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2019年04月02日 イイね!

珍車PART819

珍車PART819珍車819弾!
今回もなかなか珍しいのを持ってきましたヨ。

かつて(1970年代後半~80年代)、日本でもピックアップブームが訪れた事ありますがこれはアメリカ文化にいつも憧れたかつての日本の特徴かも!?あちらでは下手なスポーツカーなんかよりも遊び道具を山ほど積めるピックアップトラックが昔から若者には大人気、って言うよりそれがメジャーで4WD技術が進んだ70年代後半、内外共RV要素も盛り込む4WDピックアップが非常に支持を集めました。

そんな中日本では老舗ハイラックスやダットサントラックが4WDを追加しており輸出も絶好調、その人気に引っ張られ?国内でもこれら4WDピックが大人気、上述2車の他に三菱がフォルテ→ストラーダ、いすゞがファスターロデオ→ロデオと発売して参入しました。

この時マツダは何故か4WDピックには静観、ハイラックスやダットラ並みに古くから1t積トラック「プロシード」を持ってはおりましたが77年に65年デビューの初代をMCした程度、他社が続々と遊び心を備えるRV風ピックを取り揃える中でプロシードは地味な商用モデルに固辞、結果売れ行き不振で80年に一度廃盤となります。

1965~1977年の初代プロシード


まっ、プロシードはハナから国内ではハイラックスやダットラに歯が立たないのを理解していたかのようにほぼ一定の売り上げのある米国向けのような存在、国内での積極的販売もなされず特に当時マツダの浸透力が弱かった東日本ではまず見る事のないモデル、しかし本場?米国向けにはマツダらしいロータリー(RE)モデルもラインナップ、1974~77年の3年間、サバンナやカペラ同様REのイメージっとしていた〇テールのREピック(プロシード名は付記せず、Frグリルもプロシードとは別物)をラインアップしますが日本も向こうもOILショックの悪夢が冷めやらずの中、売れたのは極僅かだった様子。

後にも先にも〝トラック”のREはこれのみ!


まだマツダが何でもかんでもREを載せていた時代とは言え1tボントラやバス(パークウェイRE)にまでREをブッ込んだマツダ、若かったですよねーw

さて本題本題www

今回のお題はコレ
⇒『平成8年(1996)UF66M型3代目プロシードキャブプラス4WD』!!

上述した通り2代目が1980年に一度廃盤、そして5年後の85年に海外モデルで復活を経て1990年、3代目として国内でもデビューしたモデルとなります。

まぁ、結果この3代目が99年まで存在し国内のピックアップ需要衰退の波を受け生廃、このモデルが最終型となるんですがどちらかと言えば初代~2代目が海外向けという展開でしたがこの3代目は遅ればせながら国内の4WD RV需要に応え先代とは比較にならない程洗濯され乗用&RVの味つけもなされており従来の3人乗りピックアップをビッグキャビンとし4人乗りも可能(但しキャブ後部はミニマム臨時シート的なモノで普通は荷物置き程度の使用想定)になりこのモデルを「プロシードキャブプラス」とし91年にはワゴンタイプの7年乗りである「プロシードマービー」も追加、ハイラックスサーフやテラノ等を照準としました!

しかしやはりマツダの5チャンネル政策失敗の時期でもありプロシードの知名度の低さも相まってライバルには歯が立たずキャブプラスは98年、マービーが99年に国内では廃盤、以降プロシードは海外専売車種となり名前のみスズキエクスードのOEMモデルに継承(プロシードレバンテ)、RVとしては勿論、商用としても絶版になり現在に至りますねー…。

出品車のキャブプラス、個人的にはなかなかスタイリッシュかつ迫力もあり嫌いじゃなかったですがいかんせんデカ過ぎ!全長5m近いしそりゃこんだけあればトラックと言えどキャビンも広いし荷台も充分ながらクソ高い税金や高速代となる1ナンバー登録ですんでこりゃ避けるヒトも多かったでしょう、三菱のストラーダもそうでしたがハイラックスやダットラ(テラノ)が4/5/3ナンバーに対応していたのでより本格度、快適度ではマツダも三菱も力を入れたのですが日本の税制に両社とも負けたっ感じですかね。

このような事から元々台数の出ないプロシード、90年代後半にはピックアップ人気の急落もありより出ない→かなりレア度の高いクルマには間違いない、ワタシも仕事柄多くの商用&Vも扱いましたがプロシードはキャブプラスを2台位?マービーを1台扱った程度でした。

そんな゛珍”の現車、走行何と3万㎞台、総合3.5というかなりの評価、このテのクルマは互い距離飛んでるし扱いも粗いのが常、好きな方には見逃せませんナ~


内装も丁寧に使われおりC評価、シートやインパネ、内張、問題ナシ!


インパネは当時のマツダらしいですね、FCのRX-7やエチュードとかwを思い出しますwww

一応?座席とされるRrシートには新車時のビニールも残ってます!


機関的にはE/gのOIL漏れ程度?この代のプロシードにはマービーのみ96年からWL-T型ターボDe 2.5Lが載りますが現車はキャブプラスなのでデビュー時からの2.6Lガソリンエンジン、このエンジンはG6-E型2.6L 120psですが何とベースはかつてデボネアやスタリオンに積まれた三菱G54B型っヤツ!三菱からこれの供給を受けマツダがヘッドを3バルブ化(SOHC)、自社にてインジェクション装備としたもので一度これ転がしましたが音質はG54Bそのもの、大排気量なのでガソリンの割にトルクフルでしたがやはりパワーはこのクソ重たいプロシードには不足気味でしたねぇ…

ボディは主にPP部の経年劣化が目立ちますがボディは大傷や凹もない様子で充分このまま乗れる感じ、荷台内側の荒れは酷いのでこれが評価を下げ外装Dとなっている感じ、これがなければCのレベルでしょう。




出品は西、落札はかなりの高額で3桁の半分は超えてきておりDeではないながらMTなので恐らく需要が高い中近東向けの仕向になるのでしょう、ガソリンはともかくDeでもトヨタ、日産、三菱、いすゞに較べ海外でも評価、人気の低いマツダですが最近は遜色ない落札額になってきたように感じます(^^)/
Posted at 2019/04/02 19:28:50 | コメント(2) | トラックバック(0) | マツダ | クルマ
2018年07月17日 イイね!

珍車PART776

珍車PART776
スポ車ファンには待ち遠しい?ロータリー(RE)の復活、そのシンボルであるRX-7(8?9?)の復活が言われて久しいですがそろそろ登場して欲しいと素直に思います、えぇ。

しかしマツダも好調SUVばかりに夢中?災害に遭った広島を元気付ける意味でも他にはないインパクトあるREエンジン搭載車でアッと言わせて欲しいモンですナ!

という訳で今回はそのシンボル、初代RX-7見っけてきましたゼ(^_^)v

⇒『昭和53年(1978)初代SA22C型サバンナRX-7 GT』!!

コスモに次いでマツダスポーツを印象付けた“サバンナ”としては2代目となる初代RX-7、後続FC3Sまでサバンナを名乗りましたがその後アンフィニRX-7→マツダRX-7及びRX-8となったのはご承知の通りですね。

このSA22C(1978~1985)は色んな意味でもエポック、先代の初代サバンナ=所謂RX-3が有名なS102/124型 がボディをファミリィモデルのグランドファミリアと共用した言うなればフツーの出で立ち、イメージモデルのクーペはスポーティな出で立ちながらセダン、ワゴンボディも持ち見た目でそれ程インパクト大という訳ではなく特に後半は極悪燃費で酷評されたREと派手な出で立ちが一部を除き敬遠されていました。
しかしメーカーはそんなサバンナを見つめ直しOILショックや排ガス規制でスポーツモデルに暗雲垂れ込める中、トヨタ2000GT以来のリトラクタブルライト、REならではの類を見ないワイド&ローのいかにもスポーツカーらしいスタイリング、小さなREエンジンを活かすFrミッドシップを採用しプアマンズポルシェと大きな話題を振りまき暗雲すらも吹き飛ばす勢いでデビュー、そのセンセーショナルさはスポ車好きには注目せずにはいられない、嫌でも情報に喰いつく、そんな凄まじさがありましたっけ…

SA、先代サバンナの獰猛さは影を潜め正にその出で立ちはスマートで気品漂う中でもしっかりと迫力も感じさせるスーパーカーそのもの!この時代一人“スポーツカー”を通していたフェアレディZの存在感すら薄めコスモスポーツ以来久々のRE=スポーツカーの提唱でOILショック以降、パワーはあるも燃費が悪すぎる と低評価だったREの存在価値を一気に高めるのに成功したモデルでもありSA22の成功がなければ後続FCやFDの存在はあり得なかったと思います。

初代サバンナはレース常勝のスカイラインGT-Rを栄光の座から引きづり降ろしたのも有名!


さて現車です、SA22のデビュー年であるS53年型のド初期、グレードはTOPグレードであったLTDの純正アルミやエンブレム装着ながら内装のデザインからLTDに次ぐGTと断定します。

総合3、内外E,D、実走9万㎞と程度上の初期SA22C!


ワタシもRE車はルーチェREで初体験以来、RE好きの友人に借りてRX-3やSA22Cもよく味わいました。
特にRX-3はその派手な出で立ち、獰猛なマスクからワイルド感満載でその個性が今では神話的人気となっていますが実際の走りはスムーズなREエンジンと相まって肩透かし喰らう程スマート、当時ですとセリカやカリーナのGT、ギャラン系ツインキャブ等の方がよほどワイルドでしたがRX-7になり走りと見た目がようやく合致したかな?という印象でした。

SAは見た通りでキャビンは狭小、そのタイト感がますますスポーツカーの雰囲気を高めますが個人的にはどこかインパネや内装デザインが安っぽい?オモチャっぽくて好みではなかったかも…

E評価ですが40年レベルの劣化は見られない室内、当時GT/LTDはカラフルな内装でスポーツカーとしての雰囲気はスポイルされていたような印象(私感)





特に上級LTDやGTはその傾向が強く低グレードのビニールレザーの黒シート&黒内装の方がスポーツ心は満たされたかもしれませんが一般受けはやはり上級グレードに集中、特に2+2のミニマムRrシートながら合法で4人乗れるスポーツカーという部分はRX-7人気に拍車かけましたよね、同じく2+2のフェアレディZ2by2(S130)よりは格段にスタイリッシュだったし…。

現車、OIL漏れや下回りの錆びは結構来ている様子ですが致命的レベルではなさそうで軽い修復でまだまだ乗れそうな感じ?RE12A型エンジンはOHが必要でしょうがあのモーターのようなスムーズさ、気づかないうちにとんでもない速度に達するRE特有の味、まだまだ味わえそうですネ!

多少の色褪せはあるもド初期カタログイメージカラーだったグリーンのボディは40年経過とは思えない美しさも保っています!


衝突安全規制、米国のリトラ規制等で今ではこの低く鋭いマスクは実現不可ですがRX-7と言えばこの印象ですよね~


出品は西日本、落札額はもう少しで3桁って感じでこれもプライスカードは物凄い金額になる事でしょう。
出る出る言ってなかなか現れないRE、そして往時の評判、人気から現代では高額化しているRX-7シリーズ(SA~FD)、さすがにSAはもうそそれ程残っておらずREの希少性とクルマそのものの希少性が相まって今後は天文学的金額になrかもしれません、これも底値、不人気時代(85年以降)を知る世代ではもう驚くしかないっすわ(^^;)
Posted at 2018/07/17 18:06:34 | コメント(1) | トラックバック(0) | マツダ | クルマ
2018年06月30日 イイね!

珍車PART773

珍車PART773珍773弾!

コイツを見ると80年代の日テレ火曜9時アクションドラマが頭よぎるんですよねー、76年頃から始まったこのシリーズ、当初は「大都会」や「大追跡」に代表されるように日産車が劇用車として登場してましたが79~80年のあの名作「探偵物語」からマツダ車に切り替わり以後「大激闘マッドポリス80」「プロハンター」等、マツダ協力となりドラマの中で使われていた白黒パトがコレでした。

⇒『昭和54年(1979)3代目LA4MS型ルーチェセダン2000カスタム』!!

所謂“レガート”型ルーチェ、正確にはデビュー当初のみ『ルーチェ・レガート』を名乗った3代目前期モデルの縦目のルーチェ(この辺の事情は過去ログの“保存版・燃えろ!20世紀のガチンコライバル列伝!!!…ローレルvsルーチェ”にて記載済) 、まだ残存しておりました(^_^)v

ドラマでは白黒パトで見慣れたセダンですがワタシの生息地区ではこれのパトなんて皆無、セダンはクラウンやセドリックの対抗馬でもあったのでTAXIに使われる例もありましたが首都圏ではマツダの勢力、まだまだ弱かったんでワタシの記憶する限り、都内本拠のイー〇タン観光のみが使ってたんじゃないかな!?あっ、個タクでは結構多かった、マツダは当時でも安いというのところから個人タクで導入された例はクラウン/セドにも肩並べてたかも!?!?
白にブルー帯の個人タクシーのルーチェセダン、後のタクシー専用カスタムキャブ含めて最終HC型ルーチェまで比較的イメージあるかも…

最後はセダンの場合、個人タクシー専用車みたいなイメージが当地区ではありますナ


一般普及はハイオーナーらしさ満点の4HTが新たにラインナップされましたがコレ、74年にデビューしていた当時現行のS90(~110)型クラウンピラードHT(4HT)のまんまパクリ的スタイルで印象悪し、トヨタの猿真似は当時、マツダ派にも評判芳しくなかったですがマツダはその知名度、浸透を関東以東で高めようと必死の時期、トヨタは日産のローン審査に通りにくい業種の社長・重役にロクに審査もせずに売り焦げ付きも多かったなんて不名誉な逸話も聞いています。

一般オーナー向け4HT


さて現車、40年近く前の個体ですが立派な現役の様子で大いにその歳月を伺わせる状態ではありますが機関等に問題はない感じ?逆に未再生である事が驚きでR店ながら内装E、外装Cの評価は年式からしたら大したモノ!


距離は5桁の為不明扱いですが状況的には119000kmかな…?と推測。

この頃のルーチェはまだまだRE(ロータリー)推し、先代がコロナブルクラスだったところ一気にボディサイズを拡大し最上級リミデットはクラウンロイヤルサルーンやセドリックブロアムにも対抗できるフル装備、エンジンはTOPのみ13B型REを、普及版に12A、そしてレシプロは2000と1800を用意、マツダとしてはREを全面に出しコスモセダン的に?売り込んでいましたがコスモは性格的にREが多いもルーチェはやはりレシプロの普及率が高かったと思います。

出品車はそのレシプロ2000のMA型110ps搭載の中間グレードのカスタム、この上にスーパーカスタム(レシプロの最高グレード)、下に廉価版カスタムスペシャルにて展開、スーパーカスタムの2000は当時ツるんでいたツレの親が乗っていてよく遊びでそのツレが乗ってきていましたが貧乏学生の時代でしたんでリミデットでなくてもその豪華な室内意匠にはウットリしたもんです、ハイ。

マツダは当時でもトヨタに次ぐ高級度合いのセンスは高く日産はギンギラ、三菱以下は大衆車と大差ないイメージの中でコスモ、ルーチェに関しては非常に目を奪うモノでした。



現車も当時の面影を充分伝える綺麗さを維持、当時はなかなか白いシート、内張っていうのが少なかったので余計眩しく見えたモノです!

E評価とは思えない状態、匂いや画像にない割れ等があるのかもしれませんが画像の限りC評価でも充分イケる感じ!


REの影に隠れた当時のマツダレシプロは意外に出来が良く排ガス規制で各社青色吐息の中、当時としてはこのデカいボディをスペック以上に走らせ敢えてREはいらないってって感じ、勿論REならばパワフルこの上なかったですが4発でガサツながらそこそこパワーもあり少なくともTTCのトヨタ(18R-U)やNAPSの日産(Z20)、MCAの三菱(G52B)等ライバル他社の2L 4発よりは元気あった印象が残っています、縦置きFR時代ですのでシフトフィールも比較的好み、三菱、トヨタに次ぐ気持ち良くカチッと決まるあの感覚、未だにこの手に残ってますナぁ、懐かしい。。。

クリア剥げ、色褪せ、サビは多い感じながら未再生が自然な感じの個体、外装はまだ充分このままで乗れそう!


3代目ルーチェは何と言ってもこの個性的な縦角目4灯の顔に尽きますネ!


当時は取っ付きにくくて不評、77~79年の前期のみで79年のMCで大人しくこの価格帯の車らしくベンツ的マスクにリファイン、“広島ベンツ”と揶揄され始めたのもこの後期型からでした。

“元祖広島ベンツ”のLAルーチェ後期型!


個人的にも前期顔は苦手で気品ある後期派ですが個性では断然前期が上、今のクルマと違い対向車で遠くから来ても一発でルーチェと判断できましたしねw

出品地はその産まれ故郷、さすが広島!少ない中でもオーナードライバーはほぼ4HT版を選ぶ中、オーナー仕様のセダンなんてこの地にしか残っていないのではないでしょうか?

今や希少車ですから20~30年前なら即座に解体されていたルーチェ、落札額は往時を知っていればまぁまぁ驚愕で店売り3桁には及ばないかもしれませんがそれに近いレベルでないとペイできない程高額落札でしたがマツダマニアの手に無事渡って欲しいものです、どこぞの旧車カブレによる被害車にはマイナー車なのでならないとは思いますがネwww
Posted at 2018/06/30 20:47:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | マツダ | クルマ
2018年04月04日 イイね!

珍車PART762

珍車PART762暇潰しに業者オークション見ていたら…

おぉ、まだ出ていました!コイツもバブルの申し子でデビュー、当時は大きく注目されましたが出た時期は既に企画時のバブル全盛ではなくもう末期でしたし出た途端、音をたてるかのの如くバブル崩壊、かつてのトヨタソアラや日産レパードのようなメジャーな高級パーソナルの位置には立てずマツダが予算も気合も全力に注ぎこみ開発→発売した割には鳴かず飛ばずの悲運のモデルでした(+o+)

『平成8年(1996)JC3S型ユーノスコスモ TYPE-E CCS』!!

出ましたユーノスコスモ!ユーノスなんてもう死語ですわな(笑)

お若いナウなヤングのために余計な事書けばユーノスとはよく語られるバブル期のマツダ無謀多チャンネル時代の販売店名の一つ、マツダ/マツダアンフィニ店・オートラマ店・オートザム店・ユーノス店とありマツダ車のバッジチェンジやユーノス店には専用モデルを配置、ユーノス系はスポーティモデルが多くその代表がロードスター、ユーノスコスモはユーノス店兼マツダのフラッグシップモデルであり80年代初頭にソアラやレパードが行ったように高額高級パーソナルクーペを訴求、当時のマツダが持てる技術をふんだんに取り入れ贅を尽くしたモデルでした。

↓バブル末期の1990年にデビューしたユーノスコスモ


世界及び国産は当然、マツダでも初めてとなる量産車初の3ローターターボ搭載!!というマツダファンのみならずカーマニアには大きな話題を持ってデビューしたユーノスコスモ、コスモとしては初代コスモスポーツ、2代目コスモAP、3代目コスモに次ぐ4代目になる訳ですがこのクルマ、代ごとに内容も性格も大きく変えており名前に伝統のコスモを受け継ぐも中身は殆ど関連性のないモデル変更という感じ、共通しているのはREエンジン搭載という部分であり初代スポーツとユーノスはレシプロモデルを持たないRE専用車でした!

スポーツの10A型(491cc×2)を皮切りに12A,13Bとマツダのプライドとも云える最上のREエンジンを搭載してきたコスモ、ユーノスではそれまでの常識(2ローター)を打ち破る654cc×3、つまりは3ローターにて当時の自主規制枠280psを誇る20B型REエンジンはマツダエンジニアの夢であるV12並みのフィーリングを達成したと言われる夢のエンジンでありこれも過去に経験しましたが今のEVの如く音もなく驚く速度域に達するサマは当時としては驚愕、元々REは10A~13Bに至るまでそうした特性のエンジンながら低速トルクがスカなのが玉にキズ、その点20Bはその部分も補い常用速度域、回転域でも扱いやすくフラットな特性が歴代REとは異なりその気になればツインターボだろうがV8だろうが負けないロケット加速も味わえる当時としてはREの頂点だったと言って遜色ないでしょう、相変わらずそんな走りをすれば燃料計、目に見えて急激に下がるのはお約束でしたが(笑)

↓20B搭載のTYPE-S 4本左右出しマフラーの後ろ姿はタダ物でない事を主張!


そんなユーノスコスモ、マツダの気合とは裏腹に世はバブル崩壊の所謂“失われた20年”に突入、好景気の時代にあれほど街を賑わせたBigセダンや高級クーペの人気は崩壊、ユーザーの志向変化もあり人気は速い、豪華以外取り柄のない?ユーノスコスモのようなモデルは敬遠されRVやミニバン、軽トールワゴンに人気は移りユーノスコスモの落日は相当早く訪れデビュー当時、20Bが少し話題になった程度で人気・販売は失敗と言わざるを得なかったでしょう。
同じユーノスブランドでもオープン、テンロク軽量安価スポーツであるロードスターとは対照的な運命となってしまいました、時代が良ければ、バブルがもう2~3年続けば今ではこのクルマも立派に名車扱いになったでしょうが間が悪いとしかいいようがない、弱小メーカーが好景気にあやかり開発したはいいが発売した頃には嘘のように時代が変わりフラッグシップもクソもなくなった、全く同じ状況はスバルのアルシオーネSVXにも言えますがトヨタや日産のように資本力があるところですと“これがダメならハイ次ぃー”とRVだろうがミニバンだろうが用意できてもマツダやスバルはそうはいかない、悲運ながら出遅れたユーノスコスモやSVXはほぼ駄作扱いされ現在の旧車市場でも評価は低くプレミア価格に程遠い解体価格に近い?金額でもなかなか引き取り手がない状況ですんでね、まぁこれらのマニアにはそんな事はお構いなしでしょうがコストを膨大にかけメーカーの気合と情熱の注ぎ込みに全く報われないこの2モデルを思うと悲壮感しかないのはワタシだけでしょうか…!?

この辺でいい加減に現車を(^^;)

ユーノスコスモのモデルライフは売れん割に意外に長く90~96年の6年、現車はその最終モデルとなる96年型、エンジンは残念ながら?普及型である13B搭載の型式から判断してTYPE-E CCSグレードと推察。

↓R点、外装Dと評価はイマイチながら実走2万㎞台というのはREマニアには見過ごせない!?


出品票によればワンオーナーのようですが20年少し、少走行の割にあまり程度は良くないかな?この時代のマツダにありがちなP/W不良もあるし外装Dはこの年式位ですと青天井保管でWAX掛けもそう熱心にやっていないレベル、内装はCですので年式並み、まぁ外観はいくらでも再生修正可能ですからネ、エンジンや内装がワンオナレベルを維持しているんでマツダマニア、コスモマニアにはお薦め個体だと思います。

↓内装はそこそこ綺麗な様子で往時の高級パーソナルを充分堪能できそうです!


13Bはともかく20B搭載のユーノスコスモ、相変わらずオークション会場では現車コーナーとか不動コーナーに草ヒロのように置かれている姿の印象が強いですが歴史的価値はあるモデルだと思いますしいずれはプレミアもついたりするか否か!プレミアなるんじゃね?と思いながら10余年、一向にその気配はないですが絶滅させるには惜しいクルマですよね~。

↓色褪せがところどこ見受けられるもALLペンで見違える美しさを取り戻すでしょう!



出品地は西、落札価格はそれでも一時期の解体値よりは確実に上がり二桁到達ですw
この距離ですし20Bよりは燃費もマシ、程度もそこそこなのでボーナス価値かもしれんですが貿易になる術もなく金額的に部品取りとも考えにくい、祝現役続行の様子に一安心って感じですナ(^^)/
Posted at 2018/04/04 20:14:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | マツダ | クルマ
2018年01月29日 イイね!

珍車PART749

珍車PART749
今回の珍車はコレももう生息は皆無かと思いきやどっこい大作…じゃなくw どっこい生きてました!

新車時でも珍しい部類、性格上遊びクルマでの需要しかほぼなかったと思いますしね、それでも神奈川・湘南地方にはバブリーカップルや気取ったオッサンがよくドライブしている姿も見かけたなぁw

『昭和63年(1988)6代目BFMS型ファミリアカブリオレ』!!

BFファミリア、何せ先代のBDファミリアが”赤いファミリア”現象まで巻き起こした大人気車、これの後継でしたのでなかなか厳しい立場、大人気車のFMC程難しいモノはなく代々ずっ~と人気車で売れまくるってのは固定ユーザーが圧倒的に多いトヨタのクルマ位なモノ、マツダや三菱、ホンダ等第三勢力ではそれの継続ってのはなかなできるモノじゃなかったんですナ~。

BF型はそんな人気モデルの後だけありメーカーもかなりの気合の入れようでまず4代目をキャリーオーバーしていたバンもFMCし乗用系と同一シャーシとし当然従来のFRからFF化、そしてDeエンジンや1.6L DOHCターボ、国産本初のフルタイム4WD、可変吸気システムを採用したスポルト16、国産初のビスカスLSD(リミテッド・スリップ・デフ)を採用するラリーベースモデル(GT-A)等それまでのファミリアにない革新的なモデルのてんこ盛りでしたしね、BD無き後のBF、かなり頑張っていましたっけ!!
まぁ、結果は決して芳しくなくBD人気の何十分の1?って感じで努力した割には人気、イマイチでしたが…(但しこれはワタシの生息地=関東圏での話、当時まだまだ西日本に較べマツダの普及率は低かったですのでね、BDファミリアとSA22のRX-7は例外でした)

↓BDの後を受け先代より格段の中身を充実させたBFファミリアでしたが…


現車はその気合の中で最もマツダが訴求したかった?歴代ファミリア唯一のオープンモデルであるカブリオレ、いかにもバブリ時代のチャラさが際立ちますが今となってはあのヒトもクルマも裕福な時代を語る証人のように感じます。

↓R点、内装C外装Dという評価は年式勘案すれば上の部類!


BF型のモデルライフは85~89年(但しバン/ワゴンは除く)、カブリオレの追加は86年とやや遅れてラインナップしましたがこの時は結構大きな話題、安全上の問題からオープンモデルが極端に少ない時代で84年のシティカブリオレに次ぐコンパクトオープン、注目度は高った!

BFカブリオレも何回か乗りましたがボディ補強の分か?クローズドボディのモデルと較べ重々しい印象はありましたが何より当時は滅多やたらにないフルオープンでしたので爽快感は格別、実用性は低くとてもマイカーにしたいとは思えませんでしたがレンタカーで遊び時に満喫したい!そんな思いを起こさせてくれる魅力はありましたねー。

↓C評価の内装、ハンドルのスレ始めマツダ特有のプラの色褪せはあるでしょうがオープンモデルでここまで綺麗な状態を保つのは至難!


BFはBDと比較して中身だけでなく車体も一回り大きくなり内装なども時代を反映して質感も上昇、同時期のカローラやサニー、ランサー等と較べてもやや高級なイメージ、走りも大きくなった分、パワーユニットも充実していたので不満はなくスポーティさではBDとは比較にならない出来栄え、これはカブリオレでも同様な印象ですが逆に従来にあった軽快さは影を潜めましたしファミリーモデルでやや足が柔らか過ぎ?の感覚以外は決して悪印象のあるクルマではなかったです、ただ、見かけが地味だったんでしょうね、期待ほど売れませんでしたネ…。

↓旧いオープンに付き物の幌やスクリーンも画像の限り痛みは少ない感じで屋根付きにて大事に保管されていた様子?


しかし改めてこの頃を振り返るといい時代でした、このファミリアやシティのような大衆車でリーズナブルにオープンが設定されたり走りのターボやDOHC等も他ライバル含めて選り取り見取りでしたしね、若い世代でも遊べるクルマ、走れるクルマをメーカーがこれほど提唱していた時代もないでしょう、今ならこのクラスは安手のHVとか燃費一辺倒、つくづく今の若い世代が気の毒に感じますしそんな状況だから何も高い維持費払ってクルマ持とうとか思わなくなるのも理解できたりします(*_*)

↓今こんなモデルが出たらオシャレですよねー、軽(S660やコペン…にしても高額過ぎですが)のようにコンパクトにも夢を持ちたいモノです、まぁ、売れんでしょうが(汗)


出品は中京地区、落札額は思った程高額ではなかったながらこれも整備され店に並ぶ時はそこそこイイお値段になりそうです、BFファミリアとしては一番現在価値が認められている、そんな落札であった事は間違いナイです(^^)/
Posted at 2018/01/29 22:52:27 | コメント(1) | トラックバック(0) | マツダ | クルマ

プロフィール

「旧車とキャラクター…VOL.54 http://cvw.jp/b/2682511/48749855/
何シテル?   11/05 18:12
元GureのHNで活動、かつて二拠点生活していた時代や現在の本拠でののクルマ弄り記、また自己満全開の独自の企画モノをUP、企画モノでは記憶に薄い部分等はwiki...

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