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2019年06月21日 イイね!

19××〜あの頃?1960年代(後編)

 19××〜あの頃?1960年代(後編) ※この記事は2016/7に上げたモノの改訂版です。

1960年代、日本にとっては激動の年代、交通インフラの急激な発展、東京オリンピック(1964)開催など日本はイケイケどんどんの時代でしたのでモータリゼーションも活性化、各メーカーがまだ拙い技術ながら他車を追い越せ!欧州車に追いつけ!と自動車ファンとして端で見ていてもワクワクとトキメキを持たずにいられませんでした。


そんな時代の各社モデルの振り返り、後編はホンダ〜ダイハツまでを取り上げてみたいと思います。

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(ホンダ)
今や業界2位とも言われるホンダですが4輪市場に参入という意味では最も後発メーカーです。

1946年(昭和21年)、敗戦直後の静岡・浜松で産声を上げたホンダ(本田技研工業)はまず発電機を改造した2stエンジンを自転車に搭載して発売、これが後の“カブ号”と言われた補助エンジン付き自転車→原動機付自転車として大ヒット、この経緯から二輪車に進出し40〜50年代では国際2輪レースでも実績を残し2輪界では世界を含め大手と言われるようになりました。

この経験から卓越したレーシングエンジンの技術を引っ提げて4輪進出を果たしたのが1963年(昭和38年)、当初はその“レーシングエンジン”に相応しいスポーツカーでの参入を目論見ながらも諸般の事情からそれは敵わず「T360」と言う軽トラックにてデビュー、まだまだ当時、業務、作業性に優れる商用車がメインの時代でしたので一部マニアにしか認められないスポーツカーでの参戦を諦め一定の需要が見込める軽トラを第一号とし、かつ360cc軽自動車のスポーツカー認可が降りなかったという側面もありました。

↓4輪初参入は軽トラのT360


第一号のT360、見かけは立派な軽トラながら心臓は当初デビュー1号を目論むS360用に開発した360ccDOHC30psというハイパワーエンジンをそのまま搭載、奇しくもレーシングエンジンとして開発されたDOHCは日本での初お目見えは何と軽トラ!だった訳です。

熟成した2輪技術から造られた360cc2気筒30psDOHC搭載というスーパートラックはエンジン特性と使用用途の乖離から商業的には評価されないながらもDOHCエンジンを語る上で非常に重要、歴史的にも外せない名車?迷車?として語り継がれていますね。

何はともあれT360で4輪デビューを果たしたホンダはT360の失敗も肥やしにして次々にユーザーニーズに合致したモデルをリリース、軽スポーツは敵わぬ夢となりながらもS360の精神を受け継ぐS500(63y)、これのバージョンアップのS600(64y)やS800(65y)発売し2輪イメージからの流れでスポーツ好きマニアに高い支持を受けました。

↓Sシリーズの頂点であるS800!


しかしホンダの秀逸な点は得意のスポーツモデルだけには終わらず一般大衆に訴求しまだ本命は商用車が務めるこの時代ですので積極的に商用モデルもリリース、L700/800、P700/800(バントラックモデル 65y)で足場を固めた上で今ではホンダNo1の名車と言われるN360を67yに発売、これまでスバル360、ミニカ、キャロルで安定していた軽自動車市場に革命を起こしたと言われるN360は非力、我慢車と言われたこのカテゴリーでは正に異端児、30psを超えるハイパワー、利点は大きいながらも技術の稚拙さでなかなか量産化されなかったFF機構を武器に軽自動車の常識を超えたN360は爆発的なヒットを飛ばしホンダの今日を築く立役者になりました。

↓軽自動車の革命児N360は大ヒット!


N360には商用版のLN360(バン)、よりパワーのある輸出モデル→国内版となる普通車登録N600Eというバリェーションも話題、発売後はツインキャブのスポーツ仕様やサンルーフ仕様などワイドバリェーションを展開、何よりもこれだけ話題のN360は非常に廉価で庶民の心を捉えたのが大きかったです。

N360の成功で一気に4輪界のスーパースター化したホンダ、高い技術力と名将(社長)本田宗一郎氏の創意工夫が花開いた、そんな60年代でした!

※他のホンダ60年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・TN360(67y)・ホンダ1300 77/99(69y)


(富士重工)
スバル=富士重工の自動車ブランドとして名乗りを上げたのが1954年のスバルP-1(試作)これに続いて発売されたのが国民車スバル360(58y)でした。

元々富士重は旧中島飛行機という会社で戦中には戦闘機をメインとするメーカー、戦後の財閥解体により富士産業に改名、上述のP-1や360の自動車部門に平和産業の転換を掛け側面ではスクーター(ラビット)、民生用飛行機、バスボディや塵芥車他の幅広い事業で地盤を固めました。

元飛行機屋の意地と技術力、そして創意工夫により国民車構想に呼応するカタチで発売されたスバル360はまだ国産車が未成熟な50年代に驚くべき水準で人気を獲得、50年代ではまだまだ庶民には高嶺の花だった“クルマ”というモノを維持費/購入が廉価である軽自動車というカテゴリーに合わせたのも成功の秘訣、飛行機技術からなる軽量モノコックボディの採用、空冷2stので軽くパワーのあるエンジン、小さいながらも大人4人を収め実用に耐える頑強さが後のスバル発展の基礎を築きました。
この好評さから高速時代に対応するかのように市販初の普通車参入版であるスバル450もリリース(65y)されましたがこれは中途半端な排気量である事から支持は得られませんでした。

↓360の思想で普通車市場参入のスバル450!


好評スバル360は50年代でに一気に販売を増やし足元を固めますが60年代になるとスバルに続け!とばかりに三菱からミニカ、マツダキャロル等のライバルも増加し苦戦を強いられるようになり、67yのホンダN360により設計の古いスバル360の役目は終わりに向かいましたがその後1970年まで現役を続け軽ベストセラーとして君臨、後年〜現在でっはスバル、いや、国産傑作車として名車の一つに数えられているのはご承知の通り!

スバル360の成功を元にし66yには独自の技術とアイディアを固めたスバル1000で1Lカーブームに沸く大衆車市場に参入、まだ他社が技術力、生産性で問題を抱えかつ日本車がアメリカコピーで発展してきた経緯もありFRが当然の時代に異端児であるFF機構を採用したスバル1000、限定的にその技術力やスバルの思想に感銘を受けた所謂”スバリスト”と言われる熱心なスバルファンに支持を獲得、以後発展モデルであるff-1、1300G→レオーネと1000を基本としたモデルしか乗らない!という頑固なファン層を築きました。

↓後年のレガシィ、インプレッサ人気の元にはこのスバル1000にアリ!


50年代で庶民の味方となったスバル、60年代は頑なな思想とクルマ造りからやや専門的、拘りのある層に傾倒気味ではありましたが少数でもそう簡単には離れない頑ななファンを掴み確実な基礎を築いた年代だったと言えるでしょう。

※他のスバル60年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・サンバー(61y)


(日野自動車)
現在はトヨタの傘下に収まり中・大型車専門のトラックメーカーとしてシュア1位(トラック部門)を堅持するメーカー、歴史は古く母体は明治・大正期にまで遡ります。

戦前〜戦中〜戦後と激動の時代に合併→分離から日野自動車となりその時期に成熟させたディーゼルエンジンを基礎にした大型トラック・トレーラーの大手メーカーとなりました。

あくまで大型車メーカーとして発展してきました日野ですが民生産業の代表であった乗用車部門にも1953年(昭和28年)には参入、仏・ルノー公団からルノー4CVをノックダウン生産を開始し乗用車を学んだ末、61年にはこれを下敷きとした自社開発したコンテッサ900を発売、ルノー同様のRR等基本は継承、頑強な造りと信頼性でまだまだ国道ならぬ酷道が殆どだった時代に主にタクシーなどでは重宝されました。

コンテッサは62年にコンテッサ900スプリントというショーモデルが発表され絶賛、ジョバンニ・ミケロッティの手による美しいデザインは世界的評価を受け一気に日野が周知される事となりこれの市販型が64年のフルチェンジで新型となったコンテッサ1300、スプリント同様にミケロッテティの美しいデザインは4セダンとクーペをラインナップ、400cc拡大された新開発GR100型OHVエンジンは高速型特性で空力がいいクーペはモータースポーツでも用いられました!

↓ミケロッティデザインの2代目コンテッテサはその美しいスタイルで一定以上の人気!


日野はコンテッサ以外で当時乗用車よりも需要が見込める商用小型車にも参入、60年にコンマース(キャブオーバーバン、バス他)、61年にはブリスカ(ボントラ)をリリース、共にルノー4CVやコンテッサのパワーソースを流用しながらコンテッサではRR方式としたのをFR(ブリスカ)、コンスーマでは日本初のアンダーフロア+FFを採用し先進性に注目を集めています。

↓時代的に需要の高いボントラ市場にも参入したブリスカ!


50〜60年代初頭には上記のように庶民性が高くかつ先進的な小型車を開発していた日野ですが66年にトヨタ傘下入り後は元来のトラックメーカーに立ち返りコンテッサは67年、コンスーマは生産性と非力に苦しみ傘下入り以前の62年、ブリスカはそのままトヨタブリスカと移行しますが68年にトヨタ製ハイラックスに後を譲り生廃、全ての小型車から手を引く事となり(一部4ナンバー小型トラックを除く)以後、トラックメーカーとして歩み今日に至っています!


(スズキ)
スズキは元々はトヨタ同様に自動織機のメーカーとして発足、自動車界への参入は1952年の2輪からであり4輪に関しては55年の軽自動車スズライトが初、その後2輪と軽で着実に成長し60年代を迎えています。

60年代に入り50年代に発売したスズライト(SS:セダンSL/SD:バンSP:トラック)を基本にSSをスズライトフロンテ(62y)→フロンテ360(67y)、SL/SDをスズライトTL、SPをスズライトキャリィ→キャリィ(58〜67y)にそれぞれ発展させ軽自動車随一の広い車型を備える軽自動車専業メーカーとしての地位を確立しました。

67年に発売されたフロンテ360は従来のスズライトの思想を一転、それまでFF方式に拘り生産性が悪くコストも掛かるという短所を解消しRR方式にしたところで廉価と大量生産を実現、既にスバル36やキャロル、ミニカという古参が陣取りしかも同時期に発売されたホンダN360との競合もありましたが軽乗用初の2st3気筒エンジンの搭載は大きく話題となりました。
理論上4st6気筒のバランスとスムーズさを持つこの3気筒エンジンはホンダ同様、2輪のレーシングエンジンから学ぶ2st3気筒、この後スズキの売りとなり各車に搭載されてゆく事になります。

↓RR方式、軽初の2st3気筒エンジンで注目を集めたフロンテ360!


軽自動車メーカーとしての地盤を固める一方で1Lマイカーブームの前夜祭である800cc市場に65年、フロンテ800にて参戦、ライバルには見れない先進のスズライト時代に学んだFF方式で訴求しますが既にトヨタパブリカ、ダイハツコンパーノベルリーナ、マツダファミリアによる盤石な体制が築かれていた事に加え66年からはこれの発展→より激戦区となる1Lカーが続々発売され企業力が低いフロンテ800は埋没、69年には大失敗を認め製廃、以後これに懲り暫くスズキは軽専業メーカーに立ち返りますがその意地を示し1973〜2006年、34年間軽自動車シュアNo1という偉業も成し遂げています!

↓65年には早くも小型車市場に参戦したフロンテ800!


自動車界参入がホンダに次いで遅いスズキでしたが60年代の攻勢は今に続く軽No1の自信と手応えを得た年代、軽自動車という限られた枠内でいかにコストを掛けずに可能な限りの最良なクルマ造りを学んだ年代だったと言えます!


(ダイハツ)
このメーカーも歴史は古く量産メーカーとしては最古の部類、明治時代にガス内燃機関を手がけたところからスタート、自動車参入はこれまた古く1930年(昭和5年)、戦後まで庶民の足として親しまれた3輪トラックが最初、60年代までこの分野では第一人者としてライバルのマツダと争いました。

51年のビー以外は時代もあり基本商用車主体でリリース、空前のヒット作である3輪のミゼットを4輪化したハイゼット(60y)を皮切りに続々と4輪モデルの発売を開始、50年代後半〜60年代になり4輪化の波が押し寄せると共に徐々に4輪にシフト、ハイゼットを皮切りにニューライン/同キャブ(63y)、58年デビューの4輪トラックのベスタから変わるV100/V200(64y)等がありこの頃から意外に知られていませんがディーゼルエンジンにも注力、国鉄のディーデゼル機関車への納入実績などの側面もあり同社のトラックなどにも他車に先駆けて搭載されていました。

本格的商用車に参入したのは1963年(昭和38年)のコンパーノベルリーナ、当初は確実な需要が見込めるバンモデル(コンパーノ)でデビュー、好評から乗用化してビー以来の久々の乗用参入でした。

↓本格乗用参入のコンパーノベルリーナ!


伊・カロッツェリアが基本デザインを担当したコンパーノベルリーナはイタリアン調のモダンなスタイルが受け人気を獲得、国民車構想に応え既に700〜800cc級小型車ではトヨタパブリカや三菱500/コルト600が存在するもその洒落たスタイル、仕上げでコンパーノスパイダーは発売直後にはTOPの人気を獲得、ダイハツのメイン車種として発展、バン/セダンに加えオープンモデルのスパイダーやベルリーナのスポーツバージョンコンパーノ1000GT、そしてピックアップとワイドバリェーションを展開、1Lマイカーブームの前夜に広く庶民に愛されるクルマでした!

↓スポーツカーブームに先駆けて発売されたコンパーノスパイダー!


しかしダイハツは67年にトヨタ傘下入りとなり軽〜大型車のフルラインをグループ会社にて達成したいトヨタの意向に伴い商用/乗用とも自社開発としては小型車市場から撤退、ダイハツは軽専業、大型は日野と役割分担する事となり1970年のコンパーノベルリーナ4ドアセダンを最後に暫く小型からは退く事になります。

余った生産設備でトヨタ車の受託生産やダイハツブランドのトヨタ製車輌(コンソルテ-パブリカ、ライトエース/ダイナ-デルタ)等は行うも70年以降は完全軽自動車メーカーとなったダイハツはその後軽の開発に注力、オリジナル(自社製)は66年に発売済の軽乗用(バン、ピックアップの商用も設定)のフェローとハイゼットのラインアップとなっています。

↓後年ダイハツの主力となる軽乗用第一号であったフェロー!


フェローは軽乗用としては後発の部類、オーソドックスなFR機構と相変わらずのデザインセンスの良さから一定の支持は受けるもスバル、三菱、マツダ、スズキ、ホンダの牙城は崩せず苦戦、特に大阪のメーカーであった為西では好評ながら東日本での浸透が弱くこれの拡販に70年代は驀進する事になってゆきました。

明治から続く老舗も戦後急成長した大樹に飲み込まれ60年代後半からは自主性が弱まったダイハツですが日本車の創成期〜青春期には偉大で確実な足跡を残したと言えるでしょう、60年代半ば迄で普通車市場の火は事実上消えましたが確かな功績を遺した、そんな60年代だったと感じます!

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前編後編に渡りご紹介した60年代の国産10社、如何でしたか?

各社の各モデルには個人の主観で思い入れはそれぞれだと思いますが日本のモータリゼーションのスタート地点であるこの年代を文章から感じ取って頂けると幸いです!

長文読破、お疲れサマでした<(_ _)>


19××〜あの頃?1970年代(前編)に続く
※アップ時期未定(^^;
Posted at 2019/06/21 20:24:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧車 | クルマ
2019年06月20日 イイね!

19××〜あの頃?1960年代(前編)

19&#215;&#215;〜あの頃?1960年代(前編)※この記事は2016/6に上げたモノの改訂版です。

19××、以前深夜に懐かしい時代の音楽流していましたよね(関東だけか…?)それのクルマ版と言うか今や色んな意味で世界一となった日本車をその時代時代に於いてメーカーの隆盛、発展やいずれ訪れる飽和状態→衰退(一部メーカー)まで19××、20××として振り返ってみようかなぁと…

かく言うワタクシは60年代製、従って生を受ける以前の50年代以前はリアルには知らないので60年代〜現在の2010年代までの半世紀を主にメーカーさん主体で振り返ろうと思います。

60〜70年代は当然子供、従ってその頃の感想は子供目線の部分もありますが無類のカーキチ(死語)だった亡オヤジの残した知識、そして信頼する文献の力も借りますがなるべく当時、自分が肌で感じた思いを綴って行ければと思います。

いつの間にかに生き字引?な年代になってしまいましたがクルマ好きとしては幸いにも国産車の青春時代〜発展期、そして世界のTOPを取る過程をリアルに見てきました、例によって独断、偏見、私感がたっぷり入るとは思いますがなるべく事実をありのまま語りたいと思っておりますので若い諸君はしっかりと第三者の厳しい目で精査し勉強するように(爆)

それでは早速やりましょ(^^)v

定義としては一度でも乗用車を生産した国産メーカーが対象、従ってこれの経験がないUDトラックス(日産ディーゼル)は除きますし二輪オンリー(川崎重工、ヤマハ発動機)も同様。
また乗用メーカーであっても60年代以前、前後に倒産、吸収、消滅しているメーカー(プリンス、オオタ、NJ、オカムラ、愛知機械等)も対象外、ベースモデルが他社となる光岡も同様ですので宜しくお願いします!

※長文になるので前編/後編に分けています。

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1960年代、一口に言っても10年ある訳ですし特にこの年代は初頭はまだ戦後の雰囲気を払拭できず貧しい時代、逆に末期は高度成長の波に乗りイケイケどんどんという正に激動の時代でした。

現在と似た雰囲気?64年に東京オリンピック開催が決まりこれに合わせるように東海道新幹線や東名、名神高速や首都高速も次々に開通、インフラ整備と相まって日本のモータリゼーションは40〜50年代の創成期を終え発展成長期にありました…。

1$は360円の時代、まだまだ欧米諸国に追いつけ!という中、車、家電は日進月歩の発展を見せ高度成長による急激な時代の変化、しかもこれから発展するというワクワク感、希望を見いだせる年代でした。
所得もうなぎ登り!元々勤勉な日本人は敗戦というハンデをこの勤勉さで戦後20年にて復興を成し遂げGDPも急成長、極東の小さな島国“にっぽん”が世界から注目を集めはじめる、そんな年代でした。

(トヨタ)
1955年に現代にも続くクラウン発売以降波に乗るトヨタでしたがライバルの追撃も激しくまだまだ60年代は盤石というものではありませんでした。

しかし時の通産省が提唱した国民車構想に応じたパブリカ(61y)、これを発展させマイカーブームの大波を確実に捉えた初代KE10型カローラ(66y)、第一次スポーツカーブームをけん引し国際基準で由緒ある欧州スポーツカーにも渡り合えるトヨタ200GT(67y)の発売、これらの廉価版弟分で、スポーツ800(65y)、トヨタ1600GT(67y)の発売と後半になるにつれクラウン/カローラで稼ぐ抜きんでた資金力で相次いでユーザーニーズを的確に捉えるモデルをリリース、また販売店育成にも力を入れ顧客第一主義を徹底し60年代末期には多くのユーザーの心を捉え“販売の神様、販売のトヨタ”と言われる程支持を得ました。

↓後発ながらも1Lマイカーブームをけん引した初代KE10型カローラ!


↓日本初の国際級スポーツカー、2000GTもこの年代の発売!


↓特別高性能エンジンを持たずともベースを大衆車パブリカに置き安価で空力ボディにより低燃費、軽量=高性能を実現したスポーツ800!


トヨタの代名詞と言われていたクラウンも67年デビューの3代目からはオーナー訴求を開始、まだまだ国産フルサイズが公用、VIP用というイメージ中でいち早くオーナードライバーに訴求した事が後の裕福な時代を迎えた際、日本の高級車=クラウンと言う概念に自然になっていったのはこの時に築かれていたとも言えますね!

また、それまで外車頼りだったVIPカーにしてもクラウンエイト→センチュリーという設計から制作まで贅を尽くす最高級車もリリース、“日本車を代表するトヨタ”という立場を鮮明に示した時代でもありました。

↓60年代にはそれまで外車頼りだった高級車市場へもクラウン、センチュリーで本格訴求!


60年代に入り一気に車種編成を拡大、この時期のクルマ造りのノウハウが実を結び現在の盤石な地位を築く基礎となった年代と言えるでしょう。

※他のトヨタ60年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・コロナマークⅡ(67y)・ハイエース(67y)・ミニエース(67y)・マッシーダイナ(69y)・コースター(69y)

(日産)
戦前から人気車を積極的にリリースしてきた日産、50年代には既に東の横綱(西の横綱=トヨタ)と言われその頃はトヨタに対し小型の庶民訴求モデルが充実、市民には最も親しまれた国産車だったと思います。

そんな庶民性を60年代でも継承、恐らくこの年代で一番飛躍したのが日産自動車ではないかと感じます!

純血主義のトヨタとは違い日産は古くから吸収合併、グループ化で成長してきた企業、このため労働争議などで物議も醸したりしましたがいい面では各方面の技術を吸収、60年代ではまだ他車が技量不足で採用を躊躇する斬新、新鋭技術を投入、販売のトヨタに対して“技術の日産”と呼ばれていました。
大きな冒険は従来、国民車構想を反映させた各社の700〜800ccの大衆車群の頂点を目指し1Lマイカーブームの火付け役になったサニー1000(66y)の発売、高性能OHVエンジンと軽量ボディからなる内容は新時代のファミリーカーとして大人気を博しました。

↓1Lカーブームの先陣を切って発売されたサニー1000


古くはダットサンスポーツDC3型から始まるスポーツモデルへのこだわりも強く60年代、日産は一気にこれに傾倒するモデルをリリース、第一次スポーツカーブームも味方してモータースポーツにも積極的に参加、その気合の入れ方はトヨタ以上でリリースされる各モデルもトヨタ車に比較てしてスポティ色が濃くカーマニアに歓迎される味付けが多く広い範囲の庶民に訴求するトヨタとは違いやや専門的で玄人好みの車種を揃えていたのが特徴。

各モータースポーツにも積極的に参戦、3代目510型ブルーバード(67y〜)ではサファリ総合優勝、またサーキットではフェアレディSP/SR(62y〜)、そして旧プリンスの自信作スカイラインGT(S54B/A 64y〜)やGT-R(C10 69y〜)と矢継ぎ早に好成績を収めその技術を市販車にフィートバックしてゆく姿勢は多くのモーターファンに支持を受けました、ミッションのフルシンクロ、セミトレーディングアームの4輪独立懸架などまだ他車では満足に商品化できていない技術もこうしたモータースポーツから生まれたモノ、日産のクルマはレベルが高い!!と巷では言われていた60年代でした。

↓日本車が世界一過酷なラリーと言われたサファリを初制覇の偉業を成した510ブルラリー仕様!


↓旧プリンスから引き継ぐスカイラインは伝説を築きました!


↓ダットサンスポーツの流れからフェアレディ1500→1600→2000と進化、2000はモンスターとしてサーキット暴れまくり!


スカイライン(6気筒主体モデル=セドリックや一部商用)にはまだ“DATSUN”ブランドが隆盛の時期、上記車種もプリンス出のスカイラインを除き全てダットサンの名称が車名に入ります

他車より1歩も2歩も先んじた60年代の日産、西の横綱とガップリ四つに組み飛躍した60年代、今振り返ってもこの時代の日産は見た目よりも実で勝負する誠に骨がありクルマ好きを虜にする充分な要素があったと感心してしまいます。

※他の日産60年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・セドリック(60y)・ホーマー/ホーミー(64y)・シルビア(65y)・ローレル(68y)・キャブスター(68y)・サニーキャブ/チェリーキャブ(69y)


(いすゞ)
50年代はトヨタ、日産に並び“御三家”と言われたいすゞ、今でこそ完全なるトラックメーカーですが90年代までは乗用車造りに励んでいました。

と言っても元が三菱や日野同様にトラック主体ししてきたメーカーですから乗用車はあくまでサブ、しかし60年代の急激な乗用車発展期にはいすゞもこれに力を入れていました。

50年代にイギリスのルーツと提携し同社のヒルマンをノックダウン生産、これで乗用車を学び64年まで造りますが入れ替わるように62年にまずクラウンやセドリックのハイタク需要に挑戦するベレルを自社開発して発売、続いてベレット(63y)もリリース、この二車は前任のヒルマンのラグジュアリー&スポーツという性格を分けたような内容、ベレルは高級度合いを高めベレットにはスポーツ精神を継承、まだ珍しいフロアシフトやタコメーターも含む丸型メーターといったこの手のモデルではパイオニア的なヒルマンのDNAを確実に継いでおり加えてパワフルなエンジンや高度な足回りはサーキットでも大活躍、日本初のGTを名乗ったのもベレットでスポーツ好きにマニアックな人気を獲得、67年には成功とは言えず短命に終わったベレルの後続であるフローリアンを発売、順調に60年代を駆け抜けました。

↓ヒルマンで学んだ乗用技術を華開かせたベレル


↓ファミリーセダンが主ながらスポーティなクーペが大人気を博したベレット!


68yには伊、Jアローがデザインした美しいクーぺモデルを発売、生産性の悪いハンドメイド製作にて当時破格の172万円という驚きの価格でデビューしたこの117クーペは現在でも名車の名を欲しいままにする国産車の傑作に数えられています。

尚、117、ベレットには市販車としては贅沢なDOHCエンジンを搭載、トヨタやホンダに先がけてこのレーシングエンジンを一般に広めた功績は大きかったです!

↓奇才、Jアローデザイン、ハンドメイド、172万円という超高額が話題となった名作117クーペ


60年代、乗用車と同時に高度成長期の日本ではトラック等商用需要も見過ごせずいすゞの場合、企業力も小さく本業のトラックに重点を置かなざるを得なくトヨタ、日産のように乗用のみに注力する余裕がない中、これだけの名作を生み出しており50年代から継承する存在感は不変でした。

※他のいすゞ60年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・ワスプ(63y)・エルフィン(66y)


(三菱)
三菱自工、まだ60年代には存在していません、ただクルマは造っていましたよ=三菱重工自動車部…

戦後の財閥解体の時、中日本とか新三菱とか色々社名は変わっていますが自動車製造は国産最古の部類、戦後は軍需産業大手だった経験から米ジープの生産権を獲得、そしてトラックバス事業でも繁栄しました。

こうした部分でクルマ造りを行ってきた三菱、60年代はにわかに注目を集めだした乗用車部門に参入、三菱500→コルト600(60/62y〜)や国民車構想に軽自動車で応える初代ミニカ(LA型62y〜)が代表作でした。

↓庶民訴求の第一弾であった三菱500!


ただ、ともすれば重工体質の悪い部分もあり“頑強で壊れずに走ればいい”的でデザインや快適性どを度外視した頑なな車造りの姿勢はクルマにそろそろ夢と憧れを訴求しだした市場には受け入れられず苦戦、トヨタ、日産、いすゞの後塵を仰ぐ事になりこれまでの姿勢を反省、コルト1000(63y)でクラスを超える贅沢なセダンを提案、続いて高級乗用車であるデボネア(64y〜),、コルト800(65y)等60年代半ばから車種編成で大攻勢をかけ徐々に評価を得て69年に名車、コルトギャランを発売、これによりここまでどうしても軍用&トラックメーカーとしての認知しかなかった三菱が乗用車メーカーとして認められ70年の三菱自工発足となる訳ですね。

↓1Lカーブーム前夜に1クラス上の贅沢さを身に着けたコルト1000!


↓グロリア、クラウン、セドリックに続くVIP向け高級車市場にも初代デボネアで名乗り!


↓“三菱の乗用車”を広く普及させた名車、コルトギャラン!


乗用車造りは実際長い歴史はありながら日本が辿った軌跡に倣い民間需要から離れていた三菱が戦後、平和産業への転換の一つが乗用車造りでありそれに目覚めた60年代、特に後半からの成長には目を見張るモノがありましたしやがては横綱2強をも慌てさせるクルマ造りを成し遂げる原点がこの時代だったと思います。

※他の三菱60年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・ローザ(60y)・キャンター(63y)・ジュピタージュニア(63y)・ミニキャブ(66y)・デリカ(68y)


(東洋工業=現マツダ)
戦後は庶民に高い需要のあった3輪トラックで成長した東洋工業(以下マツダで記載)、当時は広島の中小メーカーといった体で西日本では知名度も高いながら東側にはまだ充分な浸透はなされていませんでした。
3輪〜4輪の軽/普通商用で実績を上げてきたマツダが今後の自動車界のトレンドである乗用車に進出したのが正に1960年(S35y)で軽自動車ながら小洒落たクーペボディを持つR360クーペ、これの一定の成功を見て続いて4ドアも持つ軽乗用の初代キャロル(62y)をリリース、360の小さなボディながら特徴的クリフカットを採用し大人4人をしっかり収めるキャロル、RrエンジンRrドライブの走破性も高く評価され大成功を収めます。

これにより自信を付けたマツダはいよいよ普通車市場に参入、63yの初代ファミリア、66yの初代ルーチェ、67年のコスモスポーツと続々とNEWカーを投入します。

↓特徴的Rrデザインで余裕ある4人乗りを提唱したキャロル!


↓激戦が予測される小型車クラスに名乗りを上げた初代ファミリア!


ファミリアは1Lカーブームの基礎を作った700〜800cc小型乗用での主役、既にこれもトヨタパブリカ、ダイハツコンパーノ、三菱コルト600〜800等ライバルがひしめく激戦区でしたがクラスを超えた質感と先に商用バンを発売しその反応をじってくり研究してからのセダン発売という綿密なリリースはライバルを制す人気をファミリアは得ています、これの成功がこれまで弱かった東日本でも一気にマツダの名前は知れ渡るようにもなりました!

↓世界初のREエンジン搭載市販化を実現したコスモスポーツ!


コスモスポーツは言わずと知れた我が国、いや、世界で初めてロータリー(RE)エンジンを市販化した初のモデル、マツダのREに賭ける情熱は生半可ではなく61年にRE元祖である仏・NSU・バンケルと業務提携しREを研究、コスモ搭載時には独自の2ローターとしてREの欠点を克服、その高い技術力も注目を集めました。

発売時は第一次スポーツカーブームの真っただ中、REの高性能を表現するのには一番適すスポーツカーとしてデビューさせたのも先見の明あり!しかし残念ながらもコスト高からなる車輌価格の高額化とREエンジンの浸透がなされず商業的には決して成功ではありませんでした。

しかし商用→軽→小型と発展させ“夢のエンジン”として社運を賭けたREエンジン実用化と確実に成長した60年代、現在に於いてREはラインナップされないながらもマツダ=REというイメージが根付いているのはこの時代の血の出るような努力の賜物であったという点を付け加えておきます!

※他のマツダ60年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・プロシード(65y)・ライトバス(65y)・クラフト(65y)・ボンゴ(66y)・ポーター(68y)・ボクサー(68y)・ポーターキャブ(69y)


19××〜あの頃?1960年代(後編)に続く
※アップ時期未定(^^;
Posted at 2019/06/20 23:02:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧車 | クルマ
2018年01月28日 イイね!

信州の旧車ヤード訪問

信州の旧車ヤード訪問
一部旧車マニアには有名なN県S市の旧車ヤードに2008年訪問時の一部画像をUP、60~70年代の今となっては貴重な旧車が中古車店を廃業したまま在庫を並べた状態で時が止まっています。

謎なのは時々在庫?が入れ替わっていたりする点で興味深い一角、管理者は至近におりパーツ盗などに監視の目を光らせている様子

※訪問から時が経過しているので健在か否かは不明です。


信州の旧車ヤード
Posted at 2018/01/28 17:29:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧車 | クルマ
2014年12月09日 イイね!

保存版・旧車(各社)マニアのプロファイリング!?

保存版・旧車(各社)マニアのプロファイリング!? 皆様お疲れさまでーす…!!

忘年会で“三菱vsスバル”の激論してたらフと思いつきましたので上げてみました!
ただ、最初にお断りしておきますがこのブログも完全お遊び企画、旧車好きのワタクシ、以前旧車屋に勤務していたのは以前のブログでお伝えした通りでこの時に関わったお客さんや関係者の方々、そして現在は完全なる趣味ですがイベント他でお話したりみんカラで絡んで頂く、そして仲間の方々とのお付き合い…
こうした交流からワタクシ個人的に感じた各旧車マニアさんの特徴をプロファイリングしてみました!


勿論、これは単なる個人的感覚、以下の内容にあてはまらないケースも多々あると思いますし「えぇーっ?」と反論も当然あるかと思いますがワタシも全ての旧車マニアさんとお話している訳ではないのは当然!なので分析?は最大公約数!?最小公倍数!?の意見として目くじら立てずに気楽に読んでやって下さいナ(^_^)v

内容ですが全ての旧車を取り上げる訳にもいきません、依ってこれまでの経験から旧車好きの方々は一般の方よりもほぼ熱烈に支持するメーカーさんがあるのが比較的見られる傾向に思いますので各メーカー別ファンの特徴、ある意味旧車だけに関わらず現代車でも支持に繋がっているでしょうね…。

ご想像の通りあくまでイチ個人、ワタクシの独断(と偏見?…笑)ですので違う意見で噛み付くような真似はしないで下さいネ、「そんな見方もあるのね」的に気楽によろしくお願いします、できれば皆様の周囲にいるマニアさんの特徴なんかを聴かせて頂けると嬉しいかも…<(_ _)>

※内容については国産車のみと致します、また、表現の仕方で不快感を持たれる場合もあるかとは思いますがどのメーカーも、車種も、何人も誹謗やバカにする意図はまったくございませんのであらかじめご了承願います。
※トラック専業メーカー(三菱ふそう、UDトラックス/日産ディーゼル及び長期に渡り乗用車生産をしていないメーカー(日野)は除外、ベースを自主生産していないミツオカも対象外としています。
それではやってみたいと思います!

【トヨタマニア】
(別称:トヨタファン、トヨタ派、トヨタ親派、ヨタヲタ…)


国内最大、いや、世界的にも今やNo.1になったトヨタ好きはまるでそれが自分の功績と勘違い?しているように少々鼻が高くなっているヒトもいるかな…!?
60年代から業界1位メーカーだった事もあり長いモノには巻かれろ、寄らば大樹の陰、弱肉強食、資本主義肯定派が多く見られる。
この事から野球は巨人ファン、売れるモノはイイモノ的思想の持ち主多し。

トヨタ2000GTこそ国産1の名車と考えている、“2000GTはほぼヤマハの開発モデル”という耳障りな意見はあえて聞こえないフリをする。
保守的で冒険はあまり好まない、石橋を叩いて渡る的慎重な性格の持ち主多くその分紳士淑女の割合が高く争いは好まない傾向。
同じトヨタファンとしても車種にこだわらず友好的で互いが「同じメーカーのオーナー、ファンである」とう事を尊重している点は大人…

現代車のプリウス/アクアこそが現在の日本では究極のエコカーでありこれを乗る事によって地球環境の保護に協力しているという自己満足から路上でも周囲の交通状況による適切なドライビングよりもエコ意識過剰による唯我独尊的ドライビング傾向あり。


【日産マニア】
(別称:日産ファン、日産派、日産親派、産ヲタ、日産ヲタク等…)


Mっ気傾向あり?長い間万年2位という立場にいたため東京に対する関西人の思いの如く妙にトヨタに反感を持っており未だに60~70年代に評論家から語られた“販売のトヨタ、技術の日産”の言葉をお守りのように大事にしている。

ワタシの地元、神奈川・横浜に縁の深いメーカーながら実は神奈川にはそうファンは多くなくトヨタ派が多し、このあたりは予断ながら横浜大洋→同ベイスターズ→DeNAのファンが地元に少ないのと共通、依ってオラが街のチームという郷土愛は少なく神奈川県人には巨人ファン多し。

国産車で語り継がれる名車が多く輩出、スカイライン(S54/ハコ/ケンメリ)、ブルーバード510、サニーB110他自慢多し、これの反面ゴーン体制以降のモデルには否定的で名作揃いの過去こそファンにとっては最大の財産!
このためか?車種同士のこだわりが顕著で専門性が強く例えばサニーには非常に深く熱意を持つが他車種は興味なしというケースも多々ある、また同じ車種でも弄りの方向性や考え方の違いから敵対するケースもあり結構複雑…

旧車の傑作はケンメリGT-Rと信じて疑わず高額取引ではもう片方で著名なトヨタ2000GTを「あれはヤマハのクルマ!」と言い切ってしまう。
“ダットサン”“ニスモ”という単語に異様にこだわりがあるのも特徴。

大昔から純潔を好む企業風土のトヨタと違い数多い合併などを経てきた日産、ファンもこれに準じ?保守的、慎重派が多いトヨタファンに比較して新しモノ好き、チャレンジ精神旺盛、他人との交流も積極的だが性格は遊び好きでややヤンチャ傾向ありで「やるならやろうじゃねーか!」的攻撃的な思想の持ち主も散見される。
外の血を入れるのに抵抗は少ないながら最近の三菱との親戚付き合いは三菱の前科にいつまでもこだわり否定的意見多し。


【ホンダマニア】
(別称:ホンダファン、ホンダ派、ホンダ親派、ンダヲタ等…)


内外全てに於いてかつてのF-1での活躍からホンダのエンジンにはどこも適わないと信じており古くはCVCC、近年ではV-TECという世界基準の技術をトヨタファンに対して最大限に自慢する。
特にDOHCエンジンを自慢にするトヨタに対し「内製品でもないくせに…」と蔑む傾向アリ!
オールドマニアは創業者の本田宗一郎氏を盲目的に尊敬、技術屋の魂と崇んでいる。
創意工夫に長けたメーカーであるホンダ、ここのファンはやはり技術好き、機械好きが多くその分理屈っぱい傾向あり。

他の技術も認めつつホンダパテントでないと疑いの目でまずは見るも受け入れれば機械好きとして大いに認める傾向あり。
昔は己の信ずるモノは例え不評でも突き進む(FR全盛時代にFFばかりのラインナップ、水冷エンジンが常識になっている中での空冷搭載等・・・)猪突猛進のカラーが好きなファンが多いも近年では現在のメーカーの生き方通り流行に敏感=代わり身が早くその分頑固さはなくなってきたが八方美人的性格が多い、この事からか?Sシリーズ、N360と名車は多いが他旧車も認める傾向が強く現在旧車ブームという事が関係あるのかは?ながら全体的に時代の風を読む力は非常に優れている。
変わり身の早さ=日産と異なりあまり過去の栄光にはにこだわらず最新トレンドに向けたアンテナは敏感。

同一メーカーでも一時期のチャラさ全面出しモデルを全否定するファンも存在、またスポーツモデルのみの専門性の高いファンも多くファン同士の交流は結構車種によりバラバラな印象。


【マツダマニア】
(別称:マツダファン、マツダ派、マツダ親派、マツヲタ等…)


70年代の“マツダ地獄”が一定世代以上には根強く残るもその世代のマツダファンは盲目的、ローターリーエンジンを開発した功績こそが最高の自慢で燃費や耐久性で疑問符投げかけられようがル・マンでの優勝という最大の武器で応戦してくる。
神奈川とは違い“オラが街”意識の強いファンが多く広島カープファンが多い。

かつては軽~4tトラック、マイクロまで造るフルラインメーカーに近い存在だったマツダ、軽やトラックを諦め高級車市場も撤退とうい憂き目も正しい選択だったと自負、その代わりバブル5チャンネル失敗は自身の最大の恥と捕らえる良識派が多い反面「なかった事」と決め込み取り合わないファンも少なからず存在。

遊園地・ジェットコースター好き?REで大ヒットを飛ばすもOILショックで大降下→赤いコスモで大ヒット→大降下→SA22 RX-7で大ヒット→大降下→赤いファミリアで大ヒット→大降下→DWデミオで大ヒット→大降下と上がったり下がったりのループがあるので現在好調ながらいつまでこの好調さが続くか内心不安で仕方ない。

ロータリー撤退を何より哀しい出来事として捕らえる反面、最近のスカイアクティブなどの快進撃は自慢の一つで現在毎日が楽しそうである。
アテンザ、CXシリーズ、アクセラ、ロドスタ、デミオと立て続けの快進撃でその勢いで一気に過去の栄光=ロータリー復活を心待ちにしている。

過去、OILショック時に全否定されたロータリーを造り続けた気概が好きでこのメーカーにホレたOLDファンはやはり偏屈者が多い傾向、レシプロエンジンのマツダ車を認めないモノも一部存在、同一メーカーのファン同士での交流は少ない印象。


【スバルマニア】
(別称:富士重ファン、スバル派、スバリスト、キモヲタブルー、スバヲタ等…)


とにかく頑固で創意工夫と言う名の唯我独尊だったスバルでファンもそんな企業カラーに魅せられただけあり他人の言う事は聴かない傾向、少数でも己の信じるクルマ造りに信念を持ちそのファンである事に誇りとプライドを高く持っている。
このためか?整備性が悪くコスト高のボクサーエンジン、他社がやらぬ中でもこれを古くから突き通し手間かかろうが弄りにくくろうがこれに魅せられたファンには何言っても馬耳東風…

サユリストならぬ“スバリスト”の呼称はその表れでこう呼ばれる事を喜ぶモノもいれば侮蔑と取るのもいる他メーカーファンからすると真にメンドイ性格。
しかしスバリスト同士の結束はこの分非常に強いのは昔迫害されてきた経緯があるからか?車種による差別も皆無でファン同士非常に友好的。
“元飛行機屋”である事が最大の自慢で何かと言うと「航空機技術の結晶!」と口走る傾向アリ。

軽トラの名作であるサンバーを含む軽自動車撤退とトヨタグループ傘下になった事を何より悲しんでいる、その腹いせか?これら犠牲の上でデビューしたトヨタ86はスバルのクルマ!と言い張って言う事聞かない、これによりスバリストは86は認めずもBRZだったら大歓迎の姿勢はこうしたファンの気質から当然である。


【三菱マニア】
(別称:三菱ファン、スリーダイヤ派、三菱親派、菱ヲタ等…)


OLDファンにはスバリスト共通する部分多し、従って三菱好き=スバル好きも数多し、但し4駆のパイオニアを主張するスバヲタとは対立、菱ファンはジープに始まる4駆普及の先駆を譲らない。

やはり元飛行機屋が最大のプライドで過去、大衆迎合せず職人気質のクルマ造りに感銘を受け「三菱でないと造れない!」「ゴツイ」という言葉が大好き!

近年のOEM乱発、ハイパワーモデルの撤退、三菱の真髄であるSUVモデルの消極的姿勢を本気で嘆いている、過去の栄光にすがらずを得ないのは日産ファンより悲壮感が高い。

一時は堂々と“三菱ファン”と名乗れず肩身の狭い思いをしたが例の事件以来、他社ファンからの偏見の目は変わらず肩身は現在でも決して広くはない。

どんなに誹謗中傷されようがかつての新技術や新機構をふんだんに開発してきた自負と誇りを捨てず辛抱強い?ドM?的気質の傾向。
リコール事件に触れられると「あんなのはトヨタはもっとやっていてマスコミに圧力かけたから表面化しない」と思わず口走る傾向強し…。
とにかくスリーダイヤが付いてれば機嫌がいい、鉛筆もエアコンもそのマークの有無で一喜一憂!

同じ三菱でも車種によるナワバリ意識が強く別車種同士での交流はあまり盛んではない印象、ギャランはギャラン、デボネアはデボネア、スタリオンはスタリオンとファンは専門性が強く友好的関係はまり多くない。

ファンの気質は攻撃的?(それはアンタだけとか言わないで…笑)、少なくとも他排的ではある。


【いすゞマニア】
(別称:いすゞファン、いすゞ派、いすゞ親派、いすゞヲタ等…)


乗用車市場復帰を今でも本気で願っている、弱小メーカーファンの悲しい性で控えめな性格のファンが多い、三菱のように悪いイメージはないも堂々「いすゞファン」と名乗らないファンも少なからず存在。

よく言えば日本車離れした斬新さ、悪く言えば市場リサーチ力の欠如が多かったいすゞ製乗用車、これも個人の趣味性がかなり強く一般受けはまずしないながら独特の個性に魅せられている変人?が多い、しかしクルマ同様大人しく紳士的で派手さを嫌う傾向があり自己主張も弱いスバルのように他から?な顔されても堂々「スバルがいい!」という強心臓は持たずひっそりといすゞ車を愛している。
しかし117クーペこそが日本の名作である!という強い信念は持ち続けておりこれはクルマではなく作品!と言い切る者もいる。

とにかく争いは好まず穏やかなファンが多く他メーカーファンに見られる車種にこだわる度合いは少なくどの車種でもいすゞ車であれば和気あいあい、しかし一部徹底した偏屈モノがいるのも事実。


【スズキマニア】
(別称:スズキファン、スズキ派、スズキ親派、スズキヲタ等…)


軽自動車のイメージが強いせいかそれほど“スズキだから!”という熱心なファンはいない印象、例えばアルトワークスの熱狂的信者もいるがこうした者はミラXXでもミニカダンガンでも認める要は軽スポーツマニアとしての立場の者が多い。
しかしジムニーやカプチーノといった名作のファンはやはり芯が強く他排的な傾向があり絶対にパジェロミニやビートは認めない傾向…

所謂下駄代わり的な大衆軽自動車を専業に長くやってきたメーカーだけありクルマに楽しさや走りがどうのという理屈を求めない層が多くテールランプがすぐ切れようがダッシュがすぐビビろうが文句も言わず大人しく温和なファンが多い印象、ライナップモデルからして半分は顧客が女性というのも関係あるか…?


【ダイハツマニア】
(別称:ダイハツファン、ダイハツ派、ダイハツ親派、ダボヲタ等…)


ここもスズキ同様軽自動車メーカーで言わずと知れたトヨタの子会社、このためトヨタOEMの小型車や過去には情勢が許されれば自社開発の小型車もラインナップ、軽自動車についてはスズキ同様"ダイハツでなければ!”というこだわりあるユーザーは少ないもこと普通車に関しては物珍しさもあってか?コアなファンが多くしかもド変態気味でマイナーであればある程自慢する傾向がある。

親会社に頭抑えられているので自社開発と言えどもあらゆる意味で制限された小型車が多いせいもあるのかファンもひっそりと人目を憚るように愛車を愛していたりと…

メーカーの性格上メジャーな国には輸出、生産もなく第3国での国内にはない珍妙なダイハツ車に魅せられるコアさで他社ファンにはとうてい理解できない思想の持ち主も多い傾向。


と、まぁ、こんな感じ?

当然、「そんなヤツはいねーよ」「全然合致しとらん!」という意見も多いでしょうがくどいながらも冒頭申し上げた通りこれはワタシの個人的感覚、なので皆様の周辺におられる各社のファン、マニア、ヲタと照らし合わせてみて愉しんで頂けたらと思います(^O^)/
Posted at 2017/12/09 13:08:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧車 | クルマ

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何シテル?   06/14 18:18
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