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2019年06月20日

19××〜あの頃?1960年代(前編)

19××〜あの頃?1960年代(前編) ※この記事は2016/6に上げたモノの改訂版です。

19××、以前深夜に懐かしい時代の音楽流していましたよね(関東だけか…?)それのクルマ版と言うか今や色んな意味で世界一となった日本車をその時代時代に於いてメーカーの隆盛、発展やいずれ訪れる飽和状態→衰退(一部メーカー)まで19××、20××として振り返ってみようかなぁと…

かく言うワタクシは60年代製、従って生を受ける以前の50年代以前はリアルには知らないので60年代〜現在の2010年代までの半世紀を主にメーカーさん主体で振り返ろうと思います。

60〜70年代は当然子供、従ってその頃の感想は子供目線の部分もありますが無類のカーキチ(死語)だった亡オヤジの残した知識、そして信頼する文献の力も借りますがなるべく当時、自分が肌で感じた思いを綴って行ければと思います。

いつの間にかに生き字引?な年代になってしまいましたがクルマ好きとしては幸いにも国産車の青春時代〜発展期、そして世界のTOPを取る過程をリアルに見てきました、例によって独断、偏見、私感がたっぷり入るとは思いますがなるべく事実をありのまま語りたいと思っておりますので若い諸君はしっかりと第三者の厳しい目で精査し勉強するように(爆)

それでは早速やりましょ(^^)v

定義としては一度でも乗用車を生産した国産メーカーが対象、従ってこれの経験がないUDトラックス(日産ディーゼル)は除きますし二輪オンリー(川崎重工、ヤマハ発動機)も同様。
また乗用メーカーであっても60年代以前、前後に倒産、吸収、消滅しているメーカー(プリンス、オオタ、NJ、オカムラ、愛知機械等)も対象外、ベースモデルが他社となる光岡も同様ですので宜しくお願いします!

※長文になるので前編/後編に分けています。

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1960年代、一口に言っても10年ある訳ですし特にこの年代は初頭はまだ戦後の雰囲気を払拭できず貧しい時代、逆に末期は高度成長の波に乗りイケイケどんどんという正に激動の時代でした。

現在と似た雰囲気?64年に東京オリンピック開催が決まりこれに合わせるように東海道新幹線や東名、名神高速や首都高速も次々に開通、インフラ整備と相まって日本のモータリゼーションは40〜50年代の創成期を終え発展成長期にありました…。

1$は360円の時代、まだまだ欧米諸国に追いつけ!という中、車、家電は日進月歩の発展を見せ高度成長による急激な時代の変化、しかもこれから発展するというワクワク感、希望を見いだせる年代でした。
所得もうなぎ登り!元々勤勉な日本人は敗戦というハンデをこの勤勉さで戦後20年にて復興を成し遂げGDPも急成長、極東の小さな島国“にっぽん”が世界から注目を集めはじめる、そんな年代でした。

(トヨタ)
1955年に現代にも続くクラウン発売以降波に乗るトヨタでしたがライバルの追撃も激しくまだまだ60年代は盤石というものではありませんでした。

しかし時の通産省が提唱した国民車構想に応じたパブリカ(61y)、これを発展させマイカーブームの大波を確実に捉えた初代KE10型カローラ(66y)、第一次スポーツカーブームをけん引し国際基準で由緒ある欧州スポーツカーにも渡り合えるトヨタ200GT(67y)の発売、これらの廉価版弟分で、スポーツ800(65y)、トヨタ1600GT(67y)の発売と後半になるにつれクラウン/カローラで稼ぐ抜きんでた資金力で相次いでユーザーニーズを的確に捉えるモデルをリリース、また販売店育成にも力を入れ顧客第一主義を徹底し60年代末期には多くのユーザーの心を捉え“販売の神様、販売のトヨタ”と言われる程支持を得ました。

↓後発ながらも1Lマイカーブームをけん引した初代KE10型カローラ!


↓日本初の国際級スポーツカー、2000GTもこの年代の発売!


↓特別高性能エンジンを持たずともベースを大衆車パブリカに置き安価で空力ボディにより低燃費、軽量=高性能を実現したスポーツ800!


トヨタの代名詞と言われていたクラウンも67年デビューの3代目からはオーナー訴求を開始、まだまだ国産フルサイズが公用、VIP用というイメージ中でいち早くオーナードライバーに訴求した事が後の裕福な時代を迎えた際、日本の高級車=クラウンと言う概念に自然になっていったのはこの時に築かれていたとも言えますね!

また、それまで外車頼りだったVIPカーにしてもクラウンエイト→センチュリーという設計から制作まで贅を尽くす最高級車もリリース、“日本車を代表するトヨタ”という立場を鮮明に示した時代でもありました。

↓60年代にはそれまで外車頼りだった高級車市場へもクラウン、センチュリーで本格訴求!


60年代に入り一気に車種編成を拡大、この時期のクルマ造りのノウハウが実を結び現在の盤石な地位を築く基礎となった年代と言えるでしょう。

※他のトヨタ60年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・コロナマークⅡ(67y)・ハイエース(67y)・ミニエース(67y)・マッシーダイナ(69y)・コースター(69y)

(日産)
戦前から人気車を積極的にリリースしてきた日産、50年代には既に東の横綱(西の横綱=トヨタ)と言われその頃はトヨタに対し小型の庶民訴求モデルが充実、市民には最も親しまれた国産車だったと思います。

そんな庶民性を60年代でも継承、恐らくこの年代で一番飛躍したのが日産自動車ではないかと感じます!

純血主義のトヨタとは違い日産は古くから吸収合併、グループ化で成長してきた企業、このため労働争議などで物議も醸したりしましたがいい面では各方面の技術を吸収、60年代ではまだ他車が技量不足で採用を躊躇する斬新、新鋭技術を投入、販売のトヨタに対して“技術の日産”と呼ばれていました。
大きな冒険は従来、国民車構想を反映させた各社の700〜800ccの大衆車群の頂点を目指し1Lマイカーブームの火付け役になったサニー1000(66y)の発売、高性能OHVエンジンと軽量ボディからなる内容は新時代のファミリーカーとして大人気を博しました。

↓1Lカーブームの先陣を切って発売されたサニー1000


古くはダットサンスポーツDC3型から始まるスポーツモデルへのこだわりも強く60年代、日産は一気にこれに傾倒するモデルをリリース、第一次スポーツカーブームも味方してモータースポーツにも積極的に参加、その気合の入れ方はトヨタ以上でリリースされる各モデルもトヨタ車に比較てしてスポティ色が濃くカーマニアに歓迎される味付けが多く広い範囲の庶民に訴求するトヨタとは違いやや専門的で玄人好みの車種を揃えていたのが特徴。

各モータースポーツにも積極的に参戦、3代目510型ブルーバード(67y〜)ではサファリ総合優勝、またサーキットではフェアレディSP/SR(62y〜)、そして旧プリンスの自信作スカイラインGT(S54B/A 64y〜)やGT-R(C10 69y〜)と矢継ぎ早に好成績を収めその技術を市販車にフィートバックしてゆく姿勢は多くのモーターファンに支持を受けました、ミッションのフルシンクロ、セミトレーディングアームの4輪独立懸架などまだ他車では満足に商品化できていない技術もこうしたモータースポーツから生まれたモノ、日産のクルマはレベルが高い!!と巷では言われていた60年代でした。

↓日本車が世界一過酷なラリーと言われたサファリを初制覇の偉業を成した510ブルラリー仕様!


↓旧プリンスから引き継ぐスカイラインは伝説を築きました!


↓ダットサンスポーツの流れからフェアレディ1500→1600→2000と進化、2000はモンスターとしてサーキット暴れまくり!


スカイライン(6気筒主体モデル=セドリックや一部商用)にはまだ“DATSUN”ブランドが隆盛の時期、上記車種もプリンス出のスカイラインを除き全てダットサンの名称が車名に入ります

他車より1歩も2歩も先んじた60年代の日産、西の横綱とガップリ四つに組み飛躍した60年代、今振り返ってもこの時代の日産は見た目よりも実で勝負する誠に骨がありクルマ好きを虜にする充分な要素があったと感心してしまいます。

※他の日産60年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・セドリック(60y)・ホーマー/ホーミー(64y)・シルビア(65y)・ローレル(68y)・キャブスター(68y)・サニーキャブ/チェリーキャブ(69y)


(いすゞ)
50年代はトヨタ、日産に並び“御三家”と言われたいすゞ、今でこそ完全なるトラックメーカーですが90年代までは乗用車造りに励んでいました。

と言っても元が三菱や日野同様にトラック主体ししてきたメーカーですから乗用車はあくまでサブ、しかし60年代の急激な乗用車発展期にはいすゞもこれに力を入れていました。

50年代にイギリスのルーツと提携し同社のヒルマンをノックダウン生産、これで乗用車を学び64年まで造りますが入れ替わるように62年にまずクラウンやセドリックのハイタク需要に挑戦するベレルを自社開発して発売、続いてベレット(63y)もリリース、この二車は前任のヒルマンのラグジュアリー&スポーツという性格を分けたような内容、ベレルは高級度合いを高めベレットにはスポーツ精神を継承、まだ珍しいフロアシフトやタコメーターも含む丸型メーターといったこの手のモデルではパイオニア的なヒルマンのDNAを確実に継いでおり加えてパワフルなエンジンや高度な足回りはサーキットでも大活躍、日本初のGTを名乗ったのもベレットでスポーツ好きにマニアックな人気を獲得、67年には成功とは言えず短命に終わったベレルの後続であるフローリアンを発売、順調に60年代を駆け抜けました。

↓ヒルマンで学んだ乗用技術を華開かせたベレル


↓ファミリーセダンが主ながらスポーティなクーペが大人気を博したベレット!


68yには伊、Jアローがデザインした美しいクーぺモデルを発売、生産性の悪いハンドメイド製作にて当時破格の172万円という驚きの価格でデビューしたこの117クーペは現在でも名車の名を欲しいままにする国産車の傑作に数えられています。

尚、117、ベレットには市販車としては贅沢なDOHCエンジンを搭載、トヨタやホンダに先がけてこのレーシングエンジンを一般に広めた功績は大きかったです!

↓奇才、Jアローデザイン、ハンドメイド、172万円という超高額が話題となった名作117クーペ


60年代、乗用車と同時に高度成長期の日本ではトラック等商用需要も見過ごせずいすゞの場合、企業力も小さく本業のトラックに重点を置かなざるを得なくトヨタ、日産のように乗用のみに注力する余裕がない中、これだけの名作を生み出しており50年代から継承する存在感は不変でした。

※他のいすゞ60年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・ワスプ(63y)・エルフィン(66y)


(三菱)
三菱自工、まだ60年代には存在していません、ただクルマは造っていましたよ=三菱重工自動車部…

戦後の財閥解体の時、中日本とか新三菱とか色々社名は変わっていますが自動車製造は国産最古の部類、戦後は軍需産業大手だった経験から米ジープの生産権を獲得、そしてトラックバス事業でも繁栄しました。

こうした部分でクルマ造りを行ってきた三菱、60年代はにわかに注目を集めだした乗用車部門に参入、三菱500→コルト600(60/62y〜)や国民車構想に軽自動車で応える初代ミニカ(LA型62y〜)が代表作でした。

↓庶民訴求の第一弾であった三菱500!


ただ、ともすれば重工体質の悪い部分もあり“頑強で壊れずに走ればいい”的でデザインや快適性どを度外視した頑なな車造りの姿勢はクルマにそろそろ夢と憧れを訴求しだした市場には受け入れられず苦戦、トヨタ、日産、いすゞの後塵を仰ぐ事になりこれまでの姿勢を反省、コルト1000(63y)でクラスを超える贅沢なセダンを提案、続いて高級乗用車であるデボネア(64y〜),、コルト800(65y)等60年代半ばから車種編成で大攻勢をかけ徐々に評価を得て69年に名車、コルトギャランを発売、これによりここまでどうしても軍用&トラックメーカーとしての認知しかなかった三菱が乗用車メーカーとして認められ70年の三菱自工発足となる訳ですね。

↓1Lカーブーム前夜に1クラス上の贅沢さを身に着けたコルト1000!


↓グロリア、クラウン、セドリックに続くVIP向け高級車市場にも初代デボネアで名乗り!


↓“三菱の乗用車”を広く普及させた名車、コルトギャラン!


乗用車造りは実際長い歴史はありながら日本が辿った軌跡に倣い民間需要から離れていた三菱が戦後、平和産業への転換の一つが乗用車造りでありそれに目覚めた60年代、特に後半からの成長には目を見張るモノがありましたしやがては横綱2強をも慌てさせるクルマ造りを成し遂げる原点がこの時代だったと思います。

※他の三菱60年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・ローザ(60y)・キャンター(63y)・ジュピタージュニア(63y)・ミニキャブ(66y)・デリカ(68y)


(東洋工業=現マツダ)
戦後は庶民に高い需要のあった3輪トラックで成長した東洋工業(以下マツダで記載)、当時は広島の中小メーカーといった体で西日本では知名度も高いながら東側にはまだ充分な浸透はなされていませんでした。
3輪〜4輪の軽/普通商用で実績を上げてきたマツダが今後の自動車界のトレンドである乗用車に進出したのが正に1960年(S35y)で軽自動車ながら小洒落たクーペボディを持つR360クーペ、これの一定の成功を見て続いて4ドアも持つ軽乗用の初代キャロル(62y)をリリース、360の小さなボディながら特徴的クリフカットを採用し大人4人をしっかり収めるキャロル、RrエンジンRrドライブの走破性も高く評価され大成功を収めます。

これにより自信を付けたマツダはいよいよ普通車市場に参入、63yの初代ファミリア、66yの初代ルーチェ、67年のコスモスポーツと続々とNEWカーを投入します。

↓特徴的Rrデザインで余裕ある4人乗りを提唱したキャロル!


↓激戦が予測される小型車クラスに名乗りを上げた初代ファミリア!


ファミリアは1Lカーブームの基礎を作った700〜800cc小型乗用での主役、既にこれもトヨタパブリカ、ダイハツコンパーノ、三菱コルト600〜800等ライバルがひしめく激戦区でしたがクラスを超えた質感と先に商用バンを発売しその反応をじってくり研究してからのセダン発売という綿密なリリースはライバルを制す人気をファミリアは得ています、これの成功がこれまで弱かった東日本でも一気にマツダの名前は知れ渡るようにもなりました!

↓世界初のREエンジン搭載市販化を実現したコスモスポーツ!


コスモスポーツは言わずと知れた我が国、いや、世界で初めてロータリー(RE)エンジンを市販化した初のモデル、マツダのREに賭ける情熱は生半可ではなく61年にRE元祖である仏・NSU・バンケルと業務提携しREを研究、コスモ搭載時には独自の2ローターとしてREの欠点を克服、その高い技術力も注目を集めました。

発売時は第一次スポーツカーブームの真っただ中、REの高性能を表現するのには一番適すスポーツカーとしてデビューさせたのも先見の明あり!しかし残念ながらもコスト高からなる車輌価格の高額化とREエンジンの浸透がなされず商業的には決して成功ではありませんでした。

しかし商用→軽→小型と発展させ“夢のエンジン”として社運を賭けたREエンジン実用化と確実に成長した60年代、現在に於いてREはラインナップされないながらもマツダ=REというイメージが根付いているのはこの時代の血の出るような努力の賜物であったという点を付け加えておきます!

※他のマツダ60年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・プロシード(65y)・ライトバス(65y)・クラフト(65y)・ボンゴ(66y)・ポーター(68y)・ボクサー(68y)・ポーターキャブ(69y)


19××〜あの頃?1960年代(後編)に続く
※アップ時期未定(^^;
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Posted at 2019/06/20 23:02:43

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