンジン


そしてU11ブルーバードで既に馴染みある1.8LEGIターボと同DOHCターボもラインナップしスポーツ派にも対応しています。

↓U11ブルの最高スペックを持つ1.8L 4バルブツインカムターボのCA18DETも搭載!


↓廉価版/ベースのCA16SとSOHCターボのCA18ETエンジン!!


かなり豊富になったエンジン群ですが高性能エンジンの充実化が顕著、一般ユーザーが選ぶのはCA16SとCA18iで充分なモノでオースターはともかくスタンザには正直ターボやツインカムターボは必要ない設定に感じました。

まぁ、世は第2次ハイパワーブームが継続中の時代ですから例えツインカムターボでもそれ程目立たなかったの事実ですがつい数年前まで排ガス規制で苦しみ載せるエンジンがない!と騒いでいたのが嘘のようなエンジンラインナップ、セダンオンリーのこのクルマ、しかも決して“速い”といイメージが歴代にもないこのモデルに平然と搭載されていたのですから時代は正に“狂乱”でしたね(笑)

ただこれほどの高性能エンジン、脚廻りや搭載に関連する各部機構もT11より格段に煮詰められていて性能的な問題は皆無ですが果たしてオースター/スタンザにツインカムターボまで必要だったかどうか?明らかなオーバースペックの感が強いです。
上はブルーバードに、下はサニーにも高性能エンジンが与えられたいましたのでもう少し落ち着いた、トルク重視の実用型エンジンこそ似つかわしい思いをこのクルマ乗る度に感じましたねー…

勿論、不足や不満はないのですがね、個人的な意見でどうもこのクルマには似つかわしくなかったです、所詮はファミリカーというクラス分けがなされるこのモデル、ライバルのカリーナもDOHC16バルブやらDOHCターボも持っていましたからこれの対抗なのでしょう、ブルーバードよりも若年層を狙っていた事もあるでしょう、しかし車格的にオーバー過ぎる!が素直な感想でした。

組み合わせはベースor普及型となるオースターセダンのXi以下並びにSiとユーロハッチタイプⅠ及びスタンザスプレモ以下にCA16SとCA18i、オースターセダンXtとスタンザスプレモターボにCA18ET、オースターセダンXtt/Rtt及びユーロハッチタイプⅡ、スタンザスプレモツインカムターボにCA18DETを搭載しています。

ミッションは4速MTが廃止、この代わりにOD付4速ロックアップATが新追加、多段化するイージードライブにT12も加わっています。
果たして全段にロックアップが必要なのか?という疑問は残りますが永い事トヨタに出遅れた4速AT化は日産ファンとしては大いに喜べるモノでしたね~。

↓新追加のOD4速ATとMTは5速に統一!


(ボディ)
ボディバリェーションはシンプルでオースターデビュー時はセダンのみ、翌年86/6のスタンザFMC時にオースターのみに5ドアHBである『オースター5ドア・ユーロハッチ』を追加しています。

先記の通り若干味付けの異なるスタイリングとなったセダンは両車とも当時の日産トレンドである直線を基調にしたスクエアなデザインで嫌味がなく軽快感溢れるスタイリッシュなモノでした。
富士山型と揶揄されるとんがった感じのキャビンをベースにロングノーズ、ショートデッキの教科書通りのワイド&ローのプロポーションでスタンザはややこれを大袈裟に強調しています。

オースターのみにラインナップされたユーロハッチは何故か日産や三菱、売れない5ドアセダンを執拗にラインナップしていましたがヨーロッパでは人気の車型でしたしどうせ輸出用に造っているのだからと果敢に何度もチャレンジしていましたね、よせばいいのに(爆)

特にオースターは初代A10の時代からスタンザリゾートから始まる5HB、T11ではオースターのみラインアップされませんでしたが兄弟ではしっかり5ドアも残っており更に後続となるプリメーラにも逆車ながらプリメーラUKなる5ドアが設定されており兄貴分のブルーバードもこれまた逆車のブルーバードオージィなる5HBが健在でしたからエテルナとかギャランスポーツとか売れないながらこれをラインナップし続けた三菱とどこか被る“意地”を感じたモノです(^^ゞ

↓歴代で売れた試しもないのに性懲りもなくまたも5HBを懲りずにラインナップ!
(86yオースターユーロハッチタイプⅠ及びタイプⅡ)


T12はシャーシをU11ブルから流用、このためボディは5ナンバー枠の上限まで広がり車幅が繰り出すトレッドの安定感、延長されたH/Bも後席足元の拡充が肌で感じられスクエアなスタイルからなるセダンとしては充分以上のヘッドスペース等とても秀逸!

ただこれがかえってよりブルーバードとの車格差が曖昧となりbigネームのブルに対するオースター/スタンザがまたしても不利な展開になったのは皮肉ですねー、価格も少しこちらが安い(同じようなグレードで)ながらやはりブルーバードのブランドは偉大、更に87年にブルも新世代のU12にFMCしてから大好評でありこの時点で既に旧U11テイストのT12は見向きもされない存在になってしまいました。

秀逸な真面目なセダンながらあまりにもブルに近くなり過ぎ、と言うかシャーシ流用=同じ車格になってしまいもはや存在する意味さえ曖昧になっていましたねー、こうした例は他社にもあります(古くはGファミリア対カペラ、トレディアやカリスマ対ギャランなど)が流石のトヨタはカリーナやコロナ、カムリやビスタも加えれば混線状態と言ってもいい程の同クラス乱立でもそれぞれを順当に捌くトヨタ販売店の力、大したモノでした!

(エクステリア)
冒頭で申した通りヨーロピアンなオースターにアメリカンなスタンザと言うテイストです。
どちらも限りなく?上級車の匂いを感じオースターはU11ブルの後期(T12デビュー時の現役)、スタンザはC32ローレル(やはりT12と同時期)のキャラを彷彿させました。

当時、それぞれのパクリカー(リベルタヴィラ、ローレルスピリット)が存在しましたので明確にそれを意識させるイメージ戦略や記述はなかったですが見るヒトが見ればウリ二つ!って部分も多くパクリカーと併せてこのモデルを見ると何故か滑稽でしたね(笑)

しかし中でもオースターには認可されたエアロパーツ装着モデルである『ユーロフォルマ』シリーズは結構スポ車好きには注目されこの後各車、エアロパーツを純正で装備する事が多くなりましたがオースターはその走りと言ってもいいでしょう、大型のFrリップ、サイドスカート/サイドシルプロテクターに当時としては大柄なRrスポイラーは文句なくカッコ良くそのネーミングも斬新でした!

↓エアロパーツで武装した“ユーロフォルマ”シリーズ(オースターSi/Rtt)



(インテリア、居住性)
こちらも上記のテイストで味付けを分けていました。

オースターはシックな大人ムードのインテリア、スタンザは日産得意のルーズクッションの応接間風インテリア!
スタンザはこの時代のお約束であるワインカラーのケバい内装もふんだんに用意、最廉価のGLサルーン以外は全てこれ(一部外装色によってはダークブルー)が奢られると言う充実ぶり?でした。

インパネはやはり当時の日産トレンドである“絶壁”調ですがさんざん揶揄されたF31レパード(85y)やR31スカイライン(同)程はその絶壁度は抑えられており機能的かつ前方視界も確保された嫌みのないデザインが好感持てます、インパネに関しては両車共通でした。

↓時代のお約束であるケバケバしいワインカラーのインテリアを殆どのグレードに採用したスタンザ
(前期1800スプレモ)



↓外装色によってはダーク系の色彩を採用
(スタンザスプレモツインカムターボのホワイト/グレー2トーン)



↓シックなスポーティさを演出するオースター(前期1800Xt/1800Xtt)



居住性に関してはこのクラスのセダンとしては及第点、5ナンバーフルサイズ化によりフット、レッグ、ヘッドスペースに何ら窮屈さは感じず後席の広さはFFの特権でもあり上級FRのスカイラインやローレルに較べても広さを実感できましたね。
トランクに関しても車格的には充分な容量を得ておりオースターのユーロハッチに関しては広大なラゲッジは日本では難しかったながら利便性、合理性を重視する欧州では高い支持を得た程でした!

(装備)
車格が既にブルーバードと同等にまで登りつめた両車ですからフル装備モデルが充実、エアコンこそまだop装備の時代ながら廉価版や低グレードを除き各パワー装備や時代の流行りであるデジタルメーターを採用(オースターXtt、スタンザスプレモツインカムターボにop設定)、U11ブルーバードからのフィートバックである電子制御サスペンション(スーパーソニックサス)もopながら設定、R30スカイラインで好評の可変ダンパーもオースターXtt/Rttに奢られています。

↓流行りのデジタルメーターも採用


↓U11ブルからフィートバックされたスーパーソニックサスペンションと3段階可変ダンパー


(シャーシ、脚廻り、ドライブフィール)
シャーシは先記の通りU11ブルを流用、色々問題有った旧T11のモノは1代限りでした。

脚廻りはFrストラット、Rrにはパラレルリンク式のストラットを採用、T11に較べ格段に熟成されたこの脚廻りは日産らしく秀逸と言って遜色ない部類、スタンザでは性格的にツインカムターボでも柔らかな設定と以前何かのインプレを見た記憶があります。
対するオースターのツインカムターボ(Xtt)はそこそこしっかり固められパワーに負ける事なくしなやかにかつねばりも当時の水準では高得点だったと思います。
この煮詰めがあったからこそ脚廻りで高い評価を得た後続P10プリメーラが完成したのでありこの点は脚がやや弱い印象のあった歴代のオースター/スタンザに対して飛躍的な進歩を感じさせました!

↓Allストラット4独の脚廻り


このクルマの乗車経験はあまりなくオースターのXttのみですのでこれのインプレしか書けませんが同じクルマ?のU11ブルはさんざん色んなグレードに乗っていますので推察はできます。

Xttに関しては先記の通り大袈裟すぎのエンジン、ツインカムターボと言っても当時でも控えめなpsが示すようにジャジャ馬的で扱いにくい印象は皆無、勿論その気になれば充分以上に速く信頼性の高い脚廻りも相まってかなりイイ走りができたのを憶えています。
可変ダンパーの有難みも随所に感じられファミリーユースと気合い走りとTPOに応じて選べるのは既にスカイラインやマークⅡ兄弟でお馴染でしたがこのクラスで味わえるのは少なかったです。

その気になって走って何ら不安や不満はないですがどうしてもイメージに合わないのが正直な感想、つまりこのクルマでこれ程のエンジンや装備が与えられても何か走る気がしない、逆に言えば走る楽しさや緊張感が味わえずやはりオースター/スタンザは大人しいエンジンでファミリー然として走る方がシックリきましたね、もちろん個人的な思いですが…。

T12のCAエンジンはがさつさは引きずるもNAやSOHCでも格段にフィーリングは向上、元気があり大袈裟なターボやDOHCまで持って来なくても充分このクラスならば実用的で魅力ありました。
街乗りならこれで充分と感じましたし走る気持ち良さは全体的にスカイラインやかえって下級のサニースポーツモデルの方が楽しめましたから無用…までは言いませんが必需性はなかったと。

まぁ、時代が時代ですから『これにもこんな高性能モデルがあります!』というアピールは欠かせなかった点、充分理解してますがね(^^ゞ


それではこれよりモデル改歴に移ります。

※特別仕様、小変更など全ては網羅していませんのでご了承願います。また、一部上記解説と重複箇所があります。

(85/10)
3代目となるT12型オースター発売。

(86/6)
3代目スタンザ、先にデビューのT12型オースターをベースに発売、同時にオースターには5ドアHBセダンとなるユーロハッチを追加。

(87/2)
特別仕様としてオースターに『Xiブリティッシュ』、スタンザに『エクストラサルーン』を追加。

(88/1)
両車MCで後期型となります。

MCはお約束の前後意匠変更、オースターはより欧州車を意識しヨーロピアンテイストを高めFrを鉄仮面方式の分割グリルを採用、スタンザは大きなイメージ変更はなくグリル形状をリファインしセンターオーナメントを装着、両車前後バンパーの意匠変更がなされテールも小変更、全体的にオースターはやや流麗さを取り入れカクカク度合いを薄めています。

↓88/1~の後期オースター㊤とスタンザ㊦



↓鉄仮面調の独特な顔付になった後期型オースター


↓前期後半に特別仕様で追加されたオースターXiブリティッシュは固定グレードに!


↓後期型オースターXtのRrビュー


この時オースターのユーロハッチは前期で2種のラインナップがなされていましたが案の定?売行き不振によりモノグレード化され整理されています。

↓後期オースターユーロハッチ


尚、後期型ではCA18ETのSOHCターボエンジンを廃止、代ってCA18DETからターボを廃したCA18DE型(16V DOHC ネット135ps/16.2kgm)を新搭載。

またまた個人的見解で恐縮ですがこのMC、スタンザは大きな変化がないのでまだ理解できましたがオースターに限っては“改悪”としか映りませんでしたねー。

前期のスッキリした嫌みのない印象からゴテゴテとオーバーデコレートされてしまい“ヨーロピアン”を叫びながら欧州車のシックさは皆無になってしまいました。
元々マイナーで人気も薄かったですがこのMCでそれが上向いたという事もなかったです…。

(90/2)
77年に初代が発売依頼13年3代に渡り存在したオースター/スタンザは新開発の初代『プリメーラ』にバトンを渡し製廃となります。

↓新開発のプリメーラがオースター/スタンザの後続に!!


以上にて“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第3弾!!はここまでとさせて頂きますがT12型3代目日産オースター/同スタンザの総評を…

(総評)
三つ子の魂ではないですが初代デビューから一度も浮揚できなかった不運のオースター/スタンザ!
元が急増寄せ集めの710バイオレットと言う稀代の悪評、不人気車でしたので生まれながらにして運の無かったモデルと言えましょう…

しかしT12に関しては市場の無反応ほど悪いクルマではなく歴代の中でも真面目に煮詰めたクルマだと思います。
ただ本文で記載した通りベースをU11ブルに持っていったところが失敗かな?
僅か2年後にベースのブルがU12のFMCしてしまい先代のT11後期同様、またしても一気に古臭くなりかつメジャーなブルーバードに埋没してしまい存在価値が希薄になったのがこのモデルのマイナーさを決定したと思います。

生まれながらにしてしかも3代続いてマイナーというモデル、そう滅多には存在せずBigメーカーの日産では珍しいケースでしたがこれの失敗を大きく研究、車格の近いブルーバードとキャラクターを鮮明に分けた後発プリメーラが爆発的なヒットと日産最後の良心と言われるまでの評価を得たのは永いオースター/スタンザの苦労があったこそだと思います。
逆に言えばプリメーラの下敷きとされた両車の悲運は目頭が熱くなりますが(嘘!!…笑)ネーミング変更がこれほど成功した例もなかなかないでしょう。

今やセダン人気の低迷からそのプリメーラも消えて久しいですが名車に上げられるP10プリメーラを思う時、自然とこのオースター/スタンザ、そしてルーツのバイオレットも思い出されある意味現代では最もメジャーなマイナー車?になりつつある感じがします。

後続に恵まれたからこその現代での振り返りがなされる訳ですしね、変態車と呼ばれ一部ではアツい注目を集めるオースター.スタンザ!苦節13年の人(車)生も今となってはムダではなかった!と信じて疑いません(^.^)/

“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る・『T12型日産/オースター/スタンザ』編……終
Posted at 2017/12/09 16:29:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 変態車 | クルマ

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